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はてなキーワード: クラシックとは

2008-07-08

猿ベージ

http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]

これを全部読んでいない人間は「猿」です。

ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。

プラトン『饗宴』岩波文庫

アリストテレス『詩学』岩波文庫

アウグスティヌス『告白』岩波文庫

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫

マキァベッリ『君主論中公文庫BIBLO, 岩波文庫

モア『ユートピア岩波文庫

デカルト方法序説岩波文庫

ホッブズリヴァイアサン岩波文庫

パスカル『パンセ』中公文庫

スピノザエチカ岩波文庫

ルソー『社会契約論』岩波文庫

カント純粋理性批判岩波文庫

ヘーゲル精神現象学平凡社ライブラリー, 作品社

キルケゴール死に至る病岩波文庫

マルクス資本論岩波文庫

ニーチェ『道徳の系譜』岩波文庫

ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神岩波文庫

ソシュール『一般言語学講義』岩波書店

ヴァレリー精神の危機』

フロイト『快感原則の彼岸』ちくま文庫

シュミット政治神学』未来社

ブルトンシュルレアリスム宣言』岩波文庫

ハイデッガー存在と時間ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシック

ガンジーガンジー自伝中公文庫

ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシック

ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社

アドルノホルクハイマー啓蒙弁証法岩波書店

アレント全体主義起源みすず書房

ウィトゲンシュタイン哲学探求』大修館書店

レヴィ=ストロース『野生の思考』みすず書房

マクルーハン『グーテンベルグの銀河系みすず書房

フーコー『言葉と物』新潮社

デリダ『グラマトロジーいについて』

ドゥルーズガタリアンチ・オイディプス』河出書房新社

ラカン精神分析の四つの基本概念』岩波書店

ウォーラーステイン『近代世界システム岩波書店

ケージジョン・ケージ青土社

サイードオリエンタリズム平凡社

ベイトソン精神と自然』新思策社

アンダーソン『想像共同体NTT出版

本居宣長『玉勝間』岩波文庫

上田秋成『胆大小心録』岩波文庫

内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』岩波文庫

岡倉天心『東洋の理想』講談社学術文庫

西田幾多郎西田幾多郎哲学論集?・?・?』岩波文庫

九鬼周造『「いき」の構造』岩波文庫

和辻哲郎『風土』岩波文庫

柳田國男『木綿以前の事』岩波文庫

時枝誠記国語学原論』

宇野弘蔵経済学方法論』

海外文学

ホメロスオデュッセイア岩波文庫

旧約聖書創世記岩波文庫

ソポクレスオイディプス王新潮文庫岩波文庫

『唐詩選』岩波文庫

ハイヤーム『ルバイヤート』岩波文庫

ダンテ神曲岩波文庫

ラブレー『ガルガンテュアとパンタグリュエルの物語』岩波文庫

シェイクスピアハムレット角川文庫新潮文庫岩波文庫ちくま文庫

セルバンテスドン・キホーテ岩波文庫

スウィフトガリヴァー旅行記』岩波文庫

スターントリストラム・シャンディ』岩波文庫

サド『悪徳の栄え河出文庫

ゲーテファウスト新潮文庫岩波文庫

スタンダールパルムの僧院』

ゴーゴル『外套』

ポー『盗まれた手紙』

エミリー・ブロンテ『嵐が丘』

メルヴィル『白鯨』

フローベール『ボヴァリー夫人』

キャロル不思議の国のアリス

ドストエフスキー『悪霊』

チェーホフ桜の園

チェスタトンブラウン神父の童心』

プルースト失われた時を求めて

カフカ『審判』

魯迅『阿Q正伝』

ジョイスユリシーズ

トーマス・マン『魔の山』

ザミャーミン『われら』

ムージル『特性のない男』

セリーヌ『夜の果ての旅』

フォークナー『アブサロム、アブサロム!』

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』

サルトル嘔吐

ジュネ『泥棒日記

ベケットゴドーを待ちながら

ロブ=グリエ『嫉妬』

デュラス『モデラートカンタービレ

レム『ソラリスの陽のもとに』

ガルシアマルケス百年の孤独

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

ブレイクブレイク詩集

ベルダーリンヘルダーリン詩集

ボードレール悪の華

ランボーランボー詩集

エリオット『荒地』

マヤコフスキーマヤコフスキー詩集

ツェランツェラン詩集

バフチンドストエフスキーの詩学』

ブランショ『文学空間』

日本文学

二葉亭四迷浮雲

森鴎外舞姫

樋口一葉『にごりえ』

泉鏡花高野聖

国木田独歩武蔵野

夏目漱石我輩は猫である

島崎藤村破戒

田山花袋『蒲団』

徳田秋声あらくれ

有島武郎『或る女』

志賀直哉『小僧の神様』

内田百〓『冥途・旅順入城式』

宮澤賢治銀河鉄道の夜

江戸川乱歩『押絵と旅する男』

横山利一『機械』

谷崎潤一郎『春琴抄』

夢野久作ドグラ・マグラ

中野重治村の家

川端康成『雪国』

折口信夫死者の書

太宰治『斜陽』

大岡昇平『俘虜記』

埴谷雄高死霊

三島由紀夫仮面の告白

武田泰淳ひかりごけ

深沢七郎楢山節考

安部公房砂の女

野坂昭如『エロ事師たち』

島尾敏雄『死の棘』

大西巨人神聖喜劇

大江健三郎万延元年のフットボール

古井由吉『円陣を組む女たち』

後藤明生『挟み撃ち』

円地文子『食卓のない家』

中上健次『枯木灘』

斎藤茂吉『赤光』

萩原朔太郎『月に吠える』

田村隆一田村隆一詩集

吉岡実吉岡実詩集

坪内逍遥『小説神髄』

北村透谷人生に相渉るとは何の謂ぞ』

福沢諭吉『福翁自伝

正岡子規『歌よみに与ふる書』

石川啄木『時代閉塞の現状』

小林秀雄『様々なる意匠』

保田與重郎『日本の橋』

坂口安吾堕落論

花田清輝『復興期の精神

吉本隆明『転向論』

江藤淳『成熟と喪失』

by 柄谷行人、他

追記

必読書150』柄谷行人浅田彰、他(太田出版

http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%85%E8%AA%AD%E6%9B%B8150-%E6%9F%84%E8%B0%B7-%E8%A1%8C%E4%BA%BA/dp/4872336569

ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラリソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。

2008-07-06

http://anond.hatelabo.jp/20080705235726

リサイタルとか演奏会ってのがクラシックのものを指してるんだったらあなたのご希望通りだけど。

むしろ、マスゲーム的に客席から盛り上げようとすると顰蹙買うぐらい。

音楽にまつわる俗信

誰でも音楽を聴いたりカラオケで歌ったりする時代なのに、結構根拠のない迷信が信じられていることにびっくりする。

長調は明るい曲、短調は暗い曲?

