はてなキーワード: 常套句とは
http://anond.hatelabo.jp/20100401093824
「全く最近の若者は……」「わしらが若い頃は……」というのは年寄りの常套句ですね。
その昔は新人類と言う言葉がありまして、情熱・覇気がない、良いのはテストの点だけ、応用力ゼロで無個性のロボット等々言われていました。
それは、詰め込み教育、受験戦争の過熱、共通一次試験などで、画一的な教育や外で遊ばなくなったため。
なぜそうなったかといえば、それまでの中卒高卒当たり前という社会ではなく、全体の教育水準を向上させなければ、これから先、先進国としてやっていけないから。
しかし、そういった問題が出たので、詰め込み教育はやめ、授業時間を削減して総合学習とか、多彩・個性的な授業を可能にし云々。
つまり、教育が成功したことなんてないんですwww
鬱っぽいなと思った時に気をつけておくといいこと
なる情報が話題になっている.
id:taan
ってやつだ.
一うつ患者として大きな違和感を感じるとともに,根拠のない情報でうつ患者を惑わせることに憤慨している.
こちらも大いに私見を交えるが,セロトニンを補給すればうつ病が根治するとは思われない.うつ病になるとセロトニンの代謝に異常が起きるので対症療法的にSSRIなどを服用しないとカラダ・ココロの両面が厳しくなるだけである.さらにそれを生産するアミノ酸を摂取せよとは非効率もこの上ない.
運動してもうつ状態は改善されない.される人もいるだろうがそういう人は根本的に掃除や運動が好きな人.うつになると掃除や運動などができなくなる.例え話で言えば,骨折した人は腕立て伏せができなくなるが,だからといって腕立て伏せをしなさいというのは暴論だろう.(一部,精神科医の実際の言葉を引用)
これもconventionalな精神科医の常套句.大体,こう指摘された患者は何をしても眠れない.その上膨大な睡眠導入剤で睡眠の質が低下することもある.それよりは寝たいとき寝て夜型なら夜型でも良し,というほうが睡眠の質が逆によくなるという事をこういうタイプの医者が知らないだけ.
これはまあいいけど,でもやはり違う.酒については“飲むな”だ.
そんなことみんなやったよ.何年も.でもどんどん悪くなったよ.
あんた,うつ病なんかなった事ないんだろうね
一般に、学生には時間が有り余っていますが、お金は足りていません。逆に、社会人はお金は持っていますが、時間が足りません。
学生にとっては、時間をふんだんに活かした戦略をとるのが有効で、対して社会人にとっては、経済力を活かした戦略をとるのが得策です。
また、「お金を持った学生」と「時間を持った社会人」の立場は、圧倒的に競争優位性を持ちます。
逆に、学生であれ、社会人であれ、「お金も時間もない(貧乏暇なし)」という事態は、何としてでも避けるべきです。これでは身動き一つとれません。
思うに、学生時代は、"ライバルとしての社会人"ということがあまり見えません。社会人になると、今度は学生のことが見えなくなります。
しかし、時代の突端をめぐる争いでは、学生も社会人も入り乱れることになります。
そのとき、自分の立ち位置の優位性と弱点を、把握しているかどうかは死活問題です。
もしあなたが学生ならば、時間をふんだんに投下して、社会人に立ち向かうべきです。
対して社会人であれば、経済力で学生を引き離しにかかるべきでしょう。
以上は、何も学生と社会人に限った話ではありません。自分の得意な土俵に引きずり込んで闘うのは、戦略の常套句といえるものでしょう
そのためには、常に自分の強みを意識しておくことが不可欠です。
もう1つの提言は
不断の問いとも言えるのですが、経済力がどれくらい大切かということは、なかなかに難しい問題です。
一般的に言って、手持ちのお金が少なくなればなるほど、お金のことがことが頭から離れなくなっていきます。
人間は弱いもので、本音で「お金は大した問題ではない」とか「お金よりも時間の方が大切だ」と言い切るためには、一定程度の収入が必要です。
お金はあって困るものではありませんが、なければ確実に困るものです。
ネットカフェに寝泊まりして、日雇い派遣の仕事をしている人たちにとっては、「お金がすべて」である可能性が高い。
彼らの心が豊かで、教養や芸術的感性に溢れているとは、考えにくいものがあります。
では、現代日本である程度まっとうな生活を営むためには、いったいどれくらいのお金が必要と言えるでしょうか。
独身男性が東京でひとりで暮らす場合、手取りで月に15万円(額面で20万円程度)くらいは必要です。
これくらいあれば、心がけ次第で、あまりお金のことを心配せずに、日々の生活を送ることができるでしょう。
月収が15万円あれば、"選択と集中"でデジタル機器や情報通信網をそれなりに充実されることも可能です。
手取りで月15万円を下回ると、"貧すれば鈍する"の言葉通り、どんどん気持ちが委縮していってしまいます。加速度的に"将来への不安"が膨らんでいきます。
手段は問わないので、毎月15万円以上の定収入は、確保しておくことです(学生であれ、社会人であれ、年金生活者であれ)。
「生活保護の支給額はもっと下だ」とか「節約すれば月に10万円の収入でも十分にやっているける」などの異論はあるかもしれませんが、それは別件です。
僕たちは、この人生において、何かを成し遂げるべく生きているのであって、「単に生存していればいい」という人たちに構っている暇はないのです。
生活保護対象者が、PCを何台も所有していたり、ipodやICレコーダーなどのガジェットを駆使した生活を送ることは、
おそらく許されない(金銭的にも倫理的にも)でしょう。
やはり、それでは困るのです。
この自由経済の世の中にあっては、一定以上の経済力があることは、前提条件です。
三流大学出身者が就職活動に際して"学歴フィルタ"にかかって、排除されるのと同じように、月収15万円(年収180万円)以下では、
高校の頃、同級生から「お前はオタクだ」と渋い顔で認定されてから、自分はオタクなのだと何となく意識しながら生きてきた。
