はてなキーワード: Airとは
うちの職場は、なんというか、生ぬるい。
もちろん仕事がないかといえばそういう訳でもなく、
毎日20時21時まで残業するのが当たり前。
でもそれほど切羽詰っているわけでもないから、
定時に帰っても特に問題ないし、皆ちょこちょこと有給で休みを取る。
一日に何度か職場のあちこちで雑談タイムが繰り広げられていて、
来年からは600万くらいに跳ね上がる。
はっきりいって、楽にお金を稼ぐという点では非常に恵まれた環境だと思う。
良くも悪くも平均的な人が多く、職場の人間関係も穏やかそのもの。
このままなんとなく過ごせば、きっと10年後には貯金の額もすごいことになる。
でも、ここにいる限り、スキルの向上はあまり期待できそうにない。
同僚はクルマやらマイホームやらパチンコやらが趣味の30代後半以降ばかりで、
Webで話題になるような新技術の話(例えばAIRとか)が通じる人は全くいない。
上司のプロジェクトマネジメント能力についてはすごいと思うことはあるけれど、
将来的に自分が身につけたい、と思えるような能力を持っている人は特にいない。
仕事としては、ほとんど上から降りてきた要求を設計書に落とすだけだから、
自分が学生時代培ってきたプログラミングやデザインの知識やカンはどんどん薄れるばかり。
きっと自分の成長の為には職を変えたほうがいいんじゃないかと思う。
でも、自分の向学心の強さにはっきりとした自信が持てない。
毎日帰るのが遅く、徹夜もあり、土日も休めるとは限らない。
もし望むような仕事に就けたとして、その代償にこんな状況になったとしたら、
それでも自分は後悔することなく頑張れるだろうか。
24年間優等生をやってきて、さらに新卒という切符を使って手に入った
貴重な(?)大企業への就職を、簡単に手放してしまっていいのだろうか。
「暗記が得意、理解力はあるけど遅い、応用は苦手」という社会で役立たない
試験特化型優等生は、冒険せずに大人しく現状に甘んじていたほうがいいんじゃないか。
そして本当に成長したいと考えているなら、仕事以外の時間でできるんじゃないか。
逆に今それができていない程度の向学心なら、職を変えてもそんなに成長しないんじゃないか。
より自分の望む仕事に就けたとして、はたして睡眠時間を削ってまで働く気力がでるのか。
就職して1,2年でやめるなんて、まさに「イマドキのワカモノ」そのものじゃないか。
そんなことを考える今日この頃。
Aneken Staff and Vipper『姉は一級建築士 -イケない構造設計-』
アリスソフト『しまいま。』
きゃんでぃそふと『姉、ちゃんとしようよっ!』
エルフ『臭作』
エルフ『鬼作』
propeller『あやかしびと』
Leaf『雫』
Leaf『痕』
JAST『天使たちの午後』
ういんどみる『はぴねす!』
戯画『BALDR FORCE』
Leaf『フルアニ』
otherwise『Sense Off -a sacred story in the wind-』
CIRCUS FETISH『すくみず -フェチ☆になるもんっ!-』
ブラックサイク『EXTRAVAGANZA -蟲愛でる少女-』
Active『DISCIPLINE -The record of a Crusade-』
Littlewitch『白詰草話 -Episode of the Clovers』
エルフ『下級生』
エルフ『同級生』
アリスソフト『妻しぼり』
silkys『姫騎士アンジェリカ』
ivory『とらいあんぐるハート』
otherwise『未来にキスを -Kiss the Future-』
ニトロプラス『鬼哭街 -The Cyber Slayer-』
ニトロプラス『Phantom -PHANTOM OF INFERNO-』
Key『智代アフター -It's a Wonderful Life-』
ZyX『雷の戦士ライディ』
Purple software『秋色恋華』
F & C『こなたよりかなたまで』
130cm『彼女たちの流儀』
F & C『水月』
公爵『ジサツのための101の方法』
AUGUST『月は東に日は西に-Operation Sanctuary-』
みなとそふと『君が主で執事が俺で -They are My noble Masters-』
HERMIT『ままらぶ』
Cyc『夢幻廻廊』
つうかね、ありゃあDirectorなんだよ。10年前のカンファレンスでたしか連中はDirectorでネットワークアプリ(ウェブブラウザ)が書けますとか言ってたわけで。誰も欲しがってないDirectorを10年以上もFlashに載せ変えてみたりウェブプラットフォームといってみたりしてこねくり回し続けてる。
