はてなキーワード: 自由主義とは
日本語ではlibertyとfreedomの両方を「自由」と呼ぶけど、元エントリが指しているのはfreedom、元増田が指しているのはlibertyだね。
同じ「自由」だし、英語でも混同はあるのだけど、簡単に言うと「好き勝手にして良い自由」「好き勝手にされない自由」という感じかな。
うーん、自由という言葉の理解については同意だけど「いわゆる「自由主義」というのは前者を指す」という考え方は少し古いのではないか。
現代の自由主義/リベラリズム (英:New liberalism, Reform liberalism) は、自己と他者の自由[2]を尊重する社会的公正を指向する思想体系のこと。自由放任を基本原理とする古典的自由主義や自由至上主義とは異なり、それが人々の自由をかえって阻害するという考え方が根底にある。(wikiペディア)
現代では、この考え方がおおむね妥当だと思う。
『HELLSING』5巻における少佐の「さあ!! 諸君!! 殺したり殺されたり死んだり死なせたりしよう」という発言、ある意味では究極の自由主義だよなあと思う。もし吸血鬼化したりして不死者になり、死ぬことが絶対的な損失でなくなるのならば、殺したり殺されたりすることもまた自由の範疇に含まれるようになるのではないだろうか?
「好き勝手に振る舞う」人は、他者から「好き勝手に振る舞われ」ても文句が言えないという不自由を負うことになるので自由ではない。単なる弱肉強食の社会を「ある意味では究極の自由主義」というのはおかしいと思う。『動物たちは究極の自由主義者です』と言い換えてみれば、そのおかしさがよく分かると思う。
特に弱者において、『自由』がこの世界ではひどく簡単に踏みにじられたり失われたりするという指摘はとても正しい。だからこそ、弱者においてまず自由が実現していない社会を「自由な社会」だとは思わないし弱者の自由を踏みにじる形で強者の自由を実現させかねない考え方を「自由主義」と呼ぶのは間違っているのではないだろうか。「弱者の権利」を主張して殺された多喜二の死体写真は、僕も見たことがある。
ただし、大元の「もう好き勝手に記事が…」という記事に対して切れるのは、これとは別の意味で賛成だ。なぜなら、元記事は「はいはい、すいませんでしたー」とふて腐れてみせることで読者を脅迫している。つまり『強者』に他ならないからだ。強者がその立場でもって批判を封殺しようとしているだけに過ぎない。一度言論の場で主張をはじめたら、ふて腐れて相手を脅迫するのでなく、論理には論理で立ち向かうべきだ。だから、ああいうふて腐れを批判するには「スネてんじゃねーよ馬鹿」で充分であり、「批判もまた自由だ」という論を立てるべきではないと思う。
あのさあ、「一般的にはこういうことが言われている」ということを主張したら、いつの間にか俺が「こういうこと」を主張していることになってるのはなんでなんですか、とさっきから何度も聞いてるんですが。「そうとしか思えないから」って、あんたの主観でしょ。しかもあんたが俺のことを色眼鏡で見てたことはあんたが自分で言ったことだし。
ほう、その辺の本には「神」なんて言葉が乱舞しとるがな。じゃあ日本の古典がどう宗教的価値に直結しとるんだ?
これは確かに読み飛ばした、失敬。
日本の古典の話をしてるんだが。とりあえず便宜的に日本の言文一致体以前以後で区切ってみようか。
なんか、今でも一般人が学ぶ意義のあるような文献がそれ以前にある?
しつこいなあ。食い下がってるのはどっちだよ。「意義」の定義によるだろ。「一般人レベル」でいうのなら、欧米先進国様の古典を学ぶ意義と同程度のものは間違いなくあるよ。日本文化のうち文学と美術と舞台芸術に優れたものがあることは君も否定せんだろうが、それらの趣味が思想だのなんだのに劣ることはあり得まい。
グレコ・ローマン文化の話じゃなかったのかよ。近代以降ならそりゃ当然だろ。フランス革命1789年と明治維新1868年の差が今更どれほど重要だとあんたが思ってるのかは知らんが(明治維新は不完全な革命とかいうなよ。そんなこと言えばロベスピエールとかナポレオンってのはどうなるんだ)。ただその意味で言うなら欧米であってもドイツなんかは後進国なんであって、あんたが言ってるのは「イギリスとフランス」の話でしかない。「欧米」ではないぞ。
君の言うステータスシンボルのような意味での「役に立つ」自体を俺は批判し否定してるんだよ。まやかしだってな。で、撤回したんじゃなかったか? やっぱ食いさがってんじゃんww
ほら、君は「??だとすれば」という仮定が読めないんだよね。背理法とか理解できてないんじゃないの?出来の悪い中学生とかで、「もし√2=p/qと既約分数で書けたとするとpもqも偶数になるが」とかいうと、「pもqも偶数なわけないだろ!」とか言って聞かないガキがいるよね。
あとさあ、まやかしはまやかしで構わないけど、そういう意味なら俺は英語の「役に立つ」もまやかしだと思うがねえ。
とりあえず、「まやかし」と「役に立つ」をあんたはどういう基準で使い分けてるのか明示してくれ。でないと話にならん。
えーと、そういう主張をしたいのならまずソースよろ。
はあ?何のソースだよ。俺は君の主張を自然に演繹しただけであって、敢えて言うならソースは君の発言だが。
東大卒は毎年数千人だ。それで、MIT卒は何人いるか知ってる?ハーバードは?プリンストンは?スタンフォードは?オックスフォードは?ケンブリッジは?