そのときのその子の態度、口調、表情の端々から、非難の色が滲み出ていたので、オタクとは一般的に肯定されないものなのだと感じた。
普通の女の子の生活って面倒なものだな、と思いながら大学時代を乗り切った。
そうしたら段々とオタク趣味は薄れていった。だけど消えはしなかった。だから”自分はオタク”という意識も消えなかった。
大学を卒業し、正社員じゃないにしろ社会人になり、オタク趣味が始まった中学時代の友人らと久しぶりの再会を果たした。
ちょwおまww とか、~~ですた、など、風化しつつある言葉も当然のように用いる。
自分が女ならばそこは婿じゃないのか、という突っ込みはしなかった。
伴侶にしたいと思わせるほど魅力的なキャラクターに用いる常套句のだし、
何より「俺の婿」もしくは「私の婿」じゃ語感が悪いのだろうと勝手に思うことにした。
彼女らの嫁は複数いる。好きな作品が出来ればそれだけ増える。多分半年に1回くらい増えている。
果てなく増える逆ハーレムが羨ましいことこの上ない。それだけ惹かれる人物に出会えるのは素敵なことではないだろうか。
(しかし、嫁になる基準のひとつ、そしてもっとも大きな基準を担当声優とするのは頂けない。
これは彼女らが声優オタクになった頃から思っていたのだが、担当声優があの人だからこのキャラクターが好きというのは失礼なのではないかと思う。
キャラクター自身は勿論、その作品を作った方々に対して、そして担当声優の方に対して。
「リナの声が林原さんだから、声優が同じである綾波レイが好き」と以前友人が言っていた。
どちらも作品の中で段々と魅力を増していったのに、声優が同じだから好きだという。ましてや、この2名の場合は性格がまるで違うのに)
友人の一人はこの3月まではニートのような生活をしていたが、やっぱり昔からの夢を追いたいからと言って、4月から声優の育成学校に通い始めた。
また別の友人は、パートで働きつつ、地元のイベントやmixiなどで企画されたオフ会に参加。今はダンスに情熱を燃やしているようだ。
布代に給料を費やし、寝る間も惜しんでコスプレ衣装を作り、イベントがある度にその姿を披露する友人もいる。
正直、今の私には、イベントに行く情熱すらない。欲しいゲームを買って、遊んで、感想を書き込む。それだけで精一杯だ。
このように、未だに色々と活動している友人を見ると、私はそこまでオタクではないのか、と錯覚する。
そして、自分の趣味のために生きられる友人らを羨ましくも思う。
少し前まで、私はこの友人らを、自分の未来をまともに考えない人たち、と馬鹿にして、見下していた。(自分だって同じ穴の狢のくせに)
だけど、オタクな話をする友人らは心底楽しそうだった。
私は楽しくないわけではなかったけど、彼女らほど楽しめてはいなかったのではないかと思う。
先日の忘年会の際、上司に「若いんだからもっとはっちゃけろ」と言われたが、こういうことなのだろうか。
自分の未来が怖いから、色んな勉強をするより、今楽しめることを楽しんだ方がいいのだろうか。
(だけど、今を楽しむと後悔することになるのは経験上よく分かっている)
彼女らの生き方を羨ましく思うけど、だけど私は彼女らのような生き方は出来ない。同じオタクでも。
そう考えたら、自分がとてもつまらない人間のように見えてきた。それでも今を楽しんでリスクを増やすような生き方は出来ない。
私にとってゲームを初めとするオタク趣味は、心身を癒す「ただの趣味」だけど、彼女らにとっては「生きがい」そのものだ。
私と彼女らの違いは、たぶん尊重するべき違いだ。
私がオトナのふりをして、もっと将来のことを考えなさい、というのは失礼にあたることなのだろうと思う。
帰りの電車の中で、友人の1人私に言った。
「今からでも夢を追っていいんだよね」
私は答えた。
「夢はいつから追ってもいいものだよ」
その夜、彼女は静かに幕を下ろした - Attribute=51 のへたくそな改変です。
今年就職活動をしていた後輩(高学歴、非コミュの典型のようなやつ)を見ていて思いつきました。
無理やり当てはめたので読みづらい文章になってしまってすみません。
「今、行きたい会社があって、エントリーしようとしてるんです」と話していた2こ下年の彼は、
半年ぶりに飲んだ夜に「正社員にはなれませんでした」と告白してきた。
「細かく言えば派遣社員にすらなれなかったんですけどね」と笑いながら。
そして、今回うまくいかなかったことではっきりと思ったという。
「僕は社会に向いていない」と。同時に、
「もう、こういうことはしない」と決心したと。
「こういうこと」とは就職活動のことで、
大学を卒業間近の彼にすれば、それまでの社会のレールを外れるということにもなる。
この数年悩んで試行錯誤を繰り返してきた彼にとっては、人生を決断する重い意味を持つ。
今回の就活は賭けだった。賭けというより、今まで成長してきた自分にとっての集大成だった。
彼の理想は「過度に社交性が要求されない仕事」だ。だから、そういう企業の面接にいく。
けれど、面接をしているうちに少しずつ違和感が出てきてしまう。
仕事の能力より、コミュニケーション能力が要求され、いずれうまくいかなくなってしまう。
昔、彼はそれを企業のせいにしていた。
だが、歳を重ね、現実と向き合ううちに、少しずつ自分側の態度を振り返るようになり、
最近では、企業にうまく合わせられない自分によく落ち込んでいた。
いい企業だとわかるのに、自分が不器用すぎて、その人に合わせられないんだという。
「たぶんね、自分の奥底にさ、頑固だとか、子どもっぽいとか、そういうのがあるんですよ、きっと。
それが、その企業と面接を重ねるようになると、徐々に出てきてしまうんだと思う」
以前よりも、「奥底の私」はより、奥底に行っていたし、
以前よりも、他人とうまくかかわれたり、相手のことを考えられるようになっていた。
それは、これまで見ていた自分も驚かされたことで、人は変われるのだと、よく思っていた。
それでもなお、彼はうまく面接することができなかった。
うまくいかなかったという結果には、いろんな要素があったと思う。
相変わらず自己PRが悪かったかもしれない。
でもね、思うんだよ。
自己PRなんて、良い悪いじゃなくて、合うか合わないかじゃない?
