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2008-09-27

http://anond.hatelabo.jp/20080923201013

彼氏いない歴=年齢の女子大生増田です。

A先輩に返事しました。

電話でしようかなって思ったんだけど、それはやっぱり失礼かと思って、とりあえず「今日時間ありますか?」と電話

そしたら、「あるよ」って言われたので、会うことに。

うちの最寄り駅近くにあるカフェで待ち合わせ。

約束時間よりちょっと前に行くと先輩はもう来てて、奥のほうの席から手振ってくれた。

いろいろ考えて結論を出したけど、やっぱり実際に先輩を前にすると自分がすごくそぐわない気がして落ち着かない・・・。

けど、増田でもレスをもらったように、そんなこと考えててもどうしようもないし。

A先輩といるときはすごく楽しいし、サークル部室にいても会えなかった日は寂しい気持ちになったりする。

そんな日の夜に思いがけずメールもらったりすると、嬉しくなったりする。

憧れの気持ちが強いのかもしれないけど、ゲイノージンとかじゃない身近にいる人なんだから、いいよね、って思った。

だから、「よろしくおねがいします」って言った。

A先輩は「こちらこそ」って言った。

二人で頭下げて、なんだか変な感じだったけど、顔を上げて目が合ったらちょっと笑ってしまいました。

帰り道、やっぱり部屋の前まで送ってくれて、途中で「手、繋いでいい?」って言われました。

恥ずかしかったから「ダメデス」って言ったけど、結局ちょっとだけ繋いで帰りました。

「苦労してない手だなー」とか言いつつニヤニヤされたので、「ちゃんと自炊はしていますよ」って言い返しておきました。

「じゃあ今度、飯食わせてね」って言われたのでドキドキしました(´・ω・`)

ダイエットの話もちらっと。

「やっぱり一生のうち一度くらい標準体型になってみてもいいかなって思うんです」と言ったら、「じゃあこれから毎日、俺と2駅分歩くことにしよう」ってことになりました。

一人で黙々と歩くのは辛いけど、喋りながら歩くなら平気だろうからってー。

だけどほんとに、私のどこが気に入ってもらえたんだろう・・・。

聞きたいけど、聞きづらい。

何はともあれ、やっとこれで、彼氏いない歴=年齢を脱出です。

2008-09-16

間違えた

先日のことだけど出勤しようとして玄関を開けたら、扉の前にネズミ死体が落ちてた。気持ち悪いので見なかったことにしようかと思ったけど、帰ってきて腐敗してたらもっと気持ち悪い。よく考えたが、そのはゴミの日だった。逃すと次のゴミの日までネズミ死体とともに暮らさないと行けないかもしれない。意を決してちりとりですくって、ビニール袋に入れてゴミ置き場においてきた。かなり気分が悪い。電車に乗ってもなかなか忘れられない。そこで重要なことに気づいた。その日はゴミの日ゴミの日でも燃えないゴミの日だった。燃えないゴミの日ネズミ死体を出してしまった。帰り道ゴミ置き場を見たら、ビニール袋はなくなっていた。清掃局の人ごめんなさい。

カラオケ恐怖症を克服・・・できたかもしれない。

http://anond.hatelabo.jp/20080914232352

自分もカラオケ苦手“だった”人間なので、ちょっと書かせてください。

カラオケ行きたくない気持ち、痛いほどよく分かります。

人前で歌うのって恥ずかしいし、音痴だし。

点数制度も、正直いらない機能ですよね。

そのくせドリンク込みで3000円くらい平気で取られるので、学生には踏んだり蹴ったりです。

増田さんのように誘われてもなるべく歌わないようにして

なんッ・・・とか2時間をやり過ごしたりしていました。

でも、社会人になって上司との付き合いが始まってからその方法にも限界が来ました。

可愛がってもらっている上司カラオケに誘われたのです。

同席した同僚はスカウトが来るほど上手い人や元バンドマンなどそうそうたるメンバーばかりで、

次々と難易度の高い歌を平然と歌いこなすのです。

その中で自分は萎縮してしまって次の人にマイクパスしてしまいました。

「えー、歌わないの?なんで?」

ごめんなさい、ごめんなさい。でもだめなんです。

その日の帰りは社会人失格だと深く反省しました。

せっかく誘ってくださったのに、上司の顔に泥を塗るような真似をしてしまって。

このときは社内飲みだったのでまだマシでしたが、

これがもし社外の人も交えた打ち上げ接待だったらと思うとゾッとします。

で、このままではいけないと思って、カラオケ特訓はじめたんですね。

俗に言う「一人カラオケ」というやつです。

一人でカラオケなんて、なんだか友達いない人みたいで

すごく恥ずかしいと思っていました。

2ちゃん一人カラオケスレと、まとめwikiで予備知識つけて

勇気を出して近所のカラオケボックスに行きました。

最初は1時間だけ。

人目がないので、歌うのはなんでもいいのです。

最近の歌でなくても、人がいると白けてしまうマイナーだけど大好きな洋楽

ちょっと古いアニソンとか。

なんでもいいのでメロディーをたどれるやつで。

最近のリモコンはハイテク(?)なんですね。

前に歌った人の100件単位の履歴をたどれば必ず知っている歌があります。

そこで適当懐メロ系を入れて歌っていました。

でも終わった頃にはいつの間にか楽しくなっていてびっくりしたんです。

好きな歌をとにかく大きな声で人目を気にせず歌ったのがよかったんでしょうかね?

部屋を出て会計するとその日は平日だったので300円くらい・・・うわ、やっす。

狐につままれたような感じで店を後にしました。

帰り道、十数年来カラオケから逃げていた自分はなんだったんだと。

カラオケルームから出て残響音でアタマがボーっとしていたのですが

歌ってスカッとするのがカラオケの楽しさなんだな、と思いました。

以後、月に2,3回ペースでヒトカラをして、先日初の実戦に臨みました。

ちょっと緊張しましたけど、特訓のお陰で楽しめることが出来ました。

長くなりましたが元増田さんは、歌うことそのものに慣れていないからだと思います。

練習不足で本番に挑むと不安でしょうがないですよね。

それと同じでカラオケも練習すれば怖くないですし、楽しめると思います。

大学がはじまればきっと新しい友人とカラオケに遊びに行くことがあると思います。

願わくば、元増田さんがこれ以上カラオケで嫌な思いをしませんように。

【補足】

文中で私がお世話になったまとめWikiURLを追加しておきますね。

ヒトカラ @ wiki

http://www22.atwiki.jp/hitorikaraoke/

僭越ながらカラオケ初心者の私がひとつだけアドバイスするなら・・・

カラオケは恥を捨てることが一番の上達のコツだと思います。

が、

あまり気負わず、楽にいけるようになるといいですね。

2008-09-15

おもいで

夏休み自転車でどこまでいけるかと小旅行。計画も、地図も、お金も、何も持たずに。

国道をただひたすら進んでいた。途中大きな下り坂があって自転車はひとりでに進む。

ペダルを漕がなくても。何もしなくても。

ただ、ただ気持ちよかった。自分は今、世界一早いんじゃないかと思った。

子供心に凄く遠いところまできた事を知り、一同感動。滝のような汗と青空の下の笑顔

しかし、帰り道が解からず途方に暮れる。不安になる。怖くなる。いらいらする。

当然けんかになっちゃった。泣いてね??よ。と全員赤い鼻して、目を腫らして強がってこぼした涙。

交番で道を聞いて帰った頃にはもう晩御飯の時間も過ぎてるわ、親には叱られるは、

蚊には指されてるわ、自転車は汚れるわ。

でも次の日には全員復活。瞬時に楽しい思い出になってしまう。絵日記の1ページになっていた。

今大人になってあの大きな下り坂を電車の窓から見下ろす。

家から電車でたかだか10個目くらい。

子供の頃感じたほど、大きくも長くもない下り坂。

でもあの時はこの坂は果てしなく長く、大きかった。永遠だと思えるほどに。

今もあの坂を自転車で滑り落ちる子供達がいる。楽しそうに嬌声を上げながら。

彼らもいつの日にか思うのだろうか。

今、大人になってどれだけお金時間を使って遊んでも、

あの大きな坂を下っていた時の楽しさは、もう二度とは味わえないと。

もう二度と、友達と笑いながらあの坂を、自転車で下る事はないだろうと。

あんなにバカで、下らなくて、無鉄砲で、楽しかった事はもう二度とないだろうと。

2008-09-14

腐女子人生を狂わされた

私は、漫画が好きなオタクです。今は大学生で女の漫画オタクです。

しかし、BLには興味ありません。寧ろ嫌悪している側の人間です。

最近腐女子というと女のオタク意味も表すとされる様子ですが、此処では腐女子は「BLが好きなオタク」という事にします。そっちのほうが分かりやすいからです。

本格的に漫画が大好きになったのは中学の時です。

漫画アニメが大好きで、好きなキャラクターも居ました。友達との会話にもそういった話題がよくでました。典型的オタクです。

当時は漫画が本当に大好きで、自分でも描いていましたし、将来の夢も一丁前に「漫画家」でした。

結構本気でなろうと思って、少女漫画雑誌に投稿もしました。将来は色んな人に読んでもらえる漫画を沢山描くんだと意気込んでいました。

それぐらい漫画が大好きでした。

しかし、私は「オタク」でしたが「腐女子」ではありませんでした。

少年漫画でよくある、男同士の友情や競い合いにも、変なフィルターをかけず、素直に「友情」として感動していましたし、恋愛も男同士にして楽しむ様な事ことはありませんでした。好きなカップリングもノーマルで、男と女でした。

