一般に、学生には時間が有り余っていますが、お金は足りていません。逆に、社会人はお金は持っていますが、時間が足りません。
学生にとっては、時間をふんだんに活かした戦略をとるのが有効で、対して社会人にとっては、経済力を活かした戦略をとるのが得策です。
また、「お金を持った学生」と「時間を持った社会人」の立場は、圧倒的に競争優位性を持ちます。
逆に、学生であれ、社会人であれ、「お金も時間もない(貧乏暇なし)」という事態は、何としてでも避けるべきです。これでは身動き一つとれません。
思うに、学生時代は、"ライバルとしての社会人"ということがあまり見えません。社会人になると、今度は学生のことが見えなくなります。
しかし、時代の突端をめぐる争いでは、学生も社会人も入り乱れることになります。
そのとき、自分の立ち位置の優位性と弱点を、把握しているかどうかは死活問題です。
もしあなたが学生ならば、時間をふんだんに投下して、社会人に立ち向かうべきです。
対して社会人であれば、経済力で学生を引き離しにかかるべきでしょう。
以上は、何も学生と社会人に限った話ではありません。自分の得意な土俵に引きずり込んで闘うのは、戦略の常套句といえるものでしょう
そのためには、常に自分の強みを意識しておくことが不可欠です。
もう1つの提言は
不断の問いとも言えるのですが、経済力がどれくらい大切かということは、なかなかに難しい問題です。
一般的に言って、手持ちのお金が少なくなればなるほど、お金のことがことが頭から離れなくなっていきます。
人間は弱いもので、本音で「お金は大した問題ではない」とか「お金よりも時間の方が大切だ」と言い切るためには、一定程度の収入が必要です。
お金はあって困るものではありませんが、なければ確実に困るものです。
ネットカフェに寝泊まりして、日雇い派遣の仕事をしている人たちにとっては、「お金がすべて」である可能性が高い。
彼らの心が豊かで、教養や芸術的感性に溢れているとは、考えにくいものがあります。
では、現代日本である程度まっとうな生活を営むためには、いったいどれくらいのお金が必要と言えるでしょうか。
独身男性が東京でひとりで暮らす場合、手取りで月に15万円(額面で20万円程度)くらいは必要です。
これくらいあれば、心がけ次第で、あまりお金のことを心配せずに、日々の生活を送ることができるでしょう。
月収が15万円あれば、"選択と集中"でデジタル機器や情報通信網をそれなりに充実されることも可能です。
手取りで月15万円を下回ると、"貧すれば鈍する"の言葉通り、どんどん気持ちが委縮していってしまいます。加速度的に"将来への不安"が膨らんでいきます。
手段は問わないので、毎月15万円以上の定収入は、確保しておくことです(学生であれ、社会人であれ、年金生活者であれ)。
「生活保護の支給額はもっと下だ」とか「節約すれば月に10万円の収入でも十分にやっているける」などの異論はあるかもしれませんが、それは別件です。
僕たちは、この人生において、何かを成し遂げるべく生きているのであって、「単に生存していればいい」という人たちに構っている暇はないのです。
生活保護対象者が、PCを何台も所有していたり、ipodやICレコーダーなどのガジェットを駆使した生活を送ることは、
おそらく許されない(金銭的にも倫理的にも)でしょう。
やはり、それでは困るのです。
この自由経済の世の中にあっては、一定以上の経済力があることは、前提条件です。
三流大学出身者が就職活動に際して"学歴フィルタ"にかかって、排除されるのと同じように、月収15万円(年収180万円)以下では、