学歴や資格だって、東大がいいという企業もあれば、高学歴は社内で浮くからイヤだという企業もある。
やっぱり、合うか合わないかだと思うんですよ。
でも、彼は「会えなくて」、「巡り会えなかった」。
会えないなりに、自分が会える企業とうまくいかせるよう、自分を変えてきたが、それも、うまく噛み合うことはなかった。
八方ふさがりのあまり、途方に暮れてしまう気持ちは聞いてて痛かった。
どうあがいてもうまくいかない、「もどかしさ」が苦しかった。
それをやり続けるなら、もう時間が残り少ないのだという。
そして卒業後働くなら、一生懸命仕事に打ち込みたいと言っていた。
だから、この就活は最後のチャンスだったのだ。
本当は仕事に生きたくて、そして私には仕事と趣味を両立する器用さはないのよと苦笑いする、彼の賭けだった。
「やー、ベタベタだけどさ。小さいときから家族とか、庭付き一戸建てとか憧れだったんですよ。
好きな人と結婚して、子ども生んで、家族で近くの公園に行ったりして。
全然大したことなくていい。そういうの。そういうのに憧れてたわけですよ」
「そして、いつかはちゃんとそうなるんだと思ってたんだけどさ、
歳を取るにつれ、あれ、あれってなって。
今ではもう…、わからない。わかんないねぇ。私の何が悪かったのか。
考え方とか、もっと企業ウケするようにすればよかったのか。
自分から積極的に行けばよかったのか、それとも控えめな方がよかったのか、
いっそ、専門にいっていれば、実はもっといい企業があったんじゃないかとか」
そう言われても自分もよくわからない。
運が悪かった、としか言いようがない。努力してなかった人ではなかったから。
強いて言うなら「好きなことに携わっていたい」という思いが強かった気がする。
でも、それは責められることではない。
もっとわがままでもよかったのかもしれない。
昔のままの彼の方が、もしかしたらうまくいったのかもしれない。
レールに乗って社会に出ようなんて無理に思わず、自由気ままな彼で良かったのかもしれない。
今となっては、結果論でしかないけれど。
しばらく泣いて、ごまかすように照れ笑いをして、
初めて社会のレールを意識したのは中学3年と言っていたから、7年間だ。
7年前、初めて社会に出ようと思った彼は、こんな結末を想像していなかっただろうにと、ふと思った。
他の人からすれば「22なんてまだこれからだよ」ということもあるし、
自分から決めつけてチャンスを失うこともないと言われるかもしれない。
あるいは、彼女が何と言われてきた「理想が高い」「妥協も必要」と、まだ、なお、言われるかもしれない。
「そう言われてしまえば、そうとしか言えないですよね」と彼は言う。
「もうねー、よくわからない(笑) わからなかった。なんだかもう、わからなかったな…」と小さく横に首を振っていた。
人が何かを諦める場面に立ち会うことがあるけれど、
最近はこういう話を聞くようにもなってきた。
何人か金持ちがいたりもする。
でも、就職している人たちのところには、こういう社会にはじかれた話はいかないんじゃないだろうか。
多少の負い目がある人だったら、話したくても、こんなことは打ち明けられない。
だから、就職をした人たちは、
こういう、やるせない決断の話を見たことがないんじゃないかと思ったりする。
自分は就職をしていないから、家族がいる楽しさや大変さは知らない。
逆に就職をした彼らは、目の前の彼が泣いた悲しみを、心底わかってあげることはできないだろう。
わからないでいてほしい、と思う。
最近では時効撤廃に向けて頑張っておられる被害者遺族の皆さん。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090503-00000030-mai-soci
司法や警察といった、物事を客観的に考えなければならない分野に、どうして主観的要因を持ち込む必要があるのだろうか。
身近な状況を想定しないと物事を考えられないというのは、単なる想像力の欠如だ。
もちろんそうではない。
彼らはただ、「裁判官も警察官も私たちの望むように動いてくれない」という不満から、
「私たちが置かれている状況をもっと考えてくれ」と言っているだけなのだ。
なんとなく思ったこと。
例えば、突如あなたの周囲でスカトロが大流行したとしよう。みんな暇さえあればスカトロである。
しかも泊りがけで。そしてあなたはスカトロが大の苦手だとする。これは実に好ましくない事態だろう。
このままでは仲間はずれになってしまうかもしれないから、何かしらの対策を講じる必要があるとする。
その際、スカトロはやめるべきという論旨で主張をしたところで、おそらく事態は好転しないのではないだろうか。
やめるべきである理由こそいろいろと考えられるが、どれも単なる我侭か大きなお世話かただの詭弁である。
こういうことを言われると、大抵人はむしろ頑固になると思う。
「スカトロは何の効果もないから、やるやつはアホだと思う」とか。
「スカトロはクソくさいからやめるべき」とか。
スカトロの効果など、やってる人が自由に感じればいいし、クソくさいこととやめるべきであることは、まったく論理の飛躍である。
そして大した根拠もなく差別という指摘をするのであれば、単なる中傷である。
とるべき対応としては、おそらく次のようなものに限られるのではないかと思う。
(1)スカトロが、例えば大規模な健康被害に繋がることを客観的に立証する。
(2)嫌々でもスカトロを練習して上手くなり、スカトロについて語る際の説得力を高める。
(4)「実はスカトロが嫌い」という人を探し出し、スカトロ嫌いで結束するコミュニティをつくる。
(1)は、対象物が公的な秩序に反することを利用し、対象物の価値を減じる手法だ。
公的な秩序は、コンセンサスが得られるなら道徳や倫理でもいいだろう。
究極はその対象となる行為によってリアルに逮捕されるような状況なのであって、成功すると非常に高い効果があることは言うまでもない。
ただ一方で、あまり教条的になると逆に主張の中立性が失われ、説得力に欠けることになるし、
他人が公秩序に反することをあまり大きな声で言うと、逆に名誉毀損の罪に問われることもあるという諸刃の剣である。
(2)も、対象物に対する他人の評価を減じる方法となり得る。
ある価値評価機軸に肯定的な論者の価値評価にもっとも影響を及ぼすのは、同評価機軸において相対的優位を有する、
いわゆるカリスマのような人物による指摘だろう。
相対的な劣位から同種の指摘があったとしても、お前に言われる筋合いはないという話にしかならなくても、
相手がカリスマであれば話は別である。ネットで有名な常套句、「ただしイケメンに限る」と一緒(か)。
(3)は、対象物に対する他人の価値評価に直接影響を与えることなく、代替品を持ち出すことによって、
相対的に対象物の評価を下げる手法であるといえる。重要なのは、代替品として対象と機能的に等価なものを探すことだ。
例えばその集団がスカトロに対して感じる魅力の根本(リビドー)が脱糞や自分の食糞なら、食糞でも飲尿でも大した違いはなく、
ふたつは機能的に等価であるといえる。一方、有名なプレイヤーとSMする機会があるなどの動機がある場合、スカトロではなんの代わりも果たさない。
(4)はつまり、仲間はずれになり孤立するという最大のリスクに対処する、既存コミュニティの代替としての新規コミュニティの構築である。
上記3が他者に対して代替品を提示するという話だとすると、これは自身に対する代替品の提示である。
ただひたすら文句を言っていたらなんとなく状況が改善した気がするというケースは、たぶんこのパターンだろう。
似たようなアンチが集ってもう寂しくなんかない、みたいな。
冒頭にあげた例では仲間はずれになるリスクが対処すべき課題であることが前提なので新規コミュニティの構築が対処法となるが、
現実には好ましくないと感じる原因はさまざまある。それ(リビドー)を見極めることが重要になるだろう。
ちなみにこの記事は、ただの文句に対するオルタナティブとして書いたつもりだが、
考えてみればただの文句がただの文句とみせかけた上記3に書いたようになにか別の意図があるものだった場合は見事に空振りに終わる。
あれだろー。
プロ市民⇒外で声高にわがまま言い放題。社会のためとか正義とか言いながら子どもの理屈。偽善者。
街宣右翼⇒天皇万歳がしたいとわがまま言い放題。本業は裏社会。表ではちょっと頭の弱い子。
ネット右翼⇒ネット弁慶の大学生・若手社会人の鬱憤晴らし。+ひっきー、ニートの鬱憤晴らし。
偽善を振り回しながら根っこのところではネット右翼と属性、性質ともに同じだから。同族嫌悪。
ネット弁慶さんは強い人に押さえつけられてて外では強くいえないからネットで暴言を吐き散らす。
でもって、ネット弁慶さんを外の世界で押さえつけてる強い人と同じ思考回路を持ってるのがネット評論家(左翼)さん。
彼らは声高に主張しないけど、出てきたネット弁慶を片っ端から潰しにかかる。
そう!みんな「社会不適合者」仲間なのさ!根っこでは!
