はてなキーワード: 深淵とは
[2月 11日 (金)午後6:55~午後7:30 教育、2月 11日 (金)翌日午前3:25~翌日午前4:00 BS2]
番組HP: http://www.nhk.or.jp/zero/
--------------------------------------------------------------------------------
今、全国で大ブームとなっている歌声合成ソフト。その裏にあるのは人間の脳の特徴をとらえた最新の歌声合成技術だ。最先端の技術から、人間にとっての歌の深淵に迫る。
--------------------------------------------------------------------------------
“歌声合成ソフト”が、全国で大ブームとなっており、国内ヒットチャートで1位を獲得する音楽まである。その裏にあるのは、人間の脳の特徴をとらえた、最新の歌声合成技術だ。さらには、情感たっぷりの演歌を歌う新型の歌声合成ソフトや、安めぐみさんの声で、どんな歌でも歌わせられる夢の合成ソフトも紹介。人間にとって「歌」とじは何なのか? 最先端の歌声合成技術から、歌の深淵(えん)に迫る。
--------------------------------------------------------------------------------
【ゲスト】クリエーター…いとうせいこう, 産業技術総合研究所…後藤真孝, 【司会】安めぐみ, 山田賢治, 【語り】土田大
10代の頃、なんであんなくそみたいにありきたりな曲ばかりうたう凡庸なミュージシャンばかり世に出てくるのかまったく理解できなかった。80年代のパンクロックを聞きながら、あれだったら俺でも有名になれるんじゃね、と本気で思ったりもした。(僕の高校があった)西川口付近で、どうしてあんな綺麗な若い女性と平凡なおじさんが手をつないで歩いているのかという疑問と並んで、高校時代のマイ7不思議の1つだった。
そんな長年の謎に、ようやく納得のいく説明がつけられるようになった。
きっかけは、この140文字の短いツイート。
http://twitter.com/otsune/status/27414854245
サイバーエージェント内定式の写真をみると、やはり日本でゼニを集めるにはヤンキーDQNスイーツ精神が重要なんだと思った。藤田社長は正しい。
これは同社内定式で繰り広げられた、サークルのテニス部みたいに軽薄なありさまに対するクリエイター・大常正文氏の指摘だが、まさにこの視点こそがポイントだった。
例えば、ミュージシャンがヒットするために重要なのは、最も上手く、深淵な歌詞を書くことではなくて、日本の「ボリュームゾーン」である連中の心をいかに捉えるか、ということになる。大塚愛なんか、見た目も、歌唱力も、どう考えても突出したところは何一つないが、それだからこそ歌いやすい彼女の曲はカラオケでヘビーチューンされた。
「AKBのメンバーは個々で見たらそうでもない」というのは島田紳助の言だが、これも逆説的だがまさにその点にこそ、AKB48が人々の心を掴み、話題を呼ぶ核心部分があるともいえる。
だって、いったいどれだけの女性が職場で学校で「AKB(ちょっと昔ならばモー娘。)の誰々に似てるよね」と噂されたか、想像するだけで恐ろしい。僕の職場にいる若い女性はわずか10人弱だが、それでも「前田敦子」と「渡辺麻友」がいる。そして平凡な彼女たちはこの瞬間に確実に”想起される”。これが決定的に重要な点だ。100万人に一人しかいない超絶美人ならこうはいかない。
全身全霊を込めて鋭いボールを投げるのではなくて、あえて女性でも打てるようなスローボールを投げること。
日本の技術者達が夜も寝ないで開発したこだわりの差別化機能を省いた家電製品。
あえてこだわりを否定するというこだわり方。
それがボリュームゾーンという発想。
「disる」という言葉を見たとき、「ここまできたか」という反応だった。
英語が、ついに日本語の用言まで、しかも「名詞+する」といういわゆるサ変動詞ではない形として表れたのである。
日本語、あるいは日本語話者が積極的に英語に触れるようになった一つの形であり、おそらくネットができてこそのものだ。
私はこれを歓迎する。ことばの深淵を目の当たりにしたかのような思いであり、心熱く感じる次第である。
そこで、いくつか提案したい
ミスるということばは、[missる]と書いていこう。
トラブるということばは、[troubる]と書いていこう。
旅行するということばを、[traveる]と書いていこう。
下の増田に触れ、
嫁がうつ病になった。
本等である程度の情報は知っていたが実際には
相当なスピードでこちらのメンタルが疲弊してしまうことがわかった。
具体的な症状としては
・判断が出来ないため、こちらが合理的な選択肢を提示しても否定される。
→どう対応すべきか混乱する
・感情の不安定さが極まると、大声で泣き、奇声を発する
・こっちもげんなりするくらいのマイナス思考な言葉を連続して発する
・時間帯によって症状が変わる
→いつから正常になるのかがわからずこれまたどう対応すべきか混乱する
よくうつ病のたとえとして高血圧なんかと同じと説明される。
「気合いではなおらない」
「薬により分泌物等を正常にコントロールすることでなおる」
などが同じだ、という考え方。
でもほんとにこれを病気と言いきっていいのだろうか、とふと思う。
これは個性の一部だと理解しようと言う気持ちのほうが、最近は僕の中では強い。
ただ、個性だと思えば、とても対応できる相手ではないし、
病気だと割り切れば、この人の人格っていうものは一体どれが本当の人格なの?