そもそも私は、男キャラより女キャラの方を好きになるタイプだったので、男同士の世界に興味を示さなかったんだと思います。

BL存在は知っていましたが「世の中には色んな人が居るんだなぁ」といった感じで、嫌悪したりする様な事はありませんでした。

しかし、高校クラスメイト腐女子が居て、彼女に出会って人生が変わりました。

人生と言うと少し大袈裟かもしれませんが、私にとって漫画アニメはそのぐらい大好きな存在なんです。

彼女典型的腐女子でした。男同士に少しでも関係があれば、即BLにして楽しみます。その男キャラ恋人の女キャラが居ても関係ありません。

対象漫画アニメといった2次元だけではなく、戦隊ヒーローアイドルといった3次元でもBLにして楽しみます。

オタクというと、「根暗」「無口」というイメージが定番で、私はどちらかというとこっちに分類されるオタクです。

しかし彼女は、世間一般のオタクイメージと違い、積極的で明るく、友達も多くて慕われて居ました。学級委員に推薦される程です。

その性格はオタクの話をする時でも変わらないという事が問題でした。

彼女は、いつもBL萌え話をします。

「〇〇(男)は〇〇(男)の事を愛しているんだ!」といった感じでです。勿論話題に出るキャラクターホモという設定はありません。

他にも「ノーマルは大嫌い!」とか「〇〇(BLカップリング)は公式なんだ!」とか、学校休み時間放課後になるとずっと話していました。

彼女BLを扱うHPを運営していましたので、授業中にこっそりHPにアップするイラストを描いて、昼休みになると私たちに解説しながら見せに来ました。

最初は友達付き合いもあるし、「彼女には彼女楽しみ方がある」と割り切って話を聞いていました。

しかし、私の好きな男キャラBL萌えをしたり、私の好きなノーマルのカップリングを否定するような発言をされてから、彼女の話を聞くのが億劫になりました。

女という生き物は、常にグループに分かれて行動します。私はオタクなので彼女と他数名のオタク友達と一緒のグループでした。

他にも腐女子は居ますがどちらかというと無口なタイプだったので、彼女が積極的にBL萌え話をしていました。

だから、本当に毎日休み時間毎に彼女の話を聞いて居ました。彼女とは帰り道が一緒だったので帰りも彼女萌え話を聞いて居ました。

しかも私の通っていた高校は、3年間クラス替えが無かったので、最初は遠慮がちだった、BL萌え話も年々エスカレートしていました。

同人誌を持って来た事もありました。

そして、仲良くなってからは、腐女子友達の輪を広げるんだと、私にBL萌えしろと要求するようになりました。

結局私はそっち方面には行かなかったので、最終的に彼女も諦めていました。

しかし、彼女BL萌え話はずっと卒業するまで聞かされていました。

毎日の様に彼女BL萌え話を聞かされた3年間でした。

本当に朝から晩まででした。他の子と話していても、結局はいつものグループにまとまるので、彼女か私が学校を休む事が無い以上、彼女BL萌え話を聞かない日はありませんでした。勿論土日は休みでしたが。

その生活はもはや「洗脳」です。私の交友関係は狭かったですし、休み時間毎に聞かされる彼女萌え話は、日に日に私の視野を狭くしていきます。

そして、そればかりの生活が続いて行き、私が彼女BL萌え話を嫌悪するきっかけが出来ました。

私に、BLフィルターが出来たのです。

ですが私はBLが好きではありません。好きなカップリングはノーマルです。

しかし、少年漫画の男同士の友情を見ていたら「BL」に見えてくるのです。

特に少年漫画恋愛より友情を重視する傾向がありますから、友情が多く恋愛はオマケみたいなものです。

そうなると、少年漫画恋愛をされても「このキャラは〇〇(男)が好きななのに、本当に彼女の事が好きなのか?」と頭の中で疑念が湧きます。

私が好きなカップリングが重視されていた話でも、同様の事が起こります。そのカップリングが大好きでずっとその二人の事を追いかけて読んで居たのに、水を差されたように、私にあった情熱が冷めて行きました。

私の好きな男キャラが出てきても、「〇〇(男)の事が気になるんだな」と思うようになってしまい、素直に「カッコイイ」と思えなくなります。

そうなってくると、私は彼女BL萌え話を聞くのが嫌になりました。

しかし、既に形成されてしまったグループを抜ける事は、友達が居なくなる事と等しい行為でした。

なので私は、彼女に「BL萌え話をするのを止めて欲しい。」と言いました。

けど、彼女は理解してくれませんでした。

彼女BL萌え話はいつもと同じ内容で、自分の萌えを周りに言って回りたい性分は変わりません。

それでも私は何回もやめて欲しいと言いました。

そして彼女は「あいつは他人の趣味を理解しない心の狭い奴だ」と言う風な目で私を見てきました。

他のクラスメイトに「あいつは腹黒だ」「悪魔だ」「私の事をいじめて来る」と大きな声で言いました。

彼女は上記で書いた通り、慕われていて学級委員をする程交友関係の広い子で、一方私は友達は少ないし無口で暗い典型的オタクです。

周りが私の事を、彼女を通して知る事に障害はありませんでした。

私はクラスメイトから「腹黒」だと思われました。逆に1度「彼女の方が腹黒だ」と言ってみたら、ものすごい剣幕で「は?そんなわけ無いじゃん!腹黒はお前だろ!!」と言われました。親友の言う悪口は笑い事でも、親友の悪口は結束を固めて反論する。それが女子の世界です。

私はそれをきっかけに、彼女に何も言わない事にしました。

それに丁度3年の1学期頃だったので、早く卒業してしまおうと思いました。

卒業して彼女と別れてしまえば、もう苦しむ事は無いだろうと考えたからです。

しかし、卒業してからも私の苦しみは変わりませんでした。

彼女とは全く会っていませんが、私の思考にあるBLフィルターは無くならなかったからです。

それに彼女と別れてしまった事で、前に「あいつは腹黒だ」とクラス中に言って回られた事を思い出し、怖い思いもしました。

高校の友達と遊んでも「もしかして…」と思うと、友達の笑顔が恐ろしく思いました。

次第に、あんなに苦しんだのにまだ苦しまないといけないのか、そう思うと「BL」の存在が腹立たしくなりました。

BL嫌悪していくと、その分BLフィルターが強調されてしまうみたいで、もう男同士で会話しているシーンでさえ、見るのが苦痛になって行きました。

こうなってしまうと、漫画を読む事そのものが嫌になって来ました。少年漫画は極力読まないようになりました。

対象少年漫画だけではありません。

少女漫画でだって同様の事が起こります。それに少女漫画の方が、BLネタにしている事が多いし、過去BL同人誌をだして居た漫画家さんだっているぐらいです。

少女漫画が大好きで、昔は少女漫画雑誌に投稿していたぐらいですから、将来の夢をもぎ取られたような気分がします。(私が漫画家になれる技量があるかは別にして)

特に最近は「となりの801ちゃん」や「腐女子彼女」といった腐女子を取り扱った書籍が出たりして、BL腐女子を見る機会も多くなったような気がします。

その事がさらに私を苦しめます。どうして私はBLが嫌いなんだろうか。いっその事BLが好きだったよかった。と自己嫌悪に陥ります。

しかし、BLへの嫌悪は増すばかり。

漫画アニメを見ても、昔の様に純粋に楽しむ事が出来ません。大好きなキャラカップリングが出てきても嬉しくありません。

昔はキャラの絵を描いたりしていましたが、それも出来なくなりました。

私はオタクなので、今までずっと漫画アニメ中心の生活でした。絵を描くのも大好きでした。将来の夢は漫画家でずっとそれに向かって頑張って来ました。

しかし、此処に来て、楽しみがなくなってしまいました。

今は漫画アニメもあまり読んでいませんし、絵を描こうという気にもなりません。

だからといって、別に何か趣味があるというわけでもありませんから、本当に毎日同じような生活しかしていません。

彼女はもともと行動力もあるし、普通の友達も多いので普通に話していたらとても面白く、思い出自体に不満はありません。

私が1番楽しかったのは高校の時です。

しかし、BLフィルターは無くなりません。

今の私は腐女子BLも大嫌いです。

だから、中学の時に決意した将来の夢も諦めようと思うようになりました。その事がさらに私のBL嫌いを悪化させました。

本当は、そんな毛嫌いをしたくはありません。それに、漫画を楽しむに当たって、BLというジャンルは切っても切れないものだと言う事も理解しているつもりです。

それに、今でも漫画家になりたいと思っています。

けど、現実で私は今でもBLフィルターに苦しめられ、楽しかった事を楽しいと感じる事が出来なくなりました。

腐女子が取り上げられて居ると、不愉快な気分になるし、極力関与しないようにしています。

最近ではオタクの女を総称して腐女子と呼ぶ様になっている事も嫌で、「私は、私を苦しめているあいつらとは違うんだ」と言って回りたい気分になります。

本当はこんな醜い感情を抱きたくありません。皆さんと仲良くしたいんです。

しかし、どうやっても出来ません。

腐女子への嫌悪は一向に収まらないし、BLなんて単語を見るのも嫌なぐらいです。

ホモが嫌いな女子なんていません!」なんて言葉があるようですが、私には侮辱にしか聞こえません。

BLが好きな人が多くても、全員がそうであるわけではありません。

自分自身もオタクである事には変わりませんし、普通の人から見れば、オタクのくせにオタクを嫌って…という風に見えてしまうとも思います。

私にも問題があるとも思っています。

簡単に「じゃあBLを好きになっちゃえよ!」という風にもなりませんし、そうならないから苦しんでいるんです。だからといってこのまま嫌悪し続けていても何も変わりません。

漫画アニメを読むなら、楽しく読みたいです。

ただの愚痴でしかありませんが、私はどうすればいいでしょうか…。

2008-09-09

ローリングサンダードリルシールド

俺の学校は山のふもとの盆地っぽいところにあるんだけど、俺の家は山の上にあって、まあ田舎なんでけっこう距離がある。毎日自転車で30分くらいかけて通学してる。で、今日学校帰り道の話。

学校出るときは降ってなかったんだけど、いきなり曇ってきたと思ったらけっこうな夕立が来て、こりゃいかんってんで通り道のトンネルの中で雨宿りしてたんだ。早く止まねーかなーみたいな感じで、トンネルの出口あたりでぼーっと空見てたら後ろから同じクラスの女子が来てさ。同じクラスっつっても、俺の学校は一学年一クラスしかないんだけれども。

こいつは帰り道が途中まで同じで、やっぱり自転車通学で、よく帰り道で会う。あんま美人ってんじゃないんだけど、なんか遊んでるっぽいチャラい外見してるのと、性格明るくて姉御肌っぽくて話しやすくて、男子からは割と人気が高い。仮に姉御と呼ぶ。

姉御:「増田じゃん」

俺: 「おう」

姉御:「雨宿り?」

俺: 「うん」

姉御:「あたしもそうしよー」

姉御はモロに降られたみたいで、もうズブ濡れと言っていいくらいビチョビチョになってた。そんだけ濡れてたらもう覚悟決めて帰っちまった方がいいんじゃないかと思ったけど、姉御自転車止めてガードレールに寄っかかって携帯触り始めて。

で、ビチョ濡れなわけよ。もう肌とか透けまくりでさ。俺はもうチラ見でガン見なわけですよ。背中とか腕とか、セーラー服がぺっとり肌に張り付いてて。なんかスポーツブラっつーの?色気も何もないようなゴツいブラが透けてて。黒。もっとエロい下着つけてるもんだと思ってたわ。んで思わず(なんか自制心とか完全にどっか行ってた。存在すら忘れてた)もうナチュラルにガン見してたら「何見てんだよ」って睨まれて。俺もう超キョドっちゃって、「(゜Д゜)え?あう、え?あ、あーあー、見てない見てない!」みたいな感じで。

やっべーなーと思ったんだけど、怒るのかと思ったら、にまーって笑って「まーあたしのナイスバデーにみとれちゃう気持ちもわかるけどねー」みたいなこと言いやがって、頭の後ろで両手組んでふざけたポーズまで取りやがって。ジョジョ立ちみたいな。したらまたブラとかヘソとか丸見えなわけですよ。「見てねえって!」とか言ったんだけど、ニヤニヤしながら「おまえホントムッツリだよなー」とか「見たいなら見たいって言えよ」とか抜かしやがるから、俺はトンネルの話を始めた。

