はてなキーワード: クラシックとは
自分がさらりとなにげなく書いたものにいきなり「モノイイ」がついた時も気持ちは分からないでもない。
とあるフォーラムに誘ってもらったことがあるんです。
入ったばかりでまだなじめない頃に、『題名のない音楽会』というクラッシック番組が好きだった私は見終わった後
「正しい音楽を聞いたって気になります♪」
と、のほほんと何も考えずに書き込みました。
すると、続けてこんなことが書き込まれた。
「クラシックだからと言って正しいとは限らない」
「楽譜通り演奏している訳でもないのに何をもって正しいと言うのか?」
「指揮者によって随分と演奏の仕方が違うので『正しい』という表現はおかしいのではないか?」
当時の私は驚いた。
ただ感想を言っただけでそんな深いことを考えてなかったのに、なんでこんなこと言われるのかな? と。
そして、あまりに深く考えていなかった私は返す言葉をもたなかった。
その時は、しばらくそのファーラムから遠のいたのでした。
後日、フォーラム住人の一人から連絡があり、言った本人達も悪気があった訳ではなかったので心配しているという旨を伝えられた。
新しく来たお嬢さんが自分に興味ある話題を書き込んだので話しかけてみただけ、ということだったらしいです。
自分はなんでもないことを書いたつもりなのに、はてブでいきなり叩かれちゃった(と感じる)人は、この時の私と同じ気持ちだったんだろうなーと思うのです。
私がフォーラムに参加した頃はPC持ってない人の方が多かったし、持ってる人の方がある種特殊な感じでした。
インターネットもギーク(当時こんな言葉も知らなかったな)やオタクのもの。
しかし、現状では誰もがインターネットに簡単に繋ぐことができます。それを踏まえて、インターネットで発信するということはそれなりの覚悟を持った方がいいのではないか?
とは、思うんですが、いきなり言われたら相手はびっくりするだろうな、くらいのことは頭に入れておきたいと思う。
これ以上アクセス増やしても驚かせてもアレなんでリンクはしませんが。(リンクしてもそんなにアクセス流れないと思うけど、為念)
ただし、自らはてブ使ってる人は除外。
自分が使ってるなら、はてブであれこれ言われるのは想定すべきことなので。
文化系がどうとか腐がどうとかって話じゃない。
それを双方が受け入れないで自分の方だけを正当化し、
引き入れようと綱引きをするからそういうことになってるだけじゃないのか。
大体サブカル好きとBL好きが対立すると考えること自体不可解だ。
こんなことはクラシックファンとビートルズファンとの間にだって、
逆に対立せずにうまくやってる人たちだっている。
要はそれぞれのスペックの問題だ。
正直あんまり好きでもない。
ただ、一般認識している友人に対しても虚勢をはるようなまねをしているのは、
腐だからという理由だけではないように思うのだが。
はっきりいって謙虚な腐もいれば攻撃的なサブカルもいる。
うがった見方をすると、友人は就職した自分と進学した元増田の間に、
一方的な劣等感を感じていたり、
元増田に見下されているように感じていたりするからではないかと思ったりもする。
せめてその「腐女子で何が悪いわけ?」って感じで周りを見下すのをやめてほしい。ほんとに。
本当に願いが↑の一点なら、その原因を腐文化にだけ求めずに、
もう少し自省があってもいいんじゃないか。
本当に大事な友人だと互いに思っているなら。
とりあえず友人の腐趣味が友人関係がうまくいかなくなった要因の一つではあれ、
それは全てではないはずだ。
そんな友人への嫌悪が自分の傲慢かもしれないと内省できるのなら、
というタイトルが既に論点のすりかえと根源的な原因からの忌避であると気づくのはたやすいのではないか。
「傲慢」という言葉には既に元増田が相手を見下していることが現れているし、
それを相手が気づいていないと思っているのなら、それこそ傲慢だと私は思う。
何もないというのは誕生日等のイベントが特に無いという意味です。
「えっ!?何?何か見返り求めてるの?」とか思われてしまうでしょうか
それを防ぐにはどうすればよいでしょうか
ちなみに俺も彼女も大学生です。二人とも同じ理系学部で同い年です。
あとデートコースが図書館とか、科学館とか、美術館とか、クラシックのコンサートとか、どちらかというと堅めの所にしか行った事がないのですが、それだとやっぱり飽きますか?友人にはまるで中学生のデートだと笑われてしまいました。彼女は別に面白いと言ってくれますし彼女から行こうということもあるので大丈夫だとは思っているのですが、もしかしたら俺に遠慮しているのかもしれないし……
普通のデートコースみたいな、そういうのが嫌なわけじゃなくて寧ろ行ってみたいんですけどどうすればいいのかよく分かりません。加減が分からないというか。張り切りすぎて大学生の度を超えたデートコースになってしまうかもしれないし外しまくってしまうかもしれないしと思うと結局いつもの通りになってしまいます。
そか。