初めての増田にして、いきなり愚痴混じりの長文になるであろうことを、まずはお詫びしておきたい。
「お前、増田は初めてか?力抜けよ」と流し見ていただけるなら幸いである。
先月、ウチの部署に新入りさんが来た。
前まで勤めていた会社は名の知れた某企業の下にあるシステム開発系らしく、
パソコンをガンガン使う部署としては「少なくとも、パソコンを使うことに抵抗は無さそうですね」「そうだねー」と期待していた。
私の勤務先は自社サーバを主軸とした統合的なサービス提供(つまりはASP業務)を主としており、
性質上、勤務体制は1日3交代のシフト制となり、朝も夜も関係の無い生活リズムになる。
その新入りさんとしては面接の折に、
「前までの経験を活かして、サービス・システム開発の部署に就きたい」
という意思を示していたようだ。
ただ、いきなり開発部署に放り込んでも右も左も分からないので、
まずはサービスの前線ともいえるサーバ運用部署で基本的なシステム内容を把握してもらい、
その後に開発側で腕を揮ってもらいたい、という説得を受けたらしい(という又聞き)。
当人がどこまで納得して内定を受けたのかは知らないが、それは私の預かり知らぬ所なので省略する。
さて、新入りさんの初出社の日。
上に書いた通りシフト勤務の部署だが、彼には1週間ほどは日勤扱いで大まかに業務を見てもらう形となった。
(新入りさん個人の事情もあったのだが、それは割愛)
初日からあれだこれだと教え込んでもパンクするだけなので、「こんなコトをやってるんですよ」という触りを見てもらう程度である。
タイミングとして私がシフトに入っている時で、「じゃあ今日からよろしくお願いしますね」と受け持った。
その、開口一番に聞いてきた一言。
「お給料ってどのくらい出るんですか?」
仕事である以上、誰もが疑問に思うことではある。それは分かる。
周りの人間は見ず知らずばかりで、話の切り出し方に戸惑う気持ちも分かる。
だが、「ここはどういう仕事をされている部署なんですか?」とかで切り出してくるとばかり思っていただけに、
のっけからそれかい!と突っ込みを入れたくなった。
アルバイトで入った子が聞いてくるとかならまだしも、
仮にも前まで会社に勤めていたのなら、むしろ仕事の内容について質問するとかが普通じゃないの?と思ってしまった。
サーバ運用・監視を主業務とする部署であるため、やることは毎日ほぼ同じである。
決まった時間に決まった処理がサーバ上で走ったことを確認し、エラーが出たのなら迅速に対応する。
よってパターン化された作業内容をノートにでも書き留めれば、それをマニュアルとして作業を進めることができる。
(Excelなどに書き留めて印刷するという手もあるが、アナログでもノート片手に作業内容をどんどん書き留めてもらった方が良い。
ドキュメントを書いて印刷するよりも、即利用できるからである)
その日もいつもと同じように処理を進め、彼には横でそれを見てもらい、所々でメモを取ってもらう形を想定していた。
――のだが、その所々で彼はメモを取らなかった。
彼はそこで、「システム的にこれはどういう風に動いているんですか?VB使っているっぽいですけど」といった質問ばかりをしてきた。
良い質問ではある。
将来的に開発部署へ行くことになるかもしれないことを考えれば、先々まで見越しているのだなと評するべきである。
しかしそれは先の話。
あくまで今は、今いる部署での業務内容に集中してもらいたいのだ。
処理がどういう風に回っているか、どういうシステムなのかという掘り下げたレベルの理解は、今の時点では求めていない。
我々の仕事は、開発部署が構築したシステムの下で正しく処理が動いているかを日々監視することにある。
監視する中でトラブルがあれば開発部署に問い合わせ、対応を要請する。
我々は次に動く処理を監視しなければならないので、対応はあちらに任せるのが常である。
システムの詳細まで把握しているに越したことは無いが、正直なところ、そこまで深い話は我々には求められていないのだ。
ましてそれが新人レベルならなおさら、まずはこれから任されるであろう処理の手順をしっかり覚えてほしいのだ。
ということを、彼に説明したところ、返ってきた言葉は、
「要はルーチンワークなんですね」
だった。
今にして思えば、彼のフラグは間違いなくこの時、一本折れたと思う。
1週間ほどの日勤を終え、次の週からは実際にシフトの時間に沿って出勤してもらうことになった。
(私の時はいきなり夜勤からだったが)早朝からのシフトでの研修開始である。
奇しくも担当はまたも私であった。
「朝方は何かと一斉に処理が回るんで混乱してしまうと思いますけど、
ひとまずは一番気を付ける業務から書き留めて覚えていってもらえば良いですから」
と前置きして業務を開始する。
彼には作業の大まかな説明をしてメモを取ってもらい、真っ先に覚えてもらいたいものは実際に進めてみてもらうことにした。
その1時間後、
彼はうつらうつらと寝こけそうになった。
無理もない話であることは分かる。
私が研修を受けていた時だって、正直眠気は相当にあった。
朝5時近くに起きて、7時前には出社して業務に入らなければならないのだから。
「すみません…」としょげ返る彼に対し、「まあ初日ですし、この時間帯はきついですから」と責めはしなかった。
そこから4日間、彼の研修を受け持ったが。
彼は毎日のようにうつらうつらと頭を揺らすこととなる。
彼曰く、「どちらかというと夜型の人間なので…本当にすみません」とのことだった。
寝こけまいと自分の頭をしきりに叩く彼を見て、自責の念を必要以上に背負い込むタイプ(ともすれば自傷癖の強い子)かと直感した。
かといって、じゃあ夜勤のシフトだけでいいよとも言えない。(その分、他のメンバーが早朝起床ばかりになるわけだし)
4日目を終える際に、休みに入る私は、彼に2つ+αのアドバイスをした。
その3日後、休み明けに出勤した私が耳にしたのは、彼に大きな稲妻が落ちたというものだった。
研修4日目を終える際に抱いた危惧は、見事に現実のものとなっていた。
あの翌日、彼は必死に作業手順をメモに残す様子も見せず、先輩が作業する横で眠りこけそうになったのだった。
先輩は激怒し、「ふざけるな、顔洗ってこい!!作業は全部俺がやるから、お前は触るな!!」と一喝したという。
ちなみに4日目の終わりに新人さんへアドバイスを送った後、私はもう一つの布石を打っていた。
その翌日から研修を担当されるその先輩と、私の上司に対して、4日間彼の動向を見ての感想を報告したのだ。
…ハッキリ言ってしまえば、チクりである。余計なお節介というか、一抹の罪悪感は覚えた。
しかし、いずれは業務を受け持ってもらうことになり、
そこでそれまでのように寝こけてしまい業務を落とすようなことになれば、それは彼一人の責任どころではなくなる。
酷な言い方をしてしまえば、「そんな危なっかしい要素を持った人には任せられない」のだ。
ルーチンワークの連続ばかりの部署ではあるが、だからこそ定められたルーチンは確実にこなす必要がある。
いきなりフルボッコにするわけにもいかないが、雇い入れるに値するかを見定める期間である以上は、報告に値すると思ったのだ。
そして報告のついでに、「ガツンと言うと一気に萎んでしまうタイプなので、ある程度は穏便に^^;」と付け加えた。
しかし、新人さんの頭の揺れように、先輩の堪忍袋の緒は切れた。私の布石は粉々になっていた。
