根本的に問題を勘違いしているようなので、それだけ説明しておくよ。
できない奴に合わせろ。
自閉症の子どもはかわいそうだから許容せよ、合わせてやれ、と言ってると思ってる? みんな自分には関係がないことにキレイゴトを、と。
あの場にいる人たちは、ただ、「自分も含めてみんなが幸せになるためにどうしたらいいか」を知り、考え、行動しているだけだよ。自分がハンデを負った存在なら、どうして欲しいか、自分がその家族ならどういう風になれば幸せか。そして、あの場の一員として、誰かを排除して享受する幸せが本当の幸せなのか。どうすれば自分に恥じない生き方ができるか。別に「誰かに教えられたキレイゴトを実践」してるわけじゃない。
なぜ「文句を言う」ことが否定されるのか。それは、ハンデのある人に住みよくない社会は、きっと文句を言うような人にとってもまた住みよくない、ということが自明だからだよ。そして、いま文句を言う側の人も、長い人生のどこかで言われる側になることがある、その可能性は常に否定できないから。客の一人が言ってただろう? 「この人は無知なだけなのよ」と。いつか来るそのときに、その人が後悔しないようにと考えれば「文句を言う」ことが否定されるのは当たり前のことだよ。
自分でも上手く説明できないのですが、私が「抱きたい」と感じる女には共通点があります。それは、ある種のおっぱいの大きさ。たとえ形が悪いおっぱいだとしても、走ると揺れる大きさがあればいいです。また、形を補正するブラジャーがあればなお良し。騙されたいです。
そのおっぱいは決して口当たりの良いものではなく、表面は硬い岩のように冷たい。しかしおっぱいアイコンを見せつけながらも、中には滾る情念の強さを隠し持っている。その駆け引きと谷間のチラリズムがたまらない。
共鳴を覚えた瞬間に勃起する。耳を傾けるうちに身体の内側で生じた熱が、私のチンコの形をなし崩していく……。いっそ椅子に縛りつけられて、いたぶられたい。
最近、こんな妄想をさせてくれるおっぱいを見つけて (*´Д`)ハァハァ しています。あはは、変態だ(笑)