「このトンネルって断面が丸いだろ」

「は?」

「このトンネル。円形だろ?」

「何言ってんの?」

「でも、この先にある小さいトンネルは卵型じゃん」

「えー?あー、そうかも」

で、シールド工法の話をした。卵形は昔ながらの掘り方で、円形より卵型のほうが縦の力に強いから強度的には有利なんだけど、シールド工法はでっかいドリルで一気に掘っちゃうから早いし安上がりで(トンネルと同じ径のドリルで掘ったことを彼女はどうしても信じなかった)、なんでシールド工法って言うかっていうと、掘るそばから穴の形に内側から丸いブロックをあてがって掘った穴を守っていくからで、これは外国トンネル技師がカイガラムシっていう変な虫を見て考案した方法で、カイガラムシってのは流木とか木造船とかを食い荒らす変な虫で・・・。

まあ俺自身ねーよと思うくらいあからさまに話題をそらしたんだけど、姉御はそれに乗ってくれた。俺があんまりキョドってたんで哀れんでくれたんだと思う。ちゃんと相槌打ちながら聞いてくれるもんだから、俺は少し得意になりながら喋った。

そのうち雷がものすごくなってきて、ゴロゴロじゃなくてバーンとかブォンとかガラガラとか言い出したんで、雷の話もした。雲の中で氷の塊がぶつかりあって静電気が発生してどんどんチャージされて、それが限界超えると地上との空間の間でスパークして、絶縁破壊っていうんだけど、で電流は光速で伝わるんだけど絶縁破壊の伝播するスピード光速より遅いから、スローモーションで見ると雷が雲から地上に向かって伸びてくのが見えるとか。で実は電子はものすごい遅くて、1秒に1ミリも動かないとか。昔は教会は神の家だから雷が落ちるなんて有り得ないし避雷針立てるなんて罰当たりな!って感じだったんだけどだんだん教会の尖塔が高くなってきて雷落ちまくって燃えまくったから教会もしぶしぶ避雷針を許可したとか。

そんな、学研かなにかで読んだような豆知識を必死に思い出しながらひたすら喋った。彼女がときどき寒そうに腕をさすってるのに気づかないフリをしながら、ただ沈黙が怖くて、黙ったら終わりだと思って、適当なことを喋りまくった。彼女は雷の話にはほとんど相槌を打ってくれなかった。そうしてるうちに夕立が上がって、俺たちはそれぞれ自転車に乗って、別れた。また明日、って。

震える彼女にそっと上着をかけてやるべきだったんだろうと思う。

まあ上着はなかったし、俺もけっこう濡れ鼠だったけどでも、たぶん、たぶんだけど、「寒いだろ、もうちょっとこっち来いよ」なんて言っちゃっても、ちょっと強引に肩を抱き寄せちゃったりしても、許された場面だったんじゃないかと思う。たぶんだけど。というか、そうすべきだったんじゃないかとすら思う。でも俺は、頭の中をそのことだけでいっぱいにしながら、口では愚にもつかないトンネルと雷の話をひたすら喋っていた。雷の轟音のたびに彼女がビクってするのに気付かないフリをしながら、ベンジャミン・フランクリン雷雨の中で凧揚げをして雷が電気だと証明した話なんかをひたすら喋った。彼女の顔は見れなかった。

俺はゴミ野郎だ。チンカスに住む微生物ほどの価値すら無いクズ野郎だ。

2008-09-08

駄菓子屋にて -老婆は座して死を待つ-

「今でもな、口だけは達者なんよ」

埃が積もった商品のない棚、空っぽアイスクーラー

一見廃墟にすら見える店内で,100才にもなろうとしている彼女は呟いた.

この日僕ら双子の兄弟が、この駄菓子屋を訪れたのは全くの偶然だった.

10年以上前、僕らが小学校だったとき、その駄菓子屋は僕らの社交場だった.

親からもらった100円玉を宝物のように握り締めて、少年達がそこを訪れる.

10円ガム、20円のチューベット、5円のメンコ。

50円で当てたくじびきの一等賞。かけがえのない、価値あるゴミたち。

その頃、100円は確かに大金だったのだ。

また、キラキラに光るメンコたちもそこでは価値ある交換財として流通していた。

そこはまさに僕らの経済の中心地だったのだ。

のみならず、そこは政治の中心地でもあった。

放課後夕焼け空の下、僕らは店の前で毎日真剣に討議していた。

議題は、教室内における権力闘争から3流ゴシップまで幅広い。

例えば、とある日の案件は担任の先生が「バツイチ」であることについてだ。

2時間に渡る討議の末、ぼくらは「バツイチ」を「何かあまりよくないこと」であると定義した。

あるいはクラス独裁者たる某君が一日に何人の

女の子を泣かしたか、など話題には事欠かなかった。

兎にも角にも、僕らは毎日その駄菓子屋に入浸っていたのだ。

最後にそこを訪れてから一体何年になるのか、思い出せないほどの時が経った。

ましてや大学東京に行った僕はもはやその駄菓子屋存在すら忘れていた。

再びその駄菓子屋を訪れたきっかけは、祖父の一周忌だった。

有難いお経を眠気に打ち勝ちながら聴き、

1万回ほどは繰り返されてるであろう親戚との会話を嗜み、

へとへとに疲れた法事の帰り道、たまたまその駄菓子の前を通った.

外から見る分には以前と何も変わらない様子の駄菓子屋の戸が開いていた.

「珍しい、ここ半年ぐらい戸が開いてなかったのに」

弟が気づいた。せっかくだ。十数年ぶりにあの店で何か買おう。

懐かしさも手伝い、我々は店の中に入ってみることにしたのだ。

戸の前まで来た、僕らは足を止める。様子がおかしい。

入り口から覗き込んだ駄菓子屋は、もう駄菓子屋ではなかった。

立ち込める埃独特の匂い、棚に張った蜘蛛の巣。

そこには廃屋と呼ぶにふさわしい景色が広がっていた。

「ここ、もうやってないんとちゃうん」

そう呟きつつ中に入る。

おそるおそるカウンターの方を眺めると、

そこには麦藁帽子を被ったしわくちゃの店主が座っていた.

僕の存在に気づいた店主が、ゆっくりと顔上げる。

「すまんなぁ、もう何も売ってないんやわ」

と申し訳なさそうに言った、その時弟も店内に入ってきた。

ゆっくりと顔を上げてスーツ姿の2人を交互に眺めた店主はつぶやいた。

「あんたら増田はんか?」

店主は双子の僕らのことを、憶えていてくれた。

そのことに、驚きと喜び、そして懐かしさがこみ上げた。

「店、もう、やめてしもたんですか」

戸惑いつつ尋ねる僕に、店主は答える。

「もう、しばらく前からやっとらんのよ。

 今日はな、たまたま用事があって、ついでに店よったんよ。

 ここおったら顔なじみが来てくれるからなぁ。」

なお続けて、店主は語る。

「ちょっと前までは、アイスクリームだけ売ったりしよったけどな。

 もう今はスーパとかで特価で売いよるから、こんなところで買ったら親に怒られるやろ」

僕らのかつての経済の中心地は、あっさりと巨大な資本主義の渦に飲み込まれていたのだ。

「けど、元気そうですね」

「今でもな、口だけは達者なんよ。もう体が痛ぁなって動かんもんな」

「そんなこといわんと、長生きしてくださいよ」

「いやぁ、あんたらもう結婚するような年のに、こんなに生きとって申し訳ないわ。

 お迎えが来るんを待っとるんよ。」

意味がわかりつつも、こういう時どう言葉をかけて良いかまだ知らない僕は、

鸚鵡返しをしてしまう。

「お迎え?」

「中々な、父ちゃん、迎えにこんのよ。

 早よう向こう行きたいけど、中々向かえがこんからな。

 こっちから行くわけにもいかんからな」

店主が朗らかな笑顔で呟くと、ゆるやかな沈黙がしばし場を包み込む。

「会えて、良かったです。」

弟がフォローにならないフォローをする。

「また、来ます。」

僕がそう呟き、二人は駄菓子のない駄菓子屋を後にする。

駄菓子屋から出た後、外から駄菓子屋をもう一度眺めてみた。

入る前は何も変わってないように見えた駄菓子屋

改めて見ると、戸は少し歪んでおり、壁の色は以前よりもずっとくすんでいた。

帰り道、頭の中で輝かしい思い出と、廃屋で朗らかに終わりを待つ店主の顔が交錯する。

あらゆるものが、目まぐるしく変化していく。

しかし、それでも店主は僕らのことを覚えていてくれた。

そこには、意味があるのだと思う。

2008-09-02

けんか。

彼氏喧嘩

帰り道にオッサンに絡まれる

彼氏電話で報告。

私「と、言うわけで今すぐ迎えにきて!」

彼「えーうそ、なにされたのー?

  ばっかだなーシカトしないからからまれるんじゃんかー」

私「(イライラ)いいから迎えにきてよー」

彼「おっけー、今むかってるとこー」

私「いやーしかしきもかったよー(数分経過)んで、いまどこー?」

彼「いや、おうちのPCの前」

私「は?うそ、(私が怖い思いをしてるのに)信じらんない!」

がちゃっ

数分後・・・

電話がかかってくるが コンビニでのうのうと立ち読み中の私。

数回目の電話に応答

私「なに?(キレ気味)」

彼「いまどこなの?俺駅まできてんだけど(家にいるって言うのは嘘だったらしい)」

私「コンビニだけど」

彼「お前のためにこんな遅くに出てきてやってるのになんなんだ。むかつく!」

がちゃっ

まぁ、上記のような流れで今ちょっときまずいかんじ。

とりあえずあやまったけど。

そもそも、普段、「もう向かってる」とか言いつつ 実はまだ家とかいう前例が何回もあるから、そーゆーうそ信じちゃうっていう。まったくオオカミ少年はこれだから・・・ブツブツ・・・精神状態に余裕がある時は それが嘘かどうか見極めるくらいのことが出来るけど今回はまったく余裕なんて存在しなかったし・・・ブツブツ

つか、元はと言えば、あの絡んできたクソ親父がわるい!

