はてなキーワード: 多種多様とは
我々は今多種多様な思想を持った人々と同じ星の上に居る。そしてインターネットという非常に高速に多数の人々が考えをやり取り出来る道具を手に入れた。その上このインターネットという物の上にそれぞれコミュニティを築き始めた。そのコミュニティは今の社会にどのような影響を及ぼしていくのだろうか。
さてこの地球上で人類は有る程度同様な思想を持った人々同士で共同体を作り生活してきた。この共通の思想は宗教であったり神話であったりした。そしてこれを基にして国を治めてきた。しかしながらこの共通な思想が分裂したならば国はどうなってしまうのだろうか。
例えばある部族に豚を上として崇める人の集団と不浄な生物として扱う人の集団が有るとしよう。当然彼等はどちらかがどちらかの考えを受け入れるまで闘い続けるかウマく折り合うかはたまた部族が分裂するかだろう。もし互いに折り合う事が出来たならばその部族は平和に暮らし続けるだろうが大方闘うか決裂するだろう。闘えば共倒れになるかもしれないし他の部族に攻め入られるかもしれない。どちらにせよ不幸な事しか起こらないだろう。ならば分裂した方がまだ平和的だろう。
仮にこのようなことが国の中で幾つも起こったならばどうなるだろうか。もちろん内乱が起こるだろう。このような事は実際今まで幾度となく起こってきたし人類はそれをなんとか解決してきた。今インターネットの発展で再びこれまで起こってきた様な分裂が起ころうとしているのだ。我々はこれまでよりも平和的な解決法を求められていると思う。
現在のインターネット上のコミュニティはかなりの数が有りその思想や形態はそれぞれ違う。一見一つのコミュニティのように見えてその中はてんでバラバラなコミュニティも有る。その各コミュニティではだいたい政治やら法律についての批判が繰り広げられている。彼等はルターとそう変わりがないと思う。現状ではそれぞれインターネット上で批判したり文句を言っているだけだろうが暫くすればコミュニティ同士で衝突が発生し最終的には現実世界での内乱が起こる可能性が有る。
このような事態を防ぐ為に我々は何をすべきだろうか。彼等は現状に不満を持っている。国はそれぞれコミュニティに工作員を送り込んで思想を統一すべきだろうか。否。そのような事では到底統一出来ないどころか逆効果だ。そこでコミュニティ毎に非常に限定された自治権の様な物を与えるべきではないだろうか。このようにすれば彼等の不満は少しは和らぐのではないだろうか。
赤木智弘の「希望は戦争」なんて、既得権がどうの、社会の流動化がどうのと理屈こねてるが、そんなのは本当に屁理屈とでも言うべきもので、根底には「自分の人生を/この世の中をめちゃくちゃにぶっ壊したい」という怒りだけがあるんだよな。
この人は文章が書ける人だから一躍、論壇の人となったが、そういう才能がない人なら鬱屈したまま自傷したり、他者に暴力を振るったりしてるのかもしれないな。
街を徘徊するようなタイプなら暴力団や右翼団体が拾ったりするのかも。
イギリスをはじめとするヨーロッパ各国ではそういう「社会的排除」からヤバいグループに入る青年が問題になってて、コネクションズという組織が、若者が孤立しないよう出向いていってるようだ。
こういう若者は複合的な問題を抱えてることが多いから、対応も多種多様に行われているみたい。
ジョブ名 | アビリティ | 特徴 |
---|---|---|
アンテナー | しゅうしゅう | 常にアンテナを張って情報を収集する能力に長けたジョブ |
ブックマーカー | ぶくま | 情報を蓄積する能力に優れたジョブ |
コメンテーター | こめんと | 個人の意見を発することを生き甲斐とするジョブ |
ディスラー | ばとう | 負のエネルギーをぶつけて戦うジョブ |
エロ | えろがぞう | 裸の写真を他人に見せつけることで男性を味方にするジョブ |
ファイター | たたかう | キーワード編集合戦、けんかバトル等幅広い場で活躍するジョブ |
ゴリブー | へんたい | 変態に変身することにより他人の興味をひくジョブ |
ヒモテ | ひもて | 自らを非モテと告知することにより同類からの同情を集めるジョブ |
イイヨメ | けさきがきゅう | 魅力的な嫁として意味もなく愛されるジョブ |
ジェイコン | いのる | はてなサービスの向上のため神に祈りをささげるジョブ |
ココロシャ | じばく | 自らの身体を犠牲に笑いを誘うジョブ |
ライフハッカー | かっこわらい | ライフハックを披露することによりパーティのやる気を向上させるジョブ |
マスダ | かくれる | 誰にも素性を明かさず生きているジョブ |
ネクラ | ねがこめ | 陰口を叩くことを生業としているジョブ |
オナニスト | じこまんぞく | 自分のみ満足する記事を書き体力を回復する能力を持つジョブ |
ペイヤー | ぜになげ | 財力を武器に他人にポイントを投げまくるジョブ |
クエッショナー | じんりき | 質問をすることにより他人の力を引き出すジョブ |
リョウシ | つり | 良質な餌を武器に他人の感情を捜査するジョブ |
スッピン | ---- | はてなーの本来の姿 |
テロリスト | ほしれんだ | 突如として現れ迷惑行為を行うジョブ |
ウタヨミ | はいく | 多種多様な俳句を詠むジョブ |
バキューマー | くうきよめ | 場の流れを吸い取ることのできるジョブ |
ヲチヤ | をち | 安全な後列からでも攻撃の行えるジョブ |
クロスサイトスクリプター | こーど | 他人の脆弱性を狙って攻撃を行えるジョブ |
ユーチューバー | ようつべ | 面白い動画の発掘を行うジョブ |
ゾンビ | たちなおり | 何度炎上してもしつこく復活するジョブ |
最初は殺し合い(*1)など何でもござれな無法地帯だった。そりゃそうだ、俺ら比喩ではなくまんま単細胞、しかも酸素呼吸すらできなかったんだから。
しかしそのうち細胞レベル、多細胞生物レベル、コミュニティレベル…と多種多様なレベルでパワーゲームを気の遠くなるような時間をかけた結果、殺し合いを限定的なものに抑えないやつは生存率が極端に落ちていくはめに陥って滅んでいった。
もちろん文化を持つ前は本能…DNAなどに刻み込まなきゃ受け継ぐことはほぼできないから、DNAレベルでも殺し合いを抑制する仕組みが徐々に刻まれていった。
とはいうものの、状況によってはやむなく殺しあわなければならないこともある。だから殺し合いが完全にできないようにはなっていない。そういうやつらも結果的に生存率が極端に落ちて滅んでいった。それは法律にも緊急避難的には殺人もやむを得ない事があるということなどで組み込まれている。
そのうち我々の一部は人類になり、また文化や巨大な社会を持つに至った。その新しい村や国というレベルにおいても殺し合いがなされ、その結果さまざまな法則が導かれた。我々はDNAなどが導く内心の構造と比較して殺人禁止を理解する方法なども獲得した。この一部は今日、倫理などと呼ばれている。
ただこういう説明は幼い子供などに説明するのはかったるいので、「人は殺しちゃいけないんだよ」と呪文のように唱えて聞かせている。ただしたまにパルプンテが発生する。なんか眠くなってきたので唐突にギャグを放ちたくなってきた。アルミ缶の上にあるみかん。…せっかく書いた長文が全て台無しである。
って俺はいったい何を書いているんだ。
確か、小学国語で宝島の地図か何かがあって、それにまつわる物語を書こうっていう授業があったのがきっかけだった。
枚数が制限されていなかったので、全ての分岐を記述して作文用紙でゲームブックめいたものを作って提出した子がいた。誰だか憶えてないのが残念だけど、今考えるとすごい才能だよね。