早朝からのシフトの研修はひとまず終わり、深夜のシフトの研修が始まった。
サービスを提供している相手先の1日の業務データなどが一斉に集まり、翌朝までに然るべき処理が終わっている必要があるので、
最も監視には気を配らねばならない時間帯である。
「どちらかといえば夜型なので」と断りを入れてきた新人さんは、その言葉通りに朝よりも元気そうに見えた。
ところが、ここで彼のもう一つの悪い癖が出てきた。
メモ取りもそこそこに、「この処理はデータベースに対して云々」「エラーが出た際の対応は云々」と質問を投げかけてくるのである。
先に書いたとおり、そんな所までの理解は今は求めない。
ただでさえ処理すべきデータ量が他のシフトよりも多く、一つのミスのせいで翌日の客先の業務が全部止まりかねないのだ。
よって今は「このディレクトリのこの実行ファイルを動かして、出力されるログで処理が正常に終わっていることを確認・記録する」といった手順さえ確実に覚えてもらえれば、それで良いのだ。
そんなルーチンばかりがどんどん回るので、退屈に思えるかもしれないが、それがココの仕事なのだ。
エラーが出た際の対応だって、今の彼にはできっこない――だからこそ研修担当が付いていて、いざという時に対応を受け持つのだ。
という説明を彼にしたところ、ひとまずは頷いた。
ルーチンばかりでつまらなく思えるかもしれないが、結果としてそこで確実に業務をこなすことで、顧客が安定したサービスを使えるのならば、それを維持することこそが我々の最大の目的なのだと。
そのためにも、難しい話は後でいいから、まずは業務の手順をマスターできるように、万一手順が分からなくなった時のために、手元に持ち運べるマニュアルを作り上げていってほしいと。
しっかりとした会社なら新人教育用のマニュアルを随時用意・更新しておくのだろうが、あいにくとウチはそこまで時間と工数を割けずにいる。
だから新人が入るたびに、とにかく自分用のマニュアルを作り上げていって、それを元に手順を覚えていってほしいということを徹底している。
それが悪しき慣習となっているというツッコミはご勘弁願いたいorz
彼は「手書きでは上手くまとめられないので、Excelで書かせてほしい」と最初のうちに言ってきていた。
そこは個人の自由なので、結果としてモノができあがるならそれでいいと了承していた。
それと並行して、まずは一番初めに覚えてもらいたい業務を繰り返し実践させて、マニュアル無しでも進められるようにしてゆこうとした。
だが、いつまで経っても、どうにも手順がおぼつかない。
Aという業務があって、それを終えるためにa,b,c,dという作業を順にこなす必要がある。
だが、a→b→d→cとなったり、a→b→cで止まったり、時にはa→c→dとなったりした。
都度注意はしているのだが、どうにも改善が見られない。
a→b→dとやってしまって、次の業務Aの機会にはちゃんとa→b→c→dと行うのに、その次の機会にはまた作業が抜け落ちるのだ。
なにぶん、この業務Aはウチの部署の業務でも最重要に入るので、何は無くてもここの作業手順だけは早めにマスターしてもらいたいのだ。
その辺を何度か言って聞かせた、つい先日のこと。
「じゃあ業務Aの処理に入りましょう」といつものように処理を彼に任せて、私は隣で監視しようとした時である。
「手順a、手順bと進めて…次にcが走るのを適当に見ればいいんですよね?」と、彼は口走った。
未だかつて、私は人に対して怒鳴ったことが無い。それどころか叱った試しすらほとんど無い。
怒られるのが嫌いな上、叱られると何も言えなくなるという性格もあると思う。
自分がそんなだから、他人に対して強く出られないのだと思う。
まして先輩から雷を落とされてしょんぼりしたような新人さんに対しては、尚更である。
しかし、この時ばかりは違った。
彼が口走った内容に、耳を疑った。
「適当って何だ!ふざけんな!そんなにルーチンが嫌で退屈なら、もう帰っていいよ」と舌の先まで出かかった。
辛うじて、「今、仕事をする上で致命的なことを言ったのを分かってる?」と言うに留めた。
AAで表せば(#^ω^)
彼も私の声色の微妙な変質に気付いたのか、「すみません…」と応えた。
けれど、私はこの時確信を得た。
「彼は、この仕事がつまらないと感じている」と。
もっと正直な感想を言えば、「彼には無理だろ」とも。
かつて、私は今の所とは別の部署にいた。というよりも、入社した際にそちらの部署に配属された。
配属はされたのだが、自分の持ち得るスキルとはかけ離れた所であった。
だが、当時の上司Aさんや上役たちは私が力量不足であろうことを見越した上で、
「人手不足だし、少しずつ仕事の内容を吸収してスキルアップしてくれるなら、将来的な戦力として鍛えてゆける」
と、普段の業務の合間を縫って私を教育してくれた。
けれど、私の理解不足と勉強不足のせいで、徐々に足を引っ張り始めた。
呑み込みの遅さと、何よりも「適当にこなしていれば給料は出る」という許し難い打算が心の底にあったことが原因である。
そうして、とうとう私は稲妻を食らったのだ。
「このままの状態では、正直、お前はお荷物扱いのままだ。給料泥棒と言われたって仕方ないぞ」
上述のとおり、私は叱られると一気に黙り込む――まさしく、今回の新人さんのように。
自分が悪いことは分かっている、しかしそれを改善しようとする心掛けが今ひとつ持ち切れない。
そんな甘えた心さえも、上司Aさんは完全に見抜いていた。
私はいよいよ、解雇されても仕方ないと塞ぎ込む一歩手前までいった。
会社に来たくないという感情ばかりで、体調にさえ影響するほどに終始、気が滅入っていた。
だが、上司Aさんと取締役Bさん、そして今の部署のリーダーCさんが集まり、私を呼んだ。
B「正直に答えてほしい。今の仕事は、辛い?」
私「………本当に申し訳ありません。白状すれば、教えていただいたことも身に付いているかが分かりません」
B「そうか。傍から見ていても、最近の君は叱られてばかりみたいだったからね」
C「でも、君をこのまま解雇するのは、こちらとしても勿体ないんだ」
私「…いえ、ご迷惑をかける一方ですから」
B「そうだね、でも今のウチは人手不足だから。新卒で入った君を、このまま捨てるのは本当に勿体ない」
B「幸いに君は、パソコンは少なからず使える。この部署の仕事はハイレベルで君の手には負えなかったかもしれないけれど、
他の部署でなら君の最低限のスキルは役に立つかもしれない」
A「だから、これが最大限の妥協だ。来週からCさんの部署に移って、一から仕事を覚え直せ」
C「覚えなきゃいけない仕事は全然違う。でもそのくらいの方が君のためになるだろうし、気持ちを切り替えられると思うから」
B「後は君の気持ちとやる気次第。…まだ、頑張れる?」
恥ずかしいので今の部署では一度も明かしていないが、この年で鼻を啜りながら臆面もなく泣いた。
自らのあまりの情けなさと、こんな自分なのに何とか持ち直してくれることを願って拾い上げてくれた上司たちの気遣いに。
あれから数年が経って、こんな私も新人さんに物を教える立場になった。
リーダーシップなんてものはどちらかと言うとお断りしたい方で、誰かの下でバタバタと動き回った方が性に合っている…
という責任逃れの甘さは、相変わらず持ったままだ。
でもその分、自分がすべきこと、自分に任されたことはきっちりとこなすという自覚と責任は得ているつもりだ。