第一、嘘は良くないな。ネットワークとの連携の容易なローカルアプリの簡易開発環境といえばよろしい。そうやってホントのことを言うと投資家からそっぽ向かれるのか知らんけど。
とはいったもののAIRもラピッドプロトタイプには有効かもしれない、と、まだ信じようとするところに俺の甘さがあるかも…。
それからDreamweaverは認めるけどWeb制作上GoLiveの生産性がはるかに勝る点もあった(過去形)、本気で1週間も使えば分かることだ。誰もそんな面倒な事しないけどな。誰も自分で確かめずにプレスリリースメディアに依存する、それが本当の問題なんだけどな。
俺はAdobeの旧Macromedia部分が嫌い。こいつらは10年以上大風呂敷だけ広げて見せてるだけだから。
でも世の中がそれを必要とするってんならそれぐらいは認める。
で、AIRってなんじゃいと思ってみたらただのローカルアプリケーション開発環境だった。しかも統合されたもツールらしきものは無く散発的な既存製品とランタイム。なんじゃそれ。相変わらず手抜きだな。
ネットワークプラットフォームとか言ってるけど要するにやりたいのは単純にFlashによるローカルアプリケーションを書くこと。むしろネットワークとは逆の方向に影響力を伸ばしたいって訳で、それなんてDirector?
時代に合わせて表現にFlashやHTMLやJavascriptも使えますよってことだろ?じゃあそういえよ。で、まーた2、3年したら放り出すのか。別の新機軸を取り入れて鋭意開発中って言い続けて何年経つんだよ。
いいからさっさとIllustratorのバグ取れよ、このハッタリ会社め。
米Microsoftは1日、米Yahoo!に対して買収を提案したと発表した。現金と株式による買収案を提示しており、提示した買収総額は446億ドル。
(中略)
また、1日の日本時間22時半から、買収についてのカンファレンスコールを行なうとしている。
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/02/01/18325.html
ポータル、検索エンジン、Yahoo Widgetを持つYahoo!
検索エンジン、ネットワークアプリ、(Firefoxも?)、他オープンライブラリも持つGoogle
※12.25追記:すいません、ネタばれなのでやってないけどこれからやるつもりの人は読まないでください。書くの忘れてた……そういえば正式発表されたんですかね?これでデマだったら涙目。
最初この情報を知った時の感想は「へー、そうなんだ」でした。んで葉鍵板やら各種ブログやらを見て回って、あまりのウブな反応っぷりに吹きました。「リトバスにエロはいらないだろう……」「友情の物語が崩れる」「ショックです」などなど。う、ウブすぎる……。その割に「エロエロなアフターもの、FDなら良かったのに」という意見は多い。なんという解離。というか、未だに智代アフターがトラウマなのでしょうか。兎にも角にも、実にウブな「リトバス大好き!俺のリトバスを汚さないで><」というご意見の数々に大変、心温まる今日この頃です。
感情的な「エロはやめて」的言説は置いておくとして、エロを入れると「リトバスの構造的に不味い」という説は考察してみたいところです。これはつまり「リトバスは虚構世界をループする中で理樹(と鈴)が成長していくお話だから、構造上、全ルートを理樹(と鈴)は体験しているという前提が成り立つ」ため、単なるマルチエンディングと違い、トゥルーエンドの理樹きゅんは「みんなと致した」末の理樹きゅんになってしまうということです。しかも、回避策として浮かぶ「バッドエンドえろえろ作戦(別名:ナギー夢現エンド方式)」ですら解決できないのが厳しいところ。だって理樹きゅんの繰り返しの中にはバッドエンドも含まれているわけだからね(いくつかのバッドエンドにおいて、次の世界を示唆する言葉は散見されます)。小毬発狂エンドや美鳥バッドエンドでのえろえろは容易に思いつくだけに惜しい。実に惜しい。しかし本当にそうだろうか。本当に「不味い」のか? 実は、全然不味くないんじゃないか? なぜキスはよくてエロはだめなのか。ラストでヒロインたちはキスの話をしているじゃないですか。そもそも「みんなと致した」末のトゥルーが不味いなら、各ルートそれぞれ、恋愛関係になっている時点で不味いし、その時点で「不潔です><」とか批判しないといけないわけです。事実、そういう批判もあるはずです。でも、その構造は受け入れておきながら、いざエロが絡むとなったとたん「不潔です><」は無いでしょう。
