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はてなキーワード: 深淵とは

2007-05-07

[]はてなで記事を書かない人間が書く文章なんざ、ロクなもんじゃねえ

知人からこの日記を改変してくれーと言われたので書く。ということで間借りしますー。

 常々ここをヲチされている、顔も知らない愛すべき増田民たちの想定の範囲内だったかどうかは別として、自分はふだんはてなダイアリー日記を書く人である。いや。1ヶ月ではてなブックマーク100個ブックマークしてそのうち半数をコメントするかどうかも結構あやしいライトはてなダイアラーの自分が、ここを覗いている数多の重度のはてなダイアラーたちを前にしてこう堂々とはてなダイアラー宣言するのもおこがましい話ではあるのだが、世間一般的な基準に従うと、いちおうはてなダイアラーの部類に振り分けられるらしい。もともとがまんが足りなく、「finalventの日記」のいいかげんな書き飛ばし記事がはてブ注目エントリー入りしているのを見た瞬間に心がムズムズして記事を書いてトラックバックを送らずにはいられない、傍目にはおよそ典型的なはてな依存症の自分がなぜそうまでして毎日はてなダイアリーを書いているのかと言えば、これでも物書きの端くれだと思っているからである。モノを書く人間ならはてなダイアリーブックマーク、嗜んだことがなければ文字通り「お話にならない」し、はてなダイアリーを使わない人間が書いた文章なんて、大抵ロクなもんじゃない

 読む価値が無い、とまで言ってしまうとそれは過言として。非はてなユーザーが書いたものでも読むべき文章は無数にあるはてなユーザーが書いたものでもはてブ1発分の価値すらない文章もザラにある。あらゆるものの90%はクズである。はてなダイアリーを使わない物書きがなぜダメなのかと言えば、それははてなダイアリーを使っていないからだ。彼らは「はてなダイアリーがない世界」のことしか知らない。はてなダイアリーを使う人間は、はてなダイアリーを使わなかったこともある人間である。彼らは「はてなダイアリーを使う世界」と「使わない世界」、両方について自らの経験に基づいて一応の見識を持つことができる。モノを書く人間や、ブロガーにとって一番の武器は、彼が持ちうるそのパラダイムの多さだろう

 普段はてなダイアリーを使っていない人間は、ためしに想像してみてほしい。どうやって「記事を書く」のかを。まずジャンルは? いったいどれを選べば良い? 非モテダイアラーrepublic1963furukatsukiya2014umetenは、それぞれどうキャラが違う? スキンはどれを選択する? hatenaシリーズはともかく、指定なしって結構ディスプレイサイズがでかいユーザーにとってはクセ者よ? キーワードになっている単語はどうやってつける? なにも考えずに記事を書いてるだけじゃ、誰も読まずに流されるだけですよ? どこで記事を書くのを止める? 先っちょだけ書いてほのめかす?真ん中まで書いて読者に思考の道筋を与える?それともギリギリのところまで書いて「続きは後日」? [続きを読む]って、どこまで溜まったらつけてほしいものなんだろう……? 等等。いかに「はてなダイアリーの世界」について無知なのか気づくはずだ。自分の周りには、あんなにもはてなダイアラーが多いと、ずっと思っていたはずなのに。いままで非ダイアラーは一体ネットの何を見ていたというのだろう?

 はてなダイアリーひとつとっても、「こちら側」と「あちら側」でこれだけものの見方が違うのだ。思考の越境はかくも困難なり。しかしおそらくモノを書くことを生業にする人間こそ、常々何かについて考え、不断の「思考の越境」に努めなければならない人種である。それが日常の些細な事象についてなら尚更だ。ここで勘違いしてほしくはないのだが、自分がはてなダイアリーを積極的に奨励し、その欠点を必死に覆い隠してはてなダイアリーの普及に尽力している、と思われるのは心外である。そんなつもりは毛頭ない。どう言い訳してみたところで自分の文章をロハで叩き売るのは毒だ。百害あって一利なしである。それでも、絶望の際に立っておずおずと久遠深淵を覗き込んで尚、闇の底から見るはてなダイアリーシンプルな美しさについて必死に思いを巡らせる。それがモノを書く人間の、最低限持つべき心意気だと思う。

 『はてなダイアリーを使わない人間にものを書く資格がない』と言うわけではない。が、やはりモノを書く人間には何かしらの「はてなhatena)」がなくてはならないように思われる。別にそれがはてなダイアリーであれ、とは言わない。ブックマークでも、アンテナでも、人力検索はてなでも。物書きならば何かのhatenaじゃなければならない。そうでなくては、思考がねばついたものにならない。さらさらした思考からは、何も生まれない。さらさらした文章が生まれるだけだ。思考の「越境」と「拘泥」はものを書くために必要不可欠な要素である。その為には、多くのブログを読むのもいろんなアルファブロガーから話を聞くのもよいが、やはりはてなの「キーワード検索」こそが最も頼りとする素養となるだろう。

