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はてなキーワード: こんにちはとは

2009-01-03

21世紀も8年目になったし、そろそろ作るべきだと思う2つの挨拶

「A社のtomiyasと申します。おはようございます!」

朝の電話挨拶としては、どのような相手でも上述の形で問題ないだろう。

ただ昼・夜に電話をする際には、そう簡単にはいかない。

「A社のtomiyasと申します。こんにちは!」

これだと相手によっては軽すぎる印象になる。「こんばんは」にしても同様。

仕方ないので、丁寧に話す場合にはこうなる。

「A社のtomiyasと申します。いつもお世話になっております。」

この『いつもお世話になっております』が気に食わない。お世話になっているか否かは挨拶ではない。

というわけで、日本語としてこの2つを早く認めて欲しい。

こんにちはございます。

・こんばんはございます。

2008-12-14

こんにちは

初めて書き込みます。練習です。

2008-11-30

こんにちはこんにちは

これからも増田をよろしくね!

よろしくね!

ぼくはますだちゃん!

2008-11-29

[]はてなハイク観察記 27

気がついたらずいぶん間が空いていた。

ハイクは見てたし、しばしば気になることがあったりもしたけど、グルグルと小難しく考えてるうちにまとまらなくなって書きそびれていた。

ここはひとつ肩の力を抜いて少し軽い気持ちで見たまま思いついたままの雑感を久しぶりに書いてみようと思う。

これまで何度か引用などをさせて貰っているダイアリーに少し前に下記のような提案があった。

お観察さんは「仮定したケース」ではなく、お観察さん自身のハイクの使い方やモチベーションをケースにすればいいと思った。

それとの比較によって「違和感」がはっきりしてくるんじゃないかしら?

(※うどんダイアリータイトル。旧「こんにちは婦女暴行おじさん」が改名したもの)

私自身のハイクの使い方というと少し話が狭くなると思うので、私のハイクの捉え方を出発点に考えてみようと思う。

■私のハイクの捉え方

そうは言っても私のハイクの捉え方は非常にシンプル

ハイクミニブログ」それだけ。

自由に好きなことを書く場所っていうことだけ。

規約に反したり、公序良俗に反したりというような明らかに問題があるようなことさえなければ何でも良いと思う。

以前もこの観察記でも書いたが「真っ白なノート」というのが一番適当だと思っている。

ユーザーがそれぞれにそれぞれのノートを持っている。

そこに日記だろうが、写真だろうが、動画だろうがなんでも書き込めばいい。

それこそ議論したければすればいいよ。

それぞれがそれぞれの思ったように使えばいい。

それが私のハイクの捉え方。

■どこに違和感を感じるか

先のハイクの捉え方を踏まえたら、違和感のもとは拍子抜けするくらいあっさりと分かった。

前々から何となくは気づいていたけど。

結局何か「型」にはめてしまうようなことをしてるのを見ると違和感を感じるんだろうね。

とりわけ誰かが作った「型」を人に押しつけようとしている時に特に違和感を感じるみたい。

「こうあるべき」とか「こうしなくてはいけない」みたいな感じで。

例えば「長文は書かないべき」とか「使えないキーワードは作るべきではない」とか。

あとそれが転じて発生するルール管理やその一環のとしての自警行為みたいのもちょっとなって。

そもそも「ルール」自体が明文化されてないし、曖昧だし。

その手のは例の「ユーザーh」の件以降はほとんど無いみたいだけど。

ただ、以前書いたけど、極端なことは控えるみたいな他ユーザーへの気遣いはあっても良いと思う。「公共」の場だし。

取りあえず違和感についてはそんな感じだろうか。

■「こうあるべき」「こうしなくてはいけない」

この辺で突っ込み入れていくのって結局繋がりを意識した結果なのかなとふと思った。

「繋がること」が命題化してしまった結果というか。「繋がること」が当たり前みたいになってしまった結果というか。

ハイク全体がひとつのコミュニティ」みたいな捉え方をしてしまうとそうなりやすいのかもしれない。

ほんとは全然そんなこと無いのに。

こうなってくると確かにもはや「ゆるい繋がり」とは言えないのかもしれない。

色々尻切れトンボになってるけど、長くなってきたから続きは次回にでも。

少しずつ色々思いついてきたので。

2008-11-28

新しいはてブ

http://b.hatena.ne.jp/entrylist?sort=hot&threshold=3&of=100

新しいはてブ仕様

はてブの中身が変わっちゃうだろうから言っておくと、はてブの"次の50件"とかのリンク

進んでいくと、「こんにちはこんにちは!」のalertが表示される。

http://s03.megalodon.jp/2008-1128-1124-37/b.hatena.ne.jp/entrylist?sort=hot&threshold=3&of=100

魚拓

http://b.hatena.ne.jp/t/%22%3E%3Cscript%3Ealert(%22%5Cu3053%5Cu3093%5Cu306B%5Cu3061%5Cu306F%5Cu3053%5Cu3093%5Cu306B%5Cu3061%5Cu306F%5CuFF01%5CuFF01%22)%3C/script%3E

↑これが原因か。

今、注目エントリーで「次の50件」をクリックしたら「こんにちは こんにちは!」ってダイアログが表示されたんだけど、はまちやさん何かした?

2008-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20081120221250

バスに乗ったらさ、知的障害児らしき子供が、通常学級らしき別の子供たちによってたかって

「座席に座るときはありがとうやろ!」「朝の挨拶こんにちはやなくて、おはようございますやろ!」「お前のためを思って言ってやってんのやぞ!」

と一般常識を説かれてた。あの子供たちのやっていることも社会貢献かな。

あの子供たちは障害児相手にストレス発散の魂胆があったのだろうけど、言葉面だけは正しいこと言ってるから正義なのかな。

あーそれだ。うまく表現できなかったのでもどかしかったんだけど的確な例えをしてくれている人が居た。連中荻野にやったこととこれは大差無いよな。社会で一般的に良いこと・正しいこと、とされている事さえ取り繕っておけばあとは何やっても免罪符になると思ってるんだ。

2008-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20081120200744

バスに乗ったらさ、知的障害児らしき子供が、通常学級らしき別の子供たちによってたかって

「座席に座るときはありがとうやろ!」「朝の挨拶こんにちはやなくて、おはようございますやろ!」「お前のためを思って言ってやってんのやぞ!」

と一般常識を説かれてた。あの子供たちのやっていることも社会貢献かな。

あの子供たちは障害児相手にストレス発散の魂胆があったのだろうけど、言葉面だけは正しいこと言ってるから正義なのかな。

2008-11-18

CGデザイナーになるには具体的にどこの大学に行けばよいでしょうか

こんにちは

現在高校2年生理系のものです。

私はCGデザイナーになり、大手のゲーム会社か、映画関係仕事をしたいと考えているのですが、進学する大学が決まりません。

CGデザイナーになるにはデッサン力が必要で、ゲーム会社就職するには面接の際に作品を何点か提出する必要があるそうなので、デッサンを学びつつCGも学べる学校に進学したいのですが、調べても日本電子専門学校、高度コンピューターグラフィックス科などのような専門学校しかありませんでした。

大手の会社では大卒でないと入社試験を受けることのできないところがあるなどや、専門学校は基礎が学べないと良く聞くので、できれば国公立または私立の大学にしたいのですが、国公立または私立の大学デッサンCGについて学ぶことのできるところはあるのでしょうか?