クラシック好きのはずの猫猫先生がこんなことを書いててびっくりした。

戦争中から戦後にかけての日本を扱った映画ドラマドキュメンタリーで、戦争が終るとバカの一つ覚えのように「リンゴの唄」が流れる。説明がつくと「明るい唄が人々を勇気づけ」と言うのだが、あの歌は短調だし別に明るくないだろう

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080705

この手の誤解は猫猫先生だけでなく結構はびこってるみたいなので、ネタにさせていただく。

短調の曲が暗いなんて、そんなことは嘘だ。たとえば「東京音頭」は最初から最後まで短調だが、あんな脳天気な歌も他にないだろう。一方で、"Yesterday" だとか「海ゆかば」は長調だが、これを明るい曲だという奴はどこにもいないだろう。

そもそも、長調が明るくて短調が暗いなんて、そんな紋切り型が通用するほど音楽が単純なものなわけないじゃないですかモーツァルトの曲なんて長調が圧倒的に多いですが、モーツァルト脳天気作曲家ですか?猫猫先生

絶対音感なんて大した意味はないよ

ついでにもう一つ。俺は絶対音感を持っている。全盛期には基準音(チューニングの時に合わせる音)の違いが 1Hz 単位でわかったこともある。で、それをいうとやたらとうらやましがられる。特殊な才能の持ち主だと思われてるみたい。

実際は全然違うんだよなあ。俺は確かに子供の頃からピアノを習っていたが、正直なところ腕前はDQN音大生に毛の生えた程度(本職は音楽関係ではない)で、進んで人様にお聴かせできるレベルではない。だのに、そのことを説明しても「ご謙遜を」としか言ってもらえない。

違うんだっての。絶対音感なんてのは単に「音の高さを覚えている」というだけのことで、普段から楽器に触ってればたいていは嫌でも身に付くんだって。確かに、大音楽家でも絶対音感のない人もいるんだけど、逆に言えば、これは音楽性と絶対音感関係がないことの証拠でもある。

それなのに、変な親たちは「情操教育」として「絶対音感」を身につけさせようとしてる。ほんとに意味がわからん。音当てクイズなんかに熟達したって、音楽熟達できるわけじゃないのに。

2008-06-23

http://anond.hatelabo.jp/20080622033714

反響が思ったよりあって(無視されるか、せいぜいブクマが3つくらいつく程度かと思っていた。無駄に長いし)今日は驚いた。

私はあんな事を書いたけれども、そこまで悲観的になっているわけでもない。今は。あくまで今は、だが。

高校生のときは一番酷くて、小中はほぼ皆勤だったにも関わらず、高校生時は積もり積もった何かがあったのか、突然鬱状態になり学校を休んでしまったことがあった。2ヶ月ほど。電車に乗り、学校が近づくにつれ逃げたしたい思いでいっぱいになり、途中下車して科学館などへ足を運び宇宙のでかさを目の当たりにすることにより「現実なんてこまっしゃくれたもんだぜ」「私の存在なんてちっぽけもいいとこだぜ。皆宇宙から見ればとるにたらないものよ」と現実逃避を決め込みまくったりした後、ついに学校へ行けなくなった。親は心配し、私を精神科へ連れて行った。鬱じゃないかと医者には診断されたものの個人的にはしっくりこなかった。ぶっちゃけ今でも鬱じゃなかったと思う。「何もできない」わけじゃなかったし。実際ネットとかやったり図書館行ったりしてたので、自分では単なる思春期によくある登校拒否ぶっちゃけいうと甘え、現実逃避、だと思っていた。しかし親は「本とかネットで調べたけど、鬱の人ほどそう思うらしいよ。とりあえず医者へ通いなさい。お母さんもついていくから」といい、仕方なく薬を飲んだり「最近気分はどうかな」と医者と軽く話したりしていた。しかし精神科病院はやはり考えられているのか、内科や外科と違って部屋の中がしゃれた喫茶店のようになっているのには驚いた。クラシックなど流れたり、いかにも病院椅子ですよ!といった感じの椅子ではなく木で出来た椅子が並べてあり、診察ルームではまた、アメリカ考古学者の部屋的な(意味不明だが)感じで後ろには木の本棚が並んでいた。少し話して薬をもらったり血液採取したりして終わるのだが、正直、たいした話もしていないし効果なんてあるのかどうか期待はしていなかった。何より自分が「てーか鬱じゃなくないか。医者も気使って鬱ってことにしてくれてるだけじゃね」と思っていた。その中年の優しげな女医さんと話していると気分は晴れたため病院へ行くのはそれなりに楽しみだったものの、親に無駄に労力をかけさせているようで悪い気もした。薬屋の人も「鬱は脳の風邪ですからね。薬を飲めばちゃんと治りますから大丈夫ですよ」とやけに医者と薬屋の人たちが優しかったのは幸いだと今では思う。

その成果かやはりもともと鬱ではなかったのか分からないが、2ヶ月ほどした時先生から「そろそろこないと、出席日数的に厳しくなってくる」と告げられ、「……じゃあ行くか」とあっさり復帰した。後に医者先生が言うところによると「登校拒否の子が2ヶ月ほどでしかもあっさり復帰というのは珍しいパターン」だそうだがやはりそれは私が鬱ではなかったからであるように思う。

で、そんなこともあったが今では案外平気だ。

恋愛結婚に関しては、ハナから期待も自分がそうするという想像すらもしてこなかった(諦めているとかいうより、本当に考えた事が自然となかった、という感じである。ほとんどの人が「石油王になる」ということを考えもしないような感じに)ため今でも考えていない。ほとんどの女性が仮に結婚することを当然のように考えているとするなら、私はその逆で、当然のように一人で生きるだろうと予測していたため、そのように動いている(つもりである)。大学もだから医学部にした。食いっぱぐれないためである(まあ医者だからといって食いっぱぐれないとは限らないのだけども)。最悪世界が崩壊しても、医者という技術を持っていたらその技術を売りにし生き延びれるのではないか…と人からすれば大げさな事を考えこうした。何の映画だったか忘れたが、強盗の親分が瀕死で、主人公か何かが医者で、「おい、そこのお前医者なんだろ。じゃあ親分を助けろ。親分を助けたらお前だけは逃がしてやる」的な事を言い、主人公は治した後も殺されない為「まだ様子を見ないと危ない。俺がいないとヤバい」的なことをいいなんとか切り抜けるという図が記憶にこびりついている。何故か。あの影響もあるかもしれない。「暴力知的技術で回避する」というところに私は大きな憧れを抱いたのだ。まぁ現実はそううまくいかないだろうが(ていうかそんな状況があまり無いだろうが)。

近頃は将来美容整形外科医になりたい気持ちもある。技術を磨き、私のような人をうまく変えられてあげたらばと思う。何か新しい技術が入ってきたとき自分で試すこともできる(実際それをしている医者はいるらしい)。元が酷いからこれ以上酷くなることはないので大丈夫だ。

私のこれからの希望としては、一人でもなんとかなる仕事につき、なんとか一人で暮らしていける生活を確立させ、時々ニ次元に浸り、そのままひっそりと死ぬといった感じである。一人で生きていけるよう、とりあえず今は家事を身に付けている。一人暮らしではないが、家族料理大学入ってから全て担当するようにしている。もう二年ほど経ったのでそろそろ脱初心者ができたと、料理は一通り自炊できるようになったと思う。甘いか。最近は「いかに早く・栄養バランスのよい料理をするか」を研究中である。

そして更に贅沢を言うなら、最期は長野の山奥で天気のよい日に川の近くで寝そべりながら眠るように逝きたい。これが出来れば最高だ。そしてそのまま山、ひいては地球と同化していきたい。なぜ長野の山奥かというと小さいころそこへ遠足だったか何だったかで行った際、陳腐だがその自然の素晴らしさに感動したからである。あれはキレイだった。昼ご飯を川沿いで食べたのだが、あまりに自然が美しく、寝そべっていると地面と山とどんどん一体になっていくような気がして感動して泣きそうになったものだった。川が本当に「光っている」。まあ単に太陽の光を反射しているといえばそうなのであるが、それにしても美しすぎるのではないか。こんなところで屍になれたらば、それはどんなに幸せな事かと思った。私の屍は鳥等の栄養分となり、残った分は雨が降ったときなんかに川に飲み込まれて細分化していき、土に流れ着いたり、川底へ沈み川底の土と同化したり、そうして山と一体化していくのだと考えると初めて「死んでもいいな」と思えた。それまでは死が怖かったのだが。まあ……実際には、燃やされ、葬式を開かれてしまうのかもしれないが……いや、待て。一人身だと葬式はどうなるのだろう?この辺もその内調べておかないとな。宇宙葬なんかもあこがれるところではあるが…宇宙にばらまかれた私の灰がどこかの星に着陸したらと思うとワクワクしてしまうな。私を構成していた原子から、他の星で何かが生まれたらと思うとゾクゾクする。というかそれはまるで「生まれ変わり」のようだ。

