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名前を隠して楽しく日記。

2024-05-06

anond:20240506000252

女の役割出産だとしたら、男の役割であるはずの養うだとか女子供を守るとかが全く果たせていないのが原因だな

動物でも適した相手適した場所しか産まないし

anond:20240505190019

その「普通学者」とやらはもっぱら教育を主な仕事にしているのかも知れない。

anond:20240506001854

謙信女性説は実際はあり得ん与太話レベルだと思ってたが

anond:20240506002457

オマエそれもう呪ってるよ!

anond:20240506003348

そりゃそうだ

同情は同じ境遇のヤツにはできないからな

できるのは焚き付けることだけ

から近寄るな

anond:20240506001530

モテたいならブルーワーカー使ってるから絶対

しかし、改めて考えると酷い名前だな

何を考えてこんな名前にしたのか

anond:20240505130001

自分場合祖父母から貰ったお年玉を親が生活費に回収してたから、場合によっては本人ではなく親に問題あるかもしれんと思った。

anond:20240505003746

まあ、人間関係には気をつけなよ。なんて俺なんかに言われなくても十分に気をつけているとは思うけどさ。

anond:20240506002621

アンタだけの思い込みをさも相互理解ができている常識みたいにいうのはやめな

anond:20240506002457

元気を出して欲しいけど、かける言葉が見つからない

俺の方が不幸だからまだマシだろ、と言っても意味はないよな 下をみたらキリが無いし

anond:20240505164400

「虎に翼」で主人公ビールを飲んでいたのは家の中での家族のみの食事の場であって

兄の結婚相手一家との食事会や結婚披露宴という「外」の人間も加わる場ではジュースだし

そういう場で母や結婚相手の母が「スンッとしている」(大人しくしている)事に違和感を持つ、という描写がある

(つまり母も主人公家族だけの場では「スンッとする」事を普段強要されていない、ってのも分かる

家庭内ですらずっとそうなら違和感持つわけないもんな)

そしてそういう家庭で育った主人公からこそ、女学校在学中もしくは卒業と同時に見合い結婚という当時の上流女性の当たり前の道を選ばず

法律を学びに明治大(名前違うけど)に進学するわけだよ

そういう家庭で育った女性の話だ

それにそもそもモデル女性ビール好きで酒豪だったって史実もあるしな

ちゃんドラマを見ないからそういう微妙描写が分から的外れの事をドヤってしま

戦前女性ビールを飲むのが普通ではなかった!」だから?「普通」ではない女性の話だけど?実在の人だけど?で終了

らいてうの話もだが、実際酒を飲む女性が当時全くいなかった訳でもないしな

見てないんだったら口出さなきゃいいのに

ヤフコメ連中にすら突っ込まれまくってる事だぞ?

anond:20240505192712

『よろしいか?』

・空いているが社会通念上ことわりを入れたほうがよさそうな席に座ってもいいか許可を得る場合につかう

・一応そこは禁煙の場ではないが同席者に喫煙を始めてもよいか許可を得る場合タバコを見せてからつかう

説教を始める直前に話す内容に注目してほしい場合に事前に強調の意としてつかう

…これくらいの実例でよろしいか?🤔

anond:20240506002457

ママ活してDCやDKに種まきしてもらえ

持っていないものを「奪われた」と感じる。

この世界は公正であるべきだ

善い行いをすれば良いことがあり、悪い行いをすればバチが当たる。

努力をするだけ結果に繋がる。

そういった考えを「公正世界仮説」、それに準じることを「公正世界信念」などといったりするらしい。

しかし、実際のところ、世界は公正ではない。

善い行いをし続けた者が理不尽に死んだり、悪い行いした人が悠々と生きていることも珍しくない。

努力が結果に繋がるとは限らない。

実際、そんなことくらい分かっている。

しかし、そんなことを承知の上で、漠然と「公正世界であってほしい」とも思っている。

まり広義的な「ゆる~い公正世界への信仰」に覆われている状態なわけだ。

なぜ自分は持っていないのか

問題は、これが「あいつは持っているのに、なぜ自分は持っていない」といった感覚を生みやすいこと。

相対的剥奪感なんていうらしいが、社会学を語りたいわけではないので名称はどうでもいい)

さて、先ほど、世界は公正ではないものの「ゆる~い公正世界への信仰」があると書いた。

この信仰によって「あいつが持っているのだから自分も持っているべきだ」と考えが出てくる。

或いは「自分が持っていないのだからあいつも持っているべきではない」と。

しか実態はそうじゃないから「奪われた」と感じるわけだ。

実際に奪われたわけではないし、もとから自分の物というわけでもないのに。

どう咀嚼していくか

では、どうやってこの妄執を解消していくか。

ひとつは、何とかして自分もそれを手に入れる。

一見すると穏当だが、この手段が極度に達すると本当に「他人から奪うことで手に入れる」ことになる。

そもそも自分も持っているべきだ」という前提があるため、必要以上の、特別措置をとりたくないわけだ。

ふたつめは、それを持っている人から取り上げること。

これも実質的に「他人から奪った」形にはなっているが、自分がそれを手に入れるかは重要ではない。

あくまで「自分が持っていないのだからあいつも持っているべきではない」という考えのもと取り上げるからだ。

みっつめは、「何らかの真っ当な要因によって自分は持っていない(あいつは持っている)」と脳内保管することだ。

自己完結的な方法なので、最も穏当な方法ではある。

しかし、これは公正世界の非現実性、そのギャップを埋めるためにやっている時点で破綻している。

まり、この脳内補完も現実に則していないため、どこかで無理が生じやすい。

その“無理”が積み重なって自分一人で処理しきれなくなると、今度は“外”に干渉することによって解消しようとする。

前提を変える

そもそも世界は公正じゃないのに「世界は公正であってほしい」と思うことがバグの原因だ。

しかも、この「公正世界」は自分ミクロ的な視点、つまるところ「小規模な世界」に押し込められているのが実情である

公正な世界なんてものが実現可能であったとして、それが「自分の望む世界」かは別の話、ということだ。

ならば「世界は公正であってほしい」という考えそのものを変えるしかない。

それが不服なら世界を変えるしかないが、そこまでして自分を公正公明だと思い込むのは難しい。

anond:20240506002453

豪華な財布を買ったけど中に入れるカネが無くなりました、みたいなオチだね

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