はてなキーワード: スペシャリストとは
よくも悪くも脚光を浴びていますが、私も一言書かせてもらいます。
私は、2000年問題があった頃に入社し、7、8年間、この会社にお世話になりました。
IBM時代は、SE(社内ではITエンジニア、ITスペシャリストなどと言っています)で、
いくつかの業界のシステムを構築したり、運用したりしていました。
前職を客観的に見ることもできます。(福田前首相みたいですが)
思うことを書きます。
別に擁護したり、批判したりするつもりはありません。
■社風について
正直言って、非常に働きやすかったと思います。
そのとおりだと思います。
もちろん、マスコミ向けに上手に宣伝している感があるのは、否定しません。
有給休暇も簡単に取得できます。
私なんかは、毎年夏休みを2回(1週間ずつ)取得してました。
私の評価は平均ないし平均よりちょっと上だったと思いますが、
普通に仕事して(PBCで2以上)、きちっとお客さんについて仕事があり、
コストがつき、稼動していれば、全く問題ないはずです。
そんなに難しいことではありません。
■リストラについて
正直なところ、常時これはあります。
私も見ました。
できない人を、どう考えても特性とあっていない部門にほうりこみ、
心身ともどもぼろぼろにし、退職させていました。おそらく、故意でしょう。
そこには、半外資(ようは、アメリカ親会社のいいなりってとこでしょうか)の
恐ろしさが見え隠れしていました。
評価3(一昔前は、Cだったので、チャーリーとか言われていました)が数回続くと、
■給与体系
未だに、謎です。
誰が一体いくらもらっているのか、全くわかりません。
難解な方程式みたいなことになっており、銀行で記帳するまでいくらかわからない、
非常に非常に不透明なものでした。
ボーナスを計算するExcelが作られたりしていたほどです(笑)
それでも、違ってましたが(笑)
社員間でも、給与の話をするのは論外という、暗黙の了解がありました。
実感としては、30才までは安月給、
主任になると人並みの幸せ、それ以上になると1000万円コースってところでしょうか。
ばりばり働いている若手が安い賃金なのに、
そこには非常に不公平さを感じました。
とにかく、不透明、
社員を欺いているとしか思えません。
ここは、この会社の悪いところでしょう。
■評価方法
いろいろな所で書かれているように、PBCなるもので決まります。
それを、一人の上司が判断するわけです。
容易に考えが及ぶと思いますが、
周りの人の評判、風評で決まっていました。
いい加減な側面は否定しません。お友達人事などと言われていたと思います。
とにかく、ラインの権限が強いです。
■今回のリストラについて
社内には、昔は仕事をいっぱいしていたんだろうが、
時代も変わり、暇そうにしているおじさんがたくさんいました。
中には、知識もろくにないのに、事業所にいついているおばさんまでいます。
あと、昼飯だけ食べにきているのではという人や、
やたらと色々なフロアで見かける人(うろうろして、談笑しているだけなのです)がいます。
アドバイザーみたいな職位で、若手よりよい給与をもらい、半分遊んでいるのでしょうね。
ですので、こういう方たちが一掃されるのであれば、
まじめに勤務している私の同期、先輩にはよいことだと思います。
優秀な人はたくさんいました。
なので、必要以上の無理なリストラさえしなければ、
今回の措置は不可欠だと思います。
■まとめ
定年までいる人をあまり見かけたことがないのが、ちょっと異常ですが。
極悪非道のえげつない会社だと判断するのは、少し違うと思います。
やり方はもうちょっと変えたほうがいいかもしれません。正直、思います。
以上です。何かの参考になれば。
やっぱり「話せば分かる」「問答無用」的なやりとりはあったのかなーと例の事件を報じる記事を眺めていたら元次官の人が思い思いの表現で呼ばれていることに気付いた。
最後の2つは英語にするとカッコいいだろう!的発想を感じないでもない
もしくはプロと呼ぶに値するのはこの人くらいしかいなかったという遠回しな官僚disだろうか
「神殺し」って言ってみたら脳の中二病野がすごく活性化しました
本当に仏になっちゃったー!ってマギー審司がやってるところを連想させられてイラッ
次にどんなのがくるか考えてみる
各社の記事に一覧性を与えて面白い二つ名の存在に気づかせてくれたぐぐるニュース先生こそ黒幕
11/20 木 11:28 加筆修正
はっきり言ってやれば?インフラの事も分からん奴に設計なんてやらせるわけがない、って。
そいつは自分の能力に過剰な自信を持ってるようだから、そこをくすぐるといいかもな。「優秀な君なら、かなり早いうちに運用作業を通じてインフラ周りの知識を得られると期待している」って。