あー、踏んだり蹴ったりってこの事か。

ゲイとかなんて全然いってほしくないんだ。ちょっと腐女子きどりたかっただけなんだ。俺→私に修正しました。ごめんなさい。

2008-08-24

のぶなが事件簿

小学生のころ、のぶながという友達がいた。

そいつのことについて勝手に書こうかなとおもう。

いつも黄色い半ズボン姿に、Tシャツを着ていた。

ちょっと小太りな男子だった。

そんな小太り男子引き起こした、印象深い事件だ。

5年生の一学期夏休みが始まろうかという頃、

先生がある漢字テストを行った。

そのテストには、3回挑戦できる代わりに、必ず満点を取ることが要求された。

満点が取れなかった生徒には、夏休み宿題が追加された。

出題された漢字を1日1ページ。約40ページ埋めて提出すること。

なかなか凶悪な宿題だった。

のぶながはそのテストに落ちた。

そして、漢字40ページの宿題が追加された。

3人くらいしかその時落ちなかったが、このときはまだ

のぶなががあんな面白いことになるなんて、思いもしなかったよ

夏休みが終わった。

みんなが夏休みの工作とかを持って元気に登校してくる。

のぶながもやってきた。いつもの半ズボンで。

朝の会を終えて、担任がいよいよ

漢字宿題、やってきてるよなぁ。。ここ持って来て」

と言った。

結果、3人中やってきたのは1人だけだった。

のぶながもノートを持ってこなかったようだ。

忘れてきた2人は起立させられた。

担任は若干切れ気味で、「やってきてるんか?ノート忘れただけなんか?」

と凄んでいた。

今考えると、この担任も少しおかしな男だった。

男子からはキャッチボールの相手してくれたり一緒にドッチボールしてくれたりで、

けっこう人気があったが、お気に入りの女子をよく膝の上に乗っけていたり

セクハラっぽい言動もちらほらだった。

この前久々に地元に帰ったら、生徒に手を出したが断られたことに逆切れして

相手の親の車をめちゃめちゃにしたとのことで、逮捕されてた。。

この日はまだ初日ということで、つるし上げも10分も経たないうちに解かれ

2人は席に座ることができた。

2日目、3日目とプレッシャーがかかるうち、

のぶながじゃない方のやつも、ノートを持ってきた。

明らかに徹夜して書いたっぽい、目にクマができている。

のぶながは、まだ持ってきていなかった。

4日目、のぶながはまたノートをもって来なかった。

担任は、ぶちぎれた。

「やってあんのか?え?おい!」

宿題のカツアゲだ。

「やってあります」

のぶながはこの4日間、一貫してこの言葉を発し続けていた。

もともの口数の少ない、ただの小太りな男だったが、

凛とした表情で、繰り返していた。

「やってあります」

その言葉に、担任も3日は我慢できたのだが

4日目で限界が来たのだろう。

ぶちぎれ具合が半端じゃなかった。

「お前、やってへんねやろ!?おい!!」

起立したのぶながを、なぜか教室の隅に追い詰める担任。

のぶながを教室の隅のピアノのところまで、追い詰めた担任は

両手を振り上げると、のぶながの顔を両側からビンタした。

ビンタしたというか、ものすごい音を響かせながら挟み込んだというべきか。

のぶながの鼻から相当な勢いで鼻血がでてきた。

完全に静まり返った教室の中で、ぽたぽたと鼻血を出し続けるのぶなが。

担任は鼻血だらだらののぶながにティッシュを渡すと一言、


「とってこい」

のぶながはノートを取りに帰らされた。

絶対やってあるはずないのに。

そして、通常とおり1時間目の授業が開始された。。

2時間目の授業が始まる前に、担任は少しおかしなことを言い出した。

「のぶながが宿題やってあると思う人、手挙げて」

誰も、あげなかった。

「な、やっぱりそう思うだろ?」

こいつ、何がしたいんだろう。

給食時間になったが、のぶながはまだ帰ってこなかった。

家までは歩いて20分もないはずだから、明らかにおかしかった。

少し焦る担任。

同級生を数人連れて、車で捜索にでかけた。

のぶながは、家に帰れず、周りをうろうろしているところを保護された。

同級生と一緒に車に乗って帰ってきたw

この日は担任がちょっとびびってしまったらしく、

宿題は明日で良いから、ということになった。

5日目の朝。

教室は、のぶながの話題で持ち切りだった。

今日こそノート持ってくるのか、持って来てなかった場合何が起こるんだろう。

というか、担任の怒鳴り声を毎朝聞くのは最悪な気分だったので

早く終わって欲しいという声が大半だった。

のぶながは、遅刻ギリギリで学校にやってきた。

担任が教室に入り、朝の会が始まる。

「おい、今日は持ってきてるやろな?」

のぶながは平然と言い放った。

「すいません、わすれました」

した、を言い終わるかどうかの内に

担任はのぶながに内股を決めていた。

確実に一本だった。


「とってこい」


のぶながは廊下に追い出された。

実は4日目に車で帰ってきたときに、ノートはおばあちゃんの家に忘れていて、

夜持ってきてくれるみたいな話をしたらしいのだ。

だから、また取りに行かされた。

そして、1時間目の授業が始まった。。

2時間目が終わっても、3時間目が終わっても、のぶながは帰って来なかった。

そして、給食時間になり、担任は2度目の捜索に出かけた。

しかし5時間目に担任は一人で帰ってきた。

帰りの通学路にも、昨日見つかった団地の外周にも、のぶながはいなかったらしい。

のぶながは行方不明になった。

6時間目の授業も終わり、放課後になっても、以前消息は不明のまま。

帰り道にみんなでのぶながの居そうな場所に寄ってみたが、見つからず。

担任も結構焦っていたような気がする。

自業自得なのにw

一方クラスのみんなは、そんなに心配していなかった。

というか、毎朝のやり取りが面白過ぎたため、他クラスまで巻き込んで

ものすごい話題になっており、ついに失踪したことで

のぶながついにやっちまったw という感じだった。

陽の落ちた頃、担任は、警察に捜索願を出した。

夜中も警察と担任と、のぶながの親でいろいろ探していたみたいだが

翌日の朝学校に着くと、まだ見つかっていないらしいということだった。

担任は明らかに疲れている表情だったが、1時間目の授業を始めた。。

3時間目の中ごろ、いつも昼時のチャイムを鳴らす有線放送から、役場の広報が入った。

いつもは、地域の人の訃報とかが流れてくるやつだ。

でもこんな時間になぜ?

いまでも覚えている、とてもお茶目な放送だった。

こんにちは広報○○町です。

 ○○小学校の、○○のぶなが君が、現在行方不明となっています。

 黄色い半ズボンを履いた、やや太目の男の子をお見かけになった方は

 ○○町役場までご連絡ください。

 繰り返します。。」

クラスは爆笑に包まれた。

有線放送の甲斐なく、その日ものぶながは見つからなかった。

しかし、その翌日にのぶながは意外とあっさり捕獲された。

隣町のコンビニ朝ごはんを買おうとしていたところを、

なぜか親戚に発見されたのだったw

警察事情を聞かれたりして、のぶながはその次の日に帰ってきた。

しばらくの間、みんなのヒーローだった。

学校を追い出されたのぶながは、やっぱり家に帰れなかったらしい。

そして、隣の町までぷらぷら歩いて行ったとのこと。

隣の町には大きな古本屋があり、そこでやわらちゃんを全巻読破。

その後、近くのスーパーで晩御飯のかわりにソーセージ(魚肉)を買ったらしい。

夜となって、泊まるところといっても、ここは三重の片田舎

ラブホテルしかなくて、のぶながは、近鉄の高架下で一晩明かすことにした。

そして、高架下で、ダンボールを敷いて眠ろうとしたところ、

犬が近づいてきたらしい。ソーセージはその時取られたと言ってました。

そして次の日の朝、親戚に見つかり保護される。。

いろいろお騒がせな奴で、他にもいろいろな事件を起こしていましたが

このときののぶながはGJでした。今でもネタにしています。

2008-08-22

http://anond.hatelabo.jp/20080822002829

夜にはあまりご飯を食べない方がいいよって話でした

【今まで】

仕事終了→電車帰宅帰り道に夕食として外食→1時間有酸素運動→疲れて眠くなる→就寝

最近

仕事終了→電車帰宅→とっとと帰って体重測定→1時間有酸素運動プロテイン飲む!おなか空かない!!!→いろいろやって就寝

停滞期だった体重が再び減り出しました。

現在体脂肪13%!

腹筋なんて一回もやっていないのに、腹筋割れてるのが見える。

日記

昨日一人で買い物に行こうと思ったんだけど、あまりにしんどくてやめた。だって出かけたら何度も帰らないといけないし。何度も帰ってまた迷惑をかけると思ったら無理。出られない。

本を読むスピードが極端に落ちていて、図書館で借りた本、残り二冊の消化が思うようにいってない。まだ半分しか読めてないし。返却のリミットは日曜日。読めない。辛い。お盆休みだから借りてきたので、もう今回返さないと、読む暇がない。

指の皮は剥きすぎて痛くもないし、仕事中にカッターの刃で手の甲を突いて遊ぶのか日課。いいじゃんどうせ突いたって血も出さないんだから。傷跡を残すなんて面倒だから嫌だし。別に誰も困らないでしょ。

会社でしょっちゅう手を洗うから、指先に水が沁みる。自分の手がいつも油っぽくて気持ち悪い。

会社の男の人が気持ち悪い。

どっか行って欲しい。

生理でお腹痛い。どうせ彼氏はまた生理だったら冷たくなるんだろう。死にたい

どうせ生きてても邪魔なだけ。このルーチンワークにはなんの楽しみもない。仕事してまっすぐ帰って飯風呂寝る。これだけ。とはいってもなかなか眠れなくてこんな時間日記とか書いてる。馬鹿みたい。

お酒最近飲めない。飲みたくない。飲んだら嫌な事ばかり思い出すから嫌だ。

会社から帰る時に寄り道とかした事ない。行く所がないから。帰り道には本屋もない。コンビニが一件あるだけ。

消えたいな。とにかく消えたい。なかった事にしたい。

2008-08-18

今日久しぶりにゲーセンいったんだけど、まぁゲーセンと言うより所謂アミューズメントスペースと呼ばれるような場所だったんだけど。

なんか色んな意味でびっくりした。

 

あの、今のゲーセン(或いはアミュスペね)ってビデオゲームプライズの他にメダルで遊ぶコーナーがあるじゃないですか。

で、メダルで遊ぶゲームシューターものとか大型機を使った競馬とかビンゴとかビデオポーカーとか色々あるけど、

最近パチンコとかパチスロゲーセン向きに設置してあるじゃないですか。あれを親子が遊んでるの。至る所で。

そこは大きい店でパチンコ・スロコーナーもかなりの台数が設置してあるんだけど、大概若い親子連れで遊んでるの。

お父さんが回してるのを膝の上で女の子が見てるところもあるし、親子で3台くらい横並びで海物語打ってたりもするの。

もうちょっと子供が大きいと親から金だけもらって一人や兄弟で打ち出して、パトラッシュ打ちながらナントカ予告来たー!とか喜んでるの。

いや、いいんだけどさ。お前らそんな年から何覚えてるんだよとも思っちゃうんだけど、おじさんは。

 

いや、まあゲーセンだしなあ。メダルだし、まあいいのかなあとも思ったけど。

彼らは帰り道どんな話題するんだろう。

「お父さんの連荘凄かったね!」「はっはっは、パパはやっぱり違うだろうー」とか車の中で話しながら帰るんだろうか。

ウチはそもそも休みの日に家族ゲーセンに連れてってやろうって親じゃなかったし(そういう時は行っても動物園とかだったかな)、

その「今日家族ゲーセン行ってみんなでパチンコでもするか」って発想がまずクラクラする。いや、別にいいんだけど。

ゲーセンなんて自分みたいな独り者の社会的不適合者の溜まり場みたいに思ってたので、

久しぶりのゲーセンがやたら華やかな家族やカップルの遊び場になっていてちょっとショックだった。

 

