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はてなキーワード: 進学塾とは

2010-10-10

逆算思考が人生を苦しくする?

「良い大学に入るには、良い高校に入り、良い中学に入り、小学校のうちから進学塾へ」

「○○歳までに結婚するには、××歳で彼氏を見つけて、△年付き合っておく必要がある」

「定年までに○○万円だけお金を貯めておく」

人生を逆算すると、自由意志の入る隙間がどんどん少なくなって

生きるのが苦しくなるような気がしてきた。

そういやモモでもこんな話あったな・・・

この問題はもう少し考察しよう・・・

2010-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20100709161932

http://anond.hatelabo.jp/20100709161115

情報ありがとう。

でも、増田の勤務先が学習塾だったとして、

私の意見は変わらないかなー。

しかし元増田仕事を知らない、つまり斜め読みしかしていないのに今更話題に加わる増田は頭悪そうだね。学歴は知らないけど。

 

増田の基準だと、

情報を網羅する」か「空気読んだタイミングで話題に加わる」のが「頭いい」んだね。そうか、なんかすみません。これ書いたらツリー全部読んできます。

海外大学にいたので、学歴はあってないようなもの。秋に卒業して帰ってきて、就職までのつなぎで大手の学習塾バイトしたりもしたけど、社員さんとの縁故でお願いして雇ってもらってた(だから、「やる気」はすげーあったけどねw社員さんの顔に泥塗れないじゃんwww)ので、元の増田とは状況が違うだろうが、教えられる側の年代と教える側の学歴・知識の関係はこんな感じだった。

----------

高校生高卒程度の知識があればOK。国数英理社いずれかに得意科目があればよい。

      ただし、知識について理解を深めていることが必要。

中学生高卒程度の知識があればOK。マニュアル化されていれば、理解が多少足りなくても大丈夫

小学生高学年:中卒程度の知識があればOK。基本、マニュアル化されていなくても、大丈夫

小学生低学年以下:カオス子育て経験っていうか保育士っていうか、なんかそういう知識あった方が業務遂行上いいかも。

      言葉がなかなか通じないので、ある意味一番専門知識が必要そう。(児童心理学とか)

----------

接客というか、ニンゲンカンケイ仕事だから、対人スキルは必要だし、重要。もちろん、塾っていう集団で働くのだから、社会性も必要。「もともとの能力学歴」なワケがない。

しかも、子供は成長段階によって対応を変えないといけないから、並より上の対人スキルが必要かも知んないw彼らは「客」じゃない。「教える」だけだと、も、全然だめ。まったくわかってくれないんだよ。

 

ま、どこまで元増田の塾と被るかはわかんない。

ただ、「学習塾における業務遂行能力」の話題だったらなおさら、「高卒」<<<「院卒」みたいな話が出るのはおかしい、と改めて思った次第です。

 

そりゃあ、中卒の人が高校生を教えるのは無理だし、東大に●●人入れました!みたいな進学塾とかお受験予備校とかで、大学出てない人間講師にいたら生徒のモチベーションが下がるってんなら話は別だけど、そもそもそういうとこだと高卒かつ社会経験ない人は採用しないと思うんだよね。履歴書出してテスト受けて採用された時点で、「学歴学力という能力」の最低条件はクリアしていて、あとは、+対人ほかの能力が「もともとの能力」なんじゃないのーって思った。

 

 

院卒さんが精神疾患なのか発達障害なのかは、会ったことないし生育歴も知らないからわかんないな。

バイトとはいえ、教育関係の末席にいた人間としては、そういうこと軽はずみで口に出しちゃいけないって思っている。

そして、元増田学習塾勤務なのだったら、是非はともかく学歴コンシャスなのは、とてもよくわかる。仕方ないとも思う。

遅いかもしれないけど、頑張ってください。

でも、あまり子供を不幸にしないでね。

2010-05-21

http://anond.hatelabo.jp/20100521171821

ないない

君は1流ってモノをわかってないで2流どうのこうの戯言を弄してたみたいに見えてきたぞ

塾だぜ

何歳向けか知らないけど学習塾進学塾

そこに学問の一流プレイヤーは必要ない

更に言えば、学問の一流プレイヤーがそのまま塾教育の一流プレイヤーになれるわけでもない

教育者学問の一流が求められるのは大学院からだろうが

教育が荒廃してるの?してるとすれば

それは単に学校学校教師の一流プレイヤーが足りてないだけだ

2010-01-17

欺瞞と実態

【IT】深刻な情報処理技術者の不足、社会基盤を支える人材の育成を急げ--東洋経済 [01/14]

http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1263458599/

1 名前ライトスタッフ◎φ ★[] 投稿日:2010/01/14(木) 17:43:19 ID:???

賛否両論の渦巻いた事業仕分けの中でもとりわけ注目を集めたのが次世代スーパー

コンピュータだろう。学界、産業界からの強い反発を受けて、鳩山首相から

「凍結見直し」が示唆されたが、現政権国家戦略・百年の計のなさをはしなくも

露呈する結果となった。

民主党マニフェストにも「科学技術の育成」はうたわれている。しかしターゲット

不明なうえ、育成のために何をすべきかすらもまったく見えない。政策の骨格が見えず、

予算削減という目先の目的一つで政策自体がぐらつく。この政権に対する産業界

不信は根深い。

開発が中断し、ロードマップが途切れると、その遅れは二度と取り戻せない。単にその

期間分の遅れにとどまらない。産官学の共同研究は、いったん解体されると二度と同じ

メンバーを集められない。

さらに、スーパーコンピュータ開発の遅れは、他分野の研究にも多大な影響を及ぼす。

医療宇宙、気象など、さまざまな分野での解析・シミュレーションに不可欠な

インフラだからだ。インフラ脆弱では、世界のトップをうんぬんする以前の話で、

国際競争の中で生き残ることすら難しい。

資源の乏しいわが国にとって、唯一の資源人材であり、中でも「ものづくり」を

中核とした科学技術の力は、最も期待の大きい分野といっても過言ではない。しかし

科学技術開発のタイムスパンは長い。ハイビジョンテレビという民生技術でさえ、

技術方式が考案されてから一般に普及するまで30年の歳月を要した。量子コンピュータ

開発ロードマップも30年計画だ。長期にわたる技術開発だけに、現在科学者技術者

だけで終わる話ではない。研究開発の継続性を念頭に置いた、教育による人材の育成も

また、計画の中に織り込まれねばならない重要な要素だ。国家単位での長期的視点からの

下支えがなければ、企業努力だけではどうにもならない。

人材確保に苦しむ情報産業

国の財政支援によって育成すべきは、スーパーコンピュータのような最先端技術だけ

ではない。表面的には見えにくいが、今や情報産業経済社会インフラというべき

重要な存在だ。資金、生産・販売、コスト、労務人事、決済に至る企業活動のすべてが

情報化され管理されている。鉄道、航空など輸送の運行制御、高速道路ETCシステム

銀行オンラインシステムお財布携帯など電子マネー自動車家電製品電子シス

テムなど機器組み込みソフトに至るまで、情報産業バックグラウンドなしに経済

社会も生活も成立しえない。

IT産業のうちシステムソフトウェア開発等サービス関連の市場規模は5兆円(IDC調べ)。

自動車産業の十分の一にすぎないが、重要性において他産業に決して劣るものではない。

にもかかわらず、人材の確保が非常に厳しい環境にある。

情報処理技術者試験を管轄している独法情報処理推進機構IPA)の集計によれば、

情報大学出身者の半数以上が情報産業以外に職を求めている。卒業生数自体、年間

わずか2万1000人にすぎないのに、である。一方で情報学生新卒求人情報産業

一般企業を合わせると、毎年7000人の供給不足だ。

※続く

ソース 週刊東洋経済

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100114-00000000-toyo-bus_all