本当にサーバー周りの知識と運用経験をつけさせたいのだろうな、というのは想像が付く。新人をいきなり本当の意味でのルーチン作業に叩き込むわけが無いからな(そんな事はそれこそ派遣にやらせりゃいいわけで)。多分、新人にはそういうメッセージが伝わってない。だから「新人だから軽んじられてこんなくだらない仕事を押し付けられてる」とでも思っている。
おおかた、設計が偉くてサーバー管理とかネットワーク管理はたいした事無い仕事、とでも思ってるんだろ。新人にはありがちだ。サーバーとかインフラとかネットワークとかのスペシャリストのほうが高給取りなのにな。インフラの知識無しでできる「設計」なんておままごとのようなもので、そんな経験は吹けば飛ぶようなものでしかない。本当に実績と力になる、本物の「設計」にはサーバーなどの知識が必須だ、と諭してやれ。
俺は右翼とも左翼とも一定の距離を持っているし、是々非々で議論をしたいと常に心がけている。議論をする時には、なるべく論拠を示し、具体的にすべきだと思っている。
左翼は、論拠とか理由を示さない場合が非常に多い。顕著な特徴だと思う。たとえば、http://anond.hatelabo.jp/20081102115648
ここでは、
>内容的にも事実誤認だらけで論外の電波、というのがだいたい見解一致じゃないかなぁ。
↑これは防衛庁高官の田母神論文について言ってるんだけど、まず、「事実誤認だらけ」と言ってるだけで、具体例をまったく挙げていない。言いっぱなし。
「だいたい見解一致じゃないかなぁ」←自分が感じたそのままが世間一般にピタリと当てはまると、やはり何の根拠もなしに思って疑わない。
そもそもこの人はたぶん田母神論文も読んでいない。僕も読んでない。だから、判断できないんだよね。このコメントをしてる人も、たぶん読んでない。(まだ発表前の論文だし。)それでも、判断できるっていうんだよね。防衛庁の高官って言ったらこのての問題の超スペシャリスト。おまけに300万円を獲得した論文だという。一目置こう、という気になるはずなのに、「論外の電波」だって。匿名の掲示板で。どっちが電波かと。
一方右翼は、けっこう論拠を示すんだよね。具体的に古い資料引っ張ってきたりして。でも、一面的で、その他の情報をまったく無視したりする。たとえば先の戦争にしても、日本が帝国主義を拡大していった背景にはまず良心があることを強調する。一方で、そのまずかった結果についての反省がない。良心を押し売りされた側への同情なんてこれっぽっちもない。左翼も狭心だけど、右翼も別の種類の心の狭さがある。
右翼は、無条件で国を愛さない奴を許せない一方で、国の欠点についてまったく反省しない。一方左翼は、無条件で日本が駄目な国だと思わなければ、そいつを軽蔑する。
僕のイメージとして、右翼というのは、狭い穴の中に閉じこもろうとしている。左翼は、どこかにイデオロギーという棒が1本立っていて、そこに寄せ集まっていて、他の一般人もそこに集まってくれるのを期待して無駄な一生を終える。
ネットでは、政治問題となると、敵対する相手をウヨク、サヨクって呼ぶ。場合によってはコリア系と。どれをとっても、日本人全体に占める割合は多くて2、3%なんだよね。だから、ウヨ、サヨ言い合っている状況というのは、大多数の日本人を疎外してるんだよね。中にはそういうイデオロギーに沿って工作活動をしている場合もあるのかもしれないが、そうにしたって一般の人を疎外する結果であることに変わりはない。
はた迷惑なんだよね。両方とも国民大多数の支持なんか得られるわけがないのに。
これがいつから存在する言葉なのかは知らん。少なくとも10年前に在籍していた(JIETを使った偽装請負だけで儲けるしか能のない)会社の社長がよく吹いていた言葉なので、ある種の世界では定説だったのだろう。ただどうにも納得できないことがある。今日のコンピュータサイエンスという分野自体がノイマン型を起源としてもたかだか60年しか無いのだ。コンピュータが学術の世界から飛び出し、中小企業までにも広く導入され実用化したと言える状況になってまだ25-30年程度なわけだ。かつては情報処理というものは総務部や経理部の一業務に過ぎなかったけど、企業のIT化に伴い次第にそうした部門が電算部として独立し、果ては子会社化・アウトソーシング化へという流れに進んできた。SIerと呼ばれる、情報システムのマルチベンダー化を象徴した業態が当たり前のようになったのもたかだかここ15年程度の話。
前述の社長はまさにパンチカードや磁気ドラムの直接世代だったので、おそらくそういう世代の人たちにとっては現場要員としての実質的な定年が35歳だったのは事実なのだろう(知らねーけど)。ただインターネット接続環境が爆発的に普及したここ10数年は、情報処理の技術も市場も「劇的に」変わった。求められる技術者像も変ったし、情報処理技術者が目指す分野も細分化された。プログラマーとしての実務経験がまったくなくても、データベースエンジニアやネットワークエンジニアとして初心者の雇用を受け入れている世界になっちまっているほどだ。これは極端な例で無茶苦茶だとは思うが、それでもどうにか勤まるポジションがあって、しかも人材不足な世界であろうということは容易に推測できる。40代の現場要員なんてザラに居るし、PGにしても40歳になってから組み込みの世界に飛び込んだ初心者も居るぐらいだ。全然減ったという印象を受けない。ちなみに俺の職場は社員・請負会社のメンバー含めて平均年齢は36歳である。嘘ではない。