本当に新天地を切り開くようなエリートってのは、せいぜい数人程度だろ。その数人にどういう教育をするかと考えた場合、国内でまかなおうなどと無駄な縄張り意識を発揮するよりは、とりあえず世界トップレベルの大学に送り込めばいいんじゃないの、と。
天才信仰ですか。まあいいや。仮にそうだとしても、「年に数人」レベルの人間に「教育」なんておこがましいと思わんか。そんな人間はほっといても自分に最適な場所を探してくるし、そこが日本である可能性もあれば海外である可能性もある。
国を背負うほどのものでもない普通の東大生数百人のレベルをギリギリにチューンすることに金を使うよりは、普通の大学を出る普通の何万人のレベルを上げるほうが安上がりだし価値があるんじゃねえの、と。
誰も「普通の東大生数百人のレベルをギリギリにチューンする」なんて言ってないし、そもそも東大生の中で「教育制度がもっとよければ俺はもっと偉くなれた!」なんて言ってる奴は落ちこぼれだけだよ。だから「普通の東大生数百人のレベルをギリギリにチューンする」という発想自体がそもそも無意味。
いや、主流の座から滑り落ちたものを普通はスタンダードとは呼ばないだろう。そう言えるからには、後続のものがスタンダードを一つの目標に据えて設計されたとかそういう事情が必要だ。ちなみに釘をさしておくが、別にこの主張に固執するつもりはないから反論は不要。否定してくれてかまわん。
でも、コアの計算部分がライブラリに分離されちゃうケースが増えると、ますます低水準処理がどうこういう意味がなくなるような。
出来合いのライブラリを使ってない研究者だって沢山いるし、そもそも計算アルゴリズム自体に工夫をする人だっているわけでな。その辺は計算の規模と計算機リソースの兼ね合いと、あるいは本人が計算機を好きか嫌いかなんていう、実に卑近な事情によって決まってくる。それこそ情報工学の研究者であっても、俺が例に挙げたパターン認識や待ち行列の研究者の中には計算機の実践的側面なんかに興味がなく、Cを使ってアセンブラまがいのコードを書き、新しい言語なんて覚える暇があったらもっと他のことをするとかなんとか言ってる人だって一定の比率で存在する。おわかり?あんたの言ってる「情報工学」は「コンピュータ工学」でしかないことに気付いてほしいな、いい加減に。そこだけ理解してもらえればあとはどうでもいい。そうすれば、あんたが噛み付いてる点自体が枝葉末節だってことにも気付くだろうし。
前にも書いて綺麗に見ない振りされたけど、それ言語の選択と無関係だよね。
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元々の話覚えてるか?「低レベル寄りの言語を知識としてだけでも知らない人間に」云々という話だっただろう。どうも話が巧妙にずらされてる気がするんだが。たとえばいきなりJavaを覚えさせられた人間がそれがわかるとは到底思えない。ライブラリのソースを読めるレベルになってはじめてわかることだろう、それは。
C++の話も同様。敢えて「C++らしい」処理を書けば計算量はどんどん増えて、例えば行列をカプセル化して演算子をオーバーロードしてなんてことやってたら計算時間が倍ぐらいになってもおかしくはないだろう。一晩で終わる計算が翌日の昼までかかるということになったら作業効率には歴然たる差が出るぞ。
食い下がってんのはお前だろ。
いや、形式的にみても実質的にみても、撤回したはずなのにちっとも撤回して見えないのは君が食い下がってるからなんだが。
民主主義も自由主義も自然科学も、キリスト教と論理的に直結はしていない。
たまたまキリスト教圏で発生したから影響は見られるがな。
文学研究とか歴史研究という分野を知らんのかねこの人は。それからいうまでもなく東洋哲学とか仏教学がある。え?なに?広義の文系学問ばっかりだって?気象学とか地震学でも過去の記録は見るよ。
それが「一般人レベル」か? 高校で教える価値があるかどうかは微妙だが。
そりゃどんな学問上の専門知識でも使う分野では使うに決まっているわけだが。
近代(あんたのいう近代と中世の境界線はどこだ。ルネッサンスかウェストファリア条約かフランス革命か)
日本の古典の話をしてるんだが。とりあえず便宜的に日本の言文一致体以前以後で区切ってみようか。
なんか、今でも一般人が学ぶ意義のあるような文献がそれ以前にある?
論文のリファレンスにニュートンだのライプニッツだのの著書を挙げる奴がたまにいるが、あれを実際に読んでるのは物好きだし、読まなければ理解できないなんてことはまるでない。
欧米の政治思想の本なんかはそれこそニュートンの時代のとか普通に今でも重要でしょ。直接読まなくても現代語でまとめた書籍が存在するという意味でいらないと言っているのなら分かるが、そういう言い方をしちゃうと、そもそも必要な古典なんかひとつもなくなってしまうぞ?
お前のいう「役に立つ」の定義は何なんだ。「金になる」という意味ならそれこそ文化政策やステータスシンボルとしてでも十分日本の文化は役に立つことになるだろう。「過去の旧弊を断つために異文化を学ぶ」のであれば、「一般人」にとって英語が役に立つ例にはなってないよなあ。
君の言うステータスシンボルのような意味での「役に立つ」自体を俺は批判し否定してるんだよ。まやかしだってな。で、撤回したんじゃなかったか? やっぱ食いさがってんじゃんww
一方で、海外のほとんどのライブラリのドキュメントは英語で書いてあるから、英語はとても役に立つなあ。
「才能職」(笑)がどんなものかは知らんが、学問的なトレーニングという意味での努力が役に立つ仕事というのが情報工学の分野の主流なわけで
うーん、でも君のFORTRANやC,C++についての言及のとんちんかんぶりを見てると、そのトレーニング(笑)とやらはどうも成果が出てなさげに見えるんだがなあ。つーかそれなりに本を読んでれば言わないようなことばっか言ってるよなあ君。
おやおや、「本物のエリート」がえらく縮小したね。MITはそのレベルの大学だというのなら、人口比からいって日本にもそのレベルの素質を持った人間は毎年千人単位でいることになるし、MITと同レベルの大学はほかにもいくつもあるから、もっとすごい数になるだろうね。だったら、欧米先進国様に丸投げして済む数ではないね。
えーと、そういう主張をしたいのならまずソースよろ。
で、それが本当だろうがそうでなかろうが、そもそも君の突っ込みはずれてる。俺の言ってるのは、ただの東大卒程度でエリートなんて呼ぶ必要ないだろ、ってことなんだが。毎年数百人も生まれるのに。
本当に新天地を切り開くようなエリートってのは、せいぜい数人程度だろ。その数人にどういう教育をするかと考えた場合、国内でまかなおうなどと無駄な縄張り意識を発揮するよりは、とりあえず世界トップレベルの大学に送り込めばいいんじゃないの、と。
教育課程を見直すとして、国を背負うほどのものでもない普通の東大生数百人のレベルをギリギリにチューンすることに金を使うよりは、普通の大学を出る普通の何万人のレベルを上げるほうが安上がりだし価値があるんじゃねえの、と。だから、「公教育の目的は平均と底辺を上げること」と何度も言ってるんだよ。
確かに、スパコンとかを用いた理論物理の一部の分野でFortranが主流になっている分野は存在することは存在するらしいな。
つか、スパコンの対応状況の問題でそういうのがある。多分俺が知ってた頃よりだいぶ減ってはいるだろうが。
だが、そうした一部の分野の傾向だけを捉えてFortranが主流だなんていうと大間違いだろ。
俺はFORTRANを主流だとは言ってないと思うがね。スタンダード(標準)だとは言ったが。主流と標準の違いは分かるよな?
