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はてなキーワード: 反動とは

2010-09-19

どうしたものかな。

しかし、彼らはやらかしすぎちゃったね。

いくら工作して世間を味方につけてもいずれ反動は来ると思うよ。

2010-09-08

日本人語学を甘く見すぎ

http://anond.hatelabo.jp/20100906185432

http://anond.hatelabo.jp/20100905150455←の元増田です。トラバされてないから気づかなかった。

読むに耐えない、聞くに堪えないなら見なければいいのに。

はっきり言って題名は注目を集めるための釣りなので、そこが言いたいことではないんです。言いたいことは記事の後半にあって、「第二言語を使うことは脳味噌ハンディキャップをつけること」であるのになんで英語がちょっとぐらいできるようになれば万事解決みたいに煽る人が後を絶たないんだろうな、って。

ただ、ちょっと煽りすぎたかもしれないと反省はしてます。ブコメとか見ても「意思疎通できれば十分なのにハードル上げすぎ」とか書かれてるけど、母語でない言語ではその「意思疎通」をするのが本当に大変なんですよ、と私は言いたかったわけですから。

ハードルを私が上げてるんじゃなくて、ハードルをみんな低く見積もりすぎなんですよ。欧州のCEFRという言語能力の共通規格があるんですが、「とりあえず意思疎通に不自由しない」というのはそれでいうとB2レベル(中級の上)で、はっきり言って日本人英語でその段階に到達できる人ってほとんどいないですよ。読解と聴解はTOEICで満点近く取れるぐらいでなければ門前払い、それに加えてそれに見合った作文・会話能力が必要なんですから(日本基準で「見合った」を判断しないように。日本英語教育は読解に極度に偏重しているので)。

増田の周りも見るに耐えない、聞くに堪えないことばっかりの日本語喋る日本人のバカが溢れてるんでしょ。

そういう話をしているんではありません。日本語では立派なことを言える人が、第二言語ではそうではなくなってしまう、第二言語を使うということはそれだけ不利なことであるということを理解せよと主張しているわけです。

要するに何が言いたいかというと、「日本ダメだから海外に出ろ、プアイングリッシュだのグロービッシュだのが使えれば万事解決」みたいに煽る風潮を暗に批判しているわけです。はっきり言って語学の上達に余程の情熱と根気を傾けられるような語学好きでなければ日本人には英語は無理です。日本語英語と違いすぎるし社会的にも接点がなさすぎるんだからどうしようもありません。

在日米英人に日本侮蔑されたからって気にすることはないよ。

ところがそういう色眼鏡情報BBCとかNYTという「一流マスコミ」として通ってる媒体から世界流出していることを知れば「気にすることはない」で済まされませんよ。はっきり言ってこういうところの日本報道日刊ゲンダイレベルですよ。むしろ私は、英米社会日本が未だに「国粋主義者ばかりの反動国家動物虐待外国人排斥の総本山経済は衰退して社会は荒廃して何の希望もなく、政府国民洗脳していて国民自分で考えられないロボット環境破壊エログロナンセンス世界害悪しか及ぼさない国」と思われていないのは奇跡的なことだと思っていますよ。BBCやNYTの報道を真に受ければそういう風にしか日本のことを理解できないし、実際それを真に受けてる英米人って結構いるんだから。

別にその人達がバカなんじゃなくて、途中で引用されている人のように今はレベル低いけど上げようと思って頑張って書いてるからレベルが低く見えるだけ。

そんなことはわかってます。しかし赤の他人がそんなことに気づきますか?まして、母語以外の言語を学ぶことに何の切実さもなければそれで恥をかいた経験がない英語母語話者には一番わかってもらえる度合いが低いですよ。英語英語と煽っている人とコミュニケーション能力が大事だとか言っている人はかなり重なっていて、そういう人は「誤解されるのは自己責任」だといつも言っていますが、実際それはある程度当たっているんです。英語を「国際語」と認めてしまうということは英語母語話者の土俵に乗り、その基準で判断されることを認めます、ということですよ。英語という言語はあくまでどこかの社会では空気のように使われている、そこの社会母語なんですからね。そこの人間が「地元言語としての英語」と「国際語としての英語」を使い分けてくれると思いますか?日本人の大半が東京弁標準語の区別もついてないことを考えれば答えは明らかでしょう。他人の母語である言語を使うということはそれだけ大変なことだと理解して、発言には慎重になるべきです。それが礼儀であり処世術です。

だいいち、語学の練習をしたいのであれば語学勉強と銘打ったところに行くべきなのであって、見ず知らずの人間を練習台にするもんじゃありません。失礼でしょう。逆に、片言の日本語を操っている人に「日本語お上手ですね」というのもかなり失礼な言葉だと気づくべきではないですか?(そういっているときの視線が、子供に「ボクチャンおしゃべりお上手ねー」と言っているのと同じでないかよく考えてみるといい)

とりあえず、「グローバル語」を使えば「世界」から認めてもらえるというような幻想は捨てた方がいいと思います。それって、お勉強ができればママ先生から褒めてもらえるという幻想と何も変わらないから。英語が国際語のような顔をしているのは、グローバル教の人たちが大嫌いな、「既得権」そのものなんです。英米人の。だから「グローバル」に打って出るということは既得権に挑戦することだという覚悟が必要なんですよ。それは自覚すべきです。

2010-09-06

今日精神科受診する

昨日の夜、急激に精神状態が悪くなった

最近、うっすらと不安を覚えていた

自分統合失調症じゃないのかと

よく言われる幻視とか幻聴はない

イライラがとまらない

何かに集中したらテンションが下がらない

リアルネガティブな夢をみて起きても疲れがとれない

母親が毒親で前から恐れていた

年々性格が似てきている気がしていやだった

自分もそうなるんじゃないかと思うと

気が狂いそうだ

今日になって病院にいったほうがいいなと思った

人に頼るのが嫌だったけど身内に病院の予約をとってもらった

過去に一度通ったことがある

その時は病名はつかなかったし、投薬もなかった

どちらかというとカウンセラーが必要だといわれた

その結果になんの不満もなかったし、カウンセラーは使わなかった

ただ、カウンセラーの手を煩わせるのが嫌だった

それから病院は行っていない

それが5年ほど前

自分の心と体と脳に何が起きているのかわからない

仕事は事務で少しも忙しいことはない

必ず定時で上がれて責任もなく、毎月20万くらい貰えてる

ほしいものは何でも買えるし、寝たいだけ寝れる

でも、最近気がついた

遊び方がわからない

楽しく過ごす方法が分からない

一般的に楽しいと思われる遊び方をしても楽しいと感じない

気が休まる時間がない

お酒を飲んだりカラオケにいったりゲームをしたり

あらゆることを試したけれど面倒だなと思うことが多い

8月は忙しかったし、暑いのに外にもよくでかけた

酷暑鬱だの、反動だのあるけれど

今は無気力で何をするにも砂を噛むような感じがする

仕事プライベートも等しく、どことなく忙しくてよそよそしい

この状態からどうにかなるのであれば

今日精神科へ行くのは有益な行動なのだと思う

2010-08-21

http://anond.hatelabo.jp/20100821205951

基本的に嫌でつらいばかりの毎日だけど、

たまにものすごく幸福だという幻覚がやってきて、

自分幸せでたまらない!不満がない!みんな大好き!ってなって、

しばらくして去る。

後の反動がきつい。

この多幸感は前触れなく勝手に来る。制御できん。

2010-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20100731180327

自分自己評価が低いから共感できる。

進学校から浪人した挙句Fラン大にしか受からなかったことの反動からか、

自己評価を一度最低まで下げてしまったせいで、

基本的に何事も自分が悪いと考える癖ができてしまった。

というか、そう考えることで逆に自分を成長させようとしてる。

とりあえず自分が悪い、もしくは劣ってる→だったらそれを直せばいい、的な感じ。

このやり方が正しいのかどうか分からないんだけど成長はしてると思いたい。

 

他人に対しては壁を作ってるなぁ。

本音を出しても理解してくれないだろうとか離れてくだろうと思う。

だから誰にも本音を話さないかな、特に異性には話したことがない、というか話せない。

一番気の許せた同姓の先輩には、「君は狼みたいだ」と言われた。

恋人作れる時点で充分に自己評価高いと思うけどな。

俺の場合は、自分の中で恋愛をするまでに超えるべきハードルを設定してるから

それを超えない限り自分の中ではスタートラインにすら立てない。

こんなハードルすら超えられない人が誰かに愛されるわけがないと考える。

だから人を好きになることを脳が拒否するし、あからさまなサインにも反応できない。

いつも三枚目キャラでいるってのが自分にもそのまんま当てはまってちょっとびっくり。

2010-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20100809005824

率直に言って、そこまでウダウダ考えてる時点で執着心バリバリにしか見えないわけよ。

防衛機制の反動形成で強がっちゃってるようにしか見えないし、それはやっぱり精神的に未熟な子供のやることなわけよ。

「女としての機能なんかいらない!」とか無駄に肩肘張らないでさ、もっと自然に生きればいいんじゃねえの?