そこからゲームブックのようなもの(自作)がクラスに流行し、他のクラスにも広まっていった。ちょっと記憶が曖昧だけど、かなり多種多様だったと思う。覚えてるものとしては、宝島の応用、ファンタジー(魔法とか妖精とか)、スペオペみたいの……虫の世界をテーマにしたようなものまで現れた(虫博士や恐竜博士、魚博士たちのいる時代でした)。とりあえず、オオスズメバチ最凶だった。こやつ、たぶん夏場に侵入して大混乱引き起こしたから強かったんだろう。襲われた生徒が廊下に逃げ消化器を倒し、消化器暴発、その煙を火災と勘違いした誰かが警報機を鳴らし、大変なことになってしまったことは忘れられない。でも実は前後どっちが先か憶えてないから、無関係かも知れない。
あんまり戦いをテーマにしたものは無かった。うまく逃げるとか、そういうのが多かったと思う。多分ブーム引き起こした張本人のやつが宝を得ることがテーマで、それの模倣から始まったからだと思う。記憶に残っていないだけかも知れないけれど。
けれど、ずっと続いたわけじゃなかった。難易度インフレが起こって、誰も遊べないゲームブックばかりが量産されるようになって、ブームは終わった。あんなに流行っていたのが嘘のように忘れられていったように思う。あの楽しさが忘れられなかった数人がその後中学で出会い(田舎なせいか、殆ど一貫といっていいくらい小中学のメンツは同じ)、TRPGに興じたのは、また別の話。
ネットをしていると普段自分が考えていた事と同じような考えを見かける事がある
case1:私の場合
と
を見た時は驚いた
(おそらく)どこかの全く知らない赤の他人が自分と全く同じ理論をネットで表明しているのだ。育ちも環境が全く一緒というのはほぼあり得ない。違うはずなのに思考の行き着く先が合致したのだ
当たり前の事なのかもしれないが凄い事である
飛躍して…
物事を考える時には多種多様の意見が出る。そしていずれは全ての意見の中心(曖昧とも妥協点とも)で落ち着く。または証明されて定義として残る。いずれにせよ行き着く先は一つになる訳だ。(前者はかなりぼやけた物になるが。前者もいつかは後者に変化するものと考えられる。)
さらに飛躍して…
世の中の全ての事象が上記の後者によって「点」として定まるとする。そこで何が起こるか。再びその「点」に、「全ての点(意見)の中心をとろうとする力」が働くのではないだろうか。その「全ての点の中心」こそが言うなれば「真理」という事になるのだろう
今、ここに非常に興味がある
たぶん何千、何万いや何億年かけても辿り着けないであろうが、その真理とやらにぜひとも一度謁見してみたい
※余談
(あやふやだけど)漫画のナルトでオロチ丸が「この世の全てを知りたい。」みたいな事を言っていた気がするのだけど、これに結構同意。「真理に出会うには人の命は短すぎる」ていうのにも同意。そのために人を利用するのはナシだけどね
mixiにこんな日記書いたらマイミクは引くだろう。でも、奇天烈な事を思う夜もある
増田っていいものですね
32 名前: 社長(catv?)[] 投稿日:2007/09/17(月) 20:51:06 ID:+RIFXdgD0
年代別ヨハネの治安変遷。
??89年 初ヨハネ。 危ないとは聞いていたが主にテロによるものと聞いていた。
到着初日に投宿していたホリデーイン・ダウンタウン(今はもちろんない)から
町をくまなく散策するがやばそうな奴らがチラホラと散見されるほかは特に危ない
とは感じなかった。アメリカの大都市のような雰囲気。普通に多種多様の人種が
働いている。しかし夜九時ごろ外出しようとしたらホテルのガードに止められた。
??93年 夜のヒルブロウにドイツ系移民の友人に連れられてヒルブロウを歩く。
夜の10時過ぎだったが結構ヤバイ雰囲気。ガキが道端で焚き火してる。喧嘩してる黒人
やシンナー吸ってるガキをドイツ君がどやしつけると一気に萎縮する。まだ白人の威厳
が残ってる頃。89年に比べれば治安は悪くなっていそうだが昼間ならまだ歩ける。
34 名前: 社長(catv?)[] 投稿日:2007/09/17(月) 20:54:15 ID:+RIFXdgD0
??94年 ヨハネのヒルブロウに住んでるドイツ系移民の友人宅に休暇で3日ほど泊めてもらう。
本人は仕事で日中いないので暇なので一日中ヨハネス市内を散策。外出前に護身ナイフを渡される。
中央駅に近くなるにしたがって黒人密度が増すがやばいというほどではない。駅付近では黒一色に
なり唯一の非黒人が俺だけという状況になる。旧白人専用ホームは凄くきれい。黒人用は怖くて見
に行かなかった。夜は暇なのでまた市内を散策する。表通りはOKだが裏通りはもうやばい感じ。
ごみだと思って道端の毛布を踏んだらグニャっという感覚が。開けてみたら黒人の餓鬼だった。
夜は散発的に銃声が聞こえてきて目が覚める。
??97年 もう昼間でも満足に歩ける状態にはない。市西部のビジネス機能
が残ってるあたりはまだ白人もいるし歩けないわけではない。夜に郊外から
日本人の友人と車で市内進入を試みるがもう肝試し状態になってお互いウワ
の空。中華街で飯食うが窓の外に黒人がぴったりと顔をくっつけてこちらを
うかがっている。飯を味わう状態にない。帰りヒルブロウ地区を通過中に数回
短機関銃のような発射音が聞こえ、歩行者が道に伏せている。どこで発砲されてるか
確かめる余裕もなく猛スピードで通過。女性の夜闇を切り裂くような悲鳴を耳にする。
すっかり動転し、人通りの少ない裏道の信号で信号待ちの度に恐怖で足が震えエンスト
を起こしまくる友人を狂乱状態で怒鳴りつけるくらい俺も節度を失う。
コレがヨハネの見納め。また行こうとは思わない。
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こんなんでワールドカップできんのかね・・・
元ネタ http://www.nicovideo.jp/watch/sm510673
この動画を作った人も腐女子です。現在絶賛大暴れ中の暴徒と化した一部腐女子の皆さんへ言いたいことを全部詰め
込んだらとんでもなく長くなったので、いくつかテーマごとに分割したものも作りました。順序の変更・内容の重複
も多少あります。気になる部分だけ見たい時にどうぞ。→mylist/634686/1748219 他の方が作った簡潔でわかりや
すいこちらの動画もぜひどうぞ→sm443666 追記:動画の性質上、騒ぐ『腐女子』の皆さんがよく使われる表現だ
ったので例として『キモヲタ』を用いました。が、あまり良い使い方ではなかったと思います。気分を害された方に
はお詫び申し上げます。すみませんでした。
腐女子のみなさんへ
この動画は今から挙げる事例に一つでも当て嵌まることがあった人に見ていただきたい動画です。
??アニメ本編や腐女子向けだと明記していない一般動画で男同士のカップリングについてコメントしたことがある。
??腐女子向け動画で扱っているカップリングが気に入らなかったのでおすすめのカップリングをコメントして皆に教
えたことがある。
??BL風にアレンジしているものの腐女子向けと明記されていない動画で他の人のコメントを読まず萌えと勢いだけで
??好きなキャラがものすごくいじられていたのが不満だったのでコメントで思い切り抗議したことがある。
??女キャラ・ノマカプがむかつくのでついカッとなって荒らしたことがある
全部当て嵌まる人は一人もいないと思いたいですが、もしいたらとりあえずコメント非表示にして最後まで真面目に
見てください。
多少当て嵌まる部分があるならこの動画を見るか、説明文にリンクを入れている別の動画をぜひ御覧になって考えて
みてください。
まずはじめに
ニコニコ動画は一般サイトです。腐女子専用サイトではありません。勘違いしている人も多いようですが無法地帯で
もありません。
あまり意識していないかもしれませんが、腐女子の嗜好と一般的な嗜好の間には越えられない壁が複数枚存在してい
ます。
想像も空想も妄想も萌えも心の中で思う分には個人の自由です。ですがそれを言動に表す際には他の人への配慮が必
要不可欠です。
もちろん、これは腐女子に限ったことではありませんし、大多数の人がきちんと実行できているはずです。
しかし、ほんの一部の場をわきまえることが出来ない人達が大勢の人に迷惑をかけています。
あなたはその一部の人間になっていませんか?