あ、そういう奴はああいう小奇麗なアミュスペじゃなくて場末ゲーセンでブツブツ言いながら縦シューでもやってろって話ですね。わかります

2008-08-03

ばあちゃんと自転車


俺、老人苦手。

「おばあちゃんこ」とか「おじいちゃんこ」とかってスゴイ。

老人慣れしてるヤツってスゴイ。

電車で席も譲れない。話しかけるの怖い。

年に一回くらい田舎に連れて行かれた時の祖父母との対応に常にいっぱいいっぱい。

敬語で喋っていいんだか、親に話すみたいに普通にしていいんだかわからなくて、困る。

胃が痛くなる。

親がいなくなると、話題ゼロ

田舎帰るの嫌い。

で、中学に入ってからは、部活や何だとかいって、親の帰省に付き合わなくなる。

高校に入る頃には祖父母なんて、一番他人に近い知り合い程度の認識

ところが、

去年、じいちゃんが死んだ。

葬式はさすがに帰省

正直、神妙な面持ちをするのが精一杯。全然、涙でない。感情移入できない。

ばあちゃんにも、結局、何も声かけれず。一言も話さず。

それから一年

親父がいきなり

「ばあちゃんを東京に呼ぼうと思うんだけど、いいか?」

発言。

いやいやいやいや、ないないない。

とか、とても言えない。

親父曰く、ばあちゃんは、このところ体調を崩しがちで、入退院を繰り返していて、

一人で暮らしていくのは厳しいと医者から言われたらしい。

いや、うん、でも、えーと。

俺だけではなく、何となくどんよりとした空気家族に流れる。

誰も反対しなかったけど、なんかみんな歯切れが悪い。

母さんも「部屋をどうするの」とか「手すり」がどうとか、ネガティブ発言。

妹は「なんでウチなのー?お父さん末っ子なのにー」とか言って雷落ちる。

で、先月、ついにばあちゃんが福島から東京我が家に越してきた。

母さん余所行きの笑顔

妹、部屋から出てこない。

俺の部屋にじいちゃんの仏壇置かれる。夜怖い。

福島の家は売って、荷物もほとんど処分したみたいだけど、ばあちゃん、変な自転車持ってくる。六蔵って書いてある。

すげぇ古い。じいちゃんの形見っぽい自転車。錆びすぎ。ちょっと邪魔

そんな感じで、ギクシャクした生活が続く。

母さんと気の使い合い。

たまに作るばあちゃんの飯の味付けがイマイチ。出てくる料理も見慣れない。

家でリラックスできない。

ばあちゃんもばあちゃんで、あんまり喋らない。

2週間前のこと、うちにばあちゃん宛の手紙が来る。

入院してた病院看護婦さんかららしい。

その看護婦さんはじいちゃんが亡くなるときも立ち会った人みたいで、

手紙の内容は、まぁなんつーか、その時のことをつらつら。

じいちゃんの最期はとても感動的だったらしく、

ばあちゃんがじいちゃんの手を握りながら、

「もっと一緒に暮らしましょうよ。もっとお話しましょうよ。

 もっと私を怒ってくださいよ。もっと色々なところ旅行に行きましょうよ。

 死ぬときは一緒ですよ。もっと一緒にいたいですよ。ずっと一緒ですよ。」

と何度も何度も語りかけながら亡くなってたらしい。

10代で結婚し80年連れ添った二人に凄く感動した、という内容が9割で、

あと1割、新しい環境で元気にやっていますか?という手紙だった。

その日の夕方、ばあちゃんが我が家を震撼させる発言をした。

自転車の練習をしてみようと思うのだけど、ユウちゃん教えてくれる?」

ユウちゃんは、俺。

ばあちゃんは90オーバー

さすがに止めた。

ばあちゃん、自転車経験もちろんゼロ

先月まで、病院リハビリとかしてた人。

家族、総出で止めた。

全然、折れない。唯一の戦前生まれ。

朝には母さんが諦めたように「ユウちゃん頼むね、見てあげて」と言った。

あと、「絶対絶対絶対、ケガさせないでね!寝たきりなんかになったら、ほんとに困るからね!」と小声で念押し

その日から、近所の公園で俺とばあちゃんの不毛な特訓が始まる。

話なんて、そんなしたこともないから、黙々とやる。

敬語。目、合わせない感じ。

やや呆れ気味で、練習開始。

はっきり言って、全然乗れない。

足をペダルに乗せる段階から無理。

跨いでサドルに乗るとこまでに2日費やす。

ペダル漕ぐとか、全然別次元

二日間、俺はひたすら自転車がこけないように支え続けるのみ。

毎日帰り道、10分間のばあちゃんとの会話が苦痛。

「今、学校ではどんな勉強をしてるの?」

「ユウちゃんは昔から、算数がよくできたからねー」

そればっか。

じいちゃんの自転車がガコガコガコガコいう音ばかりが目立つ。

三日目にして、俺ギブアップ。

買い物行くのを理由に、帰りはじいちゃんの自転車に乗って、先に帰ってくる。

んで、気付いた。

サドル高すぎ。

油をさして、錆びだらけの自転車サドルを一番低くする。

翌日、どうにかこうにか、跨ることができる。

「ありがとね、ユウちゃん、ありがとね」

拝まれる。

でも90歳のバランス感覚は風前のともしび

漕ぐとか本当、別次元

なのに、めちゃくちゃのハンドルさばきで漕ごうとする。

俺、自転車支えるっていうより、抱えてる感じ。

全身筋肉痛

この頃になると、帰り道第二次世界大戦話。

空襲とかを家財道具を抱えて逃げまどった話とか聞くと、自転車くらい乗れる気がしてくる。

10日する頃には、どうにか漕いでる。

ただ後ろは支えてないと絶対無理レベル。ふらふらなんてもんじゃないドリフだ。

で、ある日、変な石に乗り上げちゃって、

支えてたけど、二人で転んでしまった。

ばあちゃんは思いっきり足と肘とこめかみの辺を擦り剥いた。

血が出てる。

死んだんじゃないかって本気で思った。

救急車呼ぼうかと思った。

ちっちゃい子どもが転ぶような微笑ましさは全くない。

俺、さすがにショック。

ばあちゃんも、とても怖かったようでショック。

家に帰って、母さんに一方的に怒られて、俺は思わず部屋で泣いた。

その日の夕飯、ばあちゃんが話す。

じいちゃんが病気になるまでずっと自転車で町内の牛乳配りをしてたこと。

それは割と町内でも有名で、手紙をくれた看護婦さんも、そんなじいちゃんをよく見てたこと。

六蔵さんの自転車の音がすると元気が出ると評判だったこと。

そんなじいちゃんの自転車に乗れるようになって「心配しないでね」って「みんなも元気で」って

町のみんなに手紙を書きたかった、と。

福島で生まれて、福島で生きてきた。

90年暮らした土地を離れて、人生の最後に、俺んちに来たばあちゃん。

「んだ、全然だめだったぁーって手紙書くからねー。ユウちゃんありがとねー」

と言う。

次の日、昨日言った通り、練習は無し。もう無し。

洗濯物を畳んでるばあちゃんに、何か言いたいけど、何も言えない。

すると夕方、親父がスゴイ勢いで帰ってくる。

「ユウ、庭でコレつけろ!ばあちゃん、自転車に補助輪つけっから!

 もう一回乗ってみろ!」

親父、補助輪買ってきた。

それを見て呆れた妹は、バレーの練習に使ってるサポーターをばあちゃんに渡した。

母さんの夕食のメニューがほとんどタンパク質中心になった。

バカ家族

それから、我が家では夕方になると、家族総出で公園

公園自転車の練習。

そしてついに昨日、俺が支えることなく、15メートルくらい漕ぐことができた。

それを見て興奮した母さんが、ダッシュで家に戻って、息を切らせて公園に戻ってきた。

ビデオ!お父さん、ビデオ!」つって。

で、まるで我が子の自転車デビューを撮影するかのように、

90歳のはじめての自転車を撮影。

公園の端から端。

「ばあちゃん、手離すよ!行け!」

ばあちゃんがカメラを持ってる親父のところまで、必死に自転車を漕ぐ。

ヨロヨロと。ガタガタと。でもまっすぐと。

「行けっ!行けっ!」

「いいぞっ!いいぞっ!」

ばあちゃんの後ろ姿に、声つまる。

親父の声も、裏返ってる。

20メートルくらい、新記録を漕いだ。

すげえ。すごい。すごい!

親父のカメラの前で半分こける感じで自転車を降りて、ばあちゃんはカメラの前にピースして大笑い。

俺は、ばあちゃんに何か言おうと駆け寄るけど、声にならなくて、

目を反らした先の自転車に書かれたじいちゃんの名前を見て、もう たまらなくなってしまった。

骨張って、角張って、マジックでしっかりと「六蔵」って書かれてた。

あの日、死んじゃったのは、この人なんだな。

なんで、死んじゃったんだよ、じいちゃん。

ばあちゃん、自転車乗っちゃったんだぞ、って。

その日、撮ったビデオは、家で再生すると、ブルブル震えすぎで、とても見れたもんじゃなかった。

親父、感動しすぎ。

もうスタートから、涙ぐんじゃって、ばあちゃん ぼやけて見えなかった、らしい。

仕方ないから、福島へは写真を送ることになった。

それからも ばあちゃんは、ちょっとした出先に六蔵自転車で行く。

もっと一緒に暮らしましょうよ。

もっと色々なところ旅行に行きましょうよ。

もっと一緒にいたいですよ。

ずっと一緒ですよ。

を体現してるみたいに。

2008-07-29

彼女にならないあの子の10の鎧。のあとがきにかえて。

http://anond.hatelabo.jp/20080728155928増田さんです。なんか色んな人に読まれてコメントを頂いて、色々考えさせられました

で、彼女にちゃんと返事を聞こうと思ったんだけど、叫びだしてとまらなくなって、結局埋めてしまいました。

なので、1つ詩を紹介させていただきます。自分が一番醜い非モテをこじらせていた時に聴いてやられてしまった曲です。多分Youtubeとか探したら曲聴けると思うので聴いてください。気に入ったらCDも探してみてください。脳髄が痺れるメタルです。それでは。

『ねえ、相田みつおって何した人なの? うぉううぉう 俺もてきとー書いて売って歩きてぇ

 駅前で似たようなことしてる人たちは 10年後何やってるの

 売るものが無くなって それでもおなじ所にいるの それってちょっといいよね おーいえー

 ねえ、みのもんたってどこで焼いてるの? ううぉううぉう 夜道で松崎しげると正面衝突

 帰り道 たんぼでシャドーボクサーをみたよ 案山子を撲ってた

 案山子の顔は どこかボクサーに似ていて ボクサーは泣きながら叩いてた

 目をあわさずに通り過ぎる人は多いけど 俺はちょっともらいなき うぉう

 猫を抱いて旅に出よう 腹が減ったら土鳩を焼こう おいしいところは猫にやる いえー』

("それっておいしい?"/詞・曲 させ子)

