はてなキーワード: 落ち着けとは
http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20100526
「若い人が投資をする理由は複利だ」とか言ってるけど大嘘。
他にも「習うより慣れろ」とかもあるね。
大嘘。
色々と言い訳はあるだろうけど、日本で麻雀といえば金を賭ける。
ひところ大学の寮などに行けば、新入生が上級生から金を巻き上げられるなんてのは、まあ通過儀礼みたいなもんだった。
いわば、カモから金を巻き上げるわけだ。
(もちろんそれは単なる通過儀礼だから、上級生からすれば授業料、とでも思ってる節はあった)
じゃあ、儲かってる人はどこから金を巻き上げるのか?デカく負けるひと?大口の取りこぼし?
違うね。
1万円、5万円、10万円ぐらい負けてる一般人からうすーくひろーく巻き上げるのさ。
だから、FXの入門書や株の入門書が氾濫している時ってのは、稼ぎどきだったわけだ。
訳もわからない初心者が「無くなっても授業料だと思って」大挙してやってくる時期だから。
まさに、カモネギ状態だ。
複利?
馬鹿言っちゃいけない。1%の複利でも積み重ねればデカイ。それはそのとおり。
で、ペーペーの若人が金突っ込んで複利の恩恵を享受できるもんか?
できないね。
若い人が投資を行う理由はたった1つだ。「痛みを伴った学習は身につくから」
もっと身も蓋もない言い方をしてもいい。「賭け事なら熱くなるから」
株をやらなきゃ、そもそも株式会社ってのはなんで、どうして合併が起こるのか気にすらしない。
どの業界がどんな仕事をしていて、どうして利益を生んでるかわからない。
コンシューマ向けの仕事をしているところ以外は、就活の視野に入らない。
「賭け事に勝ちたい」というある意味凄まじく純粋で強力な動機から、そういったことを知ることが出来る。
(WBSのトレたまで取り上げられるだけで株価が上下するなんていう、市場のイイカゲンさも肌で感じることが出来る)
考える事、調べることが大量にあって、勝つには動向を調べる必要がある。
そりゃそうだ。ライバルに勝ちたきゃ、ライバルに先んじる必要がある。
それは、場代を徴収する雀荘に勝つ為でも、たまにいる雀ゴロに勝つためでもない。
それよりも、なぜGoldの相場が最近上がりっぱなしなのか、土地に投資するのはどういう意味を持つのか、OPECってニュースで言う時にじゃあそれは家計にどういう影響がありそうなのか、
そういった自分が生きている世の中を知ることが出来る、情報の読み解き方を知ることが重要なんじゃないか?
ダビスタに費やした1万時間は輝かしい勲章かもしれないが、経済指標の影響力が判るわけじゃない。
棒テン則リー全ツッパ、相手が張れば運だのみ。
それじゃ勝てないし上手くもならない。
勝てたとしたって単なる星の巡りだ。
FXも同じだ。
「上がりそうだから」「下がりそうだから」の2択のギャンブルじゃルーレットと同じだ。
「みんなが上がると思いそうだから」なんていう根拠をどうやって出していくか。
政権交代したら円ドルレートはどう動くのか?それを自分はどう考えるのか?
株だってそうだ。
上がり調子の株に張るのに根拠がなきゃ、それは大金かけたスロットだ。
スロッターだって研究するご時世、どうなるかわからん株を買うのか?
そしてその分析は、日々の生活の中で役に立つ。
シューカツするなら日経読もう。大いに結構。
でも、小銭を稼ぐために血走った目で世界情勢追っかけてる連中の情熱を持って読めるかな?
業界研究するときに、100万突っ込むつもりで分析してるかな?
「うちの会社は大丈夫かなあ」と溜息つくときに、同業他社と材料比較できるかな?
