はてなキーワード: 明治時代とは
http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20100608/1275933435
リンク先の人、こんな事言ってる時点で自分は無知だと言いふらしてるようなもんだけどな。
大体、東アジアの安全保障のためにアメリカ軍のプレゼンスが欠かせないという理屈を、今、どの程度の人が納得してるんでしょうか?
俺から言わせりゃ、明治時代の人間がパソコンのファイアウォールの必要性を理解出来るわきゃねえだろって話。中国がどんだけ在日米軍をウザがってるのか(在日米軍のせいで調子に乗れなくなっているか)を知らないか、故意に無視してればどうとでも言える。
安全保障の議論になると、専門家はすぐに、軍事的なシミュレーションを始めますが、ある国がどこかの国を攻撃するかどうかというのは、基本的には「損得」の問題です。攻撃して、得をするのか、損をするのか。その際に、相手国の軍事力を過大に評価するのは間違っています。
シミュレーションするのが当然なんだよ。損得は全く関係無い。「それが出来る能力を獲得しようとしている」ってのが重要なんだよ。これが分かってない奴多すぎる。せいぜい10年か20年先しか損得関係なんてのは推し量れない。50年後も損得関係が維持され続けてる保証はどこにも無い。それに備えて軍拡してるような国に、10年20年程度のスパンで物考えてたら間に合わないよ。
つか、本当に損得が大事なら、アメリカが核を何千発何万発持とうが別に何の問題も無いじゃん。実際に使えるわきゃないんだから、さ。そういう事だろ?
北朝鮮の核開発とか別にいいじゃん。持つだけで実際に使えるわけがないんだからさ。でも世界中が北朝鮮を批判して、六カ国協議とかやって止めようとしてる。何故だ?
仮に、東京にミサイルが一発落ちれば、日本人だけでなく、アメリカ人も、中国人も、ロシア人も、ブラジル人も、分け隔てなく死にます。
独裁国家だけは別だっつーの。中国なんか文化大革命でどんだけ自国民殺したと思ってんだよ。それでいて実行した中国共産党は一度も政権から下野した事ねえじゃん。民主国家と比較してリスクが全く違う。
それは民主国家である事が大前提な。自国民を苛めたらあっさりと権力の座から引きずり下ろされる体制が構築されている事が必須条件。
「核戦争?こっちは13億人口いるんですけど?10億死んでもまだアメ公の人口と同じくらい残ってるんですけど?」とか軍の将校が平気で口走れるような国相手に通用する理屈じゃねえんだよ。
ttp://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100114/212173/
日本がいち早く近代化を達成できたのはなぜなのかについては、さまざまな見方がある。そして、さまざまな要因があったのは確かだと思う。だがそのなかで、日本が1千年以上にわたって、進んだ文明から学ぶ姿勢をとり続けてきたことも、無視できない要因だと思う。
日本は島国だが、少し離れたところに文明の中心があるという地理的な条件に恵まれていた。このため、古代から、まだ見ぬ先進的な文化に憧れ、先進的な文化を学ぶ姿勢をとってきた。古くは朝鮮半島を通して中国から学び、中国を通して古代インドの文化も学んでいる。その過程で、古代中国語を漢文訓読という独特の方法で翻訳する技術を開発している。
戦国時代からはヨーロッパとの接触がはじまり、各種の技術を取り入れるようになった。幕末明治の時代に欧米列強の軍事的な圧力を受けるようになると、日本は憧れと学習の対象を中国から欧米に切り替え、欧米の進んだ文化を学ぶことを国の最優先課題にするようになった。そのときに役だったのが中国の文化を学んできた伝統である。漢文訓読の伝統があったからこそ、日本は翻訳を使って欧米の文化を学ぶ方法を採用したのだろう。そして、漢文訓読に似た翻訳調という方法を編み出し、欧米の重要な文献を徹底して翻訳するようになった。
いまでは、急速な近代化という明治時代の目標はほぼ達成できている。それに伴って、欧米との関係も変わってきている。憧れの対象ではなくなり、もっと自然に、対等に近い立場で付き合えるようになったといえるだろう。
しかし、海外にはもはや学ぶものはないという傲慢な姿勢をとったとき、いかに悲惨な状況に陥るかは、何度も痛い思いをして学んできたはずだ。たとえば経済や経営の分野では、1980年代後半が傲慢になった時期にあたっている。その後の「失われた10年」がいつしか「失われた20年」になろうとしているのは、傲慢になった報いだともいえるはずである。
http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100118/1263799034
「日本の韓国統治は善政か否か」問題で久しぶりに面白いエントリーを読んだ。正直、日本の韓国統治は悪だ、という議論は感情論ばかりが横行するので辟易していたのだが、こういう数字に基づいたエントリーが出てくるとちゃんと議論になる。実際、コメント欄でも、すれ違いはあるものの真っ当な議論になっているように思う。
でもさ、『ちゃんと学術的に認められた歴史書を読み直されるよう、お勧めいたします。』って書くならさ、もう一歩踏み込んでもいいと思うんだ。学問の主戦場たる英語の論文の数々に。ここ20年間、様々な定性定量分析が積み重ねられてるのに、それを無視するなんて余りにももったいない。
結局、日本も韓国もこの件ではバリバリの当事者な訳で、どうしたって中立的な議論は出来ない。純粋に学術的に中立的な議論をしても、その裏の政治的思惑を勘ぐられるのがオチだ。なら、第三者たる欧米の、それも世界最高峰の大学で教鞭を執る学者の議論を参照することは決して無意味な事じゃないはずだ。
それに、10年前と違って、我々はほぼ自由にこれらの議論にアクセスできる。Google Scholarで”Japan Korea colonization”を検索してみるだけでいい。10回くらいクリックすれば議論の形はある程度つかめてしまう。いい時代になったもんだ。
で、2時間ほど仕事をさぼって論文を流し読みした結論。それは、
ということ。ついでに言うと、欧米の開発経済学者と何度か話した時も、この結論をある種自明のように語っていたので、現在でもこのコンセンサスは有効であるように思う。私自身は門外漢なので断言は出来ないが。
日本の植民地政策の総論として、大体平均的な見解になっているのは、Bluce Cumings(シカゴ大教授)の以下の下りだと思う。
エトウ教授は日本の悪徳はヨーロッパの植民者のそれと何ら変わるところがなかった、と述べている。それは正しいのかもしれないが、一方でその美徳はヨーロッパ人のそれとは全く異なっていた。日本人には、信じるに足る「自らを正当化する神話」は存在しない。少なくとも何人かのフィリピン人は、アメリカの植民地主義は独立というゴールへと至るための良き教師であると信じていたが、日本は良き教師ではなかった。少なくとも幾人かはイギリスはインドにとって自由民主主義の良き模範であったと信じているが、日本は良き模範でもなかった。日本がもたらした美徳の数々は、倫理的には(philosophically)正当化するのは難しいが、実際的には(practically)容易に受け入れられるものだ:軍事的成功、強力な国権の運用、急速な経済発展、そして近代的な工業セクター。それゆえ、1945年に韓国人達は日本の植民地主義に対する全面的な拒絶を唱えて解放を謳歌したが、その一方で日本がもたらした様々な影響からは抜け出すことが出来ないという、二律背反に直面することになったのである。
ちなみに、このCumings教授は北朝鮮よりの言動が過ぎると批判を受けているくらいであって(英語のWikipedia参照)、決して日本よりのスタンスを取っているわけではない。むしろ、日本の植民地政策は朝鮮が政治的に分断される一因となったと書いている(人となりの雰囲気はこの辺りのブログで分かるかもしれない。http://d.hatena.ne.jp/uedaryo/20090208/1234060826)。それでもなお、36年間の日本の経済政策については、むしろ肯定的な言及が多い。日本の植民地政策についての興味深い言及もあるので、興味のある人は以下のリンクを読んでみると良いだろう。英語は平易なので、特に苦労なく読めるはずだ。
B. Cumings (1984), “The legacy of Japanese colonialism in Korea”, RH Myers and MR Peattie eds., The Japanese Colonial Empire: 1895-1945, Princeton UP.