結局今の自分が思うのは、自分で自分を元非モテと自称して、解脱者を名乗ってクネクネしながらネガティブなことを垂れ流すのは自分のためにも(その時は甘くて気持ちいいかもしれないけど、長い目で見て絶対)良くないし、何よりも自分の話をわざわざ読んでいる人々にとって、それはすごく卑怯で不誠実な対応だと思うんですよね。

そういう意味で「増田とかいって下らない過去の自分をナジるのやめたら?」とは思っても「君も早くモテになれよ」なんてのは全然思ってません。

そういう意味と、あとは生来のネタ心と少しの空いた時間であんなエントリを書いてしまいました。

お付き合いいただいた皆さん、ありがとうございました。それでは。

参考にしました(http://anond.hatelabo.jp/20080727194741)

追記:JASRAC通報とか勘弁してくださいマジで

2008-07-25

恋愛がどーのこーのと言う話題が

増田では流行ってんのね。若いっていいなぁ。

この話題は、個人的には自分のブログに書くのはちょっと気が引けるので、増田を使わせていただきます。もーしわけない。

なるべく分かる人にはばれるよう、普段の文体で書いてみる。

自身の経験について

実はおいらには恋人「らしき」お相手が居ます。でもその馴れ初めって言うのが世間体的に言えばとてもじゃないけど誉められた物じゃあないのですよ。

おいらには友達が居ました。彼女は、その友達の奥さんでした。

ある日、その友達がうつ病になりました。実際のところ、彼らが結婚する前から、彼にはそういう気があったというか、その手のお薬大好きだったというか、南条あやシンパだったというか、まぁそんな感じだったのですが、いい加減冗談ではすまない状態になってきてしまって、アームカットは繰り返すわブログでは構ってちゃんになるわ突然死ぬとか言い出して夜中に家を飛び出すわで結構大変だったんです。とくに奥さんが。

で、おいらとしては、当時はやっぱり親友だと思っていたし、同業者でもあったしで、助けたいと思ったのですよ。それで、腐れ縁の仲間内ってのが他にも数名いたんだけど、実質おいらが中心に、何かしら理由をつけて時々お見舞いに行ったり、電話とかで相談に乗ったり、「死にたいようわーん」な電話を受けて話を聞いたりとかしていたわけだ。

ところがそうやって行動に出たのが仇となったと言うべきか、いや、仇だなんておいらは思いたくないんだけど、まぁよーするに彼女関係を持ってしまった。おいらはそのとき少なからず自分の弱さと芯の無さを恥じたし、その思いは今でも引きずっていて、暗い影を落としている。彼女彼女で、彼からも彼の家族からも理不尽なほどに頼られる日々に疲弊し、外部に救いを求めてしまっていた面はあったとはいえ、そういう状況に至ってしまったことをやっぱり恥じていたし、彼への不誠実を今でも気に病んでいる。絶対に許されないことをしたという思いで僕らは通じているし、その思いで通じているからこそ、お互いに次のステップへ踏み出せずに時を過ごしている、っていう面もある。

ただ、あのときおいらが行動を起こさなかった場合に、彼女がどうなっていたのか、っていうのは、想像するととても恐ろしくて、おぞましくて、それだけはどうしても避けなきゃならなかった。なにより、あいつが愛するかけがえのない存在を、あいつ自身が苦しめているという状況を傍観できるほど、おいらはできた人間じゃなかったんだ。彼女はあのとき明らかに介護うつになっていたし、今でも心療内科に通って薬を服用し続けている。お酒はなるべく控えるように言っているし、実際控えていらっさるんだけど、時々仲間内で飲みに行って図らずも飲み過ぎてしまったりすると、帰り道に突然過呼吸を起こして泣き叫びながら、近くを通る車の音とかに過剰反応して「××くん死なないでーっ、死んじゃ嫌ぁーっ」とか叫んだり、「おねがい●●、××くん助けて、助けて、、、」とか懇願してきたりするんだ (もちろん記憶は残ってないけど)。彼女の背負う十字架は、きっとおいらの背負うそれとは比較にならないほど重く鋭くて、それを思うとそれはそれで、おいらも辛くなってくる。

その友達とはここ 2年ほど交流どころかお互いに音信もなくて、実際彼がその後どうなったかはおいらは知らない。病気が完治せずとも、多少は和らいで、あるいは和らがなくとも病気とうまく付き合いながら、それでも生き続けてくれていることをおいらは願う。そんなおいらは、自分でも反吐が出るほど、つくづく身勝手だ。許して欲しいなんてこれっぽっちも思わないし、むしろいつおいらのことを殺しに来ても、仕方がないんじゃないかとすら思う。

倫理とかそういうこと

で、そんな経験をしてしまったおいらとしては、ナンパ容認派の論に反発する代表的な指摘としての、「相手のあることなんだから、誠意を持って接するべきだ」とする論については、実に耳が痛い限りで、事実として起こっていることと、その出来事に参加する人間の力関係を勘案した結果、友人を裏切って悪人になり切るという選択しかできなかったおいらに言わせれば、理想論だよな、としか思えないんだ。一言に相手と言ったって、慕うべき異性ただ一人じゃないんだぜ。あなたに掛け替えのない人ができたとして、その人にはすでに慕うべき別の人がいるのかも知れないし、それが居ないとしても、その人には親兄弟も居れば友人も居るだろう。異性だが恋人ではない、しかし相談相手だとか仕事仲間だとかと言うことで絶対に切り離せない間柄の人、というのもいるかも知れない (ソウルメイトなんて陳腐な言葉じゃ語り尽くせないような)。あるいは逆に、彼 (彼女) を恨む人間だっているかも知れないし、血縁関係の中でも君の常識とはかけ離れた常識で日々の活動が回っているかも知れない。親同士が折り合えない場合だってあり得るし、君の両親が君の大切な人を苦しめることだってあり得るんだ。誰かと関係を持つっていうことは、すなわちそういういろんな人との二次的な関係をも受け入れる、っていうことだ。じゃあそのすべての人々に対して、誰もが全く困らないように配慮しきることが必要なのか? それのみを以て「誠意」と評されるべきなのか?

もちろん、理想は「みんな仲良く」かもしれないな。おいらはそれを強要する学校教育を敵視する。どうやったって仲良くなれない相手はいる。どうやっても仲良くなりようのない状況はある。でもそれだって全部受け入れた上で、それでも行動しないことには、愛しい相手と結ばれるどころか、自分の意志を貫くことすら、できやしないんじゃないのか?

ナンパする人を尊敬する面

だからといって、じゃあ女をモノとしか思っていないナンパ DQN 野郎が許せるのかって言われりゃあ、そりゃあまあ彼らが本当にそういう精神性で動いているならおいらだって軽蔑するけれども、実際問題としてナンパしてるやつらがみんながみんなそんな非人間なのかと言われると、おいらとしては疑問を抱かざるを得ない。おいらの友人にも軟派野郎は居るけんども (いっしょにやろうぜって誘われたこともある、ノらなかったけど)、彼がそのときそのときで付き合っていた女性に対する誠意ってのは尋常じゃなかったし、確かに端から見れば女とっかえひっかえなんだけど、誰かとの関係が失敗に終わる度に、割と長い時間を一人の時間に割いては、自分の至らない部分についてしっかりと直視してた。それもただ反省するだけじゃなくて、そういう物の一つ一つに対して、割り切れる物と割り切れない物とをしっかり区別もしていた。

こういう人はどうなるかって言うと、人とのつきあい方がどんどんうまくなっていくんだ。そして誰に対しても臆せず接せられるようになる。人生経験がものすごく豊富になる。だから人間関係で困っている人に対しても、ものすごく適切にアドバイスできるようになる。

そりゃあ、若い内は無茶もするだろう。考え至らないところが多いから、結果論として人を人として見れていなかった部分ってのが仇になる。でもそうやって痛い目見た結果として、めちゃめちゃ懐の大きい大人ができあがる。そういう人間に、出会いを求めることの大切さを説かれちゃったりすると、偶発的な出会いに由来する付き合い以外を否定したがる純情ボーヤ的には、返せる言葉を失っちゃうんだ。

だから、誤解を承知でこれだけは言っておきたい。

出会いを求めること自体は、悪い事じゃない。むしろとてもいいことだ。

誠意とかは「後付け」でいい。割とそれで十分だ。

最後に。

おいらはどちらの精神性がより正しいのかを議論するのはナンセンスだと思う。

もちろん、自身に築いてしまった倫理観を打ち崩すのは簡単な事じゃないし、それを超えて向こう側にいる人と打ち解けあえって言うのも無理な話だ。

ただ、この相容れない精神性が、利害を共有して組んだときには、割と大きな力になるんじゃないかな、と言うのはなんとなーく妄想する。

ナンパ経験者の営業力はハンパねーですぜ。まぢで。

純情無垢で geek な君は、彼らに自分らが作った商品のすばらしさを説得する練習をしておくといいかもしれない。

走り書きだから誤字とかありそうな気がするし、あとでちょくちょく修正加えるかもー。

2008-07-13

就職してからいままでのことを書いてみる。2

トラックバックの方法がわからないので、普通URL乗っけます。><

http://anond.hatelabo.jp/20080713135558

僕は会社間の調整というものを知らなかったため、

客に頼まれるとあっさりと「いいですよ」と言い、余計な仕事を取ってきてしまった。(簡単な修正など)

また、プログラムでわからないことがあると、先輩→客という順に聞くことになるので、

とりあえず先輩に質問を投げまくっていたら、先輩の機嫌が悪くなった。

今考えると、その先輩も忙しいかったため、イライラしていたんだろう。

(その割には機嫌が悪くてひとつのことを聞きに行くと1時間ぐらいたちっぱなしで怒られていたが)

その先輩についた新人達は次々に仕事をやめていった。

会社ホームページを見ると、相変わらず人が増えていないので、相変わらず1時間ぐらい怒っていて新人はどんどんやめているのだろう。

はじめ、僕がそんなに怒られるのは自分が悪いからなのだろう、と思っていた。

だが、先輩に1時間怒られて仕事が進まなくても、また怒られるのだ。

「なんで終わんないの」

それは終わらないことに対する疑問ではなく、ただの批判なんだろう。

何度、「それはあなたのせいです」といおうと思ったことか。((言わなかったけど))

仕事スケジュールがだんだんと詰まってきて、残業も多くなるころから、その先輩から怒られることが多くなっていった。

ひとつ聞けば20分ぐらい怒られる、イヤミを言われるのだ。

多い日は1日に合計2時間以上怒られていたこともある。((会社にとっては4時間以上の損失だよね!))