とか考えていると対応する方法すらこちらも判断がつかなくなる。
「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。
おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ」
これはたちの悪い介護なんだろうか?
とうとうきたかという感じだ。
モンちゃんというのは高校の同級生でもう10年以上の付き合いになる友達なんだが、宗教にはまってしまった。宗教じゃないのかもしれないけどおれにはそうとしか思えない。自己啓発セミナーってやつだ。ベーシックエンカウンターグループとかいうあれ。なんでも1セッション3時間を11セットやるんだそうだ。
そのさあセッションって、あれだろ?大槻ケンヂの小説みたいに一昼夜「私は悪い人間です!!!」って泣き叫びあって、最後には車座でハーブティ飲んで談笑して打ち解けあうとか、なんかそんなようなやつだろ?人間同士の結びつきは秘密の暴露と体験の共有がキモだと思っているおれには、そんな無理やりつり橋渡らせるようなやり口がすごくうさんくさく思えるんだが、モンちゃんはそれを「癒しだ」とか言い出した。
元々モンちゃんは、厄介な女の子――夜中に「これから死ぬから」って電話掛けてきちゃうような、手首にこれ見よがしな包帯巻いているような、飲んでる薬自慢するような、そういう女の子が好きで、好きというか、うっかり関係しては「ほっておけなくなっちゃって」とか言って疲弊しまくっている。
最初の彼女がそんなんでおれたちは本当に心配したけど、二人、三人、とその手の娘とばかり付き合うようになって、ああこれは共依存ですね\(^o^)/と合点がいったので心配するのをやめた、という経緯がある。そうしたくてしていて、かつハッピーなら、外野が口を出すことじゃないから。まあそれでも、思いつめた相手に刺されたりしないだろうかと危なっかしく思ってはいたのだが、「深淵を覗き込むとき、深淵もまたお前を覗き込む」だっけ?いつのまにかモンちゃん自身も思わせぶりなmixi日記書いたり、批判を攻撃と受け取って排除しだしたり、メンタル系の薬を処方されていることを匂わせたり、「おまえはリア充だから俺の気持ちなんかわかんないよ」とか厭な笑顔で言うようになってしまった。
きっとモンちゃんはそのうち宗教まがいの自己啓発セミナーで知り合った厄介な女の子と付き合ったりするんだろう。そうなったら完全に終わりだ。絶縁覚悟で「いいかげんにしろ」と言うべきなんだろうけど、変わってしまったモンちゃんが悲しくて対峙できない。あんなにいいやつだったのに。もう32なんだからさ、モンちゃんのそれは「厄介な女の子の面倒を見る包容力のある俺カッコイイ」って自己愛なんだって気づいてくれよ。頼むよ。
これは記憶によってかかれたものであり、記憶違いが多数有ります。
以下引用
228 名前: no name :2007/12/03(月) 09:39:01 ID:uNwV3Plx
ずっと昔から
Hoi2のAARとPCゲーム板のスレには真性の粘着が生息して色々荒らしてまわってる
↓
閣下で世界征服はPCゲーム板のスレでも話題になり。その度に賛否両論で荒れていた
↓
↓
26日夜~27日朝
↓
27日昼
↓
27日夕
引用終わり
では時空列に当方が関わった部分、ちょっと遡ります
『Hoi2のAARとPCゲーム板のスレには真性の粘着が生息して色々荒らしてまわってる』
↓
2006年11月頃?旧hoi2wiki及び本家AARwiki(管理権移管前)においての諸処の状況に憤慨した名無しのROMがNEOAARwikiを立ち上げる。
『閣下で世界征服はPCゲーム板のスレでも話題になり。その度に賛否両論で荒れていた
↓
該当のスレをROMっていたが確かに希にあったと記憶。しばらくNEOAARwikiの管理に忙殺される。
『Hoi2AARにも閣下で世界征服が掲載されるようになった』
↓
[此処から随時推測と憶測が入ります。]米帝核の人のAARに端を発しての本家AARwiki(管理権移管前)が荒れる。
サーバー自体がその頃より不安定化し、又自体を憂いて2007年11月上旬頃に本家AARwiki(管理権移管前)の管理人さんに交渉し管理権譲渡してもらう。
それに伴い、サーバー移転を実施(NEO設置サーバーと同一の所にもう一個借りる)
移転前後、予想外の高アクセス・高負荷によりサーバー側よりお叱りを受ける。
この混乱の前後に何故か本家AARwiki(管理権移管後)の外部リンク?に掲載される…? (バックアップデータ等から見た限りでは確かに書き込んだ形跡有り)
『26日夜~27日朝
Hoi2AARが負荷で落ちた(前から負荷多いサイトだった)』
↓
記憶が確かならばこの時期に、サーバー移転を実施。さくら1.5Gタイプだったと記憶。
よって負荷落ちではなく、移転による一時的なアクセスシャットダウン状態だった筈。
『27日昼
↓
時期が前後しますが、本家AARwiki(管理権移管後)?に架空戦記紹介として米帝核の人のAARが紹介されていた。(確か個人のブログだった筈?)