さすがにまだ標準の座はC++に奪われたりはしてないと思うんだが。
ちなみにあらかじめ釘をさしておくが、LAPACKとかそういう既製品の数値計算ライブラリがFortranで書かれてるから云々などと言うなよ。
そうか、じゃあライブラリが何で書かれているかはとりあえず別の話にしようか。
でも、コアの計算部分がライブラリに分離されちゃうケースが増えると、ますます低水準処理がどうこういう意味がなくなるような。
C++と、お前さんが「数値計算の実習はFortranではなくCを用いましたが」と表現したCとで、実際どの程度パフォーマンスが違うと思ってるの、と聞いてるんだけど。どっちも同程度に低水準な処理は書けるぞ。
不完全な引用でごまかさないようにw正しく引用しなおしてあげよう。
お前さんが「君も一応理解してるようにC++やましてJavaでの数値計算は「出来ない話じゃない」程度のことで、向いているとはお世辞にも言えないだろ?」と表現したC++と、お前さんが「数値計算の実習はFortranではなくCを用いましたが」と表現したCとで、実際どの程度パフォーマンスが違うと思ってるの、と聞いてるんだけど。
と俺は書いたんだ。
「君も一応理解してるようにC++やましてJavaでの数値計算は「出来ない話じゃない」程度のことで、向いているとはお世辞にも言えないだろ?」という文章内での君のC++評価と、「数値計算の実習はFortranではなくCを用いましたが」という文章内での君のC評価の乖離について俺は質問している。
いや、多分Javaに引きずられてつい実際より悪く書いちゃったんだろうとは思うんだけどな。だったらそう訂正すればいいんだよ。それにJavaが遅いのは低水準が云々以前の問題だしな。
言い訳は結構。単に君がそこに噛み付いてきたからじゃないか。
最初から撤回しとけば話は一瞬ですんだだろうに。言い訳しなきゃいかんのは君だろ。
あれ、じゃあ君は古典を生業とする職業的立場から利益誘導であんなこと言ってたわけ?
そら苦労はするだろうが、ドイツ語や中国語や韓国語やスワヒリ語よりはまだ読めるぞ。たくさんあると大変だってのは、俺の英語習熟度とは関係ない議論だと思うがね。
当の欧米先進国様のインテリの間では、近代主義自体を否定しようとして欧米以外の文化に着目するのが流行っているようですよ。あなたは欧米先進国様を見習ってその辺も勉強しなければなりませんねえ。
その前にまず見直しを始められるレベルにまで欧米に追いつくとこからはじめるべきだろ。反動主義者に変な隙与えかねんし。まして、ただの業者の利益誘導にかこつけていわれてもね。
自由主義とか民主主義とか合理主義とかの、それ自体で肯定できる価値に結びつかず、ただ「古典文化を尊重すべき」というお題目だけを唱えているのなら、それは悪しき慣習だろうよ。つか反動思想に過ぎんだろそれ。
あくまで、古典文化が具体的に有意義だから、その有意義さゆえ尊重される、ということであるべきなんだよ。
敢えて言うなら俺は「無思想」だよ。
自称中立?w まあ、業界人の利益誘導に過ぎないのだとしたら、もしかしたら本当にそうなのかも知れんけどね。無思想ゆえに利用されるという恐れもあるね。
作る必要ないだろ、外国にあるんだから。
はいはい。言ってもいないことを勝手に想像して勝利宣言お疲れ様。一言だけ言っておくとFortranなんて言い出したのは君。
数値計算とか言い出したのは君。数値計算でFORTRANに触れないってありえねーだろ。
内部でどういう動作が行われているか必要なときには想定できるだけの感性を身に付け
はいもう言語の選択の話じゃなくなりました。お前さ、教養がどうこう以前に議論とか出来ない奴なんじゃね?
君も一応理解してるようにC++やましてJavaでの数値計算は「出来ない話じゃない」程度のことで、向いているとはお世辞にも言えないだろ?
Javaはそもそも低水準がどうとか以前の問題だろ。ていうか、C++に出来ない低水準な処理の出来る言語ってじゃあ具体的になんなの? C++は低水準処理の記述性という意味ではFORTRANに劣っているとは思えんが。
そりゃFORTRANのほうが数値計算では(特に専用機だったりすると)上だけど、それは低水準云々というよりは伝統的にFORTRANが標準語だから標準搭載されやすいってことだし、FORTRANが数値計算処理の記述性で優れているってのは、低水準処理とは別の話題だわな。
つーかやっぱこの論点では君の言ってることおかしいって。数値計算でもパターン認識でも、たとえば組み込みデバイスや、専用プロセッサに働かせようとしている、という話題にすればよかった。じゃあアセンブラ使ったり、アセンブラ的なCの使い方をするだろうからね。
ほんとにこの人は議論というものをわかってるのかね。一つの論点を挙げたらそれと心中しないといけないとでも思ってるんだろうか。
じゃあまず撤回するところからはじめろよ。くぐるまたぐらを激しく間違えてんだよ君は。
そういう意味でこの批判は文字通りナンセンス(無意味)。「このような論点が存在する」という主張は「このような価値観こそが正しく、他は全て間違っていると信ずる」というものとは全く異なる。だいたい俺が一度でも「役に立つから良い」などと主張したか?「役に立つものだけが良いものだ」と思っている奴が相手だと想定したから、「ある特定の価値観を認めたしてもこういう論点が存在する」と言ったのだ。それのどこが、俺がその「特定の価値観」を主張したことになるのだ。
これだけ言ってもわからないとしたら、君は論理的思考というものが全くできないと言って然るべきだろうね。
なお、くぐるまたぐらを間違えたことは認めるが、それは君がどういう思想の持ち主だったかを読み違えただけだ。しかし、匿名でものを書いている君が「俺様のことを正しく理解しないとは無礼千万!」などという資格はまるでないぞ。
それもまた極端な価値観だな。文学は神聖にして侵すべからずというのか。芸術的にも価値があり、経済的にも価値があるならなおのことよいではないか。
じゃあ例えば君が美術館の館長で、「芸術なんて無駄なものに金が出せるかボケぇ」ってな思想の持ち主の市長によって予算が激減させられそうになったとき、彼にどう反駁するんだ?芸術に対して経済的有用性を云々するのは冒涜である、と主張して、その結果宗教論争に陥って君は解雇、職員も路頭に迷う、なんてのが理想なのか?それこそ勘違いヒロイズムもいいところだ。職員はいったいどうなるのだ。
これが「世に差別や不正が溢れているとして、そりゃ一凡人に出来ることは少ないが、開き直って加担するような真似は俺には出来んね」といった人間の言葉なんだからお笑いぐさだね。
文化を有用性で測るのは冒涜だとかおっしゃったのはどこの誰様でしたっけねえ。
日本は所詮アジアだよ。それが証拠に、自由主義も民主主義もまるで精神的なところに根付いてなくて、簡単に前時代的な思想に転ぶじゃないか。
差別発言ですな。そう言い切ったあなたが19世紀の人間ならあなたはヘーゲルになれたかもしれない。だが今は21世紀なのでな。ヘーゲルの5693番煎じぐらいのことを言っても「事実関係に反する」と言われて終了。欧米先進国様にもキリスト教原理主義とか移民排斥とか悪しき伝統の宿痾はいくらでもある。
あんたがもしヘーゲルなら、あるいは丸山眞男でもいい、欧米先進国様の良い点だけに憧れを持って、悪い点を等閑視していたとしても、情報の不足として酌量された点はあるだろう。だが現代ではそうはいかないぞ。
アベレージをほどほどに高く保ちつつ、それで足りないようなエリートは海外で一流の教育を受けて来い、って言ってるだけなんだが。
わざわざそんなことをしたってなんのメリットもないし、むしろデメリットしか想定できないと主張しているのがわからんのか。
えーと、それから旧帝大の卒業生が世の中のどれだけの割合になるのか調べてからものを言おうね。
Fortranを知らないなんて一言も言ってないのにねえ。天声でも聞こえたのかなあ。
実践的なことばっかやってんじゃねーか。お前がその実践性を理解できてないだけだ。
釈迦に説法。仮にも俺は工学修士だ。お前ごときがエラそうに言ってる話なんて学ばずとも勝手に覚えたわ。
工学は実践に直結しているに決まってるじゃないか。「実践」のレベルが違うと言っているのだ。誰が講義でEmacsやgrepの使い方なんか教えてるか、馬鹿馬鹿しい。時間を掛ければいつでも必要なだけ身に付けられることをわざわざ貴重な時間をいくらも割いてまで教えるわけがなかろう。
だいたい、線型代数も微積も何も理解できないお前ががあのシラバスの内容を大まかにでも正確に理解できているわけがないんだがね。それのどこが君のいったような意味で「実践的」なのだ?え?