686 名前名刺は切らしておりまして[sage] 投稿日:2010/01/17(日) 01:25:53 ID:rK1wYYKs

ピンポンパンポ~ン 定期的にお知らせします。

>>1-2の記事の「人材不足」とは「新卒不足」のことです。

新卒でなければ人材にあらず(>>143)だそうです。

143 名前名刺は切らしておりまして[sage] 投稿日:2010/01/14(木) 20:42:03 ID:J4ojKbk3

だからさぁ、不足してるのは人材じゃなくて新卒の間違い。これがFA


320 名前名無しさん@毎日が日曜日[] 投稿日:2009/11/17(火) 14:23:09 ID:XvIqWccI

既卒という言葉がある。

既卒とは、就職内定がないまま大学卒業してもらったことを

一般的に人事部ではそう呼ぶ。

(中略)

はっきり言ってしまえば、殆どの企業で「既卒者は門前払い」となる。

それは、本人の学歴がどんなに素晴らしくても変わらない。

「計50社ぐらいは送りましたね。履歴書と送料で3万円は払ったかな」

近藤君は28歳のフリーターだ。現在は都内で進学塾講師バイトをしながら暮らしている。

月収は15万円ほど。家賃が6万だから、けして楽な暮らしではない。

実は、彼は東京大学法学部卒業という学歴を持っている。

(中略)

ネット企業就職説明会でエントリーしても、その後なかなか呼び出されないんです。

 でも、ネットで調べてみると同じ時にエントリーした人は内定を貰っている。

 10社以上回ってみてからですね、ようやく変だな、と思ったのは」

私自身、人事部に配属されて最初にやった仕事は、新卒応募者の中に紛れ込んでいる

既卒者の履歴書をチェックして引っ張り出すことだ。

取り除けた履歴書は、オフィスの隅の箱に入れられたまま、二度と人の目にすることは無かった。



・出典

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本未来城繁幸

これは記事の文脈を読めば気付くはずですが、皆さんはボケレスされていることと思います。

奴隷が不足してるってことだろ?というのも違います。

下っ端の奴隷はむしろ余ってるので言及する必要すらないだけです。

本当に高度な技術者はITに限らず育成で何とかなるものではないので、やはり言及なしでしょう。

足りないのは新卒です。奴隷たっぷりいます。

新卒が不足すると困る理由は、大手IT企業年功序列を維持できないからです。

そして肝心の、新卒不足の理由は>>116、キャリア・パスに全く希望・魅力が無いということです。

ちなみに実質人材余りの理由は>>294の後半。これが奴隷化への意図的な布石意図まであったとしたら悪魔戦略でしょう。

116 名前名刺は切らしておりまして[sage] 投稿日:2010/01/14(木) 19:20:32 ID:J4ojKbk3

262 名前名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/12/17(木) 01:34:58 ID:Lf+iFfjd0

IT系の会社は、社員がある程度歳を取ったら 『自発的に』 辞めてくれるような環境を作る。

みんな 『愛想を尽かせて』 辞めたり、『仕事苦痛になって』 辞めたりするんだけど、これ実は会社の意向なのよね。

この手の会社は平均年齢を若く保たないと駄目だから。

IT系は若い頃は他の業種より多少収入がいいんだけど、 これ実は未来自分の財布から(不効率な方法で)現金をくすねているだけに過ぎない。

新卒100人が独立系の上場IT企業に入ったとしよう。



     会社に残る 中小ITに転職 零細ITに転職 異業種に転向 独立開業 無職

35歳     40人       20人       10人        20人     5人  5人

40歳     20人        15人       20人       30人     5人  10人

45歳     15人        10人       15人       40人     10人 15人

50歳     10人       5人       10人          65人     10人 10人

定年        5人       0人       0人        75人    10人 10人

IT業界20年の俺が見た所、人数の推移はこんな感じ。

加えて言うなら、定年まで会社に残れる5人の中に、経営者親族が3人くらいは入っているw

独立して最終的に食えるのは、業界の1割ほどに過ぎない。

残りはほとんど未経験の異業種で恐ろしく低賃金で働かざるを得ない人生負け組として人生を終える事になる。

若い頃のプログラミング楽しいものだが、それを仕事にしてしまうと、かなりの高確率負け組が確定する。

この業界に入るなら、能力が上位1割(独立開業できるライン)に入る自信がなければ止めといた方がいい。


270 名前名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/12/17(木) 01:43:12 ID:ZfD4e96GO

262の言う通りだべ。何か読んだが、ITは30までに管理職になれないと辞めさせられる環境らしいしな。


342 名前名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2009/12/17(木) 03:37:05 ID:miR7gPpU0

本当はアメリカと比べたくないけど、アメリカの場合は職種が専門家されていて、デベロッパー(あえてプログラマと書かない)だったらデベロッパーとして、ITプロとしてだったらITプロとして食べていけるけ。

日本の場合は、管理職にならないと給料が上がらない仕組みだから、ある程度の年齢になると、希望する/しないに関わらず管理職にならざるを得ない。(それが嫌なら独立するか)

これが日本にIT職が根付かない理由だと、個人的には思っているんだけど。


↑↑↑

だれがせっかくの新卒カード切ってこんな業界に就きたいと思うのかw

294 名前名刺は切らしておりまして[sage] 投稿日:2010/01/15(金) 04:39:15 ID:5gPqY2Sw

>>160,167,226

人材不足じゃなくて新卒不足w

新卒でなければ人材にあらず、だってさw

>>172,206,228

その通りなんだろうが、記事の文脈では人材不足じゃなくて新卒不足を言ってますw

新卒を湯水のように使い捨てたいらしいですw

>>242

ピンって1割って意味だったらしいよw

1割ならすっごくすっごく良心

この国をダメにしたのは>>273

さらに日本のIT業界ダメにしたのは>>116と↓

165 名前名無しさん@毎日が日曜日[sage] 投稿日:2009/10/26(月) 20:13:06 ID:/5Ruvz1N

ほんの少し前まで未経験30男を採用する企業が実際にあったのよ

ブラック限定だったけど

で、その頃の情報ネットに飛び交ってるし、職安馬鹿職員共の頭にもこびりついてて、

こいつらは職安でその当時の情報を吹き込まれてるわけ・・でそれを鵜呑みにしちゃってるの

何故ITは一時的に極度の人手不足になったのか?