ルーチンワークばかりの勤務内容だろうが、自分が確実に作業をこなし、次のシフト要員へ引き継ぐことで、会社というシステムの歯車の一つが正確に回る。
それにより客先もサービスを安定して使えるというのなら、それは十分にやりがいのある仕事なのだと思っている。
休暇らしい休暇なんて不定期なものになってはいるが、それでも休みたい時にはきちんと休暇を与えられるし、自分の好きなことをできる。
彼がなぜ、ウチの会社を選んだのかは知らないし、聞かない。
「親に迷惑はかけられないから」と、実家を離れてわざわざ一人暮らしを始めたのだという。
交代制の勤務で親御さんの負担が大きくなるのを避けるというのなら立派な話だ。
これまでのやり取りから、
「実は前の会社でも折り合いが悪くて辞めさせられて、親御さんからも出ていけと言われたんじゃ…」
という邪推を得てしまっているのだが、それを質すつもりもない。
経緯はさておき、会社としては日々の業務を着実にこなしてさえくれれば、問題は無いのだから。
前の部署では何の役にも立たなかった私が、今の部署でのルーチンをこなしているように。
…個人的にはもう少し愛想よく応対してくれればと思うのだが、そこは会社に慣れてくれば解れてくるものと思いたい^^;
私一人で彼を変えられるとは思っていない。
変える手助けはしないといけないだろうが、最終的には彼の意志に任せるしかない。
ただ、上司や先輩に注意されたり叱られたりばかりの彼の姿は、かつての自分によく重なる。
かつて上司が私を何とか育てようとあれこれ模索した気苦労が、今になって分かる。
私の人生経験なんて上司からすればまだまだ青いし甘いものだろうが、
そんなものでも新人さんの育成(というよりは潰れないための配慮)の一助になればと信じて、もうしばらくは辛抱強く導いてゆきたい。
今でこそ言葉の端々に「こんなルーチンワーク…」という感情の見え隠れする彼が、数ヵ月後にはTPOを弁えてかっちりと仕事をこなしてくれるようになることを願って。
うわ、初増田でこの長さとかあり得ないだろ。
乱文、失礼しました。
はてブ、トラックバックで多くのお叱りや助言をいただいていたようで、恐縮です。
書き終わったらどこか清々した気持ちで眠っていたのですが、起きてふと記事を見直してみた反響があったことにびっくりしました。
「匿名なんだし」と高をくくって書いたのに、こんなに反応があるものなのかと。
2ちゃんねるとかでもROM専なので、ネット界隈での反響の速さと大きさに改めて恐れ慄いております。
一部、言い訳めいた追記というか返答をしたいと思います。
お叱りの方がどちらかというと多かったので、「気に病みすぎないように、感情的にならないように」と言い聞かせつつ。
答えになっていないことの方が多いかと思いますが、そこはご容赦をいただきたいです。
電子化したマニュアル、および印刷したマニュアルは新人さんには渡していっています。
ある物を全部渡して、「じゃあこれに目を通しておいて」と放り投げるのはさすがにブラック過ぎるので、その日の研修の内容と進み具合に応じてですが。
かつ、それだけで分かりにくい箇所もあるだろうから、実際に運用を経験してゆくなかで手元にノートを用意していってくれればいいですよと伝えてあります。
ただし、全ての業務でマニュアルが用意してあるかというとそうではない…というところが、「ああ、ウチは一般的にはブラック扱いか」と猛省すべき点その1ですね。
私が配属となった頃から顧客が増してきて業務内容も増えてきたので、
「マニュアルの整備は急いで進めないとまずいねー」と部署内・部署間で大急ぎで進めてはきているのですが、100%にはまだ達していないというのが現状です。
「人力に頼るサーバ運用ってどうよ?wwwww」とは弊社内での冗談の常套句だったりします。冗談で済んでいるうちが花か(;^ω^)
あと、「定常作業なんだから全自動化できるだろうよ?」というツッコミがいくつかありましたので、それについても。
大抵の作業はバッチやタスク処理なので、人間側はその処理の正常/異常を確実に監視すれば良いわけです。
ただ業務内容上、エラーやトラブルが発生した際の対応は、人力でやらなくてはならないのです。
相手先への連絡などはその代表例ですね。
そこら辺まで全部オートでやれれば人件費的にも工数的にも楽ができるのですが、会社としての規模がネックになり、環境作りで全員がデスマーチに陥るのでw
イニシャルコストとかランニングコストとかの話になるのでしょうが、既に回ってしまっているものである以上、難しいのが現状でして(;^ω^)
さすがに技術者・開発者志向の強いと言われるはてなか、鋭いご指摘ばかりで:(;゛゜'ω゜'):となるばかりです。
中でも↓にはギクリとさせられるものが。
どんな処理が走ってるかもわからずに、順番に処理が走るのを見てればいいってことを、
彼は「適当に」と表現したんだろ。
彼に興味を持ってほしかったら、中でどんな処理が走っててどんなロジックで正常/異常の判断をしてるか説明してあげればいいんだよ。
それとも説明できるほどあなたも中身知らないんじゃ?って思われてると思う。
白状します、増田はシステム開発やプログラム方面にはとんと疎いですorz
大まかなロジックについては増田も研修時に習い(まずは処理監視の手順を徹底的に教え込まれましたが)、後は実際に運用をひたすらこなしてゆくことで把握した経緯があります。
こういう会社が理系で無ければならないというわけではないでしょうが、増田本人は極めて文系の人間ですね。
「プログラム文も読んでみると良くできてるなぁ」と思い、自己研鑽のために勉強も進めてはいますが。
「そんなんにサーバ運用任せるとか無いわwwww」「お前らが悪いんじゃないか!」というお叱りはごもっともです。
増田のその程度のスキル内容などを見越した上で、元上司Aさんたちは最大限の妥協案を提示してくれたのだとは今でも思っています。
「プログラム方面では伸びないだろうから、せめて既存のプログラムの運用監視でなら行けるだろう」と。
最後の文で指摘されていますが、たぶん新人さん本人からもそう見られるだろうなぁとは、研修の序盤で予想していました。
実際彼にも「ごめんね、そっちは正直なところ開発部署に任せている現状だから、自分からは事細かに説明できない」と言ってあります。
同時に部署のリーダーも、「システム的に疑問に思う所があるのなら、こっちの基礎を覚えてから、改めて開発側に質問してみるといい」と言っていました。
「何だ、この先輩ダメじゃん」と言いたげな彼の視線は痛かったですけれどもw
で、そんな増田のいる会社は、人手不足を何とか解消すべく口八丁手八丁で彼を言い包めたのでした。
冷静になってみれば、まさにブラックの定型みたいなところなんだなと。
社員の年齢層が比較的近く、バタバタしながらも和気あいあいとしているから増田は好きなのですが…と思っているあたりが社畜ということかw
性格や言動の端々に人を小馬鹿にするような、それでいて自分をとことん卑下するようなきらいのある新人さんですので、
部署としてもどうやって育ててゆくか・接してゆくかはまだまだ模索の段階です。
IT業界が人的・組織的にどういうものかよくわからないけれど、
増田はチームで適性をみられて、今の職場に来たわけだよね。結果的に良かったじゃん。
増田もチームにチクるんじゃなくて、相談してその新人の育成案を考えてみたら?
