2017-12-28

人生物語はいらない」の人になれない人

私は変わった人間と言われる。しか人間なんて無くて七癖、どいつも変わったところの一つや二つはあって当たり前だ。みんな違ってみんないい。だから胸を張って言おう。私の他人と違っている点は、「スイッチ」を持っているということだ。ニンテンドースイッチではない。心のスイッチのことである

「さあさあやるぞやるぞさあやるぞ!よしきたよしきたさあやるぞうおおおおおおおおおお!!!!」みたいな状態に心を持っていかないと、ついつい何でも後回しにしてしまう。今年から社会人になって働き始めて特にその傾向は顕著で、業務時間外での自分日常は自堕落のものとなっていた。仕事帰りの電車Bluetoothヘッドホンをつければ、だらけスイッチオン。掃除洗濯家事全般もうなーんにもする気がなくなる。昨日まで、三畳半の部屋は散らかり放題で、全てのもの定位置はなく、その真ん中に万年床だけが自分の居場所をどっかりと主張していた。しかし今、私は長い長い年末休みを頂き(邪推無用。そういう業界なのだ。)、ついぞスイッチを入れ直す時が来た。この為に整理整頓術をググっておいた。それによれば、まず使用頻度の高いものと低いものに分類し、使用頻度の高いものを取り出しやす位置に置いてから使用目的別に分類するのが整理整頓王道だという。ヘッドホンスイッチを入れ、万年床をベランダに干してスペースを確保、その後は無心でひたすら、然るべきものを然るべき場所に移動していく。クローゼットに納まるものハンガーラックに掛かるものゴミ袋に詰められるもの場所の貴賎ほどあれ、ものたちはそれぞれの居場所を見つけたようだ。最後万年床が再び定位置に戻ったのは日が暮れた後だった。

部屋の整理整頓は終わった。今度は心の整理整頓必要だ。せっかく長い休みをもらったのに、年始の予定がほとんど決まっていない。休みに入る前は漠然と、青春18きっぷでずっと電車に乗って、英語勉強しながら旅気分も味わって過ごそうかと考えていたが、きっぷはまだ買っていない。年始の予定だけではない。自分がこれからどう働きたいのか、どんな人間になっていきたいのか、一度立ち止まって考えてみたい。

どんな人間になりたいのか。20年以上生きてきて、未だ答えを出せたことはないが、ただ一点、両親のような人間になりたくはないとだけは言える。両親は警察24時のような番組を好んで見る。警察に捕まり、取り乱して発狂する犯人を見て、「異常者だね」と呟く。私はそんな、異常か普通かという単純な物差しで人を測ろうとする人間になりたくなくて、世界を知りたくて、自分の知らない世界が世の中にいくらでもあることを知りたくて、英語勉強したくて、TOEFL対策予備校に通っていたのだった。9月から2ヶ月間、一応、用意されていたカリキュラムが終了するまで通い続けたことになる。10人ほどのクラスの中で、先生評価は2-3番目であったし、自分で言うのも何だが、まあまあやれていた。しかし、カリキュラムが終わってから自己学習が思うように進んでいない。12月ちょっと高圧的な上司と一緒に働いていて、MPがガリガリと削られていたし、忘年会続きだし、準備は全て下っ端である私の仕事であったし、MPがガリガリと削られていた。そんなことを言い訳にしてしま自分が恥ずかしい。

考えてみれば、今まで上に書いてきた文章は全て言い訳に満ちている。言い訳必要ない。「やろう」と思ったことをしっかりやる。それを続けていれば、新しい世界を知り続けることができるだろう。いや、そこまではできないかもしれないが、少なくとも、自分の知らないところにも世界がある、と思い続けていられる。

松岡茉優が好きで、初主演映画勝手にふるえてろ」を拝見する機会があった。主人公のヨシカは本当に言い訳ばかりで、「スイッチ」を持っている人だから自分に重ねてしまうところがある。でもそんなヨシカも電気ストーブで家が燃えかけたのをきっかけに、「人間いつ死ぬかわからいから、自分のやりたいことをやってから死のう」という発想に至り、自ら作り上げた言い訳でできた世界を行動によって塗り替えて行く。

そんなことをこの文章を書きながら思い出していた。何が言いたいかというと、自分のような人間映画勝手にふるえてろから全てを学ぶことができるし、松岡茉優は最高だということだ。

大脳が壊れたメンヘル必要なのは睡眠運動瞑想野菜松岡茉優。さあ、今すぐ映画館へ走り出せ!

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