だから、若い人が漫然とインデックスファンドの手数料を比較しても、持株会に入ってもあまり意味はない。
ギャンブルに勝つつもりで、不順な動機で突っ走るために本気で分析してこそ意味がある。
向いてる向いてない、投資だ老後だなんて言う前に、目の前の鉄火場に本気になる。
それこそが、結局世の中を知ることになるし、社会の仕組みの一端に触れることが出来る。
麻雀やパチンコ、桃鉄やその他もろもろのエンターテイメントと同じく、単なる遊びだ。
どうせ熱くなるなら、あとで使える知識が身につく賭け事に時間を費やそう。
私の母が死んだ。47歳の誕生日を迎えてまもない冬の日。半年の闘病生活の末のことだった。
病名は、慢性骨髄性白血病。
以下、情報が正確でないことにご留意下さい。伝聞や、うろ覚えで書いているものが含まれています。
私は一人暮らしをしているから、その時の状況は電話越しに伝えられた範囲でしかしらないことが多い。以前から頻繁に連絡は取っていたが、病気がわかって以来、母の体調が許せば毎日電話していた。
大学が夏休みになるまで二月余りを残していたと思う。どうも母が白血病らしい、と言うことを聞かされた。私が真っ先にしたのがググって見ること。いかんせん、TVでよく見る難病の一つと言うイメージしかない。調べていくと、ここ10年くらいで新しい薬が開発されて、治療に関わる環境はだいぶ良くなっているらしい。良くはわからないが、いまでは直る病気になったようなのだ。
私は安心した。鵜呑みにするのはいけないと思いながらも、信用できる情報だったからだ。
投薬治療で症状が落ち着けば、通院しながら普通に生活できるらしい。母は電話越しに、「仕事を辞めて暇になったからお菓子を作ってるんだ。夏休みになったら作ってあげる。」と普段とあまり変わらぬ調子で言っていた。
この頃は病名を聞かされたショックから立ち直ってた時期だったと思う。
事態が変わったのは夏休みに入る前のことだ。母が入院した。グリベックという薬が効かなくなっていたらしい。後で聞いた話だが、急遽病院に行き、検査を受けてる間にも体調が急変していたそうだ。これはマズイと言うことで、入院することになった。
入院してからしばらくは、薬で抑えていた病気の症状が現れていて、かなり苦しんだらしい。母の体調を鑑みて、長時間の電話は避けざるを得なかった。この時期の全てはあとから聞いた話しになっている。
薬は何種類かあって、人によっては合う合わないがあるし、量の匙加減も難しい。過剰に生産される白血球が下がりすぎてもだめだし、抑えられなくてもダメなのだ。必然的に、治療は長期間に渡るものになる。
ともあれ、主治医の尽力の下、母は体調が安定するようになった。
夏休みに入って、私は実家に戻った。蛇足ながら以下に私の生活パターンを記す。
朝十時ぎりぎりに起きてバイトに行き、午後3時くらいにはバイトから上がりがてら買い物をして、風呂を浴びた後、母を見舞い、午後6時前後に家に帰って夕食の仕度をする。父が母の見舞いにいくなら付いていって、大体12時には寝る。バイトがなければ家事をしながら、できるだけ母のところで過ごす。
実家は田舎にあるので、私は去年取ったばかりの免許片手に車の運転に習熟することになった。病院までは大体車で20分。
家事は一人暮らしである程度の経験はあるものの、家一つ切り盛りするのは容易ではない。私は祖母と分担してやっていたが、母には到底及ばないことを痛感する。
母は夏の間は比較的安定していたように思う。血液中の成分を分析した数値は上下していて、分からないなりに私たちは不安になったものだったが。熱は高めであったが合併症を起こすことも無く、起きて歩いたり出来ていて母は体力を必要以上に落とさないようにするなど、治療について前向きだった。お医者さんが重い病気にも関わらずしゃんとしていてこちらが勇気付けられる、という風なことを言っていたほどであった。
ただ、病気に対する抵抗力は徐々に失われていっていたようで、秋が近くなったあたりでアイソレーター(空気清浄機の親玉)が個室に入った。母はこれを自分の病状が悪化した証だと見たのか酷く気にしていて、アイソレーターがはやく取れないかとこぼしていた。他にも、入浴は洗浄して誰も入らないうちにしたり、食事に制限がついたりした。納豆などの菌がついてるものは冗談抜きで命に関わるようだ。