 と、ここまで書いてしまえば、これ以上ない決定的な批判に晒されずにはおられないことは馬鹿ではないから自分でも分かっている。

オマエダイアリー、まだはてなアンテナ登録数10人いないじゃないか」と。

いや。まぁ。それはそれで。そっちのほうがマイノリティな界隈にバカ受けな文章が書ける、ということにしておいて。

おまけ

手塚治虫人間関係希薄な人は漫画は描けない。漫画とは読者との会話だからだ』

宮崎駿『ロクに人生経験も無いオタクを雇うつもりはない。火を表現するには火に触れないと駄目だ』

庵野秀明アニメ漫画依存するのは止めて外に出て欲しい。あれはただの絵だ』

富野由悠季オタクは日常会話が出来ない。アニメ作るならアニメ見るな』

藤子・F・不二雄『よく「漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ」だとか

「人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない」だとか言われますが、

私の持っている漫画観は全く逆です。

人はゼロからストーリーを作ろうとする時に「思い出の冷蔵庫」を開けてしまう。

自分が人生で経験して、「冷蔵保存」しているものを漫画として消化しようとするのです。

それを由(よし)とする人もいますが、私はそれを創造行為の終着駅だと考えています。

家の冷蔵庫を開けてご覧なさい。ロブスターがありますか?多種多様ハーブ類がありますか?

近所のスーパーで買ってきた肉、野菜チーズ牛乳・・・

どの家の冷蔵庫も然して変わりません。

多くの『人並に人生を送った漫画家達』は「でも、折角あるんだし勿体無い・・・」とそれらの食材で賄おうします。

思い出を引っ張り出して出来上がった料理は大抵がありふれた学校生活を舞台にした料理です。

しかし、退屈で鬱積した人生を送ってきた漫画家は違う。

人生経験自体が希薄記憶を掘り出してもネタが無い。思い出の冷蔵庫に何も入ってない。

必然的に他所から食材を仕入れてくる羽目になる。 漫画制作でいうなら「資料収集/取材」ですね。

全てはそこから始まる。

その気になればロブスターどころじゃなく、世界各国を回って食材を仕入れる事も出来る。

つまり、漫画を体験ではなく緻密な取材に基づいて描こうとする。

ここから可能性は無限に広がるのです。私はそういう人が描いた漫画を支持したい。

卒なくこなす「人間優等生」よりも、殻に閉じこもってる落ちこぼれ漫画を読みたい。』

2007-04-24

「ice9」

先日カート・ヴォネガットが亡くなったことで、「はてなダイアリー」の「ice9」について思い出した。

はてなに入って、よけいにインターネットとはどういうものか、つきつけられたような気分になった。ぼくはニフティが嫌いだったのでインターネットが好きになれたんだと思っていたけど、今、インターネットで一番注視されて、仕組みが強化されているのが、ぼくが嫌いだったところばかりなので、嫌だなあと思う。

すべてのものが、コミュニケーションつまみたいに使われるのが、ぼくにはどうしても理解できない。

ice9 - 10日目


話はちょっと変わるけど、ekkenさんは倫理の話をしているようにも見えて、実は論理的な矛盾についてしか話していない。なぜだろう。

ekkenさんの「他人の俺ルールを指摘しつつ自分の俺ルールに気付かない罠」というような言い方は、最近はてなでよく見る気がする。つまり、はてなの言論は、相手が論理的に破綻しているということをいかに言うかというゲームに近づいてるような気がする。相手の言ってることをメソッドメソッドと言って、議論をパターンに落とし込もうとするのも、一部はこれが目的になっているものがあると思う。

まあ、ぼくがこういうふうに書いているのもパターン化しようとしてるじゃないか、と言われると困るんだけど、うーん、それはトートロジカルだからパスということにさせてもらいたいなあ。

なぜ論理的な破綻を指摘するのが専らになっているかというと、はてなというブログで行われる「議論」の上では、倫理という不確かな基準は邪魔なので、かなり早い段階で捨てることが可能になった*1からじゃないだろうか。

倫理という、いかにも相対的に成り立っていそうな基準を残すと、「どっちも正しい」または「どっちも正しくない」と言い得てしまうから、基準として使わないことにした方が議論は長持ちするし、面白くなる。それと、結論(勝ち負け)が作れる。それともう1つ、論理的な方が勝てる。

でも、議論のために倫理基準を棚上げするのは、論理的な間違いがないかどうかだけで消去法的に「正当性」が決定されていく危険性があって、今のはてなには、ぼくはそういうものを感じる。それは開かれた言論とは違うと思うし、イヤだなあと思う。

ekkenさんは、たとえば「お前のやっているのは下劣なことだ」とか、そういう倫理的な領域しか持たない言い方だと、ヘタをすれば目糞鼻糞みたいなことになっちゃうから、そういう言い方はしない。だから、相手のやり方自体がいい悪いとは言いませんよ、と断った上で、矛盾の指摘を行っているんだと思う。こうすると、「相手は非論理的であり間違っている」という、別の話になる。ついでに「自分は論理的で正しい」とも言える。相手の非論理性を指摘できるほどに論理的なんだ。でも、これって議論というものになっているんだろうか?ぼくは議論とか論争とか、討論とか、そういうのに疎いのでよくわからないなあ。少なくとも、意見交換にはなってないよね。お互いにとって。