もしあるなら何校か候補を出していただけないでしょうか?

美大は親に反対されていて、自分理系なのでなしの方向でお願いします。

2008-11-09

[]はてなハイク観察記 25

前回のエントリーが下記のダイアリーにて言及されていた。

こんにちは婦女暴行おじさん

以下の引用は上記のダイアリーより。

仮定を駆使して一般論作り上げるのはまずいんじゃなかろうか。

仮定って検証しなきゃどーしよーもねーんじゃね?


至極ごもっともな意見

改めて読み直してみると、単純に個人の雑感として書く分にはまだいいかもしれないが、仮にも「観察記」と銘打つ文章としてはズレがありすぎた。

また主張に対する論拠も仮定中心だったため不明瞭だった。あれでは「思い込み」と言われても仕方がない。反省

ちなみに前回書いた、

人となりが影響しないほど、有無を言わさないほどのクオリティエントリーをPostしている人なんてそうそういないしね。

観察記24

この「人となり」というのはPostした人間の人となり。

「Postした人間に対して何らかの悪印象を持っている人でさえも、星を付けてしまうようなエントリーってそうはないんじゃないか?」

ということを言いたかったわけだけど、確かに「そうそういない」も仮定でしかないので主張としてはイマイチだった。

暗黙のルール」と「ゆるい繋がり」そして「スター」、この三つの関連性は強く、これがしばしば起こるような問題とも関係があるんじゃないかと私は踏んでいるのだが、今のところ明確な根拠を見いだせていない。

前回に書いたような仮説は幾らでも思いつくんだけど、それを列挙するだけでは前回と同じ結果になってしまう。それでは意味がない。

難しいね。取りあえずこの件は保留にしておこう。

2008-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20081108131008

いや違うんですよ、「笑った方が可愛い」ってフレーズにのみ反応して、ちんたら書いてたら、最新 25件がさっき見た最新 25件と全然違うことになってて、しかもトラバURL キープするの忘れてて、過去ログ辿って再捜索するほど関連性も高くないしまいっかーそのまま送信しちゃえぽちっとなった次第なんです。で、URL 貼り付けるつもりだったタイトル欄が寂しかったから、それをはしょってタイトルにしただけなんですよ。

どの増田と混同されたか正直まだ見当付かないんですが、本日明けてからならこれ(このツリーのトップ)が初増田です、こんにちは

追記:とりあえずその消されたエントリに反応した確率がとても高いところまでは判明したけど、ログ見たらこの話題に対して増田入り乱れ状態で、結局どの増田を指して同一人物とみなされたか判別できなかった。

あと、はじめは作り笑顔でも数年やってれば板に付くもんらしいので、自分が信じる先の境地としては、100% 意図的というより、意図的に作ったことを自覚するプロセスが無いほど自然に出せる笑顔、すなわちある意味自然笑顔と言い表した方がしっくりくるかも。さすがにそんなグラビア的な笑顔を身につけようって気概は無いけど、自分がニコニコしてると思ってる時、相手もこいつニコニコしてるって思ってもらえるくらい思いの差を縮められたらいいなあと思ってる。いつか。

2008-11-07

非モテとか言う前に挨拶

こんにちは、自称非モテ増田諸氏。

挨拶ちゃんとやってるか?

常識すぎて大人は誰も言ってくれないかも知れないが、結局は挨拶がきちんと出来る人が愛されるんだ。

こんにちは、いいお天気ですね」

この言葉自体にはあまり意味はない。でも意味がないからしなくていいという訳ではない。

なぜならこの挨拶には跳び箱を飛び越える為のスプリングの役目を果たしているからだ。

スプリングがなくても段数が低いうちは飛べるかもしれない。

でも跳び箱の段数が上がるにつれて(つまりより深い会話をしたくなるにつれて)このスプリングを上手く使える人がより高く飛べるという訳だ。

逆に言えばふだんから挨拶魔になっておくと──スプリングを使う練習を積んでおくと、いざというとき楽に跳び箱を飛び越えられる。「あの人はいつも挨拶してくれるからよく知らなくても親近感がわく」のだ。

それに人間はバカじゃないから、はじめは

こんにちは

しか言えなくても、そのうち慣れて付加情報を加えたくなる。これが「会話力」というものになって行く。

おはよう」「こんにちは」「お疲れさま」

この言葉をバカにしちゃいけない。

試しに職場で、学校挨拶魔になってみろ。最初は「あの人急にどうしたんだろう」と思われるだろうけど、3日もすれば双方ともに慣れる(顔を会わす度にやれば3日もかからない)。

常識すぎて大人は誰も言ってくれないかも知れないが、結局は挨拶がきちんと出来る人が愛されるんだ。

大事な事なので2度言いましたよ。

2008-11-06

http://anond.hatelabo.jp/20081106011942元増田です。こんにちは

青魚は寿司うまいから困る。

http://anond.hatelabo.jp/20081106012742

青魚うまいよね。うちの地元でも回転寿司は基本青魚。秋刀魚はもちろん、鰯、鯖、鯵なんかも外せない。

回転寿司で食えるのはマグロサーモンだけじゃないぞ、と誰かに教えてあげたい。

やっぱり,普通,焼き魚するときに内蔵取らないよねー?

http://anond.hatelabo.jp/20081106015348

秋刀魚は取らないけど、他は取るかな。内臓食べないし。

どっちがいいんだろうね。

2008-11-05

日本は侵略国家であったのか」を読む 補遺

http://anond.hatelabo.jp/20081101232814

 こんにちは元増田です。

 その後、台湾外交部からも抗議声明が出されたようです。

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20081102-OYT1T00492.htm

 しかし、田母神氏ご本人は、「誤っているとは思わない」「(論文の内容について)今でも間違っていない」、

http://www.asahi.com/national/update/1103/TKY200811030159.html

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081103-OYT1T00526.htm

とおっしゃっておられるようであり、

近現代史の一面的な見方を見直そうという動きが各方面から起きていたが、その象徴的論文

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081103/plc0811031834005-n1.htm