治療方針についてだが、これは二転三転していた。母の検査の結果次第であるからだ。当初は入院は短期間のことであるとの話しだった。ついで、退院が見えてこなくなり、移植も検討しなければいけなくなり。最終的には移植するしかないとのことになった。移植についても、中々方針は決まらなかった。少なくとも素人目にはそう見えた。が、この場合は主治医の熱心さの表れでもあった。聞いたところによると他の病院の血液内科(要は専門)の先生とも協議を重ねていたとのことであった。それに母は遺伝子が特殊だったらしい。骨髄バンクでドナーを探すのも難しいだろうと言う話しを聞いた。私か兄かの造血肝細胞を用いての半合致移植に踏み切ることも有力な選択肢の一つだった。最終的には、主治医が見つけてきた、完全に一致する臍帯血を用いて移植することになった。
リスクは大きいがそれしかない、との決断だった。母はまだ比較的若くて体力があることも後押ししていた。
施設の問題で、最初に入院した病院では、移植の前処置に必要な放射線照射が行えないらしいので、他の病院に転院することになった。
夏休みの最後に、父と共に、その病院で転院に必要な手続きと、担当して頂く医者との顔つなぎにいった。穏やかな、経験豊富な先生であった。どうも、前の主治医も今回も医者には恵まれたようだ。
私としては、付き添っていたいのは山々だったのだが、母たっての希望で、大学に戻ることになった。
それからは、移植前の前処置に入る直前までは連絡をとっていた。以降は父を通してたまに状況を確認するに留めた。
移植後2週間くらいたった、12月のある日。
移植がうまくいっているかが、おおよそ見えてくるだろうから、私は土日を利用して母を見舞った。
愕然とした。準無菌室に居た母は、長く伸ばしていた髪をそり落とし、管に繋がれて、一瞬誰だかわからないほど人相が変わっていた。見るからに弱弱しく、その辛さは如何ほどのものか、本人にしかわからない辛さだろう。つい先日風邪を引いたくらいで弱音を吐いていた私は自分を恥じた。
なんと言っていいものか、躊躇ううちに1時間が過ぎて、母は疲れてしまったように見えたので、その日はそれだけにしてアパートに帰った。後から聞けば、私は何もできなかったけれど大層喜んでくれたようだ。
クリスマスには冬休みになるから、その時また会おうね。そう約束した。
クリスマスを目前に控えた日。
父から何通もメールが来ていた。文面は全部、すぐに連絡を下さい。
普段は強いて何も考えず、その日も暢気にバイトに精をだしていた私は、すぐに思い至った。まずいことが起こった。そして、そこで考えるのをやめて、すぐに飛び出す準備に取り掛かった。久しぶりの全力疾走。兄が近くまで迎えにきているらしい。気ばかりが急いて、結局アパートの外で30分ばかり兄を待って立っていた。
病院についたら、丁度父と医者が話しているところだった。呼吸器をはずすのはどの時期にするか。そう漏れ聞こえた。私は泣き崩れてしまった。
母の術後の経過は良好だった。白血球の数値も戻ってきていた。ただ、血小板は立ち上がるのは遅くなるもので、どこかから出血すれば手の施しようが無い。その危険性については何度も言われていた、と父は語った。
母の脳内では出血が起こっていた。最も起こって欲しくなかった事態になってしまったらしい。
病院で、個室を一つあけてくれて、母はICUからそこに移された。自発呼吸はしていない。瞳孔も開いてしまっている。脈拍と体温、それに呼吸器の音だけが母の生きている証だった。それでも母は生きていたのだ!
泣き疲れて、寝て起きれば、母は目を覚ましているのではないか。最近眠れてなかったらしいから、2,3日寝てるだけなんじゃないか。そんなことばかり考えた。
その日から、3,4日ほどだろうか。父、兄、私の3人で交代で寝ずの番を立てて母に付き添った。呼吸器のリズムを厭いながらも、安心させられもする、最も堪えた日々だった。最も、精神とは面白いもので、1ガロンも涙を流せば人間立ち直る方向に向かえるらしい。水を飲んだそばから涙に変えれば少しは気が晴れたものだった。
深夜1時、父と兄と私が見守る中で、母は息を引き取った。
繰り返し、情報が正確ではなく、うろ覚え、伝聞が入っていることにご留意下さい。
たとえば、2月を普通に土日休だと9日間(土日が8日、平日祝日が1日)休みになるけれども、
それを7日間休みと設定されて、平日祝日は出勤、土曜日1日を有給扱いにされているということでおk?