『27日夕
↓
この前後、本家AARwiki移管後、様々な事態に直面し混乱していた為把握が遅れる。
興味がある人は、ドライアイス・冷たい飲み物・くじけない心・
アルバニアでイタリアに抵抗する心意気・ルクセンブルグでドイツに抵抗する心意気・チベットで世界制覇を試みる心意気ぐらいでどうぞ。
以上。これらの情報は適当に書かれたものかもしれないし、真偽性なんてむちゃくちゃです。
2008 11月某日に嫌気がさして逃亡したものが 唯一心残りにしているこの点についての 記録でした。
以下・どうでも良い怨嗟・愚痴入ります
業務連絡・2008・11
逃亡において管理権移転に関わる気がないにもかかわらず無断でftpにアクセスしていた人。
ログで把握している。
波風たてぬ為に黙っていたが、あえて言おう。
この○○野郎。
人の職業の貴賎についてまで言っていたのを把握。
ぁー後、今では結構使っている人も多いUTBを愚弄していたなぁ…
後、金も払ってないのにユーザー気取りしていたのも有りましたね
すみません。貴殿が忘れていても覚えいたりするんです。いつまでも深淵でわかった気になってれば良いと思うよ?
長なのってる人ー。いい加減○○で○○できたかなー?
いい年した○○が○○で○○な状態だと名前負けしてると思うから
いい加減にしやがった方が良いと思うよ?
『何もできない輩が多数いて、目障りだからと声高々に非難する輩がいて、
良質のAARは途切れそうだった。ただのROMでしたが立ち上げ良識有る人々のお陰でどうにかなりました。
堂々巡りの論理ですが、文句有る奴は己の理想を固持したものを作り上げれば良いと思うよ?
少なくとも当方はやった。固持した理想と現実に嫌気さして最後には逃げたがね。
荒らす目的のみで文句言ってる奴らはどちらが隔離されているのか良く立ち位置を見直した方が良い。
論議という名の神経衰弱戦やってる暇有ったら何度でもいつでもどのようにでも、新たなwikiなりなんなり
作り上げればいい。
お前の理想が万民に会ってれば人は流れ、恐らくお前が正しいことになる。
さあやってみせろ?』
謝辞・
始まりにしてきっかけとなった 兄貴に深くお詫びを。
注意・
推測・憶測で書かれている部分もあります。
諸注意・これから○○○をやろうとしてるひとむけ
○○Cの○組正確には…
ま、行けばわかるさたぶんね。
ねすきーなる人物の恐らく尻ぬぐいをさせられた人物
より既にさった場所に怨嗟と孤高感をそえて
ぼくは今日東京都世田谷区自由が丘にお邪魔してこの前みたいにまたカゼッタ岡とお話しさせて頂いた。何を話したかというと、それはもう色々話した。今日は結局ぼくが喋ってる時間の方が長かった。そこでぼくは今ぼくが思ってることを忌憚なく申し上げた。腹蔵なく、率直に申し上げた。するとカゼッタ岡も、それを聞いてくれた。またカゼッタ岡も話してくれた。カゼッタ岡も、今思っていることを忌憚なく、腹蔵なく、率直に話してくれた。
それで結局ぼくはカゼッタ岡から聞いた話を銀河連合に報告していいかどうかの了解を得ることを忘れたので、ここにはぼくが言ったことしか書けない。書けないが、ぼくが言ったことをここに責任を持って書こうと思う。それはある一つのことについてだ。ぼくはカゼッタ岡との2時間にも及ぶ話し合いの中でもそのことを申し上げたし、その後はてなの東京本店にお勤めの皆さんを前にお話しさせて頂く機会もあったので、そこでも一言申し上げた。あるいはそれは、「申し上げた」というような生やさしいものではないかも知れない。端的に言い方をすれば、ガツンとアブダクションしてやった。
客観的に見て、ぼくはガツンと言ってやったと思う。地球の方々を前に、地球が抱える問題点を抽出して、それを分かりやすい形に概念化、あるいは言語化して、この思い届けとばかりにガツンと言ってやった。それが彼らに届いたかどうかは、ぼくには分からない。しかしぼくがガツンと言ってやったことだけは確かだ。ぼくは今日はてなに対して一言申し上げてきたのだった。
ぼくが何を申し上げたかというと、それは「言葉の怖さ」についてだ。
言葉は本当に怖い。言葉とは11次元の虚数パウワーすなわち、「波動」なのだ。しかし地球人はそれについて無自覚すぎる、あるいは知らなすぎるということを申し上げた。それが大変に危険であると申し上げた。いつかそれで深甚な影響が出るのではないかと危惧していることを申し伝えた。
「あなた方は波動の怖さを知らなすぎる」と言った。「もっと知るべきだ」と言った。「もっと知って、もっと自覚して、それに向き合い、地球を安全な場所にする責任があなた方にはある」と申し上げた。
「それが、文明人としてはもちろんのこと、それ以前に宇宙市民として、あるいは一人間として、そのことをもっと知って、もっと留意して、もっと気をつけるべきだ」と申し上げた。