そのうち質問自体が憂鬱になってきた。

どんどん仕事が終わらなくなり、効率もどんどんおちた。

毎日10時会社に行き仕事をする、怒られて、また仕事をして夜10時ぐらいに帰宅。

30分ぐらいで食事をして深夜3時まで仕事を自宅でやって、次の日の9時に起きる。

そのうち会社に行くのがとても憂鬱になってきた。

そもそも朝おきるのがつらい。

それでも何とか会社に行き続けた。

自宅のすぐ前に大きな通りがあり、車がビュンビュン走っていた。

サラリーマンを見て「あの人も大変なんだろうなぁ、僕もがんばろう」と思った。

ある日、客先からの帰り道終電に乗りながら、すこしねむった。

起きたら終点まで行ってしまった。

次の日の昼には修正したドキュメントを客に出さなくてはならない。

終点の駅で途方にくれた。

どうしようもなくて、弟に電話をしたら、埼玉から迎えに来てくれるという。

弟テラヤサシス

弟が埼玉から来るまでの間、駅のベンチで一眠りした。

目を覚ますと弟が来ていて、東京の僕の家に送り届けてくれるらしい。

今日会社休めよ」と、言ってくれたが、仕事のことが頭から離れないため、

僕は「いや、会社に行く」といった。

ただ、弟の車の中で少し睡眠をとった。

家に着いたのは朝6時ぐらい。

それからドキュメントの修正をし、客先に向かった。

そんな生活を続けていたところ、会社に行くのが憂鬱になってきた。

会社に行けば仕事が進まなくて怒られ、客からはどんどん追加修正が入る。

仕事が終わらないプレッシャー押しつぶされそうだった。

通勤途中の空や信号が灰色に見えた。

その時期に自分が母親電話をかけて、泣きながら「仕事をやめたい」といっていたらしい。

母親は「もうちょっとがんばりなさい」って言ってくれたらしいが、

そもそも電話をかけたことを覚えていない。

2008-06-26

困る

抗うつ剤とおさらばしてまる1年以上。ああ、いけるんじゃないかなと思ってたところに人事異動。引き継ぎに伴う一時的な不安だろ、とデパス再開して3ヶ月半。どうも雲行きが怪しい。がんばれない。帰り道でははらはらと涙がこぼれ、このまま消えてしまいたいと思う。たかだか20時ぐらいまで働いただけ、しかもめざましい成果があがるとは思えない内容なのに。これくらい、あるいはこれ以上働いてる人なんて周りにいくらでもいるのに。なんでこんな低レベルでつぶれかかってんだおれは。あっ、単なる無能?だったら安心していいの?わからん!

2008-06-19

ガソリン高騰を受けて。

車で急ぐいつもの帰り道、いつもの信号待ち。

体感時間なら2分は掛かる長い信号待ちでエンジンストップをしてみた。

とたんに訪れる静寂

夜に押しつぶされそうだった。

クーラー代わりに開けていた窓から、夜風に乗って対向車の小さなエンジン音が聞こえた。

遠くから届く蛙の声と静かにセッションしている。

夏は夜。やるじゃん、清少納言

2008-06-13

妄想B君

女性Aさんには、男性B君という知り合いがいた。そんなに親しいわけでもないが、知人の輪の中に入っているもの同士という関係だった(Aさん側の認識。周囲の認識も似たようなものだった)。

あるとき、AさんはB君から、「悪いけど君の気持ちには答えられない」などのメールを受け取るようになった。Aさんは全く思い当たることがなかったので、困惑すると同時に気味悪く思い、返信を一切しなかった。それでもメールが続いたので、Aさんは共通の知り合いに相談して、受信拒否することにした。

同時期、B君の知り合いたちはB君から、「Aさんにつきまとわれて困っている」という相談を受けるようになった。B君が言うには、Aさんが粘着して四六時中メールを送ってくるし、自分が行くところを調べて付きまとってくるのだそうだ。B君の知り合いは、おかしいと思って話を聞いたが、B君の話はどうも辻褄が合わず、事実ではない説明もかなり含まれていた(Aさんがどこそこにいつも来る、など)。

これはどうも何か妄想が入っているんじゃないか、ということになり、知り合いたちはB君に、辻褄が合ってないところを指摘してみたが、ヒステリーを起こすだけで逆効果だった。B君が以前通っていた心療内科に再び通うよう勧めてみたが、「行く」とは答えたもののやっぱり通ってないようだ。

それでAさんと話をして、(今までも月に1回遭遇するくらいだったのだけど、さらに気をつけて)偶然会うことが無いように気をつけることになった。そうしたら、B君がAさんの帰り道で待ち伏せを始めたらしい。知り合いが見かけたために判明したのだけど、どうも一週間くらいになるようだ。Aさんはたまたま道を変えていたため気づいてなかった、幸運だった。

B君は男性にしては小柄な方で(160cmくらい)、第一位印象では人に害を与えなさそうに見えるのだが、Aさんがさらに20cmくらい小さいので、やっぱり心配だ。それで友達同士でAさんと一緒に帰るよう連絡をつけ合うことになった。

それで今のところ被害は出てないけど、これってAさんのためには警察に言った方がいいのだろうか。というか、警察でどうにかしてくれる範囲のことなんだろうか。直接会うことなんかを未然に防げているので、被害は実質的には気味の悪いメールを何通か受け取っただけ…ということになるんじゃないかと思う。実際に何かが起きないと、無理?Aさんが結構不安で参ってるみたいなので、どうにかしたいけど、経験がないから困ってる。

出来れば全部未然に防いだまま、B君の妄想?が治るよう、本人に自覚を持ってもらって、病院先生と向き合ってもらえるのが一番いいと思うんだけども。

直接は関係ないけど、自分より背が高い男性がいい、背が低い女性がいい、っていう風潮がもう少し収まるといいなと思った。Aさんはかなり背が低いので、日頃から身長コンプレックス男性には困ってるらしい。(背が低い人が、この子なら俺より低いから…って安心して偉そうにするのが嫌なんだそうだ)自分より背が低い女性だからってストーカーされたら、Aさん可愛そう。

2008-06-06

都内某駅の夜。

友人が経験した話。

終電まであと数本はあったというその夜、

友人が電車に乗りこみ何気なくホームを見ると

突然、ホームを歩いていた女性が崩れ落ちるように倒れこんだ。

終電が近いせいもあったのか、彼女を見ても知らん顔して

電車に乗り込む人が数人。実際、倒れた姿は酔って転んだだけのようにも見える。

しかし起き上がる気配はないし、何より倒れ方が普通ではなかった。

(こんなにたくさん人が見てるのに……誰も行かないのかよ!)

終電まで余裕があった友人は一度は乗った電車を降りて、彼女に駆け寄った。

「大丈夫ですか!」

声をかけるが反応無し。そっと起こすと顔面蒼白のまま女性

「ハア…」と息も絶え絶えに言うのみ。

そこへ一人の女性が通りがかり「大丈夫ですか?」と声をかけた。

友人は彼女

意識がハッキリしていないみたいです。駅員を呼んできてもらえますか?」

と言い、離れたところにいる駅員を呼びに行かせると、とりあえず

彼女に声をかけ続けた。

そうしているうちにやっと一人、二人と人が集まってきた。

その中の一人の中年男性がいて、

「どうしました?」と友人に尋ねた。

「急に倒れたんですよ!」と友人。

アルコール中毒じゃなさそうだね」と男性

彼は医療関係者なのか、彼女が少しでも楽な姿勢をとらせると

「このままにしておいたほうがいいね」と言い、駅員の到着を待った。

駅員が到着する間、ほんの1,2分の時間がとても長く感じられたという。

そして友人は駆けつけた数人の駅員に「ちょっとそこ、どいて!」と野次馬扱いされ、

やや乱暴に突き飛ばされる。

(まあ、しょうがないか。こんな格好だし)

役者のはしくれとして舞台に立つ友人は、その日も稽古帰り道

金髪によれよれのシャツ、はき古したジーンズサンダル

もともと強面であるがゆえに、とてもガラが良さそうには見えない。

友人は誰にも気づかれないように、本当に野次馬のように

そっと現場を離れたとき、一人の駅員が肩を叩いた。

ありがとうございました。」

駅員を呼びに走った彼女が、友人のことを駅員に教えたらしい。

「いえ……当然のことをしたまでなんで」

友人は口ごもりながら、ちょうどやってきた電車に乗り込んだ。

友人が得た教訓。

終電が近いと、人の命は軽んじられる。

けれども誰かが動けば、必ず追随する者は現れる。

そして、人は見た目で判断される。

2008-05-30

YOU ARE (NOT) ALONE.

自殺」とは、人が自らの命を絶つことである。それは惰性的に生きている中で起きるものではなく、確実にその人間が自分で自分の命を絶つ決意をしなければ起きえない出来事である。早くもものすごいスピードで世間から忘れられ始めているが、某アナウンサーが自ら命を絶って以来、彼女自殺を決意するに至った決め手は何であったのかを考え続けている。私は普段死にたいと思うようなことはほとんどないが、仕事に疲れ、たくさん飲んだ帰り道、酔っぱらったぼやーっとした頭の中で、このまま死んでしまってもいいなぁ程度には思ったことがある。下世話な好奇心と思われるかもしれないが、なぜそれをはっきりと決意し、そして実行したのかを知りたいと思う。引き込まれないように、注意しながら。

私は精神科医でも何でもない。これからの記述がすべて後付の理屈であるといわれればそれまでかもしれない。しかし、彼女がどんな道を歩み、どういった気持ちで暗い夜のクルマの中で練炭に火をつけたのか。それを想像し少しでも理解しようという試みは、全くの無駄ではないだろうという希望で記していく。陰謀説は今の所明確な根拠がないため取り扱わないこととし、ブログの記述を追う事で彼女の思考をトレースしてみるという試みである。

兆候

初めての兆候らしきものは、4月14日付の記述にある「家では集中力が持たず、お気に入りの場所に移動。」という記述ではないかと思われる。それまではどちらかというと「ハレ」についての記述が多かったこのブログに、初めて「ケガレ」寄りの記述が現れた日である。なにかしらの影の要素が彼女の心の中に生まれた。そのときは、生きる中では必ずあるよくある不安の一つであったはずだ。

4月26日付の記述には、番組の取材で出会った人々から「私は生きる幸せ、パワーをいただきました。」と記している。もらったと言うことは、その時点の彼女にはそういったものが足りていなかったという事である。前回の記述で生まれた小さな影の要素が、彼女の中で静かに育ち始めていたのが分かる。

具現化

5月12日現在その日の記述は削除されているが、彼女は次のような内容を記している。「母の日に私は悪魔になってしまいました。産んでくれた母に、生きている意味を聞いてしまいました。母の涙が、私の涙がとまりません。母の涙が耳の奥で響いているのです」この記述については様々な憶測が流れているが、どういった心境の時に人はこういった文章を書くのかという視点で考えてみたい。