アンチ腐女子も腐女子もその人の勝手でしょ?腐女子であることは別に悪いことじゃないし。
そうですね。確かに個人の勝手です。
ただ、腐女子とアンチ腐女子の論争が動画上で繰り広げられた時、それに巻き込まれた一般の人にとってはどちらも
大変迷惑な存在です。
もし動画上で叩かれることがあっても感情的になって反論せず、大人の態度でスルーしましょう。『相手が譲らない
なら自分も譲らない』では話が泥沼になってしまいます。こちらから一歩引くことも大切です。
腐女子ってそんなに嫌われてるわけ?腐女子コメントにも乗ってくれるんだけど。
乗ってくれているのは腐女子だけかもしれません。
一部の困った腐女子がどれだけいろんな所に迷惑をかけているのか認識するところから始めましょう。2chやニコ動
の交流掲示板で腐女子について議論しているスレッドを最初から最後まで読んでみてください。
嫌ならコメ消せば?見なきゃいいじゃん。
( ゜д゜)ポカーン
えっと・・・それどんなネタですか?
常識的に考えてこんな人がいるのは信じられないことですが、一般動画で腐女子コメントに不快感を表すと高い頻度
一般向け動画は腐コメを垂れ流して良い場所ではないのですから、腐女子側が反省・自重しなければなりません。ま
してや前述の台詞など非常識にもほどがあります。注意されたら素直に反省し発言には十分注意してください。
まずその『キモヲタ』と同じことをあなたがやっていないかどうかを客観的な目線で確認しましょう。
もし同じことをやっていればあなたも『キモヲタ』と同レベルの人間だということです。『キモヲタ』と同レベルの
人間になりたくなければ控えましょう。
原作がBLの動画ならほぼ腐女子しか見ていないので大丈夫だと思います。
『腐女子向け』と明記していないけれどBL風アレンジがされている動画はネタかどうか空気を読む必要があります。
他の人のコメントや動画の説明文を参考にして判断してください。
場合によっては動画の説明文に『腐女子コメント自重』という内容の文章が書いてあることもあるので面倒でも動画
の説明文には必ず目を通すようにしてください。
頬染め動画や○×計画系の動画は腐女子向けなのかネタなのかが曖昧な部分が大きいので、動画内の空気が読めるよ
うになるまはコメントを控えた方が良さそうです。
『腐女子向け』と明記されているなら多分大丈夫だと思われます。
ただし、自分が推奨するカップリングと動画内のカップリングが異なるからと妄信的にそれを主張するのはNGです。
その動画を楽しんでいる人も嫌な気分になりますし、動画を作った人からすればそういう発言は少なからず不快なも
のです。
BLカップリング系のコメント全般だと思ってかまいません。より具体的に書くと、『●×◆』『▲×◎は公式』『■
はガチで受け』といったところでしょうか。
ヤマジュンネタや過剰なキャラ萌え(抱かれたいとかネタではない様付けとか)等も鬱陶しいと思っている人は多い
ようです。
過剰な俺の嫁系(愛人や婿も含む)も鬱陶しく思う人が増えてきているようなので注意した方が良さそうです。
腐女子同士で盛り上がりたいならそういう場所でやりましょう。内輪で盛り上がりたいならメッセンジャーソフトや
ジャンルによっては腐女子が語れる掲示板などもあったりはします。ここで聞くより自分で探した方が早いと思うの
で自分で探してそちらで盛り上がってください。
世の中には腐女子がいるというだけでドン引きしてしまう繊細な人もいます。一般の場では出来る限り腐女子だと悟
られないようにするのも大切な腐女子のたしなみの一つです。
今と昔じゃ考え方違うんだから隠れる意味がわからない。
『腐女子』という言葉の歴史を調べて見ることをおすすめします。長くなるのでここでは割愛しますが決してイメー
ジの良い言葉ではないことを覚えておいてください。
『腐女子』『BL』等言葉の認知度が急激に上がってきているので一般にも認められたと思いがちですが間違った認識
で使われている場合も相当数あったりします。『腐女子』自身が本来の意味を履き違えないようにしましょう。
動画作者の愛情の差によってキャラの出てくる頻度は変ります。キャラへの愛情が強すぎて別に動画を作っているこ
ともあります。一度動画の説明文をよく読んで情報がないか調べて見ましょう。
好きなキャラがいなくても寂しくても『○○まだー?』などと安易に書き込まないようにしましょう。その動画を楽
同様にニコニコオールスター系の動画に好きな作品が出ていないからと『○○まだー?』などのコメントを残すのも
やめましょう。
そんなに好きなら自分で動画を作るのも一つの手段です。
好きなキャラがありえないくらいいじられててムカつくんですけど。
どんな形であれその作品やキャラに対する愛がなければ動画を作ることはそうそうありません。ごくまれに嫌いなキ
ャラや作品を叩くためにやっている暇そうな人もいますが、愛がなければ動画を見ることもコメントを残すことも普
通はありません。
愛の形も楽しみ方も多種多様です。中には好きなキャラをいじり倒して歪んだ愛情表現をしている人もいます。多少
ムカついてもあなたと同じキャラを愛しているのだと思ってそっとしておいてあげてください。
好き嫌いは人それぞれです。あなたが嫌いなものを好きな人がいることを忘れないでください。
他人が嫌な気分になるのは良いけど自分が嫌な気分になるのは駄目!という考え方は自己中心的で情緒面が未発達な
お子様理論です。大人になって譲歩してあげましょう。
であることを忘れずに。
絶対●×◆なのに◆×●とか主張するのありえない!反論しなきゃ!
どっちがありえないかはどうでも良いです。反論は控えましょう。動画内の空気が悪くなるだけです。
腐女子向け動画でよくみかけますが作者が●×◆をメインに作っている動画上で『次は◆×▲ですね』『●は■のも
の』といった主張をする人が意外といます。
作者側からすればこういう主張はあまり好ましいものではありません。思い入れはあるのでしょうが主張するのは控
えておきましょう。間違ってもカップリング論争を動画上で繰り広げてはいけません。
そんな空気の読めない子と一緒にされたくないでしょうが、現実は非常です。ほんの一部の痛い子のせいで腐女子全
体が痛いと思われます。
誰かが注意してくれるのを待ったり『私は何もしてないけど一部の困ったちゃんがごめんね』という態度はさらに反
感を買うだけです。謝罪の言葉を口にする前に黙って行動しましょう。
これつまんない。荒らしちゃえ☆
荒らすな。
これだけは本気でやめてください。一部の短絡的な人が荒らすせいで腐女子全体が荒らしだと思われます。同じ腐女
子として迷惑です。不快です。腐女子と名乗らないで欲しいです。
つまらないと思ったら戻るボタンを押すかウィンドウを閉じて見なかったことにしましょう。その方があなたとその
他大勢の人の心の平穏に繋がると思います。
せっかくタグつけたのに消されちゃった。何度つけても消される・・・
これは腐女子に限ったことではありませんが、同じタグをつけても消されると感じている場合は一般的に不適切なタ
グだと考えてしつこくつけ直すのを控えましょう。タグ荒らしと同じです。
質問しても誰も答えてくれない。不親切すぎ!
これも腐女子に限ったことではありませんがよく見かけるので念のため、記しておきます。
疑問・質問があればコメントで誰かに聞く前にまずは調べる癖をつけましょう。検索サイト等調べる手段はたくさん
あります。他の人のコメントや動画の説明文を読めばあなたの疑問に対する答えが見つかることも結構あると思いま
す。
動画作者もあなた以外の利用者もあなた専属の無料サポートセンターではありません。たまに博愛精神に溢れた優し
い人が答えてくれることもありますがそれに甘えないようにしましょう。
さいごに
読みにくい長文にもかかわらず最後まで御覧いただきありがとうございました。少し大げさな表現も使ったので不愉
快になった方もいらっしゃるのかもしれません。
腐女子全員がこのようなことをしているわけではないというのは理解していますが、実際に一部の困った子達が所構
わず暴走して周囲に多大な迷惑をかけているのも否定できない事実です。
自重も譲歩も気遣いもいつかは巡り巡って自分に返ってきます。
せっかくのニコニコ動画、みんなでニコニコできるようにできる所からはじめてみませんか?
