はてなキーワード: オリハルコンとは
明日には残念なことに私は銀歯になっているだろう。
しかし未だ納得はしていない。
銀歯って染みるしとれるし不格好だしすぐ虫歯になるしでデメリットしかない。
なぜだ。なぜ平成も30年近く経っているのに未だに銀歯なんだ歯科業界は。
なぜ「とりあえず銀歯」から成長してないんだ??
セラミックもなんで未だに高いんだ?2020年も近いんだぞ?オリハルコンとかならわかるよ。5万ぐらいしそうだなって納得できる。オリハルコン。
セラミックもっと安価になれよ!健康保険適用しろよ!おーーーーーーーーーい!!!
はー・・・・・・、大昔から銀歯一辺倒。なぜだ。銀歯以外の治療法確立してくれや。。。平成も30年近いぜ。。。
iPS細胞すごいなぁ・・・アルツハイマーも徐々に原因が解明されてるらしい・・・・人工知能でガンの早期発見も可能だとか・・・・
なーーーーーーーーーんでお前らは未だに銀歯なんだよ!!!クソムカつくんじゃ!!!!!
(お前がそもそも虫歯にならなきゃいいんだろうって?それは置いとこう。揚げ足取りでしかない。医学の発展になんら関係ない話題だ。)
とにかく私は前時代的な銀歯から一切発展のない虫歯治療に憤りを感じている。
それは私がはじめて銀歯になる機会にやっと気づけたことだ。
もっと銀歯の嫌さを知っていれば・・・・ニーメラーのあの詩が脳裏にちらつく。。。。
フリースタイルラップはリズムに合わせて歌詞を即興で作るのだが、リズムに乗ると不思議と言葉が浮かんでくるそうだ。競技かるたもリズムをとってカルタを記憶するらしい。リズムにどんな意味があるのか?
その謎をとくカギは「グルーヴ」にある。ブラックミュージックの理解で日本人がまず躓くのが「グルーヴ」という概念。それはただ機械的なリズムに乗ることではなく、体感とのシンクロが要求される。
この理解困難な概念に対するわかりやすい喩えが心拍という名の音楽だ。ケージの4分33秒が音楽になるなら心臓だって音楽になる。君は心臓や呼吸に音楽を感じるかい?環境音楽的ワークってやつだ。
その先駆けは現代音楽家Pauline Oliverosだ。いまや小学校の音楽の教科書にもその種のワークが載っている。ゆとり世代以降の人間なら記憶にある人も多いはず。
心臓のリズムを感じるには目を閉じて心を静かにする必要がある。一種の瞑想だ。心拍が分かったら今度はそれに合わせて身体を揺らしてみよう。揺らすと心拍が変わる?そこが難しい所で、
心拍に干渉しないまま身体を揺らしていく。この感じがまさにグルーヴなわけ。がむしゃらに即興演奏すると必ず体感に干渉してしまい体感が迷子になる。ムードをぶち壊したらセックスは台無しである。
つまり機械的にリズムに乗るだけでなく、体感とシンクロすることで自然にリズムが生まれてくるわけである。身体がそんなふうにできている。それがグルーヴ。ジャズにおけるスイングも同様だ。
グルーヴあるリズムはリズムマシンの作る厳密に一定なリズムからは若干のズレがある。そこに生演奏の味わい深さがあると言われるが、正確に言えばズレかたに体感が反映されているから味わい深く感じる。
リズムの一定さやズレ自体には別段深い意味はない。あくまでもリズムの一定性やズレはグルーヴの副産物にすぎない。「世界はリズムに満ちている」とは某音楽家の言葉だが、正確にはそれはグルーヴなのである。
音楽以外にも思考や会話にもグルーヴというものがある。相手のテンポを崩すようにワンテンポ遅れた返事や食い気味の返事を返すとかみ合わない感じがするだろう。
だからテンポについて行けない人間どうしで深く仲良くなるのは極めて難しい。世の中の「親友」の多くはテンポがかみ合わないのに誤魔化し誤魔化し仲良くしているように見える。
トークのテンポというのはつまるところ、その人なりの言語的体感とのシンクロの仕方である。単なる会話の速度ではない。早口でも会話のテンポが遅い人はいくらでもいる。
また、熟練すれば無理に話題のテンポを速くできるが、結局は自分のテンポで話すのが一番快適なことには変わりないわけである。けだし会話のテンポはほとんど先天的である。