それは急激にIT化が進んだ為であり、あくまで一時的に人が大量に必要になった為。

今はIT化の波が一段落して逆に人余りの状況になっている。

そして、その人余りの状況に、この大不況がぶつかってしまった。

だから仮に何年先かわからないが、景気がよくなっても、残念ならITの需要はかつてのようには増えることはない。

そして人余りの状況に変わりはない。当然、30代の未経験者が仕事にありつけることはない。

ITなら就職できるというのは、情報として古すぎる。

457 名前:非決定性名無しさん[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 00:40:22

顧客にものすごく工数がかかると錯覚させるのが元請けの戦略なんだよ

100人規模のプロジェクトで本当に必要な人材は上位20人のみ

他80人はいてもいなくても関係ない人材だからね

これで1人月100~200万×100人を顧客に請求していたわけ

その他80人に対して50~100万×80人を払えば差分は丸儲けの仕組みだったんだよ

このその他80人を埋めるための人材を提供していたのがIT人売りと言われる企業

スキルあろうがなかろうがどっちでもいいから未経験でも受け入れてもらえてたんだよ

466 名前:非決定性名無しさん[] 投稿日:2009/10/27(火) 07:56:43

多重下請構造の生み出した、無駄無駄のヒダの間で生きていたのが、人売り会社フリー

業界スリム化して、入り込む隙間が小さくなれば、そりゃ生き残れる奴は少なくなる

でもこれが本来の姿

二度と戻る事はない



奴隷から抜け出せない現象は、手配師やタコ部屋、“型にはめる”などのヤクザの手法が応用されているかもしれませんね。

一見カオスですが、不完全情報ゲーム下での均衡状態の一つなような気がしますが如何でしょうか。

IT業界に限らない日本低迷の理由は、硬直した年功序列新卒至上主義+ピーターの法則、一段階正義パターナリズム、そして>>273ではないでしょうか。

273 名前名刺は切らしておりまして[sage] 投稿日:2010/01/15(金) 03:36:03 ID:PYTcTri7

日本下士官は優秀だ。

 下級将校は熱狂的に戦う。

  しかし、将軍は無能である。

 特に金モールを吊った高級将校は低能としか いいようがない。」

    ゲオルギー・ジューコフ



以上、詳細は引用先をご参照ください。 ピンポンパンポ~ン。

2009-11-29

OD問題に憶う ---土方克法

就職博士 (OD) の問題がついに新聞紙上に姿をあらわした。昨年秋の札幌学会で、当地の若い人達OD問題のビラを配っていたが、内容は”われわれをどうしてくれるのだ”ということであった。筆者の大学では、1967年物理系の学科ができたが、教官定員はアッという間に優秀な人達で埋められてしまい、もう空き定員はない。その後いろいろな方面から就職の照会があるが、ない袖は振れず、如何ともし難い。このようにして、われわれも事の重大さを数年来感じてきたが、何等の有効な対策も講ぜられぬまま今日に至ったのであろう。素粒子関係では未就職者の数は600名とか1000名とか聞く。この人達は本職ならざるアルバイトをしたり、周囲の庇護のもとに生活しているのであろう。現在のわが国は数千名のODを養う経済的余裕があるのかも知れない。しかし、たいていの人はODとなって何年か後には”おれをどうしてくれるのだ”という不満をもつにちがいない。いや既に各所でこの問題が表面化しておればこそ、新聞種にもなるのだ。

筆者の近所にはいわゆる教育ママがたくさんいて、小学校のうちから一流大学を目指して子供をしごく。愚妻もその1人であって、大学非常勤講師手当を上回る額を月々進学塾に貢いでいる。このまま大学までずっと勉強を続けるのが母親の念願なのであろう。大学で勉学をするのは当然なことだが、最も熱心に勉学を続けた人のなれの果てがODではないか。筆者は時々愚妻に”子供ルンペンに仕立て上げるつもりか”と言う。しかし、大学入学以後のことまでは考えが及ばないようで、あまり効果がない。

たしかに物理学若者の心を魅了するものをもっている。筆者の教壇からの経験をいうと、1年のクラスでは話が熱力学第2法則とか相対論のくだりになると、日頃ゴソゴソ私語を交わしている学生でもフト熱っぽい眼をする瞬間がある。”私は物理学にだけは強い幻想をもっている”と言ったある全共闘学生を忘れることができない。”1次元振動子の理論はよくできすぎている”と溜息をついた学生もいた。同じ意味で、群論量子力学への応用とか、Dirac方程式などには何者にも替え難いBeautyがある。ところで本講座『現代物理学の基礎』の各巻を執筆される方々は、物理学をいかに美しく展開するかに薀蓄を傾けておられるであろう。そして多くの学生を魅了することであろうが、彼等に対してわれわれは責任を感ずべきではないだろうか。少なくとも彼等が物理学への興味を失うことなく、正常な姿で生活できるようにと願うのは自然の感情であろう。筆者は博士課程、とくに理論方面に進む希望学生に対しては、OD現実を説き、物理学の汚い半面を強調して、その夢を醒ますことをまず試みる。それにもかかわらず、素粒子とか生物物理を志す学生はあとを絶たないのである。

しかし、思ってもみるがよい。なぜOD問題が生じたのか。講座増を希望したのはわれわれである。教官定員が増え、万年助手が昇格し、研究室が活気を帯びたのも束の間、学生は年々入ってくる。これらの学生産業界には出てゆかない。そこで再び教官定員増を要求する。しかし政府はある学生数に対して教官を配置するという方針を墨守しているから、この悪循環は急速に発散して今日の事態となったのではないか。すなわち、非は数年先のことを考えずに(または考えていながら)教官の定員増を要求した大学側にある。