言っておくが、どっかで聞きかじったような言葉を言葉として知っていることと、内容まで理解していることは天と地の差だぞ。誰かがあの内容に沿って作ってくれたライブラリを使ってコーディングすることは「情報工学」じゃないぞ。わかってんのかその違いが。
じゃあまず撤回するところからはじめろよ。くぐるまたぐらを激しく間違えてんだよ君は。
撤回したってことでとりあえず納得しておこう。
君が「古典なんて役に立たないものはやめてしまえ」と主張するのでなければね。
俺はやめてしまえなんて一言もいってないけどね。要らない、役に立たないとは言ってるが。
だいたい、文学の価値を社会的経済的国政的有用性で測ろうなどというのがそもそも冒涜だ。
君の人生はそれで楽しいのかも知れんけど、「教えるべき」まで言っていいのかは疑問だな。
「きっと将来楽しく思い出せるから、このくらいやってもいいんじゃない?」程度のもんだろ。
俺は単に君の主張を崩しにかかるための一番やりやすい点として「役に立たないから」という部分を選んだにすぎない。
そこであまりにも派手にやり方間違えたんだよ君は。で、実際役に立たないというのは論破できてないし。
知的社会的政治的有用性で芸術を測ってる段階で、俗物だと思うけどなあ。
たとえば、英語が半ば世界標準語になっているのはおかしなことだが、「英語帝国主義粉砕!」と叫んで英語を勉強しない人間が、英語帝国主義の体制を崩せる力を持てると思うのか?
俺は「相手の土俵に乗り込んで相手を倒すべき」と言っている。どっちが前向きかは明らかだ。
追認して差別を拡大再生産してるだけじゃん。で、その股くぐって何が変わるの?
源氏物語や万葉集が読めるようになって具体的にどう有効なんだよ。お前一度も答えれてないじゃん。
欧米の古典文化には、確かに今でも通じる知的、思想的、社会的政治的意義はあるよ。
だから、文化格差的な論点を無視は出来ないものの、価値自体は認めざるを得ないよ。くぐるべき股ぐらだよ。
文芸的な、要は道楽としての価値は認めるが、それ以上のものはないだろ。やっぱぜんぜん違うよ。
そんなもので格差が生じるんだとすれば、それは差別に過ぎない。スノッブで鼻持ちならないね。
日本は所詮アジアだよ。それが証拠に、自由主義も民主主義もまるで精神的なところに根付いてなくて、簡単に前時代的な思想に転ぶじゃないか。
なんで「すべて」の話をしてんだ? アベレージをほどほどに高く保ちつつ、それで足りないようなエリートは海外で一流の教育を受けて来い、って言ってるだけなんだが。
そんな極少数のエリートのために世界最高峰の教育機関を整備するコストは、バカにならんと思うがね。
どうしてイスラム文化は無視されてるんだろうねえ?
イスラム文化には見るところが多くあったよね。で、日本の古典に何があったって?
笑止な。線型代数も理解できない奴に工学を訳知り顔に語るな。ほれ、これが東大と京大のカリキュラム。機械工学や電気工学のような従来型の工学に勝るとも劣らないほど理論的な教育が行われていることがわかるか?