個別ルートで純愛を語りながら、それらを渡り歩く美少女ゲームに必須のスキルを、とある偉い人は「解離」と呼びました。リトバスも最初からエロありだったら、この解離スキルを使いこなした歴戦のユーザーはエロ部分を含めて「面白かった」と言うでしょう。「Keyにエロはいらない」というお決まりの言葉は当然出るでしょうが、それはもうお約束みたいなものです。ところが、一度「エロなし」の物語を見てしまった僕らは、いざ「エロあり」になった瞬間、解離がうまく機能させられなくなってしまっています。何を今さら的なウブな反応は、ひょっとするとこの部分にあるのかも知れません。ToHeart2の場合と違って、明確に「共に様々な困難を乗り越えてラストに至った理樹きゅん」との記憶を持つだけに、この解離は困難を極めるというのが正直なところなのでしょう。
だが待ってほしい。逆に考えるんだ。だからこそリトバスのエロはかつてないほどに興味深く、Key史上でも類を見ない独特な魅力を放つ可能性を秘めています。そもそもエロとは禁忌であればあるほど魅力を増すもの。Keyのエロは予てより「予定調和的」で「不必要なもの」としての位置を占めてしまっていたがために「必要のないもの」として処理されてきました。当然です。エロゲーというフォーマットだからエロがあって当たり前。ここから「ずらす」ために麻枝准はAIRを作ったわけです。ナギーの「バッドエンドでのみエロ」はエロゲーのかつての機能からすれば奇形だったわけですし、観鈴ルート→AIRルートに至って完全にエロゲーとしての梯子の数々を外しまくったのも、Keyがエロゲー屋さんであるという前提があったからこそ機能しました。翻って、CLANNADで完全にエロなしとなったKeyは、リトバスもエロなしになって「もうKeyはそっちなんだね」という印象を刷り込むことに成功しました。そこでエロ。そりゃあみんなびっくりするよ。リトバスは元々エロでもいけるように作っているのですが、ユーザーとしては「エロなしで当たり前」なのがリトバスです。「エロなしで当たり前」のはずの物語でポルノグラフィーが展開するという禁忌。遣り様によっては、Keyの新しい世界が見えるかも知れません。そもそもリトバスは実験色の強い作品であり、今後の「ポスト麻枝時代」を築くための礎という位置付けがなされているのは容易に想像がつくというもの。どんどんやってほしい。なんでも試してほしい。それを受け入れるだけの余剰が、あのリトバスという途方もないゲームには含まれていると私は信じています。
http://d.hatena.ne.jp/lapis/20071211/p1
「まず、京アニ版Kanonを見て「原作通り」と言ってしまう人は観察力ゼロと断言するものである。感想文としてはアリですよ。もちろん。おれだって原作のテイストをよくここまで生かして作品を作ったなと思うし。でも、作品を語るつもりでその言葉を発したら、オレとしてはもうその人は全く信用しません。だって、そもそも一本道の24本(Kanon)、及び、一本道の12本+2本(Air)では、作れるはずがないんだから。どっちの作品も。それでもし、原作と同じだ、と感じたなら、その時点でなんかおかしいと思わなきゃ。」
まず言っておくと、おれは京アニ版Kanonを見てこれが面白いと思う人間を信用することができない。
「エロゲ原作のアニメの主人公は不純だ」という言い方がよくされる。
たしかにそう。
エロゲの複数攻略を一本道にした結果、複数の女を次々と攻略していく男というのはたしかに不純に違いない。
だけど、不純ならまだいいと思う。
というのも、こうした複数の女を攻略したいというレベルの不純なんて、ごく普通の男ならたいてい持っているものだからだ。
おれの目には、このカノンの主人公は不純であるというより、えたいがしれない人間に見えた。
最初にキツネの生まれ変わりだとかいう女がでてきて、そいつが死んでしまう(消えてしまうのほうが正しいのか。まあ、どっちでもいいや)
そこは、それなりに感動的ではあった。
ここで、エロゲ的にはキツネ女のルートは終わりってことだが、これはアニメだから一本道でこのまま物語は続く。
キツネ女が死んだ回から一話目(二話目かも)だったか、この主人公は楽しげに他の女とランチしてた。
キツネ女のことなんて忘れてしまったかのように。
なんつー薄情なヤツだ、こいつは。
そりゃ一年は喪に服せとか言うつもりはないけど、この立ち直りはいくらなんでも速すぎる。
その後も同じような展開が次々と。
女と感動的なエピソードを作っては、また次の女へ。
前の女は忘れてしまったかのように主人公は振る舞い、そこでもまた次の女と感動的なエピソード。
エロゲの複数攻略を一本道にした結果、このアニメはとてもいびつなストーリーになってしまってる。
このアニメを評価するには「これは原作がエロゲだから」と別の参照点を持たなきゃならない。
そんなのアニメとしては、明らかな失敗作だろうに。
京アニ×鍵はもうたくさん。
フルメタやってくれ、頼むから。
ア、ActiveXのことかー!?