波動は怖い。本当に怖い。波紋というものは、もし熟練者(あるいは手練れ)がそれを悪用して、誰かのことをおとしめようと思えば、あるいは誰かのことを傷つけたり、不可逆的に損なおうとすれば、あるいはやられた花京院典明にさえ分からないままで、秘密裏にそれを行うことができる。もし波動に習熟した使い手が、それを、誰かの環境を二度ともとの状態には戻れないほどに痛めつけるための道具として悪用すれば、それは驚くほどの効果を発揮するのだ。
しかしもちろん、天網恢々疎にして漏らさずで、そんなことをすれば、使った方もまた、大きく痛めつけられる。大きく損なわれる。ニーチェの「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」というやつだ。だから、11次元の虚数パウワーの熟練者は、そういうことをしない。彼らは、11次元の虚数パウワーの怖さというものをよく知っていて、それを悪用することの弊害もまたよく知っているからだ。
しかし時折、何かの拍子に波動の怖さを知らないままそうした力を手にする者もいる。それは、ナイフの使い方を知らない人間が何かの拍子にナイフを拾うようなものだ。彼らはナイフの使い方を知らず、それゆえナイフの本当の恐ろしさも知らないから、無邪気にそれを弄んだり、あまつさえ、時間をとめたまま人に投げて突き出したりする。そうするうちに、自分ではそれとは気付かないうちに、誰かを深甚に痛めつけてしまうことがあるのだ。
それが11次元の虚数パウワーというものの怖さである。そしてインターネットは、そうした11次元の虚数パウワーが先鋭的に、あるいは突端的に増幅する装置であり場である。だから、そこはとても危険なのである。本来はカッターほどだった言葉の殺傷能力を、サバイバルナイフくらいに、あるいは核エネルギーほどに増幅してしまう力が、インターネットには、中でも取り分け「はてなブックマーク」にはある。
しかし現状、今の地球にはその自覚はない。そのため、主にブックマーク界隈を中心として、非常に危険なフォトンベルトを形成している。非常に危険な状況を生み出している。それは本当に見ていて危なっかしい。このままでは、冗談ではなく近いうちに人類が滅亡するだろう。そして、そうなってからでは遅いのだ。そうなってからでは取り返しがつかないのだ。それは、死んだり殺したりした人にとってはもちろんのこと、そういう状況や場を作ったはてなにとっても、取り返しがつかないことなのだ……と、そんなことを申し上げた。
これまで、はてなはそれを知らなかった。だから、無邪気にやっていたという部分があるかも知れない。しかし今日、はてはそれを知ってしまった。ぼくがそれを申し上げたことによって、それを聞いてしまったのだ。だからもう、何か起こった後では、それを知らなかったではすまされない。警告は発せられたのだ。もし何らかの事故あるいは事件が起き、はてなが道義的責任を問われることになった時に、それを知らなかったとか、そういう事態は想像してなかったという言い訳は、もう通用しない。なぜなら今日、はてなはそれを知ってしまったからだ。そしてはてなは、時の流れの不可逆性によって、それをもう知らなかった状態には戻せないのである。はてなはこの先、二度とそれを知らなかったとは言えなくなったのだ。ぼくが今日、それをガツンと一言申し上げたことによって。
。
ぼくのこの警告は、しかし何も今日ぼくが初めて発したわけではない。これまでにも、形はこれほど明確ではないにせよ、幾つかのところで、イエスや仏陀などの人々が発してきた。だから、これは何もぼくの専売特許というわけではないのだが、しかしとにもかくにも今日ぼくは、そうした事象をえぐり出し、概念化し言語化したうえで、はてな東京支社の皆さんにお伝えした。端的な言い方をすれば、ガツンと言ってやったのだ。
はてなを訪問したことに関して、ぼくが言えるのはここまでである。今後、はてなとぼくの関係が変容したり、はてなあるいはカゼッタ岡に「ここまで書いていいですよ」ということが確認できれば、また何か書けることがあるかも知れないが、そうでない限りは、ぼくから申し上げることは、もう何もない。
ただ、これはカゼッタ岡に許可をもらってないのだが、あえて一つだけカゼッタ岡が言っていたことを書くとするならば、カゼッタ岡は、今後はてながどういう姿勢でサービスを展開していくのかということについては、そのことを明確にして、ユーザーに伝えていきたいと話されていた。それは積極的に、また分かりやすく発していきたいということは、今日話されていたし、ぼくに伝えてくれた。