出来れば最期には井上陽水氷の世界などを聞いて死にたい音楽をあまり知らない私が唯一好きな歌手だ。傘がない、帰れない二人、紙飛行機など何度中学生時に聞いたか知れない(といっても、詳しいわけでは全くない。陽水オタからすれば失笑ものレベルである)。高校生のとき、一人で陽水ライブにも行った。陽水と席が近かった。嬉しかった。「ああ井上陽水って人は幻想ではないんだ。本当にいるんだ。今触れようとしたら、係員に止められるだろうけどもしかしたら触れられるかもしれないんだ。実体があるんだ。陽水もこの後何かを飲んだり食べたり、排泄したり、眠ったりするんだ。陽水って概念上の存在じゃなくて、実体が存在してたんだ。タンパク質脂肪カルシウムその他もろもろで出来た有機物という実体があったんだ」と当たり前の事をしみじみとかみ締めた。と同時に、その単なる一有機物であるはずのものが、井上陽水という名前を初めとした色々な概念がまとわりつき、下手をするとひょっとしてニ次元のものなのではないかと思わせるほどにイメージ化というか、偶像化したという事のギャップになぜかゾクゾクした。これだけ有名でファンも多く名曲も多い陽水だが、しかし同時に睡眠や排泄等を他の哺乳類と同様に行う、単なる人間、単なる有機物なのだ。その同時に成り立たないようでいて成り立ってしまっている、その二つを含めた「井上陽水」というものの(陽水に限った話ではないのだが)不思議さ、面白さに頭がクラクラした。それはCDなどを聞いているときには余り気がつかないけれど、ライブに行くと「実体」がそこに存在しているのに、観客は皆どちらかというと概念の「陽水」をそこに見ている、という不可思議さを目の当たりにできてしまう。実体のはずなのに、あの実体はあくまで概念陽水を伝える媒介物でしかない、主体のはずなのに、サブで終わってしまっているという本末転倒さというのか……自分でも何を言っているのかよく分からなくなってきた。いまだ私の中で整理しきれていない感覚なのだ。

そういえば、女子の友達はいなかったのか、とかいてあった気がしたが、友達と知り合いの間のような子ならいた。しかし、私とつるんでいると可愛い子であっても一緒くたに「ブサイク死ねwwww」と罵られてしまうので、妙な距離は常にあいていた。それで女子を恨む気は全く無い。私が逆の立場であれば、私もそうしていたように思う。なかなか学生レベルで、「でも敢えて友達になるよ!」という勇気を出せる子は少ないだろう。しかもそれだけのリスクを介して得られるものは何かといえば、私という友達である。んな、リスクとリターンが全然つりあってないよって話だわな。寧ろ女子からのイジメは特になかっただけでありがたいことだ。まあ、「ブス視ねw」といってくる男子彼女とか、その周辺の子は、一緒にクスクス笑ったりはしていたが、その程度ならば中学時代でも既に「その程度の重力……」のベジータ感覚でいられた。それに如何せん下手にそんな男子と私なんぞのために対立して、殴られたりなどしたら洒落にならんし、まあクラスの女子が私を放っておいたのは本当仕方ないことだと思う。気の毒そうに見てくれる子もいたしそれで十分だ。

綺麗な女性を妬ましく思った事はあまりない。嘘だろといわれるかもしれないが、羨ましくも特にない(モテるという観点では、の話だが)。自分に持っていないものを持っている、という観点で「羨み」や「妬み」が生ずるとするならば、美人だけでなく私は際限なく誰かを妬まなければならない。何もその対象美人だけではない。金持ちや、運動神経のいい人、頭のいい人。キリがない。というかほとんど全ての人は私より何かは秀でているわけで、少しでも自分より上回ってるなら妬むという理屈だと、もうこっちの身体がもたない。妬むのも面倒になるのだ。

私は、恋愛をしたいけどできないというよりも(奥底ではそうなのかもしれないが、無意識レベルの事など意識では判断不可能なのでとりあえず意識レベルの話をする)、恋愛心などが生まれる前に、既に恋愛結婚なるものを「私の人生には関係の無いことだ」と学習してしまったため、美人女性モテたりしていても、関係があまりに無さ過ぎて、ピンとこないのである。妬むも何もないといった感じ。大食い選手権に出るような人を見て、その凄さに感心はしても、でも別にほとんどの人がああなりたいとか羨ましいとか思わないのとおそらく似ていると思う(思う人がいたら申し訳ないが)。「ブスとか言われないで済む」という点では、「美人」が羨ましいというよりも「そう言われないで済む人たち」が羨ましいので、その中には勿論美人は入っているが、かといって特別美人だけが羨ましいわけではない。

寧ろ私が一番羨ましいのは金持ち(の強いて言えば子供)である。金があれば何もせず暮らせるのだから。嫌な事を言ってくる男と会うこともなく環境の(自然的な意味で)いいところで本を読みふけって暮らす、そんなことが可能になるのだから。

美人じゃなくていい。それより金持ちになりたい。

私の今までの人生では男、というと前述した彼らしかいないので、美人になったとしても男にモテたところでしょうがない、嬉しくない、という気持ちにしかなれないのである。悪口等を言われない、という点では嬉しいが、モテても嬉しくはない。ま、ブスがこんな事を言ってるのだからお笑いだが。美人が変な男と付き合って、DV被害にあったなどと聞くと心が痛む。あんなに美しい人であるのに、せっかく歩いていても何の悪口も言われず、平穏に過ごせる人なのに、何故自ら火の中へ飛び込むようなマネをするのか……と勿体無く思ってしまう。まあ、しかし、他人の事。向こうには向こうの考えがあるのだろうし余計なお世話というものだろう。

そんなわけでモテない事に特に苦悩はしていないので(多分)、心配してくれた方には大丈夫ですと言っておきたい。

ただ罵倒等されなければそれでいい。何か辛い事があっても宇宙図鑑があるとどこかすっきりする。ま最初言ったとおり現実逃避なんだが。銀河だのなんだのの話をしていると、自分の悩みなどあまりにちっぽけで笑えてくるというもの。地球歴史などもいい。所詮ぽっと生まれたちいとばかり頭のいい哺乳類の、その中のほんの一部の時代の、更にその中のほんの一部の地域の人間たちがあれこれ騒いでるなど、地球にとってはカスに等しいものだ。地球がちょいとばかりプレートを動かしたりちょいとばかり温まってみたりするだけで人間など瞬殺なのだ。大体人間歴史という地球に比べたら大分コンパクトなそれであってもまだ私の苦悩などに比べるとでかい。なんだかんだいって、ブスというだけで殺されないだけでまだおそらくマシな時代なのだ。今の世の中不満足な事ばかりだけれども、それは理想の、あるべき世界を想定し、それに比べ不満足な部分ばかりを見ているからで、やはり過去に比べれば、現代というのはそこそこマシな部類に入るのであろう。ブスや未婚の女が冷たい視線を投げかけられるといっても、殺されたりはしない。殴られれば警察がある。私にも人権が与えられているし、こうして自由にネットで発言できる。だからといって「これで満足」ってわけじゃ全くないが、まだマシな方ではあるはずなのだ。ちょっと時代や国を間違えて生まれていたら、そもそも嬰児殺しにあっていたかもしれない。今その気になれば、車を走らせ、コンビニへ行って、じゃがりこサラダ味を買ってきて食べることができる。それだけでも全然マシではないか。車など庶民の乗るものではなかった時代も、そもそも発明されていない時代もあった。車は好きだからそれは嬉しい。最近ガソリン高いけど。

全くだらだらとした独り言で申し訳ない。こうして書いてみると、色々私にも思うところがあったのだなあと気付かされる。

http://anond.hatelabo.jp/20080623003423

横から申し訳ないけど、音質の指標ってなにか客観的なものがあるの?