労基法では、週1日休みがあればよくて、勤務時間が規定を超える場合は割増賃金を払えばいい。
上の例だと、2月は4週間だから4日休みがあればよくて、7日なら楽々クリア。
平日祝日が勤務なのもおかしくない。
完全週休2日制をうたっていて、「完全」だから平日祝日は休みでないのとかはたまに聞く。
年次休暇の一斉付与方式という「一斉に休みにするための有給休暇付与」の形式もあるので、
詳しくは労基法でググってみて。
1.
足りないのは時間ではなくて頭。
俺らが生きているのは今であって
1,2、3秒前は過去であって
未来だって必ず来るとは限らない
さあ、今を楽しもうぜ
(過去を思うことは今を楽しむことに入らないのか?)
考えるだけ無駄だよ
悩んでる間に死ぬかもしれないんだぜ
2.
大抵の夢希望願いは叶えてはくれないし
キミがどんなに努力したってキミは絶対に変われない
(あたりまえだろ。何を言っているんだ)
(自己啓発セミナーを『努力』と言われてもアホかとしか言えない)
極端に考えればもっと分かりやすい
キミは特別な存在ではないんだよ
(それらの人を同列に語る時点でダメなんだよ。個別に見ていない)
「だって60億分の1なんだぜ俺が俺である確率は
それに親父の精子の数だけ分母が増えて…
だから俺は特別な人間なんだ!!!」
とか真顔で言われたら、ああなんて不幸なんだ、としか思えない
60億もいる奇跡なんだから
生まれてきた時点でキミの奇跡は終わりです
落ち着こう
と悟ったゴリラはその瞬間に死ぬだろうか
「あんな小さな檻に入れられている
他の動物よりはマシ」ってね
3.
そんなもんどっかに捨ててちゃえよ
「そうありたい」と願うことは一転
「そうなってない」という今にとって
これ以上ないストレスになる
幸せになるために最もいらないものだ
(そりゃお前さんが目標に向かって最短距離だと思う行動をしていないからだろう)
時間軸のズレか生じていて
それが結局マンネリを生むから
これも心の負債だ
世界はキミに寛容ではない
(忍耐力が足りないんじゃねえの?)
「努力している人がみな成功するわけではないが
成功している人はみな努力している」
この世には努力しなくても成功する人ばっかりなんだ
生まれて瞬間それを達成している人がいる
そういう人を「運がいい」と世間は呼ぶ
(運がよい以外に何があるんだ?)
違うんだよ、よく考えろ
「運がいい」ことこそが全てなんだ
努力しても運が良くなるわけじゃない
全部全部捨てちゃえ
(あほか)
ということをキミは体感しているのに
なぜ生きていく上で必要なお金を稼ぐということ
思ってしまうんだい
(え、自分の仕事にプロだという自覚がないの?邪魔な奴だ。真剣に仕事をする。仕事のことだけ考える。これだけできりゃその時点でプロだろ。あほくさ)
4.
キミは貴重な今を犠牲にしている
(今を楽しむ。全力で取り組む。だから夢が叶う。)
どうするつもり?夢が叶う前に死んだら
明日だってくるかわからないんだ
(常に全力なら後悔はしない)
そしたら将来のための
やめようぜ、今を犠牲にするの
もっと楽しいことしようぜ
今夜はぱーりーだぜ
(きっとそれじゃ楽しめないよ)
5.
幸せっていつ感じるんだろうかって
今しかないじゃんか
今が楽しければいいじゃんか
将来のことで悩むなんてアホかよ
太く長く生きようぜ
(まったくその通りだ)
お金を持っている奴が勝てるように仕組まれた
(燃えるね)
でもゴールは幸せらしい
幸せってなんだい?なんだと思う?
それはキミが人より不幸ではないということだよ
だからその基準も尺度もキミ次第なのさ
絶対的な幸せなんかないんだ
(味覚障害とか不感症か?)