確かに現状はDOSからGUIのWindowシステムになったときのアプリケーションの再開発がブラウザ上で行われてるだけなんじゃないかって気にもなる。
ただ違うのは大変な遠回りをしてある種の公平さをプラットフォームに仕込んでいる事ではないかなあと思う。
だからAdobeのAIRやMSのSilverなんとかはもう一度屋上屋を架すだけの行為なんじゃねえのと疑問に思ったり。
これもコンピューティングがローカル寄りからセンター寄りになってるから無意味では無いんだけど、ねえ。
パフォーマンス悪過ぎないか。それともこれが業というものなのか。
AIRのもう一人終わりました!!途中ちょっと寝たけど徹夜;;眠いし;;クール系のみなぎちゃんです!!(字忘れた;)黒髪すきなんで絵が綺麗っしたよぉV音楽もやっぱり良かったし!!「みちるは笑ってる・・・」「泣いてない!!だって笑ってるから!!」の所が泣けました??!!!まじ感動です!!姉妹愛(?)って感ぢで!!あとお父さんと仲直りして良かったね!お母さんがおかしくなって自分がわからなくなっちゃう話です;;悲しいしお母さんはみなぎを捨てるのが酷いけど頭が戻って良かったし♪みちるは空に消えて死んじゃったけど空から見てくれてるし、生まれ変わったしね!!この辺はまんま恋空で;ちょっと笑ったっていうか訴えられるよ;;恋空は実話なんだし。そう言えばみなぎのお母さんも美嘉と同じ流産してた??住人さんも生まれ変わらせれば良いのに・・。なんでしないのかワケわからないし;親子系の話とか家族系の話に弱いのですごい良かった!!あともう一人行って来ます!!今から寝るけど・・;そっちも泣くと思うvV
ごめん、変な乗り換えが発生してた。
料金 980円
料金 1,240円
いずれにしろ初乗りより高い。
原作のシナリオから自分が気になった所だけを抜粋したので、他の人が作ればまた別の物になると思います。2話以降で後付けで説明されたり、回想の形で挿入されたり、時間軸をずらして取り入れたり、というのも当然あると思います。京アニが、この長大な作品の、何を描いて何を描かないのかという取捨選択の趣向を見守っていきたいと思います。
また、あとから追記するかもしれません。→少し追記しました。
やたらと自然が多い町。
山を迂回しての登校。
すべての山を切り開けば、どれだけ楽に登校できるだろうか。
直線距離を取れば、20分ぐらいは短縮できそうだった。
代わりに「売地」が写される。
【女の子】「それでも、この場所が好きでいられますか」
………。
【女の子】「わたしは…」
【朋也】「次の楽しいこととか、うれしいことを見つければいいだけだろ」
【朋也】「あんたの楽しいことや、うれしいことはひとつだけなのか? 違うだろ」
【女の子】「………」
そう。
何も知らなかった無垢な頃。
誰にでもある。
【朋也】「ほら、いこうぜ」
最後の地の文が抜けている。
何も知らなかったから言えた台詞、無垢だったから言えた台詞。
自分はこの町が嫌いだというのに、この場所を好きでいたいと考える女の子。
自分は変化を求めているというのに、変化を恐れている女の子。
ちょっとした反感から口を滑らせた、聞き覚えのいい正論。
ネタバレ(文字白色):いずれ「変わって欲しくないもの」を手に入れて、そして失ってしまったときに、この言葉は自分自身に跳ね返ってくることになる。
ちなみに、アニメでは地の文の「………。」の箇所で、朋也が視線を落とし、次のシーンで朋也の顔が隠れることで反発を表現している。
母を亡くしたショックでだろうか…残された父は堕落していった。
アルコールを絶やすことなく飲み続け、賭け事で暇を潰す生活。
少年時代の俺の暮らしは、そんな父との言い争いにより埋め尽くされた。
けど、ある事件をきっかけにその関係も変わってしまった。
俺に暴力を振るい、怪我を負わせたのだ。