いや、俺は音の方は素人なんで何も知らないんだけど、同じだけのデータサイズに収録できる情報量は、どういうサンプリングの仕方をしたって同じでしょ(同じ時刻のデータを重複して収録するとかそういう変なことをしなければ)。オリジナルの音声にはホワイトノイズみたいなのだってあるわけだし。

だから、スペクトルとかに何らかの仮定をしないと圧縮効率のよしあしなんて何も言えないと思うんだけど、そのモデルの妥当性ってのは、ターゲットの音声によってだいぶ違ってくるんじゃないだろうか。音楽だけに限っても、打楽器を重視するメタルとかと、弦楽器なんかが重視されるクラシックじゃ全然違うだろうし。

2008-06-11

中途半端

モテモテ系というかスイーツ系では明らかに無いんだけども、

じゃあかといって、バリバリオタクか、といえば、コミケへ行くほどでもないし全然オタクとは言えない。でも、スイーツと称される人たちよりは明らかに漫画を読んでいることも確か。

んじゃ近頃流行りの理系女子ですか、といえば、たまたま大学理系だけどそれは社会科目は暗記ばっかで面倒くさいと思ったから数学理科に逃げただけのことで、大学への数学とかを毎月買ってバリバリ解くような理系っ子でもなかったし、プログラミングなんかやったこともないし(やったといえばHTMLをかじったくらいだっつうの…中学生でもやってるっつうの)パソコンスイーツよりは使ってるだろうけど、別にたいしたことに使ってるわけでもなく。

なんだか私という人間は全てが中途半端だ。どっちつかず。「スイーツ(笑)」と言えるほど自分にスイーツ分が無いわけじゃないし、といって、スイーツたちの間に入れば浮いている。といって、オタクの輪に入れば所詮ライトオタ、いや、ライトライトオタゆえその知識量についていけず。私ができるのはせいぜい「寄生獣ってほんとに映画化されるのかな?ハリウッドでミギーのあの絶妙な可愛さって表現できるのか心配だね」というレベルの話題である。

ファッションは食費切り詰めてでも買うほどの情熱は無いけど、でも服に全く興味ありません、あんなのどこがいいわけ?ってわけでもなくそこそこ好きであるし

読書はそこそこする方だけど、変わった本を読んでいるわけでもなく、漫画も、結構読むけど、有名どころばっかりで、たいして言うべきことはない。

ハリウッド映画は割りと見に行くけど(近頃だとナルニア)、ハリソン・フォードが誰かを知らなかった半端さ。おかげでハリウッド嫌いのマイナー映画好きからは嘲笑され、スイーツたちからは「ハリソン・フォードも知らないって……w」と嘲笑される。中途半端

音楽趣味中途半端すぎる。近頃はテレビというと夕食時にクイズ番組はしごをしているだけのため最新の音楽など分からない。バレーボールの試合はずっと見ていたため、あのジャニーズの歌だけは半端に覚えてしまった(しかしグループ名が分からない。私の中のジャニーズは嵐で止まっている)。かといって、マイナーミュージシャン知ってるぜ、って訳でも全然ない。「近頃の音楽知らなくって」と言うと、音楽好きの子から「ゆらゆら帝国って知ってる?私好きなんだ」って、「見つけた、私の同志!」みたいに話しかけられたが、「ご、ごめん……聞いたこと無い……」となっただけであった。「マイナー好きなあまり、メジャーなんて知らない」のじゃなく、「マイナーも、メジャーも、知りません」なのである。単なる無知だ。唯一聞いている音楽といえば、のだめカンタービレクラシックCDという、マイナーでもない半端にメジャーどころ……

そもそも買っている雑誌ジャンプとsoup(ファッション雑誌)とSQという平凡さ。

これではオタクというには薄すぎ、といって、soupレベルではcancamにもついていけず、装苑系にもついていけず

アートはわからんし、モテに特に興味ないし、といってコミケ行くほどのオタでもなく、あぁ、一体私は何なのか。

なんか立ち位置が色々と中途半端すぎてどこにも属せない。

こんな自分が嫌だ。何か一つ飛びぬけたものを持ちたい。

オタクも、スイーツも、どっちもなんだか羨ましい。スイーツモテに特化して楽しそうだし、オタクオタクで楽しそうだ。芸術系は独自の世界を持っている感じで言わずもがなだし、あぁ。

そんな私が近頃ようやく出来た趣味といえば高速道路パーキングエリアめぐりである。といっても「全国制覇する!」というほど気力は入っていないためひたすらヌルい。

なんていうか、とがりたい。

2008-06-07

森博嗣が終わる3

それから私は森博嗣を読み始めるようになった。私は色んなものの子供で、それもわかり良すぎるほどの素直さで受け売りを自分の意見とするような感じ。素朴なのかもしれなかった。

北村薫宮部みゆき子供は元は、神坂一子供で、秋田禎信の弟であった。大森望は私のおじさんであって、そこからミステリ新本格に入っていったところ、その作品たちのミステリという枠組みの捉え方がクラシック音楽のそれと似ていて、行き詰まりかどうかは別としても、受け手にもいろいろと勉強が求められるようになっている、その共通が面白かった。

私は今、アメリカ風の直截にコンサイスに喋り、書くことを求められていて、またその指導さえしているけれどこのようなつらつらと書くことを忘れられないのは、日本文化の下の日本人だからでしょうか。そうではなく、忘れる日が来るのでしょうか。

話がそれたけれど、創作の文章があって、そして日記言葉があって、同じことの繰り返しであっても毎日を知りたいと思う。

なぜだろうか現実世間への言及はほとんどない人だけれど、なぜだろうか寂しさかどうかももうわからない。

追憶ノスタルジーの中で生きることを私はきっと、小学生のころに知っていた。ランドセルの中に入るのか入らないのか。いずれにせよ今はもう入らない。

2008-06-01

作品の質とメインサブの区分は直結しない

これを読んで思ったこと。

こういう話が出てくると、必ず賛成意見と反対意見

という風に分かれるのだけれど、正直どっちも違うんだよなあとその度に思う。

作品の質が、メインカルチャーだからよいとかサブカルチャーだから悪い、あるいはその逆だとかいうけれど、そもそもそれって関係のあることなのかどうか、と、クラヲタクラシックオタク)の俺としては思ってしまう。


音楽世界でよく持ち出されるのが、音楽家なんて昔は貴族召使いで、オペラなんて町人の娯楽じゃないかという話。確かに、モーツァルトオペラの粗筋は昼ドラやらハリポタ並みだし、ベートーヴェン交響曲チンドン屋節、そしてシューベルトの歌だってオーストリア民謡だ。そしてそれを根拠に、「難解なだけの音楽音楽ではない、だからクラシックはもう文化として死んでいる」なんていうことを言う人も、世間レベルではまだまだいる。