という新聞もあるので、ネット上にある反論ソースをあげておくのも意味ないことではないと思い、対中外交について落ち穂拾いをしてみます。今回もネット上にあるものだけを参照しており、私はこの時代の一次史料を読んでいませんので、「ちらしのうら」であることに変わりはないですが、根拠を何も示さない所論よりはましだと思っています。

日本は・・・(中略)・・・相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない」のか

見出し引用の出所は、田母神俊雄日本は侵略国家であったのか」2008年

http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

それでは、公開されている次の論文を紹介する形で反論します。

古屋哲夫「対中国政策の構造をめぐって」『近代日本における東アジア問題』古屋哲夫山室信一編、吉川弘文館2001年、をPDFHTML化したもの(単行本にはあたっていないことをおことわりしておきます)。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/pdf/75.PDF

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 まず、日露戦争後の日本中国権益についてみてみましょう。そもそも初期条件は清の関与できない日露両国の話し合いで設定されました。

日露講和条約によって日本が獲得した在満権益とは、ロシア権益の残りの期間を、「清国政府ノ承諾」を条件として、譲り受けたものであり、具体的には 1923年大正12)に満期となる(露清原条約の期限が25年)遼東半島租借権と、運転開始から36年後の1939年昭和14)年に中国側に買戻権が生ずる南満洲鉄道経営権を中心とするものであった。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 清の事後的同意が必要とされたこと、租借権と経営権には期限が設けられていたことは留意されるべきでしょう。

 後の関東軍へとつながる駐兵権の話も、この段階で出てきます。

それは清国の了解なしに、その主権を侵害する鉄道守備兵駐兵権を設定したものであった。それは現に軍隊存在しているという既成事実を権益に転化させようとするものであり、日露両国は清国の主権侵害の共犯者となったことを意味し、また、以後の満洲支配についての日露共同行動の可能性をしめしたものでもあった。ところで講和条約ロシアから日本への権益の移転譲渡は、「清国政府ノ承諾」を条件とするとしており、それにもとづいて、1905年11??12月にそのための北京交渉が開かれたが、そこで清国側がもっとも強い反発をしめしたのは、この鉄道守備隊の問題であった。・・・(中略)・・・結局この問題は日本側が、ロシアが撤兵を承諾したときには、日本も同様に撤兵するという条件を付けただけで押し切ってしまうが、小村寿太郎全権は、ロシアの撤兵など起こりえず、したがって日本の撤兵もありえないものと考えていた(5)。この鉄道守備兵が、租借地守備兵とともに、後の関東軍を構成することとなる。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 先に既成事実があって後に法的に問題を確定させようとしていることは留意されるべきでしょう。

このようなやり方が、相手側に不満を生じさせ、後の紛争の種となるのも当然でしょう。

日露講和後の清国に対する交渉において、もっとも紛糾したのは、前述の駐兵権問題についで鉄道権益をめぐる問題であった。・・・(中略)・・・その結果、1905年12月に調印された、「満洲ニ関スル日清条約」(実質的内容は附属協定)では、吉長線も新奉線も協定附属の取極に譲らざるをえず、前者は清国の自主建設により、資金の不足分を日本からの借款による、後者日本から清国に売渡し、その改築のための費用を日本より借り入れる、という譲歩をよぎなくされている。結局協定本文には、安奉線が残されただけとなったが、これも軍用軽便鉄道商工業用に改良することは認めるが、18年後には清国に売り渡すべきことが規定されていた。それは安奉線についての日本の権利が、長春旅順間の鉄道とは全く異なるものとして協定されたことを意味していたが、日本側、とくに現地の実権を握る陸軍は、条約には目もくれず、安奉線を駐兵権や附属地を持つ満鉄の支線とすることを 実力で押し切ろうとしていた。

 実際に、満洲よりの日露両軍の撤兵期限である1907年明治40)4月になると、遂に、安奉線上の本渓湖の市街に新たに日本軍が進出し、同時に日本警察官出張所が設置されたとして、清国側からの抗議が提出された。これは前年8月陸軍が主導して在満権益を管轄するために設立された関東都督府(都督は陸軍大将または中将、初代は 大島義昌大将)が、既成事実を作り出しはじめたことを意味した。そして外務当局もこれを追認する態度を示している。日本側のやり方を条約違反とする清国の抗議に対して、同年5月18日林董外相は、安奉線は満鉄の支線であり、守備隊の駐屯や警察官派遣の権利も満鉄と同様だとの態度をとるよう奉天総領事に指示している(7)。それは条約よりも既成事実押し通せ、ということであり、対満洲政策の一つの性格が早くも形作られつつあったことを示している。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 上記のような「条約よりも既成事実押し通せ」という態度は、国際法にのっとった正当なものと言えるでしょうか。

軍と外務当局との関係については、一致することも異なることもあったでしょうが、ここでは両者ともに既成事実化をはかっています。

軍だけに責任を負わせることはできません。

安奉線が朝鮮半島満洲を直結するものとして重視されたことはいうまでもないが、日本側は他面では、韓国北東部に隣接し多数の韓国人が居住する間島地方に、領事館及分館を設立して、韓国人に対する領事裁判権を行使することで、日本の勢力を浸透させることを企図していた。そして清国側が容易に実行しないことを予期しながらも、日本希望を記録しておく意味で、前記「間島ニ関スル協約」に、清国が吉林から間島を経て韓国北部の会寧に達する鉄道建設する際には、吉長線と同一の弁法によることという一項を押し込んでいる。しかし中国側は辛亥革命後も、一貫してこの吉会線構想を拒否しており、満洲事変以前には交渉が成立する見込みさえも立たなかった。

 つまり、日露戦後の対中国政策は、その基礎に、「交渉」によっては解決しえない部分を抱えこむ形で出発しているのであり、この時点においてすでに、中国との平穏な交渉によって、利権拡張を図ることは不可能になっていたと言える。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 ここまであげてきた行為から、相手国の了承などどこ吹く風といった態度があったことは明らかではないでしょうか。