悪魔」とは「悪」の象徴であり、ここで大切なことは「人間ではなくなってしまっている」ということであろう。そういった人間倫理観から外れた行為を彼女が行ったか、あるいはだれかにされたのか。それが何であるかはここでは邪推しないが、それによって彼女は「生きる意味」を失ったと感じたのであろう。4月中盤からあった懸念が、悪い方向で具現化した。しかし、この時点では彼女はそれを言葉に出来ている。そして、ブログという他者へのコミュニケーションも行っており、完全に閉じてはいない。おそらくはこの時点で死を意識はしても決意はしていないだろう。

一日間を開けた5月14日付では、「すみません」というタイトルブログの一次休止を報告している。「あまりにも沢山の方に心配をかけるということで、元気になるまで、皆さんとこうしてお話をするのを休憩させていただきます。」という文面から察するに、5月12日ブログユーザ関係者の間で話題となり、事務所関係者と話し合いを持ったのであろう。「本望ではないのが、残念です。。。でも私は本当に皆さんに助けていただいています。」という言葉からは、彼女がまだ他者とのつながりを放棄していないことが伺える。そのため、同日付で休止を取りやめている。

9日前から4日前

5月16日付の「みなさんに感謝の気持ちと元気になりました。と報告したく、書かせていただきました。」という記述からいったん快方に向かうも、8日前の5月17日付で「うーん 体がまだ元気!といかないようです。」と波が激しいことが伺える。そして死の6日前、5月19日付の「おはよう挨拶したくて…おはよう」、5日前の5月20日付の「こうしてメイクをして仕事の準備をして移動しない空間にいると取り残されている感じ」と再び沈みはじめ、4日前に迫った5月21日付の「言葉が…でてこないので、今日は書くのをやめようと思います。」という記述で、遂に彼女の側から他者へのコミュニケーションを発することが困難になった事が伺える。

同日夜、彼女徒然草の一節を引いている。「花は盛りに、つきはくまなきをのみ見るものかはとかいへるは、いかにぞや。」これは、花は盛りの時だけ、月は曇りなく輝いているだけを見るものであろうか、いやそうではない、という意味で、以降に日々の些細なことこそが生きることであると説き、生きることと隣り合わせである死というものを考えずに生きることは愚かであると結んでいる。

本来は死を意識することで日々を懸命に生きることの大切さを伝えている歌であるが、おそらく彼女はそういった解釈はしていないであろう。確かに紙一重ではあるが、日々の儚いことも美しいという側面だけをとらえ、自信が儚く散りゆくこともまたそんなに悪いことではなかろうととらえたのではあるまいか。

3日前から前日

明けた5月22日、死の3日前の記述には「昔は本を読んだりお茶をしたり、ぽーとしたり。楽しかったのに…今はせつないです。豪華なホテルロビーで優雅に幸せそうにしている方々を眺めてながら、移りゆく景色に胸がきゅーとしめつけられます。」とこれまでと同じ日常であるのに彼女認識が180度変わってしまったことを綴っている。移りゆく日常の中で、自分だけがどんどんおいて行かれているような感覚。おそらくこの時点で、未来に対するどんな些細な希望も失われていたのではないかと推測される。そして死の前日の5月24日付、同日行われるイベントの告知が最後の更新となる。

当日

彼女は家の近くにある車に用意しておいた練炭を積み込み、煙が漏れないよう中から慎重に目張りを行った。そして七輪に火をつけ、クルマのシートに横たわる。それから全身が酸欠状態となり意識を失うまでには、どれくらいの時間がかかったのであろうか。そして彼女はその間、何を考えていたのであろうか。

彼女はどこへ行ったのか。

以上のプロセスを振り返ると、心の中の不安が解消せぬまま最悪の現実が起こり、他社への救いを求めながらも絶望希望を繰り返しながら孤立していき、最終的に自ら死を決意していく彼女の姿が見えてくる。私自身の印象としては、最後のブログ更新をした時点では、彼女は死を決意していなかったのではないかと考えている。

最悪な状況が起こった母の日の記述の直後は、彼女は確かに生きていた。人は、絶望を感じたときに死ぬのではなく、希望がなくなったと感じたときに死を決意するのであろう。絶望の中で彼女希望を探したが、彼女にぴたりと合うものはどこにもなかった。大きさや形は異なっても、周りの人間がみんな持っているそれを失ってしまった時、ここは自分の居場所ではないと感じて、違う世界に行ってしまったのかもしれない。その世界にはきっと何かがある。それを最後の希望として。

自ら命を絶った人のブログトレースしたため、どうしても自殺を肯定しているようにとらえられたなら、そこははっきりと否定しておく。人は自分であろうが他者であろうが、命の連鎖を止めてはいけない。その理由はそれぞれが自分自身で考えて結論を出すべき事であるので、ここでは触れない。

人間とは、他者との関係性の中でのみ生きられるものである。関係性の中でのみ具現化されるものである。しかし、人は、その人に見えているすべての世界を救うことは出来ない。アフリカの貧困も、日々新聞に載る事件や事故でなくなった方々も、我々一人ひとりには救うことは出来ない。だが、ごく近しい周りの人々なら救えるかもしれない。この駄文がその一助になれたら幸いである。

2008-05-27

置き去りにされた人々

当方、30半ばの生物ポスドク

学位とったころの風潮は、猫もしゃくしもポスドク日本でもようやくポスドクが増えてきたころだった。まだまだビッグラボにしかポスドクがいないころだった。それより小さいラボポスドクを持てるお金を手に入れ、がんがん新卒博士ポスドクとして囲っていった。自分達もまずはポスドクとして経験を。。。という意識だった。アメリカはそうだよ、とにこやかに微笑む帰国したての若い助教授の顔を今でも覚えている。

5年がたった。

そろそろアカデミックポジションに、、、と思って、恩師のラボを伺うと、そこには若々しい助教が座っていた。

「あ、こんにちは!お噂は聞いてますよ。僕は去年卒業したばかりですが、先生に拾ってもらいました。よろしくおねがいします!」

隣のラボにも、若々しい新卒助教が。

あれ、えっと、先生、自分も助教の職を探してると言ってましたよね。とは言えず、でも先生のどこかよそよそしい姿で、自分がどこかで置き去りにされたことを気づいた。

そうなんだ。

ポスドクとしてこきつかわれて、いよいよと思ったら、今回は若い者の可能性にかけたよ。と言われるんだ。

僕らが若いとき、あなたたちは経験が必要だと言いましたよね。

笑顔でまた遊びにきてくださいと言った彼に罪はない。

君ならいいとこ見つかるからと言った先生に罪はない。

誰も責めるつもりはない。

でも、帰り道にため息つかせてください。

置き去りにされた者のため息をつかせてください。

2008-05-26

31才で一日8セット

1ヶ月我慢し続けて、昨日本番に臨む。

40分→休憩20分→40分→休憩20分の2セットやったらシャワー浴びて食事に行く。

また部屋に戻って2セット、一眠りして2セット、朝食後に2セット

前半は相手に集中できたけど、できること・してくれることは全てやりつくしたので

最後の2回は脳内イメージトレーニングして、それを補助エンジンにして大気圏突入した。

8回目の最後の最後はリリース感覚はあるのにエクトプラズムが出てこなかった。

ここまでしたのは生まれて初めて。胸が痛くて狭心症が起きたかと思った。

相手の人もすごい、3回もすると普通乾いてくるのに、全然そういうことなかった。

もう少しメニュー増やす工夫しようとお願いしても断られたのが残念だ、記録をあと3回は増やせたはずだった。

帰り道考えてたんだけど、だいたい実働時間が半分だとしてペースは90strokes/minutesで約15000。

これはもう振動試験レベルじゃねーか。

来月はたぶん他の人と対戦するような雰囲気だけど、今回のようないいカードにはならないだろう。ユニフォーム交換でもしておけばよかった。

ちょっとひとりごとを書いてみた。何の話してるのか一目でわからなければ幸甚。生々しくならないように言葉を変えるのは難しい。

2008-05-24

モトカノ、俺、セックスがしたいです。

セックスできずに、彼女と別れた

なんか、あっけらかんとしていた彼女

オレ、家では大泣きしていたんだけど、

とりあえず相手がきちんと次の世界に行けるよう

笑って見送ることにした。

帰り道

「ああ、セックスしたかった」とひたすらボヤきながら、

繁華街を歩いた。

交差点差し掛かったとき、

なんか彼女がそこにいたような気がしたけど、

ただの勘違いだった。なんか涙が出てきた。

セックスしたい

セックスしたい

セックスしたい

セックスしたい

セックスしたい

セックスしたい

……と呟きながら半泣きで帰っていった。

こう彼女罵倒し、自虐的になって

失恋を忘れられるかと思った

でも、ダメです。一生、セクロスしなくていいです。

復縁話はだめだったけど、もう一度、チャンスを下さい

ああ、オレは見苦しいなあ。

セクロスやらなくても、

隣でごろっと寝ている姿を見るだけで幸せだったのに

2008-05-22

私のすきなことについて、「それすることって意味あんの?」と言う。

「俺からしたら意味なんて全然ないけど。」「意味ないよ、そんなん」

あからさまに落ち込んでいるので声をかける。死にたいんだとか人生でしてきた苦労とか沢山話された。黙って聞いた。そして最後に、「どーせ貴方みたいな能天気な人には判らないでしょうけど。」といわれる。

落ち込んでいそうだったので、気分転換に出てこられたらどうぞ、と声をかけた。けれど会の中で終始だんまり。事情を知らないほかのメンバーが戸惑うほどに。双方に申し訳なりつつ、不機嫌さを隠さないその子と帰り道歩く。気分転換になったかな。笑いかけると、「いつもにこにこしてなきゃダメですか?」といわれる。

アルバイトで初対面になる後輩。挨拶をして、しばらく話す。ノリもいいし格好いいのに、どうやら、彼女がいないらしい。えっ、いるのかと思ったよ。思わず口をついた。「俺の何を知ってるっていうんですか?」といわれる。

「悩みなんてなさそうで、いいですよね」「いつもフリーダムだよね。時々休むんなら、大学なんて来なきゃいいのに」「…好きな人いるんでしょ?じゃもう俺の肩に触ったりしないで?」

わたし、嫌われ指数上昇中。というか、これだけ短期間の間に色んな人に拒絶されると、流石に疲れるな。

でもみんな、次の日には何もなかったかのように話しかけてくるんだ。

「ねえちょっと聞いてよ!ひどいとおもわない??」「あ、一緒に飯食おうよ。この前の続き」

天気で人の気持ちも読めなくて馬鹿で悩みもなさそうで自分勝手邪魔で人を不愉快にさせるのに

どうしてわたしにはなしかけてくるの?…でも、我慢しないとって心の中の私が言う。

私が笑ってればいいんだし、私が笑えば周りの空気を悪くすることもない。

一番悪いのは、特定の二人の仲が険悪になることで、周囲の人に気を使わせることだ。

でも人のサンドバックになって生きる意味ってあるの?でも気を使える人達は皆きっとやってるんだろうし。

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