2008-11-29

[]はてなハイク観察記 27

気がついたらずいぶん間が空いていた。

ハイクは見てたし、しばしば気になることがあったりもしたけど、グルグルと小難しく考えてるうちにまとまらなくなって書きそびれていた。

ここはひとつ肩の力を抜いて少し軽い気持ちで見たまま思いついたままの雑感を久しぶりに書いてみようと思う。

これまで何度か引用などをさせて貰っているダイアリーに少し前に下記のような提案があった。

お観察さんは「仮定したケース」ではなく、お観察さん自身のハイクの使い方やモチベーションをケースにすればいいと思った。

それとの比較によって「違和感」がはっきりしてくるんじゃないかしら?

(※うどんダイアリータイトル。旧「こんにちは婦女暴行おじさん」が改名したもの)

私自身のハイクの使い方というと少し話が狭くなると思うので、私のハイクの捉え方を出発点に考えてみようと思う。

■私のハイクの捉え方

そうは言っても私のハイクの捉え方は非常にシンプル

ハイクミニブログ」それだけ。

自由に好きなことを書く場所っていうことだけ。

規約に反したり、公序良俗に反したりというような明らかに問題があるようなことさえなければ何でも良いと思う。

以前もこの観察記でも書いたが「真っ白なノート」というのが一番適当だと思っている。

ユーザーがそれぞれにそれぞれのノートを持っている。

そこに日記だろうが、写真だろうが、動画だろうがなんでも書き込めばいい。

それこそ議論したければすればいいよ。

それぞれがそれぞれの思ったように使えばいい。

それが私のハイクの捉え方。

■どこに違和感を感じるか

先のハイクの捉え方を踏まえたら、違和感のもとは拍子抜けするくらいあっさりと分かった。

前々から何となくは気づいていたけど。

結局何か「型」にはめてしまうようなことをしてるのを見ると違和感を感じるんだろうね。

とりわけ誰かが作った「型」を人に押しつけようとしている時に特に違和感を感じるみたい。

「こうあるべき」とか「こうしなくてはいけない」みたいな感じで。

例えば「長文は書かないべき」とか「使えないキーワードは作るべきではない」とか。

あとそれが転じて発生するルール管理やその一環のとしての自警行為みたいのもちょっとなって。

そもそも「ルール」自体が明文化されてないし、曖昧だし。

その手のは例の「ユーザーh」の件以降はほとんど無いみたいだけど。

ただ、以前書いたけど、極端なことは控えるみたいな他ユーザーへの気遣いはあっても良いと思う。「公共」の場だし。

取りあえず違和感についてはそんな感じだろうか。

■「こうあるべき」「こうしなくてはいけない」

この辺で突っ込み入れていくのって結局繋がりを意識した結果なのかなとふと思った。

「繋がること」が命題化してしまった結果というか。「繋がること」が当たり前みたいになってしまった結果というか。

ハイク全体がひとつのコミュニティ」みたいな捉え方をしてしまうとそうなりやすいのかもしれない。

ほんとは全然そんなこと無いのに。

こうなってくると確かにもはや「ゆるい繋がり」とは言えないのかもしれない。

色々尻切れトンボになってるけど、長くなってきたから続きは次回にでも。

少しずつ色々思いついてきたので。

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