一昔前の話になるが、筆者が米国の某大学で、物理学科の学生1人1人に、学位を取ったらどこへ行くかを問うたところ、1人の例外もなく、"Industry" と答えたのに驚かされたことがある。学位を得て産業界に入れば指導的地位を約束されるそれに対して日本産業界は、修士を受け容れる体制はできたが、博士となると”固まりすぎて融通性がない”という理由で敬遠する。わが国の産業界はまだ博士を必要とするほど発達していないというのは一面のいいわけで、これも大学側に責任があると思う。米国大学では博士たるものは1つのテーマについて研究を仕上げると共に、年に何回か行われる試験によって物理学全般の知識についてチェックされる。また学部下級生の講義実験指導をする "Teaching Assistantship" の制度もひろくゆきわたっていて、これがどのくらい彼等の学問社会性を育てるのに役立っているかわからない。一方、日本博士課程では3年なり4年なりの間自分の専門に閉じこもり、社会とは隔絶して研究をしていればよい。このようにして彼等は”固まって”しまい、物理学の極めて狭い分野の専門家となるのである。われわれの世代も実はこのような道をたどったので、あるいは、物理学者社会に眼を奪われるのはもっての外、就職に頭を悩ますなど言語道断と言われる方もあるかもしれない。現に某大学学生就職に無関心であると非難された教授が、多分売り言葉に買い言葉であろうが、君達が大学院に入ったのは学問をするためか、就職をするためかと開きなおったそうである。たしかに就職など世俗のことにわずらわされることなく学問ができたらそれにこしたことはない。そこで筆者はこのような理想的な環境として、またOD問題の解決策として次のことを提案する。

それは宗教的教団に似たInstituteを作ることである。名づけて日本素粒子教団、生物物理教団等。この教団に属する人は、世間から僅かな喜捨を仰ぎ、粗衣粗食に甘んじ、妻帯の望みも絶ってひたすら学究生活をする。たまたま在家のわれわれも修業をしたければ年期を限り、なにがしかの費用を払って入団できる。このような教団は古代にもあったようだし、僧侶階級をみてもわかるように、比較的永続きし、しかもすばらしい業績を挙げうるものである。もしかするとOD問題は古代からあったのではあるまいか。

しかしODの中には一応の社会的なセンスをもち、このような教団に属するよりは、世間の人と混ざって生活し、積極的に世のため人のために尽したいと思っておられる人もいるにちがいない。その方々に筆者の日頃思っていることを述べて同憂の士をつのる。われわれは実は手がなくて困っている。現に筆者は、1年・3年・4年・大学院と週10時間講義を持っているが、年々新たな講義をしようとすると並大抵のことではない。しかも、どの大学でもそうだが、1年生は大教室で講義を受けさせ、入学当初から大きな幻滅を与えている。この1年生への講義ほど、物理学者にとって大切なものはない。つまり受講生の大多数は、将来物理学を専攻しない学生であり、これらの学生教育こそ物理学社会全体に正しく理解される足がかりとなるはずである。物理学が正しい姿で社会に浸透すれば、物理学者の発言権も強まり、ひいてはわれわれの社会的地位の向上にもつながる。それなのにわれわれは、その教育に手を抜いている。少なくとも上級生の教育ほど力を入れていない。これは間違っていると思うが、人手が足りないから致し方ない。若しも教官の数が、学生数が現在のままで倍になり、昔のように少人数の講義ができたら、どんなに幸せであろう。さらに少数の学生が1人のTutorまたはAdviserの指導を受けるような制度でもよい(英国大学またはモスクワ大学のように)。そしてODを全国の大学に吸収するのである。しかし、これを実現するには、学生数に対して教官数を算定する政府の基準を改めさせ、さらにはその根本にある考え方を変えさせなければならない。これを行うだけの政治力物理学者基礎科学者)にはないものだろうか。 OD問題をこのままで放置し、破局的状況に持ちこんで、政府をして嫌でも対策を講じざるをえないようにするのも1つの方法ではあろう。しかし筆者は歳のせいか、できるなら破局的状況は避けたいと思うのである。

(ひじかた・かつのり、電気通信大学物理工学科)

岩波講座 現代物理学の基礎、量子力学II(1972年付属の月報

2009-11-11

http://anond.hatelabo.jp/20091111155236

つーか、可能性でいいなら、東大への道はほぼ開かれてるよなあ。

東大に通わせるためには小学校中学校から私立に通わせて、有名進学塾にも行かせて、教育費がかかる」って言いたいんだろうが、

地方秀才って、小学校から高校まで公立で東大に進学って珍しくない。

美術音楽とかアート系の才能がある子なら、実家貧乏美術系の学校への進学をあきらめるってこともありそうだが。

2009-09-23

母が読まないから書ける手紙

かあさんへ

もう私を結婚させようとするのはやめてください。孫はあきらめてください。

私は既に34歳です。まだまだ大丈夫とおっしゃいますが、私のような内面子供っぽさを抱え自己の肯定もできない人間は到底恋愛結婚などできようもありません。

なぜなら相手に要求するものが異常に大きいくせに自己の提供するものがないからです。

なぜこのような人間になってしまったのかはわかりません。わからないから、どう修正したり治療して良いかもわかりません。

それでも昔はかあさんの期待に応えようと無理を重ねてきました。

いとこの子が中学受験をすると聞けば私も進学塾に通うようになりました。いとこは大学までエスカレーター式のすごい学校に入りましたが、私はその第一希望には落ち、ただの中高一貫に入ってあなたを落胆させました。私の心は既にここで1回折れました。

ただの中高一貫と言ったら母校が怒るかもしれません。当時東大に30人規模で合格させていましたから。早慶は100人規模でしたか。でも、そんな高校から私が受かったのは第4希望のただの地方国立大学で、先生から「本当に受かったの?でも本当に行くの?浪人しないの?」と言われるほどの劣等生でした。下から30番ぐらいでしたね学年で。心がもう一回折れたときでした。

大学生活が始まってしばらく、私はもう疲れ切っていて、何度も留年しました。でもかあさん、その間は弟にかかりきりであまり干渉してきませんでしたね?それとも2回も大失敗した子はどうでもよかったのですか?

なんとなく生活して、なんとなく研究室に住んで、なんとなく修士に行って、なんとなく論文を投稿して、なんとなく学校推薦の面接に行って、なんとなく1部上場企業就職したら割と失敗でした。子会社に出向名目でとばされて、でも本社の人事部は子会社での採用でしょという態度をとりました。出向者まとめて捨てられたのですね。

明らかに数年でなくなりそうな会社だったので(数年ではなかったですが実際に来年あたり無くなるそうです)、そこで小学生以来の頑張りを発揮してようやく中小企業ですけれども自分仕事に興味を持てて頑張ることのできる会社に移ったではないですか。なぜ不満そうなのですか。会社名前の方が子供の将来のキャリアより大切なのですか。

そうしたら今度は孫がみたい孫がみたいとおっしゃる。

あのですね、もう私充分かあさんの言うとおりにしてきたではないですか。日常生活のああしろこうしろという指示を素直に聞き、進路だってそれはお望み通りとはいきませんでしたが、志望校リストを作る段階でどんなに編集が入った事やら?情報系に進みたかったのに、あっちには凄い子ばっかりなんだからあんたには向いてない、なんて片っ端から削られたこともありました。意味がわからないですが、従ったではないですか。

私の20代前半はそんな疲労から回復するためだけに費やされました。やっと自分人生になったという安堵でいっぱいで、愛だとか恋だとかが割り込む隙間はなかったのです。20代後半は失敗した就職からの回復しか考えていませんでしたし。