それを言うなら、そもそもFORTRANも知らんバカが情報工学を語るなw
実践的なことばっかやってんじゃねーか。お前がその実践性を理解できてないだけだ。
おやおや都合よく逃げ出した。でも、数値計算にFORTRANが使われる理由は、低水準な処理が出来るからというわけではないのだが。
他に何か一つでも具体例を挙げてから言う台詞だなあ。
ひとつしか挙げられず、それも論破された上で、負け惜しみにしかなってないだろそれ。あほ。
青少年ネット規制法やら児童ポルノ規正法改正案やらが制定されても、なんかこう、全く従う気が起こらないというか、下手したら無意識にスルーしてて、マインドが「あれ、そういえばなんかそんな法律あったなあ」とかそんな感じになりそうなわけで。あちこちでネットの炎上騒ぎやら正論だーみたいな演説見ては何やってんだろうねとスルー力が強大についてしまったわけで。
選挙とかあっても、立候補できるような層とか選ばれた代議士ってロビー活動やらなんやらで攻勢かけられまくって全体が偏られちゃってるでしょ、という想いがかなり強まってて、なんかこう乖離してるというか。なんというか。
新自由主義の立場にたれば、そうだと私も思います。
しかしながら、私は新自由主義では、こういう結果にならないと思う立場です。真自由主義の理論が正しいと証明されたわけでもないですし、事実、結果がでてないと思います。
新自由主義に立つとしても、フェアな競争でないと理論どおり市場が動かないと思うので、ルールは必要だと思いますし、ある程度コントロールする必然性があると思います。
しかし、新自由主義を採用すれば格差は広がることは明らかだと思うので、すべての人が同程度の豊かさを手に入れるとはとても思えません。
極端な話、最低賃金の規制とかも、市場がきちんと理論通りに動くとしたらいらないわけで・・・。
【派遣・日雇い】共産党志位委員長の国会質問が話題になっていますが、これらも含めた最近の「派遣は悪」という論調の議論がイマイチ理解できません。 論点を明確にするた.. - 人力検索はてな
格差が広がるということですが、それはどこに注目するかということでしょう。
現在、日本では格差が広がりつつあることが話題になっています。確かに、小泉政権後それが顕著に出ているかもしれません。が、しかし、もっと視点を広げて世界に目を向けると後進国といわれていたような地域が経済力をつけてきたようにも見えます。
大航海時代、フランス革命、産業革命からずーっと過渡期なわけで、自由主義ってのはその過渡期から安定期までを加速させるために都合の良い考え方なのではないかな。
なので、自由主義が台頭している間は、だぁーれも安心して生活できないんですよ。
まだまだ時代は旧いままなんですよねぇ。残念なことに。
マクロ、ミクロを持ち出すような経済学的な観点に立つと雇用者(経営者)の論理が先に立ちがちですが、労働者の論理も無視できません。
現在単純労働に分類されている派遣労働者の生活を守るために最低賃金の増加を言うのに論理的な破綻はないと思います。
【派遣・日雇い】共産党志位委員長の国会質問が話題になっていますが、これらも含めた最近の「派遣は悪」という論調の議論がイマイチ理解できません。 論点を明確にするた.. - 人力検索はてな
これね勘違いというわけではないのですが、根本的に立ち位置が違うんですよ。経済学的な視点ってのはあくまでも経済「学」なんですよ。さらにいうとid:tableさんが経済学だと思っているのは、あくまで新自由主義的((新古典主義的でもいいのかな?))な視点から解釈する経済学なんですよ((現在の主流は自由主義に沿った考え方なのでほぼ正しいのですが、それでも新自由主義を推奨しているわけではなくて、経済を基本として社会をとらえた時に、よりシンプルな解釈ができる方法・思想・考え方ってだけのことなのです。))。そうだとしても、経済学が経営者の論理に立っているかというとそれはウソです。経営者も労働者も市場原理にしたがって駆動するプレーヤーとして扱われています。経営者が自己利益の最大化を図ろうするときに、同時に労働者も自己利益の最大化を画策します。ゆえに両者は対立する関係ではなく、同じフィールドで協調しながら個々の利益の最大化を図るプレーヤー同士なのです((残念ながら抜け駆けや騙し討ちなども平気で発生するし、条件がアンバランスだったりするドイヒーなフィールドなんですけどね。))。
なのでねid:tableさんが言っていることと、id:curry21が質問していることとは、見ているものが違うんですよ。
id:curry21さんの考え方((回答への返信から勝手に推測))だと、単純に外部化できる労働はどんどん労働単価の安い所にまわしてしまいましょうって感じなんですよ。それに対して誰かが「国力が...」とか言っても、国家ってなに?経済の地理的循環を停めようとする邪魔な存在のことですか?そんなもんは無くしちまえよ。というような考え方なんですよ((こうした国家をシカトするような考え方自体は悪ではない。実際、歴史を振り返ると第二次大戦のきっかけとなった世界恐慌は国家の保護政策的なブロック経済がそもそもの原因だったりします。))。別に日本人ばかりが裕福な暮らしができても仕方がないでしょ?中国人だってインド人だってアフリカ人だって裕福な暮らしをしたいし、それを実現する権利があるんだから、日本人が自分達の生活を守るために第三国を排他的に扱う正当な理由はないでしょ?って考えているわけですよ。そんな風に考えないないで一部の日本人の都合だけを考えて「派遣は悪だぜ」なんて言ったら、一方が圧倒的に有利な条件でゲームをしているようなもんなんです。
そういう観点からid:curry21さんは質問をしているわけだと思います。こうした一見すると無茶苦茶に見えるようなことでも、じっくり考え((自分自身の感情や立場を脇においておいて、合理にのみ徹して考え))てみると、芯が通っていて先まで見通せるような気になってきます。まぁ、もちろん実証出来ないよとか、現実にはあてはめられないよとかの反論は多々あると思います。でも「学」なんてそんなもんです。でも、そんなもんなんですが、それでも現実においては思想にもとづいた一貫した主張・行動は必要だと思います。その時々によって自分に都合のいいことばっかりだと愚衆とかイナゴとかになってしまって、メディアや声の大きい人達にいいようにアジられてしまいます。
なんでもかんでも何かの主義にあてはめろというわけではありませんが、せめて自分自身がどんな立場で、どんな思想を持って物事を判断したり、ケチをつけたりしているのかを振り返ってみる必要はあると思います。そうでないと単にムカついたとか感情だけで反応してしまってどうやってサヤに戻すか困惑してしまうことになるかもしれません。
投票に行くのだって個人の自由って事わからんかな。本人の意思を無視するのは民主的じゃないでしょ。それなのに行かないやつは非国民というやつこそ非民主的なんじゃないかって話だよ。
それはともかく、現代日本で「反民主主義的な思想」を持つだけなら当然「自由」だよ。だからアンタが何をやろうがこちらに止める権利がないのは当然だ。でも「反民主主義的な思想を持ち反民主主義的な行動を取る人間」のことを「お前は民主主義の敵なんだな?」って聞いたら切れるって、どんなだよwwww民主主義に敵対しといて「敵とか言われんのってオカシイ、つーか嫌」とか「オレだって民主主義者だい(涙目」とか無茶言うなw
それに投票率は毎回変動するんだから投票に行かなかろうが浮動票は無視できるものでもない。むちゃくちゃなこと言ってるのはそっちなんだよ。
浮動票が全体に占める割合は毎回変化するわけで、それが多いか少ないかによって陣営の戦略が変わるのは当然。