その日以来、父親は感情を表に出さないようになった。
そして、俺の名を昔のように呼び捨てではなく、『朋也くん』とくん付けで呼び、言動に他人行儀を感じさせるようになった。
それはまさしく、他人同士になっていく過程だった。
まるで殻に閉じこもっていくように。
今と過去との接点を断ち切るように。
突き放すならまだ、よかったのに。
傷つけてくれるなら、まだ救われたのに。
怪我についての描写はアニメではまだ無かった。
うちの学校は特に部活動に力を入れているため、地方から入学してくる生徒も多い。
そんな生徒たちは親元を離れて、ここで三年間を過ごすことになるのだ。
関わり合いになることもなかったが、こんな場所にあいつ…春原は住んでいるのだ。
春原は元サッカー部で、この学校にも、スポーツ推薦で入学してきた人間だ。
しかし一年生の時に他校の生徒と大喧嘩をやらかし停学処分を受け、レギュラーから外された。
そして新人戦が終わる頃には、あいつの居場所は部にはなかった。
退部するしかなかったのだ。
【春原】「はい、ここ、僕たちの席ねーっ」
【春原】「とりあえず学食いったら、誰かいるだろうからさ、ジュースでもおごらせようぜ」
【朋也】「そんなのばっかだな、おまえは…」
【春原】「よし、じゃ、いこう」
やることもなかったから、ついていくことにする。
【春原】「ねぇねぇ、ジュースおごってよ」
春原が後輩を捕まえて、そうせびっていた。
【春原】「百円じゃなくて、二百円」
【春原】「ふたりぶんだから。あっちの人も」
【春原】「うん、君、いい奴だねぇ。なんかあったら、僕たちに言っておいでよね」
【春原】「僕たち、学校の外ではぶいぶい言わせてるからさっ」
他の男子も、何事かと窓際に集まり始めていた。
…鬱陶しいこと、この上ない。
あの中にいたら、むかついて誰か(主に春原)を殴っていただろう…。
暇つぶしには最適。
一日の授業を終え、放課後に。
春原の奴は最後までこなかった。
結局、今日俺が話をしたのは、朝に出会った女生徒だけだった。
【朋也】「好きにしてくれ」
見捨てて、ひとり坂を登り始める。
ただ…
そんな不良に見えなかったから、話しかけてしまっただけだ。
それだけだ。
【女の子】「あっ、待ってください」
どうしたものだろうか…。
遠慮なく、話を聞きすぎたような気がする。
気にならないといったら、嘘になるが…
気にしないよう、務めよう。
これからは、あいつ一人で頑張るしかないことだった。
三年で、ここに来ているのは俺たちふたりだけだった。(智代登場のシーンふたりは春原・朋也)
【朋也】「友達、作ればいいじゃないか、また新しく」
【女の子】「時期が時期ですから、みんなそういう雰囲気じゃないです」
【朋也】「三年生だったか…」
三年といったら、もうクラブも引退寸前なのに…
それをこれから頑張ろうなんて…他人の目にはどう映ってしまうんだろうか…。
新入部員だと言っても、三年生だと知れば、部員たちの反応は当惑に変わるだろう。
ひとりでも知り合いがいれば良かったのだろうけど…。
アニメでは代わりに、同級生が朋也と春原の事を噂している描写と、委員長が不良生徒に話しかける珍しい事態に周りの生徒が注目している描写が入る。
【女生徒】「見て、あの子」
【女生徒】「ほら、あそこ」
窓際にいた女生徒が窓の外を指さして、隣の連れに話しかけていた。
【女生徒】「ひとりで、パン食べてる。なんか、一生懸命で可愛い」
【女生徒】「どこのクラスの子だろ。あんまり見ない子だね」
【女の子】「頭の手は…なんですか?」
【朋也】「いや、別に」
【女の子】「そうですか…」
【朋也】「ああ」
しばらく彼女は呆然と、俺はその後ろで彼女の頭に手を置いて、ふたり立ち尽くしていた。
端から見れば、おかしなふたりだっただろう。
【朋也】「俺はD組の岡崎朋也」