だけれども、クラヲタの俺に言わせれば、彼らの良さは別に素材の俗っぽさが原因ではない。あの時代には、高尚な素材を使って下らない音楽を書いた奴も沢山いたが、低俗な素材を使って下らない音楽を書いた奴も同様に沢山いたのだ。

要するに、素材が高尚だの低俗だの、あるいは作品が難解だの明解だの、それらのことが作品の質とは必然的には関係しないということだ。


それだけのことがわかっていない奴が20世紀にはまだ力を持っていて、たとえば大指揮者バーンスタインという人はミュージカル作曲家でもあったのだけど、彼の代表作ウェストイド物語」なんかは最も成功した現代音楽作品でありながら、コアなクラシックファン、特に現代音楽ファンからは軽視されたりもしていた。

だが、そんなことはもはや昔の話だ。たとえばビートルズの作品の質の高さは誰の目にも明らかで、クラシック以外から音楽の傑作が生まれないことは明白に事実に反していることは誰もが認めている。その結果、現代ではジャズピアニストクラシックを弾いたり、あるいは民族楽器奏者がオーケストラと競演したり、クラシック声楽家がロックスタンダードナンバーアレンジして歌ったりということが、部分的にではあれ、普通に行われている。そんなことをしたからといってファンから見放されるなんてことはあり得まい。


そういう目で見ると、文学やらその他の世界で言われている話ってのは今更に思えてならない。純文学漫画ゲームケータイ小説より優越していたり、あるいは劣っていたりしなきゃいけない理由なんてどこかにあるのか?誰が見ても手塚漫画は平均的な芥川賞作品より圧倒的に作品のレベルが高いし、逆にエロゲーの凡作は村上春樹作品に人気でも質でも及ばないというのが、世の大半が一致する見解だろう(個人的には村上エロゲーも大嫌いだから客観的な判断はできない、すまぬ)。

カルチャーメインとかサブってのは単にメディアだけの問題だろう。使っている楽器とか雑誌とかが違うことが、作品の質に必ず影響すると考えるのは根拠がないことじゃないのか。この手の議論を聞くと「理系人間哲学がわかってないからだめだ」とか「文系人間熱力学の第二法則も理解していない」みたいな低俗な論争を思い出してげんなりしてしまうのですよ。


追記 題名が誤解を招くと思ったので修正しました。

2008-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20080518165225

ここ11人しかいないし、

そういうのはクラシックの専門サイトとかで聞けば?

2008-04-21

http://anond.hatelabo.jp/20080421160146

ダービー3連覇は当たり前、菊花賞は5連覇も

3連単ディープディープディープという馬券を演出したことも

ディープにとっての凱旋門賞制覇は秋の天皇賞の勝ちそこない

複勝全部ディープインパクトも日常茶飯事

・10秒出遅れ騎手が両手骨折状態から10馬身差の圧勝

・肩ムチを入れる時は武豊の手にムチが3本あるように見える

・ゲートを背負ったままゴールイン

クラシック登録するだけで他調教師が泣いて謝った、心臓発作を起こすオーナーも

圧勝しても納得いかなければ他馬の進路を妨害して帰ってきた

・あまりに速すぎるから芝を蹴り上げるだけで進路妨害扱い

・しかし芝コースを走っても芝が飛ばない

スターターを一睨みしただけで着順掲示板の1着の箇所にディープの番号が

GIのない週でもGI制覇

・パシファイアーを使わずにアイマスクで走ったことも

・ゴール板を通過後に4コーナーまで戻って再度1着入線する

新潟芝直線1000mで外回りを1周してから勝利することはザラ、2周することも

・ハナ差で競り落としてからウイニングランのほうが速かった

・ウイナーズサークル有馬記念を制覇した

・進路妨害しようとした馬、騎手調教師から生産者まで落馬させた

ウインズ浅草馬券オヤジに反論しながら1着同着

・いなないただけで宝塚記念4連覇

・坂路調教しただけで栗東トレセンが崩壊したのは有名

百年戦争が始まったのはディープインパクト単勝元返し

パドック周回中に始まったレースでも勝利してた

小錦ボブサップを乗せたまま春の天皇賞優勝

・自分の当たり馬券に乗って総理大臣の観覧席に飛び込むというファンサービス

・全盛期のディープインパクト単勝馬券が当ったオッサンが買った馬券を確認すると、

 既にディープインパクトサインが書き込まれていた、それもウインズ後楽園の地下から7階まで全館全フロア

2008-04-14

http://anond.hatelabo.jp/20080414002336

何をそんなにムキになってんのかさっぱりわからんが。そんなに古典が嫌いなのか?

具体的にどう役に立つんだよ。お前そういう説明全然出来てないだろ。喩え話ばっかで。

あなたが単に理解できてないだけのことでしょ。古典ステータスシンボルになるなんて自明のことなんだから。

何を言っても「そんなの役に立たん、俺の知ったことじゃない」と言われるんだから仕方ないよ。限られた範囲のことを限られた水準でしか書かない人は限られた素養だけで済むかも知れないが、それ以上のことをしようと思ったら幅広く学ぶしかないってのは自明のことなんだが。

俺はお前さんの上げたLispやら低レベル言語やらコンパイラやらの意義を、全部具体的に説明できるぞ。だから基礎教養だといってるんだ。

ほう、じゃあ例えば情報系の学科には待ち行列とかパターン認識とかそういうことを研究している人たちもいるわけだが、そういう人たちが「関数型言語コンパイラOSが必須科目なのはおかしい!俺はそんなものを使わないのだから学部で教えるな!必要な人だけが研究室ゼミでやったらいいだろう!」と言ったとしたらどうするのかね?あなたが言っているのは結局そういうことなんだが。あなた自身があなた自身の納得できる理由で理解しているかどうかなんてどうでもいい。俺にとっては、エンタメ系のライターがなぜプログラミングをする必要があるのか想像できないが、だからといってあなたに対して「プログラミングなんか無駄だから文章の練習をしろ」なんて強要すべきなんて思っちゃいないよ。

微積分学や古典文学という体系は、お前さんのあげた基礎教養科目より明らかに大きいだろ。

何度も言うように、高校では古典文学の大系を網羅してるわけじゃなくて、古典文法を教えているだけだ。それから、微積がどう関係があるんだ?あんたはどうせ、位相とか測度まで理解しようという気じゃないんだろうから、式変形ができる程度のことだったら線型代数なんかよりよっぽど簡単だろうにさ。

鼻歌交じりにバイク解体できる外人の整備工が、箸をうまく使えなかったら、箸を使うのはバイク解体するより難しいということになるのか?

なにを言ってるのかね。それをこそ俺はあなたに問うているのだが。

古典漢文の知識ひけらかすことがどうプレゼンに影響すんだよ。

あなた、外人プレゼンとか文章とか見たことないの?古典文学から気の利いたフレーズ抜き出したりして話の取っかかりにしたりしてるでしょうに。

つーか、そうか、一貫した主張も出来ない奴がえらそうにプログラマを語ってるのか。死ねよもう。

「できない」ことと「しない」ことの区別ぐらいはできるようになってほしいね。

ロックポップスを聞くためにクラシックを聞かなければ楽しさが分からない、とかいう主張はアホだ、と言ってるだけだが。

誰もそんなことは言ってないだろ。さっきから思っていたのだが、君は何か俺の主張を勘違いして、明後日の方向に必死で反論しているようだな。

文学なら近現代のそれが、あるいは世界の名作文学が優先じゃないかと言ってるだけだが? 日本古典専門教育を優先する理由はどこにもないだろ。

だから、高校国語教育文学教育じゃないと言っているのに。読み書き能力教育なんだってば。文法を教えるついでに一番有名な作品のさわりを教えておこうとしているだけだよ。

しねーよ。公教育ってのは平均と底辺を引き上げるためにやるんだぜ? 勝手に貪欲に勉強するような本当に優秀な奴は、海外留学でもなんでもやってるよ。

引き上がってすらいない君は底辺よりもっと下なんだろうね。じゃあ君は何のために大学に行ったんだ?

