2009-06-16

その夜、彼は静かに幕を下ろした

その夜、彼女は静かに幕を下ろした - Attribute=51 のへたくそな改変です。

今年就職活動をしていた後輩(高学歴非コミュの典型のようなやつ)を見ていて思いつきました。

無理やり当てはめたので読みづらい文章になってしまってすみません。

「今、行きたい会社があって、エントリーしようとしてるんです」と話していた2こ下年の彼は、

半年ぶりに飲んだ夜に「正社員にはなれませんでした」と告白してきた。

「細かく言えば派遣社員にすらなれなかったんですけどね」と笑いながら。

そして、今回うまくいかなかったことではっきりと思ったという。

「僕は社会に向いていない」と。同時に、

「もう、こういうことはしない」と決心したと。

「こういうこと」とは就職活動のことで、

大学卒業間近の彼にすれば、それまでの社会のレールを外れるということにもなる。

そのセリフは、就活が終わった人の常套句かもしれないけど、

この数年悩んで試行錯誤を繰り返してきた彼にとっては、人生決断する重い意味を持つ。

今回の就活は賭けだった。賭けというより、今まで成長してきた自分にとっての集大成だった。

彼の理想は「過度に社交性が要求されない仕事」だ。だから、そういう企業面接にいく。

けれど、面接をしているうちに少しずつ違和感が出てきてしまう。

仕事能力より、コミュニケーション能力が要求され、いずれうまくいかなくなってしまう。

昔、彼はそれを企業のせいにしていた。

そして「自分に合う企業がない」と、愚痴っていた。

だが、歳を重ね、現実と向き合ううちに、少しずつ自分側の態度を振り返るようになり、

企業だけでなく、自分にも落ち度があることに気づき出す。

最近では、企業にうまく合わせられない自分によく落ち込んでいた。

いい企業だとわかるのに、自分不器用すぎて、その人に合わせられないんだという。

「たぶんね、自分の奥底にさ、頑固だとか、子どもっぽいとか、そういうのがあるんですよ、きっと。

 それが、その企業面接を重ねるようになると、徐々に出てきてしまうんだと思う」

彼はこの数年間、自分性格を直そうとしていた。

性格というよりは価値観や考え方を変えようとしていた。

以前よりも、「奥底の私」はより、奥底に行っていたし、

以前よりも、他人とうまくかかわれたり、相手のことを考えられるようになっていた。

それは、これまで見ていた自分も驚かされたことで、人は変われるのだと、よく思っていた。

それでもなお、彼はうまく面接することができなかった。

うまくいかなかったという結果には、いろんな要素があったと思う。

相変わらず自己PRが悪かったかもしれない。

学歴資格がなかったかもしれない。

でもね、思うんだよ。

自己PRなんて、良い悪いじゃなくて、合うか合わないかじゃない?

学歴資格だって、東大がいいという企業もあれば、高学歴は社内で浮くからイヤだという企業もある。

やっぱり、合うか合わないかだと思うんですよ。

今の彼に合う企業なら、きっと日本中にたくさんいると思う。

でも、彼は「会えなくて」、「巡り会えなかった」。

会えないなりに、自分が会える企業とうまくいかせるよう、自分を変えてきたが、それも、うまく噛み合うことはなかった。

八方ふさがりのあまり、途方に暮れてしまう気持ちは聞いてて痛かった。

どうあがいてもうまくいかない、「もどかしさ」が苦しかった。

彼には趣味があり、音楽演奏するという趣味があり、

それをやり続けるなら、もう時間が残り少ないのだという。

そして卒業後働くなら、一生懸命仕事に打ち込みたいと言っていた。

だから、この就活は最後のチャンスだったのだ。

本当は仕事に生きたくて、そして私には仕事趣味を両立する器用さはないのよと苦笑いする、彼の賭けだった。

「やー、ベタベタだけどさ。小さいときから家族とか、庭付き一戸建てとか憧れだったんですよ。

 好きな人と結婚して、子ども生んで、家族で近くの公園に行ったりして。

 全然大したことなくていい。そういうの。そういうのに憧れてたわけですよ」

「そして、いつかはちゃんとそうなるんだと思ってたんだけどさ、

 歳を取るにつれ、あれ、あれってなって。

 今ではもう…、わからない。わかんないねぇ。私の何が悪かったのか。

 考え方とか、もっと企業ウケするようにすればよかったのか。

 自分から積極的に行けばよかったのか、それとも控えめな方がよかったのか、

 いっそ、専門にいっていれば、実はもっといい企業があったんじゃないかとか」

そう言われても自分もよくわからない。

運が悪かった、としか言いようがない。努力してなかった人ではなかったから。

強いて言うなら「好きなことに携わっていたい」という思いが強かった気がする。

でも、それは責められることではない。

もっとわがままでもよかったのかもしれない。

昔のままの彼の方が、もしかしたらうまくいったのかもしれない。

レールに乗って社会に出ようなんて無理に思わず、自由気ままな彼で良かったのかもしれない。

今となっては、結果論でしかないけれど。

しばらく泣いて、ごまかすように照れ笑いをして、

彼女は「社会に適用しようとする自分」のやめた。

初めて社会のレールを意識したのは中学3年と言っていたから、7年間だ。

7年前、初めて社会に出ようと思った彼は、こんな結末を想像していなかっただろうにと、ふと思った。

他の人からすれば「22なんてまだこれからだよ」ということもあるし、

自分から決めつけてチャンスを失うこともないと言われるかもしれない。

あるいは、彼女が何と言われてきた「理想が高い」「妥協も必要」と、まだ、なお、言われるかもしれない。

「そう言われてしまえば、そうとしか言えないですよね」と彼は言う。

「もうねー、よくわからない(笑) わからなかった。なんだかもう、わからなかったな…」と小さく横に首を振っていた。

人が何かを諦める場面に立ち会うことがあるけれど、

最近はこういう話を聞くようにもなってきた。

一方で、就職した人も自分の周りでは増えてきた。

何人か金持ちがいたりもする。

でも、就職している人たちのところには、こういう社会にはじかれた話はいかないんじゃないだろうか。

多少の負い目がある人だったら、話したくても、こんなことは打ち明けられない。

だから、就職をした人たちは、

こういう、やるせない決断の話を見たことがないんじゃないかと思ったりする。

自分就職をしていないから、家族がいる楽しさや大変さは知らない。

逆に就職をした彼らは、目の前の彼が泣いた悲しみを、心底わかってあげることはできないだろう。

わからないでいてほしい、と思う。

人生は常に分かれ道で、自分が進まなかった道の話は、わかるはずがないのだから。

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