増田!おら!むにゃむにゃしてないで出てきなさいよ!
だから……オタは一枚岩じゃないし、他のオタの行動が理解出来るわけではない。オタなんてものは趣向から判別されただけの多種多様な集団の一つに過ぎないのだから、オタならオタを擁護出来るというわけでもないし、他の人と共に、或いは、それに直接影響を被る人間として、他の人以上に非難したくなる場面というものが存在する。
……といってもわかりにくいかもなので、別の喩えで書いてみよう。あなたは物凄いコンピュータ技術を持った人間、所謂ハッカーで、GNUに代表されるようなフリーソフト(ビール券のような無料<フリー>ではなく、自由<フリー>スピーチのフリー、つまりオープンソース)の理念に賛同し、日々Mozillaの改良に励む(貢献できる部分がないか探しながら Mozilla のコードに目を通す時には、思い出して欲しい:ここで負けてしまったら、この戦争全体に負けてしまうんだ。――Dave Whitinger の理念に則って、Microsoftに汚染されたWebを解放する=Rediscover the webために)、そんな偉大な志を持ったハッカーです。それなのに、世間ではハッカーがクラッカーと混同され、クラッカーたちの破壊的行為は悪し様に言われ嫌悪される。ハッカーとクラッカーは(スクリプトキディなんかは除けば)同様に高等なコンピュータ技術を持つことにおいて同一の存在だけれど、その内実は大きく違う。あなたはきっと、世間以上に強くクラッカーを非難し、そして嫌悪するだろう。これは逃げか?いいや違う、あなたはもしかすると(同様に、DVD業界や一般からはクラッカーと呼ばれうる)DVDのヨン(DVDのCSSとiTMSのFairPlayをクラッキングしたハッカーで、LinuxでDVDやiTMSが利用出来るのは彼のおかげ)に賛辞を送るかもしれないけれども、データベースに侵入して顧客情報を盗んだクラッカーを賞賛はしないだろう。オタはここまで崇高ではないけれども、同じように、似た趣味を持っているからこそその行動をより嫌悪してしまうこともあるし、それは、他の事例でも変わらないと思うんだ。宗教なんかではもっと激烈にこれを見ることが出来るし、ゴスロリ界隈でも真性と似非とでやはり確執があるみたいだし。それを単に「オタ内部の」云々言えるのは、単にそれに関する理解もないし、興味もないからに過ぎないと思うんだ。
主に日記公開範囲周り。
少なくとも、身内(特に親しい一部の友人)、ネット、身内以外の友人。
場合によっては会社の同僚用。
このくらいは公開範囲を絞れるような機能が欲しいね。
でも、いつになってもβから脱却せず、公開範囲は初期の3パターン以上の拡張がない。
その上、アカウント作成に携帯メールアドレスの提示が必須になった事で、複数アカウント保持が出来なくなったしまった。
人間関係は多種多様なのに、それらの最大公約数的な話題で終始するのなんて望んでないんだよ。
書きたい事書けないなんて疲れるだけ。
だから、現状は身内だけ登録してる。
でも身内以外の友人との連絡用に欲しいんだよなぁ・・・
結論だけ先に言っちゃいます。
格好というか価値観がほぼ一つだから、
その価値観のなかで優れているか劣っているかの優劣ゲームになっちゃう。
だから、その価値観に合わない、のれない人にはファッションつまんねー、だるいとなっちゃう。
だから脱オタする人は、ほどほど服に手間とお金をかけてそれ以上はやるべきじゃあないと。
(ほどほどの具体的な内容?それは他の人任せ)
今日服を買いにでかけたんだけど、お目当ての品は大はやりのポロシャツではなく
ノースリーブのTシャツと半そでのブルゾンというすごいマイナーなアイテム。
で、案の定どこにも売ってませんでした、ぢくしょー!
で、買い物して気づいたんだけど、ほとんどのお店は似たような型の服しか
置いてなかったんだよねー、ポロシャツとか半袖シャツとかVネックのTシャツ。
流行だからそういうのしか売れないんだろうけど、流行の力はおそろしい。
まぁ売ってる物だけにかかわらず、男のファッションって女と比べて服の型が少ないんだよね。
たとえば男の場合、下半身の服といえばズボン、つまりジーンズかカーゴパンツおまけでスラックスくらい
女の場合、これに加えてスカートやらホットパンツやらレギンスやら色々種類があるんだよ。
ここで服の型のコーディネートを考えた時、上半身・下半身・足元と組み合わせるとして
男はそれぞれ3種類、女はそれぞれ6種類として考えたら
男のコーディネートは3×3×3で27種類
女のコーディネートは6×6×6で216種類
まあいろいろとムチャなところがあるんだけど
女に比べて男は格好(スタイル)の種類が乏しいって言いたいんだよ。
だからみんなと似たような格好しかできない、というかなってしまう。
そこで個性なり優劣なりをつけようとしたらどうなるか?
服そのものは大ざっぱに考えると、型・色・素材・形状の4つの要素に分けられると思うんだ。
型ってのは上で話したように服の基本の型のことね、ポロシャツとかTシャツとかタンクトップとか。
色ってのは言うまでもなく白とか黒とかのこと。
素材は綿とかポリエステル(ジャージによく使われてる)のこと。
形状はシルエットのこと、ジーンズだとストレートとか足元にいくにつれ細くしぼってるテーパードとか。
さてここから、男の脱オタとからめて考えていくけど、
で脱オタした人が、せっかくだからかっこよく見せれる服っていうか人と違う服を買おうかって店に行きます。
ここで服を選ぶときにそれぞれについて考えていくと、
●色も女性がいろいろゴールドだの青緑だの紫だの着てるのに比べたらすごい少なくて
(他の色の服なんか着たら、男のクセに○色?その色は変だろーとたたかれること多いからね)
同じ白でも素材によってすこし違う見え方がするけどそれはあとで。
柄ですか?色と似たようなものです。
●形状はものすごく着る人の体型を選んでしまう。
たとえばスキ二ーって形のジーンズはすごく細くて、デブはもちろん普通の人でも
腿が太い人や足が短い人には穿けないもしくは似合わない。
背が高くてある程度やせてないと選択肢は少ないんです、はい。
●で、残るは素材となるわけ。素材についてはけっこう色々あって、
服の表示で「綿」て書いててもピンキリがあって珍しいものや色がすごそうに見える高級な素材ってのは
ほとんどが高い服っていうかブランドものになっちゃうんだよね。
Tシャツについてはユニクロがいい素材を使っているけど他のアイテムについては差は歴然だと思う。
荒っぽいけど、ふつうの男がいい服買ってかっこよくなりたいと思ったら、
素材と付加価値であるブランドでしか差をつけることができないんだよね。
その片方である素材もブランドによって差がつくので、結局はブランド次第となってしまう。
そのブランドの服ってのは、一般の服に比べておもに今言った素材、そして形状と値段が大きく違う。
(デザインも違うだろ、ですか?ここまで話に触れなかったけど、
(デザインは型と似たようなもので、ブランドが発表した服のデザインを
(下々の服メーカーがパクりまくって作っちゃうから、デザインで差はつかないと考えています)
複雑な形状の服を着れる→体型のいい人
高価な服を買えて着れる→金持ってる人
なんやそれ!早い話が、スタイル抜群で金持ちが勝つんじゃねえか!
流行その他のせいで選択肢がせまくて、スタイルと金銭がなきゃ面白みがでてこないジャンル
そりゃつまらないわ。こんなジャンルに金と手間をあまりかけても仕方ない。
勇気が行きすぎると無謀で、足りなさすぎると臆病なように
ほどほどでいいんです。
さて、ここからは服オタクの人向けに対して。
今まで言ってきたたことについて穴がありまくりじゃねーか!