まとめるけど、選挙に行って民主主義に参画するも自由、選挙に行かないで民主主義の敵になるのもそりゃ自由。で、日本は民主主義国家なんだから、後者選ぶならギャグで「テラ非国民wwww」呼ばわりされても仕方ないだろ、常考。
記事で問題になっているのは著作権だが、それには触れない。
但し、プロレタリア革命はブルジョワ革命が完遂した後に起こる、或いは現在の自由主義が歴史の終焉であると言った話題は、手に余る。
同じ20世紀で、しかも大衆芸能について、一定レベル以上の成熟と大衆性を獲得した(だから、純文学や前衛藝術を除く)ジャンルでは似たような進化を辿るのではないか、という話。
>>最後に取り上げる例は、ジョージ・スティーブンスの古典的西部劇『シェーン』である。周知のごとく、西部劇というジャンルは四〇年代の終わりに最初の深刻な危機を迎えた。純粋で単純な西部劇は、いかにも作り物で単純な繰り返しだ、という印象を与えるようになった。西部劇の公式は使い尽くされたようにみえた。作家たちは、他のジャンルの要素を西部劇に盛り込むことによって、この危機に対処した。かくして出来上がったのが、フィルム・ノワール的西部劇(ラオール・ウォルシュ『追跡』。この映画は、フィルム・ノワールの暗い世界を西部劇に移植するというほとんど不可能な仕事をなしとげた)、ミュージカル・コメディ的西部劇(『略奪された七人の花嫁』)、心理的西部劇(グレゴリー・ペックの『ガン・ファイター』)、歴史叙事的西部劇(『シマロン』のリメイク)などである。一九五〇年代に、アンドレ・バザンはこの新しい「反省的」ジャンルをメタ西部劇と命名した。
この「メタ西部劇」は『西部劇』自身のパラドックスであり、その「メタ」の部分は/西部劇そのもの/である。いいかえると、この映画は、西部劇の世界にたいする一種のノスタルジーにみちた距離を含んだ西部劇である。『シェーン』が生み出す効果を説明するには、ふたたび視界の機能に言及しなければならない。つまり、常識的なレベルに留まっているかぎり、すなわち視線という次元を導入しないかぎり、単純で理解できる問いが生じる──もしこの西部劇の「メタ」の次元が西部劇だとしたら、二つのレベルの間の距離はどう説明されるのか。どうしてメタ西部劇は西部劇そのものとぴったり重ならないのか。どうして純粋で単純な西部劇はできないのか。答えはこうだ──構造的必然性によって、『シェーン』はメタ西部劇のコンテクストに属している。<<
(スラヴォイ・ジジェク著 鈴木晶訳 斜めから見る。青土社 P121
猫も杓子もジジュクを使いまわしている昨近、またか!と思われる方も多いだろう。またか、である。
アンドレ・バザンの≪超西部劇≫(sur-western)は、時間=歴史的な対象、一九四〇年前後の古典主義に対する一九四四年以後の「進化した」西部劇を指し示す。対して、ジジュク≪メタ西部劇≫は、空間=図式的な観念である。それは「メタ」の次元とそれ以外の次元からなる「二段の棚」であり、話を進める上で好都合だったので、持ってきた。
日本の場合、過去の例で思い当たるのは、時代劇だが、最近では、何といっても、ロボット・アニメかな、と。(時代劇については、ここでは触れない)
名前はいちいち挙げないが、歴史叙事的ロボット・アニメ(西部劇では実際の過去の出来事だが、ロボットがポピュラーな時代は未だ来ないので、未来、或いは仮想世界が舞台になる戦記物)、コメディ的ロボット・アニメ、(破綻も含む)教養小説的ロボット・アニメ、ファンタジー的ロボット・アニメ、ラブストリー的ロボット・アニメ、その他、いろいろ。
では、”その「ロボット・アニメ」は『ロボット・アニメ』自身のパラドックスであり、その「メタ」の部分は/ロボット・アニメそのもの/であるような作品、ロボット・アニメの世界にたいする一種のノスタルジーにみちた距離を含んだロボット・アニメ”、西部劇で言えば「シェーン」に該当するロボット・アニメは存在するだろうか?
プーチンいいじゃん。最高だよ。実際国内にいれば優秀な大統領だと認識するだろう。実際ロシアは軌道に乗り始めてるし。
福田を糞扱いする人がプーチンを危惧するとは、何でも出来る聖人なんて出てこないぜ。
資源利権でアメリカと真っ向から対立し、外交問題を外国からの民主的でロシアの役に立たない声を抑え、捻りつぶして安定させたんだから全体主義といわず現段階ではカリスマと呼びたまえ。アメリカ資本主義なぞロシアにとって邪魔でしかないのだよ。
経済成長の為に不必要な声は握りつぶす。最高じゃないか。臆病者の民主的な声なんて国の役に立たないんだよ。それどころか一部の民主的で自由主義的な声が現体制下では足を引っ張りさえする。
帝政ロシア復活で何が悪い。支持率も高い。豊かで自立する国とはこういう国だ。
敗戦国ばかりを見てはいけない、昔のイギリスはどうだった、酷い事やっただろ。それで輝かしい今があるんだ。そういうことだ。
い…いや…体験したというよりは全く理解を超えていたのだが… あ…ありのまま 今起こった事を話すぜ!
『職務質問を拒否したら柔の技を駆使され、45分足止めされた』
な…何を言っているのかわからねーと思うがおれも何をされたのかわからなかった…
頭がどうにかなりそうだった…治安維持だとか善き市民の隣人だとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ
もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…
と、いうわけで
半年前に秋葉銃刀法のウソで書いたとおり新宿でひどい目にあった増田ですがね。こんどは渋谷でひどい目にあってきましたよっと。サマリーは上の通りなので、ディティールを多少。
時間は、遅めのランチだか夕食だか分からないごはんを食べて、職場へ戻る16:30。場所は道玄坂小路から円山町を抜けてシネアミューズ裏へ出る小道。Google マップの「2丁目」の字の右下あたりの坂を上ってる途中で声をかけられた。服装はデザイン迷彩のジャケット(おそらくこの服装の第一印象がまずかった)。
正面から降りてくる3人の巡査の一番若いやつが「すいません。ちょっといいですか」とにこやかかつ慇懃無礼に言ってくるので、こちらも応じて「いやです(にっこり)」。新宿であんなことを体験してて、しかも食事休みが終わるギリギリかつ帰ったら業務が待ってる。そんな状況でハイハイと機嫌良く職質に応じるヤツがいたら、そいつはよほどの聖人君子か論理的思考のできないバカだ。とか思いつつ横を通り過ぎようとするおれ。「そうですかー」とか言いながら苦笑の警察官。
次の瞬間、全く信じられないことが起こった。
は? な ん で お れ の 袖 口 は 掴 ま れ て ま す か ?
若い巡査はそのまま苦笑いでおれを通す気らしかったのだが、どうも後ろに控えていた35くらいの巡査はそうじゃなかった。がっつり袖口つかんでぐいと引っ張りつつ「まあまあそういわずに、お話だけでも」相変わらずにこやか風ではある。が、「面倒ごと」イベントのフラグが立ったのは死ぬほどよく分かった。
とりあえずおれは当然の権利を口にしてみる。
「いや、この職質は任意ですよね?」
「はい」
「じゃあ僕には拒否する権利がありますよね?」
「いやいやそういわずにお時間は取らせませんのでお話を」
とか言いつつ、ぐんぐん歩いて職場に帰ろうとするおれを必死で邪魔しやがる。フォーメーションとしては
ーーーーラブホの壁ーーーーーーー
俺 35 →進行方向
若 荒
という感じで35歳は手を広げての後ろ歩き&サイドステップをしつつ、折を見ては胸や二の腕、手の甲で押し、俺をラブホの壁へ追い込もうとする。若い巡査はおれと併走(?)しつつ35のサポート。荒(荒川良々にそっくりだったのでいま命名)は35に1.5mほど先行し、不意の飛び出しに備える。
ってこれ俺の愛するフットボールで言うところの「ライン際で時間を使わせるゾーンディフェンス」まんまじゃないですか!
