2008-07-25

恋愛がどーのこーのと言う話題が

増田では流行ってんのね。若いっていいなぁ。

この話題は、個人的には自分のブログに書くのはちょっと気が引けるので、増田を使わせていただきます。もーしわけない。

なるべく分かる人にはばれるよう、普段の文体で書いてみる。

自身の経験について

実はおいらには恋人「らしき」お相手が居ます。でもその馴れ初めって言うのが世間体的に言えばとてもじゃないけど誉められた物じゃあないのですよ。

おいらには友達が居ました。彼女は、その友達の奥さんでした。

ある日、その友達がうつ病になりました。実際のところ、彼らが結婚する前から、彼にはそういう気があったというか、その手のお薬大好きだったというか、南条あやシンパだったというか、まぁそんな感じだったのですが、いい加減冗談ではすまない状態になってきてしまって、アームカットは繰り返すわブログでは構ってちゃんになるわ突然死ぬとか言い出して夜中に家を飛び出すわで結構大変だったんです。とくに奥さんが。

で、おいらとしては、当時はやっぱり親友だと思っていたし、同業者でもあったしで、助けたいと思ったのですよ。それで、腐れ縁の仲間内ってのが他にも数名いたんだけど、実質おいらが中心に、何かしら理由をつけて時々お見舞いに行ったり、電話とかで相談に乗ったり、「死にたいようわーん」な電話を受けて話を聞いたりとかしていたわけだ。

ところがそうやって行動に出たのが仇となったと言うべきか、いや、仇だなんておいらは思いたくないんだけど、まぁよーするに彼女関係を持ってしまった。おいらはそのとき少なからず自分の弱さと芯の無さを恥じたし、その思いは今でも引きずっていて、暗い影を落としている。彼女彼女で、彼からも彼の家族からも理不尽なほどに頼られる日々に疲弊し、外部に救いを求めてしまっていた面はあったとはいえ、そういう状況に至ってしまったことをやっぱり恥じていたし、彼への不誠実を今でも気に病んでいる。絶対に許されないことをしたという思いで僕らは通じているし、その思いで通じているからこそ、お互いに次のステップへ踏み出せずに時を過ごしている、っていう面もある。

ただ、あのときおいらが行動を起こさなかった場合に、彼女がどうなっていたのか、っていうのは、想像するととても恐ろしくて、おぞましくて、それだけはどうしても避けなきゃならなかった。なにより、あいつが愛するかけがえのない存在を、あいつ自身が苦しめているという状況を傍観できるほど、おいらはできた人間じゃなかったんだ。彼女はあのとき明らかに介護うつになっていたし、今でも心療内科に通って薬を服用し続けている。お酒はなるべく控えるように言っているし、実際控えていらっさるんだけど、時々仲間内で飲みに行って図らずも飲み過ぎてしまったりすると、帰り道に突然過呼吸を起こして泣き叫びながら、近くを通る車の音とかに過剰反応して「××くん死なないでーっ、死んじゃ嫌ぁーっ」とか叫んだり、「おねがい●●、××くん助けて、助けて、、、」とか懇願してきたりするんだ (もちろん記憶は残ってないけど)。彼女の背負う十字架は、きっとおいらの背負うそれとは比較にならないほど重く鋭くて、それを思うとそれはそれで、おいらも辛くなってくる。

その友達とはここ 2年ほど交流どころかお互いに音信もなくて、実際彼がその後どうなったかはおいらは知らない。病気が完治せずとも、多少は和らいで、あるいは和らがなくとも病気とうまく付き合いながら、それでも生き続けてくれていることをおいらは願う。そんなおいらは、自分でも反吐が出るほど、つくづく身勝手だ。許して欲しいなんてこれっぽっちも思わないし、むしろいつおいらのことを殺しに来ても、仕方がないんじゃないかとすら思う。