世界平和って
「世界中の人々が一斉に不幸になること」
って知ってる人が少ないんだよ
キミも分かるだろ
今すぐ天国に行く確実な方法は
今すぐ死ぬことなんだよ
(そう思うなら死ねば?)
6.
それでも努力するキミへ
キミが勝てない相手はキミがいるから勝ってるんだよ
キミも今の場所にいるのは誰かに勝っているからだよ
誰かしらがどこかしらで泣いているんだ
(俺は負けることも嫌いじゃないが)
キミも誰かの犠牲の上に立ってそこにいるんだから
(うん)
7.
ただ所詮推敲されてない文章は
書くことに意味があって
もしかしなくてもキミが読んでいるこの文は
俺の思考の整理の副産物つまり死骸
だから人に会って話を聞かなきゃダメなんだ
(死骸の方が一方的に食えるから俺は好きだけど)
いいかい
キミの見ている世界は多分
キミが思っているよりも残酷で
そこで生き延びるにはコツがいる
そのコツを教えてくれるのは誰だろう
今のキミにはわからないだろう
けど
そしたらちょっと
生きてみようって思えるんじゃないかな
いいかい
キミは特別な存在じゃないんだよ
(特別の定義からはじめろよ)
8.
そして全ての
「夢を語る」なんかクソ喰らえ
(微笑ましいじゃないか。どうしてそう邪険にする)
乗っている船の状態も知らないキミが
見ている夢はそう、本物の夢でしかないのだから
まずは今を分析することが
キミがすべきことじゃないのかい
(じゃあしろよ。いますぐにだ。三秒で分析しろ)
キミはバカにもなりきれないよ
馬鹿にされたっていいだろう。周りの目なんて必要以上に気にするな。
無駄な努力でもいい。むしろ無駄な努力も良い。無駄な努力をしてこなかった人間も、その人間を好きになる人間にも関わりたくない。自分で自分を嫌うような人間にはなりたくない。
前回:http://anond.hatelabo.jp/20101118000033
Rails勉強してみるかと思ってradrailsインストールしようと思ったら、インストールすら出来ない。
今日はもうやめておこう。いよいよ気が滅入って駄目になるだけだ。
自分に出来ることは少ない。
時間も少ない。
だったら何をすべきか?
いや自分は何をしたいのか?
落ち着け。
自分はそもそもスキルが無い。序盤で転ぶことが多数あるだろう。
今日の失敗はその一個目だ。
いや違うだろう。技術をつけたいのであれば、ひとまずvimで作ってても構わないだろ。
今はまだ開発環境に固執すべき時ではない。
つまりvimで頑張れば良い。
いや東京から来たらそりゃ田舎かもしらんけど、地味にあちこちに面白い店あったりするんよ!
外の人間の知らんおいしいものもいっぱいあるんよ!水が軟水だし、風が関東ほど乾燥しとらんけー、冬場の髪肌にええんよ!
というか、休みはどんくらいあるの?
土日出勤上等とかでなければ、なんか習い事いくとか趣味サークル入るとかしてみるのもええかもしれんよ。
もともとやってる趣味があればそっちでもいいし、スポーツ経験あったらムダにあちこちある体育館で市民サークル的なことやってると思う。そういうのだったらたいして金もかからんし。
あとは、やってたらmixiの地域コミュとかにもぐりこんで、オフ会出るとか。
会社辞める辞めないは別として、やっぱり会社の人としかしゃべらんちゅうのは精神に悪いけんね。
もし転職するとしても、会社&プライベートのほかにもうひとつバッファになる場所を確保するノウハウちゅうのは絶対また役に立つことだから、適宜探してみてください。
気持ちが落ち着けるようないい友達できるように、祈ってます。
相変わらずの弱腰外交がクッソミソにけなされてる日本政府ですが。
これってひょっとして、うまい具合にガス抜かれてんじゃないかなって気がしてならない。
中国にムカっぱら立ててる間は他のとこが気にならなくなるからなぁ。今後政府が妙に強気の態度取り出したら怖い気がする。
外敵作ってナショナリズム高揚って使い古された手ながら、使える手だよねぇ。
尖閣の重要さはこの際ちょっと脇に置いておくとして、まず日本人がブチギレるべきところはその辺じゃないような