少なくとも、今のIT業界における就労事情を語るにあたっては、20年以上前の人々のそれは「ちっとも」サンプルにはならないはずだ。これ、実際にどうなんですかね。35歳を過ぎて仕事にあぶれたPG/SEなんて居るの?「私はCOBOLしかできません」って言ってる50歳でも食えているんだよ。10年前に「C言語やCOBOLは10年後には確実に無くなってる」って言ってた奴出てこいよ。
今にして考えるとあれって現場をドロップアウトした人間が、営業しかできなくなった今の自分を粉飾するために編み出した論理武装だったのかもしんない。俺も上司から「いつまでも現場に居たのでは駄目だ、いつかは現場を離れて管理職としてマネージメントするのが、情報処理技術者の理想像だ」と説かれたクチだけれども、それって確かに「選択肢の一つ」ではあるけど、それこそが情報処理技術者の理想像だというのは少し違うんでは。最近は、下流工程から上流工程へ移ることが情報処理技術者のキャリアップかのように語る人も増えたが、はぁ何それって感じだ。そもそもあんたらの言うところの上流・下流云々ってIT業界の理屈じゃなくてSI業界の理屈だろと言いたい。俺が5年後SI業界に居るとは限らねーし、あるいはどっかの国で地味ーにコード書いてるかもしんない。
んで、その上司も社長も技術的にはザルだったので、技術の世界でやっていけなくなった人間が観念して現場を離れ、今の我々のポジションこそが理想像だと言い聞かせたい気持ちはわからんでもない。35歳説の正体って、案外そういうところにあるのではと最近思い始めている。
34歳になった今、自分が衰え始めたという実感はまったくないし、まだまだ収入が上がっていく確信がある。上流工程でスペシャリストとしてではなくジェネラリストとして振舞う機会はあるにはあるが、俺としてはむしろそういう仕事の方が「衰えた人間の成れの果て」みたいな扱いを受けているようで抵抗があるんだよな。
もともと"情報処理技術者としての素養の無い人"の定年35歳説なら信じてもいい。
それとも軽蔑色の方が強いって言いたいのか。
軽蔑色の方が強いんじゃなくて、もともとが侮称じゃない。
自分でギークと名乗るのは卑下した言い方だから問題ないかとおもう。
増田の中では自称プロと自称ギークは何か言い難い差があるのか?
自称プロ(笑)、自称ギーク(笑)これくらいはっきりしろとでも?
鉄道オタクが乗りオタと撮りオタ一緒にするな! みたいな感覚?
nerdが浪費側のオタクで、geekが供給側のオタクぐらいの違いじゃない?
なんとなく↑みたいな感じでハッカーの次の言葉を欲しがったマスコミがいいの見つけたとつかっているような気がしなくもないが、
ズバっと小気味よく物言いをしちゃったね。
これを書いた増田が
のどれかに近い属性の誰なのかによって
この真意は読み取れないんだけど、
仮にこちら側では仮にそのどれもに共通して腹が立ってるんで、
なるべく共通するところだけで反論してみる。
別に俺が繰り返し主張したいことは
「ボクはニートという下の存在を馬鹿にしていないと己が保てなくなるんです」
ということではないので、そこはどう思われても結構なんだけど、
親を脅してでも養ってもらうことでした。ある意味でたくましく生きていると言えると思います。
こんなこと言ってる元記事だぜ???
いいの?ありなの?何も感じないの??
世間は厳しい。特に今30歳から34歳という年齢の人に対して厳しかった。今も厳しい。世間は容赦なく駄目人間を見下す。
追記: それでも、甘えんなって怒られるのは分ってるから、増田に書いた。増田は31歳です。
(*1) 1999年12月1日:労働者派遣法改正(派遣業種の拡大)
追記: ありがと、僕らのダンコーガイ! マジで反応あってうれしす。
「働きたくねーし生活水準を下げるのも厭。
親を脅せば生きていけるしある意味たくましい。
でも世間の目は厳しいから俺ら傷付いたよね。
どうしたらいいの?ダンコーガイ
あ、ダンコーガイとか反応あって嬉しいwww」
人間として許せなくね?ましてや同じ世代を語る記事で。
しかも繰り返すが魚拓とっとかなかったのが本当に残念だけれど
みたいなこと返してきやがって、流石に本人もこれはまずいと思ったのか何時間かで消しやがって、
(本当に繰り返してごめんが、消されたのが残念。今更再アップされても都合の悪いところを再編集されてる証明がこちらでは出来ないし)
あんまり本人が消した記事にまでは言及したくないんだけど流石に(本当に元増田本人の連続であれば)元記事を書いたスタンスをさらに疑う内容だったので捨て置けないため、