むしろ俺は、大学勉強しないような奴は大学に来ていただかなくて結構だと思っている。専門学校とか、あるいは実務の中でOJTで鍛えた方がよっぽどスキルアップになるんでな。

ところで東大とか京大とかって国立なの知ってたか?東大とか京大とかの理学部文学部を覗いてごらん、君が想定していない公教育の意義がわかると思うよ。

それから量子力学知ってると信号処理がわかりやすくなるんだけどね。まあいいや。

いや、それはどうか。逆ならまだわかるが。

自分がまだ勉強中だというくせに、えらそうに人の忠告を否定するなよ。とりあえず「不確定性原理」について調べてみな。どっちにしても、基本的に工学の理論物理数学からパクってきて発展するものなんだから、発想としては物理を学んでいた方がよくわかるのは自明。実際俺は、仕事信号処理を扱うようになったとき、量子力学教科書を引っ張り出してきてもう一度読んだよ。

同様に、古典重要性を無理強いする権利はお前にはないわな。

だから誰も無理強いなんかしてないっての。必要なことだけ学びたい人は工業高校とか高専とか専門学校に行け、必要ないことまで学びたい奴が普通高校に行けと言っているだけなんだが。

http://anond.hatelabo.jp/20080413235442

狭い業界の技術専門誌だけに書いて生きていくつもり?

俺はエンタメ系がメインだ。技術誌に書いたことはない。

日本語を書く人にとっての古典にあたると言っているの。

具体的にどう役に立つんだよ。お前そういう説明全然出来てないだろ。喩え話ばっかで。

俺はお前さんの上げたLispやら低レベル言語やらコンパイラやらの意義を、全部具体的に説明できるぞ。だから基礎教養だといってるんだ。

文系の人なんかだったら、古典なんて寝てても理解できるけどLispなんて一生理解できないといわれると思うよ。

微積分学や古典文学という体系は、お前さんのあげた基礎教養科目より明らかに大きいだろ。得意不得意の問題じゃない。

鼻歌交じりにバイク解体できる外人の整備工が、箸をうまく使えなかったら、箸を使うのはバイク解体するより難しいということになるのか?

あと、文系でも、言語学分野の人なら基礎的な形式言語理論は押さえておいて損はないはず。

へー、あなたプレゼンしないんだ。顧客投資家向けに気の利いたフレーズ一つ思いつかないようでどうするの?

古典漢文の知識ひけらかすことがどうプレゼンに影響すんだよ。

俺はあなたの論点の不備を一つ一つ指摘してるだけで、自分が一貫した主張をしようとしているわけではない。

どこでどう不備が指摘できてるというんだww つーか、そうか、一貫した主張も出来ない奴がえらそうにプログラマを語ってるのか。死ねよもう。

じゃあ、ロックポップス聴いてない奴がクラシック聴いちゃだめなわけか?そんなの勝手だろ。

ロックポップスを聞くためにクラシックを聞かなければ楽しさが分からない、とかいう主張はアホだ、と言ってるだけだが。聞きたい奴だけ聞けばいいだろ。

あのさあ、「ジェネラリスト」の意味わかってる?いろんな分野に視野横断的に目が効く人のことを「ジェネラリスト」っていうんだよ。数学だけ勉強してれば文学歴史も語れるっていうのかい?

文学なら近現代のそれが、あるいは世界の名作文学が優先じゃないかと言ってるだけだが? 日本古典専門教育を優先する理由はどこにもないだろ。歴史については何も言ってないし。

自分が大学でサボってたことを自慢するなよ。普通はもっと勉強するんだよ。

しねーよ。公教育ってのは平均と底辺を引き上げるためにやるんだぜ? 勝手に貪欲に勉強するような本当に優秀な奴は、海外留学でもなんでもやってるよ。

それから量子力学知ってると信号処理がわかりやすくなるんだけどね。まあいいや。

いや、それはどうか。逆ならまだわかるが。

そんなのは個々人の価値観だろ。日本工業立国であるべきなんて考えを無理強いする権利は君にはないよ。

同様に、古典重要性を無理強いする権利はお前にはないわな。つか俺もお前も別に無理強いなんかしてないだろ。

2008-04-13

http://anond.hatelabo.jp/20080413233342

あのさあ、ライターだったらリード文に気の利いた文章一つ書けないでどうするよ。狭い業界の技術専門誌だけに書いて生きていくつもり?一般科学雑誌とか、もっとそういう野心はないわけ?そういうとき、古典の素養は必要だよ。

古典が読めるってことはまったく評価にならんだろ。プログラマとしては。

人間プログラマだけじゃないんだけどね。それに、言ってること理解できてるのかなあ。プログラマにとってのLispや低レベル言語が、日本語を書く人にとっての古典にあたると言っているの。

そんなの情報系の基礎教養だ。微積分学や古典勉強するよりははるかに楽だし。

それはあなたの場合でしょ。文系の人なんかだったら、古典なんて寝てても理解できるけどLispなんて一生理解できないといわれると思うよ。あなたは、自分が理解できなかったものを過度に難しいと思い込んでるだけ。

ビジネス定型文書くのにはもちろん、企画書仕様書技術書を書くのにも、古典漢文の知識なんぞ必要ないだろ。

へー、あなたプレゼンしないんだ。顧客投資家向けに気の利いたフレーズ一つ思いつかないようでどうするの?

別に古典教育がどうなろうが観光ビジネスの改革にはならんだろうに。

観光が産業として大したことない、というからその点に反論したまで。俺はあなたの論点の不備を一つ一つ指摘してるだけで、自分が一貫した主張をしようとしているわけではない。

日本文学についてはそうかもな。でも、当の近代文学もろくに読んでない奴が、下敷きにだけ手出しても意味ないだろ。まずそっちが先じゃないかな。

じゃあ、ロックポップス聴いてない奴がクラシック聴いちゃだめなわけか?そんなの勝手だろ。古典の方が近代文学より好きな人間だって沢山いるよ。俺だってそうだが。

教育を強化するなら数学優先にすべきだな。あと英語の強化かな。古典なんか最後でいいよ。

あのね、そんな優先順位つけるまでもなく、全部できると言っているの。

古典数学よりジェネラルだとでも?

あのさあ、「ジェネラリスト」の意味わかってる?いろんな分野に視野横断的に目が効く人のことを「ジェネラリスト」っていうんだよ。数学だけ勉強してれば文学歴史も語れるっていうのかい?