 つづいて、中華民国期に入ります。

ところで日本が主導しえなかったこうした〔引用者注辛亥革命以後の〕経過の中でも、日本の対中国政策のなかに、様々な特徴が蓄積されてくる点に注目しておかなくてはならない。その第一は、中国全体の情勢を制しえないならば、むしろ分裂を促進して日本が操作しうる地域を造りだそうという発想が生まれてきたという点である。たとえば、在清国公使伊集院彦吉は、1911年10月18日の時点で、清朝にもはや中国全土を統治する力はないとして、「中清ト南清ニ尠クトモ独立ノ二ケ国ヲ起シ、而シテ北清ハ現朝廷ヲ以テ之カ統治ヲ継続セシムヘシ」「何レノ途北清ノー角二清朝ヲ存シ、永ク漢人ト対峙セシムルハ帝国ノ為得策ナリト思考ス(10)」 との意見外相におくり、さらに11月19日になると、清朝の情勢がより困難となりこの三分案の見込みもうすれたとし、第二案として清朝をして「十八省以外満蒙等ノ地域」に国を保持させる、それも駄目で清朝滅亡の際には第三策として新共和国首都を武昌など中国中央に置かしめ「満蒙ノ地域ヲ遠ク辺外二置キ漸ク閑却セシムル(11)」との意見を具申している。それは親日地域の確保のための中国分割という発想に行き着くことになろう。さらに翌12年2月になると、いわゆる大陸浪人川島浪速らが、参謀本部関東都督府と連絡しつつ、北京より脱出させた清朝親王を擁し、蒙古の王公らをも参加させて、満蒙独立国を造り出そうとする画策が実際に行われるに至っている。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

ここでは、一外交官、一大陸浪人の例しかあげられていませんが、後にみるように、国の分裂を促進させようというのは国の政策となっていくのであり、その萌芽がみられることは留意しておくべきでしょう。また、ここでも軍のかかわりがみられるようです。もちろん、他国を分裂させようというのは、相手の了承を得た、国家間の条約を尊重する態度とは言えないでしょう。

この間〔引用者注革命後、1910年代前半の中国情勢の混乱〕に付加された対中国政策における第二の特徴として、中国現地において日本軍人が侮辱されたと日本側が解釈した場合には、「原因の如何にかかわらず」、中国側に責任者の処罰と謝罪を行わせて、日本軍威信を守るという方式が打ち出されてきたことに注目しておかなくてはならない。いわゆる第二革命の 時期に、日本人が被害を受けたとする、漢口・エン州・南京の三事件がおこっている・・・(後略)・・・

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 漢口事件について、古屋論文に基づき、要約します。

 まず、陸軍少尉中国軍の制止を無視して戒厳地区に進入し、一時抑留されました。

 軍からの報告は、「無抵抗の西村少尉らが、理由もなく暴行を受け、軍服をぬがされるなどの侮辱を受けた」というものでしたが、日本の総領事は「これを信用せず、自ら調査して西村らの横暴と暴行について牧野伸顯外相(第一次山本内閣)に報告」しました。しかし、「陸軍中央部は、現地の調査も行わずに、「日本将校凌辱事件」として」、謝罪と賠償利権を要求し、結果として中国側に処罰・謝罪させたものです。

 古屋論文は、このような事例が満洲では蓄積されていたであろうことを指摘し、「このような先例の蓄積は、「日本軍威信」の確保を第一義とするという条件によって、日本の対中国政策が実質的に拘束されるようになってゆくことを意味していた。そしてその翌年の第一次大戦への参戦は、対中国政策にさらに決定的な影響を及ぼすこととなった」と評価しています。

 交渉ごとにおいて、譲歩できないものを必要以上に多くすることは、カードの手札を事前に少なくしているのと同じではないでしょうか。

 つづいて、第一次大戦下の部分をみていきましょう。

第一次大戦下で目に付くのは、前述した鉄道付属経営権や、軍の威信を確保する事件解決方式など、条約面に現れない既得権の高圧的行使や、軍を背景とし、あるいは軍に依拠した陰謀的行動の横行であった。とくに袁世凱が自派による帝政運動組織し、1916年1月1日帝位について洪憲元年と称したのに対して、反対派が第三革命に立ち上がるという事態に対応して、大隈内閣が反袁運動支援の方針を決定したことは、こうした傾向を著しく促進することになった・・・(中略)・・・この〔引用者注内閣の〕方針は具体的には「適当ナル機会ヲ俟テ南軍ヲ交戦団体ト承認スルコト」などをあげているが、実際には山東に居座った日本軍(侵攻以来ワシントン会議後 まで7年以上駐留)や、満鉄守備隊を含む関東都督府の現地軍が関与あるいは支援したことが、最も重要であったと見られる・・・(中略)・・・大隈内閣の反袁政策は、結局のところ、現地日本軍と其の周辺の日本人の横暴への反感を広めただけに終わったようにおもわれる・・・(中略)・・・第一次大戦下の日本の対中国政策は、侵略性の膨張として特徴づけることができるが、列強のすべてが参戦し、中国に手を出すいとまがないという条件のもとで、初めて実現したものであり、従って戦争の終結とともに転換を迫られることは必至であった・・・(中略)・・・日本軍は、青島を攻撃・占領する以前に、ドイツ兵に守られているわけでもない中独合弁の私立会社経営する山東鉄道を占領(26)しているのであり、日本の参戦がたんにドイツ軍事力の打破のみでなく、新たな権益の獲得を目指していることは明らかと見られた。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 ここでは、中国の内部分裂を促進させる政策を内閣採用しています。政治が、権謀術数やパワーゲームというのはその通りなのかも知れませんが、これに対する中国の、その民衆の反発は至極まっとうなものでしょう。ベルサイユ講和会議における中国の要求が退けられたことから、五四運動へとつながります(中国ベルサイユ条約への調印を拒否しました)。周りにいくら根回しをしても、当事者同士に納得が得られなければ物事は進みません。

 そして、アジアの国際秩序について話しあわれたワシントン会議では九か国条約が結ばれます。

中国政策全体は、領土保全・門戸開放・機会均等というアメリカの主張を柱とする九か国条約規制されることになり、そこには勢力範囲政策を排除することも明文化されていた。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html


 このような流れのなか、詳細は省きますが、古屋論文では、「国際的に通用しなくなって」きた「特殊権益」、「勢力範囲」にかわり、「満蒙治安維持」という、関東軍の謀略による満洲事変につながっていく「政策理念」が出てくるとされます。

しかしそれ〔引用者注:満蒙治安維持〕は、他国の一部を自国の利益に従属させるという点では、勢力範囲と同じことであり、中国との対等の関係確立するためには、破棄しなければならない要求であった。しかしそのことは、幣原外交においても、ほとんど意識されることはなかったように思われる。

 それは幣原外交もまた、国民の対中国意識のあり方に規制されていたということであろうか。第一次大戦中に強められ広められた中国に対する侮蔑を基礎とする優越感は、大正デモクラシーによっても解体されることはなかったし、さらにその基底では、満蒙を20万の将兵の血と20億の巨費であがなわれた明治天皇の遺産とみる天皇制意識が形成され、大衆呪縛していたことであろう。現地軍における統帥権独立と、国内における大衆中国侮蔑感とは、対中国政策の構造的改造を困難にするものであった。そしてその大衆意識は、満洲事変への共鳴板として鳴りはじめ、状況を一挙に転換させることになるのであった。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 ここまでみてきたような、日露戦争から満洲事変にいたる流れをおさえてなお、「相手国の了承を得」た、「条約に基づいた」と表現することが妥当なのでしょうか。ご覧の通り、日本大陸政策に対する軍の関与は明白ですが、まさか防衛大を卒業された方がこの程度の知識をご存知ないとは思いませんので、あの「論文」の内容とどのように整合性をとられているのか興味深いところです。

