当事者アピールのために先に自己紹介させてもらうと、俺はギリ健男性だ。
ギリ健って言っても変な自称発達とかではなくて、数年前にカウンセリング系の施設で専門職の人から3時間くらいかかるちゃんとした検査を受けて、その結果、「正式な認定を出せる医療機関で検査を受ければ、医者にも依るけど高い確率で軽度発達障害として認定して貰えるだろう」と言われている。
ただ、社会的に発達障害者として認定された上で生きることのデメリットも考慮して、結局認定は受けなかったので、あえてここではギリ健と名乗らせてもらう。
「生きづらい人のために」と謳いながら属性で線引きするのかとか、『発達障害男性出禁』ではなく『女性限定』にするべきだったとか、無理バー側の態度・対応なんかに対する批判はまあ納得できるんだけど、『発達障害男性』をターゲットから外したことそのものが批判されている現状が、俺は生きづらい勢の人間の一人としてかなり良くない流れだと思っている。
この手の生きにくさを抱えた人のための支援や互助系の組織・団体って、抱えているモノの重みや本人の気質・属性がその団体とマッチしているかの相性がものすごい大切なんだよね。
俺も検査受けた後、人に薦められて、お金払って専門家から支援を受けるような施設の体験に参加したり、当事者間での交流目的の集まりに顔を出したりしたことが何度かあるんだけど、それらはどうももっと症状の重い発達の人が集まるところだったようで、残念ながらそこから生き方の知見を得ることも、傷を舐め合える仲間にも巡り合えなかったって経験がある。
一口に生きづらいって言ってもその実態は千差万別で、加えて俺たちみたいな人間は往々にして人付き合いが下手な人間が多いから、マッチしない人間同士が集まってしまうと悪い空気になりやすい。
というか、それで実際に問題が起きたのが人生無理バーだったんじゃないかなと思う。
こういう集まりはターゲティングをしっかりする、悪く言えば特定属性以外の人間を切り捨てることが本当は必要不可欠なんだよ。
そこをリベラリスト気取りが唱える絵空事の平等や博愛で荒らされると、ハッキリ言って誰も幸せになれない。
彼らの指向は分かりやすい弱者や被害者の保護に向いているから、それに従うならまず基準を一番重いモノを抱えている人に合わせられるのかな?
そうなったら、俺みたいな半端な症状の人間が真っ先に居場所を奪われそうだ。
切り捨てを免れてた発達障害男性にしたって不幸になるだろうな。
出禁にせざるを得ないと思われているような場所に無理矢理ねじ込んだところで、そこで発展性のある救いを得られることなんてまずあり得ない。
本来いるべきでなかったところに入り込んでしまって、ダラダラと時間を浪費するだけになるだろう。
生きづらい勢をみんなゴチャ混ぜにして集団に包摂しようとしたら、きっとみんながみんな不幸になる。
安い綺麗ごとを吐いて気分が良くなりたいだけじゃなくて、発達障害男性の居場所がないということを本気で問題視しているのなら、本当の意味で発達障害男性のためになる居場所を作ってくれよと言いたいし、まあ大多数の人はそんな思いはないだろうから、それならせめて当事者のためにならないお仕着せの理念だけを叩きつけるのはやめてくれと思う。
人生無理バーに関しては対応のマズさで火を広げたことを思うと個人的にはあまり良い感情は持てないが、ただそういう存在があると知った時、俺は正直希望みたいなものを感じた。
専門家がやっているようなちゃんとした組織って大体、発達障害なら症状の重い人を対象にしているところが多いから、案外、半端なボーダー層ほどそういう集まりと縁が持てないって問題があるんだよ。
人生無理バーはぬるい意識のくせにご立派な理念を掲げていたから燃えてしまったけど、そういうぬるさみたいなのがもしかしたらそういう層の救いになるんじゃないかなと思った。
まあ、俺は男だから人生無理バーは無理だけど、似たようなところで自分とマッチしそうなところがあったら行ってみたいとくらいには思えた。