倫理とかそういうこと

で、そんな経験をしてしまったおいらとしては、ナンパ容認派の論に反発する代表的な指摘としての、「相手のあることなんだから、誠意を持って接するべきだ」とする論については、実に耳が痛い限りで、事実として起こっていることと、その出来事に参加する人間の力関係を勘案した結果、友人を裏切って悪人になり切るという選択しかできなかったおいらに言わせれば、理想論だよな、としか思えないんだ。一言に相手と言ったって、慕うべき異性ただ一人じゃないんだぜ。あなたに掛け替えのない人ができたとして、その人にはすでに慕うべき別の人がいるのかも知れないし、それが居ないとしても、その人には親兄弟も居れば友人も居るだろう。異性だが恋人ではない、しかし相談相手だとか仕事仲間だとかと言うことで絶対に切り離せない間柄の人、というのもいるかも知れない (ソウルメイトなんて陳腐な言葉じゃ語り尽くせないような)。あるいは逆に、彼 (彼女) を恨む人間だっているかも知れないし、血縁関係の中でも君の常識とはかけ離れた常識で日々の活動が回っているかも知れない。親同士が折り合えない場合だってあり得るし、君の両親が君の大切な人を苦しめることだってあり得るんだ。誰かと関係を持つっていうことは、すなわちそういういろんな人との二次的な関係をも受け入れる、っていうことだ。じゃあそのすべての人々に対して、誰もが全く困らないように配慮しきることが必要なのか? それのみを以て「誠意」と評されるべきなのか?

もちろん、理想は「みんな仲良く」かもしれないな。おいらはそれを強要する学校教育を敵視する。どうやったって仲良くなれない相手はいる。どうやっても仲良くなりようのない状況はある。でもそれだって全部受け入れた上で、それでも行動しないことには、愛しい相手と結ばれるどころか、自分の意志を貫くことすら、できやしないんじゃないのか?

ナンパする人を尊敬する面

だからといって、じゃあ女をモノとしか思っていないナンパ DQN 野郎が許せるのかって言われりゃあ、そりゃあまあ彼らが本当にそういう精神性で動いているならおいらだって軽蔑するけれども、実際問題としてナンパしてるやつらがみんながみんなそんな非人間なのかと言われると、おいらとしては疑問を抱かざるを得ない。おいらの友人にも軟派野郎は居るけんども (いっしょにやろうぜって誘われたこともある、ノらなかったけど)、彼がそのときそのときで付き合っていた女性に対する誠意ってのは尋常じゃなかったし、確かに端から見れば女とっかえひっかえなんだけど、誰かとの関係が失敗に終わる度に、割と長い時間を一人の時間に割いては、自分の至らない部分についてしっかりと直視してた。それもただ反省するだけじゃなくて、そういう物の一つ一つに対して、割り切れる物と割り切れない物とをしっかり区別もしていた。

こういう人はどうなるかって言うと、人とのつきあい方がどんどんうまくなっていくんだ。そして誰に対しても臆せず接せられるようになる。人生経験がものすごく豊富になる。だから人間関係で困っている人に対しても、ものすごく適切にアドバイスできるようになる。

そりゃあ、若い内は無茶もするだろう。考え至らないところが多いから、結果論として人を人として見れていなかった部分ってのが仇になる。でもそうやって痛い目見た結果として、めちゃめちゃ懐の大きい大人ができあがる。そういう人間に、出会いを求めることの大切さを説かれちゃったりすると、偶発的な出会いに由来する付き合い以外を否定したがる純情ボーヤ的には、返せる言葉を失っちゃうんだ。

だから、誤解を承知でこれだけは言っておきたい。

出会いを求めること自体は、悪い事じゃない。むしろとてもいいことだ。

誠意とかは「後付け」でいい。割とそれで十分だ。

最後に。

おいらはどちらの精神性がより正しいのかを議論するのはナンセンスだと思う。

もちろん、自身に築いてしまった倫理観を打ち崩すのは簡単な事じゃないし、それを超えて向こう側にいる人と打ち解けあえって言うのも無理な話だ。

ただ、この相容れない精神性が、利害を共有して組んだときには、割と大きな力になるんじゃないかな、と言うのはなんとなーく妄想する。

ナンパ経験者の営業力はハンパねーですぜ。まぢで。

純情無垢で geek な君は、彼らに自分らが作った商品のすばらしさを説得する練習をしておくといいかもしれない。

走り書きだから誤字とかありそうな気がするし、あとでちょくちょく修正加えるかもー。

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