気がするんだけど。俺が政府だったら頭を挿げ替えるか、いきなり態度を変えるかして色々ごまかそうとするだろうなぁ。
逆に考えりゃ民主党その辺ヘタクソなんだろーなとは思うけど。自民ならもうちょい上手くやったかも。
外敵の前に国家一致団結!みたいなきもちわるい流れにならないことを祈る。
まぁ、流石にシナリオの一つにはなってるような気がするというか、次に政権とる一番手っ取り早い手は
表面上中国となんとなーく敵対するような姿勢見せることだろうなぁと。超インスタントに支持率上げれるだろうし。
でも、それって非常に危なっかしい話ですよねーみたいな。
「尖閣」ってのは非常に重要なイシューなんだけれど。「ここは日本の領土だボケやんのかコラオイ?メリケン様の鉄拳いくぞああ?」って言っておけば結構何とかかんとか現状維持は出来るわけで。隣り合った国家が領土係争なんてフツーのことなわけですよ。ただ、これを機に変な流れが出来たらイヤだなぁ。尖閣は重要ではあるけど、もっとも大事なイシューってわけでは決して無いからね。それなら日銀が打ち出した今日のアレとかの方がずっと大事なわけで。
あれ結構頑張ってると思うんだけど、尖閣尖閣言ってるこの日本人の現状は、正直言ってあたまわるいと思うんだ。落ち着けおまえらと。それはおまえらのメシには直結しないぞと。そっちの方が優先度高くねーかと。尖閣の話するのはいいけど、ネットそれ一色じゃねーかよ。
まあ落ち着けよ。
横だっつってるだろ。
誰が被害者だよ。
多分人違いしながら勢いで書き散らかしちゃったんだと思うんで
(http://anond.hatelabo.jp/20100930215919←俺はこの増田じゃないから
「横」って書いているんだぜ?)
俺宛に書き直してもらったらレス返すかもしれない。
俺宛には別に何もないなら削除するなりスルーなりどうぞ
知り合いの知り合いの知り合いの(中略)の話であってあくまで僕の職場の話ではないのだが、とある職場に非常に有能な50歳くらいの女性社員がいたとしよう。いたとしたんだよ。その女性社員は、人とのコミュニケーションスキルが非常に高く、物事の理解も早く、またここぞというときに絶対に折れないだけの強さを持つ。しかし雰囲気としては女性的で、いってみれば職場のお母さん的存在といっていい。というより昔扇子持ってお立ち台で踊ってた雰囲気がやたら濃厚にするんだけど、あれ隠せてない。まあ知り合いの知り合いの遠い知り合いの職場の話だが。
そんな彼女の娘さんが、学生アルバイトのいない時期だけ臨時で職場に入ってくることになった。「あの人」の娘さんということで、職場の面々は興味津々で待った。女性社員いわく「鍛えてあるつもりなんだけどね。おっとりしてるところもあるから、がんがんこき使ってやってよ」とのことだ。娘さんは大学生。ふだんは遠い場所で寮暮らしをしている。
そして当日。確かに口数がそんな多いほうではないけれど、娘さんはよく働いた。これが臨時の戦力だなんてもったいないくらいだ。
しかし娘さんの真価があらわれたのは、別のときだった。その職場に、外人さんが来た。英語しか話せない人のようだ。なにか質問しようとしているのだが、だれも言葉を理解できない。そこに通りがかった娘さんは、その状況に気づくと、なにごともなかったかのようにネイティブ顔負けの発音で応対しはじめた。職場はパニックだ。「たいへんだ! 英語だ!」「日本語じゃない言葉しゃべってる!」「なんかrが来てる!」落ち着け純日本人ども。「時給500円アップ!!!」俺も落ち着け。まあ知り合いの知り合いの親戚の幼なじみの話だが。
「あ、そういえば妹さん二人いたよね。妹さんたちも?」
「ええ、みんな」
すげえ。英語三姉妹だ(まだ落ち着いてない)。長女がおっとりだった場合、末っ子はわがままだったりするのか。最近あんまり三姉妹設定の作品を見ない気がする。
姉妹3人揃って英語ぺらぺら。そういえば下の娘さんは、なんかこう、この地域ではまず行く人のいない進学校に入ったと聞く。
別の機会を探して主任は聞いてみた。