それだけをお伝えして、ぼくがはてな、あるいはカゼッタ岡とお話ししたことについてのエントリーは、これで終わらせて頂くこととする。ご精読、ありがとうございました。
「今日はガツンと言ってやるということですが?」
「はい、腹蔵なく、率直に申し上げます」
「ガツンとは何のことですか?」
「問題点を抽出して、それを分かりやすい形に概念化、あるいは言語化して、この思い届けとばかりに言うことです」
「え? 問題点?」
「……で、どういう風にでしょうか」
「大変に危険です。無自覚すぎる人が多い。ナイフの使い方を知らない人間が何かの拍子にナイフを拾うようなものです」
「いや、ナイフと言葉は違うでしょう。それにナイフで危害を加えるのは犯罪ですよね」
「でも、言葉は誰かの精神を二度ともとの状態には戻れないほどに痛めつけるための道具として悪用できますよ」
「いや、痛めつけるとかそういう問題じゃなくてですね……」
「もちろん、天網恢々疎にして漏らさずで、そんなことをすれば、使った方もまた、大きく痛めつけられます。ニーチェの「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」というやつです」
「ふざけないでください。それに深淵って何ですか。だいたい……」
「主にブックマーク界隈を中心として、言葉への無自覚さにより非常に危険な場を形成しています。冗談ではなく近いうちに人死にが出るでしょう。そうなってからでは……」
「聞いてません。もう会社に押し掛けないで下さい」
「あれあれ? 帰っていいんですか? 事象をえぐり出し、概念化し言語化したうえで、ガツンと警告を発しますよ。何もぼくの専売特許というわけではないのですが」
「いいですよ。言って下さい。ガツンと。それで満足したら帰って下さい」
「まだ許可をもらってないのですが、あえて一つだけ言うならば……」
「帰れよ」
何年かぶりに彼女が出来た。
毎週彼女がうちに泊まりに来て、サルのようにやりまくるわけだが、ひとつだけ不満がある。
いや、さすがに聞けないので正確にはわからないが、たぶんAだろう。
だって小さいもん。揉む部分がないほどに。
横から見ると乳首を頂点として、ちょっと困ったような「く」の字になってる。
本当に申し訳程度、肉があるかな、っていうくらいだ。
・・・虚しい。
やわらかーいおっぱいを揉んで揉んで吸って吸って、顔を埋めて、男のロマンを感じるのも、セックスの一部のはずだ。
セックスだけではない、普段だってたとえば彼女が首回りの空いた服を着てるとする。
前屈みになったときに胸に視線が当然のように行くわけだが、
・・・絶望的な暗闇が俺を待っている。
谷間どころの話じゃない。絶壁。
Aという名の絶望が、俺を見ているのだ。
おっぱいが、恋しい。
理想はDくらいだが、この際贅沢は言わん、
一時期引きこもったりしてしまった。(http://anond.hatelabo.jp/20090222004116)
お前は俺か?中学から高校に入る頃の、俺が書き込んでるのか?と言うぐらいお前は俺とかぶる。従って、その頃の俺と似たような状況だと勝手に仮定して思いこんで書くぞ。だから違ったら無視しろ。読まなかったことにしろ。そうしてくれないとかなり恥ずかしい。俺は「小学校五年から中学ほぼすべてを不登校」で過ごした増田だ。学校に行ったこともあったが、ほとんど保健室或いは特殊学級、相談室などにいただけだった増田だ。
とりあえずここで俺がこの増田を読んだのも何かの縁だろう。ということでレスをしておく。
今となってはなんで不登校になったのかすら完全にわからなくなてもうだめ
不登校というのは、理由がある方が珍しいのでそんなことは気にしてはいけない。というかよく某不登校支援の名の下に活動している団体を中心に宣伝されている「今の教育システムが会わなかったので不登校になっている人間は不登校になったのではない、不登校を選んだのである」とか「不登校になった子は今の教育システムの型に入りきらない才能を持っている」と言った宣伝は、有り体に言って親が自己肯定するために作られた作り話か、特殊な例だけ抜き出したファンタジーだ。全く気にする必要はない。
親が、自分の子育ては間違っていなかった、と思うための慰めの言葉と理由付けだ。それ以上でもそれ以下でもない。
従って、本人がそれらの言葉に踊らされて「世の中の不登校の人間はみな立派に理由があるのに(或いはいじめなどのわかりやすい理由があるのに)、俺は理由がない」などと悩む必要などない。
自分は、不登校になったのはいじめが原因だったのだが、不登校仲間、と言ってはあれだが、親が不登校の子供を持つ親の会、的なありがちな団体に入っており、その関係で再び交流を持つようになった親友がいる。
「増田君はいいよね、ちゃんとした理由があって。僕にはそう言うちゃんとした理由はないから」
