はてなキーワード: アーチストとは
WEB本棚みたいなのを妄想してみる。会社別、作者・アーチスト別、カテゴリ別、作品名順、人気順、なんらかの方法で、画面内にところせましと本や漫画、CDの背表紙が並ぶ。マウスを持って行くとその表表紙と詳細情報が表示される。拡大や縮小もできる。引いて見れば超巨大な棚が見える。カテゴリ別にして、好きな作品の隣の本を手に取ってみるのもいい、アーチスト別にしてまだ買っていないアルバムを見てみるのもいい。人気商品、お薦め商品はところどころで表表紙が見えている。そこから手にとってみるのもいい。ジャケ表示モードにすると、表表紙やジャケが隙間なく一覧になって表示される。そこからジャケ買いをしてもいい。
別の観点でいうと、検索結果が冗長なのだ。Amazonにせよはてなにせよ、検索結果がダラダラと冗長。もっとコンパクトに名前と画像だけを大量に表示、とかでもいいんじゃなかろーか。昔のはてなキーワード検索結果みたいに、1画面で名前だけ大量に並んでてもいいと思う。
「既にコンテンツは飽和した」という説。考えてみたら、コンテンツ産業系の人にとってこれほど恐ろしい結論は無いかもしれないが、当たっているとしたらどうすべきか。
一人のユーザーが一生の間に消費し尽くせるコンテンツの総量は、寿命が劇的に伸びかつ記憶力が劇的にアップでもしない限りは、実はそれほど多くない。私たちは、小さな区立図書館の蔵書程度であっても、多分一生かかっても読み尽くせない。本だけに限っても、そうだ。まして映像、音楽まで含み、かつ発信もする現在において、我々が一生かかって消費するコンテンツの総量はむしろ(それぞれのジャンルで)加速度的に減っており、しかしコンテンツ自体は果てしなく供給し続けられる。かつては「時代の変化(社会、政治、文化やときには言語そのものの変化)」が緩やかに古いコンテンツを消滅させたり無効化させたりすることで、新しいコンテンツの生きる道を生み出していたが、もはやそれも追いつかなくなるほどに「生涯消費コンテンツ総量」の低下曲線は、「コンテンツ在庫量」を下回ってしまった。
で、どうすべきか。通常考え得る解は、たとえば「新メディアの創出」。たとえば全身感覚を使ったゲームが芸術になり文学になり映画に成り代わるイメージ。そうすればあらたなメディアを使いこなす新たなアーチストが誕生しあらたなコンテンツの需要が爆発的に生まれるだろう。だが、それを生み出す過程が「個人の作業能力」を越えた複雑さを持てば、ジャンルとして衰退していかざるを得ない(現代のゲーム業界に起こっているのは、だいたいそんな感じのことだ)。だから、ある程度以上複雑化しすぎたジャンルでは、逆に高度な技術を使って驚くほど単純な個人作業を実現する欲求が生まれてくることになる。RPGツクールなんかの試みがそうであり、はてなロクロなんかもそうだ。結局のところどんな高度な技術を使っていても、作り手は「自分が全てをコントロールしている感覚」を手放したくないものなのだ。セコンドライフなんかも本当はそういう方向を目指したかったのだろう。
そこで、全く違う方向に目を向けてみたい。
新たなメディアといっても、既存の感覚(視覚と聴覚、あとはせいぜい振動などを利用した体性感覚)に訴えかけてくるものがほとんどであった。だから、もっと異なる感覚にアクセスするメディアを考えれば、爆発的なコンテンツ需要を見込むことは可能ではないだろうか。それも、既に一種の娯楽として定着したジャンルの存在する感覚(たとえば味覚→料理とか、嗅覚→アロマ・香など)ではなく、もっとマニアックな感覚に訴えるもの。これまでに無い感覚を娯楽の対象として開拓した例としてはたとえばWiiがそうだろう。家庭用ゲーム機に本格的に運動覚を取り入れた。ただ、これはコンテンツの開発自体が難しいという意味で難点がある。だからいっそ新しい感覚を創出してしまうのだ。空間認識力や第六感というような感覚を増幅させる薬を開発すれば、それらの感覚に訴えるメディアが誕生し、あらなたコンテンツ需要が見込めることとなる。
というわけで、21世紀のコンテンツ産業はまず製薬方面の技術開発に熱い目を注ぐべきではあるまいか。
いや、正直「あるまい」と思うけど増田だから書いてみた。
かつてのmp3.comやそれに類似した後続の音楽配信サイトのライセンスは確か非排他的なものだったんじゃないかと思う。つまり配信サイトは参加アーチストのアップロードした曲を販促用オムニバスCDなどとして発売できるが、アーチスト側は作品を自由にできる権利を全面的に保持していたと思う。最近の騒ぎを見ていると、商用利用のためには必ずしもライセンスが排他的なものである必要がないことが、どうもあまり理解されていないような印象があるがどうなんだろう? 作者へ金銭的に還元するしくみを考えると言ってもニコ動にはJASRACのライセンスはやはり根本的にそぐわない、最初から選択肢から除外して考えるべきものではないか? JASRACが悪者とか言うよりはJASRACのライセンスの不自由さが悪者なんじゃないの?