「職場だけでお母さん見てると、家でのあの人って想像がつかないんだけど、どんな感じ?」
「いつでもあんな感じですよ。あ、でも怒ると怖いかな」
「なんとなくわかる気がする……。どんなお説教すんの? 俺はいつもしっかりしなさいよ!って叱られてるんだけど」
「お母さん……店でもやってるんですか……」
「やってるやってる」
「負けるの嫌いなんですよね。負けるな、逃げるな、って。それはよく言ってます」
ああ。
娘さんの隙がない化粧。おっとりはしていても、わからない仕事があると食らいついてくる負けず嫌いの感じ。物怖じしない雰囲気。姉妹すべてに短期とはいえ留学の経験があること。英語が日常会話レベルでまったく問題なく話せること。そしてこの教育方針。「教育はねえ、お金かかるから」という母の言葉。
勝てる人間を作ろうとしているのだと思った。娘さんの母親は、おそらく50年の人生のなかで、ずっと勝ち続けるべく努力をしてきた人で、その戦いのなかで「効率のよい」戦いかたを知ったのだろう。
実は、個性的で強い自我を持つ母親のもとで育った娘ならば、もうちょっと抑圧された雰囲気なんじゃないかな、と事前に主任は思っていたらしい。しかし抑圧されて人のいうことに従うようでは「勝てる」人間にはならない。そこまで含めて女性社員は娘たちを育てたのだろう。独立していけるように。社会のなかで生きていけるように。
まったく、正しい。非の打ちどころが見当たらない。
しかし主任は思ったらしい。それでいいんだろうか。
主任の人は非常に育ちが悪く、人格もなんか変なふうに歪んでいて、歪んだ状態からどうやったら生き残れるかを考えてきたような人で、その結果としての現在には特に不満がない。しかしどこかでは恨みのようなものを持っている。その恨みが、主任の視点を歪めるのだ。まっすぐに育ってきて、負けたら戦ってでも勝ちに行き、努力を続け、明るい場所で笑っているような存在に対して。
なにが幸福かなんて、まったくもってどうしようもないほど主観的なもので、巨万の富のなかで懊悩に苦しんでいる人もいれば、明日をもわからぬ境遇のまんなかで爆笑しているような人だってきっといる。娘さんは、おそらく初期条件において恵まれているだろうが、そのことが彼女の未来を永遠に保証するものでもない。現在はそれなりに幸福である主任が、彼女に対して複雑な感情を持つ理由などまったくないはずだ。
その主任とこのあいだ酒を飲んだ。
「わかっちゃいるんだけどね。初期条件の違いってのはでけえなあ、ってな」
「まあ、そうかもね」
「まともな学歴なんか持ってなくても、まちがいなく仕事できるヤツってのはいるわけよ。だけど、どこかに限界がある。その限界ってのは、数字に暗かったりとか、それこそ英語しゃべれねえとか、立ち居振る舞いとかさ、まあいろいろなんだけども、親がどれだけしっかりしてるかによって、子供の限界が決まるってのは、あるんだろうなあ……ってな……」
「例外だってあるだろ。たくさん」
「そりゃあるさ。だが、例外が全体を保証するわけでもあるまいよ。スタート地点が違うってのは、でけえんだよ」
「おまえ、それグチか?」
「ああ……そうだ。グチだグチ。わかってんだけど……ままならねえなあ、こういうのは」
主任がそうした感情を表に出すような人間でないことは、大急ぎでつけくわえておく。
幸福とはなんであるか、という問いに対して一律の答えが出せないことと同じように、このエピソードに結論はない。知り合いの知り合いの妹の幼なじみのお兄ちゃんの話だ。僕の話ではない。
もっとも、たぶん僕の話でもあるのだろう。
おなかが減って減って仕方がないので即帰宅。
ご飯をたくさん好きなだけカレーを作ってもらって食べた。落ち着ける家での生活。
しかし、友達が家を訪れる。恐怖だった。
だから授業があったほうがましだった。
した?
ドキドキしてない?OK?
よし!もう一度貼っておくぞ!
http://anond.hatelabo.jp/20100825103546
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