2021-05-29

スクラムけがアジャイルじゃない

アジャイルソフトウェア開発宣言』の価値観に反対する人はほとんどいないと思う。

私たちは、ソフトウェア開発の実践

あるいは実践を手助けをする活動を通じて、

よりよい開発方法を見つけだそうとしている。

この活動を通して、私たちは以下の価値に至った。

プロセスツールよりも個人対話を、

包括的ドキュメントよりも動くソフトウェアを、

契約交渉よりも顧客との協調を、

計画に従うことよりも変化への対応を、

価値とする。すなわち、左記のことがらに価値があることを

認めながらも、私たちは右記のことがらにより価値をおく。

かつて、数々のアジャイルな開発手法存在して(というか今も存在しており)、この宣言はそれらの開発者が集まって合意したものだ。

ところが、最近ではスクラムけがもてはやされ、他の手法に全く触れられないことに違和感がある。

また、「うまくいかない原因の根本そもそも開発チームの問題なんだっけ?」って問題のもの議論せず、スクラムだけを導入すれば解決すると思い込まれていると思う。

スクラムへの違和感

私がスクラムについて違和感を持っているのは以下のような点だ。

※ただし、開発チーム以外を変えなくても導入できるのはメリットでもあり、それでチームの負荷を下げつつ他の問題対処するのは悪い手ではないと思う

一方で、例えばXPは「開発が成功するためにチーム内外に向けてなんでもやれ」という視点が強く、「ビジネス上と技術上の責任を分ける」などのアドバイスの章も用意されている。

ただその分「ここに注意せよ」くらいしか書かれておらず、結局どうやるかは自分たちで試行錯誤しなければならないことは変わりがないが。

スクラム(というか開発手法全般)を不適切に導入した後の最悪のケースは、本当は他の要因で問題が起きているのに、その分析が全く行われずに、開発チームにだけ際限のない改善要求されることだ。

例えば「みんなリファクタリングをしなきゃいけないことに気づいており、それが評価されないか新規プロジェクトに力を入れざるを得ない状況だと知っているが、それを誰も口に出さない。その状態で正確な見積もりをしようとしたり、開発スピードだけ効率を上げようとする」という状況は誰もが身に覚えがあると思う。

主張したいこと

まり、我々の所属するソフトウェア開発チームでは、目の前に存在する問題対処してアジャイルチームになることが重要で、その方法スクラムで主張されているような開発手法とは限らないし、むしろそのわかりやすさやきれいなドキュメントミスリードである場合もある。

そのためには、まず現実課題が何なのかしっかり把握して、フェアに議論することから始めるのが重要なんじゃないか

参考文献


  • そんなことはどうでもいいから 早く開発初めて イテレーション回して さっさとリリースしてね わかった? 仕事遅いんだよ、まったくも〜

    • うるせー😡

      • 駄々こねて 逆ギレしないで ウォーターフォールチームみたいだなー まったくも〜

        • 今日は土曜だ!休日なの!😡

          • 自分達で決めたタスクもこなさないで 定時で帰りまーす 休日はしっかりやすみまーす とか まあ、そういう時代だからいいけど 休み明けはしっかりこなしてね まったくも〜

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