はてなキーワード: デジタルツーカーとは
軽く調べたんだが携帯キャリアの歴史の1つのターニングポイントは1992年。
1つはエヌ・ティ・ティ移動通信網株式会社がNTT本社から移動通信事業を完全に引き継いだこと。
これが1994年にツーカーと共にデジタルツーカー(*1)となり、なお紆余曲折を経て今のソフトバンクになる。
ちなみに1992年以前の携帯CMは電話が持ち運びできるということと問い合わせ番号ぐらいしか伝えていない。
当時のことはあまり知らないがどこもこんなものだったのではないだろうか。
まあ当時はかなり値の張るサービスだったと思うので、
金のことなんか気にせずただただ電話ができればいいという好奇心旺盛な人を取り込めればよかったのだろう。
話は戻るが1992年に今の携帯キャリア3極体制の原型が出来、(*2)
まだまだ携帯電話事業に対して市井の人々の関心が今ほど高くは無かった90年代中期。
業界の中核をなす企業でありながら少々ごたつき気味だったドコモと新興勢力のデジタルホンは、
まずはブランドの認知が早急だと判断したのかインパクトの強いCMを打ち出した。
(当時のCMはみつからなかった)この桑田佳祐が映っている部分が1992~3年ドコモ開始時のCM。
「オギャーっと、ドコモ!」のキャッチコピーでタイアップ楽曲はサザンオールスターズの「シュラバ★ラ★バンバ SHULABA-LA-BAMBA」。
キャッチコピーの語感やシュラバ★ラ★バンバの曲調からバブルの残り香のような勢いを感じるインパクトの強さ。
宇宙人に扮したAV女優が乳丸出しでサザンのメンバーを襲うという、これまた豪勢でインパクトを残すものだった。
現在にいたるまでコンスタントにDocomoのCMに出演していることからも、このCMの重要さは見て取れることだろう。
こちらはデジタルホン系列の関西デジタルホンが1996〜97年に放送した「しゃべるならデジタルホン」シリーズの1つである。
クエンティン・タランティーノがひたすらしゃべり続け「しゃべりタランティーノ」という決め台詞をいうと
視聴者はデジタルホンという携帯キャリアの存在しか頭に入ってこない。
デジタルホン(現ソフトバンク)の初期を代表するCMで記憶に鮮明な人も少なくないはず。
思えばこの2つのCMが昨今の携帯キャリアのブランドイメージの源流なのかもしれない。
著名人が奇抜な格好したりショートコントをやってる携帯のCM、というものの原型は、
それでも1990年代はまだドコモの広末やIDOの常盤貴子や織田裕二などによる爽やか路線が主流だったが、
「IDOはどこにあるの?」というトヨテツのボヤキで幕を開け、
浅野忠信、豊川悦司、永瀬正敏らによって展開されたAu by KDDIの初期のキャンペーンによって、
携帯キャリアのCM=際物なイメージは確固たるものになってしまったのではなかろうか。
(*1):ツーカーの存在はデジタルホンと足並み揃えたかと思えばKDDI傘下に入ったりそれでもJ-phoneのサービス採用してたりとややこしいので割愛したい。
iPhoneが不評な理由を挙げるとき、自分が個人的に一番理解できないのが「メールのプッシュ受信が貧弱」という項目だ。
そもそもメールというかインターネットって「生のままで流されるデーターは情報の正確性と速度は一切保証されない通信方法」なわけで、そのインターネット回線を平分で流れるメールなんて、最初から即時性求めてちゃだめなんじゃない?
実際自分は即時性を求める連絡事項は絶対にメールだけでは済まさないし、相手にもそれを求める。
仕事だとそれはさらに徹底するので、しがない自営業やってると短期的に見てビジネス的に不利になる場面も少なくはないが、
メールという遅延に全く誰も責任が取れないメディアにこちらが即時対応を義務づけられると、それが積もり積もるともしものときにもっと手痛いダメージをこちらが一方的に被ることになるので、こちらに即時対応を求められるときは必ず電話などのリアルタイムで連絡可能なメディアを通じて、その補助としてメールを利用している。
そうするとメールはプッシュである必要は全くない。IMAPであれPOPであれこちらが確認したいときにサーバーに接続して都度必要な対応をすればいい。即時対応が求められるなら、その前に必ず電話なり何なりの連絡が来ているはずだから。
これが携帯電話だけしか持っていない層になるとまた話が違ってくるんだろう。
携帯電話のメールは、古くはポケベル方式で文字のやり取りを可能にしたPHSのデジタルツーカーのカシオのモデルだったり、確かSMS方式っぽい方法で文字データをやりとりしたJSkyメールあたりが発端になってるはずなので、
回線業者に囲い込まれたインターネットしか体験していないユーザーにはメールはプッシュが当たり前なんだろうし、
実際その層で多いのはいつも誰かに存在が確認されていないと自分が消えそうな子供・思春期の年代が大半だろうとは思う。
で、iPhoneなんだけど、これはPCを持ってるのが前提なわけで
携帯電話しか持っていない層よりもはるかに少ない、PCで一通りのことは出来る上に自分なりの使い方を持っていて、さらにそれが多少なりとも外に持ち歩ければ、
という現在まだ非常に少ない層にジャストフィットした商品である以上、そこを理解していないと重大な過ちを犯す。
そこに輪を掛けて、スマートフォンというものに過剰な期待を抱いて勝手に舞い上がってた、PDAやスマートフォン慣れしてなかった層まで加わって、「がっかりした」の大合唱。
iPod touchのときも2chやニュースサイトで舞い上がって鼻息荒く「公衆無線LANと組み合わせてライフハック!」を夢見ていた人たちが居たが、その人達の提供するライフスタイルが常に回線ありきでPDA慣れしてないと感じた。
今回iPhoneも日本の携帯市場を揺るがすとか鼻息荒かった人もいて、それを見るたびいつも「あーこの人PDA・スマートフォン慣れしてねーなー」と苦々しく思ったものだが、
PDAはそもそも職場や自宅のPCと「同期」させて外にデータを持ち出すと便利になる一部の層のためのツールであって、スマートフォンはそこに外でも回線の接続の可能性が増えたに過ぎない。中には外での回線の接続に音声通話も可能な物もあって、電話の機能もつけるけどiPhoneはそのうちのひとつにしかない。
思春期あたりの子供が下すiPhoneへの評価はまだ理解できるが、出発点を見誤って息巻いてるPDA慣れしていない自称ライフハッカー達の見当違いな評価はウンザリだ。
いろいろ言いたいことはあるんだけど、とりあえず「iPhoneのメール機能が貧弱だ」という意見には全く同意できない。
プッシュが貧弱なのは、携帯やPCに限らずメールでの即時性は思春期を過ぎればそんなに対した問題じゃないし、むしろ即時性を求められるほど迷惑になってくるし、
では試しにi-modeでGmailを読もうとしたら何回クリックしないといけないのか、そもそもIMAPやPOPにアクセスしようと思うと自分でサーバー立てたりJAVAでアプリ作ったりしないと何も出来ないのに対して(どこか他人のサーバーを一度介せばいいんであれば携帯電話でもIMAPやPOP読めるサービスやアプリあるけどね)、
それに対してアカウントさえ設定すれば、常にアクセスしたらメールが簡単に読めるこの端末のどこがメール機能が弱いのか、全く分からない。