自分の場合はトラウマからかなり前の、10年位前の音楽とか、ほんと中坊くらいに音楽聞き始めたころの音楽が聞いた。キングクリムゾンとかイエスとかの超古典。黒人音楽はだめだったな、なぜか。
クラシックがよかったのは自分も同じ。一つ一つ音をとっていくと感情失禁起きても落ち着いてくる。
あと高音が多い曲は凹んだ気分を向上させてくれるみたい。
音楽療法はまだ未開拓で、個人差があるみたいだね。
寝逃げは、仕事関係してると困るね。自分も今は一日48時間周期みたいな感じで睡眠が不規則だからまだ仕事できそうにないなあ。精神は徐々にしっかりしつつありつつあるんだけどね。
(追記)
前に綺麗な愛で溢れている、と思っていたってことは、今はそうではないのかな。立ち入ったことならごめん。
そんなにガツガツしてなくて、ちょっとオサレなサブカルっぽいイメージ。そんな彼をキシダくんと形容しているわけだけど、
キシダくん(笑)、あー、くるりとか(笑)というニュアンスがそこはかとなく込められている。(←そろそろ(笑)も食傷気味だな…)
僕の場合、外見の印象では、ロン毛にしちゃってそれっぽい雑誌の表紙なんかを飾っちゃったりしている岸田さんを見て、
まじきめぇwwと思うんだけど、しばらく経ってくると、なんかカッコよくね?と思ってしまう。
ちょっとクラシックに傾倒したからといって、ウィーンでレコーディングをするなんて、なんという安直さwwと思うし、
アルバムを聞いてみても、これはいかにも狙いすぎwwという感じがプンプンしてくる。
でも何度も聞いているうちに、ものすごく心地よくなってくる。ジュービリーよろーこびーとはー♪と口ずさんでしまう。
"ワールズエンド・スーパーノヴァ"とか"言葉はさんかく こころは四角"なんていう曲名をつけちゃって恥ずかしい奴めwwと思う。
でもどっちもいい曲で、最終的にこの曲にはこのタイトルしかないよな、と思ってしまったりする。
そんな感じで実は、このようなことを堂々とやってのける、ベタなところをしっかりといいものに仕上げてくれる、岸田さんが好きなのだ。
ジム・オルークとアルバムをつくったり、アッコちゃんと二人で錦市場を歩いたりしている、岸田さんがうらやましいのだ。
家族、会社の同僚などからWindowsの動作に関して質問を受けた時、まずは以下の項目を確認してみましょう。
当たり前のことばかりですが、基本的なことほど気づきにくいものです。
デスクトップに多量のアイコンを置いていると、それだけでマシンのリソースを消費してしまいます。
ファイル、ショートカットの類は適当なフォルダに入れて管理し、デスクトップには極力ものを置かないようにしましょう。
ウィルス、ワーム等に感染し、結果的にマシンの速度が低下することがあります。
Windowsの自動更新を有効にし、こまめにアップデートを実行してください。
無料で利用できるソフトでも基本的な保護は可能です。マシンに高い負荷をかけるソフトもあるので、動作が軽快なものを選んで利用するほうがよいかもしれません。
WindowsXP限定になりますが、デスクトップのテーマをクラシック表示にすることで、幾分動作が軽くなる場合があります。
彼は職場の先輩。
とはいっても広い職場で部署がまったく違うから面識なかったんだけど、飲み会で知り合って、
それからは彼の誘いでふたりでランチしたり会社帰りに食事したりした。
彼も気を遣ってくれる人で、お酒やクラシックに詳しかったりして話も弾んで、髪とか服もきれいにまとめてて
素敵な人だなって思ったし、向こうも私の事を好いてくれてるみたいでいい雰囲気。
で、日曜日の初デート。水族館と食事っていう派手すぎず地味すぎずいかにもコース。
待ち合わせ場所には、トンデモ私服の彼が立ってた。
まず、まだまだ暑いのに真っ赤なタートルネック。
アウターはファーのついた真っ黒なロングトレンチ。
ジーンズはところどころがクラッシュしてて紐でレースアップが施されていて
あちこちから紐がぶら下がってるちょっと前のギャル服みたいなダメージジーンズ。
それから竹下通りで売ってるような厚底で(ソール高さ10cmくらい)夢の国のネズミみたいなおでこ靴。
カバンは、黒い革張りで赤いパイピングの施された、使いにくそうなトランク。
きょうび売れないビジュアル系バンドマンでもそんな格好はしないと突っ込みたくなるような私服だった。
普段は小物とかこだわってておしゃれな人だなあと思ってたんだけど
(今思えば少しそれっぽいセンスの小物もあったけど)
普段は基本スーツだから、気付かなかった。
一気に目が覚めた。
水族館行っても正直ならんで歩きたくなかった。
ディナーもせっかく素敵なところに連れて行ってもらったのに、早く帰りたくて別れたくて仕方がなかった。
(あきらかに店の雰囲気に合ってない。彼が)
私自身もおしゃれな方ですって胸張って言えるかというとそうでもないし、
男の人の服なんて不潔でなければいいやと思ってたから、
彼の姿にドン引きしたというよりは、彼の服装ひとつでここまで冷めきってしまった自分の狭量さに絶望した!