 さて、このように、一つの論文をみて、「論文」の一部の所説を検討するだけでも結構な手間がかかります。歴史勉強はそれほど甘くはありません。粗雑な「論」を示して誤りはないと言われても困ります。また、「事実小説より奇なり」ということもありますし、歴史学においては、「神は細部に宿る」こともあるので、個人の感覚からおかしいと言うだけでは有効な批判にはなりません。また、学問においては、勉強が足りずに事実認識が間違っているのは、明らかに勉強が足りないことに非があります。今は勉強不足で根拠が示せないというのであれば、その主張は根拠がないゆえに認めれらないのです。いつか証明されるのかもしれませんが、そのときが来るまでその主張に強度はありません。

 ところで、古屋論文の最後に、「国内における大衆中国侮蔑感」の問題が出てきました。今もまた、中国に対する偏見百害あって一利なしであり、中国の実態を虚心にみつめ、評価しなければならない、と私は考えています。

 その意味で、中国の民衆運動について、興味深い論文をみつけたので最後に紹介します。

しかし,中国民衆のナショナリズムとは,つねにそうした「暴力」をともなうものとしてしか実現されなかったのであろうか。そこには多くの場合,「暴力」の受け手の側からするバイアスがかかってはいないだろうか。一昨年の,「反日デモ」についての日本マスコミ報道が,デモの「被害」を強調し,一面的な批判に終始したことも想起される。「歴史」と「現在」を同時に射程に入れねばならない現代史研究者にとって,そして,民衆の運動対象であったわれわれ外国研究者にとって,必要なのはこうしたバイアスを克服し,実証的に中国の民衆のナショナリズムの実態を注視することではないか

江田憲治「民衆運動ナショナリズム1925年の五・三〇事件を手がかりとして―」『現代中国研究』21、2007年、27-28ページ。http://modernchina.rwx.jp/magazine/21/eda.pdf

 私はこの問題意識に全面的に賛同し、実証的な近現代史の議論が進められることを希望するものです。

またしても、このような長文をお読みになってくださった方に感謝します。

2008-11-03

日本は侵略国家であったのか」を読む 補足

http://anond.hatelabo.jp/20081101232814

 こんにちは元増田です。

 どれだけ厳しい批判が寄せられているだろうかと恐る恐るみてみたら、好意的な反響が多く、胸をなでおろしています。

 増田に書く理由としては、ひとつめ、専門外のことに長く関わるつもりがないこと、ふたつめ、連休の出先で手元に一冊の参考書籍もなく、HDDネット上のソースだけを参考に書いたエントリなど、歴史を専攻したものとして、しかも専門外のものとして、とても胸を張って提示できるものではないこと、みっつめ、それゆえ、ホームに書いたら全て書き換えるほどの修正をせずにはいられないだろうが、その気力も時間もないこと、よっつめ、しかし、あれを「論文」とすることには憤りを覚えたので、せめて学問を知る人にはトンデモトンデモであると伝えてみたかったこと、いつつめ、増田であれば上記の点をそれほど気にやまずに済むこと、このくらいでしょうか。したがって、私のエントリはいわゆる「ちらしのうら」です(文献表記がみにくいのもわざとです。すみません)。私はさくっと書き逃げする卑怯者です。内容がいかがわしいのも推敲が甘いのも全て私の責任です。でも、もろもろの言い訳によって逃げられるものではないですよね。ああ。

 さて、前回のエントリでは、後半にさしかかったときにから睡魔に襲われ、最後は「藁人形叩き」ばかりになってしまいました。ようやく投稿できたと思ったら、字数超過で記事を分割せねばならず、つづきでは田母神氏の論文タイトルを間違えてしまいました。謹んで失礼をお詫びします。いろいろとミスがあろうと手をいれるつもりはなかったのですが、批判する論文タイトルの間違いはいくらなんでもひどいので、訂正します(ついでに「シンガポール華僑粛清事件裁判記録」後編のミスも直します)。これも後出しですが、原文が縦書きの漢数字は、横書きなので適宜英数字にしています。

 では、気をとりなおして「藁人形叩き」ばかりをしていたところに補足してみたいと思います。最後に与太話の蛇足ですが雑感を述べてしめます。

 しかし人類歴史の中で支配、被支配の関係戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

(前回と同じく、はてな記法による引用の出所は、田母神俊雄日本は侵略国家であったのか」2008年http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

 第2次世界大戦開戦の時点であっても、カナダオーストラリア南アフリカなどが自治領化・独立した例がありますね。フィリピンでも独立を前提とした自治領政府が成立していましたね。

 また、どちらかといえば植民地統治体制の比較の話ですが、自治・独立とまではいかないまでも、現地の住民を支配機構採用していく次のような例もありました。

1920年代より英国ビルマに赴任するICS〔引用者注インド高等文官の略称〕に英国人のみならずビルマ人も採用すべく方針を変え、その結果1939年末の段階で、ビルマにおける全高等文官のうちビルマ人は32.8%を占めるに至った」(根本敬「英領期のビルマ人高等文官(ICS/BSC)とタキン党」『東南アジア学会会報』63、1995年、17ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004924657

それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。

 1940年代において、宗主国が疲弊し、植民地独立運動が高揚したのは確かなことでしょう。ただし、歴史学の領分は、「もしも」を考えるというより、その過程をつまびらかにして、それぞれの要因や重要性を検討することにあります。

 まず、開戦の詔書には「東亜ノ安定」「世界平和」「万邦共栄」「東亜安定」「東亜永遠平和確立」という表現はありますが、肝心の戦争目的を述べている部分は、あくまで「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切の障礙ヲ砕碎スルノ外ナキナリ」(「御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国英国ニ対スル宣戦ノ件」1941年12月8日アジア歴史資料センターレファレンスコードA03022539800。引用部分の漢字は適宜新字体を用いました。センターホームページの検索バーに左記のレファレンスコードを打ち込めば該当資料のページへ飛べますhttp://www.jacar.go.jp/)ということであり、「アジア民族解放」、「植民地解放」、や「独立」といった文言は一切ないことを指摘しておきます。文面上はまさに自存自衛の戦いをうたっており、解放約束は明文上ではなされていません(ちなみに、みればわかりますが「八紘一宇」もないです)。では、実際、アジア諸国にどう接し、現地住民はどう対応したのか、前回は文献名をあげただけのものから少し引用しておきます。

