2007-11-14

個人的な殺人禁止成立経緯の理解

最初は殺し合い(*1)など何でもござれな無法地帯だった。そりゃそうだ、俺ら比喩ではなくまんま単細胞、しかも酸素呼吸すらできなかったんだから。

しかしそのうち細胞レベル、多細胞生物レベルコミュニティレベル…と多種多様レベルでパワーゲームを気の遠くなるような時間をかけた結果、殺し合いを限定的なものに抑えないやつは生存率が極端に落ちていくはめに陥って滅んでいった。

もちろん文化を持つ前は本能…DNAなどに刻み込まなきゃ受け継ぐことはほぼできないから、DNAレベルでも殺し合いを抑制する仕組みが徐々に刻まれていった。

とはいうものの、状況によってはやむなく殺しあわなければならないこともある。だから殺し合いが完全にできないようにはなっていない。そういうやつらも結果的に生存率が極端に落ちて滅んでいった。それは法律にも緊急避難的には殺人もやむを得ない事があるということなどで組み込まれている。

そのうち我々の一部は人類になり、また文化や巨大な社会を持つに至った。その新しい村や国というレベルにおいても殺し合いがなされ、その結果さまざまな法則が導かれた。我々はDNAなどが導く内心の構造と比較して殺人禁止を理解する方法なども獲得した。この一部は今日倫理などと呼ばれている。

ただこういう説明は幼い子供などに説明するのはかったるいので、「人は殺しちゃいけないんだよ」と呪文のように唱えて聞かせている。ただしたまにパルプンテが発生する。なんか眠くなってきたので唐突にギャグを放ちたくなってきた。アルミ缶の上にあるみかん。…せっかく書いた長文が全て台無しである。

って俺はいったい何を書いているんだ。

 (*1)殺人→殺し合いに修正。人類発生前のことを書いている箇所なのになんてミスを。

  • マグロは大洋の真ん中(餌になるプランクトンがいない場所)で産卵するんだよぉ。 卵から孵化した稚魚はなにをたべておおきくなると思う? 共食いするんだよぉ。きゃあ。

    • まあねえ。我々人類もすさまじい多産であるならば、マグロと同じように超殺伐な世界になってるかもしれない。ま、結局倫理なんて冷静に考えればそんなもんだよね。果て無きパワーゲ...

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