http://brightrising.com/pdf211/week10/Bruce%20Cumings%20%27The%20Legacy%20of%20Japanese%20Colonialism%20in%20Korea%27%20-The%20Japanese%20Colonial%20Empire-%20p.%20478-496.pdf
似たような議論としては、
LG Reynolds (1983), “The Spread of Economic Growth to the Third World: 1850-1980”, Journal of Economic Literature.
G-W Shin (1998), “Agrarian Conflict and the origins of Korean Capitalism”, American Journal of Sociology.
CJ Eckert (1991), Offspring of Empire, U of Washington Press
などがまとまっている(最後のは読んでないが)ので、興味のある人は参照して欲しい。Google scholarで検索すれば他にも沢山出てくる。個人的にはReynoldsが俯瞰的にまとめていて良いと思う(アクセス権がないと入手が困難だが)。
さて、ここからが本題だ。欧米の碩学達はなぜ「日本の植民地政策は有益であった」と結論づけたのだろう。正直、上のリンクを読みやがれの一言で済ませてしまっても良いのだが、一連の議論がある程度まとまっている論文を見つけたので、以下で抄訳してみたい。プリンストン大学のAtul Kohli教授の論文なのだが、まず彼は94年に「日本の植民地政策は、戦後の韓国の経済発展に重要な貢献を成した」という論文を発表したのだが、これにS. Haggard(UCサンディエゴ校)、D.Kang(ダートマスカレッジ)、C-I Moon(延世大学)の3人が「いやいや日本の影響なんてたいしたことないから」という反論論文(以下HKM)を寄稿した。これに対して更に「いや、君たちの言うことはおかしい」という再反論をKohliが行った、という流れになっている。この最後の再反論の論文が短くまとまっていて論点も明確なので、これを取り上げてみることにしよう。
HKMではKohli論文に対して4点の反論を試みている。まず、日本統治下での韓国の経済成長と、終戦後の韓国の経済成長とを過大評価しているという点。『私の原論文では、主によく知られたS-C Suh (1978)のデータに基づいて、植民地時代の米の生産量は年率2%相当の伸びを示しており、その相当量が土地1単位辺りの収量の増加によると議論している。生産性の向上は、日本政府による計画的な灌漑、品種改良と肥料の使用を反映したものだ。
日本の行動が利己的なものであって、多くの韓国人はこれらの植民政策の恩恵を受けていなかったという不快な事実に関係なく、安定的で近代的な農業生産の成長は植民地主義の歴史の中でほぼ無類の成果であった。この経験は韓国を他のアジア諸国(除日台)から一線を画す存在にした。そして、この経験はその後の韓国の経済成長へ貢献する一要素となったことは間違いない。』
HKMはこれに反論を試みているが、『HKM自身が提示した資料によれば、1911年から38年までの植民下の韓国の農業成長は3.17%増加しており、私の提示した数字よりも更に高い。』Dehliはなぜ彼らはこの事実をちゃんと議論しないのかと指摘した上で、もう少し細かい議論をしている。さらに他の研究を引いて、Myers and Yamada (1984)は1920年から40年までの農業生産の伸びを年率1.15%、S-C Suh (1978)は穀物生産が25年間で45%、米は30年間で100%増加したと推計しており、『これらのデータを前にして、植民政策下の韓国の農業生産と米の生産が植民経済の基準から言ってかなりの増加を示したことを誰が疑うのだろうか?』と問うている。
『より重要なのは、これらの、特に米の生産の成長の源泉は何かと言うことだ。Suh (1978)とMyers and Yamada (1984)の双方が、この時期に耕地の大幅な拡大や、農業への労働者の大量投入は見られないと指摘している。これらが強く示唆するのは生産性の向上である。HKMは生産性の向上はあくまで緩やかなものに過ぎなかったと主張するが、30年間で60%もの生産性の向上(Suh, 1978)を緩やかと表現するのは不可能だ。籾付米の栽培パターンの変化は韓国農業に“生物学的革命”が起こったことを示している:品種改良された種籾を使用する水田は倍に増え、肥料の投入量は10倍になり、灌漑された農地は年率10%近いスピードで拡大し続けた(Suh, 1978, Myers and Yamada, 1894, Ishikawa, 1967)。
これらの改善は明治時代の農地革命の日本から韓国への計画的な普及の成果(Suh, 1978, Myers and Yamada, 1984)であった。日本の植民地政府の韓国農業改革の努力によって、“近代的な農業革命が開始され”、日本や台湾と同様に、“これはアジアにおける近代農業改革の端緒となったと言って良いだろう”(Myers and Yamada, 1984)。更に、他の研究者達が指摘するように、この革命は終戦後も引き続き行われた。これでもなお、「ユニークな植民地の運営は大戦後の韓国の経済発展への足がかりとなった」ことを否定することが出来るのだろうか?』
日本の工業政策の影響については、『HKMは3つの伝統的な-そしてあまり説得的ではない-理由から反論している。曰く、工業部門は殆ど日本人が所有していた。曰く、その殆どは北朝鮮に位置していて韓国の経済発展には関係ない。曰く、どちらにせよ、朝鮮戦争であらかた破壊されたので関係ない。
日本人への所有権の集中という最初のポイントは説得的とは言えない。韓国の1965年以降の経済成長においても、企業の所有権はかなり集中していた。こっちは問題ではないとでも?日本の資本について言えば、「外国資本ニ支配サレタ工業化ハ真ノ工業化トハ言エナイ」的な議論は、既に説得力を失って久しい。第2に、工業資本が朝鮮戦争で破壊されたという点は私が原論文で指摘済みの点である。繰り返すが、当時の工業資本の約半数は南朝鮮にあったのである。さらに、南朝鮮にあったのは繊維工場のような軽工業資本であって、北の重工業に比べて輸出産業としては離陸しやすかったはずである。』
Kohliは、更に反論として、脱植民地運動と朝鮮戦争の破壊からの急速な回復は、韓国人が近代工業を運営した経験があったからこそであること、(2) 工業資本が戦争で破壊されたのは事実としても、知識は消え去らないこと、近年のRomer (1993)などの内省的成長理論においても知識の重要性が強調されていること、などから、日本の植民地時代の「正の遺産」は韓国の経済発展に寄与したとしている。
政治プロセスの話をしているのだが、「てめーの読み違いだよ」という話なので省略。