ビルマ1943年8月1日主権を有する独立国家となったが,真の独立を求めるビルマ人にとってそれは,’’偽の独立’’,’’メッキの独立’’にすぎなかった。ビルマ人は,独立が’’空虚’’であることを知っていた。この当時の日本人に対するビルマ人の態度は,「愛していなくても我慢して接吻する」ようなものであった」(大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、360ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf原文の注の番号は引用者が削除しました。以下の引用文でも同じ)。

日本の『朝日新聞』は、この作戦について、「皇軍航空部隊の空襲は一見、印度民衆の苦難を一層増大せしめるかに見えるが、爆弾の雨の中に、皇軍印度独立運動に対する無限の慈愛と支援が含蓄されている」と書いていた。まことに「含蓄」の深い論評だったと言うべきであろう」(中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要東京大学)』151、2007年、190ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf)。

「本稿では不十分ながら、日本大東亜共栄圏アジア主義プロパガンダが、そして、その大枠の中で動いたチャンドラ・ボース等の活動が、インド社会との接点を持てずに、空回りしていたことを明らかにしえたのではないかと思う」(前掲中里論文、195ページ。ボースたちについては、197ページの注6、200ページの注22、202ページの注26、208ページの注80も参照)。

 インドネシアフィリピンベトナム抗日闘争について、詳しくは論文本文を読んでいただきたいのですが、結論としては、

「要するに、東南アジア諸国の反植民地民族独立運動は、太平洋戦争日本の侵略によって生じた情勢やその他条件を、主体的、積極的に活用して日本に対応し、戦前に比して飛躍的な成長を遂げた。そして、このことは、戦後における東南アジア諸国の民族独立運動の高揚や民族独立の達成の決定的要因となった。この意味において、太平洋戦争日本の侵略は、東南アジア諸国の民族独立運動史における一大転換点であったということができよう」(谷川榮彦「太平洋戦争東南アジア民族独立運動」『法政研究九州大学)』53(3)、1987年、395ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870原文にあった傍点は除いた)。

 以上でつっこみの補足は終わりです。現下の情勢については特に言及しません。

 さて、今回のエントリ執筆目的としては、可能な限り速やかに「論文」が論文になっていないことを示すことでした。大事なのは「内容」とおっしゃるのは結構ですが、学問的に批判可能な形式(もちろん既存の研究にとらわれない革新的な独自形式でも、読者に史料を提示できればかまいません)をとらないものは、「無敵な人」の独自な「歴史観」の告白にすぎないでしょう。それに価値を認めるのは個人の自由ですが、学問教育の場に持ちこむのはお門違いです。そのような姿勢では、いつまでたっても歴史学における扱いはトンデモのままですよ。もちろん、大学研究所にいる専門家でなければ歴史の話をしてはいけないということではないです。「昭和史論争」を引き起こしたのは歴史研究者ではありませんでした。しかし、自己見解教科書にのるような通説となさりたいのであれば、専門家と同じ舞台に立ち、その批判に応答しなければならないでしょう。「つくる会」はその舞台に立つ気はないと宣言した結果どうなっているでしょうか。今なら学術雑誌に投稿しなくても、インターネット上でいくらでも長文の論文発表できますよね。

 一般に、歴史研究者は、四年生大学で専門的なトレーニングを受け、さらに修士課程二年間、博士課程三年間以上を費やして史料を読み込み論文を紡ぎだしています。それでも、個々の論文の結論で言えることはささやかなことです。また、研究会学会書評などの形でお互いに切磋琢磨しています。それぞれが広範な史料に目を通しているからこそ、個々の研究がその時代の歴史像のどこに位置づけられ、どの部分がその時代の特徴をよくとらえられているかを議論できるのです。自分の個別研究歴史研究の大きな流れのどこに位置づけられるのかをとらえるため、歴史を学ぶ標準的な手順としては、まずは先達がエッセンスを詰め込んだ教科書、概説書を読み、そこから主要な研究文献やレビュー論文目録等を漁って研究史をたどり、そこで用いられている史料を読み、先人の研究の妥当性を検討したり自己の問題関心を追求していくのです。木簡のように新しい史料が見つかったり、機密文書が公開されたりして史料が増えれば、それがどのように従来の見解に修正を迫り、新たな知見を付け加えるのか議論します。そのような積み重ねのなか、通史は更新され、教科書記述も変わっていきますが、このことをもって歴史は定まりないものだから最新の研究成果も独自研究も変わりないということは的外れでしょう。それはかえって科学としての歴史学が機能している証拠にほかなりません。

 さて、歴史学者全体がイデオロギー的に偏向している、現行の教科書自虐史観マルクス主義史観に基づいているという「つくる会」の主張もありますね(それでいて『国民歴史』のように、専門家研究から剽窃したりするの会員もいるのは厚顔無恥ですね。参照、尾藤正英『日本文化歴史岩波新書2000年あとがき)しかし、戦後長く標準的な高校教科書として採用されてきた山川出版社の『詳説世界史』の執筆者には林健太郎(故人への敬称は略します)が含まれていました。日本史にしても伊藤隆氏が編者であった『近代II』を含む、『日本歴史大系』山川出版社、1984-90年、が、受験前に初めて読む通史だった私などには、学会の主流がマルクス主義史観など妄言にしか聞こえません。岩波だから駄目などという意見も見ることがありますが、最新の『岩波講座世界歴史岩波書店、1997-2000年、では、古代中世近世近代という時代区分はもはや採用されていません。そもそも研究の場では、評価は自分の目で確かめてから下すもので、事前に確定できるものではないのです。

 私が前回あげた書評にこういう記述があります。

「いずれも〔引用者注:本文でふれられている臼井勝美氏、酒井哲哉氏の研究のこと〕,侵略の時間連続性〔引用者注満洲事変から日中戦争へ〕を,陸軍の遠心性,すなわち現地機関の好戦性や暴走に帰さない画期的研究であった」(加藤陽子書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、67ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。

日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する」なんて本質論は、学界ではなされていませんよ。人事面でも、システム設計運用面でも、上部の問題は大きかったですよね。私みたいなものにも自衛隊に信頼できる友人はいますので、余計に上が軍の失敗を反省するそぶりもみせないのは問題と感じるわけです。

 最後に、余計なお節介でしょうが、歴史学入門、史学史についていくつか参考文献をあげておきます。ご興味のある向きは手にとられてみてはいかがでしょうか。

小田中直樹歴史学ってなんだ?』PHP新書2004年。(CiNiiの定額許諾を契約している大学関係者は、下敷きとなった論文DLできるかもしれません。私は今DLできる状況にないので保障はしません)