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一方、グルーヴには安定性という要素もある。ジャズでは「この人の演奏には安定したグルーヴがある」「安定したグルーヴにはノリやすい」「今回のセッションはグルーヴが安定しなかった」
などと言われる。グルーヴが安定しない現象は先ほどの心音が迷子になる現象と同じである。体感を見失って、形の上でしかリズムに乗れてない状態。それはどうしても演奏に現れ、バラバラでちぐはぐな印象を与えてしまう。
安定性はその人のメンタルを表している。気持ちが不安定ならグルーヴも不安定になる。熟練演奏者なら多少メンタルが不安定でも「いつもの体感」自体は出せる。
だけど、別の「普段にはない体感」が邪魔をしてきて、演奏に乱れが生じるわけだ。そんななか繊細な感覚をつかまえてグルーヴを表現するのは並大抵のことではない。
演奏家という仕事は一般人が考えるよりずっと鋼鉄のメンタルを要するのだ。
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強いメンタルになりたいと誰もが憧れるが、その秘密は形状記憶性にある。本当に強いメンタルとは、ガッチガチのオリハルコンメンタルなどではなく、柔軟に形を変えてはすぐ元に戻る形状記憶性にある。
「上善如水」を知ってるか?上善は水のごとしと訓読する。最高の善を説いた老子の言葉だが、これは最強の心を説いた言葉でもある。
宮本武蔵も五輪書で「水を本として、心を水になす也」と言った。水はどんな器にも合わせて形を変える。そんな心を養えという意味だ。
柔軟に適応しすぐ平常心に戻る。その様子はグルーヴから説明することもできる。ハメ撮りの帝王こと村西とおるは、黒木香にほら貝を吹かせた。脇毛で有名なAV女優といえば若い人にも分かるだろう。
村西氏はセックスの快楽を演奏の乱れで表現したわけだ。どんな演奏にもグルーヴはある。人間は体感のリズムに同期することでリズミカルな運動ができるのである。
ところが快楽があるとうまく体感と同期できなくなり、演奏が乱れてしまう。そこをなんとかうまく演奏しようとするところにエロティシズムがある。
現代的に言えば「ローターつけてお散歩」だ。pixivの「平然」タグもこれに関係する。くやビク(悔しいけどビクンビクン)はもう古い。大和撫子は奥ゆかしく「平然プレイ」だ。
そしてこの快楽ゲージがあがっても平静を装う平然プレイにこそ、形状記憶メンタルの秘密がある。それはフリースタイルラップにしても同じことだ。
なぜラッパーはあのような無駄に攻撃的ともとれるラップバトルをするか?それは戦いのなかでも終止安定したリリックを紡ぎ、安定したライム(韻)を生み出し、
安定したフロウ(歌い方)を展開することを競っているわけである。そんな「動中に静あり」の文化を理解することなくただただ攻撃的なディスり合戦をやったところで何の意味もないのである。
しかし、十六代目まで世代を重ねても何ひとつ成果を出せなかった。
当時の当主、折原直継はヒヒイロカネの実在を疑い、探求を諦めるようかと迷っていた。
ところがある日、直継の夢の中に稲荷大明神が現れてひとつの預言を伝えた。
直継はそれを信じた。
直継は稲荷大明神に敬意を払って狐の鳴き声から、その女児に「紺 (こん)」と名付けた。
当時の鍛冶師は神職の一種で女性が携わることは出来ないのが建前であったので、表向きは男児として扱った。
紺は確かに優秀であった。
そして紺が二十歳のときにはヒヒイロカネの性質に近い金属の精製に成功さえした。
その金属はヒヒオルカネと名付けられ、大戦中は重用されたという。
大戦後は物資が不足したということと、直継が戦火に巻き込まれて死亡したからである。
婿は海産物の研究家であったのだが、海水の成分についての成果が合金の精製に応用できると気付いたからである。
そして更に十年、ついにヒヒイロカネが完成した。