『主にEckert (1991)の重要な著作に依って、私は原論文で日本の植民地主義が韓国で資本主義が孵化するためのフレームワークを構築した、と論じた。』『HKMはEckertはある特定の例しか研究しておらず、日本の植民地政策の影響がなかったとしても、韓国固有の資本主義がいずれ芽生えたはずだ、と主張している。』
これに対する反論として、Kohliは3点の反論を挙げている。(1) Eckert (1991)の“韓国の資本主義は日本の統治の下で、日本の公式な承認(official Japanese blessing)をもって花開いた”という議論は依然として受け入れられており、仮に例証の少なさが問題だとしても、多くの研究者がいくつもの例証を発見しつつある(例えば、Ho Su Yolの研究によれば、韓国の企業家の数と、韓国人所有の企業の規模は、1930年代に共に増加している。(2) 歴史にifはありません。 (3) 『確かに、植民政府は利己的な動機で動いていた。確かに、多くの企業は日本人に所有されていた。しかしそれでも、その政府で、企業で、多くの韓国人が働いていた。そして、その過程で日本式の資本主義はゆっくりと、しかし確実に韓国に根付いていった。更に言えば、多くの韓国人起業家がそのビジネスをスタートさせたのはこの時期なのだ (Eckert, 1991)。確かに、有力な財閥企業の多くは大戦後に設立されている。しかし、資本主義というのはある日突然芽生えるものではない。多くの財閥企業(現代、三星、Lucky Starなど)の創業者達が最初に事業を興したのは植民地時代なのである。』
最後に、日本政府による朝鮮人労働者の使役の問題について。『私は原論文で、韓国での日本人は、きわめて抑圧的でそして日本自身のそれによく似た労使関係の構築に寄与した、と主張した。マネージャー達は若い韓国人を雇い、OJTを施し、愛社精神を植え付け、とんでもない長時間労働を要求し、そして国家権力を後ろ盾として労働組合や政治的な活動を禁じた。さらに、“サンポ”システムで「産業愛国クラブ(industrial patriotism clubs)」を組織して経営者と労働運動のリーダー達を同じクラブの一員とし、彼ら労働運動のリーダー達を経営者が雇い挙げる仕組みを作り上げた。この厳格なアメとムチのシステムは日本人経営者に「生産性上昇よりも低い賃金アップ」という恩恵をもたらしただけでなく、政治運動を無視して生産性向上に集中させることを可能にした。この仕組みは韓国政府に受け継がれ、その高度成長期まではこの仕組みは維持された。』
以下結論が続くが省略する。残念ながら、この論文は大学関係者以外はアクセス権がないので、興味のある方は大学図書館で以下を当たって欲しい。
A Kohli, (1994), “Where do high growth political economics come from?”, World Development.
S Haggard, D Kang, CI Moon (1997), “Japanese colonialism and Korean development: a critique”, World Development
A Kohli, (1997), “Japanese colonialism and Korean development: a reply”, World Development.
念のために書くが、別に権威ある意見が全てだと言っているわけではない。自分の足でデータを探して考えるのはとても大切なこと。でも、それだけではたどり着けない議論というのがあることも分かってもらえればありがたい。上で紹介したKohliは帝国主義と経済発展が専門分野で、日々そんなことばかり議論する毎日を送っているはずだ。そういう人たちがたどり着いた「日本の植民地政策にはありきたりのvices(悪徳)と、ユニークなvirtues(美徳)がある」という結論には、それだけの重みがあると私は思う。
教育の目的が社会的ニーズに合わせた個人の形成にあるならば、小中学校で歴史、理科、国語を教える意味はまったくないだろうね。
まず歴史。アホの一つ覚えみたいに旧石器時代からネチネチとどうでもいい知識を詰め込んでいく。しかも小、中、高と重複も多い。近代史だけで十分だろ。そもそも現在の日本のあり方語る上で、聖徳太子とか小野妹子とかもう、どうでもいい(聖徳太子は最近教科書には載っていないらしいけど)。明治から現代までの歴史を、くだらない年号とか一切抜きにして、さっと流せば十分。半年もあれば浚える。それだったら大学の教養課程でやりゃーいい。
国語はいらん。ここ参照。http://d.hatena.ne.jp/filinion/20090214/1234584728
理科がいらないっていうのはわけがある。それは後で書く。
んで、空いた時間で何をするかっていうと、算数(数学)をばっちりと教え込む。課程の全時間をそれに当てる。あー、体育、音楽はあってもいい。家庭科はいらん。あんな包丁の持ち方とかお裁縫とかは家で教えろ。そもそもミシンの使い方なんぞ大部分の人間にとって必要ない。総合学習は即刻廃止。うちの学校では「一輪車の乗り方」を教わったわけだけども、人生においてまったく何の役にも立っていない。習字もいらない。もう毛筆なんぞ日常的に使う人間はいない。ユーキャンのペン習字でもやらせておけ。コンピュータは数学の実習という形で触れさせる。フィルタリングなんぞ必要ない。
高校入学後は、これに加えて経済、理科(生物学中心)を英語で教え込む。現代の経済学、科学はほとんど西洋で作られたから、わざわざどこぞの教授が自分の研究室の大学院生に編集させたり、ろくな知識もない学歴だけ無駄に高い高校教師が作ったような教科書を読む必要性はない。教える内容も、基礎中の基礎で十分。日経新聞や、日系サイエンスを読んで、とりあえず8割くらいわかる、という程度でOK。
大学では最低1年、望ましいのは2年間ほど教養教育に当てる。ここで初めて各人の選択で、古文やりたいやつは古文やったり、旧石器時代を習いたいやつは習えばいい。哲学やろうが、地政学やろうが自由。それを通過して初めて専門課程に進ませればいい。
今の日本で高校進学率の高さは異常。中学校までの義務教育で、「とりあえず社会で労働者として生きていくのに必要な知識」を与えておいて、そこからはもっと人数を絞り込んでやっていけばいい。明治時代のエリート教育みたいに。たとえば東大の数学科だとしたら、定員は10人もいれば十分。それでも多いくらい。その10人に対して3倍の数の教員が質の高い教育を提供すればいい。大学での教養課程も、「やりたくなければやんなくていいよー。ただし国際社会で恥かくのは君だからねー」でいいじゃん。無理やり必要もない人間に「人間の安全保障」とか教えても意味がない。自己責任でやっていけばいい。
小学校の教員も、最低博士課程を出た人間じゃないとなれないようにする。進級をアメリカの大学並みに厳しくする。必要な知識を身につけていない子供は容赦なく留年させる。勿論能力によって厳密にクラス分け。子供が「数学なんてやっても意味ねー」と言い出したら、「そうだね。君の人生にとっては意味がないよね。義務教育終えたらそこらへんの工場で労働者として頑張ってね!」でいい。