アンチ流行派の人もいるし、古着もあるし、服飾志向と服装志向とかあるじゃねーか!等
まーそのとおりですが、自分が言いたいのは
「服の型の少なさと使える服の色が少ないのはガチだろ」
ってことです、形状(シルエットやサイズ)についても色々あるんですが割愛して。
大きく見た目を変えることができるこの2点のバリエーションが少ないのはキツイ。
という型にはまりすぎなこと象徴されるように
もう少し使える服の型や色が増えれば、目に見えてコーディネート技術がついてきたり
いろいろなコーディネートができて方向性が多様になり少しはマシになるはず。
たしかに流行の力には逆らえないけど、画一化から少しは離れられると思う。
めっちゃ古いたとえですが、レディスをスーパーファミコンとしたら
メンズはネオジオ。なんだよ!ソフト高いし格闘ゲームばっかじゃねーかよ!
しかもソフトでけーから、数を増やすとかさばってスペース取りすぎるだろ!
それにしても、インターネットが一般に広まれば、ブログみたいにいろいろな形で情報発信する場が増えるから、
価値観がさまざまになって、大きなムーブメント(流行)はなくなるだろう、って文を前に見たけど、
なんのことはない。ぜんぜん価値観が多種多様じゃないやん、と思うのは自分だけでしょうか?
もし最後まで読んでくれた人いたら、どうもありがとうございました。
特に今のライトノベルの絵が酷いとは思わないが……。いや……マジで。どういうのを指して下手だというのか知りたい。昔のを知らんので、分からんけど、そんなに昔は上手い人だらけだったんすか?そりゃ今も時折「エッ!?」っていいたくなるようなのもあるけどそんなのは少しだし。没個性化ってのはあるかもしれないが、そもそもラノベってそんな程度のもんだと思ってたから意識した事なかった。昔のラノベはもっと絵が上手い人ばかりで、もっと多種多様の絵柄だったのか?そんなに凄かったのか?とりあえず、具体例をだしてみてほしい。それがないと、過去の記憶を美化している可能性もあるからなぁ
知人からこの日記を改変してくれーと言われたので書く。ということで間借りしますー。
常々ここをヲチされている、顔も知らない愛すべき増田民たちの想定の範囲内だったかどうかは別として、自分はふだんはてなダイアリーで日記を書く人である。いや。1ヶ月ではてなブックマーク100個ブックマークしてそのうち半数をコメントするかどうかも結構あやしい超ライトはてなダイアラーの自分が、ここを覗いている数多の重度のはてなダイアラーたちを前にしてこう堂々とはてなダイアラー宣言するのもおこがましい話ではあるのだが、世間一般的な基準に従うと、いちおうはてなダイアラーの部類に振り分けられるらしい。もともとがまんが足りなく、「finalventの日記」のいいかげんな書き飛ばし記事がはてブ注目エントリー入りしているのを見た瞬間に心がムズムズして記事を書いてトラックバックを送らずにはいられない、傍目にはおよそ典型的なはてな依存症の自分がなぜそうまでして毎日はてなダイアリーを書いているのかと言えば、これでも物書きの端くれだと思っているからである。モノを書く人間ならはてなのダイアリーやブックマーク、嗜んだことがなければ文字通り「お話にならない」し、はてなダイアリーを使わない人間が書いた文章なんて、大抵ロクなもんじゃない。
読む価値が無い、とまで言ってしまうとそれは過言として。非はてなユーザーが書いたものでも読むべき文章は無数にある。はてなユーザーが書いたものでもはてブ1発分の価値すらない文章もザラにある。あらゆるものの90%はクズである。はてなダイアリーを使わない物書きがなぜダメなのかと言えば、それははてなダイアリーを使っていないからだ。彼らは「はてなダイアリーがない世界」のことしか知らない。はてなダイアリーを使う人間は、はてなダイアリーを使わなかったこともある人間である。彼らは「はてなダイアリーを使う世界」と「使わない世界」、両方について自らの経験に基づいて一応の見識を持つことができる。モノを書く人間や、ブロガーにとって一番の武器は、彼が持ちうるそのパラダイムの多さだろう。
普段はてなダイアリーを使っていない人間は、ためしに想像してみてほしい。どうやって「記事を書く」のかを。まずジャンルは? いったいどれを選べば良い? 非モテダイアラーのrepublic1963とfurukatsuとkiya2014とumetenは、それぞれどうキャラが違う? スキンはどれを選択する? hatenaシリーズはともかく、指定なしって結構ディスプレイサイズがでかいユーザーにとってはクセ者よ? キーワードになっている単語はどうやってつける? なにも考えずに記事を書いてるだけじゃ、誰も読まずに流されるだけですよ? どこで記事を書くのを止める? 先っちょだけ書いてほのめかす?真ん中まで書いて読者に思考の道筋を与える?それともギリギリのところまで書いて「続きは後日」? [続きを読む]って、どこまで溜まったらつけてほしいものなんだろう……? 等等。いかに「はてなダイアリーの世界」について無知なのか気づくはずだ。自分の周りには、あんなにもはてなダイアラーが多いと、ずっと思っていたはずなのに。いままで非ダイアラーは一体ネットの何を見ていたというのだろう?
はてなダイアリーひとつとっても、「こちら側」と「あちら側」でこれだけものの見方が違うのだ。思考の越境はかくも困難なり。しかしおそらくモノを書くことを生業にする人間こそ、常々何かについて考え、不断の「思考の越境」に努めなければならない人種である。それが日常の些細な事象についてなら尚更だ。ここで勘違いしてほしくはないのだが、自分がはてなダイアリーを積極的に奨励し、その欠点を必死に覆い隠してはてなダイアリーの普及に尽力している、と思われるのは心外である。そんなつもりは毛頭ない。どう言い訳してみたところで自分の文章をロハで叩き売るのは毒だ。百害あって一利なしである。それでも、絶望の際に立っておずおずと久遠の深淵を覗き込んで尚、闇の底から見るはてなダイアリーのシンプルな美しさについて必死に思いを巡らせる。それがモノを書く人間の、最低限持つべき心意気だと思う。
『はてなダイアリーを使わない人間にものを書く資格がない』と言うわけではない。が、やはりモノを書く人間には何かしらの「はてな(hatena)」がなくてはならないように思われる。別にそれがはてなダイアリーであれ、とは言わない。ブックマークでも、アンテナでも、人力検索はてなでも。物書きならば何かのhatenaじゃなければならない。そうでなくては、思考がねばついたものにならない。さらさらした思考からは、何も生まれない。さらさらした文章が生まれるだけだ。思考の「越境」と「拘泥」はものを書くために必要不可欠な要素である。その為には、多くのブログを読むのもいろんなアルファブロガーから話を聞くのもよいが、やはりはてなの「キーワード検索」こそが最も頼りとする素養となるだろう。
と、ここまで書いてしまえば、これ以上ない決定的な批判に晒されずにはおられないことは馬鹿ではないから自分でも分かっている。
「オマエのダイアリー、まだはてなアンテナ登録数10人いないじゃないか」と。
いや。まぁ。それはそれで。そっちのほうがマイノリティな界隈にバカ受けな文章が書ける、ということにしておいて。
おまけ
手塚治虫『人間関係が希薄な人は漫画は描けない。漫画とは読者との会話だからだ』
宮崎駿『ロクに人生経験も無いオタクを雇うつもりはない。火を表現するには火に触れないと駄目だ』
庵野秀明『アニメ・漫画に依存するのは止めて外に出て欲しい。あれはただの絵だ』
富野由悠季『オタクは日常会話が出来ない。アニメ作るならアニメ見るな』
藤子・F・不二雄『よく「漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ」だとか
「人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない」だとか言われますが、
私の持っている漫画観は全く逆です。
人はゼロからストーリーを作ろうとする時に「思い出の冷蔵庫」を開けてしまう。
自分が人生で経験して、「冷蔵保存」しているものを漫画として消化しようとするのです。
それを由(よし)とする人もいますが、私はそれを創造行為の終着駅だと考えています。
家の冷蔵庫を開けてご覧なさい。ロブスターがありますか?多種多様なハーブ類がありますか?