2010-07-19

生まれて初めて父の死因を知った。

 なんか色々と混乱してて何から整理していいのかわからないから、書き出してみることにした。

私は1992年生まれの17歳(大学受験生)で、父が死んだのが1996年で3歳の時。今は2010年だから、14年経ってる。

父に関する記憶は、ほとんど無い。あるとしても、棺が焼却炉に入っていく場面しかもう覚えていない。

17年間生きてきて、母から父については何も教えてくれなかった。「3歳の時に事故で死んだ」くらい。

だから私は周囲の人が「父はこういう人だったんだよ」と言ってくれるのを頼りに、自分なりの父親像を描いていた。

きっと父がいたら、こうしているだろうな、とか。父さえいれば、とか思ってた。

 そんなこんなで今日2010年7月、私が家の掃除をしていたら、いつも閉まっているはずの金庫が開いていた。

母が書類を持ってどこかへ急ぎ足へ行ったことから、急いでいて鍵を閉めるのを忘れていたんだと思う。

私は興味本位でその金庫を覗いた。するとそこには、家の契約書?とか保険?の書類とか、そういうのがいっぱいあった。

なんだつまんないと思いながら見ていくと、埃がかぶっている分厚い真っ黒のファイルを見つけた。

すると、父に関する書類がたくさん出てきた。遺産相続和解契約書、戸籍新聞の切り抜き、資格の何か免許書?、献血賞状、弔辞…

見るのが怖いと思いつつ、開けちゃったから見ちゃおうという好奇心から、全部読んだ。

それが間違いだったのかもしれないと今思ってる。

 父は××運輸で働いていたらしい。色々な資格証明書があった。どんだけだよ。

父の昔の写真も出てきた。女装とかどんだけだよ。

父は献血が好きだったようだった。表彰状があった。126回ってどんだけだよ。

父は学生時代から行動派だったようだ。毎週キャンプとかどんだけだよ。

そこには私が教えてもらった父と、知らない父とがいて、とても面白かった。

生きていればよかったのにって思った。

 父の死因が明確に記載されていた書類を見つけた。

平成8年×月×日、××町にて、ブームを倒して駐車中の40tクローラークレーンオペレーターが、10tトラックで入荷してきた止水矢板を卸すため、ブームを約33度に上げたうえで、40tクローラークレーンを約7m前進し停車したところ、その反動で主巻ボットブロックフットピン部に固定してあった台付ワイヤーが切断し、ボットブロックが前方にふられて、荷姿の写真撮影中の故 父の名前 氏に当たり、同氏は午前8時10分頃死亡した。」

はっきり言って、これの意味が全く理解できなかった。でも、次の新聞記事で少し理解した。

「作業を始める前に、クレーンの重さ約三百五十㌔のフックが、近くにいた父の後頭部を直撃、父は脳挫傷即死した。警察の調べによると、クレーンの運転手が、フックを固定していたワイヤを外さずにアームを上げようとしたため、ワイヤが切れ、反動でフックが振り子のように動いて、約五㍍離れたところで作業報告用の写真撮影をしていた父に当たった。父はヘルメットを着用していたが、フックがぶつかった際、はね飛ばされたという。」

この時昔の記憶が一気に戻ってきた。そういえば小さい頃おばさんが、

病院に運ばれたけど、目が開いたままで植物状態だったんだって。もう植物状態でもいいから生きてほしいってあの時は思ったよ。朝の5時に出勤して8時に死んだんだって、気の毒にね。」

みたいなことを私に話してくれたのを思い出した。

なんかもう、今まで父のことをそんなに考えていなかったのに、これ読んだ瞬間涙が止まらなかった。よくわからない感情が頭の中を動き回ってた。

少しだけ、クレーンの運転手を憎んだ。あんたさえいなければ父は生きていたのにって、その時は思った。今は思わないようにしてるけど。

 戸籍を見つけた。父のものだった。私の名前、母の名前が載っていた。でもそれとは別に、違う人の名前も載っていた。

戸籍によれば、父はバツイチだった。しかも私の5歳年上の長男もいるようだ。

私が想像している父と違って、本当すごくがっかりした。

自業自得自分勝手だと言われれば否定はできないけれど、小さいころから信じていたものが一気に崩れていった気がした。

しかも、年金手帳を見ると、母の名字も今と旧姓とは異なるものが書かれてあった。母の戸籍はなかったけれど、母もバツイチなのかもしれない。

遺産相続の書類には、私の名前と母の名前、長男の名前とその母の名前、そして住所が書かれてあった。

父が働いていた会社のお偉いさんの名前も沢山書いてあった。住所も。

 金庫の隅にA4の黄色い紙が、綺麗に折られてた。開いてみたら、赤いペンで絵が描いてあった。

私はすぐにわかった。これは3歳だった私が、人から「父は頭を怪我して死んだんだよ」と伝えられた言葉を頼りに描いた父の絵だった。

あの頃の私は、何を思ってこれを描いたんだろう。

頭から血が流れている父の姿は、どうやって想像したのだろう。

 なんかもう、よくわからなくなった。

何をしていいのかわからなくなった。

何をすればいいのかわからなくなった。

私はこれから、どうすればいいですか。


7月21日トラバ

 この記事を書いた増田です。

いきなりですが長文すみません

 この間吐き出すだけ吐き出してからずっと椅子に座って、ぼーっとしてました。

ブクマ見たら凄いことなってて驚きました。ありがとうございます

色々なことを考えました。殺した相手を復讐するか、血のつながる兄に会いにいくか、もっとたくさんの情報を仕入れるか、

家族とは何か、父とは何か、一番良い死に方とは何か、片親であることは悪いことか、などなど。

自分の中で答えが見えないものを、ただひたすら探し回ってました。答えなんか出る訳なく、殆ど眠らぬまま今を迎えました。

でもブコメを見て考えていくうちに、ほんの少しだけ理解できるようになりました。

一方的に受け取るのは申し訳ないと思ったので、少しですが答えさせて下さい。

■何で増田に書いたのか■

 恋人や友達にいきなりこんな話したってどうしていいのかわからなくなるだろうし、

母や親族に直接聞ける話題でも無いし、そうなると人間で話を聞いてくれる人は私の周囲にいません。

Twitterだと連投は嫌がられるし、元々そのようなツールではないし、ブログなんて持ってないし、mixiやってないし、

一番の理由は、身元を知られずに誰かに聞いてほしかったからです。匿名性があるから、私が誰かわからないと思います、多分。

■「普通に」生きればいい■

 逆に普通って何ですか?

だってごく一般的な、両親が揃った家庭を普通とするならば、私は3歳から異常なわけで、

異常な私がすることって普通とは言い難いのではないかと思います。

今回の件を水に流して忘れて生きるというのが普通ならば、そもそも水に流そうと思っている時点で人とは違います。

普通に生きることって簡単なようですごく難しいです、今の私にはさっぱりわからない。

多分、世の中から父の存在を消せば、普通になるのかもしれませんが、それは無理なので一生普通には生きられません。

■何故父に不満を持つのかわからない■

 私は小さい頃から父の人柄や評判を積み上げてきました。

それはみんないいことばかりだったので、私にとって完璧な父が頭の中にいました。

だから今回離婚歴があると知って、ショックでした。

私の思っていた父とは違う、と思いました。まあ、私が勝手妄想していただけの自業自得ですが。

 そして、家族についても考えました。家族って何だろうと。

街中で父母子が手を繋いで歩いているのを見て、ああいうのが本来の家族であって、父さえいれば私もああだったと思ったこともありました。

でも今回の件で気づいたことは、愛が移動することで、笑顔の場所が変わるということです。

だって離婚する前は、違う人たちにその笑顔を振りまいていた訳です。

そう考えると、なんか、納得いかないというか、すみません上手く表現できないです。

母親相談するor仲良くすべき■

 母とはあまり話しません。性格が180度違うのに自己主張が強い為、話す度にぶつかり合います。

私が遅れてきた反抗期というのも少し関係しているかもしれませんが。母の口から父の話を聞いたことはありません。

母は父が死んでから高血圧になり、ちょっとしたことで倒れるようになったそうです。

だからもし私が父の話をしたら、母は具合を悪くするかもしれません。

もうこの話題はタブーなのかなと思って、父に関することは他の人に聞くようになりました。

これ以上仲良くしようとも思わないし、仲悪くしようとも思いません。

■また悩んだら増田に書けばよい■

 もう増田に書きません。なぜならここは悩み相談をする場所では無いからです。

なので今回私が一方的に思ったことを吐き出したことに罪悪感を感じています。

不快に感じられた方もいるようで、本当にごめんなさい。

ですがブコメを読んでいくにあたり、少しずつ整理していこうと思うようになりました。

おそらく多くの人はこれを見ないと思いますが、私はどうしてもお礼を伝えたかったのです。

こんな風にしか伝えられませんがお許し下さい。

 本当にありがとうございました

2010-07-17

変革をしたければ、企業家になるべきである

変革は、民主的な手法では絶対に出来ないという事であり、

変化をもたらすのは企業が行う事業によって、新しいサービス提供されて、

古いサービスが完全に間尺にあわなくなった時に、初めて、変革が可能になると言える。

変革をしたければ、企業家になるべきであるし、

企業が現状に安穏として反動勢力になるのを防ぐ為に、

常に変革の先取りをしなければ生き残れないような制度を作ることこそが、民主的な政治が可能な事と言える。

[2010.7.17]

http://www11.ocn.ne.jp/~ques/diary/diary.html

民主党政権支持率が低下中。

オバマ大統領は、Change!を唱えて政権についたが、何が変わったのであろうか。

国民皆保険法案は通った、住宅バブルを起こしていた金融機関規制する金融規制法案も通った。だが、それらの中身は、あちこちに穴があけられ、骨抜きにされ、実質的には、何も変わっていないという状態になっている。