関係ないけど、修士課程も廃止。日本の修士課程は世界の中でもかなり独特で無意味な制度。博士課程4年、の一本でいい(MBAは例外)。
反発が予想されるのは、「楽そうだから」「若い女の子と触れ合えるから」って理由で教職に就いた、理科、社会科、国語科(古文、漢文)、保健体育の教員からだけども、かれらも頑張って労働者として働いていただけばいい。本当に熱意があれば、大学の教養課程で、エリート対象に教えればいい。
こう思ったのは、昔塾で勉強を教えていたときに、あまりに無駄が多いと感じたから。小学生が花崗岩を見分ける能力、名称を覚えることがまったく無意味だ、とは言わないけれども、もっと他に大事なことはいくらでもあるはず。種子島鉄砲伝来と、キリスト教伝来、どっちが先だったか覚えるのは、もうまったく無意味。何の流れも関連性もないだろ。センター試験を見てみても、本当に無意味な問題が多い。
まあ凡人には理解できないかもね。
横増田だけど、ものすごく腹が立っているので、コピペ文と元投稿文を全面貼り付け。
コピペだけ読んでコメント付けてる、ほかの増田さんにはなんの落ち度もないけど、やはり、一部だけでは元増田が言いたいことは歪んで伝わっていると思った。出来れば元投稿も読んでもらいたい。
http://anond.hatelabo.jp/20090927210711
日本の大抵の男性は、女性を馬鹿にしている。そして、そのこと自体に全く気づいていない。
何せ、こちとら10年女子校だったからね。付き合いのある男友達は理解のある人ばかりだったし、バイトの先輩は仕事の関係だから、そんなに突っ込んだ発言もしないし。
それが、社会に出たらガラっと変わった。
あなたは差別発言と思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたはセクハラだと思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたは多分よかれと思って言ってくれてるんですね。でも私はとても苦痛なんです。
女の子同士なら、自然と気に掛けあって丁寧に接していた部分を、先輩が、上司が、特にお酒の席で、何にも考えずぐしゃっと踏みつぶしてその境界を越えてくる。
それがたまらなく苦痛で、大学で一緒に学んでいた友達に言ってみたら言うんだ。「わかるよー。でもそんなものだよね」
ああ、こんな苦痛な状況が、社会一般では『そんなもの』で済まされる程度の問題なんだって分ったのは、正直そのときだった。
それで、今はどうやって生きているかというと、日常では、社会学で学んだ問題意識にほとんど蓋をして、生きていくのに便利なところだけ使って生きてます。とりあえず、世間一般様から見て、頭のおかしい奴だと思われない程度に猫被ってね。
男性メインのビジネスの場に立ち、名誉男性的な立ち位置で、ある意味男性に媚びるようにして生きている私にとって、社会学の知識は、被差別者を踏みつけるのに(効率的に差別者特権を使うのに)とても役立っています。あとは自己防衛のためにね。
こんな生き方が良くないというのは重々承知している。一番申し訳ないと思うのは、今の世を生きにくいと感じている日本女性たちに対してだ。自分の体を資本として、男の『勘違い』を上手く使う、一種の『戦略的本質主義』を振りかざして生きている私は、本質主義から脱して生きたがっている思っている女性にとって、目の上のたんこぶでしかない。(そして巡り巡って、自分のクビも締めてる。承知の上だ。)
だから、私は世の女性の味方を標榜している。もちろん、偽善だとも分った上でね。日々ご迷惑をおかけしています。女性の皆さん、特に日本女性の皆さん、本当にごめんなさい。
■http://anond.hatelabo.jp/20090925071837
正直、こんな時間に書くことじゃないんだ。明日やることもあるんだし。
ただ、私にとって、考えを大きく揺さぶられる出来事があったから、少し話をさせて欲しい。
ちょっと長くなるかも。あと、女性向きだよ。男性は気分悪くなるかもよ?読むなとは言わないけれど、念のため注意。
http://anond.hatelabo.jp/20090925071837
↑の記事を、オンライン上の友達に、何気なく見せてみた。
ホント、何の反応も期待してなかった。流せる雰囲気だったから、多分何の反応もないだろうと当たり前のように思ってた。
でも、その人は言ったんだ。『抗いたい』って。
この言葉に、私は懐かしくなって、ものすごく申し訳ない気持ちになって、泣きたくなったから、それについて書く。
やってたことは、女性問題、黒人問題、水俣病問題、沖縄基地問題、色々だ。
ゼミ一番ショッキングだったのは、『私が差別者だ』ということを直視しなくちゃいけないことだった。
社会学を学んだことのある人は、どうか笑わないでほしい。私は、私が世界中のあらゆる差別問題の中に居て、その中のほとんどの状況で差別者なのだ、と、抵抗なく認識できるまでにまるまる1年かかってしまった。
「だって、私はなにもしてないのに、ただ生きてるだけなのに、どうして他人を差別しているなんて言うの?」という疑問を解消する、それだけでだ。課題図書や、毎度のレポート提出が嫌いだった。『分りたくない、信じたくない!』ってずっと思ってた。
社会学を学んだことの無い人は、差別問題をどうか他人事と思わないで欲しい。あなたは世界中の差別問題の中に居て、ほとんど常に差別者だ。
日本国民、大和民族、正社員、男性、健康体である、という、ただそれだけで差別者だ、というのは、すぐには受け入れがたいと思う。(先述の通り、私も理解するのにまる1年かかった)それでも、社会という構造の中にいる限りは、その中で差別者として無意識に振る舞ってしまうことが常にある。無意識に、他人を傷つけている。確実に。
そして、たいていの場合、特別に本を読んだり勉強をしなかったら、この『無意識の差別者』状態から、人は絶対離れない。
だって、この状態が最高に快適だもん。味方は多いし、強いし、くさい、汚い、怖いことはないし、安定している。
この状態から、どうしてわざわざ、よわっちい被差別者の味方をしたり、あまつさえこの特権を引き渡すなんてことをしなくちゃいけないんだ?ってなる。
だから、差別者はこの状態から滅多に自発的には離れない。
もうひとつの原因は、『自覚が無くても困らないから』だ。
道を行く人(差別者)は、花を踏んだことに気づかなくても怪我をするわけでなし、なにも困らない。<でも、踏まれた花(被差別者)にとっては一大事だ。>
だから、差別者(マジョリティ)の集団または親玉は、自分たちの得になるように必死に策を練る。
・なんで沖縄の基地問題は、全国メディアで滅多に取り上げられないんだろう?(だって日本はほとんどが大和民族だもんね)
・沖縄の中でも、基地をなくしたいと考える人と、居て欲しいと考える人がいる。これは国が基地の土地貸し出しに対して支払っている補助金の絡みで起こる対立だ。(このせいで、基地問題の県内世論が必要以上に割れている)
・基地移転は出来て、日本国内に基地が置けない理由ってなに?(移転できないんじゃなくて、移転しないだけなんじゃないの?)