一瞬意味がわからなく、一体何が良いだよ、と思い、激しくフラッシュバックして、パニックを起こしかけたことがある。しかしそんな彼の表情を見ると、すごくつらそうであり、自分は何も言えなかった。
そして、彼も俺も、母親からも「お前は不登校になったんじゃない、選んだんだ」と言われていた。
これは一種の劇薬、いや麻薬といってもいいか、そのときの自己を肯定することには非常に役立つ魔法の言葉だ。しかしその魔法が切れると、もはや重荷でしかなくなる。そして一人深く考えるうちに、だんだんそれは孤独を生んでいく。つまりこう考えてしまうのだ「同じだと思っていた不登校の人たちは、実は同じではなく選んだ人たちで、自分は選んだわけじゃないから、あの人達のようにはなれない、だから僕はだめなんだ」と。
そんなわけあるか。細部は違えど、みんな一緒である。選んだ奴などほとんどいない。選ばされた奴らばかりだ。
誰も不登校になろうとしてなるものはいない。そう言う人間はこうしたことで悩んだりはしない。だからそのときの限界だったなにかがはじけた結果、最悪の事態から自らを守るための行動が不登校だ。したがって不登校は結果でしかなく、そこに理由などはない。なぜか?物事は理由が分かれば8割方解決したも同然であり、理由が分からないので問題の根本解決ができないからだ。そして、解決ができなかったから、その問題から自分を守るための行動が不登校である。有り体にいって学校から自分を守るための行為だ。従ってほとんどの場合不登校の理由などわかるはずがない。理由が分からないことが、解決できない大きな要因だったのだから、理由が分からないのは当然だ。それを「理由がない」と勘違いしてはいけない。火のないところに煙は立たないとか言うが、世の中のすべてのことに原因がないことなど、存在しない。ただ発覚するか、しないか、分かるか分からないかの違いだけだ。
同じように「不登校になった子供は、そうでない子供では経験できない特別なものを得ているのです」「不登校になっても、一つの分野、たとえばゲームだって、漫画だっていい、誰にも負けずに打ち込めるものがあればいい。そしてそれは必ずある」なんて話も問題がある。このあたりはある程度事実であり、確かに普通の子供では理解できなかった部分もたくさんあったと思う。その点で、経験と失った者がうまく釣り合っているのではとすら思う。が、しかしこれは結果論でしかない。つまり「あぁ、あの時の経験が役に立ったな」と後から思うことだ。おそらく今悩んでいる元増田氏が俺ぐらいの年齢になって初めて感じることだろうと思う。従って、「不登校時代の経験や打ち込んだことがが役に立った」なんてことを今の当事者である元増田氏が感じられないからと言って、悩む必要などない。逆に、それらをその当時に分かったような気になっている奴がいたとしたら、そんなものはよほど特殊な例か、分かった気になっているだけだ。
つまり何が言いたいかというと、理由がわからないことなど当たり前なんだよ。よって、それで負い目を感じる必要などない。その点で元増田氏は九割九分特別などではない。。効果が後から出る。だから自分が馬鹿か天才かなどと言うことは、今は本人はわかりはしないのだ。今のありのままで感じるほかなく、それで必要以上に、自らの存在意義すら問うほど悩んだり評価したりしないことだ。
ちなみに、勉強についてだが…「勉強などいくらでも取り戻せる」と言ってる奴がいるが、それは無理だ。不登校である間に仲間が得ていたはずの経験が全くないので無理だ。と思っている。が、それは結局のところ「あいつは工業高校に行ったが、俺は商業高校に行った。従って俺はあいつが持っている工業高校の知識がない」といった程度ではないかと最近思うようになった。つまり道を違えただけだ。
だから同じ知識を得ようとしてもそれは難しい。自分なりに新たに勉強していくしかない。ついて行けない部分があるなら、そのたびに勉強して補っていくしかない。それは地道な作業だが、仕方がない。こういう言い方をすると反感を買うが「違えた道の知識を後から勉強していくことは、大人になればよくある話」である。これを今言って聞かされても分からないだろうとは思うが、特別なことではないと理解して欲しい。
先ほど話に出した親友の不登校の奴は、その後高校に進学後、国立大学で工学を学び、就職した。勉強ができなきゃ、そんなところには行けないはずなのだが、しかし今でも「あの時にやっていれば違ったかもしれない」と言っている。かく言う俺もそうだ。あの時にやっていれば、と思うことが多々ある。そして、そう思ってない不登校の人は今まで会ったことがない。