あんまり善意がないのはわかるけれど、そうやってネガティブな面を根回しをするだけじゃ、人をつぶすことになるよ。
「あいつはこういうときは元気だから、こういう言い方がいいのかもしれない」
「開発に直結するような言い方がいいのかな?」
「あまりほめすぎると調子付くから、こういうほめ方にとどめておこう」
「こういうことをしたら、次はガツンと怒っちゃってください。それが彼のためですので」
貴重な助言だなと思いました、同時に猛省すべきだとも。
「どうにも彼の言動が気に入らない」と辟易しているのか、と顧みました。
皆が皆、自分と同じわけではないのだから、それを踏まえた上で接し方・育て方を考えねばならないですね。
増田は歯車として今の部署で働くことに何ら不満が無い(何だ、自分はMなのかww)のですが、彼はそうなることを望んでいるわけではない。
ならばそんな彼にどう接してあげるべきか、どう教えるべきか。上の後半4つのセリフは、今まさに部署間で飛び交っています。
引っかかっているのは、「彼は別にシステム開発を希望してきたのではなく、地元で働ければどこでも良いと思っているらしい」という話。
彼自身がそう口走ったらしいのですが……そうなるとまた少し話が変わってくるような気がします。
「だったらつべこべ言わずにくぁwせdrftgyふじこ!!!」と部署総出でツッコむことにならないのを祈るばかり。
ここまでで根付きかけてしまっている「気に入らない」という感情をひとまずリセットし、
少しずつでもお互いのためになること(彼の希望する、活かせる部署への異動も含めて)を進めてゆけるよう、ポジティブに考えてみたいところです。
書いている間にもはてブがどんどん増えていることに、一種の恐怖を覚えてきましたw
ちょwwwww人気エントリーで出るとかあり得んwwwwwwwwひっそり愚痴らせてくれればそれで良かったのですがwwww
あまり長居するのも何ですので、いくつかのトラックバック・ブコメに答えつつ、ひとまず締めとしたいと思います。
「追記だけでもう1エントリー書いた方が早いだろ」とは後の祭り。
分かっていますwww
「歯車・社畜でも俺は頑張ってる」という自己陶酔が皆無とは言いません(それを誇りと呼ぶかどうかは自他の見方の違いでしょう)。
いたら、ここまで鬱憤は溜め込んでいないし、増田にも来ていないお(´;ω;`)
まだ二十半ばを折り返したばっかりなのですが(´;ω;`)
そう呼ばれることを覚悟しないといけない時期か……人生早いなあ。
http://anond.hatelabo.jp/20081106154537
京都にはまったく縁のない人ですが。
http://www.tamagoya.ne.jp/manner/072.htm
http://www.m-n-j.com/town/entertainment/isako/bubu.htm
社交辞令だそうな。
手土産はとりあえず断りなさいとかと同じ、お客さんはとりあえず招き入れなさいor引き止めなさいって事で、
「いつでも遊びに来てください」というのと同じ、社交辞令を意味する常套句で、
「お元気ですか?」というのが、自分の体調を聞いているわけではないのと同じ、単なる挨拶らしい。
それと、「ぶぶ漬け」は「粗茶」と同じ、おもてなしを意味する謙譲語だとおもう。
「私がおごります」「いいえ私が」も似てるな。
ちなみに、うちの地方では「お客のお茶を切らさないように飲んだら注げ」というプロトコールがありまして、そういう意味で「お茶でも……」というのが常套句かな。色々な意味で。でも、場所により「注がれたお茶は飲み干しなさい」というプロトコールもあるようで。難しいですね、日本文化。
http://anond.hatelabo.jp/20081026030356
まずタイトルから
正しいコピペは「馬鹿なの?死ぬの?」なので、君はコピペもまともにできない人間なのだと読者に思われてしまう。
ただし、有名なコピペをわざと間違えて使ってみせてからネタの伏線として利用するという手法もなくはないので、まだ読者もこの時点では判断を保留して読み進めてくれるはず。
ライトノベルが特異な発想をしたモノ勝ちなのって、日常の人間関係や恋愛とかに乏しいから
特異な設定を取っ払うと、みんな似たような話しか書けなくて、それを誤魔化すために
煽り文として、かなり好調な書き出し。
ラノベを貶めるときの常套句を冒頭に配置することで、タイトルとの相乗効果で読者をうまく煽ることに成功している。
「日常の人間関係や恋愛とかに乏しい」の主語がわからないけど、これはタイトルから「作家」だと推測してなんとか読み進めることが出来る。
文学だって、この世の中で珍しいくらいの不遇を抱えているマイノリティな社会的弱者や
ありえないくらい、けだるげに思弁的な登場人物ばっかりなのって、そうしないと話が面白くできないからでしょ?
これも素晴らしい。
ラノベに限定した話だと思って読み進めていた、ラノベは読まないけど文学作品は読むというような読者に奇襲をかけることに成功している。
あいつらって、普通と違う発想でしか、普通と違う話が書けないから、普通の人に見向きされないようなニッチな話しかかけないんでしょ。
順調に読み進めていた読者の大部分がここでつまづく。
「普通と違う発想でしか、普通と違う話が書けない」って当然だよね?「普通の発想」で書けないから「普通と違う話」なわけだし。
ただ、「普通の人に見向きされないような」というくだりで、なんとなく「普通の人が見向きするような、それでいて面白い話」を君が理想としているのだということは推測できる。
「普通の人に見向きされる」っていう評価軸の導入が唐突過ぎるので、これについてはもう少し前置きが必要。
きっと、作家先生を祭りたてる読者も作家先生と同様に人生経験が薄っぺらなヤツか、分厚い人生経験をもってるやつがああ、人生経験無いわりに頑張ってるなーってニヤニヤ読んでるくらいなんでしょ?