そんな感じで円山町を登り切るまでにまんまと15分ほど使わされました。ほんの50mですよ? その間おれは手を組み、決して肩より上にあげないようにしつつ無駄な会話を楽しみ。スキット風に抜粋するとこんな感じ。
-
35「ああそうなんだ。じゃあ早く協力してくれれば早く解放されるよ。ところでオフィスの住所は?」
露骨に個人情報の開示を要求。
-
俺「『転び公妨』とかないですよねw」
35「ないよーw(肩で俺を押しつつ」
あ、知ってるんだ転び公妨。
-
俺「いや、だから新宿でこれこれこういうことがあって、職質は受けないことに決めたんです」
若「それは大変だったねー。でもここは渋谷だから」
すげーセクショナリズム。
-
35「そんなに拒否するってことは何か持ってるのかなー、と思っちゃうでしょ」
俺「何も持ってないですよ。だから個人の信条として『職務質問は拒否する』って決めてるんです」
若「何も持ってないなら受けても大丈夫じゃない」
俺「だから個人の信条として……」
以下ループ
そんなことしてるうちに、荒川良々似が35の支持を受けて応援を要請。4人目が登場。
またコイツが最初の3人に輪をかけて官憲の論理でムンムンなヤツで。もう話を聞かない聞かない。プレッシャーのかけ方も、35とかは肩や胸でじゃまする程度だった(それでも充分ひどい)のに、こいつは露骨に両腕を使ってゴリゴリ押してくる。Jリーグのゾーンディフェンスが、プレミアのマンマークに変わった感じ。もしくは競技自体がカバディに変わった感じ。最終的にはシネアミューズ裏の壁のくぼみに追い込まれて、全く逃げられない状況(「4」が4人目の応援巡査)。
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荒 4 俺|カ
若 |ベ
35 |
4は左手を壁の角につけて、右手でおれの左腕を押し、絶対に動かさない。えっと、これって警察官職務執行法で禁じられている「身柄を拘束」じゃないんですかね? しかも態度が明らかに対不審者に硬化。
さらに不毛になる会話はこんな感じ。
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4「僕は○○と言います。あなたの名前は?」
俺「いや、教えたくもないです」
4「僕は自分の名前を言ったでしょう。なんで言ってくれないんですか」
俺「個人情報だから当然じゃないですか」
4「わからないなぁ。僕は自分の名前言ったじゃないですか。何か名前を言えない理由があるんじゃないかと疑っちゃいますよ」
俺「ありますよ。でも残念ながらあんたらが思ってるような怪しい理由じゃなくて、プライバシーっつー正当な理由で」
4「でも僕は名前言ったじゃないですか」
以下ループ。
-
俺「職務質問は拒否できるんですよね? 天下の往来を自由に通行する権利は、誰にも犯せませんよね?」
4「権利権利と言うがね、我々にも渋谷の治安を維持する義務があるし、市民もそれに協力するべきなんじゃないのかな」
出たよ。権利は義務とトレード厨。法を執行する人たちの認識がこんなでいいんスかね。
-
俺「あの、こんな人目につかないところに追い込んで恫喝して、卑怯じゃないですか? 人通りの多いところ行きましょうよ。東急本店前とか」
4「じゃあ行こう。行ったら話してくれるんだよね?」
なんで交換条件なんだよ。成立するわけねーだろ。
-
4「なんでそんなに拒否するの」
俺「いやだからさっきこの3人には説明したんだけど、また言うの? 新宿でこれこれこういうことがあって」
4「また持ってるの? そのキーホルダー」
俺「持ってねーよ!」
4「わかった。もし君がそのキーホルダー持ってても何も言わないから。身体検査させてよ」
もうなんかいろいろ破綻してて意味が分からない。整理してみよう
もうね、ここまで言われて誰が協力するかと。そもそもそれまで俺が、警官による軽犯罪法の私物化(「正当な理由」の現場判断)に対する疑義をずっと呈しているにもかかわらず、ですよ。
-
4「あなたも渋谷で暮らしてるんでしょ? 職務質問で凶悪犯人が捕まったケースもあるんだよ。渋谷の治安が良くなったらあなたも嬉しいでしょ?」
俺「ふーん。で、何人に声かけて、何人の凶悪犯がつかまったの? 何%くらいなの?」
4「そんなこと、正確な数字は知らないよ」
俺「いや、ボリューム感でいいから。何千人に何人とか、1年に何人とか。統計あるんでしょ」
え? 自分の仕事のおおまかな効率も知らないでやってるの?
それって勤務態度としてどうなの。それとも、あまりにも数値が低くて言えないの?
-
4「だから職務質問によって治安が良くなるから、協力してよ」
俺「いや、『この職務質問』に関しては良くはならないよ。だって俺は『俺が凶悪犯じゃない』ってこと知ってるし。ああ。そうか。わかった。メタで見ればこういうことだ。あなたたちは『マスの職務質問の中の1件』としてこの職質をとらえてるから、あなたたちの立場から見ればこの職質は治安向上につながるかもしれないけど、俺の立場からすりゃこの職質は『1の1』だから、この職質は治安向上に貢献しないって分かり切ってる。なら協力するいわれはないじゃん」
4「うん。酔ってるところ悪いんだけどさ。職務質問で治安が良くなったら、あなたもうれしいでしょ? 協力してよ」
酔ってNEEEEEEEEEEE!!!!!! 「仕事中」って言ったろうが!
そしてその論理は通用しねぇっておれが懇切丁寧に説明したところだろうが!
-
4「だから協力してよ(言いつつ強引にポケットに手を突っ込もうとする)」
俺「だーかーらー。新宿であんな目にあって、協力するわけ無いじゃん! そりゃ以前は『警察官は体張って市民の安全を守って、大変な仕事だなぁ』って協力してたよ! でもひどいことされて、その後協力するわけないじゃん。ゲーム理論でも『しっぺ返し』がいちばんの戦略って基本じゃん!」
いや、やりますよ。ヴィデオゲーム全般やりまくりですよ。でもそれ今関係無いっつーか、数学の話なんですけど? いままあ要するに『ゲーム脳の恐怖』! 『ゲーム=不良』! って言いたいんだろ? お生憎様。どんだけ時代錯誤やねん。
-
いちばんひどいと思ったのがコレ
4「いやだと言われて『ハイそうですか』と通しちゃ、自分たち仕事にならないんだよねぇ〜」
そんなこんなで2〜30分薄暗い壁のくぼみに、ゴツい成人男性4人で押し込められて、こんな不毛な会話。会話ッつーかもっと暴力的な何かだと思うが。最終的には同意を得ずに強引にボディチェック。それってセクハラなんじゃね?