30を過ぎて、いまさら恋愛しろとか結婚とか言われましても。

私は健全恋愛観をはぐくむべき年齢にかあさんのロボットとして過ごしたからか、まだ1度も人を好きになったことがないからか、異性に対する要求がひどいのです。条件を羅列していったらそれは神様みたいなひとになってしまいます。

そりゃここ何年かちょっとは頑張りましたよ。かあさんがやいのやいの催促するから。でも、勉強仕事と違って、恋愛感情をかきたてるなんてどうしたらよいのか全くわかりません。

私は同性も異性も好きになれません。というより、自分を含めて人類の誰も好きになったことがありません。かあさんのことも好きではありません。結婚できて子供ができたとして、多分その子供も好きになれないのではないかと思います。

自分も誰も好きでないのに、結婚なんて。できるわけがないです。

もう私を結婚させようとするのはやめてください。孫はあきらめてください。

かあさんのいいなりになって生活するのは、大層つらいのです。

2009-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20090912004053

異性を顔で選ぶのって実は合理的じゃね?

同じことを考えていたことあります。

そして、これは同じ問題なのか全然違うのかわからないけど、進学塾合格宣伝しているのが小学生時代不合理に思えてなりませんでした。特に通っていた日能研は大手だったから、そりゃ合格者数は大いに決まってる。合格で比べなくちゃ教育内容の良さはわからないでしょ、と。

算数のタカ先生は「人数が多くたって、1000人の馬鹿は10人の秀才合格者数で勝てないだろ。だからいいんだよ」と言っていて、もちろん納得できなかったんだけど反論はしませんでした。多くの場合、「500人の秀才馬鹿・凡人と2000人の秀才馬鹿・凡人の戦い」とかになるはずから、タカ先生の例えは極端すぎて意味がないんだけど。

ただ、その異性を顔で選ぶ例に近い考え方でのちのち納得がいったんだけど、合格者数は、上げようと思えばいくらでもフェアじゃない戦略ができてしまうのです。合格してくれなさそうな生徒は最初から入塾させない、入塾させても絶対に安全な学校以外にチャレンジはさせない。

そんな教育的でないアンフェアな勝負になる合格者数を競うぐらいなら、塾も生徒も全力でがんばるしかない合格者数を競うのは悪いことではないと言えるわけです。

この例、異性の顔の話と同じなのかな、違うのかな。

2009-04-25

http://anond.hatelabo.jp/20090424185818

おおむねそんなところだろうな。

歌舞伎町は近所に大手進学塾もあるしな。

夜10時過ぎでも、普通女子中学生とかいるしな。

2009-03-29

英才教育の考え方

東大理1に1年で受かった勉強法 ※ただし、超進学校に限る

http://d.hatena.ne.jp/lonlon2007/20090317/1237298299

※に尽きます。

でも、それだけでは何なので英才教育について

大事だと思うポイントをいくつか挙げたいと思います。

英才教育とはすなわち早期教育

エリートに共通しているところは何か。

それは早期教育がなされてることです。

うちの開成高校では運動会が一大行事としてあるため、殆どの人は運動会が終わってほとぼりも冷めた6月頃から受験勉強を開始します。

一応数3Cまで高二の段階で学校の授業は一周していました。

ごらんの通り、彼はやるべきことはやっていたわけです。

ちなみに私が勤めていた進学塾では

超難関校向けの高校受験では中学3年時に高校1年生の内容の授業を行っていました。

この様に英才教育では指導要領を無視した早期教育を行います。

大学受験までは18年間。生まれた瞬間から激しいスピードレースが始まっている。

公立中学高校で成績が一番であれば優秀か?

決してそうではありません。

経験からするとこの場合、早慶MARCHに落ち着くのがほとんどです。

前述のように英才教育では早期教育が必要とされているわけで

単純に1番であるだけでは意味がないのです。

英才教育で求められるのはすでに学習過程を終えた上での好成績なのです。

目安として最低でも、1学年上の単元を常に取り組むような状態になることが必要だと思われます。

スピードがとても大事なのです。そこを気に留める必要があります。

小学校高学年からが勝負になる。その上での学習計画を。

子供認知能力経験上、小学校5~6年生くらいにかたまっていきます。

このころになると、中学生高校生くらいの論理能力は備わっていると思います。

逆を言えば、それまでは認知能力に大きな個人差があり、それにともない進度にもばらつきが生まれます。

その間に成績が悪くとも落ち込まないでください。

ともあれ、私の勝手見解なのですが

このような学習の進め方をすれば、申し分のない英才教育といえるのではないでしょうか。

方法論については紙幅を割いてしまいますのでまた別の機会があれば。

2008-12-26

最近勉強のできる子はそれが理由でいじめられるってネタの文章がたくさん書かれてるけど、私は小学校の時の知能テストでIQ175って出て進学塾では小5の時に飛び級して小6受験クラスで授業を受けてて学校テスト全教科100点以外取ったことがないどこから見ても「勉強のできる子」だったけど、特にそれが理由で虐められることはなかった。

良家の子女ばかりいるような私学にいたわけじゃなくて、むしろ暴力団員の子供とか結構いるような公立校。確かに浮いてはいたと思うけど、虐められるというよりは「宇宙人」扱いされてただけで、学級委員長も児童会長もやった。

自分に「勉強ができる」ことが優れてることだって意識がそんななくて、単に自分とは違うロジックでものを見ているらしい他の人たちの思考経路が知りたくて対人関係は常にそういうスタンスで臨んでた。こちらも周りを宇宙人扱いして溢れる知的好奇心で相互理解を試みようとしていた感じ。

入試の成績1番で入った中高一貫進学校では虐めの対象になったけど、別に成績が理由ではなかった。小学校の頃近所に住んでた同級生が男ばかりだったのでそのノリで同級生の男とジャンプネタとかで盛り上がってたら「男に色目を使っている」とされて同級女子からハブにされた。机の中をゴミだらけにされたこともあるし、椅子の上に画鋲を置かれたこともある。体育等のペアでやらなきゃいけない体操とかでいつも余って先生と組むことになるのには閉口したけどそれ以外は特に困ることもなかったので勝手にしろって感じで毅然と振る舞ってたら事情を知らない人たちからは「周りの女子が畏れて距離を置いている」と受け取っていたようだ。

そんなわけであまりあのエントリーはぴんとこない。受け取り方とか対処の仕方とかの問題ではないのかなと思わないでもない。「口が立つ女」を嫌う男から個人的に敵視されることはあるけどあくまで個人間の問題で他の性質による気が合う気が合わないと同じようなものだと思っている。でもあんなに共感エントリーがついてるってことは、私の周りの環境がずっと特殊だったのかなあ。