(参考)
http://blogs.itmedia.co.jp/kurikiyo/2007/12/jasrac_e385.html
津田さんのつぶやきも誰が敵・味方二分法みたいなものの見方だったのは、少し残念だった。
追記:
調べてみたけどこんなんみつけた。
「JASRACの登録情報で『恋のミクル伝説』のアーチスト名が「平野 綾」で登録されている件」
アーティスト名はJ-WIDの利用者のための参考情報って感じなのかな?アーティスト名があればJASRACの許諾が必要かどうか調べるために曲を探すときに便利でしょ。でも自信はない・・・
初音ミクJASRAC登録事件ははじめのほうはクリプトンの商標の初音ミクをアーティスト名使ったことが問題とされてたっぽいけど、そもそも商標権って商品名やサービス名に使うことに関してだから、登録に使う場合は別に問題ないんじゃないだろうか?小倉弁護士か栗原弁理士に期待したいところ。
再追記:
登録時のアーティスト名について、「作家名+featuring初音ミク」と表記にするようクリプトンから依頼を受けていたが、手違いで「初音ミク」と登録してしまったとし、サイト上で謝罪している。
「「みくみく」JASRAC登録で「手違い」 ドワンゴ・ミュージックが謝罪」
もよくわからない。作曲家などの権利だけを管理するJASRACとその利用者にとってはアーティスト名は基本的に意味のない情報だ。例えば誰かが「お金をとるコンサートで『おふくろさん』を歌いたい!」と思ってJ-WIDを利用したとしよう。このとき権利者が出てきて信託となっていればJASRACに許諾を得てコンサートを開かなければならない。検索したときにはアーティストに森進一とでるが、そちらに対してはなにをしなければならないのか?何もしなくてもよいのだ。営利目的で歌を歌って対価を支払わなければ問題だ。だから作曲家などには演奏権などが与えられている。しかし他に同じ歌を歌った人に対価を支払う必要はない。著作権法でもそう考えて歌を歌った人はその自分が歌った歌については権利が与えられているが、その歌を歌うことについて何の権利も付与されてない。だからJ-WIDでアーティスト名が出ても何の関係もない。アーティスト名は意味のない情報だ。そもそも歌は誰でも歌うことができるのだから、歌にアーティストという情報を付与し絶対視するほうがおかしい。商標権の観点からも着うたで『初音ミクの「みくみく??」』のようにつかったならともかく、単にJASRACへの登録の際に使っただけで商標の使用といえ商標法違反といえるのだろうか?商標法2条には商標の使用の定義があるが、それにJASRACへの登録が当てはまるような項目はないように思う。仮にJASRACが音源というかその歌を歌った特定の歌手や演奏者の権利を管理していているなら、アーティスト名に「初音ミク」を使ったら問題だろう。例えばJ-WIDでは「おふくろさん」のアーティスト名として「森進一」が載っている。仮にJASRACが「森進一が歌っているおふくろさん」の音源についても管理しているなら、これを「SMAP」などと表記したら問題だろう。この騒動の場合も「初音ミク」は道具なのだから、「初音ミク」ではなく作者の名前やペンネームを使うべきだったということになる。しかしJASRACは音源については管理していない。だからこうした錯誤が起こることもない。「みくみく??」のアーティスト名に何を登録しようが問題ないように思う。
ドワンゴがきちんと作者を交渉せず勝手にやったのは問題だが、アーティスト名に初音ミクが登録されたとかいって騒いでいる人はJASRACを絶対視しすぎではないか?