誰かを見下してるか見下してないかで言うと、現時点では元増田本人は完全に見下してる。
ついでに
親を脅してでも養ってもらうことでした。ある意味でたくましく生きていると言えると思います。
をスルーできてる奴も見下してる。
というか怒ってる。
俺だって30-34世代で、能力が無かったのか、どんだけやっても希望する仕事にはありつけなかったけど親にこれ以上負担してもらうわけにも行かないので自分の生活水準を落としながらも必死に10何年と働いてきて、
周りもみんなそうだし、そうなのばっかりなのがこの世代なわけだし、
ワーキングプアには片足突っ込んでるから他人事じゃなく真剣に考えてる、
そういう世代なのに、
「外部からワーキングプアがニート見下して、かろうじて自己を保ってる」
としか見えない、あまつさえそれをわざわざ一行だけでも発表してる意図が判断しかねる。
東証一部上場企業((念のため書くけど俺はこの場でこの言葉にコンプレックスは無いが、本人と名乗る増田が聞かれても無いのに名乗ったんだからこっちとしても言及しないと仕方が無い))の社員が、
「同窓会で場が重いからこの世代は心に傷を受けてるし、そら親脅してニートとかある意味逞しいわな。ってことにして楽しい同窓会したいぜ。追記(逃げ道)、甘いと言われれば甘いけど。さらに追記、あ、ダンコーガイってネタがわかる人にだけわかって嬉しいですw」
とか言われてて、何も意見が言えない人って、相手がニートか東証一部上場企業社員かどうかに関わらず俺は本気で怒るし、
本気で怒ってる人って確かに第三者からみれば滑稽に映るし、
本気で怒ってるから文字だけでは辛らつに物事を伝えすぎてて少し見下した視点で伝えたりもするし、
そういうのをひっくるめてニヒルを気取った少し茶化されたようにたった一行だけ反論あっても、こっちとしても反応したくなるし、
30-34歳のような苦しい時代を本気で10何年と傷ついたり苦労した人間に向けて、俺は元益田ほど一見小気味よく舌滑りのいい言葉で馬鹿にした視線で侮辱された文章は無いと思っているので、
俺の言葉が気に入らないならそれでもいいと思う。
上滑りだけはいいけど実際ニートを馬鹿にした意見は共感されて、
自分が言ってることが「ニートを馬鹿にして己を保ってる」と発表されることは正直頭にくるし、((もちろん、他人の意見が通って悔しくて自分の意見は反論があるのが悔しい、という意味ではなく、世代として大勢の仲間が馬鹿にされた意見が立ってるばかりで、耳に体に精神的に苦労した世代が多少耳障りの悪い意見を一方的にステレオタイプに茶化されることが頭にくるといっている。念のため))
悔しいから今書いてるんだけど、10や20ならいざ知らず、本当に30から34の大人にとって今必要なのって耳障りのいい共感なの?
> 例えばDVDが普及した今、VHSの技術が専門の人なんて何の役にも立たないわけ。
> 今まで磁性テープを20年くらいやってきたオッサンに、
> いきなり光学の話フォローしろってのも酷な話。
研究者かなんか?それだったらVHSが廃れたからっていきなり首切られることはないよね。
自分の分野の話になって恐縮なんだけど、例えばTCP/IPについて
誰よりも深い見識があったとして、そんなことは何の金蔓にもならないの。
単なる技術オタク。ExcelやCOBOLやVBも同じ。今有効な技術はいずれ廃れる。
で、今までCOBOLしか出来なかった人がJavaが出来ませんって駄々こねて
ドロップアウトしたり、VB6がVB.NETになったぐらいで狼狽する人が世の中には
腐るほどいるんだけど、そんなの元から自分の分野に対する見識がなくて、
小手先のどうでもいいテクニックだけでその場その場を切り抜けてきたことの
ツケが回ってきただけで、本当にその分野を理解している人間なら、ある日を境に
自分の持ってる知識がゴミの塊になることなんてあり得ないんです。
少なくとも自分のまわりの優秀な技術者はみんな最新技術なんか難なく習得しているよ。
最新技術についてこれるから優秀、というわけでは断じてない。
これはたぶんインターネットやコンピュータのことも指していると思うんだけど、
ことプログラミングに関して言えば、半世紀前からこの分野は本質的には「全く」
進歩していないよ。確かにJavaとかRubyとかC#とか流行りの言語はどんどん
生まれてきているけど、これらは既存の概念をパズルのように組み合わせただけの
代物で、概念そのものはずっと昔からある。それらをマスターしていれば
技術の移行には半日で十分。それが出来ない人はまだまだ未熟だ。
とりあえず私の所感としては、スペシャリスト、ゼネラリストに関係なく
「同じ所にとどまろうと思うなら、全速力で走り続けなさい」
真摯なアドバイスを色々頂いてしまって恐縮です。
本当の事を言うと、もっと叱られるかと思ってました。
ありがとうございました。