小田中直樹言語論的転回歴史学」『史学雑誌109(9)、2000年

http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0002622266

歴史科学協議会編『卒業論文を書く―テーマ設定と史料の扱い方』山川出版社1997年

永原慶二『20世紀日本の歴史学』吉川弘文館2003年

 今まで述べてきたような研究の積み重ねに対し、自説の根拠もまともに示さずに自分の意見を広めたいと主張する行為がどういうものか、一度お考えになっていただけたら幸いです。

 また見苦しい長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

(追記)さすがに人名の誤記は看過できないのでミスを修正しました。

(再追記)引用文の出典が抜けていたのも直しました。すみません。

(再々追記)直ちに答えられるトラバをいただいたので応答します。ホロコースト研究の進展について次の文献を参照してください。

健介ホロコーストニュルンベルク裁判」『史論(東京女子大学)』55、2002年http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008575897

ある意味テロ

<script>alert("こんにちはこんにちは!");</script>

っていうのを、バンド名か曲名にしてCD出したり、書名や著者名にして本だしたりしたら

どれくらい世の中がこんにちはこんにちは!するかな。

2008-10-31

はてなブックマーク発表会へのご参加につきまして

はてなブックマークリニューアル発表

参加希望の皆さま

こんにちははてなスタッフのXXと申します。

このたびは、はてなブックマークリニューアルに際しての

メディアブロガー向け発表会に参加希望をいただき、

誠にありがとうございました。

最終的に80名の方からご応募をいただき、検討しました結果、

残念ながら、今回はお席をご用意することができませんでした。

大変申し訳ございません。

発表会の内容につきましては、後日、各メディア

ブロガーの方からのレポートや、はてなによるスライド

動画の公開をお待ちいただければと思います。

また、いただきました質問内容につきましても、

当日の発表内容の参考とさせていただきます

貴重なご意見をいただき、誠にありがとうございました。

今後とも、はてなブックマークおよびはてなサービス

よろしくお願いいたします。

2008-10-27

http://anond.hatelabo.jp/20081027202539

こんにちは増田Q&Aです。

除籍でもない限りは、在籍していた証明書はありますよ。

ただし大学により手続きはことなりますので、そちらへお問い合わせください。

2008-10-25

[]はてなハイク観察記 21

前回はやや短絡的に雑感を述べてしまったような気がするので、

トラックバックエントリなどを読みつつ、また少し考えてみようと思う。

ユーザー「h」の件に関しては、正直なところ、現時点でもどうすることが正解かは私にはよく分からない。

結果的に運営がハイクの利用停止という措置を取ったことはいささかスッキリはしないが、即効性を考えたらやむなしとは思う。

また一部ユーザーが通報という手段を取ったことに関しても、以前から書いているように問題ないと思う。

やはり何度考えても引っかかるのはそこに至る経緯なのよ。

結果論ではあるけど、[観察記19]で書いたように、ある程度の対話を交わし、

論議が平行線に向かう兆候が見えたところで「h」と距離を取り、通報し運営の判断を待てば良かったのではないかと個人的には思う。

感情にまかせた罵倒や、「つきまとい返し」、idページ等での通報の途中経過の仄めかしをせずに、だ。

前回のエントリトラックバックにて、

ハイクは機能として、拒否アカウントの設定とかできないし、

Greasemonkeyでのユーザー拒否なんかも、結局ユーザーが作ってる「裏技」でしかなくて、はてなが用意した機能じゃない。

ハイカーが自発的にhをなだめたり説明したり、それができなかった結果、排除しようと様々な実力行使に出ざるを得なかった。

http://anond.hatelabo.jp/20081022174220

とあったけど、機能としてユーザー拒否ができないからといって、どうしてユーザー側が「排除」するための「実力行使」が必然となるんだろう?

仮に機能面での不備があったとして、そのことがユーザーの「実力行使」による「排除」を正当化する理由にはならないと思うのだけれど。

続いて、

運営側が何もしないのであればユーザーが何かしら行動を取るしかない。

はてな側の運営の怠慢(拒否アカウントの設定)をユーザーが補完してる形だ。

とあるけど、運営側は何もしていないわけではなく、ユーザーからの通報によって注意は与えていたとのこと。

仮にアクションを起こすまで時間がかかっていたとしても、運営としては通報された事例が通告対象になるのかの調査・推移の観察が行われていたのではないかと考える。

通報だけではおいそれと注意なんてできないでしょう。万が一何かの行き違いなどがあった場合、はてな側が通告したユーザーに訴え返されてしまう。

もちろん私が直接やり取りをしていたわけではないので、これは伝聞からの推測だけど。

また拒否アカウントの設定をしないからといってそれを「怠慢」というのも分からない。

もし、はてなアイデア等でそれらの機能実装が検討、若しくは採用状態になっているにも関わらず一向に実装が進まないとなればそう言えなくもないのかもしれないけど。

(ちなみにそれに類する、はてなアイデアの調査はこれを書いている時点では私は行っていない)

結局のところ最終的にルールを作るのはユーザーではない。最終的にルールを作るのは運営だと思う。

ルールができるまでの「声(意見)」はユーザーが存分に挙げてもいいと思うけど。

その辺の境界線が曖昧(若しくは境界線に気づかない)になって、色々なことを「暗黙ルール化」して自警団化してるユーザーがいるのかもしれない。

他のユーザーへの気遣いはあってもいいと思うし、意見交換や提案なんかももちろんあってもいいと思う。

ただそれは明確にルール化されていない限り強制するものじゃないんじゃないかな。

別に「ハイクはこういう使い方をしなさい!そうじゃないと規制します」なんてどこにも書いてないし。

下記のブログにも先述のトラックバックに対する意見が書いてあったけど。

http://d.hatena.ne.jp/psycho78/20081024#p2

[おハイク][おanond] / こんにちは婦女暴行おじさん

これまで色々な問題が起こる度にユーザー間に温度差が生まれたり、微妙空気が流れたりしたのはその辺りの認識の差が原因かもしれないね。

最後に以下の部分だけど、

少なくとも復活した(と思われる)h2はまだまともな行動を取ってる。

h2が今後どういう行動をとるかはわからないが、

アカウント停止になった意味は十分にあったのではないか。

これは本当のところは分からないけど、ハイクが使えなくなって今までと同じようにできなくなっただけでは?