例を沖縄基地問題であげてみたけど、ちょっと考えてみると議論のしがいがある(あるいは明らかにおかしい)問題がぼろぼろ出てくるのが差別問題だ。そして、差別問題を華麗にスルーできる特権を持っているのが、差別者だ。
こういう困難な状況にあっても、『これはおかしい』と気づく人、そして声を上げる勇気ひとたちが現れて、差別問題は議論されてきた。
昔と比べて、良くなってきたものもある。(女性問題は、明治時代から女性の権利の見直しを考えようと呼びかける先達の手で、長い時間をかけて、やっとここまできた。)
まだ根強く差別が残り、世代を超えて人権を脅かすようなものもある。(水俣病問題は、未だに遺族が差別を恐れてる。)
こんな問題の事例に4年間触れていて、その当時は、私も思っていたんだ。
『私は、なにも知らないままで人を傷つけるような人間になりたくない。もし差別者の立場を脱する方法があるなら、私はそうしたいし、もし無かったとしても、せめてその差別について理解して、なるべく他人を傷つけないように生きたい』って。
でも、いざこんな気持ちを持って、たくさんの差別問題の事例を知ったあとで、社会に出てみたら、こんな問題意識が苦しいだけだって分ってしまった。
一番キツかったのは、『大抵の男性は、女性を馬鹿にしていること、そのこと自体に全く気づいていない』という事実だった。
何せ、こちとら10年女子校だったからね。付き合いのある男友達は理解のある人ばかりだったし、バイトの先輩は仕事の関係だから、そんなに突っ込んだ発言もしないし。
それが、社会に出たらガラっと変わった。
あなたは差別発言と思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたはセクハラだと思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたは多分よかれと思って言ってくれてるんですね。でも私はとても苦痛なんです。
今まで、女の子同士なら、自然と気に掛けあって丁寧に接していた部分を、先輩が、上司が、特にお酒の席で、何にも考えずぐしゃっと踏みつぶしてその境界を越えてくる。それがたまらなく苦痛で、大学で一緒に学んでいた友達に言ってみたら言うんだ。「わかるよー。でもそんなものだよね」
ああ、こんな苦痛な状況が、社会一般では『そんなもの』で済まされる程度の問題なんだって分ったのは、正直そのときだった。
それで、今はどうやって生きているかというと、日常では、社会学で学んだ問題意識にほとんど蓋をして、生きていくのに便利なところだけ使って生きてます。とりあえず、世間一般様から見て、頭のおかしい奴だと思われない程度に猫被ってね。
男性メインのビジネスの場に立ち、名誉男性的な立ち位置で、ある意味男性に媚びるようにして生きている私にとって、社会学の知識は、被差別者を踏みつけるのに(効率的に差別者特権を使うのに)とても役立っています。あとは自己防衛のためにね。
こんな生き方が良くないというのは重々承知している。一番申し訳ないと思うのは、今の世を生きにくいと感じている日本女性たちに対してだ。自分の体を資本として、男の『勘違い』を上手く使う、一種の『戦略的本質主義』を振りかざして生きている私は、本質主義から脱して生きたがっている思っている女性にとって、目の上のたんこぶでしかない。(そして巡り巡って、自分のクビも締めてる。承知の上だ。)
だから、私は世の女性の味方を標榜している。もちろん、偽善だとも分った上でね。日々ご迷惑をおかけしています。女性の皆さん、特に日本女性の皆さん、本当にごめんなさい。
こんな長文をここまで読んでくださっているあなたは考えるかもしれない。「どうして、そんなひねくれた生き方をするんだ?女性に対して申し訳ない気持ちがあるなら、そんな風に思わなくて済むような道を探せばいいじゃないか」と。
確かに、正論だ。
ただ、今まで男性社会の中を駆け抜けてきた私の人間関係には、そのようにしなければ維持できない人脈が多くある。今更切ることが出来ない、お金になる人脈が。
一言で言えば、こういうことだ。
「こうしなければ、明日のご飯がない。明日の立場がない。明日の社会に居場所がない。そういう危機感に、ただ突き動かされて、ビジネスという男性社会に埋没しているのです」
・・・あ、万一今、「だったら結婚すればいい」とか考えた人がいたとしたら、冗談も大概にしてくださいね。そういうのが仕事を志向する女性のプライドを傷つけかねない繊細な問題だってこと、いい加減気づいて。
そして、そもそも「働けないなら結婚すればいい」という言説を女性に押しつけるのはやめてほしい。
私は今、こんな風に生きているから、正直、最近の私が差別者に立つあらゆる差別問題に対しては、「分る、分るよ-、その痛み。でもごめん、味方はしないよ。余裕ないから」っていうスタンスだった。思い切り逃げモード。そこそこ底辺の仕事で、それより底辺の人たちの頭を足蹴にして得た仕事で生きている日常です。
そこにきて、冒頭のアレですよ。
『抗いたい』という言葉を聞いたとき、まずはじめに思い浮かんだのは、「青いなあ」という、ある種その人を侮った感想だった。
でも、よくよく考えてみたら、それって違くないか?むしろ、この人が言っていることのほうが正しいだろう?本当は、自分が差別者のままで居続けるのって嫌でしょう?その嫌な気持ちがあるから、他の人に対して内心申し訳ないとか思ってるんでしょう?
