2008-02-19

ネットワーク配信がパッケージメディアを駆逐しない理由の私見

東芝HD DVDの事業からの撤退を決めたようです。本日発表があるようですが、先週末からメディアでは大きなニュースとして報道されています。この決定でハイビジョンメディア流通させるメディアとしてBlu-rayが主流となっていくことはほぼ確定的となりました。PS3を買い、Blu-rayソフトを揃えつつある私としては一消費者として胸をほっとなでおろすニュースでした。

ところで、このニュースについて現在いろいろなメディアで分析・論評が行われていますが、ネット上のBlogなどでは、

今回のできごとはBlu-rayの勝利を意味しない。まだパッケージメディアの売り上げとしてDVDには遠く及んでいないし、今後のコンテンツ流通Apple TViTS などのネットワーク配信に移行していくことは自明だ。パッケージメディアの終わりの始まりだ。

といった論調の意見を散見します。(上記意見はどこかのBlogの特定の記事の引用ではなく、私が読んだ意見を私なりにまとめたものです)

確かに、現在はまだパッケージメディアを置き換えるほどにネットワークインフラリッチでない(地域差が大きい)ために即座にそうなるということではありませんが、将来の予測としては生産・設備・流通在庫コストを削減でき、消費者にとってもレンタルの返却待ち(24とかLOSTとかHEROESとか1巻だけ常に無い)のような機会損失がなくなるメリットを考えれば可能で、そうなって欲しい未来のような気がします。

これに対する反論としては、現在パッケージメディアを楽しんでいる消費者が、ことごとく配信のメリットを享受可能なネットワークアクセスできる環境を構築するコスト(インフラ構築コスト)は現実的ではない、とか、パッケージメディアには配信メディアには無い「所有感」があり、ネットワーク配信は消費者に対して「所有感」と、いつでもアクセスできる「安心感」を提供できない、といった意見があります。

私はここで別の観点から「ネットワーク配信はパッケージメディアを駆逐できない」という主張をしようと思うのです。

これは、私がこれまでさまざまなネットワーク配信サービス(Youtubeニコニコ動画Stage6iTS、でじゃ、その他もろもろ)の現在ユーザー(新し物好きのコンピュータ技術者としてフツーよりはヘビーなユーザーだと思っています)であり、その立場からの意見ということでお聞きいただきたいのですが、私がユーザーとしてこれらのサービスに日常的に触れて常に感じている不満(というか不安)は、私が今見られるものがどのくらいあって、今私が選択しているコンテンツはこれでよかったのか?というものなのです。

私は書店が好きです。特にお目当ての本があるわけでもなく、店内をぶらぶらして店頭に並んでいる本を眺め、興味を引かれた本があれば手にとって眺め、読みたい本なら購入します。レンタルショップDVDショップでも同じ感じです。棚に並んだパッケージを眺め、手にとって眺め、欲しくなったら購入します。

これが、現在ネットワークではできないんです。ネットワーク配信サイトはもちろん、Amazonなどのネットショップでも同じことができません。もちろん、各サイトには「今の人気のもの」とか「最新のもの」とか「レコメンド」とか「偶然出会い」を演出する仕組みや、Amazon最近本の中身をちょっとその場で見ることができる仕組みなどがありますが、私にはどうにも不満(不安)なのです。「今、ここで私が接することのできる全てを視界に入れたい」という欲求がネットワークでは満たされません。書店レンタルショップでつらつら棚を眺めながら歩く行為に私が価値見出している以上、私の中でパッケージ(というかリアル店舗)がネットワークに置き換わることはありません。(ネットワークはもちろん利用しますが、ほとんど目的のものが決まっている場合です)

というわけで、私が考える「ネットワークパッケージを駆逐しない理由」でしたが、もし何かブレイクスルーがあったとしたら、そのときが私にとってのパッケージの終焉を意味するのかもしれません。

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