あと上記の記事に関連して
「みくみく」がJASRAC管理楽曲になったことで、ネット上では「みくみくを使ったMAD作成にも著作権料が発生することになり、自由な2次創作ができなくなる」といった指摘があった。
「「みくみく」JASRAC登録で「手違い」 ドワンゴ・ミュージックが謝罪」
これは違う。JASRACは二次創作とは関係ない。いわゆる二次創作を行う場合問題になるのは翻案権と同一性保持権だが、JASRACはどちらも管理してないので二次創作は管理してない。だから替え歌なんかだとまず原作者の許可を得ることを要求してる。
著作者には、自分が生み出した作品がそのままの形であることを守る権利があります。これは著作者人格権のひとつで、著作者本人だけが持っている権利です。替え歌を掲載したい場合は、まず著作者本人の了承を得なければなりません。もし了承を得られたら、原曲の権利関係に基づいて著作権の手続きをしていただくこととなります。
自分で作った替え歌の歌詞をホームページに掲載したいのですがただ二次創作物には原作の権利も及ぶのでその後JASRACの許諾を得る必要があるけどね。ある意味二次創作もJASRACが口を出すだなんて思ってる人たちはJASRACを神なんかだと思ってるんだろう。ない影におびえすぎ。
[一万時間][努力][天才][反復][質より量][閾値][九九]
Genius is 1% inspiration, and 99% perspiration.
Thomas Alva Edison
イチローに学ぶ「天才」と言われる人間の共通点 - 電子書店パピレス
イチローに“偉大《いだい》な才能”を与えたのは、名古屋空港の近くにあるバッティングセンターである。
イチローは小学三年から中学三年までの七年間、そこに毎日通いつめた。
それも一週間に一日くらいは休むといったレベルの生易《なまやさ》しいものではない。
一年間に三六三日通いつめたという。休んだ二日は、バッティングセンターが休業した、正月の二日間だけだった。
天才と言われる人間であっても、絶《た》え間ない精進《しょうじん》を繰り返して、初めて彼らは成功者の仲間入りをすることができる。
イチローが一流選手としての称号《しょうごう》を得たのは、二一〇本の安打を打ち、打率三割八分五厘で首位打者に輝いた九四年の秋である。
なんJ PRIDE : 【野球】門田博光(40) .311 44本 125打点 OPS1.062
ホームランバッター門田博光氏が・・・《500本塁打は誰でも打てる!》|ベースボールバイブル
門田博光の本塁打一閃―ホームランに魅せられた男 : 門田 博光 : 本 : Amazon.co.jp
http://www.h-kadota.net/profile.html
小学校の頃からプロ野球を目指し、中学、高校(天理高校)と野球部に籍をおいたが目立った成績もなく、
ホームランも公式戦はおろか練習試合でさえも打つことは出来なかった。
40歳を迎えた1988(昭和63)年には打率.311、44本塁打、125打点で2冠王に輝き、チームが5位ながらMVPを獲得。
ホームラン記録は王氏(現ダイエー監督)、野村氏(現楽天監督)に続き
史上3位の567本を打った。
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あらすじ検索サイト あたまにスッと入るあらすじ:無形の力 楽天を応援しようという気になる野村克也氏の私の履歴書
2年目で解雇されそうになるが、泣いて頼んで残して貰う。
それまで歯が立たなかった大投手稲尾も、クセを発見して3割近くまで打ち込むことができるが、同僚の杉浦がオールスターで3人一緒になった時に、稲尾にばらしてしまう。
404 Blog Not Found:一発は百の空振りから生まれる
伝説のインドの天才数学者ラマヌジャンは、貧乏で進学できなかった子供時代、
一人で分厚い数学の辞典「純粋数学および応用数学における基本結果概要」にでてくる5000の公式、方程式を丸暗記していたそうだ。
anond:20070620083003を書いた増田です。
アップロードした人以外には知るよしもないですよね。
逆にいえばアップロードした本人は、自分がそのコンテンツの著作権者かどうか知ってるわけです。だから
「著作権を侵害する形で、音楽や映像をアップロードしてはいけない」
という言い回しを使ってみたわけでした。
横断歩道を赤で渡るのは「誰が見ても常に違法」だけど、「自作の曲を演奏しているアーチストの動画をアップする行為」がそのアーチストの著作権を侵害してるかどうかを判定するのは事実上本人以外には不可能だから、それとこれとは同列に語れないと思う。
確かに状況はちょっと違いますが、アップする本人は違法かどうか知っているので、その点では共通といえるんじゃないかなーと。