どの家の冷蔵庫も然して変わりません。
多くの『人並に人生を送った漫画家達』は「でも、折角あるんだし勿体無い・・・」とそれらの食材で賄おうします。
思い出を引っ張り出して出来上がった料理は大抵がありふれた学校生活を舞台にした料理です。
人生経験自体が希薄で記憶を掘り出してもネタが無い。思い出の冷蔵庫に何も入ってない。
必然的に他所から食材を仕入れてくる羽目になる。 漫画制作でいうなら「資料収集/取材」ですね。
全てはそこから始まる。
その気になればロブスターどころじゃなく、世界各国を回って食材を仕入れる事も出来る。
つまり、漫画を体験ではなく緻密な取材に基づいて描こうとする。
藤子・F・不二雄『よく「漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ」だとか
「人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない」だとか言われますが、私の持っている漫画観は全く逆です。
人はゼロからストーリーを作ろうとする時に「思い出の冷蔵庫」を開けてしまう。
自分が人生で経験して、「冷蔵保存」しているものを漫画として消化しようとするのです。
それを由(よし)とする人もいますが、私はそれを創造行為の終着駅だと考えています。
家の冷蔵庫を開けてご覧なさい。ロブスターがありますか?多種多様なハーブ類がありますか?
どの家の冷蔵庫も然して変わりません。
多くの『人並に人生を送った漫画家達』は「でも、折角あるんだし勿体無い・・・」とそれらの食材で賄おうします。
思い出を引っ張り出して出来上がった料理は大抵がありふれた学校生活を舞台にした料理です。
人生経験自体が希薄で記憶を掘り出してもネタが無い。思い出の冷蔵庫に何も入ってない。
必然的に他所から食材を仕入れてくる羽目になる。 漫画制作でいうなら「資料収集/取材」ですね。
全てはそこから始まる。
その気になればロブスターどころじゃなく、世界各国を回って食材を仕入れる事も出来る。
つまり、漫画を体験ではなく緻密な取材に基づいて描こうとする。
発生の初期段階では当然骨がありません。ニワトリの血液は骨髄から!?
血液が造られる造血学説に「骨髄造血説」と千島学説と言われる「腸内造血説」があることを知りました。
骨のない生物は骨髄がありませんので骨髄造血ではなく血球は消化器官で作られています。一般に私達人間のように骨を持つ生物は骨髄に存在する造血細胞から血液を造っていると言われています。
骨髄造血説は現代医学の基礎知識であり無批判に信じられています。それは骨髄の中に多種多様な細胞があることと、飢餓もしくは栄養不足のときに、造血作用が認められるからです。
しかし発生の初期段階では当然骨がありませんので、最初は卵の繊毛ついで胎盤のせん毛、そして腸粘膜のせん毛で造られことを千島博士は発見しました。
つまり、骨髄の造血作用は、真の造血ではありません。骨髄は健康状態のときは脂肪が充満していて細胞分裂はほとんど行われず造血反応を示さないのです。飢餓および栄養不足では血液が補給できないため、細胞が血球に逆戻りしているのです。
「骨髄造血説」が登場したのは一八六八年のこと、これはノイマンとビッズオセロという二人の学者がそれぞれの実験から提唱したものだった。そしてその学説を一九二五年に、ダン、セーヴィン、キャニンガムの三人の血液学者が動物実験をして「確認」した。アメリカの三人の学者がやったその実験とは、ニワトリとハトを9日から10日間絶食させた後に観察するというもので、そのときに確かに骨髄で血が造られていることが確認できたという。
実際、それはとんでもない大発見だった。「細胞は細胞の分裂によって生じる」というのがそれまでの定説で、それが生物学の最も重要な根本原理となってきた。ところが千島が念には念を入れて何度注意深く顕微鏡を覗いてみても、明らかに赤血球から細胞が生まれていたのだ。いったいなぜだったのか。なぜ他の人には細胞分裂が観察でき、千島にだけそんなとんでもない現象が見えたのか。実は、そこには、それなりの理由があった。
それまでの研究者は、鶏の胚子の生殖腺(睾丸・卵巣)の組織発生を観察するに際し、胚子のウォルフ氏体(中腎)と付着している生殖腺を切り離して顕微鏡で見ていたが、千島はそれを切り離さずに中腎と生殖腺とを一体にした標本を何百枚も作って、来る日も来る日も根気よく顕微鏡で観察したのである。
すると、中腎と生殖腺のできはじめのものには境がなくて連続的であり、しかもその境の付近には血管外に出た赤血球が無数に散在していて、それが原始生殖細胞や生殖腺の細胞に分化、移行していく姿をはっきりと確認することができた。千島と他の研究者との決定的な違いは、標本の作り方の違いにあったのである。
ガンの秘密を解き明かし、医学界から排斥されてしまった革新の生命医学理論『千島学説』
http://anond.hatelabo.jp/20070222032839
これすごく分かります。
「5巻で彼が母親について語ってるの見ると、きっと子ども時代は????だったと思うんです!!」
↓
「だからその頃の母親へのコンプレックスが××(カップリングのお相手)との恋愛にも表れると思うんですよ!」
↓
「それを表現しようと思って書いたのが『◎◎(そのサイト内の二次創作)』だったりするんですけどww」
というような流れが大体の場合あって、キャラクターのバックグラウンドを「考察」し「設定」してから
さらにその設定の先に生まれる人間関係(つまりカップリング)を妄想し、作品にする、という傾向があるように思います。
それが極端に現れたのが、5年位前に女性向けジャンルを圧巻した「バトロワパロ」なのではないかなと思います。
(最もこのパロディは流行った一方でかなり嫌われていて「バトロワ厨」の呼び声も高かったのですが)
バトロワの世界に元ジャンルのクラスを放り込んで殺し合いをさせるというパロディのことですが、
この手法は「死が迫った場合」という極限状態にキャラクターを置くことでカップリング同士の関係性を強調することに成功していました。
あるカップリングは脱出を誓い合って協力して窮地を切り抜け、
あるカップリングは他の人に殺されるくらいならと愛が暴走して相手を殺す……などなど、
そこには多種多様な関係性と、キャラクターの思考方向がたどり着く結末が描かれています。
キャラクターについて妄想し考察して出来た設定を思う存分書ききりたい!それこそ揺り籠から墓場まで。
という欲求が、バトロワパロという形で現れたのではないなと感じています。
パラグラフはパラグラフだから、見た目が読みにくいと思ったらユーザースタイルシートでどうにかするべきだろ。もしくは自分のブラウザの幅を小さくして、自分で読みやすいようにするべき。
と、原理主義っぽく書いてみたものの、実際は増田を読んでる人の環境も多種多様だから難しいのだろうな。増田の過去にはこんなのも。
http://anond.hatelabo.jp/20060927022345
SXGAで画面幅いっぱいにブラウザを開いて増田を読んでる人もいれば、縦QVGAな携帯電話のフルブラウザで読んでいる人もいるだろうし、高解像度の画面で文字を大きくして読んでいる人もいるだろうし、低解像度の画面で文字を小さくして読んでいる人もいるだろう。
固定幅がいいのか可変幅がいいのか、という点とかもあろうけど、IEも7.0になるんだし、はてなの方でmax-width使ってくれればOK?
久々に興味ある話題なので転載してまとめるよ。
巷で蔓延するニセ科学批判。多くの人間の共感を呼んでいるが、実は問題はそう簡単なことではない。
確かに、追試により証左を求めることが出来ない科学は全て『ニセ科学』だ!