【朋也】「あんたは?」
【朋也】「よろしく」
【古河】「はい、よろしくお願いします」
遅すぎる自己紹介。
ふたりだけは、出会いの日の中にあった。
【古河】「………」
【古河】「それで…」
【朋也】「よろしく」
【古河】「………」
【古河】「はい、よろしくお願いします」
【古河】「………」
【朋也】「よろしく」
【古河】「はい、よろしくお願いします」
【朋也】「よろしく」
【朋也】「ひとりで帰れるか?」
【古河】「はい、もちろんです」
【朋也】「ハンバーグでも食って、元気つけろよ」
【古河】「え?」
この箇所は原作でも印象的なシーンであり、電撃G'sマガジンで連載中のCLANNADの第一話も、ここをクライマックスにしていたため、この描写が抜かれたことに違和感を感じる人は多いようだ。
ただ尺の問題上「お連れしましょうか」のシーンを第一話のクライマックスにする事に決めたとしたら、
といった理由で、かなり難しいのではないか、と思う。
こんなところに来て、俺はどうしようというのだろう…
どうしたくて、ここまで歩いてきたのだろう…
懐かしい感じがした。
ずっと昔、知った優しさ。
そんなもの…俺は知らないはずなのに。
それでも、懐かしいと感じていた。
今さっきまで、すぐそばでそれを見ていた。
それをもどかしいばかりに、感じていたんだ。
………。
「もし、よろしければ…」
代わりに、電灯のついた部屋を見上げる。
一面、白い世界…
………
雪…
そう、雪だ。
今なお、それは降り続け、僕の体を白く覆っていく。
ああ…
僕はこんなところで何をしているのだろう…。
いつからこんなところに、ひとりぼっちで居るのだろう…。
………。
雪に埋もれた…僕の手。
それが、何かを掴んでいた。
引き上げる。
真っ白な手。
女の子の手だった。
ああ、そうだった…。
僕はひとりきりじゃなかった。
彼女の顔を覆う雪を払う。
穏やかに眠る横顔が、現れた。
そう…
この子とふたりで…ずっと居たのだ。
この世界で。
この、誰もいない、もの悲しい世界で。
完全なネタバレ(麻枝准の他作品のネタバレも含む)なのでここから文字を白色に(匿名ダイアリーは続きを読む記法が使えないようだ。キーワードリンクも消せない。)
ゲームでは、開始時点は幻 想 世 界編であり、そこから始まる本編は長い回想のようなものだと解釈できる。
(もっとも幻 想 世 界では時間が意 味がなさないので『回想』という表現は相応しくないかもしれない。)
麻枝准が自ら企画した作品は最初のシーンに後から繋がる、戻ってくる、という話が多い。
- ONEという物 語の構 造は主人 公が、幼い頃の悲しい出来 事が原 因で思い描いた「えいえんのせかい」から始まり、そこで各ヒ ロ インとの学園でのエピソードを回想することによって、元の世 界に戻る動機 付けを見い出して回 帰する話である。学園エピソードの前半ではそれが回想だと気付かない作りになっている。(より正確に書くと,メ タな位置にいるはずのプレイ ヤにとってはリアルタイムの出来事が、作品中の主人 公にとっては回想になっている、という捻れた構造になっている。)
- AIRのゲーム版では、OPムー ビーの最後から繋がるシーンで、ラス トシーンの少 年が呟く「さようなら」という言 葉を国崎行人が夢うつ つに聴いている。(この時点では何のことが分からない。)これはアニメ版では抜け落ちてしまったが、代わりにアニ メではEDの少 年に「昔の事を思い出していた」という台詞を言わせている。A I Rのプロローグ「我が子よ、良くお聞きなさい。これから話すことは大切な事、これから・・・」のシーンも、クライマ ックスで再び使われている(これはアニメ版でも一緒)。このシーンはプロローグで使われたときは国崎行人と,その母 親を想起させる( 注:「力」を持つ者に課せられた、はるか遠い約束,というフレー ズに基づく)が、クライマッ クスで使われたときは「最初の翼 人」が自らの子 供に語りかけた台詞になっている。