国民皆保険法の適用は2013年からという先送りに加え、課税の強化や、実際に導入される保険は、保険会社供給するとされており、その保険の内容が不明となっているし、この制度では、保険会社は実際にかかった治療費保険会社の取り分を乗せた分を保険料として、加入者に押し付けられる。一定額以上の負担には政府補助をという事になるのであれば、その分もやっぱり税金で賄われるわけで、医療費の高騰には歯止めがかからない制度となっているのである。いわば、保険会社収益を、国家税金で補填する事を約束しているのである。

金融規制法では、バブルの原因となった自己勘定でのSIV(Structured Investment Vehicle)を禁止する筈が、実際には、作れる事になってしまっている。規制文言はあるが、あちこちに抜け穴や特例が作られていて、ザル状態であり、一体どの辺が規制なのであろうかという状態になっている。

変革は、現実が変わっていく以上、常に行うモノであるが、ことさらに変革を唱えてみせると、その変革の中でも自分達の利権を守り通す事が評価基準となる勢力が発生し、結果的に、総論賛成各論反対の挙句に、穴だらけの変革となる。

穴を全部ふさいだ変革だと、日本郵政民営化のように反動勢力が巻き返しを図るし、かといって、少しずつ変えていこうとしても、ほんのわずかな変革であってもその先を予測して反対するという先見性のある既得権益層の人も存在する。

変革は、民主的な手法では絶対に出来ないという事であり、変化をもたらすのは企業が行う事業によって、新しいサービス提供されて、古いサービスが完全に間尺にあわなくなった時に、初めて、変革が可能になると言える。

変革をしたければ、企業家になるべきであるし、企業が現状に安穏として反動勢力になるのを防ぐ為に、常に変革の先取りをしなければ生き残れないような制度を作ることこそが、民主的な政治が可能な事と言える。

国民の望みを実現していない以上、支持率が低下するのは当然であるし、どんなに頑張ったと言っても結果が出てこなければ、何もしていないに等しい。いや、時間無駄にした分だけ、マイナスの評価となる。

何をやるのか、何がやれるのかを勘違いしている人ばかりが政治家になりたがるというのは、不思議なことである。

11月中間選挙民主党が負けると、その2年後の大統領選挙で、共和党大統領が出てくる事になるであろう。それを防ぐには、戦争の勝利が必要であり、朝鮮半島をやる気になるとしたら、来年くらいであろうか。アフガニスタンの失敗を表面化させ、撤退を行うのは中間選挙後であるが、朝鮮半島を先に始めて、重要性の高い戦場に主力を投入するとして転進をかけ、アフガニスタンからなし崩し的に撤収して放置するという展開もありえるのであった。

[2010.7.17]

http://www11.ocn.ne.jp/~ques/diary/diary.html

2010-07-15

何で一人もいないの?

王子様願望持っているわけじゃないけど

何で20年間色んな男子と出会ってきたのに

私のことが大好き!!って人が一人もいないの?

一人くらいいてもいいじゃん・・・・。

そこまでブスなわけじゃないし・・・。中の下くらい?

整ってるわけじゃないけどブスとも言えないような・・・。

化粧がうまくなれば変わると思うんだ!!!

正直、大事にしてくれる人なら、誰でもいい。

めっちゃ尽くすと思う。今までの反動で。

2010-07-02

馬鹿馬鹿しい

 俺は、みっともない。

 弱く、女々しく、それでいて馬鹿で、救いようのない人間だ。他でもない自分に貶められている。

 人間は、例えあらゆることを冷静に見つめられる人間でも、どうしようもなく自分馬鹿だと理解していても、そこからは逃れられない。現実はいつだって残酷に牙を剥きだしている。そもそも現実なんて自分自身で見据えるものだ。見つめる側面によって色を変えるのが現実だ。

 この文章は反省文であり、読む人が何かを得られるような代物ではない。自分を納得させられるためだけに書いている。本来はブログに書こうと思った。だけど内容が酷すぎて、こんなものを掲載するわけにはいかないと気付いて、とりあえず匿名ダイアリーにでも落としとこう。こういう阿呆がいたって、誰かに知って欲しい。

 本来、対象が自分に対してなら、鍵の付いた日記帳にでも書けば良いだろうが、それでもこういったパブリックな場所にこうして情けない文章を綴るのは、俺の弱い精神性が表れている。本心を文章として綴るのは、本人が否定しようがそれは誰かに自分の気持ちを理解して欲しいとか、慰めて欲しいとか、そうした精神脆弱性が浮き彫りになっているだけだろう。本当に情けない話だ。

 しかし、こうしてキーボードを叩き、何かを綴ることによって、自分自身が精神的な安定を得ようとしているのは俺自身の弱さがそうさせるのであるのは確かなのだけど、まあ別に本来的な話どうでもいい。ここは捌け口だ。つい先日も酔っ払った勢いで馬鹿な話を書いたが、今回も同じような内容を平静を伴って書き綴るとしよう。内容は殆ど変わらないだろうけど、切り口は少し変わるだろう。今の俺はあの時より、もっともっと落ち着いている。

 まず、昔の話を少し書く。

 今から5~6年くらい前の話だ。あの頃から俺はまともな恋愛をしちゃいなかった。

 あの頃、俺が19歳だった時だ。青二才だったあの時分、俺にはどうしようもなく好きな人がいた。同じアルバイト先にいた女性(以下、Xと呼ぶ)だ。Xは確か二歳年上だった。

 俺は一度そのXには振られていたのだが、それでも好きだった。でも人に迷惑を掛ける恋愛なんて最低だから、俺はそんな自己の信念に従って、Xに対しては自分の気持ちを表に出さずにそれからも接していた。だって、俺はださい人間になりたくない。振られたのに何度も好きだと連呼して、好きな相手に精神的な圧迫を強いたくはない。

 今まで何故か恋愛経験がないにも関わらず沢山の人から恋愛相談を受けて来たけど、第三者だからこそ、そういった時はハッキリと言える。『女々しい男は最低だ』

 たとえば、恋仲だったとしよう。たとえばの話だから、Aという男性がいてBという女性と付き合っていたとしよう。

 BはAの浮気により別れようと考えていた。しかしBは認めずに、別れようとするBに対してDVを繰り返す。暴力が最悪な行為なのは当然だ。殴ろうが首を絞めようが男が女に対して手を上げるなど、あってはならないことだ。もしも口論に収まったとしても「別れようとするなら殺す」だの「逃げられると思ってんのか?」だの、無粋な発言でBを攻撃するAは、独占欲に駆られているに過ぎない。

 Bが本当に別れたいと思ったのであれば既に愛は冷めているだろう。

 糞みっともねぇ……、そういうのを聞くと俺はいつも吐き気がした。

 いつまでもいつまでもいつまでもいつまでも、別れた後でもBがAに対して復縁を迫り、相手の気持ちを考えないで関係の再構築を謀ろうとしても、そんなことは不可能だ。

 手を上げた時点で終わりだ。

 こうやって俺は人間を嫌いになっていく。

 だが、女も不思議な生き物だ。家庭内暴力に屈しながらそれでも「彼には私しか理解してあげられる人間はいない」とか、そういう事をいう女がいるけど、それは愛情じゃなくて同情だろ? 情けを掛けてるだけなのに、それを愛情勘違いして付き合いを続けるとか……馬鹿らしいにも程がある。

 いつでもさっぱりと、毅然とした態度で恋仲を解消できた方が、まだ復縁の可能性はあるんじゃないかな、と思うんだけど、どうしても力に頼ってしまう男って生き物が俺は嫌いだ。俺も男だけど、そうした現実的な力に頼る人間人間じゃないと思っている。女は腕力では簡単に男には勝てない、それを分かって暴力を奮うってのは、エゴイストに過ぎる。支配欲や独占欲が愛を育むはずがない。馬鹿人間いつまでも馬鹿なまま、馬鹿なことに気が付かずに死ぬんだろう。