と、定義できればこれほど簡単なことはない。
実際、そのような定義が正しいとは思う。
しかし、科学者自身がニセ科学を批判するには人類が築き上げてきた科学は脆弱すぎる。
科学がニセ科学を糾弾できない真の理由はを知るには『進化論』問題を見れば解るだろう。
なぜ進化論がニセ科学かは、具体的に事例を出してゆ行けば自ずと結論がでるのだが、これは実に根が深い問題である。
人と猿は近い種と考えられているが子供を作ることは出来ない。そこには明確な断絶があり、どのような手段で『進化』がこの壁を乗り越えることが出来たかは今だ明確な説明できない
猪から豚が、狼から多種多様な犬が生まれたからといって、進化はあると言うのは紛れも無いニセ科学的な論法である。事、人間に関してはミッシングリンクなどと言う名称までつけて事の解決を図ろうとしているが、これは現在は実証しようがないと認めているに等しい行為である。
進化論をやっかいなニセ科学にしている理由に多種多様な化石の存在がある。
そして、始祖鳥を筆頭に恐竜から鳥が、魚から両生類が、両生類から爬虫類が…と言うように進化したと言われている。しかし、これを証明できるほど遺伝子工学は進歩していないし、結論は別のものであると考えたほうが遥かに健全であろう。今の段階でこの希望的観測を学校の授業に取り入れるのは間違いである。
クローン猫の事例を出せば納得してもらえるだろうか。
恐らく多くの人間は遺伝子が同一なクローンはオリジナルに極めて近い性質であると考えたであろう。
私もそう予測した。
しかし、実際は違った。模様から性格に至るまでそれは明確に別の固体のように振る舞い、一卵性双生児のように極めて近い存在とはならなかった。しかし、同じ遺伝子であることに間違いは無い。細胞の寿命に関する機能が原因ではないかとも言われているが、多くの遺伝学者、識者が予想もしなかった結論がでた。
つまり、当時のクローン技術で予測された結果は正しくはなかったと言うことだ。
科学とは証左できない存在を排除するプロセスを経て初めて機能する具体的事例をここに出した。
しかし進化論では、状況証拠から結論を予測するしか出来ない。これは間違いを必然的に孕む手法であり、何より間違いを正す手段が無い。
更に言えば、進化論を形作る多数の証拠には扱いに困る物も多い。
例えば、中国政府が北京原人は実在すると主張し続ければ北京原人は存在することになる。(証拠が既に紛失してしまったので検証しようがない)
◆進化論の背景
現在、進化論のような理論が提唱されても学会で否定されるであろう。
このような証左を求めることが出来ない存在は現在の科学では入り込む余地がない。
しかし、これは当時の時代背景を考慮に入れなければ説明できない問題である。
実は科学とはアインシュタインの相対性理論をターニングポイントにその性質がガラリと変わっている。
それまでは、科学には無限の可能性があり、明らかに出来ない事象は存在しないと信じられてきた。
しかし、このドイツ出身の物理学者が提唱した相対性理論によって、そのことが明確に否定されてしまったのだ。ビックバンと呼ばれる宇宙開闢以前の時間が存在しない『モノ』の考証を物理学は放棄した。
これは、当時の科学者には相当な衝撃であり、決して受け入れられないと考えた学者も多かった。
しかし、誰一人、論理的にそれに対抗できる概念を作り出すことが出来なかった。
(その残滓がタキオンやエーテルと言えば理解できるだろうか?)
さて、話は戻るが進化論はアインシュタインの相対性理論発表前にダーウィンが提唱した論文が発端になっている。科学が万能であると信じられた時代の遺物。まだ、科学が錬金術と近い間柄だった時代に生まれた存在である。
はっきり言ってしまえば、進化論とはアインシュタインが科学の万能性を否定する以前の学会だからこそ認められた存在であり、これは科学というより歴史学といったほうが良い代物である。
◆本文を書こうと思った背景
ちょうど大阪大学の菊池誠教授の『水からの伝言』でニセ科学が話題になっていたので常々思っていたことを文章にしてみようかと。それまでは、非常にナイーブな問題で、米国のほうではインテリジェント・デザインとかいう物まで生まれてしまうほど議論にさえならない状態だったこの問題に区切りをつけて、科学とニセ科学を明確に分けたい!という衝動から書かれた文章。
伝えたいことは進化論の科学的な証明プロセスはありえない存在であり、進化論を科学と扱うことを否定して貰えればそれでいい。
進化論が流行らせた最大の間違いは何か?と聞かれれば私は獲得形質を挙げる。
既に遺伝学的に否定された獲得形質ではあるが、
この考えが根本となり、ナチスの優生論が生まれ、多くの人間が犠牲となった。
淘汰は自然には起こらず明確な人の意志によって行われたのだ。
(追記)
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20061226222936
実はこの手の話は感情的になる人間が必ずいる。しかし、大事なことは追試をどう行えば進化論が肯定・否定されるかを彼らが提示することはないという事実だ。
私は進化論が間違いだと言っているわけではない。そもそも進化論は否定する必要さえない段階の説なのだと言っているのだ。
タイトルが釣り過ぎという指摘はその通りでございます。賢い貴方に乾杯。
07:41:09-12/27(水)/2006
インテリデザインという不正確な表記をインテリジェント・デザインに訂正
14:11:45-12/27(水)/2006
【A】に対して。
科学の中でも追試が行われ易い分野とそう出ない分野がある。これは、時間スケールが関係しているよ。長い時間をかけて出来るような、天文学や進化の関連では検証が簡単ではないものが多いです。
でも、進化でも検証されてきてる分野はでてきてる。たとえば、大腸菌を使った進化を検証したものでしょう。だから、まったく、追試が出来ないかと言えばそうではない部分も持ち合わせているようです。それ以外にも社会性の昆虫の分野の性比の問題なども進化的な検証から成果を上げていますよ。パルサー天体のようなものもあるくらいだから恐らく、天文も同じでしょう。また、検証が難しくとも現存するデータで理論が正しいかどうかを確かめる為に統計学を利用しているが、20世紀半ばの集団遺伝学を引っ張ったフィッシャーのように統計学へかなり影響を与えたような事も産まれている。
科学ってものは未解決なものをといていく事で知見が深まっていく。未解決な例を上げて、否定する論法は偽科学と科学の関連でよく使われてるが、それでは説得力が乏しい。たとえば、進化が関連しそうな未解決なものを進化的な方法を取り入れずに解けたならそれは一つの有力な考え方になるだろうし、進化を否定する事につながるかもしれない。要するに、他の方法で未解決なものを説明する試みをしてみないと行けないです。もちろん、インテリジェントデザインのように、超自然的な存在がそうしたのだ。と一言で言われたら、変わりの未解決問題の解決説なのかもしれないが、ここで大きな問題は、超自然的な存在を持ち出す事によって、ブラックボックスを常に作ってしまう事にある。
このブラックボックスってのは、何か都合が悪い事があれば、超自然的な存在の影響だと言う捉え方も可能だし、逆に良い事があってもです。そうする事によって、それ以上の知見を求めない事に問題があると考えていますね。もし、超自然的な存在がいたとしたら、知見を深める事をタブーとはしないと思うけど。倫理的な問題はちょっと別だが。思考を止めて盲目的に信じる事がどのような事に通じるかそれは書かなくてもわかる人が多いだろう。
ただ、偽科学と科学の間にある対立で残念なのは、相互理解が全くないところにある。偽科学だと言われてるものたちが科学(=科学的手法)に対して誤解があるし、科学者が偽科学に対して攻撃的なだけのことも多い。科学じゃないけど、感情的な理解を少しはしていかないと理解はされない。情緒と論理の間の対立のようなものだ。ただし、科学への誤解が解ければ、おそらくニセ科学の多くは科学の顔をしないようになるだろう。
【A】に対して。
そもそも一卵性双生児の性格がまったく一緒かというと、そんなことはないわけで、つまり性格は遺伝要因と環境要因のうち後者の影響が大きいと考えられます(通常は似たような環境で育つので近いものになるとは思いますが)。昔の人はいいことを言った。「生みの親より育ての親」
模様については以下を参照のこと
http://plaza.rakuten.co.jp/kemusiro/diary/200608170000/
素人考えで性格も模様も一緒になるはずと考えるのは勝手ですが、みんなもそう思ってたと考えるのはどうかと思います。どちらも知識さえあれば事前に予測できたことです。昔の人はいいことを言った。「下手の考え休むに似たり」
以下蛇足。
この手の文章を読むと、だいたいどういう方面の人かというのが分かるのだけど(インテリジェントデザインがキリスト教右派の主張の焼き直しにしか過ぎないことがバレバレなように)、この文章はどうも分からない。分からない原因は対立概念が書いてないからだと思うのだけど、「進化論」がニセ科学だとするならば、人間その他の生物はどのようにして発生したと考えているのでしょうか。そこを詳しくききたい。
俺にとって「反証可能であるか」「追試可能であるか」どうかなどどうでもよく、
血液型性格判断も、マイナスイオンも、ゲルマニウムも、水への言葉も
「ナゼ」「どのような仕組みで」と言う部分をすっとばしているから「科学ではない」ではない。と言いたい。
「理由はよく分らないのですが、こうするとこうなります」
ではただの経験則であって、万人に通用するかは分らない。
「B型は身勝手だから」「マイナスイオンは体にいいから」「水が人の心(の波動)を受けるから」
全て「どのような仕組みで」をすっ飛ばしている。
だから『科学ではない』これではいかんのか。
ひとつの理由。
偽者と本物が同じ土俵に立つわけにはいかない。
同じ土俵に立って戦えばピエロになるだけ。
科学とはできないを突き詰めるもの。
可能性を夢想するものではない。
科学は万能などではない。
我々にはできないことの方が多すぎる。
だから前提条件が必要なのだ。
空を飛ぶ為には人間が両手を広げてブーンと言うだけでは飛べない。
これは前提条件だ。
「人間が飛べない」というものを証明したものではない。
同じ論点で、宇宙人がいないと断言するのは間違っている。
「宇宙人は少なくとも確認されていない。」
科学からすれば、それ以上でも以下でもない。
それを「居る」と断じる人たちと戦おうとするのが間違っているのだ。
「居る」「居ない」で戦おうとする人たちに
「いまは確認されていないのでは?」と問う声は届かない。
すべてはおまじない程度の可能性。
すべての可能性は否定はしない。
テレビが映るのを不思議と思わないのに幽霊を見るのは特殊な才能だと思っている。
そんなアンテナ感度の違う人たちと同じ土俵で戦えるわけがない。
仮説にもなっていない言説ということなんでしょうか?