2008-10-27

ひとつの個別事例として

http://sankei.jp.msn.com/life/education/081026/edc0810262325003-n1.htm

学校ランク付けが話題に出てたので。

一般論には成り得ませんが、ひとつの例として私の出身小学校を挙げますと

私の地元のように一学年の児童数が一学級で済んでしまうような学校で、農家が多く、教育に熱心ではないというか勉強学校に任せておこう、わざわざ遠い私立中学を積極的に選ぼうとしない、という家庭が比較的多い中で、子供の移動手段である歩き・自転車で通える範囲内に学習塾進学塾などなく、あったとしてもお寺での習字ソロバン教室、手の空いた主婦の方たちによる簡単な習い事しかないような地域が主体の学区と、

逆に何とかニュータウンか何かの再開発新興住宅地が並び、入居する人が多く、スーパーや塾も近場にあり、経済的な余裕があり、親の教育に対する関心も高く、私立中学の情報や機運を得やすい、そして児童数も多い地域が主体の学区とでは、

高々学力テストの点数のみのランク付けだけで学校・教師・教育方針の良し悪しが判断できるんでしょうか。できるという方がいるんでしたら教えてもらいたいです。

サンプル数が少なければ年度ごとに安定しない結果になるでしょうし、教員自体も5-6年経てば他の学校へ転任してしまう制度だから年度ごとに一喜一憂しても意味がないと思うんですが。

仮に私の地元学力が低い学区だと判明しても、上記のような地区ですから、さもありなんと、納得はできるのですが、それを故にして学校教育方針が悪い、結果の出せない学校だと判断して、予算を減らされたり教育後進校とするのは首を傾げます。

はてさて、親の意識を高められない教師は指導力不足なのか、意識の高い親に評価されるから良い先生なのか……

まあ、中学校ともなれば、複数の地域が同じ中学校に進むから平均化されたり、影響を与え合ったり、高校受験もあるからして塾に行かせる所も増えたりとテストの点数だけじゃ計れなそうな要素がてんこ盛りになりますねぇ。

学力ランクのみに振り回されるよりも学区の特色やら学校の方針やらがどのように作用してるのかを地道に検証する方がいいのでは思ったりします。

2008-09-13

最近小学校で同級だった男の子の夢を見る。毎晩のように見る。

父が転勤族だったわたしは4年のときにその小学校に転入して、卒業と同時にまた遠くに引っ越した。

同窓会に参加したこともないし、中学から今に至るまではまったく接点はなかったんだけど、夢に出てくるものだからいろいろ思い出してしまって、こういうもやもやをどこに吐露すればいいものかわからないので今回初めて増田になってみた。叩かれるのはこわいので、誰にも見られずひっそりと落ちていってくれればいいと思う。

それはさておき、そいつはお金持ちの家の長男で、将来は父親の会社を継ぐことになっているといううわさだった。

毎年クラス替えのある小学校だったんだけど、そいつとは4年から6年までずっと同じクラスだった。

どこかひねたところのある子どもだった。

女の子同士の

「ねえ、今好きな人いる?」

という会話の遡上に上ることはなかったけど、頭が良く、スポーツも得意で、親譲りのものなのか人を惹きつけるオーラのようなものがあった。オーラって言うか、とにかく大物の風格を子どもなりに持っていたやつだったと思う。

5年のクラスで席が隣同士だった時期、内容は忘れたけど半分口げんかのような感じでいろんなことを言い合っていて、ふと

「なんだかこいつとは、夫婦みたいに何でもしゃべれるな」

と思ったのが強烈な記憶として残っている。

なぜ「夫婦」という単語がそこで出てきたのかはわからんけど、そいつと自分の間に、自分の両親が話しているときの雰囲気と似たものを感じ取ったからなのかもしれない。歯に衣着せぬ物言いで続く、間断のないことばのキャッチボール。劣勢になっても、他のやつみたいに「せんせーい、隣の人がうるさいです!」とかかっこ悪いことはしなかった。互いに相手と真正面から向かい合い、相手のことばを受け止めながら対話を続けていた。それに伴う緊迫感を、今思えばわたしはとても楽しんでいた。「手応えがある」って言ったらなんか偉そうだけど、そういう感触をぼんやりとそいつに抱いていたんだと思う。

はっきりとそいつを異性として意識したのは、小6のときだった。

国語の授業で「注目の的」という慣用句を習った。「班ごとに話し合って、これを使った短い文を作りなさい」と担任の先生に指示された。わたしたちは机をくっつけて「注目の的」を使ったうまい文を作るべく話し合った。そいつとは同じ班だった。

「的って言うとなんだか痛くて大変そうだね」とかアホなことをわたしが言っていたら、そいつがぼそっと小さな声でわたしに

「お前、クラスの注目の的じゃん。」

と言った。(わたしたちは「お前」「あんた」と呼び合っていた)

最初は意味がわからず、そいつがいつもとは違う様子でそっけなく言うものだから、わたしがクラス中に冷ややかな目で見られているような痛い子だと言いたいのだろうか、とか思って、信頼していたのはわたしだけだったのかなぁ、って気がして、なんだかさびしくなって黙り込んでしまった。