 話が脱線しているので元に戻す。俺とXとの話だ。

 俺はXに振られた後、彼女ルームシェアをすることになった。何故そうなったかを簡単に書く。

 俺が働いていたアルバイト先は俺の自宅から酷く離れていたのだが、俺は金が欲しい人間だったから深夜も残業していた。当然終電は無くなる。JRで1時間くらい離れた場所に住んでいたから当時の俺の上司は車で俺を家まで送ってくれていた。車でも30~40分は掛かる距離だったかな、確か。

 それでその上司は俺に対して「君は家が遠すぎるから店の近くに住んで欲しいな」とか言ってた。でも引っ越しする金なんてねーよ、って思ってた俺に彼は「じゃあXさんの家に住めばいいじゃん」だってさ、何でだよ! って当たり前に思ったけど、一度振られた俺はそこで不用意な事を口にしてしまった。

「そんなことは絶対不可能だから、もしXさんが良いっていったら一緒に住みますけどね(笑)」って冗談交じりに答えた。そうしたら上司が「じゃあ俺聞いてみるから」だって、馬鹿みたいでしょう。一度振った男と一緒に暮らす女がいて堪るか! ってその時の俺はそう思っていた筈なんだけど、何を思ったのか知らないけどXは了承したらしい。なんだったんだあれは……と今でも思う。

 俺は、他の男のことは知らないけど、どうしても恋心引き摺っちまう。好きな相手に振られても、しばらく好きだって気持ちを捨てきれない。そもそも、人を好きになるのが五年に一度くらいしかないし、その分反動が酷くて、振られても虐げられても馬鹿にされても、しばらく好きなまんまだ。みっともない、情けないがそれが性分なのだから仕方がないか。

 Xがどういった感覚で俺と暮らすことを了承したのか、それは分からない。馬鹿な女だったと思う、俺も馬鹿だったが、そういうわけで馬鹿同士がルームシェアをすることになった。

 男と女ひとつ屋根の下に暮らしていたら、もう推測出来るだろうけど男女の関係があった。愛のない性行為、俺はXのことが好きだったけど、Xは一体どういった気持ちで俺と肌を重ねていたんだろう? ただ、手元に置いておける扱いやすい男が欲しかった? 俺はバター犬かよ。どうせ考えたって結論は出ない。相手にとっちゃ、ただヤリたかったからヤッただけなんだろう。別に自分被害者とか言うつもりはない。だって、俺だってヤリたかったからヤッただけなんだから。

 本当に好きだったからヤリたくなっちまった

 でもまあ、なんだ……そっからまた話が急展開するんだけど、Xは俺の当時の職場の元上司不倫してた(笑)。しかもかなり長く、俺がルームシェアする前からね。本当に意味が分かりませんね。こんな話、小説にしたってプロットの段階でボツだよ(笑)

 元上司には奥さんがいて、まだ幼い子どもがいて、それで不倫してた。ちなみに転勤した後だったから、とても遠距離だったけど、出張とかで近くに来た時はXと度々、会っていたらしい。

 じゃあ、何で俺とヤッてんだよ。不倫してんならしてんでどうでもいいけど、何で俺とルームシェアしてセックスとかしてるわけ? ただのビッチじゃねーか。

 そうやって、当然ながら俺は分かっているわけだけど、愛すべきに値しない人間だって分かっても、それでも好きだって気持ちが足を引っ張っていた。俺は俺を殺してしまえば良かったのかも知れない。意味のないことで悩んだり、救いのない海に溺れるよりも、いっそ世界から消えてしまえば良かった――って思ったり、本当に馬鹿らしい生き物だな、俺は。

 同じような経験がある人はどっかにいるだろうけど、それでも酷い仕打ちだよな。不倫してるのに別の男とルームシェアしてセックス繰り返してんだから。

 そして阿呆な俺は、その当時、どうやったら不倫相手とXの関係を解消させられるか、試行錯誤してさ、実際に不倫相手に電話してキレちゃったりとかしたわけよ。

 不倫は悪いことってのが社会通念上の常識だろうけど、俺は別にどうでも良かった。ただ二人が『本当に愛し』合っているなら、早く結ばれて欲しかった。俺は手を引く。

 だから俺っていう馬鹿野郎が電話でその元上司馬鹿野郎に言った言葉ってのは「本当にXが好きなら今すぐ奥さんと別れてこっち来いよ」って事だ。端的に言うなら。

 じゃなきゃ不倫なんてすんじゃねーよ、奥さんいて子どももいるのにフラフラしてんじゃねーよ、ってね。あれは人生で何回かしかないマジギレだったなあ。懐かしいな、馬鹿な俺。

 それから、その不倫相手の奥さんは、女って怖いなーって思ったんだけど、やっぱり夫が不倫していることには相当前から気付いていたらしい。でも子どももいるから離婚するよりは夫に不倫を止めさせることを選んだようだ。

 何で俺がこんなこと知ってるかっていうと、これもどうしてか不思議なんだけど、その奥さんから俺に対して携帯メールが来たからです。『不倫を止めさせてください』ってね。複雑だなあ。どうやって俺のメアド調べたんだろう。

 でもまあ、簡単なことじゃないです。

 不倫を止めさせることなんて簡単じゃない。

 Xも元上司も、手元には都合の良い異性がいる、そしてロミオとジュリエットみたいに届きそうで届かない所に自分が求める(と酔っているだけなんだろうけど)理想の相手がいて、でも簡単には結ばれそうにない。隣の芝生は青い、障害があってもどうしたって惹かれ合う人間同士がお互いを求める気持ちは恐ろしい程に強固だ。間違った使い方かも知れないけど、完全にありゃ絆だな。切っても切れない。

 そしてもっと馬鹿らしい話になる。

 悪いことは重なっていく、確率論なんて無視してどんどんどんどん重なっていく――そして最悪になる。

 Xに、彼の子どもを身籠もる。妊娠検査薬で調べただけでなく、つわりが酷くなって病院へ行くと妊娠が発覚する。

 凄かったなー、あの時の絶望感って言ったら! 笑える! 今思えば、凄い笑い話だ!

 そして元上司は手の平を返したように「堕ろしてくれ」ってさ、「堕ろす費用は分割で」だってさ。

 でも本当にあった話だ。つまらない、本当にあった話。

 結局、子どもは堕ろされたんだけどね。エゴエゴが絡んで殺される子ども、でも、それでも男も女もどうしても離れられなくって仕方がないんだろう。残酷馬鹿な生き物だ。堕胎は罰せられない殺人です。それを傍から見ていた俺は、あの時何を考えていたんだっけ? 今では思い出せない。

 そうして回想すれば、俺は何故彼女を好きだったのか、全く思い出せない。

 記憶がないわけじゃないのに、それなりの年月を経て俺の気持ちが死んだ後は、どうしてその気持ちが生まれたのか、どうやって死んだのか、跡形も残らず消えてしまった。

 まあ、そうした阿呆な話があった。

 ここまでの話にはまだ後日談があるけど、その展開は省く、面倒臭くなってきた。

 際限なく救われない悪い現実は、それでもまだ重なっていった。でももうどうでもよい話だ。

 そんなださい経験もあって、もう恋とかしたくなかった。本心から人を好きになりたくなかった。

 一人で生きていけるって思ったし、そもそも簡単に人を好きにならない質だし……。最近までそういった感慨が確かにあったんだけど、でもやっぱり弱い人間だから無理だった。

 俺は意図的に思考停止することを選んでいた。発展性を望んでいなかったから、思考停止しとけば楽になれると考えていた。

 可愛い人や美人、そういった外見がタイプの異性がいても「カワイー」とか「ビジーン」って思うだけで、終わり。会話をして話が弾んでも友達、それ以上の関係は望みたくない。逃げてるだけってのは分かってるけど、多分、そうやって人を好きにならないことで自分自身を仮想的に強くしておこうとしているだけなのだろう。

 俺は、弱い。

 前に人を好きになった時は、どうして好きになったか――それが分からないというのは前述した通りだけど、今回好きになった人に対しては何が起因となって好きになったかは、まだ気持ちが死んでないからか覚えてる。

 恋愛相談じゃなかったのかも知れないけど、彼女の目下の悩みを聞いた。それは別れようと思っている彼から復縁を迫るメール電話が相次いで、それに精神的に追い詰められて、だから誰でも良かったんだろうけど、それなりに会話を交わす俺に相談したんだと思う。弱み、というか、悲しみじゃなく、打ち拉がれている傷付いた人を、何だか放っておけない。それに、軽いにしろ、暴力を受けたという事実を聞いたら、話し相手に過ぎなくても、彼女を救ってあげたい、とか大それた考えに支配されたわけだ。