かせつ 0 【仮説】
〔hypothesis〕ある現象を理論的に統一して説明するために立てられた経験科学上の仮定。その真偽の検証は、仮説から必然的に演繹(えんえき)された諸命題を実験や観察によるテストで確かめることによってなされる。検証された仮説は法則や理論として公認される。
巷で蔓延するニセ科学批判。多くの人間の共感を呼んでいるが、実は問題はそう簡単なことではない。
確かに、追試により証左を求めることが出来ない科学は全て『ニセ科学』だ!
と、定義できればこれほど簡単なことはない。
実際、そのような定義が正しいとは思う。
しかし、科学者自身がニセ科学を批判するには人類が築き上げてきた科学は脆弱すぎる。
科学がニセ科学を糾弾できない真の理由はを知るには『進化論』問題を見れば解るだろう。
なぜ進化論がニセ科学かは、具体的に事例を出してゆ行けば自ずと結論がでるのだが、これは実に根が深い問題である。
人と猿は近い種と考えられているが子供を作ることは出来ない。そこには明確な断絶があり、どのような手段で『進化』がこの壁を乗り越えることが出来たかは今だ明確な説明できない
猪から豚が、狼から多種多様な犬が生まれたからといって、進化はあると言うのは紛れも無いニセ科学的な論法である。事、人間に関してはミッシングリンクなどと言う名称までつけて事の解決を図ろうとしているが、これは現在は実証しようがないと認めているに等しい行為である。
進化論をやっかいなニセ科学にしている理由に多種多様な化石の存在がある。
そして、始祖鳥を筆頭に恐竜から鳥が、魚から両生類が、両生類から爬虫類が…と言うように進化したと言われている。しかし、これを証明できるほど遺伝子工学は進歩していないし、結論は別のものであると考えたほうが遥かに健全であろう。今の段階でこの希望的観測を学校の授業に取り入れるのは間違いである。
クローン猫の事例を出せば納得してもらえるだろうか。
恐らく多くの人間は遺伝子が同一なクローンはオリジナルに極めて近い性質であると考えたであろう。
私もそう予測した。
しかし、実際は違った。模様から性格に至るまでそれは明確に別の固体のように振る舞い、一卵性双生児のように極めて近い存在とはならなかった。しかし、同じ遺伝子であることに間違いは無い。細胞の寿命に関する機能が原因ではないかとも言われているが、多くの遺伝学者、識者が予想もしなかった結論がでた。
つまり、当時のクローン技術で予測された結果は正しくはなかったと言うことだ。
科学とは証左できない存在を排除するプロセスを経て初めて機能する具体的事例をここに出した。
しかし進化論では、状況証拠から結論を予測するしか出来ない。これは間違いを必然的に孕む手法であり、何より間違いを正す手段が無い。
更に言えば、進化論を形作る多数の証拠には扱いに困る物も多い。
例えば、中国政府が北京原人は実在すると主張し続ければ北京原人は存在することになる。(証拠が既に紛失してしまったので検証しようがない)
現在、進化論のような理論が提唱されても学会で否定されるであろう。
このような証左を求めることが出来ない存在は現在の科学では入り込む余地がない。
しかし、これは当時の時代背景を考慮に入れなければ説明できない問題である。
実は科学とはアインシュタインの相対性理論をターニングポイントにその性質がガラリと変わっている。
それまでは、科学には無限の可能性があり、明らかに出来ない事象は存在しないと信じられてきた。
しかし、このドイツ出身の物理学者が提唱した相対性理論によって、そのことが明確に否定されてしまったのだ。ビックバンと呼ばれる宇宙開闢以前の時間が存在しない『モノ』の考証を物理学は放棄した。
これは、当時の科学者には相当な衝撃であり、決して受け入れられないと考えた学者も多かった。
しかし、誰一人、論理的にそれに対抗できる概念を作り出すことが出来なかった。
(その残滓がタキオンやエーテルと言えば理解できるだろうか?)
さて、話は戻るが進化論はアインシュタインの相対性理論発表前にダーウィンが提唱した論文が発端になっている。科学が万能であると信じられた時代の遺物。まだ、科学が錬金術と近い間柄だった時代に生まれた存在である。
はっきり言ってしまえば、進化論とはアインシュタインが科学の万能性を否定する以前の学会だからこそ認められた存在であり、これは科学というより歴史学といったほうが良い代物である。
ちょうど大阪大学の菊池誠教授の『水からの伝言』でニセ科学が話題になっていたので常々思っていたことを文章にしてみようかと。それまでは、非常にナイーブな問題で、米国のほうではインテリジェント・デザインとかいう物まで生まれてしまうほど議論にさえならない状態だったこの問題に区切りをつけて、科学とニセ科学を明確に分けたい!という衝動から書かれた文章。
伝えたいことは進化論の科学的な証明プロセスはありえない存在であり、進化論を科学と扱うことを否定して貰えればそれでいい。
進化論が流行らせた最大の間違いは何か?と聞かれれば私は獲得形質を挙げる。
既に遺伝学的に否定された獲得形質ではあるが、
この考えが根本となり、ナチスの優生論が生まれ、多くの人間が犠牲となった。
淘汰は自然には起こらず明確な人の意志によって行われたのだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20061226222936
実はこの手の話は感情的になる人間が必ずいる。しかし、大事なことは追試をどう行えば進化論が肯定・否定されるかを彼らが提示することはないという事実だ。
私は進化論が間違いだと言っているわけではない。そもそも進化論は否定する必要さえない段階の説なのだと言っているのだ。
タイトルが釣り過ぎという指摘はその通りでございます。賢い貴方に乾杯。
(続・科学が『ニセ科学』を糾弾できない本当の理由 - はてな匿名ダイアリーに続く)
07:41:09-12/27(水)/2006
インテリデザインという不正確な表記をインテリジェント・デザインに訂正
14:11:45-12/27(水)/2006
15:05:07-12/28(木)/2006
続編リンク追加