でも彼のあのセンスを受け入れられる自信は、ちょっとない。
著作権はあくまで権利の話しであって、世間で問題視されるのはあくまでその権利の行使のやりかた。
今のような方向性で権利が行使がされつづけると面白いコンテンツを生み出すそもそもの土壌がなくなる。
既存の作品というのは製作者の成長の過程において基礎となり重大な影響を与えている。
もし小説家の卵が明治時代に活躍した文豪の作品しか模倣できなかったら。
模倣という練習の先に独自のスタイルを織り交ぜるのであって、
それなしに著作者権利を行使したのでは、すべてのクリエイターが車輪の再発明を強いることになる。
想像してみてほしい。
作者没後70年というのは、1937年、昭和12年に死亡した人ということだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/1937%E5%B9%B4
1870-1890に生まれた人達。彼らが作品を生み出したのが20、30台だとしよう。
もし、厳格に著作権が管理されたら、
ポケモンの歌をくちずさみながらピカチューの絵を描く子供達は、
著作物使用料を支払わなければならない。
文化祭で学生が演奏を披露する子達はラベルのボレロ以前の作品をコピーすることになる。
フェアユースが認められていない以上、インターネットは脱法状態だし、ポケットはてななんてもっての他。
そんな状態で生産性が問えるだろうか?
著作権は主に二つに分解することができる。
誰がどのような作をなしたのかは厳格に保護される必要がある。
すべての作り手はマルパクリから第一歩を踏み出すのだ。
第一歩ぐらい最近のものから模倣したいじゃないか。
っていうか、そもそもプログラムには著作権認められないという。
どういうことやっちゅう話しじゃ。
実行結果はほとんど同じでも書き方は千差万別。
もう、ほんとなんなんだよと思ってしまう。
パソ通のときはJASRAC管理下にあったんだ?しらなかったよ。
muzie(http://www.muzie.co.jp/)
プレイヤーズ王国(http://players.music-eclub.com/)
の紹介ありがとう。どっちも知らなかった。
音楽とかDTMとかから離れてしまったのは単純に学生時代が終わっちゃったからってだけなんだ。
最近はまたやりたいなと思ってる。楽器の演奏はもう無理かなとおもうけどね…。一人でやっても寂しいだけだし。
自分も後半はオリジナルとかつくってたけど、コピーの時代がなかったらとてもオリジナルまではたどり着けなかったと思うよ。
あと、ニコニコとかでゴムとからっぷびとみたいな若くて新しい才能が芽を吹く様をみているととても楽しい。
らっぷびとなんて、どう聴いてもプロツールス並みのミックスダウンがされてて頭おかしいんじゃないかとおもうよ。
でも、課題曲とかそういうのはある程度あったほうがいいよね。
DTMは衰退かもしれないけど0からつくるとしたら演奏するか、これしかないわけで、
サンプリングのための音源をつくるためとか、そういうような形で生き残るとおもうな。
いままでのように最初から最後までDTMだけで完結することはなくなるかもしれないけど。
そんなわけで俺もなんかやりたいぞとちょっと燃え上がってる。
好きで買った本であるはずなのに、家に帰ってからなんとなく読む気がしなくて、そのまま積読、ということが結構ある。趣味の本なのに、なぜか、なんとなく乗り気がしない。その割りに、どうでもいいような本を買った勢いで読んでるとあっさりと全部読んでしまえていたりする。これ、どうにかならんものか、とモヤモヤしていたら
「やまだ眼」という本にこんな一節があり、思わず一人で頷いてしまった。
DVDをレンタルでなく買ってしまうと「いつでも見れるや」と思うが、
退屈で仕様がない時ですら見る気がしない事がある。
まさしくこんな感じだ。
そしてそれについている解説文がコレ。