 フラッシュバックしたわけじゃないけど、どうして女はひどい男と付き合ってしまうのだろう。俺が良い男だって言いたいわけじゃなくて、恋愛って相互関係で成り立つんじゃないのか? お互いが好き合って、愛せるって思えたからこそ付き合うんじゃないのか? 俺の考えることは綺麗事に過ぎないんだろうか、人の魅力って、本当に何が起因になるか分からない。

 ただヤリたいだけの男が近寄って来ても、その男が魅力的だったら寝てしまったり、だけどそういういい加減な男だからその後に後悔して、そういった話を相談される方の身にもなってみろよ。それで好きとかさ、そういう気持ちを抱いてる人間は正直辛い、辛くて毎日考えてしまう。

 話が長い、もう少ししっかり端的に書こう。

 彼女と出会ったのは一年半くらい前だったと思う。最初は興味すらなかった、むしろあまり態度の良くない人間だなあという先入観すら抱いていた。恋愛の対象になんてなるはずのない関係性。

 でも、いつしか言葉を交わすようになると、ひどく難しい人なんだけど、その性格面や物事の考え方に共感して、惹かれていった。そして悩みや苦しみを打ち明けられる内に、いつしか本気で好きになった。

 俺の好きっていうのは、ただ一緒にいたら嬉しい気持ちが強い。抱きしめたいとか、キスしたいとか、セックスしたいとか、思ってないって言ったら嘘になるけど、彼女に対してはただ時間を共有するだけで幸せな気持ちになる。それが、いつしか好きだって気持ちに繋がった。

 彼女のためだったら、俺は自分が利用されていることすら理解しながら、それでも手助けしてあげたい。俺が俺の立場を駆使して、本来してはいけないことでも、彼女の願いを叶えてやりたい、ってただ単純にそう思ってしまう。

 彼女が去年の冬から、精神的に弱くなって、元彼からのプレッシャーに耐えきれなくなって、俺を悩みを聞いてくれる捌け口として利用していたんだろう。それはきっと、俺だけじゃなく、(彼女は社交的な人だから)同じように悩みを打ち明けて、相談に乗って貰っていた人も何人かいたんじゃないだろうか。俺は大多数の一人で、捌け口のひとつで、特別な存在じゃなかった。

 彼女にとって俺は、ただ都合の良い精神安定剤に過ぎなかった。

 だけど、俺はどうしてもそういう弱った気持ちを抱えている人間を放っておけない。何で酷い男が沢山いるのに、物事はどんどん悪くなる方向にしか進まないんだろうか? 女は酷い男に惹かれてゆくのだろうか?

 心の根底に、他者を愛したいという気持ちがお互いにあって成立するのが恋愛じゃないのか? 相手を大切にする気持ちが最も必要じゃないのだろうか。これは、きっと綺麗事に過ぎない。

 俺は一度彼女告白をして、それで振られている。でも諦めきれない自分の弱さが、嫌いだ。それでも悩み続けている彼女を手助けしたいという気持ちは、気持ち悪く、女々しく、みっともない。

 それでも、彼女との接点を失いたくない。これは異常な考えだろうか?

 俺が第三者の存在だったら、そんな女に振り回され、気持ちをかき乱されている男がいたら、そんなの止めた方が良いって言うのに。

 そんな正しさも、今では何の役にも立たない。馬鹿は治らない、馬鹿は不幸になっていくだけだ。諦めきれないっていう未練を残す気持ちに引き摺られて、しばらくずっとそのままだ。

 彼女に振られてからも、時折一緒に飲みに行ったりする。たまに彼女から誘われることがある。それって、残酷過ぎると思うのは気のせいだろうか? 俺には捨て去れない気持ちが確かにあるのに、それを彼女は、頭の良い人だから、きっと理解をしていて、それでも俺と時間を共有する瞬間を作ってくれるっていうのは、嬉しさの反面、辛さが絡み合う地獄だ。

 それでも、まだ好きで好きで堪らない。当初の気持ちからは大分落ち着いてきたけど、まだ可能性を自分が信じてしまうのが……情けない。

 それから、俺が告白してからゆうに三ヶ月は経つのだけど、彼女には今、新しい彼氏がいるような気がする。

 第六感? そんなものはない。好きな相手と話していたら、その機微や所作から何となく推測はつく。

 彼女彼氏が、俺じゃなかったってのは全然構わないのだ。

 お互いがお互いを許容できて、そもそも彼女が本当に好きになれる人が見付かって、それで幸せになれるんだったらそれで良いと思う。そう思いたくて、そうすることで自分を押さえ込むしかない。

 好きな人には幸せになって欲しい、それが本来相手を好きな気持ちを抱える俺の、ひとつの答えになるんだから。

 彼女が辛い時や、傷付いた時、苦しみを抱えている時、それを解消するほんの手助けが出来れば、自分という存在も役に立たないことはないだろう。捌け口のひとつゴミ捨て場でもいいんだ。

 でももし次に、彼女と二人で会うチャンスがあれば、俺はそんな役に立たない感情を持つ自分を殺さなければいけない。

 彼女には迷惑に違いないが、もう一度だけ好きだという思いを伝えたい。付き合いたいとか付き合えないとかではなく、ただ言葉として、もう一度面と向かって、自分の考えていることをさらけ出して、ただ単純にすっきりと、この気持ちを終わらせたい。

 だからこの瞬間も会いたくって仕方がないんだ。会うことによって本当の諦めを迎えられるように。

2010-06-17

[][]きょう、義務教育意味がわかった。

今日義務教育意味がわかった。

実は、単なる「年齢制限」だったのだ。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

昼飯を喰いながら、日本放送協会番組を見ていたんだ。

そうしたら、小学校入学前の、ある女の子の話題だった。

その女の子は体が弱いらしく、毎日、病院注射を打つような状態だ。

年代と比べて、発育が遅いらしい。

だから、その女の子の両親は、小学校就学を1年遅らせようか迷っているそうだ。

だが、ここに問題があった。

それは、1年遅らせると、その女の子は、中学2年生までの教育しか受けれないそうだ。

そんな馬鹿な、と思った。「義務教育だぞ」、と。

しかし、コメンテータによると、義務教育は、「15歳の3月まで」、ということだと。

そのように決められているそうだ。

年齢で切られるのだ。

だから、もし就学を1年遅らせたら、その女の子が「15歳の3月」を迎えるのは、

中学2年生が終わったとき、というわけだ。

それでわかったのだ。

つまり、義務教育というのは、

「どのような内容の教育を受けるか」、によって定義されているのではなく、

「15歳の3月」までに受けた教育を「義務教育」と呼ぶのである、ということだ。

言い換えれば、学習内容の達成度を見るわけではない、ということだ。

年齢を見ているだけなのだ。

だから、日本義務教育制度には、

留年もない。

能力クラスもない。

学習させる内容も、ふらふらと定まらない。

なぜなら、そのようなことを気にする理由がないからだ。

「15歳の3月まで」という、単なる制度上の都合の、操作的な定義に過ぎなかったのだ。

まるで、ベルトコンベアに乗せて、「15歳の3月まで」という一定期間、「教育」という塗料を吹き付けていき、卒業したら、あとは知らん、というのが、日本義務教育なのだ。

標準原価計算的に考えれば、かなり「歩留り」は良かったのであろう、いままでのところは。

だがこれは、大量生産の発想だ。教育資源が乏しかったころの発想だ。

経済学者伊藤元重が、「日本教育配給制度です。いまでも」、と言っていたのは、正しかったのだ。

重要でない追記(読まなくてよい)

  • この文章の意図したものについて

いくつかいただいたコメントで、義務教育の「義務」に関してのものがありました。

わたしとしては、この文章の意図は、「義務」うんぬんの話ではなく、

義務教育」の定義を問題にしたつもりでした。

つまり、教育の内容に関してです。

もし、

義務教育」が上記の文章のように定義されるならば、

その教育の内容は、無意味なものになりがちなバイアスがあるのではないか、

ということを言いたかったのでした。(学校に通っているだけでいいんだから)

その点で言えば、問題は、この女の子に限ったことではなく、われわれすべてと関係するでしょう。

これは誤解を招きがちな部分だと思います。なぜなら、

たとえば、不登校の人に対して、

「義務なんだから学校へ行けや」、と恫喝する人がいるであろうからです。

また、それに対する反動として、

「これは、親が子供学校に通わせる義務だ」、という意見が出てくるのだと思います。

わたしの理解では、

「義務」は、「権利」と対になっているはずのものです。

すなわち、

まず子供に「教育を要求する権利」があり、保護者は、「それに応える義務がある」、

ということになるのだと思います。

「それに応える」というのは、具体的には、学校に通えるようにしてやる(ランドセルや定期を買ってやるとか、昼間に児童労働させないとか)、ということだと思います。

なので、義務教育の「義務」は、「教育義務」ではなく「就学義務」、ということだと理解しています。

サポートする義務です。

つまり、「教育する義務」は無いのです。(現状の制度では)