- 智代アフターが回想なのは自明なので省略。
アニメ版ではプロローグを省いているため同じような仕掛けはやらないつもりなのかもしれない。
(仮に、アニメでも本編が回想である、という前提に立てば、アバンの『二人が出会った瞬間「光が揺らめ」いて彩度の上がる演出』は
朋也の思い入れ(「今思えばあの頃から俺は・・」的な)の反映とも解釈できる。)
しかし回想は積極的に使われていて、視聴者は、作中人物である朋也の主観的な時間軸を行ったり戻ったりする。
(書きかけ)
メモ: CLANNADがMAD的である理由 静止画MADムービー(静止画とテクストの断片と、音楽のシンクロ)、葉鍵系MAD全盛期(訴訟警告前)、動ポモのMADムービーに関する記述(トレンド:パロディ→原作の感動の再現) 音楽とキャラクターが、世界の連続性を担保しているー断片の羅列が世界を表現する 麻枝准の執筆方(音楽のイメージが無いとシナリオが書けずCDを延々と探している)、「ゲームの音楽は1/3」という麻枝の発言 「キャラ」が連続性を担保している(テヅカイズデッド) ADV形式ゲームの記号性(動ポモ) CLANNADのシナリオに対する二つのアプローチ:エクセルによる時間管理(監督:石原達也) 全エピソードのカード化と、パズルのような組み合わせ(脚本家:志茂文彦) ハルヒの成功がもたらしたもの: キャラクターのメタ物語性の確認:SFもミステリーもギャグもロマンスも同じキャラクターで可能である。(昔から。フルメタだってギャグとリアルだし、FFのようなRPGだって、(何故日本の作品にはシリアスな作品にもギャグがあるのか(ask john)),麻枝准は何故シリアスエピソードで笑いを入れるのか(ONEのバニ山バニ夫、Kanon舞エピソードのウサ耳、CLANNADアフターの風子参上、リトバス最終エピソードの丁寧に伏線まではってある筋肉大増殖) 時間軸を各自の脳内で再構築できる視聴者層が、商業的に成立する規模(DVDの売り上げがトップクラスになる程度には)はいた事の発見 「仕掛け」れば見つけてくれる視聴者と、その情報が直ぐに広まるネットワーク。 キャラ紹介の波線の演出は智代アフターだよね、白地の背景で「朋也の後を渚が・・」ってとこも智代アフターのOPかも? EDのウサギはONEのバニ山バニ夫。EDのだんご大家族の映像がNHKっぽいのは、当然だんご三兄弟のパロディだから シーンのトランジションがワイプなのはゲームのADVのパロディ? 猫。幽霊。 智代登場シーン。不良サングラスにギャラリーが映り、顔から汗がたらたら流れる→闘いたいわけじゃないけど、ギャラリーがいるから後に引けなくなってるのかな。不良が持ってる武器がフライパンってことは、ゆきねえの取り巻きかな、みたいな解釈話も含めて
ttp://takoashi.air-nifty.com/diary/2007/09/post_2017.html
ここを読んでいて、ちょっと吐き出したくなったことがあるので書く。
まったく異なる経験だが、自分もテレビ出演で非常に嫌な思いをしたことがある。
ずいぶん前のことだが、知人Oさん(友達の恋人)経由でテレビ出演依頼がきた。
ある番組に、知り合い同士のグループで出演してほしいとの依頼で、自分を含め数名が声をかけられる。
その番組には、某人気タレントたち(いまでも冠番組を持っている人々)が出演していた。
自分以外のメンバーは「ナマで人気芸能人を見られる!」「テレビに出られる!」「お金ももらえる!」と
めちゃくちゃ舞い上がっていた。
Oさんの話を聞いただけでも、低俗で自分の親が見たら泣くような内容であることが判明したので、