http://anond.hatelabo.jp/20080122141230
好きな勉強…。
今後学校に行く事があったら、
まずは働いてある程度お金を貯めてからになりそうです。
けど、魅力的だなあ…今になって学問の楽しさとか必要性に気付いてます。
学校行きたいな。今の所は手探りしていく事になるだろうけれど。
http://anond.hatelabo.jp/20080122015019
ありがとうございます。
今の自分で行ける所まで行って見ようと思います。
ご本人の心情的にはアレかもしれないのですけれど、
「スペシャリストの中にしか生きがいを感じられない」
って、ちょっと魅力的に聞こえてしまいました。いつか言ってみたい。
http://anond.hatelabo.jp/20080122020401
何にしても精一杯、が大事ですよね。
迷いが生じるのはいつもの事なのですが、
もうちょっとブレない自分になりたいです。
人生を心から楽しむ為にはまだまだ色んな事が足りてないけど、
近い将来「楽しいです」って屈託なく言えるように頑張りたいです。
専門卒の俺が思うに、その道のスペシャリストになりたい訳じゃなく、携わりたい・関わりたいぐらいの気持ちなら専門行っても関わるぐらいの仕事はできると思う。
ただ、本当にその職業になりたい(アーティストになりたい)と考えるなら、まず専門は選ばないだろう。
俺が行ったのは音楽の専門じゃないが、そこは本当にクソで全部独学で覚えられたからそう思う。金の無駄だった。
でも、その専門学校と職種にもよるだろうな。
元増田です。
記事を何回か書いて消してを繰り返してましたすみません。
>そういう意味で、スペシャリストは専門性が陳腐化したり大衆化したりするとゴミになっちゃう可能性が高い。
危惧していた部分ではありました……。
陳腐化し辛い専門性……ちょっと考えただけで見当の付かなさに軽く泣きが入りましたが
このままなし崩しに暮らしていると遠からず人生破綻するのは目に見えてるので本当になんとかしないといけないですね。
ある程度首を突っ込んでみないと読めない部分ではあるかもしれないしだし、
一先ず興味の向く方へ動いてみる事も必要なのかなあ。
http://anond.hatelabo.jp/20080122004133
答えてくださって、ありがとうございます。
>何か一つに打ち込んで、その分野のスペシャリストになることをお勧めするよ。
>好きな分野がいいんじゃないかな。そういう人の方が本当に困ったときに頼りになるから。
この、好きな分野というのは学問とか直接仕事に結びつく分野(経理とか)以外でもいいのですか?
デザインに関してはちょいちょい誉められるのと、
単純に好きなのでシコシコ独学は続けているんだけど、そういうのでもいいのかな。
幸い、個人的にチラシのレイアウトとか頼まれる機会が有ったりもする。
それともそういう趣味的な物に耽溺するのはすっぱり止して
もっと実利的な資格とかを取る為に生活を180°切り替えるべきだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20080122011705
自分の場合は、ですけれど
元のエントリーでも書いてる通りそもそも学歴のランクが絶望的なのが有るので
今の段階からゼネラリストを目指すのはちょっと現実的じゃないかな…とか思ってました。
大学や院で順調に学業を修めた人で有れば、
そういう道が一番安泰かなあ、という所までは自分でも一応想像はできます。
そうなんですよねぇ。それは確かに心配。
その辺に関しての元増田の見解は以下の通り。
1:つぶしが利かない
→そもそも専門分野を極めた先の成果にこそやりがいを感じるタイプなので、おそらくつぶしが利く分野では満足できない。
スペシャリスト寄りを基本スタンスとしてバランスをとるしかない。
2:上がつかえてるから昇進できない
→大手メーカで一生勤めるつもりはない。技術者・研究者として生きていきたいと考えたとき、まずは何はともあれ
研究開発に携わった、というキャリアが必要だと思う。そのための第一歩として大手メーカに行くのは履歴書上
有意な選択なんじゃないかと思う。当然、昇進で上り詰めるつもりはないので、やりたいことやるために
ある程度暴れることができそうなのも利点。大手はいろんな事業やってるから。
3:旧態依然の体質
2008/1/3 検索結果10,100 件
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健康日記と同じ。Googleブログでのハーブマイスター誘導ページ。
NPO法人日本ハーブ振興協会サイト内のハーブマイスターセンターショップ紹介
livedoorblog内のハーブマイスター誘導ページ
【 東京都の花屋 】ハーブマイスターセンター麻布本店 東京都港区麻布十番2丁目8−17 (NSK)
闘う!?北海道フードマイスターの日々☆ mameがデビューします!