そんな風に考えていたら、私は大学生時代に一生懸命学んでいた差別問題の事例が懐かしくなって、現在の自分のことを思うと、世の中の女性に対してものすごく申し訳ない気持ちになって、そして、『抗いたい』と言った友人の若々しい気概が眩しくて、それと比べたら自分はずいぶんみすぼらしくなったと気づいて、泣きたくなったからそれについて書いた。
オンラインの友人だから、性別は分らない。
正直、こんな時間に書くことじゃないんだ。明日やることもあるんだし。
ただ、私にとって、考えを大きく揺さぶられる出来事があったから、少し話をさせて欲しい。
ちょっと長くなるかも。あと、女性向きだよ。男性は気分悪くなるかもよ?読むなとは言わないけれど、念のため注意。
http://anond.hatelabo.jp/20090925071837
↑の記事を、オンライン上の友達に、何気なく見せてみた。
ホント、何の反応も期待してなかった。流せる雰囲気だったから、多分何の反応もないだろうと当たり前のように思ってた。
でも、その人は言ったんだ。『抗いたい』って。
この言葉に、私は懐かしくなって、ものすごく申し訳ない気持ちになって、泣きたくなったから、それについて書く。
やってたことは、女性問題、黒人問題、水俣病問題、沖縄基地問題、色々だ。
ゼミ一番ショッキングだったのは、『私が差別者だ』ということを直視しなくちゃいけないことだった。
社会学を学んだことのある人は、どうか笑わないでほしい。私は、私が世界中のあらゆる差別問題の中に居て、その中のほとんどの状況で差別者なのだ、と、抵抗なく認識できるまでにまるまる1年かかってしまった。
「だって、私はなにもしてないのに、ただ生きてるだけなのに、どうして他人を差別しているなんて言うの?」という疑問を解消する、それだけでだ。課題図書や、毎度のレポート提出が嫌いだった。『分りたくない、信じたくない!』ってずっと思ってた。
社会学を学んだことの無い人は、差別問題をどうか他人事と思わないで欲しい。あなたは世界中の差別問題の中に居て、ほとんど常に差別者だ。
日本国民、大和民族、正社員、男性、健康体である、という、ただそれだけで差別者だ、というのは、すぐには受け入れがたいと思う。(先述の通り、私も理解するのにまる1年かかった)それでも、社会という構造の中にいる限りは、その中で差別者として無意識に振る舞ってしまうことが常にある。無意識に、他人を傷つけている。確実に。
そして、たいていの場合、特別に本を読んだり勉強をしなかったら、この『無意識の差別者』状態から、人は絶対離れない。
だって、この状態が最高に快適だもん。味方は多いし、強いし、くさい、汚い、怖いことはないし、安定している。
この状態から、どうしてわざわざ、よわっちい被差別者の味方をしたり、あまつさえこの特権を引き渡すなんてことをしなくちゃいけないんだ?ってなる。
だから、差別者はこの状態から滅多に自発的には離れない。
もうひとつの原因は、『自覚が無くても困らないから』だ。
道を行く人(差別者)は、花を踏んだことに気づかなくても怪我をするわけでなし、なにも困らない。<でも、踏まれた花(被差別者)にとっては一大事だ。>
だから、差別者(マジョリティ)の集団または親玉は、自分たちの得になるように必死に策を練る。
・なんで沖縄の基地問題は、全国メディアで滅多に取り上げられないんだろう?(だって日本はほとんどが大和民族だもんね)
・沖縄の中でも、基地をなくしたいと考える人と、居て欲しいと考える人がいる。これは国が基地の土地貸し出しに対して支払っている補助金の絡みで起こる対立だ。(このせいで、基地問題の県内世論が必要以上に割れている)
・基地移転は出来て、日本国内に基地が置けない理由ってなに?(移転できないんじゃなくて、移転しないだけなんじゃないの?)
例を沖縄基地問題であげてみたけど、ちょっと考えてみると議論のしがいがある(あるいは明らかにおかしい)問題がぼろぼろ出てくるのが差別問題だ。そして、差別問題を華麗にスルーできる特権を持っているのが、差別者だ。
こういう困難な状況にあっても、『これはおかしい』と気づく人、そして声を上げる勇気ひとたちが現れて、差別問題は議論されてきた。
昔と比べて、良くなってきたものもある。(女性問題は、明治時代から女性の権利の見直しを考えようと呼びかける先達の手で、長い時間をかけて、やっとここまできた。)
まだ根強く差別が残り、世代を超えて人権を脅かすようなものもある。(水俣病問題は、未だに遺族が差別を恐れてる。)
こんな問題の事例に4年間触れていて、その当時は、私も思っていたんだ。
『私は、なにも知らないままで人を傷つけるような人間になりたくない。もし差別者の立場を脱する方法があるなら、私はそうしたいし、もし無かったとしても、せめてその差別について理解して、なるべく他人を傷つけないように生きたい』って。
でも、いざこんな気持ちを持って、たくさんの差別問題の事例を知ったあとで、社会に出てみたら、こんな問題意識が苦しいだけだって分ってしまった。
一番キツかったのは、『大抵の男性は、女性を馬鹿にしていること、そのこと自体に全く気づいていない』という事実だった。
何せ、こちとら10年女子校だったからね。付き合いのある男友達は理解のある人ばかりだったし、バイトの先輩は仕事の関係だから、そんなに突っ込んだ発言もしないし。
それが、社会に出たらガラっと変わった。
あなたは差別発言と思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたはセクハラだと思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたは多分よかれと思って言ってくれてるんですね。でも私はとても苦痛なんです。
今まで、女の子同士なら、自然と気に掛けあって丁寧に接していた部分を、先輩が、上司が、特にお酒の席で、何にも考えずぐしゃっと踏みつぶしてその境界を越えてくる。それがたまらなく苦痛で、大学で一緒に学んでいた友達に言ってみたら言うんだ。「わかるよー。でもそんなものだよね」
ああ、こんな苦痛な状況が、社会一般では『そんなもの』で済まされる程度の問題なんだって分ったのは、正直そのときだった。