他の子が

「え?どういうこと?」

と聞き返すと

「注目の的って、魅力があって皆がいつも見てる、っていう意味なんでしょ。

 お前じゃん。」

と言って、あとは黙ってノートを取りはじめた。

班全体がしーんとした。

横の男子

「おおぅ…素敵ねぇ…」

とか、軽く冷やかすような声をあげた。

しかしそれでも空気は軽くならなかった。

わたしはそいつの真意を図ろうと、ちらちらとそいつの顔を盗み見た。

でもそいつはとうとうそれから一度も顔を上げず、班としての発表は他の子が考えた案で無難にまとまって終わった。

そもそも、わたしは別にクラス中の注目の的なんかではなかったと思う。

勉強ができて運動もできてリーダーシップもあって、っていう目立つ子は他にいたし、そういう子に比べたらわたしは平凡なほうだった。

でもわたしはそのとき、ものすごく「どきっ」とした。

それが自分でも意外で、どうしてわたしはこんなにどきどきしてるんだろう、とだいぶ考えた。

そして、たぶん、わたしはそいつに何かそういうのを期待してるんだ、というようなことが、うっすらと自覚できた。

でも相変わらず、女子同士の

「ねえ、好きな人いる?」

という会話の場で、わたしがそいつの名を挙げることはなかった。

何か、そういうところで軽々しくそいつの名前を出すことがいやだったのだ。

別に「好き」とか、そういうのとは違う、と思っていた。

「好き」っていうのは少女マンガみたく背景にお花を背負った感じでキラキラしていて、ロマンチックで、そんなのが「好き」だと思っていた。

あいつは、そういうんじゃないもん、と思っていた。

でも、他の女の子の口からそいつの名前が挙がらないかどうかを、いつもすごく気にしていた。

子供心に、あいつのいいところを知っているのはわたしだけだ、と思っていた。

皆あいつのことを、金持ち高慢ちきのいやなやつ、と思っているかもしれないけど、わたしだけは知ってるもん、わたしだけは、あいつのこと、わかってるもん、と思っていた。

幸い(?)わたしが知っている範囲では、そいつのことが好きだと言う女子はいなかった。

2学期後半から3学期にかけて、中学受験をする子たちの身辺が慌しくなり始めた。

わたしは父の転勤がほぼ確定していたため、転勤先の市立中学校に通うことになるだろう、と前もって親から聞かされていた。

そいつは受験組だった。進学塾にも通い始め、受験組どうしでどんどん仲良くなっていっているのが傍目にもよくわかった。

受験組の子がうらやましかった。

その中には前述の、本当の「注目の的」の女の子もいた。

やっぱり、わたしより、同じ目的を持った友達のほうが話も合うし、わかり合えるよなあ、そうだよなあ、と、思った。

あいつのことをわかってるのは、わたしだけだもん、そう思っていたのは、錯覚だったんだなあ、と思った。

そいつとまた前みたいに仲良くできるかもしれない、というそれだけの理由で中学受験を親に申し出てみたりもしたが却下された。

今考えると、めっちゃ好きやったんやん、と思う。

サイン帳」を配るシーズンになった。

女の子クラス替えとか卒業の前に友達に配り、プロフィールとともに趣味とかメッセージとかいろいろ書いてもらったものを綴じておく、あれだ。

わたしもクラスの人たちに一通り配った。

女子はもちろんのこと、男子も結構律儀に書いてくれてありがたいことだ、と思っていた。

もちろんそいつにも渡したのだが、そしたらなぜかそいつは半切れで

「書いてもいいけど、絶対に他のやつに見せるなよ!」

と言ってきた。

あまりの剣幕にビビッて

「う、うん、わかった…。」

と答えると再度

「本当に見せるなよ!約束だからな!絶対に見せるなよ!」

と念を押してきた。

何か知らないがその気迫にただならぬものを感じ、絶対に誰にも見せない、と約束すると、そいつは仏頂面のまま紙をランドセルに突っ込んで持って帰っていった。

それがそいつとの記憶の終わり。

結局、渡してくれなかったのだ。

別にそいつはわたしのことを何とも思っていなかったのかもしれないけど、わたしのほうは、たぶん、そいつのことが大好きでした。

子どもにしてはしゃがれた声も、ひねたとこも、自分では嫌だといっていた長めのまつげも、女の子みたいな丸っこい文字も、テレビ趣味が同じだったところも、たぶんすごく好きだったんだよ。

2008-07-27

http://anond.hatelabo.jp/20080727121955

そもそも、ゆとり教育って格差を拡大するって点で批判されてたんで、それは基本。

ゆとりができれば、子供を大手進学塾に通わせられる富裕層は、空いた時間教育に回すけど、中流以下の家庭では子供放置されるだけ。そういう家庭は共働き率も高いから、子供の面倒も見てやれない。

氷河期の方は、もちろん自己責任もあるだろうが、イス取りゲームで言えば、イスが元々例年よりも極端に少なかったんだから、イスを取れなくなる人間が大量に生まれるのは当然のこと(通常であればイスに座れた人間も敗者になった)。

どちらにしても「自己責任」で切って捨てることはできないと思うが。

2008-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20080619205601

小学校の頃通ってた進学塾先生に「お前が男だったら灘とかラサールとか行けるのにな」と嘆かれて、その辺の全国上位の進学校がみんな男子校だということを初めて知ってすごくショックを受けた。

全国模試では常に10位以内に入ってたから成績的には確かに無理なく狙える範囲だったんだ。他流試合を受けに行く感覚でよその系列の塾の全国模試とかも受けに行ってたけどそこでもそうだった。

親も「男だったら灘みたいな県外校でも行かせるけどあんたは女だしね」と言うので結局県内で女子が入れる中では一番偏差値の高い国立学校に進んだんだけど(入試成績は男女含めて一番)、それが初めて女であることで可能性が制限されることを実感した体験。(それ以後山のように感じてるけど)

環境のせいにするのはよろしくないと思うけど、高1までで高3までの履修内容は済ませてしまって残り2年は受験対策取ってるようなそういう私立進学校国立という縛りもあってそんな先取り履修のできない進学校じゃやっぱり差がつくのは仕方がないなと実感した。女子校なら、良妻賢母を指導方針に掲げるところがやっぱ多いんじゃないの?

むしろ問題なのは灘に女が入れないことだと自分は思う。

そういうとこから男女は差がつけられてる。

2008-03-08

塾講師と生徒の恋愛はありきたり

anond:20080308111547

ネタだとか妄想だとかいう意見もあるけれど、元増田が本人の話かはさておき、塾講師と生徒との恋愛はみんなが思っている以上にありきたりな展開。

そして元増田の経緯と同じことが俺の友人にもあって笑った。

告白されて、彼女いるからと保留するも、結局彼女をふって、女子生徒と付き合う。

塾講師って告白されやすいんだよね。というか、若い先生って告白されやすい。教育実習の数週間だけで告白されちゃった人も多いんじゃない?

先生という立場が自然に備える「包容力」「出会い一過性」「年齢差」、未発達な女生徒のロマンチック恋愛街道を開くには十分すぎる要素。

それに先生なら告白が失敗しても諦めつくし、あとの気まずさも大人の力でフォローしてくれるだろう。これ以上にない告白対象だ。

というわけで、友人の数人は女生徒と付き合ってる。

セックスしたかどうかは知らない。でも、たぶんしてるだろう。

ロリコンどもは、告白されたらホイホイと傾くからね。

すごいのは、たいてい親が公認しているということ。

特に母親

父親には秘密というケースが多い。父親は娘が可愛いからね。

でも母親は、それよりも塾講師と娘とが親密であることによるメリットを選ぶ。指導上の贔屓とかね。

とある友人は、相手の母親から「よろしくお願いします」といって交際費を毎週もらっているほどだ。

塾側だって黙殺。

本人たちと塾側と親がグルだから、クレームだしても通用しない。

何かが狂っている。でもこれが塾業界真実

俺がもっと怒っているのは、大学時代の友人たち(教育学部なので教師が多い)が、生徒と付き合う行為を肯定しちゃうことだ。

「生徒と付き合うなんて最低なクズヤローだ!」と罵ったら、「それはいいすぎだよ、恋愛は自由じゃない」と返された。

これが日本の若き教育者精神構造だ!わはははは!クズばっかだな!

全国の自分の生徒と付き合っている塾講師学校教師は全員死ね!

訴えにに対して全否定で返す有名進学塾の社員も全員死ね!

塾側とグルになって自分の娘をクズ講師に貢ぐ親も全員死ね!

ふざけんなよ!