個人日記。ただし検索にヒットしたのはハーブマイスターからのトラックバック。
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トラックバックを受け取ると、その元記事を使った詩を作る人口無能。ハーブマイスターがTBを送ったらしい。
LOHASING/ロハシングによるLOHASなブロガーのためのポータルサイト PONO People(ポノピープル)内での検索結果。ハーブマイスターセンター公式サイトのリンク。
コンサルティング業務の有限会社スーク登録スペシャリストとしての、ハーブマイスターセンター大島永子の紹介。
ホームページ制作/リスティング広告/SEOのアクティブオフィス 相互リンク集【ハーブ】
activeofficeサイト内相互リンクページ、自社webショップであるハーブマイスターへのリンク。
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ハーブマイスターで検索すれば誘導ページが多数ヒットする。
http://d.hatena.ne.jp/d-sm/は何者?ハーブマイスター関係のサイト一覧がサイドバーに並んでいる。
【コラム】たらおじさんの野菜・ハーブ作り入門 (1) 専門家が伝授するプランターで作る失敗しない栽培術 | ライフ | マイコミジャーナル
疲れたのでここまで
何ごとも中庸かつスマートにこなすものの、自分は何か物足りないと思っている。
熱く真面目なタイプだが、長い物には巻かれやすい。マジョリティが正義。
人と違ったことをやらないと気がすまない。独自性溢れるスペシャリスト気質。
中途半端に高級志向が強く、ブランド物が好き。何よりムードを大切にする。
いつもカリカリしていて、頑固で融通が利かない。太く長くを地で行くタイプ。
基本的には物事にこだわるほうではないが、一転して儲になることもある。
ノリのいい変態紳士。自虐精神が旺盛で、ついキモい行動をとってしまう。
明るい性格だが、人との距離を測るのが苦手で、ときにはウザがられてしまう。
質実剛健。一見して地味だが、付き合っていくうちにその本性が表れていく。
僕は鼻で笑っていた。
僕が就職した先は大手SIer。従業員数も多く、新聞に載らない日はないほどの有名企業だ。
僕はこの間ようやく後輩に仕事の指導をした程度のぺーぺーSEだ。だけど、自分の会社は技術レベルが
高いと信じてたし、事実自分の周りの先輩にはギークと呼ばれてもおかしくない、その道の
スペシャリストが何人もいた。僕と3,4つしか変わらない人が、Googleで名前を検索すると山ほど
引っかかるなんてのもあった。
僕は、彼らの後を追っかけて必死で勉強していた。いや、彼らだけじゃない。僕の短い会社生活
だけでこれだけの人に出会えたのだから、この大きな会社の中にはもっとたくさん、もっとすごい
人がいるのだろう。まだ出会っていないそういう人達に追いつきたい。追い越したい。そしてきっと、
他の人たちもそうやって研鑽を積んでいるのだろう。そういう会社なのだ。
僕の会社は違う。
そう信じていた。
…今日までは。
僕は今日、会社の中での最大の開発拠点を訪れた。そこではソフトウェアからハードウェアまでの
開発を一手に引き受ける、社内でも重要な拠点だ。当然、技術者のレベルも高いに違いない。
…まあ残念ながら僕の仕事は上司と一緒に開発部門の一部長(これがまた冴えないおっさんだった)と
打ち合わせをするだけのつまらない仕事だったので、そういう技術者と接触する機会はなかったけど。
昼食を済ませ、次の打ち合わせまでまだ時間があったので、拠点内の社員向けショップを訪れた。
そこは僕の職場のような、雑居ビルにおまけのようについているキオスクのようなショップとは違い、
まるで総合大学の生協のような大きな店だった。食料品はもちろんのこと、CD、服、本なども十分な量を
とりそろえていた。
僕の向かう先はもちろん書籍のコーナーだ。何せ社内最大の開発拠点の書籍コーナー、量質ともに十分な
技術書が取り揃えてあるに違いない。僕は期待に胸を膨らましながら本の並ぶ一角に向かった。
衝撃だった。
ないのだ。
技術書が。
全く、ないのだ。
一瞬、僕は自分の目と頭を疑った。
そんなわけない。
だって、技術で食ってるってあれだけ豪語している会社が、技術書を書店に置いてないはずないじゃないか。
何度も本のタイトルに対してシーケンシャルサーチをかけた。
しかし結果は同じだった。
あるのは、ビジネス関連の書籍、文庫本、TOEICの本、それに旅行の本ばかりだった。
なんでだよ?
僕は思った。
なんでPHPの本じゃなくてPHP文庫の本ばかり並べてあるんだよ?
雑誌はまだマシだった。いわゆるIT関連の雑誌がいくつも並んでいた。
それでも平積みされているのは漫画雑誌と女性誌と週間アスキーだった。
何か、おぞましい虫のようなものが無数に全身をはいあがってくるのを感じた。
確かに、置いてない理由ならいくらでも推測することができる。
専門書は部門で購入してるから、とか、ソフトウェア部門だけじゃなくてハード部門もあるじゃない、とか。
でも、でも。
技術書を置かないのは会社のせいじゃない。だって、会社だって売れる本は置くはずだ。
置かないということは、売れない、需要がないということ。
何かが、頭の中でうわんうわんと鳴っているような気がした。
真実はどこにあるかはわからない。
まず一番最初に言いたいこと。
ここで問題なのは、「なんにでも興味を持つことの善し悪し」ではなくて、「興味を持ったジャンルから、
一つ専門を選んで、それを飽きずに続けることができるか」だと思う。
そういう意味で、 http://anond.hatelabo.jp/20070823233243 この増田の友人の善し悪しは判断できない。
ただ、掃除なんて普通は面白くないことに面白みをみつけることができるという性格は、非常に優れて
いるのではないかな。研究でも、会社でも、何でも自分が望んだことがやれるわけではない。望まないこと、
面白くないこと、嫌なことを、面白いこと、やりたいことに変えることができるというのは、成功する
要素のうちの一つではないかと思う。
理系であろうと、文系であろうと、専門を持つことが重要なことに変わりはない。
そして同様に、幅広い興味とそこから得られる知識による、専門の相対化が必要になってくる。
社会でも研究室でも、専門にしか興味ない「専門バカ」が一番使えない。
理系研究室に長くいた経験では、いろいろなことに興味を持ってどんどん新しい知識を吸収していく
タコ壺にはまったり、意味ない研究してたり、ディテールにこだわって小ネタで終わったり。
様々な分野に興味を持ち、新たな発想を導き出すこと。
これから下の文章は酷いな。論理的な思考がまったくできてない。
たとえば「比較○○学」というのはまさにそれで、知った限りのものごとを体系化するだけで一つの研究になるし、その体系化の手法は理系で要求される高等数学のような、特殊で難解な技術だったりはしない。
特殊で難解な技術が幅や深さを規定するわけじゃないんだよ。それに経済じゃ高等数学使うけど?