ここはいい煽り文だ。
「作家先生」をバカにされて頭に来ていた「作家先生を祭りたてる読者」たちの怒りが一気に吹き上がることうけあい。
ただ、「ああ、人生経験無いわりに」のくだりはカギ括弧で括らないと「分厚い人生経験をもってるやつがああ」って若本規夫のモノマネみたいに見えてしまうので注意しよう。
予想される反論を的確に撃墜している。素晴らしい。
ただ、ここでタイトルのコピペの誤用がネタではなく素でやっていたことなのだと確定してしまっている。
本論に入る直前でのミスはかなり手痛い。
大部分の読者はもう後の文章を読まないし、読む人がいても君をバカにする目的で斜め読みするだけだ。
いちど斜め読みモードに入った読者の関心をもう一度取り戻すのはとても難しい。
そんなひとくくり出来ないような概念を、ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってるオタクどもってバカなの? 死ぬなの?
ああ、薄っぺらな作品ばっかり。
悲惨の一語につきる。
作者と読者のどちらをバカにしているのかもよくわからないし、「そんなひとくくり出来ないような概念」として並置された「学園異能」と「具体的な社会的弱者」の共通項も、それを通して君が明らかにしようとしているものもよくわからない。
「ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってる」についても説明不足。
でも事実を薄っぺらに表現するからこそ、有名な古典文学にしろ、すぐれたライトノベルにしろ、現代文学であっても、僕らは現実を間接的に直視する事ができるのだけれども。
「間接的に直視」という表現がそもそも語義矛盾を起こしているし、「事実を薄っぺらに表現するからこそ」「現実を間接的に直視する事ができる」という理屈もよくわからない。
それで、あたかも全部の世界や社会が語ろうとする。経験不可能なことを可能したつもりになってる批評家の方が人生経験が無いよね。
「批評家」という新しくでてきたキーワードがプロの批評家のことなのか、作品について語りたがる読者一般のことなのか不明。
でも、作家が言語化できなかったこと稀に言語化するからナイスじゃん、と思う時はある。
「何かをひとつのジャンルで語ろうとする事」が何を指しているのか不明。
「金型」というのがキーワードみたいだけど、これも前置きが必要。何が言いたいのかぼんやりとしかわからない。
まあ、経験の薄い作家先生のうすっぺらい人間の言葉にも飽き飽きしたし、それをわざわざ拡大解釈して言語化するフォロワーのうすっぺらい感性にも飽き飽きしたよ。
話の流れを唐突に遮っているので普通に考えれば悪文。
ただ、中間を飛ばしてここから読み出した読者が君の考えを三行で把握する役には立つ。
突然ブックマーカーに語りかけてもしょうがないだろう。
「次のステージ」というのが何を指しているのか不明。
ある女性に DS と Wii を貸して(貢いで?)半年が経った。まあ、愚痴なんです。みなさん適当に共感したり、反感したり、説教したりしてかまいませんぜ。なんでもござれ。
知り合ったきっかけは合コンという名の飲み会ね。あー、もう合コンだよ。都市伝説の合コンだよ。お互い20代後半かな。そのときは、新しく同年代の女性と知り合うのは1年ぶりぐらい。
それで、その合コンの話題でまあ、「DS と Wii は買ったけどほとんど遊んでないから要らないなー。君要る?」とまあ、半分下心ありの、半分冗談でしゃべっていたら、まあ、そこそこ反応が良かったというか、まあ電話番号メール交換ぐらいはしたのよね。
彼女に関しては、好みのタイプとは違うが、一般的にはかなり可愛い部類に入るし、自分も十二分に可愛いと思っていた。話を聞いた限りではそれなりにしっかりした考えを持っているようで、一度大学を適当に出て派遣やってたけど、それじゃあアレだから辞めて手に職をつける為に学校に通っている最中の学生だと言っていた。それで、まあ、話していて「なんだこいつ?」とモニョモニョすることもなかった。要するに、結構いいかな、いやかなりよい子なんじゃね?という感じ。
彼女はしばらくは忙しいらしかったんだけど、数ヶ月したら、向こうから連絡があって、んで DS と Wii の話をされて、まあ、半分本気だったので、適当におっけーな返事をしたのよ。それからしばらくは向こうからそれなりにメールとか来てたかな。うん。それで日時約束して会って飯食べて、一応所有権は俺持ちで、特に期限なしで貸したのよね。あーっと、こん時の飯の代金はお互いが食べた分を払う感じね。奢ろうかとも思ったが、その店の流れ的にそれがしづらかったのもあったので奢りにはしてない。
その時に、まあ、次につなげたいから、次の約束するじゃない。デートとかさ。そしたら、なんとか次もあったのよ。映画でも見にいかねー?みたいな。
それでそれから2週間ぐらいだったかな。後に映画を見に行ったのよ、2人でさ。んで、映画見たのよ。一応映画も自分の分は自分で払う感じだったわ。見終わってから、飯って思ったら、そうじゃなくて訳あって早く帰らないといけないから、お茶しようってなったの。ここで嫌な予感したのよね。
んで、スタバ入って適当な会話して、それでお帰り。ここの代金も自分の分は自分で。つーかスタバは奢りにくいっつーの。で、今度どっか似行かない?みたいなこと言ったら要するに忙しいと。あーね。そうですよね忙しいですよね。
となって、電車でお別れ。この時の相手の挨拶は、カイジが別室に墜ちる際の仲間のようだったね。つまり、霞のように現実感が無いって事。
その後のメールは、まあ忙しくて何時暇になるかわからないと、常套句。まあ、ここまで来るといつも通りだなあと。
それで、それから今日まで連絡なし。というか久々に思い出した。
この件でいろいろショックを受けたんだけど、いまいち整理しきれてないというか割り切れないというかなのよね。
追記
自分の分の飯代も出せない、相手にそれを期待してそれが駄目ならつきあわない、そんな女性は本気で願い下げ。だから上手くいかなかったのは問題なし。むしろ早めに気づけて良かった。の筈なんだけど、このもやもやはなんだろー?って感じ
ゲーム機は本気でわりと、どーでも良い。本気で部屋で邪魔だったので売りに行こうか迷ったところ。金は自分の趣味をするには十分過ぎるほど持ってる(というか自分の趣味が安すぎる)ので、金銭的には全く気になってない。これは本気。
相手との話が楽しかったかは微妙だが、自分は女性の免疫が極端に低くてその辺が(自分が楽しんでいるのかいないのか)さっぱりとわからないのもある。というか、いまいち女性と居て楽しいというのがピンと来ていない。経験積んでピンと来るようにはしたい。