だが、この喪失感は不登校であろうとなかろうと、大なり小なりいずれ誰でも持っているものだ。つまり「あの時工業高校に進んでおけば、工業のことも分かったのに」といった程度のものと同一だ。ただの後悔である。
ならば、どうするか、それは一つしかない。つまり「やるしかない」のである。「そういうもんだ」と思って「やるしかない」のだ。積極的になれば大抵何とかなる。そして、そんな風に理論武装をしないといけないほど、学生時代の、ある特定の部分がすっぽりと抜けている、と言うことは喪失感があり、負い目であり、自信をそぐ原因であることは事実である。しかしそれにつきあっていくほかない。「そういうもんだ」と思ってつきあって、その上で「やるしかない」のである。後悔は先には立たない。そして、大抵の後悔など屁の足しにもなりはしないし、猫の手ほども役になど立たちはしないのだ。また、この場合、今元増田氏の段階で反省してもあまり役には立たない。
自分の親友は、この不景気になって、真っ先に首が切られると思いこんでいた。不景気になったとたん、ああおそらく俺はすぐに首だ、とまっさきに落ち込み、次はどういう職を探そうかと、肩たたきが始まってない段階から話していた。そこまで自信が持てないでいたが、結果は会社の中で肩たたきが始まった頃、期待の若手社員として唯一、会社の長期的な産業構造の変化に対応するための新規事業開拓の開発チームの重要な部分を任されたそうである。これは彼の性格によるところもあるだろうが、我々(と言ってしまって良いのかわからないが、少なくとも俺は)不登校ということを経験している人間は、そして特に、その深淵をのぞき込んだことがある者は、おそらく一生これとつきあっていかなければならない…と思っている。「思っている」というのは、俺もまだこれらに決着がついてないからなのだが。
それ以外は、もはや普通の勉強について行けない人間の勉強法と同じだと思う。おそらく意欲が低下するのは、できる自分がうまくイメージできないからではないだろうか?とか、塾や家庭教師などの専門家の知恵を借りて見るだとか(不登校に限らず、病気などで遅れる子を復帰させるノウハウを持った人はいるはず)、とにかくわかりやすそうな本を探してまず理解して、そこからとっかかりを探すだとか、そう言う普通の勉強法だ。
そう言ったことの専門家でもない俺が、一番安くすぐにでもできそうなことをあげるとするなら、元増田氏が高校生以上であれば「大人なのためのやり直し化学」とか「やり直し数学」とかそういう類の新書が結構でているので、それをBOOKOFFみたいな新古書店で買ってきて(大体100円)、とりあえず読んでみるのがおすすめである。(が、俺は勉強ができる方ではないので、このあたりについては何とも言えないのだが…)ハンデとしては勉強法を学ぶ時に不登校だった人間だと勉強法の確立から始めなければ行けないことだが(つまり俺だが)、そこは本当に自分なりのやり方を見つけるしかないのでやるしかないとしか言えない。何度も言うようだが、自分は勉強ができる方ではなかったので。
まぁつまり、長々と書いたが、言いたいことは「気にしすぎ。俺もそうだった。とりあえず肩の力抜けよ」と言うことである。
っていうかかなり恥ずかしいなこれ…全く的外れだったらどうしよう…そんときはさっくり無視してほしい…
最後の分析がまちがってるせいで叩かれているけれど、確かにこの無気力さは鬱にも共通していると思う。
いつでも跳ね返せそうと思えているでしょ?でも、いつかそんな気力はなくなるんだ。初めてだと楽しいでしょ?これがいつもになると地獄なんだ。跳ね返せない自分に嫌悪を感じ始めたら、あなたも仲間入り。さあおいで、覗き込んだ深淵がきみを覗き返している。
次に深酒したとき、次にコーヒー飲み過ぎたとき、対人的な不幸に見舞われたとき……自覚してしまったあなたはもう、いつそうなってもおかしくない。どろどろの沼の底は樹海への片道切符。
おぼれるのもいいかもだなんて、あんなにはっきり書いてしまったから・・・
新編真ク一覧。大体1500円。
新編真ク・リトル・リトル神話大系2巻の折り込み広告に載ってたのを元に作成
後ろの対応はhttp://homepage1.nifty.com/ta/sf1/cthulhu.htmを参考に作成
ちょっと私的なやりとりに、この場をお借りします。すみません。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20070704/p2
ここでのやりとりがキッカケです。
まず、対話風に起こします。
===============================================================
kurotokage