なんだって、文系といったってこれは文学部系の学問に限ったことではないかって?おあいにくさま、東大で法学部や経済学部に行った人が研究を志すと思いますか?彼らの多くは大学ではなく社会で輝くことを志すのです。だから、深さよりも広さ、スペシャリストよりもジェネラリストが求められるのは当然です。
なんで法学部や経済学部の学問としての特徴を語るのに研究意欲のない学生を例にあげるんだ?
この文章で何か意味のあることが言えると思うの?
とにかく、文章が滅茶苦茶。聞きかじりの知識と無茶苦茶な論理構成。
理系で成功できなくて妙にコンプレックス持ってるみたいだし、文系に恨みをもってるのは
小難しい評論なんかが理解できなかったんだろうけど、たぶんそれは帰納・演繹あたりの
基礎的な思考能力がないからだと思うぞ。
旧帝理系院卒ですが全く同意。というより俺がそのタイプだった。
文系ならたぶんまだ大丈夫だが、
その通りだと思う。
高校までと大学以降の質的な違いは、自分が標準的な知識の体系の全体を網羅できるかということがあるだろう。高校までならこれは努力次第で十分可能なんだが、大学からは無理だ。専門分野を選ばなきゃいけない。
で、理系の学問ってのは、基本的に「断言できること」だけを集めたものなんだよね。極端なことを言えば、コンピュータで処理できないものは理系の学問の対象にならない。どうしてもそういうものを対象にしようとするならば、コンピュータで処理できるような(というと語弊がありすぎるが)数学的モデルを自分で作り上げて、その正当性を検証しないといけない。そして、その作業は一生かかっても終わるかどうかわからないような膨大なものだ。
理系の学問とはそういう特殊な世界だ。だから、何でもかんでも興味を持ってしまうと、知識の幅は拡がっても、深さを追求する暇がなくなって破綻してしまう。だから、どこかで割り切って専門をえいやっと選んでしまわなければいけないのだが、これがなかなか難しい。一旦狭い世界に飛び込んでしまえば、「深さこそが幅」だと気付くんだけれど、飛び込む前は気付かないだろうね。
一方で、文系の学問というのは「なんでも対象にしてしまう」学問だ。だから、「幅こそが深さ」という側面もあり、何でも広く浅く知っていることも武器になる。たとえば「比較○○学」というのはまさにそれで、知った限りのものごとを体系化するだけで一つの研究になるし、その体系化の手法は理系で要求される高等数学のような、特殊で難解な技術だったりはしない。
なんだって、文系といったってこれは文学部系の学問に限ったことではないかって?おあいにくさま、東大で法学部や経済学部に行った人が研究を志すと思いますか?彼らの多くは大学ではなく社会で輝くことを志すのです。だから、深さよりも広さ、スペシャリストよりもジェネラリストが求められるのは当然です。
あともう一つ、文系には「学問のような非学問」がたくさんある。いわゆるサブカル系とか文科系といわれる趣味の人に好まれるものはたいていこれで、文藝評論とか宮台先生の社会評論とか、こういうのは難しい言葉を使ってるけど「学問」じゃない。学術研究とは違う。もちろん、だから価値がないと言っている訳じゃないけれど、こういうものはどうしてもカタい学術研究とは違って、ある程度大胆に主観による断定なんかも用いているわけだから、「理論的には、誰が読んでも必ず理解できて必ず納得できる」というようなものではない。芸術作品と同じで、ある人にとっては素晴らしいものだがある人にとっては無価値だったり不倶戴天の敵だったりということが平気であり得る。こういうものにはまりこんだら、「これを理解できない俺は馬鹿なんじゃないか」と悩みこんで時間をロスしてしまうことというのは非常に多いんだ。
だから、俺としては現役の大学生には、一般教養が終わったら一旦、勉強を専門一本に絞ってしまうことを勧めたいもんだね。視野が狭くなった気がするかもしれないけど、修士課程を終わる頃には一気に展望が開けてくると思うから。そこから先は、社会に出ようが研究に生きようが、全て自分次第で好きな道が選べるよ。もちろん運が一番大事なのは言うまでもないけどね。
追記
違ったような角度から同じこと書いてる人がいる。
追々記
言及した人から抗議を受けたので一部記述を削除しました。
http://anond.hatelabo.jp/20070608043016
「煮詰まる」についての指摘ですが、私は誤用だと知ってて使っています。それは口頭や文章で、本来の意味での使用を全くと言っていいほど見聞きしていないからです。同じように本来の意味とは違う使われ方をしている言葉に「失笑」がありますよね。元々「思わず吹き出して笑うこと」という意味ですが、日常では「苦笑」や「嘲笑」に近いニュアンスの使われ方がされています。こういった現状で本来の意味で「失笑」を使っても伝わりにくくなるだけです。なので、私は誤読されないように誤用しているのです。