それで、今はどうやって生きているかというと、日常では、社会学で学んだ問題意識にほとんど蓋をして、生きていくのに便利なところだけ使って生きてます。とりあえず、世間一般様から見て、頭のおかしい奴だと思われない程度に猫被ってね。
男性メインのビジネスの場に立ち、名誉男性的な立ち位置で、ある意味男性に媚びるようにして生きている私にとって、社会学の知識は、被差別者を踏みつけるのに(効率的に差別者特権を使うのに)とても役立っています。あとは自己防衛のためにね。
こんな生き方が良くないというのは重々承知している。一番申し訳ないと思うのは、今の世を生きにくいと感じている日本女性たちに対してだ。自分の体を資本として、男の『勘違い』を上手く使う、一種の『戦略的本質主義』を振りかざして生きている私は、本質主義から脱して生きたがっている思っている女性にとって、目の上のたんこぶでしかない。(そして巡り巡って、自分のクビも締めてる。承知の上だ。)
だから、私は世の女性の味方を標榜している。もちろん、偽善だとも分った上でね。日々ご迷惑をおかけしています。女性の皆さん、特に日本女性の皆さん、本当にごめんなさい。
こんな長文をここまで読んでくださっているあなたは考えるかもしれない。「どうして、そんなひねくれた生き方をするんだ?女性に対して申し訳ない気持ちがあるなら、そんな風に思わなくて済むような道を探せばいいじゃないか」と。
確かに、正論だ。
ただ、今まで男性社会の中を駆け抜けてきた私の人間関係には、そのようにしなければ維持できない人脈が多くある。今更切ることが出来ない、お金になる人脈が。
一言で言えば、こういうことだ。
「こうしなければ、明日のご飯がない。明日の立場がない。明日の社会に居場所がない。そういう危機感に、ただ突き動かされて、ビジネスという男性社会に埋没しているのです」
・・・あ、万一今、「だったら結婚すればいい」とか考えた人がいたとしたら、冗談も大概にしてくださいね。そういうのが仕事を志向する女性のプライドを傷つけかねない繊細な問題だってこと、いい加減気づいて。
そして、そもそも「働けないなら結婚すればいい」という言説を女性に押しつけるのはやめてほしい。
私は今、こんな風に生きているから、正直、最近の私が差別者に立つあらゆる差別問題に対しては、「分る、分るよ-、その痛み。でもごめん、味方はしないよ。余裕ないから」っていうスタンスだった。思い切り逃げモード。そこそこ底辺の仕事で、それより底辺の人たちの頭を足蹴にして得た仕事で生きている日常です。
そこにきて、冒頭のアレですよ。
『抗いたい』という言葉を聞いたとき、まずはじめに思い浮かんだのは、「青いなあ」という、ある種その人を侮った感想だった。
でも、よくよく考えてみたら、それって違くないか?むしろ、この人が言っていることのほうが正しいだろう?本当は、自分が差別者のままで居続けるのって嫌でしょう?その嫌な気持ちがあるから、他の人に対して内心申し訳ないとか思ってるんでしょう?
そんな風に考えていたら、私は大学生時代に一生懸命学んでいた差別問題の事例が懐かしくなって、現在の自分のことを思うと、世の中の女性に対してものすごく申し訳ない気持ちになって、そして、『抗いたい』と言った友人の若々しい気概が眩しくて、それと比べたら自分はずいぶんみすぼらしくなったと気づいて、泣きたくなったからそれについて書いた。
オンラインの友人だから、性別は分らない。
2009-08-04 / Economics
城繁幸氏のブログに、台湾のメディアに日本の年功序列が理解できなかったという話が出ている。年功序列は儒教の「長幼の序」の影響だと思っている人が多いが、違うのだ。儒教の本場である中国にも台湾にも、年功序列はない。中国の科挙は、基本的に試験だけで昇進を決めるので、10年以上受験勉強して中年になってから合格する人も多かったから、年齢で人事を決めることは不可能だった。韓国には日本以上にきびしい年功序列があるらしいが、日本のように入社の年次ではなく年齢による序列だという。
では日本の年功序列は、どこから生まれたのだろうか。笠谷和比古氏によれば、徳川幕府にも年功序列はなかったという。武家の序列の基準は石高だったが、幕末には財政が苦しくなり、管理能力の高い下級武士が昇進するようになった。たとえば勘定奉行として日米修好条約を結んだ川路聖謨の家は「御家人株」を買って武士になった町人だった。勝海舟の家も、無役の最下級武士だった。このような能力主義を可能にしたのは、徳川吉宗のつくった足高制度だった。本来の石高とは別に足高として加算され、形式上の序列(石高)とは別に、実質的な能力主義による俸給制度になっていた。つまり年功序列は、家柄とは別の経験や功績による序列だったのである。
ところが明治時代に官僚制度ができたとき、高等官/判任官の身分制度や15段階の俸給制度ができ、昇給は年次によるものと(非公式に)定められた。これが戦後も実質的に継承され、Ⅰ種(戦前の高等官)は6級に編入され、「キャリア」と呼ばれる。民間では、長期雇用の定着と年功賃金は、ほぼ並行して広まったと考えられる。特に戦後、労使紛争が激化した1950年代に、安定した賃金を求める労働側の要求に対して定期昇給制度を採用したことが年功賃金につながったとする説が多い。
つまり年功序列は日本の伝統でも儒教の影響でもなく、官僚制度によって原型がつくられ、戦後の労使紛争の中で両者の妥協として大企業で成立した雇用慣行なのである。これは結果としては若い労働者に「強制貯蓄」させることによって、その忠誠心を高めてモラルハザードを防ぐ役割を果たした。しかし老人に生産性以上の賃金を払い続けることができるのは、企業が成長し、若者が増え続けるときだけである。賃金原資が減り始めると、ノンワーキング・リッチに「配当」を払うことはできなくなる。
これは年金や財政の破綻と同じ構造である。日本の企業組織も財政も、戦後の高度成長を前提にしてつくられ、それに適応して相互補完的なシステムができ上がっているのだ。その結果、老人と若者の利害の対立する問題では、つねに組織内の権力を握っている老人の既得権を守る決定が下される。この構造の前提となっている成長が止まった今は、官民ともにシステムを見直さなければならないのに、問題を先送りしてきたのが「失われた20年」の根本的な原因である。
respect for this article...