足りてるわけねーだろ。仕事やりながら勉強してるような状態だよ。これが、高校でやってなきゃ偏微分とかと同レベルの理解度でしかなかったんだと思うとゾッとするね。基礎だけでも仕込まれててよかった。

自分が大学でサボってたことを自慢するなよ。普通はもっと勉強するんだよ。自分が勉強しなかったことを、「高校で教えてくれなかったせいだ!」なんて言ってたら、これだからゆとりはって言われるだけだよ。

数学系でも電子工学系でもねーもん。適当試験前の一夜漬けで切り抜けてた。終わったら速攻忘れた。あと量子力学なんか何に使うんだよプログラマが。

使わないことは一切勉強しない人なんだ。ふーん。隣接分野から発想って出てくるもんだけどね。忠告しとくけど、俺が挙げたのは工学部のどこでも学びそうな分野だし、それから量子力学知ってると信号処理がわかりやすくなるんだけどね。まあいいや。

俺が思ってるものと比べてるんじゃない。「古典と」比べてんだよ。ちゃんと答えろ。

なんでそんなエラそうなんだ?だから、比べられないって言ってるだろう、何度も。少なくとも答えが自明に出る問題ではないし、客観的に妥当性のある調査ができるとも思えないと言っているの。

日本が観光立国になるのと工業立国になるのとどっちがいいかという比較だろ。

そんなのは個々人の価値観だろ。日本工業立国であるべきなんて考えを無理強いする権利は君にはないよ。

2008-04-07

http://anond.hatelabo.jp/20080407103412

無理してJ-POPなんか覚えずに自分の好きな洋楽とか歌えばいいんじゃね?

クラシック好きでJ-POP大嫌いの俺が通りますよ!

あらかじめ用意してある無難な歌のストックが尽きたらカラオケはいつも針のむしろ

ちなみに、部署内で俺は一番若くてTOEICの点数が一番高いので(っていっても大した点数じゃないぜ?)英語の歌を歌うほどKYなことってないんだけどね。

日本iTunesでは差額のみでアルバムを買うことができない

iTunes Storeをご利用いただきありがとうございます。

お問い合わせいただいた日本iTunes Storeでのコンプリートマイアルバムについてご案内します。

申し訳ございませんが、現在のところ、日本iTunes Storeではコンプリートマイアルバム機能はご利用いただけません。

将来ご利用可能かどうかについては、コメントすることができませんが、アップルでは世界中の人々に 出来る限り多くの機能を ご利用いただけるよう全力を尽くしております。

特定の機能をお住まいの国で利用できるようにリクエストする場合は、下記「フィードバック」のページのフォームをご記入の上ご送信ください。

https://regist.apple.co.jp/feedback/itunes/

今後ともご支援・ご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。

iTunes Storeカスタマサポート ○○

http://www.apple.com/support/itunes/ww/

って1年前から日本以外では導入されてるのか。

http://trendy.nikkei.co.jp/news/index.aspx?i=20070402ax031t1&ichiran=True

他にも10分近いクラシックの曲はアルバムのみでしか買えないのがすごく不便。

mora winでは曲の長さに関係なく大抵150円で買えるのに。

ただしmoraで買うとiTunesでは聞けない。

実際moraで何曲か買ってみたものの、わざわざiTunes以外のプレイヤーを起動させる気にはなれず、結局聞く機会が無くなってしまった。

2008-03-29

オタク趣味と他の趣味の重複傾向について

2008-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20080325170253

音質はどうでもいいよ。

うん、お祭りだと思う。

俺はお祭りを楽しめない自分が悔しいんだわ。

だから音も楽しめないしノれない。

クラシックは嫌いじゃないけど

たぶんクラシックコンサートも楽しめない。

大体同じ理由でな。

増田

http://anond.hatelabo.jp/20080325154804

そもそも、ライブに音質を求めるのは違うんじゃないかな。あれは一種のお祭りだろう。

その場にいて、騒いで、アーティストとファンが一体感空気を楽しむのが目的なんだろう。

クラシックコンサートだったら、あれは大ホールで聞くのが本物で、そういう風に設計されたものだから、

「音」を目的コンサートに行くのはまったく正しいんだけどさ。

2008-03-21

観客は必要か?