買うという行為で、そのモノの価値やモノの関心までも消費してしまうことがある。高価なブランドのバッグを部屋に山積みにし、中には一度も使ってないバッグもあるという女性をTV番組で何人も見たことがある。自分だって、まだ聞いていないクラシックのCDを何枚も持っている。バッグなら何かを入れて外出する、CDなら音楽を楽しむという真の目的があるのだが、買う、つまり所有すること自体が目的となり、買った時点でもう満足してしまう。さらに買った後には、そのバッグやCDをちゃんと使わなくては、という真の目的を知っているが故の義務感も生まれ、それから逃れたいが為に、暗にそのモノを遠ざけてしまっていたりする。
なるほど。やはりプロは違うなと妙に関心した。見事に説明してある。
それと、趣味の事なのに、学習っぽくなってしまうときも、なんか義務感感じて遠ざけちゃう。
例えばアニメが好きな場合、「今ネット上で盛り上がってるかららきすたは一度くらい見ておくか」みたいな、そういう気持ちで見ようとすると、何故か時間があっても見る気がなくなる。
そもそもなぜ義務感を感じると人間嫌になるのだろう。
高校生の頃、ある程度勉強計画をたてて(別に無理のないものであったはずなのに)、「さああとは実行するだけだ」というところまでお膳立て(自分でやったのだが)したというのに、なんかやる気がしなくなったりする。別に勉強は嫌いなほうではなかったのだが。
こうした義務感に打ち勝つようなライフハックはないものかなあ。そもそも義務感を持たないようにすればいいのか。だがどうすればいいのだろう。
姉は(贔屓目もあるんだろうが)顔がいい方。美人というより可愛い系統。年の割りにかなり幼く見えるので、弟の俺と歩いてると俺が兄だと勘違いされることもしばしば。趣味は料理と読書と音楽鑑賞。休日には料理をよくする。大学生になってからは家事も結構やるようになった。
とりあえず聞く分には家庭的、その上割に顔がいいので、合コンとかでは受けやすいらしく準彼氏みたいなものはすぐできる。が、すぐダメになる。それは相手が姉を誤解して捉えているからだ。姉は料理が好きとかいっても、休日にクッキーを焼いたり部活の先輩に弁当を作っていったりとかするわけじゃない。家事もやるとかいってもエプロンつけておしとやかにしているわけじゃない。読書とかいっても文学をたしなんだりしているわけじゃないし、音楽鑑賞とかいってもaikoとか聞いてるわけじゃない。だが引っかかってくる男は初対面ではこんな印象を姉に持ってしまうらしい。悲劇だ。
姉の言う「料理が趣味」とは、休日でっかい鍋を用意して、鳥ガラみたいなのをいれて煮込んでたり、小麦粉に卵や水を加えたのを足で踏んづけていたりすることなのだ。つまりラーメン作りなのだ。クッキーなんか焼いたこともないし、大体、姉は甘いもんが嫌いである。ケーキのスポンジを「ふわふわしてて食ってる気がしねえ」とか言ったりしながら、チャーシューを作ったりしている。それが姉だ。根本的にひっかかってくる男はその辺を勘違いしている。家事もやるとかいっても非常に乱暴だ。おしとやかなんかではない。基本的に面倒くさがりな姉は、「めんどいからなるべく短時間で効率よく」と、日々様々な方法を試し、家事をするときは必ずストップウォッチで時間を計り、日々新記録を目指している。おかげで姉の家事はほとんどスポーツであり、非常に慌しい。「どりゃああああ!!タイムどうだ!タイム!!!」とか言いながらストップウォッチに突っ込んでくる姉。それが姉の家事である。読書はハードSFか新書か図鑑だ。「恋愛小説はかったるい」といい読まない。小学生のように恐竜図鑑をずっと眺めていたりただ地図を見たり辞書を読んだりしている。音楽はザ・スターリンとかクラシックとか聞いてる。それが 姉なのだ
徐々にそれを知っていく男達は、大抵ラーメンの辺りで引いてゆき去ってゆく。
姉はというと「美味いと思うんだけどなぁ」と頓珍漢な事を言っている。