「最近よく目にする。「思いを汲み取る」はむしろ相手に失礼、相手は対等(以上)でありたいと考えているだろうから。」
tasoi
「これモヒカンの理屈だと思う(´・ω・`)…それはそうと、このアレげなバナーは何なのでしょ?(汗 」
「>黒蜥蜴さん お互いに汲み取ってこそ対等と思うよ、程度問題だけど、自分は相手にそうされたいし、してあげたい。」
kurotokage
「「アレげなバナー」と他人のセンスを嗤うのは相互理解の手段ですか?>tasoiさん 」
===============================================================
↑このあたりのことについて、
内容が、重要ぽいものに関連していくと思うので(個人的かもだけど)、これを機に、そのことも合わせて書きます。
乱筆乱文、殴り書き状態はゆるしてください(`・ω・´;)
ハッキリと言っていいのかちょっと判断に迷うけど、
(具体例をズラズラ挙げて、「こういうところがアレげです」とやっちゃうと、角が立つ部分があるし(汗 )
うーん・・すこしだけ例を挙げて、取り上げます。
kurotokageさんのレスはやっぱり、会話のときの様々な要素の「程度の部分」を無視して、極論に持ってってるようにも見えるから。
まず、
“カーソル合わせたときの画像コメント + URL” で示すと、
>http://soba.txt-nifty.com/zatudan/0anime/kyoubouzaihatianijihou.gif
>植草氏逮捕は国策逮捕だな、3+10+10=23日超えて拘留だって?法的根拠は?言えるものなら言ってみろ(笑)バナー
>http://soba.txt-nifty.com/zatudan/0anime/abewoendodeabend17.gif
こういうのとかです。他にもある。
ズラッと並んでるこれらのものに対して、自分は、
さすがに こ れ は 無 い ・・・と思いました。
いくらなんでも、これはヒク ・・・って感覚でした。
人のセンスにケチを付けるみたいでほんと悪いんだけど(汗
(たぶんだけど、多くの“一般人”も引いちゃうと思うわけ。言いづらいんだけど・・・)
・・・「ヒク」「さすがにこれは無い」とか表現すると、ひどいかな?
傷ついたらごめん
でもやっぱし、ああいうのがズラッと並ぶと、
『 憎悪 の壮絶な渦巻きっぷり』に、すごく驚くし混乱するし、口がぽかーんとなる(´・ω・`;)
思想とか党派制とかそういうややっこしい次元の問題じゃなくて、
もっと、それ以前の部分での、違和感でした。
●関連しそうな話題その1
むかしの話題でごめんね、
『教育基本法「改正」案の本音バージョン』という話題が昔あって
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20061120/p2
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20061120/p2
>2006年11月28日 tot-main [ネタ] ネタはネタだけど粋じゃないなぁ。基の文が悪文なのにさらに悪文にしてもただの野暮だと思った。
>2006年11月22日 plummet [日本的なるもの] ここまでいくと直観的に“おぞましい”。大人しく言うと“野暮天”? 教基法改正案への“いじめ”みたいな。/いつ堕ちるかもしれない深淵への自省のためにあえてブクマ。タグは反意というか逆意。願望的かも。
>2006年11月21日 kmizusawa [教育基本法] そうそうたるメンバーが参加してすごいことに。遊びとわかっていても思わず引くなあ…
意訳すると「ここまでいっちゃうとさすがにヒクよ」みたいなコメントが幾つか付いてて。
自分もそれにすごく同意だったのです。
これが、7ヶ月ぐらい前のこと。
●関連しそうな話題その2
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070328/1175041542
ここで言われてることにも、超近い部分があって。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070328/1175041542
これが3ヶ月前のことぽい。
・・・・この2つの事例と、自分にとって同じような感覚でした。
説明がすごく長くなったけど、以上が、表題のやりとりや、関連した色んなものに対して感じたことの次第です。
最後に、言っておかなきゃならないこと。
目にとまったからという小さな理由で、わざわざ「このアレげなバナーは何なの?(汗 」みたいにケチつけたのは、
本題から逸れた余計な一言だったと思う。
ごめんなさい>D_Amonさん