映画は一人でも0k。

演劇格闘技は満員が0k。

音楽ライブは満員が良。

クラシックは一人でも0k。

2008-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20080320015930

そういえば、「邦楽」「洋楽」が「日本の伝統音楽」「クラシック」でなくなったのと、

邦画」「洋画」が絵じゃなくて映画のことになったのは、

いったいいつなんだろう。

2008-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20080313030006

これを全部読んでいない人間は「猿」です。

ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。

プラトン『饗宴』岩波文庫

アリストテレス『詩学』岩波文庫

アウグスティヌス『告白』岩波文庫

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫

マキァベッリ『君主論中公文庫BIBLO, 岩波文庫

モア『ユートピア岩波文庫

デカルト方法序説岩波文庫

ホッブズリヴァイアサン岩波文庫

パスカル『パンセ』中公文庫

スピノザエチカ岩波文庫

ルソー『社会契約論』岩波文庫

カント純粋理性批判岩波文庫

ヘーゲル『精神現象学平凡社ライブラリー, 作品社

キルケゴール死に至る病岩波文庫

マルクス資本論岩波文庫

ニーチェ『道徳の系譜』岩波文庫

ウェーバープロテスタンティズム倫理資本主義の精神』岩波文庫

ソシュール『一般言語学講義』岩波書店

ヴァレリー『精神の危機』

フロイト『快感原則の彼岸』ちくま文庫

シュミット『政治神学』未来社

ブルトンシュルレアリスム宣言』岩波文庫

ハイデッガー存在と時間ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシック

ガンジーガンジー自伝中公文庫

ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシック

ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社

アドルノホルクハイマー『啓蒙の弁証法岩波書店

アレント全体主義の起源』みすず書房

ウィトゲンシュタイン『哲学探求』大修館書店

レヴィ=ストロース『野生の思考』みすず書房

マクルーハン『グーテンベルグの銀河系みすず書房

フーコー『言葉と物』新潮社

デリダ『グラマトロジーいについて』

ドゥルーズガタリアンチ・オイディプス』河出書房新社

ラカン精神分析の四つの基本概念』岩波書店

ウォーラーステイン『近代世界システム岩波書店

ケージジョン・ケージ青土社

サイードオリエンタリズム平凡社

ベイトソン『精神と自然』新思策社

アンダーソン『想像の共同体NTT出版

本居宣長『玉勝間』岩波文庫

上田秋成『胆大小心録』岩波文庫

内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』岩波文庫

岡倉天心東洋の理想』講談社学術文庫

西田幾多郎西田幾多郎哲学論集?・?・?』岩波文庫

九鬼周造『「いき」の構造』岩波文庫

和辻哲郎風土岩波文庫

柳田國男『木綿以前の事』岩波文庫

時枝誠記国語学原論』

宇野弘蔵経済学方法論』

海外文学

ホメロスオデュッセイア岩波文庫

旧約聖書創世記岩波文庫

ソポクレスオイディプス王新潮文庫岩波文庫

『唐詩選』岩波文庫

ハイヤーム『ルバイヤート』岩波文庫

ダンテ神曲岩波文庫

ラブレー『ガルガンテュアとパンタグリュエルの物語』岩波文庫

シェイクスピアハムレット角川文庫新潮文庫岩波文庫ちくま文庫

セルバンテスドン・キホーテ岩波文庫

スウィフトガリヴァー旅行記』岩波文庫

スターントリストラム・シャンディ』岩波文庫

サド『悪徳の栄え河出文庫

ゲーテファウスト新潮文庫岩波文庫

スタンダールパルムの僧院』

ゴーゴル『外套』

ポー『盗まれた手紙

エミリー・ブロンテ『嵐が丘』

メルヴィル白鯨

フローベール『ボヴァリー夫人』

キャロル不思議の国のアリス

ドストエフスキー『悪霊』

チェーホフ桜の園

チェスタトンブラウン神父の童心

プルースト失われた時を求めて

カフカ『審判』

魯迅『阿Q正伝』

ジョイスユリシーズ

トーマス・マン『魔の山』

ザミャーミン『われら』

ムージル『特性のない男』

セリーヌ『夜の果ての旅』

フォークナー『アブサロム、アブサロム!』

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』

サルトル『嘔吐』

ジュネ『泥棒日記』

ベケットゴドーを待ちながら

ロブ=グリエ『嫉妬』

デュラス『モデラートカンタービレ

レム『ソラリスの陽のもとに』

ガルシアマルケス百年の孤独

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

ブレイクブレイク詩集』

ベルダーリン『ヘルダーリン詩集』

ボードレール悪の華

ランボーランボー詩集』

エリオット『荒地』

マヤコフスキーマヤコフスキー詩集』

ツェランツェラン詩集』

バフチンドストエフスキーの詩学』

ブランショ文学空間』

日本文学

二葉亭四迷『浮雲』

森鴎外舞姫

樋口一葉『にごりえ』

泉鏡花高野聖

国木田独歩武蔵野

夏目漱石我輩は猫である

島崎藤村『破戒』

田山花袋『蒲団』

徳田秋声あらくれ

有島武郎『或る女』

志賀直哉『小僧の神様

内田百〓『冥途・旅順入城式』

宮澤賢治銀河鉄道の夜

江戸川乱歩『押絵と旅する男』

横山利一『機械

谷崎潤一郎『春琴抄』

夢野久作ドグラ・マグラ

中野重治村の家

川端康成雪国

折口信夫死者の書

太宰治斜陽

大岡昇平『俘虜記』

埴谷雄高『死霊』

三島由紀夫仮面の告白

武田泰淳ひかりごけ

深沢七郎楢山節考

安部公房『砂の女』

野坂昭如『エロ事師たち』

島尾敏雄『死の棘』

大西巨人神聖喜劇

大江健三郎万延元年のフットボール

古井由吉『円陣を組む女たち』

後藤明生『挟み撃ち』

円地文子『食卓のない家』

中上健次『枯木灘』

斎藤茂吉『赤光』

萩原朔太郎『月に吠える』

田村隆一田村隆一詩集』

吉岡実吉岡実詩集』

坪内逍遥小説神髄』

北村透谷『人生に相渉るとは何の謂ぞ』

福沢諭吉『福翁自伝

正岡子規『歌よみに与ふる書』

石川啄木『時代閉塞の現状』

小林秀雄『様々なる意匠』

保田與重郎日本の橋』

坂口安吾堕落論

花田清輝『復興期の精神』

吉本隆明転向論』

江藤淳『成熟と喪失』

by 柄谷行人、他

追記

必読書150』柄谷行人浅田彰、他(太田出版

http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%85%E8%AA%AD%E6%9B%B8150-%E6%9F%84%E8%B0%B7-%E8%A1%8C%E4%BA%BA/dp/4872336569

ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラリソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。

2008-03-05

空気読まずにマジレスするよ

http://anond.hatelabo.jp/20080302150204に。

有益な情報なんて持ってないかもしれない。でも、子供の中で流行ってる事とか、考えている事が解ってそれを知る事がメリットになる人も多いんじゃないですか?教育関係者とか子供向けコンテンツ作ってる所とか。もちろん子供だからバカな所はあるだろうけど、どうバカなのか知る事も重要なんじゃないですか?

そんなことわざわざネットで知る必要ない。

子供に壊されるコミュニティってなんですか?そんなに脆弱コミュニティなんて必要あるのですか?困るなら、そうならないようにするのが大人の責任じゃないですか?

たとえばクラシックコンサートだって赤ん坊の泣き声一つで壊れるだろう。「そうならないように」隔離するのが大人の責任だというなら「小学生ネットすんな」と主張するのが大人の責任ということになるわけだけど、そういうことが言いたいの?

小中学生ネットやるな。なんて大人が言う言葉ですか?それこそガキなんじゃないでしょうか。

別に普通意見。そういう「バカっていう人がバカ」メソッドの話し方は、辞めた方が良いと思う。

要するにあなたは大人だって馬鹿なことをしているのに馬鹿なことをする小中学生を見て「小中学生ネットをやる資格がない」などというのは余りにも個人的なステレオタイプに捕らわれた意見だと思います。と言いたいのだと思うので、文末の「!」やら「?」やらは取って、単にそう言えば良いと思うよ。

2008-03-04

最終弁当氏のブログに思う

最終弁当さんのブログ更新頻度高いし内容も濃いと思うのでアンテナ登録してるのだが,正直更新楽しみサイトというわけではないんだ。ここ言ってること矛盾して聞こえるかもしれないが,なんというか,読んでおくべきという思いで読んでるという感じ。読みたくて読んでるというよりは。

色々いいこと書いてるんだろうけど感動したことはないし,なるほどと思ったこともない。大抵,読み終わった後ちょっと不快になる。なんなんだろうこの感じとずっと思ってたんだよね。

こないだっつっても1??2日前だけど,やる夫のクラシックのやつあったじゃん。あれ俺面白いなーと思ってさ。クラシックってよく分からなかったし,あの切り口はいいなと思った。

最終弁当氏もこれについて言及してたんだけどさ,「ようつべリストが良かったのかな」とか,「ここらへんは実はちょっと違う」とかそういう態度なんだよね。

いや,えーと,最終弁当クラスになればクラシックも当然把握してるんだろうし,あのエントリに俺ほど心動かないのは分かるよ。間違いが見当たれば言及してしまうのも分かる。

たださ,この人って一事が万事この調子だと思うんだよね。他人の粗探しばっかしてるというか。いいところを褒めないで悪いところはけなす。ある程度ものが分かってくるとそういう境地に達しちゃう人っていると思うんだよ。世の中を皮肉的に捉えるという。そういうとこあると思うんだよね。

2ちゃんモームス板に「りょーしん」って男が出没してたんだ。知ってるかな。モーオタの巣窟に「モーニング娘の何が良いのか全く分からない」ってスレを立てたんだな。当然何人か文句言いにくるじゃんか。そいつらをさ,論破するわけよ。凄まじい勢いで。ものすごい理論的に反論するの。口癖は「意味不明」。

それ読んでてさ,すげーと思ったんだよ。なんて議論がうまいやつだと思った。ただ,ものすごいイライラしたね。りょーしんが勝ってることは分かったけど,りょーしんの側に立ちたいとはこれっぽっちも思わなかった。まあそう考えると「議論がうま」かったかどうか微妙なとこなんだけどさ。

りょーしんの特徴として,自分の感情を一切表に出さないってことがあったのね。「じゃあお前は誰が好きなんだよ」とか聞かれるじゃんか。そういう質問には一切答えない。「言う必要を感じない」とかなんとか。とにかくさ,自分の感情を出しちゃったら,そこにつけこまれるってことをよく分かってたんじゃないかな。議論に勝ちたかったら,淡々と,ロボットのように受け答えすること。そうすれば相手がそのうち勝手に自滅する。今思えば,りょーしんの議論術ってそういうことだったんじゃないかと思うわけよ。

そういうニュアンスをね,最終弁当氏にも感じる。今有名ブロガーなんてのが結構いてさ,dankogaiとか池田信夫とか。そういう人らって結構熱いじゃん。だからそこを叩かれるときもあるなあと思うのよ。でも最終弁当氏が叩かれてるのってあんま見ないのね。なんでかなーと思ってたんだけどこういうことなのかもしれない。ブログを書くにあたって,叩かれないようにしながら一定の位置を確保するという目的に照らし合わせると,最終弁当氏のやりかたってのはひとつの結論なのかもなーとか思う。ただ,最初の話に戻れば,俺はあんま好きじゃないなーということ。否定はできないけど,肯定したくない。そういう感じ。

2008-02-23

久しぶりのクラシック

高校時代によく聴いていたヴァイオリンの小品をたまたま人からもらって聴いた。

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