本来なら、倫理は基準が曖昧であるからこそ、それにかかわる話はむしろ慎重にしなければならないし、「結論」を導き出すのを避けてもいいはずと思う。倫理論理的な問題に置き換えることは、議論のための議論ではうまくいくけれども、本来の目的が相互理解とか意見の交換だとすれば、そういう方法が有益かどうかは疑問だ。*2

そもそも、論理だって結局は倫理や感情から乖離して築かれるわけじゃないから、この考え方はとても歪だ。そして、はてなにおいて特に発達してしまっただけの理屈なので、どこでも通用するわけじゃない(どこででも通用する理屈などない)。だから、外部とはてな内を容易に繋いでしまうはてなブックマークは、その倫理について外部から批判を浴びやすいし、擁護しにくいのではないかと考えられる。

ice9 - 18日目


しかし、ここで先に、断っておいたほうがいいと思う。ぼくはこれから、ボコノン教が、はてなにはびこっている思想より優れているから学びなさいとか、逆に、はてなに見られる思想の中身が、ボコノン教の教義とそっくりで、つまりはてな「こそ」がカルト的なのだとか、そういうことを書くわけじゃない。「はてな連中は、カルトと同じだ!」などと、読者に対してセンセーショナルな書き方ができれば、ずっとこの話は簡単だろう。しかし、そういう話ではないんだ。

さて、本題に入るために、物語からボコノン教に関する部分だけを取り出してうまく説明することができるか、やってみよう。そんなことができるか、わからないけど。

ice9 - 23日目


結局、「連帯」なんて、どういうものであれ、「無意味」なのである。「連帯」に限らず、本来、コミュニケーションというものを論理的に突き詰めるならば、だれもがみんな、別の誰かから見ればカルト教団みたいなものなんだ。どこにも了解できる真実などなく、全員が、それぞれにとっての真実を持っている。コミュニケーションとは、わずかずつルールを積み上げて、お互いを把握していく作業だ。もちろん、どちらが正しいかを決めるゲームなんかじゃない。

ところが、はてなでは、単にはてなで築いてきただけのルール常識を、いきなり他者に適用しようとする人が多いように思う。重ねて言うが、自分の意見が正当かどうかは、分からない。確認のしようは、どこにもない。論理的というのは、本来そういうことなんだ。

それなのに、相手が自分と同じルールを了解していないことを、「客観的でない」態度であるとして退け、そこに議論での優位性を訴えたりするのは、まさに「客観的」ではない。それは「客観性A」とでもいうような、限りなく不確かな視点だ。

ice9 - 23日目


ああ、どうして自分が正しいなんて、言わなくちゃいけないんだろう。自分は理性的で論理的だなんて、言うんだろう!自分のほうが一般的な考え方をしているとか、法律に適っているのは我が方であるというのは、「相手が間違っている」と言いたいだけじゃないか。突き詰めれば理性も論理もない、という深淵を覗き込まず、いつも相手だけが感情的なのだ。

キーワードでつながる面白ブログ

やっぱりこれは、末代祟る、恐ろしい呪いなのかなあ?

はてな以外のブログサービスでは、触れあわない人たちは、ほとんど触れあわない。検索エンジンなどによって、ネット全体という括りか、狭くてもブログ界隈という括りでまとめられる。だから、サービス内部のみでのコミュニケーションの契機は、はてなほど頻繁には発生しない。昨日書いた、mixiの話にちょっと近いと思う。つまり、お互いに分かり合っていないということすら認識せずに、そこにいる。

はてなには、ぼくが知っているだけでも、キーワードがあり、「おとなり日記」というのがある。ユーザー同士を言葉で近づけようとしているってことだ。

しかし「言葉」には、本当は内在する意味なんてない。そのことが、相互理解のために使われないのは残念だ。はてなユーザー達は、それを論争の種にすることに馴れてしまっている。「常識」を決するゲームが開始されるんだ。

ice9 - 24日目

2007-04-11

http://anond.hatelabo.jp/20070411200401

それ以上に、本田さんも滝本さんも自分の血で書いてるからじゃない?

彼らは自分の言説で自分自身を傷付けてる。ニーチェの言説がブーメラン(永井さん参照)なのと同じで。

深淵を覗き込む者は……じゃないけど、オタクを覗く者は、自らもまたオタクに覗き込まれねばならないんだよ。じゃなければ軽薄になってしまう。たぶん。

2007-03-02

「あえて」の彼岸

http://anond.hatelabo.jp/20070302135018

深淵を見つめるものはうんたらかんたらってやつかな。

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