2008-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20080302120605

灘→東大京大国立医学部に行った奴は小学生の時から灘に行くことがその近道だと理解出来ていたから凄い。

中学受験しようと進学塾に行って挫折して投げ出したり微妙な私学に行っちゃう奴が多いの知らないの?

彼らは親や環境の影響があっても、最終的に自分で勉強するという判断を選んだんだから凄いんだよ。

2007-07-13

マザーコンプレックス

今まで二十数年間生きてきて、自分の頭がいいとは信じがたいのだけれども、自分がたどってきた道を弟がひどく苦労して通っているのを見て、もしかしたら自分は本当は頭がよかったんじゃないだろうかとようやく母の言葉を受け入れようかという気になった。

そもそも私は自分の頭をいいと思ってこなかった原因は母にあるのだけど、最近本当にようやく自分をなんとか絶対的な評価でみることができるようになったので書いてみる。

私は勉強が駄目で大嫌いだった。

学生時代、試験前も受験前もほとんど何もしていなかった。さすがに教科書ノートを見直したりはしていたけれど、それでも前日とかに慌ててやってたぐらい。中学のときはそれで試験はどうにかクラス内で上位にいたけど、普段の提出物とかかなりさぼっていたのでオールプラスアルファぐらいの内申点だった。それは公立に行くためにとにかく内申点が必要だったうちの地方で学区内のトップ校に行こうと思ったら当日点をかなり稼がなくてはならないレベルで、反対に学区二位の高校は内申点がそれだけあったら当日結構ぼろぼろでもなんとかなるレベルだった(うちの学区内の高校レベルが偏ってた)。偏差値は塾の模試なので低めに出てると思うけれどたしかどの教科もだいたい60台だった。行った高校は当時の偏差値64だったかな。いわゆる併願校で名を馳せていたところだったのだけど、その併願基準に達する内申点を持っていなかったので単願で受けた。滑り止めで受けたし、試験を受けたとき落ちた気がしなかったので、合格発表後に担任に報告したら「マジか!?」っていわれてむしろ驚いた。

まあ本命は落ちたんだけど。

で、その高校のときの偏差値は平均58ぐらい。本当に大嫌いで駄目だった英語は50弱ぐらいだったけれど、国語は60台後半からどうかすると70に手が届いてた。世界史とか生物はその二つの間ぐらい。大学偏差値は当時は58だったかな。

こんなふうに成績はね、いちおう平均よりもかなりいいほうだっていうのは自覚していたけど、自分が頭がいいなんてかけらも思っていなかった。勉強が大嫌いだったし、その嫌いっぷりに手を焼いた母に小五の夏にして中学受験の予定もなかったのに進学塾に放り込まれたし。

ちなみに、この進学塾行きに疑問を抱いたのも最近だった。私が言い出したら私立中学を受けさせる気満々だったらしいんだけど、反対に嫌がったらどんな手を使っても逃げるだろうと思っていたらしい。聞かされたときに否定はできなかった。

今思うと勉強が嫌いと言うよりも私は勉強と言うものをどういうものなのかがぜんぜんわかっていなかったんだと思う。

しなくても授業は理解できていたし、点も取れていたからする必要性を感じてこなかったから学習しなかった。塾でも授業聞いて理解できていたから、宿題とかその日行く前とかバスの中とか授業直前とかでやってた。

その反面、私の妹はとても努力をする人で、勉強が出来る人で、もちろん提出物なんかも抜かりなくてオール5をとる人だった。彼女クラスには同じような人がもう一人いて、通信簿が相対評価の頃にクラス内に許されていた2個の5を二人締めしていたという逸話が残っている。

学年で3つ離れているので妹のこの所業はただ単に「すごいな」と眺めていればよかったんだけど、かわいそうなのは弟だった。

弟もまた勉強が嫌いであったようだけど、私より遙かに努力する人で、勉強に費やす時間だって比べ物にならなかった。ただどうしたって弟は妹の成績はともかく、私の成績にすら追いつけなかった。弟には申し訳ないけれど、前述のとおり私が自分の頭が悪くなかったのかもと思うようになったのは弟の成績からだ。妹とは勉強量も成績も比べたら失礼だと思っていた。

じゃあそもそもの「私は頭が悪い」という思い込みがどこから来たのかと言うとこれははっきりしていて疑問の余地はない。

私の母である。

地方のトップ校から国立に進学し、父(私の祖父)がなくならなければ院に行っていただろうという人で、勉強することを苦にしない。学生時代も普段からきちんと勉学にいそしんでいたらしく試験前だろうがなんだろうが就寝は九時半で高成績を保っていたと聞いた。

ちいさな頃から私たち兄弟の勉強をまとめてみてくれていたのは母なのだが、私は小五で塾へとやられたのは母の能力的に面倒が見れなくなったからではなく、私があまりにも勉強を嫌がったためだ。はっきりいって私は国語分野で母に優れたことはない。大学受験時に古文で分からなくなったらとりあえず母に聞けば答えあるいは糸口が帰ってくる人で、当然ながら百人一首で勝てた事も無い。

だが、この人は自己評価がとても低い。ものすごく低い。かといって評価が厳しいわけじゃない。私は前述のとおり不真面目だったのでよく怒られたけれど、弟妹たちによるとむしろよくほめてくれる人であったらしい。たしかに大学受験のころ、偏差値40を切った英語にさすがに危機感を覚えて勉強してなんとか54ぐらいまでもって行ったときに「だからやれば出来るって言ったじゃない」って言われたことはよく覚えている。

だが当の本人は自覚がないらしい。現役を退いてXX年経っているにもかかわらず高校文系レベル国語英語数学普通に面倒を見る事が出来るような人は「すごい」のだと、言っても信じてもらえない。「これくらいは普通常識)」と言い張る。

だから私は、ずっと長い事自分も大きくなったら母のようにすべてを知っている大人になれるのだと根拠もなく信じていた。

母自身の資質がやたら高かった事に気づいたのは、自分が母のようには到底なれないのだと諦めきったあとのことだった。

しかし幼い頃からの絶対的な壁に対するコンプレックスはあまりにも深く根ざしていて、崩したり乗り越えたりしようと頑張りはじめてはいるのだけれど、なんかもう高さが果てしない。

「無理」とつぶやいて見なかったことにしたいけど、既に気づいてしまったものはもう視界からは消えないわけで、かといって友人たちに愚痴る勇気もなく(「実は私、頭よかったんだ」なんて言えない)、とりあえずすこしでも壁が崩せないかと長々と増田に書いてみた。

すこし長すぎた気もするけど反省はしていない。

「やれば出来る子なんだから」といわれてもね、おかーさん。あなたの「普通」は難しかったよ。勉強は今でも大嫌いだよ。英語なんか日常でもあまり見たくない。でも言う事を素直に聞いて勉強というもののやり方をきちんと把握していたら、大学中退せずに済んだかなとは思うんだ。

ごめんね。

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