別に姉は狙ってそういうお嬢さんイメージを植えつけてるわけじゃなく本人は自然体なのだが如何せんひっかかってくる男は誤解するのである。そもそも姉はそこまでして彼氏が欲しくない節もあるのでこれでいいのかもしれないが。分かってくれる奴がその内現れるといいんだがとか思ったりもするんだがつーかそれより俺なんか一度も彼女出来たことないのに人の心配してる場合なのか
いい加減な反応をしておくと、
自由度がないのがいいんじゃん=クラシックスタイルがちゃんと形成されているメンズは至高。素敵だと思わないかねワトソン君。
別に勝つ必要はないし。むしろ勝つな。
僕は逆にスタイルが限定されていればいるほど、スタイルが似ていけば似ていくほどくだらない優越感ゲームから解放されると思わないこともない。エドワードグリーンをはいちゃう方が偉いなんてのは間違いだ。
それはブランドの魔力に過ぎない。スタイルの功罪ではない。むしろ僕はオートクチュール文化即ちオーダーメイド文化だとすら思っていて、体型も金も関係ないさと思えるほどだ。もう市販の服は捨てるんだ。全部捨ててしまえ。
大体もし他のスタイルが格好良いと思うならそれを作って発表してもいい。本物の馬鹿とはそういうことだ。それでこそ脱ヲタだ、そう思わんかね?思ってくれたまえ。それこそがファッションの世界に自由をもたらす。君の良いものを提案するんだ。メンズ版川久保玲になれ。
しかし、服の種類が少ない、遊びが少ないという点では同意もしなくてはいけないのかもしれない。価値観が少なすぎるという点でも。雑多さか。でも、メンズ用スカートもないことはない、ないことはないんだ。金か労力さえ払えば。
となると問題は、金と価値観の問題だろうか。基本的にメンズファッション界は保守本流っぽいのも否めないかな。どうだろうそこんとこ。
へんてこりんな服を買おうとすると、需要と供給のバランスの問題で金が掛かるのは事実。だがそれが、レディースには無い、何故か、彼女たちの服はへんてこりんだから。×
彼女たちのスタイルが多用だから。とすると、どうだろう。何故彼女たちのスタイルは多様なのだろうか?
個人的にもバリエーションの多様さと価格比はレディースに比べて悪いと主張した事はある。
でも、それが何故発生したのかはあまり考えてこなかったな。
なんとなく彼女たちの消費活動が速いことを理由にはしていたのだが違うかな(シーズンごとに服を買い換えるため)。
くだらない結論から言うと、金掛けろと。現状だとそんなところか。お金落とさなきゃ始まらないよなんて糞いい加減な発言しか出来ないわ。
男だって金掛ければ変な服一杯買えるよ。気にするなよ。
メンズにある程度硬直した価値観があってもいいじゃない。それでも多様性は受入れられるし、実際受入れられてるよ。
ただ、今までの作り上げてきたものが案外偉大だった、それだけさ。
お金を掛けて、それこそ着る事による主張をして、変えていくのが君のやる事なんじゃないのかい。愚痴って金掛けずに面白いもの着たいというのはそれこそファッションに興味が無かったということさ。
差異化ゲームを制しないでもいい、本当に好きならばCPや他者評価なんて気にせずに、馬鹿になってほしい。
差異化ゲームを制したいのなら、割に合わない行為だ。むしろその行いは差異化ゲームを超越または放棄するからだ。だがそれこそ真にファッション的なる行為なのだと、そう感じないかねワトソン君。
脱・現在の価値観を行なってこそ、ファッションではないかね。例えそれが現在のお手軽なファッションでなくても。
信じる道を進みたまえ。ファッションは君と共にある。
差異化ゲームをどうにかしたいだけならそれこそ脱ヲタクファッションをしていればいい。ただそこに真にファッション的面白みはない。あるはずもないのだ。
脱ヲタクファッションはいわば単調なマニュアル。確実なところまでしか橋は渡してくれない。橋は渡さない。それでいいのだ。脱ヲタクファッションとはそういうものなのだ。
そこから踏み込むかどうかは我々の判断に委ねられているのだ。そういうところも全部ひっくるめてファッションなのだ。だから、ファッションは面白いのだ。
トートロジーちっくだなぁ。まぁいいか。