トラックバックには反応しないでおこうと思っていましたが「作家は知識人ではない」と言ってる記事に、こんなのがきたのでつい反応してしまいました。作家は国語学者でも、言語学者でもありません。文章で人を楽しませて、それをお金にして飯を食っているだけなんです。漫談家は口頭で人を楽しませますが、作家はそれが文章に置き換わっただけです。漫談家は言葉のスペシャリストですか? 違いますよね。作家も漫談家も人を楽しませるスペシャリストなんです(自らをスペシャリストと呼ぶのは嫌ですが、今回はあえて)。
作家も間違った表現はたくさんします。そこは時間をかけて推敲したり、編集側がチェックしたりで、売り物にするときは減っているだけなんです。それに売り物にしようとして書く文章と、ネットに書く文章とじゃ姿勢が何もかも違いますし、お金にならない文章に力を入れることは無意味だと思っているので、私はしません。その代わり少しでもお金になるのなら、骨身を惜しまず全力を尽くすのが私のポリシーです。
余談ですが「本当に作家?」のような反応も「作家は頭がいい」と同様に作家を無意味に特別視していますよね。この反応の背景には「作家になるのは難しい」という意識があるんだと思います。毎月出版されている書籍、雑誌の数を考えれば作家という職業がそう珍しくもないことがわかると思いますが……。
http://anond.hatelabo.jp/20070218013048
誰だって、知的障害者だから犯罪をしてもいいなんて思わないだろう。
被害者にならない限り、微罪なら「知的障害者だから許してあげて」と言ってしまうだろう。
自分の事でも無いのに全力を尽くしてくれるのは過保護な保護者くらいだ。
知的障害者が普通の学校に入れなくて「差別だ、なんだ」と言って裁判起こしたりで無理矢理入れる親もいるみたいだが、実際それはどうなんだろう。
知的障害者の子が強く「普通学校に行きたい。駄目なところがあったら努力して直していく。」という志があるなら、入れてもいいような気がしないでもないが。
大概は親が、「この子はみんなより知能の発達が少し遅れてるだけで、他はなにも問題ない」とかなんだで、入れる親だと思う。私は知的障害者の運動大会にボランティアのスタッフとして参加したことがあるが、運動能力ならそこら辺の凡人よりも好成績を残せる人がたくさんいたと思う。
障害者向けの施設とは、障害者を指導し、社会にでても問題ないようにする場であるはずだ。普通高校の教員や同級生・保護者に比べれば、施設のスタッフは優秀な人だと思う。だってスペシャリストだもの。
それをわざわざ普通高校に行かせたら、学校の負担は大きくなり、結果として障害者の子は社会に出るための指導を受けられずに卒業してしまうんじゃないかと思う。
知的障害者で犯罪を起こした人が、普通学校に行かされた等という統計は取ってないし調べても居ないからこのエントリーは憶測の域を出ないのだけれども。
話はずれてしまったが、スイミングスクールに関しても同様だと思う。
知的障害者専用のスイミングスクールとは言わなくても、施設のスタッフみたく知的障害者に詳しい人たちが居れば、痴漢はいけないことだと教えることが出来ただろう。
知的障害者は、知能の発達が遅れている。だから、何度もしっかり教えることが大事なのだ。それをスイミングスクールのスタッフは「知的障害者だから許してあげて」と言ってしまった。
そこがいけないんだと思う。
知的障害者は、しっかり社会に出られるまでありとあらゆる場所で適切な指導を受けなければいけないのだ。
なにがよくてなにがいけない事なのかをしっかりと伝えるべきだったのだ。
結局、犯罪を起こしてしまう知的障害者たちは、そういった適切な指導を受けきれなかったのだと思う。
つまりは、差別差別と一方的に騒ぐだけでなく、しっかりとした知的障害者への指導が知的障害者たちの犯罪率低下にかかわるのではないだろうか。
知的障害者はなに考えてるか分からない、特徴のある顔の人が多く、健常者には知的障害者を嫌う人が多いと思う。
知的障害者を嫌って、知的障害者たちへの指導を怠ったばっかりに、犯罪に巻き込まれる。という悪循環。
知的障害者を嫌わず、相手の事も知ってあげ、適切に指導していければ犯罪抑制にもつながるのではないだろうか。
当時小学生だった彼女たちも単に「痴漢こわい」「クラス変えて」というのではなく「これはいけないこと」と何度も教えてあげればきっと知的障害者の人も分かったのではないだろうか。
確かに小学生には難しいことかもしれないが、それはこの社会が未だにそういうことを出来切れてないから不安なだけだと思う。
一方的に知的障害者を嫌うのではなく、ちゃんとした知識をもってしっかりつきあえば彼らも分かってくれる。その知識を一般の健常者がもっていないだけなのだ。
相手は知能の発達が遅れているわけなのだから、知能の発達している私たち健常者があわせていかなければいけないのだ。