なお、上記のとおりだとすれば、不登校場合は、本人が望んでいないので、保護者にも義務は発生しないのでしょう。

ここは、法律専門家意見を伺いたいところです。

なぜなら、ウィキペディアで調べただけだからです。

わたしの考えでは、保護者が昼間に働くために、一時的に子供を預ける、というのが、主要な機能だと考えます。

場合によっては、高校も含みます。

http://anond.hatelabo.jp/20100616182828

元増田です。

過去に、男女交際を全て禁じ、それどころかオナニーまで禁じ、でも性風俗は許容するような純潔教育存在していたことを踏まえると、「純潔」という言葉に敏感なのも当然かと思います。

なるほど、しかし「純潔」という言葉は私が言い出したものであって石原が使った言葉ではありませんよ。にもかかわらず石原は叩かれた。

それに、私自身「自分自身に純潔道徳を課していた」みたいなことを書きましたが、増田以外のところでこんなことを言えば「童貞負け惜しみ乙」とかへんな風に受け止められてまともに相手にされないのがオチですよ。少なくとも私が自分自身を律するためというためだけのあのような考え方でさえ、「そういう考え方があり得る」という程度にさえ受け取られないのが現状だということを考えると、単に宗教原理主義的な動きへの警戒というだけでは説明が付かないものがあると思います。

そしてたぶん、あなたは「自分責任が取れるようになるまでセックスは控えておいた方が自分のためだよ。どうしても無理なら避妊しなさい。」にも否定すると思うのだけど、それに対する反論は以前書いたとおりです。

きちんと教育した上で行うセックス危険性は、きちんと教育した上での自転車危険性とそう違うとは思いません。

いや、その言い方は否定しないし(ニュアンスは違うかもしれないが)、「以前書いた」という「反論」が具体的にどの部分にあたるのか読み返してみても今ひとつわかりませんでしたが、自転車危険レベルが同等とは思いません。

少なくとも都市部においては日常の移動手段として小学生ぐらいでも自転車を使うことに反対する理由は見あたりませんが、どれだけ「きちんと教育」したといってもたとえば中学生ぐらいがセックスすることがよいとは思えません。第一、あなたの書いたとおり「やるやつはやるよ。だって性欲あるもん」なのです。避妊をしなければいけない、とかそのあたりの自制心を働かせたり言い出したりできず、その場の流れで過ちをおかすことだって十分あり得るでしょう?中学生ぐらいって精神的にもそれぐらい未熟ですよ。教育避妊手段の整備という議論自体には同意しますが、あなたやフェミはその効果を過大評価しすぎていると思わざるを得ないです。

そもそも、危険性では圧倒的に低い酒やタバコにしたところで、「酒はやめておいた方が自分のためだよ。どうしても無理でも一気飲みだけはやめておきなさい」なんて生ぬるい教育が通ると思いますか?そんなことないでしょう。要するに、どうしても、「性」だけは特別視したいというイデオロギー的なもの(という表現が適切かどうかはともかく)を感じるのですよ。あなただけでなくて社会全体からね。

さて、後半は「性的主体」である未成年が自ら身体を売ったのに、なぜか買った側だけが責められるのかという話ですね。

いや、そういうことを言いたかったわけではないわけですが。売買春かどうかは本質ではありません。

そもそも、児童を直接的に性的対象とすることがなぜ虐待とされるかというと、未成熟であって性的主体たり得ない児童を直接的に性的対象とすることは児童人格を蹂躙しているからということで、強姦や強制猥褻が本人の意志を無視していることで相手の人格を蹂躙しているというのと同一線上にあるはずです。逆に言えば、成人を合意の上で性的対象とすることが許されるのは、成人は性的主体たりうるとされているからです。

さて、そこで、世の中ではたとえば、高校卒業時の性体験率が半数近くという現状を問題視すれば保守反動扱いされかねないわけです。だとすれば中高生あたりを性的主体と認めるべきだという意見が主流であると考えてよいでしょう。しかしそうだとすれば、中高生性的対象にすることは虐待ではないということになりますよね。これは論理的にあまりにも自明だと思いますが、違いますか。これはほとんど明らかなことなのに、どうしてそんな過激なことが主張できるのかというのがまず第一点。

そしてもう一つは、この問題をなんとか乗り切るとしても、その上で「児童性愛者は人間クズ、まして実際の行動に出る奴は極悪非道人非人で何の同情の余地もなし」というようなことを大勢の人は平気で言ってしまうのですが、それが怖くないのだろうかという疑問です。たとえば、現行法の運用みたいに「成人が未成年者を性的対象にすることは許されないが、未成年者同士は問題ない」とかして(これは「ごまかし」でしかないわけですが)なんとか第一点の問題を回避するとしても、たとえば19歳が17歳に欲情することは許すべからざる児童性愛であるということになってしまいます。少なくとも形式上はそうです。それが先のアメリカンジョークのおかしさです。もちろんそんな馬鹿なことを真に受ける人はいないでしょう。しかし、ここからもわかるように何が「児童性愛」であって何がそうでないかという境界は極めて曖昧なわけです。スローガン的に言えば「誰でも昔はロリコンだった」ということです。そして、いつまでが「昔」として許されるかはかなり微妙な問題なのに、児童ポルノ規制の議論ではそこがいつも完全に素通りされてしまっている。その結果、件の「サンタフェ児童ポルノか否か」という問題(同種の疑問は誰しも持つと思うのですが)にすら誰しも納得できる答えが出せないのに、一部の強硬な人を除いては「規制あるのみ、問答無用」で一致してしまっている。その意見が正しいか正しくないかというより、自分の首を絞めることになる可能性が誰も怖くないのか不思議でならない、それが第二点です。

説明が長くなりましたが、要は「グレーゾーンを無理に白と黒に切り分けてしまうことのおかしさやその弊害にどうして誰も気づかないのか、気づかないふりをしているのか」ということですよ。なんでみんな、この手の話が単純でもなんでもないことを見て見ぬふりをしているのか、あるいは本当に気づいていないのか、それがどうしても理解できないのです。

2010-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20100613171310

ネット以外では積極的になればセクハラデートレイプだといわれ、消極的なら若者の何とか離れだの装飾だのとバッシングしまくるからその反動だろう。ネットで一個人が愚痴を書くことすら問題視する一方で大マスコミによる若者男性へのヘイトスピーチはまったく問題視しないという長いものに巻かれるという人が多すぎるように思う。

2010-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20100608105745

それはどうかな。今の高学歴はこれまでの反動でちょっとだらけすぎていると思う。このまま放置しておくと限りなく腐り果てていく可能性もあるよ。だからむしイケメン至上主義を推進して高学歴に強い緊張感を与える必要があると思う。したがって結論としては高学歴よりもイケメンを優先していくべきではないかな。

2010-05-31

うわ、ある程度時間置いたのにもう返事が来てる。

血眼になって監視してたのかなあ。

あ、なるほど。

学歴くん=監視くんか。

最近処女厨が寝静まっているようだけど、次はそいつになるのかな?

監視ばかりされていると、自分監視ばかりしたくなってしまうんですね。

反動とは恐ろしい。

2010-05-24

http://anond.hatelabo.jp/20100524164845

自分は無条件に愛されるべき」と考えてる人たちから今まで散々な目にあっているので、「その感覚、本当に必要か?」と思ってしまうな。

俺も別に専門家じゃないのでちょっと説明が難しいのだけど、

自己評価が著しく低い人間が、その反動自己愛性人格障害になったり、

各種依存症になったりすると言われてるのよね。

君が受けた攻撃は、多分そういう人からだと思う。

しっかり親の愛を受けて自己評価を高く持てる人は、

結果的に他人とも問題が起きにくいはずなんじゃないかな。

んでその自己評価は「自分は無条件に愛される(べきはいらないかも)」

という所から来ているのだと思う。

おっと、追記だけど、

「両親から無条件で愛されたという経験」が正解かも?

いずれにしろすべての人間自分のことを無条件に愛すると思うのではなく、

無条件で愛してくれる親がいた結果、自己評価が高くなり、

社会にでて多少疎外される経験をしても耐えられるって感じかな?

2010-05-08

抑圧されていれば、反動でこうなるんだよ。

彼女は悪くないよ。

俺もそういう時期があったからよくわかるけど、寂しくてしかたないんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20100508161833

言いたい事はわかるよ。

でも、彼女意見を通したら

許す許さないじゃなく、転がり落ちるように

彼氏への気持ちは無くなっていって関係は終わると思うよ。

残念だけど。

それは寛容の問題じゃなくて。気持ちはわかるけど。反動だね。

2010-04-28

http://anond.hatelabo.jp/20100428023939

処女厨には若さ至上主義は無いんじゃないかなぁ?

彼らにあるのは劣等感とその反動だと思うんだけど違うのかな?

年齢にもよるから一応25以上のモテる男で、

処女とじゃなきゃ結婚はありえないって人間はいるのか?

2010-04-23

Twitterは良すぎるのかしら?