http://anond.hatelabo.jp/20090802092701
残念ながら、安全な国家というのは幻想であるということに気づかされたのは、大学1年生のときだった。
日本史かなにかの討論式の授業で、その日はテロの撲滅と予防についてセッションが行なわれた。で、僕は撲滅についての発表をして(ちなみにテロは国家間戦争の延長でなくならないという発表だった)もう一人が軍隊保持とテロ防止についての発表をした。
そのときの教授の発言。
「まあぶっちゃけ憲法九条なんておまじないみたいなものだけどね。
平和憲法って言われているものは、戦争しないっていうような記述しかないから。
武装してるんだから、詳しく調べなくても戦争出来るんだよね。
でもそんなこと言ったら左翼がうるさいから誰も言わない。
在日米軍だっておんなじだけど。」
なるほど、たしかにそうだ。
軍隊にせよ、自衛隊にせよ、何のために武装をするかと言えば戦争するからであって、特に問題になるような大量破壊兵器を保持して国民の反発を受けるようなことはする必要が無いわけで。
ミサイルだって一発いくらというような世界なわけで、全ての軍事費を縮小というのもまた無理なわけで。
話は変わるが、同じ教授の授業で警察の兵力についての講義があった。
で、この講義もちょっと面白くて覚えていたのだが、「警察は元々軍隊であった」という話。
明治時代の実質的な警察は兵部省の管轄で、ほそぼそどころか昭和には大暴れ。
ところがGHQが出てきて、警察は解体された後に警察予備隊、最近じゃ防衛省になって大きな資金を使えるようになり、爆発的な軍拡が始まった。
つまり、日本は軍隊というリスクを承知で、莫大な軍備を保持出来る自衛隊を存続する方を選んだわけだ。
そんなリスクを承知で軍隊を保持することを選んでいるくらいなんだから、テポドン位でガタガタ騒ぐなバカ、というのがその講義のまとめだった。
で、何が言いたいかというと、僕らの国は元々矛盾を承知でいいように憲法解釈するようなシステムになっているわけで、自衛隊に関してもそれはまったく変わらない。
例えば、アメリカの軍隊こそ、自国の利益を守るために色々な軍備を持っているわけだけど、逆に言えば他国に攻め込まれることを前提として軍はできている。
様々な国、エネルギー資源を独占するためには、多少のリスクが必要なことを米は知っている。
だからまあ安全な国というのは幻想なので、そればかり追っても意味がないし、そんなことは政治家のお偉いさん方が一番よく知っていますよという話。
■誤解されやすい書き方だったようなので加筆。
べつに平和憲法などについて否定しているわけではなく、過激になっている「反戦信仰」「九条改訂信仰」についての意見として書いた。
どちらもそこまでリスク差はないんじゃね?という意味で、「言葉尻ばかり追っても意味が無い」と書いている。
そこら辺をきちんと書くべきでしたね。不愉快な思いをしたらすみません。
ふと疑問に思った。ラーメンはもともと中国料理である。確かにラーメンはカレーと同様に日本で独自進化し、現在では本国のそれと大きく異なる。しかしもともとは中国料理である以上、初期のラーメンは中国料理に近いはずだ。初期のラーメンはいったい何ラーメンだったのだろうか?Wikipediaで調べたのだが、不明だそうだ。
日本で最初にラーメンを食べたのは徳川光圀(水戸黄門)だという説がある。倉敷作陽大学の小菅桂子の主張によれば、1659年に明から亡命した儒学者の朱舜水が水戸藩に招かれた際に、所持品リストにラーメンを作る際に使うものが含まれるから、中国の汁麺を献上したとの記録はないものの、実際に作ったに違いないという。しかし推測の域を出ない。これを復元したラーメンは新横浜ラーメン博物館にある。一方、日本への伝搬の起源として明治時代の神戸や横浜などの中華街で提供された南京そばに始まるとする説と、次が1921年(大正10年)に現・北海道大学正門前にできた竹屋食堂からとする説がある。どちらも、現在のラーメンとはスープも麺も作り方から味まで全く違う別物であったが、竹屋食堂では大研究の結果、1926年(大正15年)に醤油味、チャーシュー、支那竹、ネギをトッピングした現在のラーメン原形ができている。
20090415134253の増田だけど。
うん、その判断はありだと思うんですよ。
ありだとしても、その判断の責任は日本政府が取らなきゃね。「日本国内に多数の在日がいる」って状況が生じた原因は日本政府が内地在住の朝鮮出身者の国籍を一方的に奪ったことにあるんだから。
国が別れちゃうんだもの、国籍だって何らかの基準で別れてもおかしくない。
そーだね。終戦時に内地に在住していた人の場合は、日本国籍を選択できるようにしておくとか。とりあえず日本国籍を与えておいて、「私は韓国人です」とか、「朝鮮人民共和国の公民です」とか申告して来た人だけ外国人扱いにしたりする手もあっただろうね。
そもそも、朝鮮の政府が誰だかよく分かってなかったり、内戦があったり、南北に分断されたりしたんだから、とりあえず日本人扱いにして、「この政府の国民になります」って言った人だけをその国の国民と認めるのが一番筋が通っていたと思うんだけど。
反発しない人も中にはいただろうから、その人には日本国籍を選択することを認めてあげれば良かったのに。
まあ、それはさておき、韓国朝鮮国籍から日本国籍にはなれないわけじゃないですよね。
帰化の手続きを取れば変われるのに変わらないということは、その人たちは自らの意思で
その国籍のままでいるわけで。
(希望してもオールオッケーじゃないらしいので、帰化できない理由がある人もいるだろうけど)
日本国内で、進んで「外国人」でいようとしている人たちなのに、なんでその国の人だからといって
特権を与えておく必要があるのか? という疑問があるわけです。
日本国籍を一方的に奪った当人である日本政府や日本人が言うと、説得力が薄いのだよ。
しかも、帰化するときに名字や名前を「日本人風」に変えるように指導したりもしてたって事情があるから更に説得力が薄い。(最近は止めたらしいが)
過去にどんな歴史があったとしても、その対象者に特権が与えられるのは心情的にわかるけれど、
その子孫までずっと特権持ちというのは変じゃないですか?
日本人のほとんどは、明治時代にたまたまご先祖様が日本に住んでたってだけの「歴史」を理由として、子孫である自分が国籍を得てる。だから、変じゃない。
例えば終戦時に(1)じいさんが日本にいて(2)じいさんは当時日本国民で(3)じいさんが日本で子ども作って日本で育てて(4)その子どもが日本で生活しなが子どもを生んだ場合、その子どもは日本で育って生活していいと思うんだけど。なんでダメなの?
強制的に連れて来た人を、なんでわざわざ強制的に帰すのよ。本人達に選択権をあげればいいじゃない。
日本に住む方がいいって言うかもよ?特に当時の朝鮮は全然安定してなかったんだから。
なんか、「在日は外国から日本にやって来た」と思ってない?そういう在日は「日本の一地域から日本の別の地域」に引っ越しただけの「日本人」だったんだよ。四国出身者が東京に引っ越すようなもの。
なんで日本が戦争に負けたら朝鮮半島に移動しなきゃいけないのよ。そのときいる日本に住み続けたいなら、住み続けさせればいいじゃない。
日本に来たい人には、一度帰国してからもう一度入国手続きを取ってもらう。
そうすることで、日本に「来たくないのに連行された」人たちの問題はなくなったでしょう。
日本に住んでて、日本に居続けたい人を、わざわざ不安定な朝鮮半島に送り返して再入国させるの?そんなめんどくさいことをする理由が「日本に『来たくないのに連行された』人たちの問題」が無いことにするためだけ?
優先順位間違ってるよ。