この場合の「アカウント停止の意味」とは単純に封じ込めるという意味なんだろうか。

だとすればそれなりの効力を発揮してるのかもしれないけれど。

2008-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20081020062655

はい!こんにちは!Hamachiya2だよ。

簡単に言うと、この数十個の文字で変数で囲んということだったのですか??
この数文字の魔法を教えてもらってたらすぐ実践してたんですか・・・。

うん。そうだね。
たったそれだけだよ。
やってみれば、ものすごい簡単なことだよね、これ。

なんでみんな、たった一言「htmlspecialchars()でくくれよ!」って
直接、正解を言ってくれなかったんだろう。一言で済むのにね。

それは、みんな色々な意見があるんだろうけど…
たぶん、
みんなが何かにイラついていて余計に煽るような状態になっちゃっていたり
きみも何かにイラついてしまって、うまく聞けない状態になっていたりしたとか、
なんかそういうことなんじゃないかな。
よくわからないけど。

ちょっと眠いので、あとひとつだけ。
細かいところだけど。

いま http://flickr2.in/fli.html?data=%3Cscript%3Ejavascript%3Aalert(%27xss%27)%3B%3C%2Fscript%3E を確認してみたら、
たしかに、たぶんだいたい直ってるんだけど、imgの属性シングルクオートとダブルクオート、無駄にふたつでクオートされてるよ。
これは脆弱性とは違うんだけど、せっかくだから直しておいたほうがいいね。

<img src='xxxxxx' title='"ぺろぺろ"' alt='"ぺろぺろ"' />

↑でてくるhtmlがこうなってる

<img src='xxxxxx' title='ぺろぺろ' alt='ぺろぺろ' />

↑こうなるようにする

http://anond.hatelabo.jp/20081020053019

はいこんにちは! Hamachiya2だよ。

alertでなくなったね。こんな短時間ですごい。
エガミくん飲み込みはやい感じだね…。

ええと、あとは、下の方の画像で、どうもマーキータグ(marquee)が埋め込まれてるみたいってことだよね。
うん。もう一回、htmlソースを表示ってして確認してみたよ。
こんなのが埋め込まれてた。

<img src='http://farm4.static.flickr.com/3120/2784053843_b7a7d07c9a_s.jpg' border=0 title=<marquee>test XSS</marquee> alt=<marquee>test XSS</marquee> />

これは問題点が二つあってね、
1つは、タグエスケープしわすれている箇所がある点
もう1つが、html属性値(alt=ナントカとか)をクオートでくくってない点

この二つを直していこうか!

phpプログラムの中のどこかで、<img>タグを出そうとしている部分があるはずだよ。
まずはそれを探そう。

そしたらきっと、その部分は、imgにphp変数を色々埋め込んで出そうとしているはず。
たとえばこんな風に。

echo "<img src='xxxxxx" . $hensuu1 "' title=" . $hensuu2 . " />";

これの$hennsuuも全てhtmlspecialchars()してあげる感じかな。

echo "<img src='xxxxxx" . htmlspecialchars($hensuu1, ENT_QUOTES) "' title=" . htmlspecialchars($hensuu2, ENT_QUOTES) . " />";

こうだね。

そうすればmarqueeタグが埋め込まれていても、

<img src="xxxxxxxx" title=&lt;marquee&gt;test xss&lt;/marquee&gt; />

こんな風にmarqueeとかがタグじゃなくなるので防げる。
でも完全じゃないんだこれ。
さっきも言った、属性値のクオートが足りてないから、ちょっと工夫すればxssやられちゃう。
詳細は長くなるので今は省くけど。

だから上の対処に加えて、titleとかaltとかの中身が、htmlでみた時に、ダブルクオートかシングルクオートで
くくられているようにしてやれば、いい感じになるよ!

<img src="xxxxx" title=ぺろぺろ alt=ぺろぺろ />

こうじゃなくて

<img src="xxxxx" title="ぺろぺろ" alt="ぺろぺろ" />

こうなるようにしよう。

(追記)

ちなみに、何で悪い大人の人はXSS脆弱性を突いてきて悪い事をするんですかー??

それだけエガミくんの生み出すものが注目されているってことだよ。
目立つとどうしても悪い人も寄ってきちゃうから困るよね。

http://anond.hatelabo.jp/20081020041605

はい! こんにちは! Hamachiya2ですよ!
いま、エガミくんの書き込みみながら、ざくっとソースみてみたよー。

XSSの対策ってね、ぼくもよくわかってないけど、
「出力時にエスケープする」っていうのが定石らしいよ。
でもエガミくんのやろうとしたのは「入力時のエスケープ」だね。

だから $_GET のところ(入力)で何かをするのではなくて…、
レスポンスのコーナーのところ。html変数埋め込んで echo してるとこ。
そこの全ての変数エスケープしちゃう方がいい感じかな。

その際に注意すべきは、html属性内(alt=ナントカとか、src=ナントカとか)に変数を埋め込んでいる場合は、ちゃんとクオートの類もエスケープする感じ?

echo '<img src="' . $hensuu . '" alt="ぺろぺろ" />';

とかなら、$hensuu はダブルクオートもエスケープだよ。
あ、htmlspecialchars ってダブルクオートはデフォルトで「&quot;」に変換されるんだっけ?
ちょっと試してみてね。

もし↓こんな風に、html属性のクオートにシングルクオートを使ってる場合だと…

echo "<img src='" . $hensuu . '" alt='ぺろぺろ' />";

これは

echo "<img src='" . htmlspecialchars($hensuu, ENT_QUOTES) . '" alt='ぺろぺろ' />";

こうする感じかな?

あと、サンプルコードには含まれていなかったけど、
本番の方だと、htmlheadの中でも変数つかってるよね。
たとえば、xxxで検索すると、titleタグメタタグにもxxxが入ってくる。
そのあたりも、とりあえず「表示しようとしてる箇所」の「表示する一歩手前」で全てエスケープしてやればいいと思うよ。

もしかしたら言ってること間違ってるかもしれないけど、
その時はきっと誰かが突っ込んでくれるはずー。

追記
あと、寂しいことってなに?

エガミくんの脆弱性のやつ

こんにちは
id:Hamachiya2 ですよー。
ブックマークコメントIDコールされたけど、
コメント返すためにブクマ (してリンクジュースを流すこと) 」は、ちょっと今回は間接的にでもできない感じなので
こっちで返答しますね!

http://zapanet.info/blog/item/1418
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://zapanet.info/blog/item/1418

2008年10月19日 hiroyukiegami id:Hamachiya2 助けてください。色々やってみたのですがやはり、わかりません…。コード公開しておりますすみません、誰か具体的に教えてもらえると嬉しいのですが(涙)http://flickr2.in/flickr.zip

いきなりソースコード丸投げして「わかりません」って言われてもちょっと困るよー。
まずはその「色々やってみた」っていうの、どういうことをやってみたか教えてもらえるかな!

で、どうすればいいのか、一緒に勉強していこうよ。
ここで。



(関連リンク)
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