From Creating Passionate Users

By Kathy Sierra

2007年3月

私はTwitterが怖い。これだけ人気があるサービスだけれど、私は少なくとも三つの問題点を見て取れる: 1)Twitter心理学にいう「間欠的不規則報酬」のほとんど完璧な実例である。これはスロットマシンが人を惹きつける仕組みと同じ。 2)Twitterを使うことで得られる強力な「人とつながっている感覚」は、脳を騙して「何か有意義な社会的交流を行っている」と思わせてしまいうる。その一方で、脳の別の(古い)部分では、そこに人間の生存にとって重大な何かが欠けていると「分かっている」 3)Twitterは「常時マルチタスク状態」の問題を悪化させる要因の一つであるーーもしかしたら他のものよりもっと強力かもしれない。Twitterをしながら(もちろん、emailでもチャットでも同じ)、深く考え込んだり、フローの状態に入ったりすることはできない。

[注意: 私はこの問題について本当に少数派みたいで...ほとんど100人中99人がTwitterを支持している状態だから、たぶん私が間違っているのでしょうね(でもとりあえず書いてみるけど)。それと、この記事の大部分は、関係するテーマについて私が書いた様々な記事を混ぜ合わせて作ったものです]

この三点についてもっと詳しく見てみましょう:

1) Twitterスロットマシン

スキナー発見の中でも最も重要なものの一つは、間欠的に強化された行動は(継続的に強化されたものとの対比において)、最も消えにくいということだ。言い換えると、間欠的な報酬予測可能な報酬より優れているのだ。これは大抵の動物トレーニングの基礎となっていて……人間にも応用が効く。スロットマシンがあんなに人の心に訴えるのはそのためで、別に中毒にならずともこのことに気がつくことはできる。

Time誌のマルチタスクに関する記事より:

テクノ心理学者パトリシア・ウォレスは〔中略〕Emailがーー十代の子供のみならず成人に対してもーー持つ魅力の一部はスロットマシンの持つ魅力に似たものだと主張している。「間欠的変動強化を受けているのです」とウォレスは説明する。「毎回報酬をもらえるのか、またどれくらい頻繁にもらえるのかがはっきりと分からないがゆえに、ハンドルを引き続けるのです」

2) 人とつながっているという感覚

多くの人にとってTwitterの最大のメリットは、他の人とよりつながっていると感じられることにあるようだ。カーソン・システムズのリサは、Twitterを擁護するテラ・ハントの記事へのコメントの中で、これを次のように表現している。

Twitterは友達の感情地理的な場所、動作を記録することによって〔中略〕このギャップを生めてくれる。まるで私たちが本当にそこにいるみたいにね。このおかげで『本当に』つながっているって感じになるの」

これは本当に良いことなのだろうか?

おそらく、答えはイエスなのでしょう。たぶん、ほとんどの人にとっては。けれど、「人とつながっているということは常に良いことだ」という反射的な回答は批判的に検討してみる価値はあると思う。UCSFの神経生物学者であるThomas Lewisさんは、「注意しないと、たとえ実際はそうでない場合であっても、人は脳の一部を騙してーーはるか昔より人の生存にとって不可欠なものであるーー本当の社会的交流を行っていると思わせてしまう」と主張している。これは不快な(しかし無意識の)認知的不合致、つまり脳が必要だと思っているものを取っているのだけど、「科学的に完全に分かっているわけではないけど、おそらく嗅いで感じられる何か」を満たすには足りないという状態につながる。彼はこれをTwitterについて言ったわけじゃないけど……Conference on World Affairsで彼の講演を聞いた時には、emailやチャット、さらにはテレビにまで言及していた(脳は「人々」を見ていると認識して、社会的関係を持っているに違いないと考える(GOOD)、けどそこには何かが欠けているとも気がついている(BAD))

Lewis先生はとても多くの研究を引いていたけど、私はそれを書きとめなかったので、このことは割引いて聞いてもらってもいい。加えて、私は彼がemailやチャットについて述べたことをTwitter拡張していることにも注意。けれど、Lewis先生が言うことには、私たちがこのようになる理由の一部は、私達の脳が体の身振りや顔の表情や声の調子などを解釈する先天的能力を発達させていて、こういう情報チャンネルを予期していることにあるのだという。だから、社会的交流があるように見えているけれども、この先天的な、昔ながらの脳の機能の一部が働いていない状態になると、ストレスを感じるのだ。

繰り返すけれど、だからといってそれに見合う価値がないというわけじゃない。これは遠くに離れた家族や友達とつながっているには非常に有益なものだ。私が言いたいのは単に、これが一部の人々に「私はつながっている」という誤った感覚を与えていて、現実のつながりを犠牲にさせているかもしれないと問うてみる価値があるということだけ。

隣の人とコーヒーを飲むのは、千のTwitterの投稿より脳に多くを与えてくれるかもしれない。

これと同じような議論はずっとなされてきたし、テレビにだって同じことはいわれているけど、それだからこの話が間違っているということにはならない(孤立したカナダ人の村にケーブルがようやく開通すると、集団のIQが下がってしまったという研究がある...とルイス先生は講演のなかで述べていた。私はこの研究への引用ウェブで見つけることができなかったけど)

皮肉なことに、Twitterのようなサービスは同時に、仲間の輪の中に入っていないのではないかという心配を一部の人たちに植え付けて、「つながっていない」という感覚を起こさせる。「常に更新している」ことの重要性を高めることで、十分頻繁にtwitterをチェックしたり投稿したりしていない人たちの「何かが欠けている」という感覚を増幅させてしまうのだ。

3) Twitterは最も(厄介に)継続的な注意散漫状態を作り出すものである

前の私の記事より:

最悪なことに、この押し寄せる投稿は、私たちのほとんどを最も幸せにしてくれる「あること」から引き離してしまうということだ...つまり、フローの状態にいることから。フローの状態に入るには深く考え込み、意識を集中させる必要があるけど、この種のコンテキストを切り替えるものはそのどちらも妨げてしまう。フローの状態では知識やスキルを意欲的に使う必要がある。これはマルチタスクで(食べながらや、テレビを見ながらなど)できるような頭を使わない仕事とは全然違う。フローでいるには、ある程度の時間を使って知識とスキルを脳のRAMにロードする必要がある。そして、それが大きいものであれ小さいものであれ、より多くの邪魔が入るにつれて、ますますフローの状態にはたどり着き難くなる。

しかも、フローの状態に入れなくなるというだけではない。およそ何かについて熟達するということもなくなってしまい、エキスパートにもなれなくなってしまうのだ。脳科学者に尋ねてみれば、エキスパートとなるのに重要なのは天才かどうかではなく、物事に集中できるか否かなのだと教えてくれるだろう。

情報過多という現象に対する反動はもう見えている。Web2.0 VC はかなりの額を、情報を整理(されたままに)する サービス約束する会社に注いでいるみたい。43 Foldersがトップ100のブログに入っているのにはそれ相応の理由があって、それは単にMerlin Mannがカッコいいというだけではないの ; )

たくさんの人がこのことについて語っている。でも、たぶんLinda Stone以上に雄弁な人はいないと思うけど:

継続的な注意散漫状態とは、半端な注意を払うということーーそれも絶え間なくね。これはネットワークライブノードでいたいという欲求に基づく行動だ。別の言葉で言えば、私たちは人とつながりたいし、つながれた状態でいたいの。どんな時でも、チャンスを見逃さないように効率的に目を見張らせようとし、最も良いチャンスや行動や関係のために最適化しようとしている。忙しくすること、つながっているということは、すなわち生きているということ、他者から認識されること、そしてなにがしかの存在となるということなの。

絶え間なく部分的な注意を払うのは、何一つとして見落とさないため。常時つきっぱなしで、どこへでも、いつでも、どんな場所でも働くもので、人為的に作出された慢性的な危機感もこれに含まれる。この人為的で慢性的な危機感というのは、マルチタスクというより、継続的な注意散漫状態に典型的に見られるものよ。

要点:

Twitterを使うことにメリットがあると思う? もちろん。Teraはこのメリットを本当によくまとめている(その全てがメリットであるとは考えない人もいるけれど、その人たちもテラの主張には賛成の立場に立っているのであって、大事なのはその部分)

人々がTwitter責任を持って使えると考えているの? しっかりコントロールしつつ、twitterを使うことで注意散漫になりすぎたり、(タブロイドニュースTVアメリカでこれほどまでに広まった原因たる)覗き見のたぐいを避けて?