みんな辞退するだろうと思ってた。報酬に飛びついたメンバーもいたけど、わずか数千円だし、
そのために嫌な思いをしてまでやる必要のないことだと考えていた。
しかし、「親には言わなければバレないだろう。それよりこんな貴重なチャンス逃したくない」
「お金をもらえる上に、テレビに出られるんだ!」と盛り上がっているメンバーに押され、
ひとまずテレビ局側の詳しい説明を受けることになった。
その後、よくよく考え、どうしても番組内容に納得できなかったため、テレビ局の人と会う前に自分だけ辞退しようとしたものの、
メンバーの猛反対に合った。
理由は、出演条件に人数変更はNGだったから。日程的にも内容的にも自分の代理人を立てるのが難しかったのだが、
かといって1人だけ抜けることは許されなかったらしい。
途方にくれて、グループ内で信頼できそうなメンバーに相談した。
しかし、そのメンバーから脅し(誰々が怒ってキレる、あいつなにするかわかんないよ、あんたのせいで全員テレビに出れなく
なったらどう責任とるのか…など)に近い説得をされて、ひとまず説明会だけ参加することに。
説明を聞いたときは、小田嶋さんが言われていた
・番組のコンセプトを聞いて、ちょっと尻込み。なんだか裁判仕立てのバラエティーみたいだし。そういうのに出るのってヨゴレじゃないのか、と、そう思ったから。
・最初の直感に従えば良かった。
にまさに当てはまる状況で。
嫌な予感はしてたんだ。
しかし、当時はグループ内での人間関係を壊したくない、仲間はずれにされたくない、嫌われたくない、いじめられたくない、
という思いが強くあった。いや、もともと、自分はそのグループ内で浮いているんじゃね?という雰囲気があり、その真実を
受け止めるのが怖かったんだ。
これ以上浮きたくなくて、「自分が1日我慢すれば良いんだ」と、出演を決めた。
撮影当日は気が気じゃなくて、ずっと吐き気がしていた。
みんなは「@@にサインもらえるかな??」なんてはしゃいでいた。
撮影が終わったあとは、みじめな気持ちと出演しなければよかったという気持ちだけが残った。
いよいよ放映日。当然のことだが撮影内容が編集されて放映されていたので、撮影時には見えなかった自分達の醜態が
テレビにはたくさん映っていた、らしい(自分ではこわくて見てない。周りから聞いた話で概要をつかんだ)。
その番組は、素人達が隠し撮りされているところを、みんなでこっそり盗み見て楽しむような内容だったので、
本当にいい恥さらしだった。
内容を見たメンバーたちは、「こんなはずじゃなかった」と激怒。
おまけに放映を見た周りの人々からは白い目で見られ、親にもばれ、そのとき通っていた学校にも出演内容が漏れ、
校内でうわさになり、学校を退学させられそうになった。
その後、メンバー全員からストレスを一気にぶつけられ、しばらくして自分が壊れた。
この出来事が、よくない人間関係をたちきるいいきっかけだったとは思う。
でも、精神的におかしくなって病院通いして、しばらくの間まともに人間関係を築けなくなるほど、深いダメージを受けたのは事実。
回避する方法はいくらでもあったと今では思うけど、浮きたくないと必死で、追い詰められていた頭ではまともな思考が
働くはずはなくて。あの頃を思い出すと本当につらい。
いじめから逃れられなかった人に対して、なんで誰かに相談しないんだとか、助けを求めないんだとか、やり返さないんだとか
言う人もいるけど、そんなことできるような状況じゃないんだって、その時はじめて知った……。
唯一救いだったのは、落ち込んでいる自分を励ましてくれた友人たちと、自分がストレスのはけ口になっていることに
だから今でも、その番組に出演していた芸能人たちを見ると、吐き気がする。
そんでもって、テレビには二度と出たくない(まあ、出るようなことはないだろうけど)。