当然、そう思っている。

私が言いたいのは、ごまかしを避けて、「常に注意をそそぎつづける」というウサギ穴にどれだけ深く入り込みたいと思っているのかを判断してみるべきだというだけ。

私はTwitterターゲットではなかったーー生まれながらの独り者なのよ。私はそこまでつながりあっていたいとは思わない。そして、ミステリーを残しておくという美学が大好きなの。それだけ多くの人たちについて、そんなにも多くを知りたいとは思わないし、人々にそんなに私のことを知ってもらいたいとも思わないの..それが日常のことであれその他のことであれね。だから、これは私がマイノリティたるゆえんで、私のTwitterに対する恐怖は、私独自のーーねじくれてあまり一般的でないーー個人的な性格に由来するものなの。


本文書は原文著作権表示にしたがい、Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 2.5 Licenseのもとで利用できる。なお、訳者著作権は全て放棄する。

2010-04-11

http://anond.hatelabo.jp/20100411211007

昨日はかなりいろいろできた。

会社行くときよりも早起きして、簡単な掃除洗濯して布団を干した。朝ご飯を食べて宅配便を待つ。その後メンタルクリニックへ通院。いい天気だったので帰りには美術展へ行った。絵の作者さんがたまたま来ていて、いろいろ話すことが出来た。夜ご飯はカルボナーラを作った(なんかパスタばかり食っとるなー)皿洗いもした。

その反動今日にきちゃったのだろうか?

2010-04-09

日本人大学進学後陥りやすい罠とは?

受験疲れのダメージ

 

 

  • 目的を見失い楽をして過ごしたいという意識が強くなる。

 

 

  • 自分はやればできるんだという意識が強くなり、前もって必要な準備や努力をする意味を見失いがちになる。

 

  • 何事にも必死になれない、諦観する。苦労や悩みに向かって一歩を踏み出せない。

  もう楽をしてもいい、無理をしなくてもいいという意識がある。当事者になれない。

 

  • 素直になれない。素直さを身につけていない、もしくはトレーニングしていない。

 

コミュニケーションスキルを身につけていない(つける方法が無かった)

 

  • 近づくべき人に近づけない。(教授OBOG、学部職員など)

  なぜなら近づいてきてくれないから。歳上や目上への接し方が分からない。

  あまつさえ苦手意識さえ持ち、さらにそういった輩同士でつるみ安堵する。

 

  希望を捨てきれない。

 

  感性感情に溺れそれらを美化する。(※仮想的に行うならば良いことである)

 

  • 先入観に抗うだけの体力・精神力を持たない。手段も分からない。変化を恐れる。

 

一人は恥ずかしいという意識

 

  • 一人でしか読書勉強はできないし、一人での旅行で得るものは多い。自分が一人で周りが楽しそうなグループばかりのとき、どうするか?

そのグループに混ざるか、一人でしかできない勉強読書、書き物をすればいい。大抵の人は携帯で遊んだり、家に帰るくらいしかできない。

  小学校の班づくりや林間学校の気分のままでいるので、一人とは基本の立ち位置という認識ができない。

 

  • 裏返すと、友達作り(人脈作り)への嫌悪感となる。一人が恥ずかしいから友達を作るのではない事を認識できない。

  結果として不利になり、ますます焦り、ひねくれる。質の悪い友人を作り/に巻き込まれ時間無駄にする。

  

サークル内でのClosedなNetwork

 

 

  社会の縮図とは体育会であり、数年で身につく意識スキル経験は雲泥の差。体育会就活に強い理由はここにある。

  一般的に学生社会に触れられるのは体育会バイト起業のいずれかにほぼ限られる。(サークル活動アピールは就活時に企業・団体の面接官に全く受けない理由もこれ)

大学生社会人であるという意識がない

 

  (ただし収入がなければ年金は控除され得る。住民税/所得税も控除条件がある。)

  (大学生確定申告を理解している人間は何人に一人いるだろうか?)

 

  • 社会は汚れたもの、つまらないものという意識を持ち関わり合いを持とうとしない、

  そればかりか社会嫌悪感を抱き目をそらしがちで、モラトリアムに足を取られる。

 

  「手間」と「時間」それぞれにコスト意識を持つと行動も変わる。戦略も立つ。

 

  予習に留めるという意識でないと成長できず、バイト環境が次第に居心地が良くなり足をとられる。

 

  

就職活動は3年後という意識

 

  • 進路はできるだけ早く決め、できるだけ早く動き出さないとそうしない人の進む道は比較的限られてくる。

  (人気職種のTV出版広告、一部の金融etc..の志望者は入学直後からすでにコミュニティがあり、所属員は圧倒的に有利に情報収集/就職活動を進められる)

 






一般的に、上記のような「日本大学生」の「垢」を落とすのが所謂「就職活動」。

 それに気付けないまま企業にふられつづける大学生多し。もちろんそれでけでなく人生をプアにしている。

おまけ:(友人・知己をつくると・・・? -メリット編)

  • もちろん本物の友情を育める可能性もある。

  • 外部刺激の要因になる。または自分がそうなる事でさらに刺激を得られる。       to cm

2010-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20100405205219

元増田です。

期待を持たせたくない。

妹が結婚相談所に参加していて相手の誘いを断り続けて、親に期待を持たせていたのに

本人は職場の男に走ったそうだから(親曰く。妄想が含まれてる可能性が大きいが)

まあ自分場合職場女性に走ろうにもいないので走ることもできないが、

期待を持たせてもその反動ストレートに跳ね返ってくるので

そんな余計なストレスを感じたくない。

たしかに世間を知る意味で、、、とは少しは思うが、

そんな環境なので参加するきもまったく起きない。

親のね反動が半端じゃないんですよ、、、通常以上かと、、、

2010-03-31

http://anond.hatelabo.jp/20100331132147

増田です。TBありがとう。

もともと批判されるようなこと書いてあったからね。

ふたを開けてビックリですが。

要は、無邪気で自己中心的な奴だと思われてるんだろう。

これはそうだろうな。

悪気がないからこそ、相手も今のように接するのだと思う。

もっと他人を観察して、自分の都合ばかり考えるのではなく、

相手の気持ちにも配慮するように努力すれば良い。

ちゃんと観察すれば、しぐさとか声のトーンとか話の内容とか、

色んなところで相手からサインが出ているのが、今よりももっとたくさん拾えるようになる。

配慮は結構していたと思ってたけど、現状では不十分なんだよな。

わかっていたつもりだったけど、はっきりとこう言われると自覚するしかない。

っていうか課題としてはっきりと見えてきた。

これは分かりやすいけど、難しいことだな。

まあ人間はともいえなくはないが、特に女性は一度キャラ付けした人のキャラを簡単に変える事はないというのが持論。

よって、恋愛対象として見てもらうのはあきらめて、元増田はこのままの存在として居続けるべき。

諦めたくないのが本音だけど、目的は見返すことだからね。

それからでもいいと思ってる。遅すぎるかもしれないけど。

一度キャラ付けした人のキャラを簡単に変える事はないというのは僕もそう思う。

女性に限らず、男の僕もそう思うことだから女性は特にそうかもしれない。

キャラを変えるぐらいの気持ちで考えているけど、それは数カ月じゃなくて数年経っても実現できるかわからない課題だな。

まるっきり変わっても、彼女は見てくれないと思うんだよね。

これからのためにも、いい意味で変わりたいと思ってます。

ナルい元増田を好きでいてくれる人を見つけたほうが元増田にとってもいいことだと思う。

やっぱナルいよね。

この性格は何とかしないと、彼女に限らずに今後の友好関係を気付くのに阻害要因になりそう。

周囲から面白いともいわれるけど、近くにいる存在からしたらちょっとアレだと思うよね。

なるほど、甘えたがりの構ってくんだ。

まあね、言われて思い出すと自覚してきたよ。

結構恥ずかしいなこれは。

でも、それじゃ僕的にも周り的にも彼女的にもよろしくなさそうだから、改善が必要だと思うんだよね。

これがナルくて甘えたがりの構ってくんなのかな。

無闇に好意を寄せてしまうということは、相手が自分のことを

想って理解してくれている「かもしれない」という憶測に頼っている証拠。

彼女は誰に対しても優しいから「かもしれない」を生みやすい人なんだよね。

僕もその一人だと思う。

自分に気が向いていないと解った彼女に対しては、何があっても執着心を見せないこと。

ひたすら淡々と振る舞って、自分の気持ちを落ち着かせて、

上がりすぎた体温を彼女と同じラインまで戻すことから始めてください。

これ、大切だと思う。僕もこれを考えていた。

もし付き合いたい気持ちがあるなら、このまま続けてちゃ墓穴掘るだけなんだよね。

もう一度、告白するっていうのは気持ちの切り替え以前にけじめ的なものだと思っていたので。

いい歳こいた男が「さびしがりや」ってアホかと。おめーは乙女かっつー話w

よく言われるww

でも、昔から孤独で生きてきたので、反動かなんかしらないけど現状の環境から抜け出せなくなってきたんだよね。

今は周りにたくさん人がいて、孤独が怖いというか。

結構恥ずかしいけど、これもなんとかしないといけないって思ってる。

めんどくさくて相手したくないタイプな気がする。

多分、これが彼女の本音なんだよね。というか、そう思っている。

相手からサインをこう受取っているので何とかしなきゃなって思ったんだ。

あー、ナヨナヨしてナルいっすね。

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