で「うん、何も持ってないようだね。ご協力ありがとうございました」
冗談じゃねーよ。
そこで必要なのは感謝の言葉じゃなくて、謝罪だろーが。おれがすぐオフィスに帰ってするはずだった業務が、45分遅滞した損害に対する。
てな感じ
職質拒否、ってけっこうスローガンとしてあるけど、社会人が実行するのはマジたいへんですわ。その後が内勤だったからできたようなものの、打ち合わせとか入ってたら拒否しきるのは厳しかったと思う。
ここでも結論は新宿のときと同じ。
教訓:時間はいつでも警察の味方だ。奴らは自分たちに分別可能な動機が出るまで粘り続ける。
もうね、何がつらい、と言うかひどいって。ヤツらは自分が理解不能なことがあると、それらは全て「劣っている」と見なすことによって、自分の精神的優位を保とうとするんですよ。
ゲーム理論の件しかり、「酔っぱらってる」発言しかり。
まぁね、おれも怒りのあまりハイになりすぎて、しなくていい発言をした、とは思ってるけど。それにしたって人としてあんまりだ、と思った。「自分たちは目的遂行のため優位でいなければならない」って思い続けた結果、「自分たちは優位だ」にみごとに置き換わってる。
ほんとうに反吐が出る体験だったよ。
あと、これを機にオタクがナイフを持ち歩く心理が理解できない - 神聖マルチ王国とかを読み返した結果、おれはもう一度ビクトリノックスのキーホルダーを持ち歩くことにしたよ。古典的自由主義者の姿勢の表明として。マルチツールキーホルダーを、グルーミングキットとして持ち歩くことを「正当な理由ではない」と恣意的に判断する警察は、やはりどう考えても、間違ってる。それに対するささやかな抗議だ。
【是非見とくべきURL】
白川さん。あなたの勇気ある行動から、まる3年。事態は何も変わってないようですよ。必読!
私が受けたような職務質問が公然と許されるようになれば、わが国は早晩警察国家となるでしょう。犯罪は現在よりも摘発が楽になるでしょう。治安も多少は良くなるでしょう。だが、私たちの人権は確実に侵され、私たちは国家に対して従順に生きていかなければなりません。テロとの戦争ということで、イラク国民を十数万人も殺したアメリカを公然と支持する小泉首相が率いる国家に、私たちはどうして従順に従わなければならないのでしょうか。私に対してあのような石頭的対応しかできなかった警察官のやることを、私たちはどうして素直に受け入れなければならないのでしょうか。少なくとも私はそういう社会には住みたくありません。日本をそんな国にはしたくないのです。
あと転び公妨の映像資料。「ちょw近いwww」なカバディーからセクハラ(抱きつき)、小外掛けのコンボで戦闘不能! ほんとに中盤はおれの職質もこういう状態だった。
最後に。職質の根拠となる警察官職務執行法。
第1条第2項 この法律に規定する手段は、前項の目的のため必要な最少の限度において用いるべきものであつて、いやしくもその濫用にわたるようなことがあつてはならない。
第2条第3項 前2項に規定する者(引用者注:職務質問を受ける者)は、刑事訴訟に関する法律の規定によらない限り、身柄を拘束され、又はその意に反して警察署、派出所もしくは駐在所に連行され、若しくは答弁を強要されることはない。
2ちゃんねらは統率された集団じゃない
要約力に嫉妬。
2chが統率された集団にならないのは、2chがもともと、集団を作るのを嫌う人の集まる場だからだろう。自由主義、個人主義、反権威主義者が多い。まとまったとしても、つまらなかったらすぐに抜けてしまう。そういう奴らが、自由な空気に惹かれて居ついてる。
(板ごとの分割統治、専ブラによる「板住人」意識の希薄化=「スレ住人」意識の強化などで、2ch全体での仲間意識は希薄になってるしな)
同じネットコミュニティでも、mixiみたいな他人と協調するのが好きな奴の集まりとか、Yahoo!のようなルールによって統制された集団ならば、宗教化する可能性は否定は出来ないだろうな。
文学批評理論というのは世の中のあらゆるテキストを読み解くことでしか自身の意義を誇示できないわけなんだがまあそんなことはどうでもいいが。とりあえず、価値というのはだいたいが捏造の産物、というか、瓢箪から駒、みたいなもので。消費者の心に火を点けたもん勝ちみたいなところがある。自由主義ではある程度。そういう意味では批評理論はマーケットでも使える。と思う。
それはそうと、
「初音ミク」は、おそらくオタク共にとって、自分たちの音楽というジャンルにおける活動を世間に認めさせるためのツール
そんなこと思ってミク使ってるヲタなんて、日本に5人ぐらいしかいねえんじゃねーの。
もしニコニコがなかったら、「こんなん作ったよ聴いて聴いてー」ってする場所すらなかっただろうわけで、ミクの購入者はより本気度が高い奴らばかりだったろうと思うけど。実際にはニコニコ内ミク同好会の同志に聴かせてうふふうふふするぐらいのもんで、それ以外の「世間」に対してアピるような意識はほとんど皆無だと思う。つか、ニコニコ内ミク同好会だけで十分な「理想の観客」がいるわけで、その外に向けてわざわざアピる必要性を感じないと思う。
そもそも、このソフトを使って「世間」に向けて一般的な音楽を作ることに音楽業界が難色を示したから、そこへの配慮も含めながらうまく商品展開するために今のミクの形(「ボーカロイド」としてのキャラクター展開)があるわけで、今一部ヲタの内輪だけで爆発的に盛り上がってるという状態は、メーカーにとってはすごく理想的な展開なんじゃないかね。ミクという商品については。
んで、この盛り上がりをミクの次の商品、というかボーカロイドの次の展開、につなげられたらいいな、という思いがやはりメーカーにはあるだろうから、そこでテレビを見てる一般層にこの盛り上がりをちろっと露出しようと考えたんだろうね。そしたらテレビ的にはソフトの特徴とか革新性の訴求とかはシマンネからどうでもよくて、ヲタいじりの方がバラエティ番組的にオモロなんでそっちにいっちゃったと。番組での取り扱われ方についてはテレビ的ヲタいじりのテンプレ通りなんで、この件についてのヲタvs非ヲタの議論は全く進展しないこと必至。東スポ並みに確定。
あ、ちなみにアッコとやらにまかせる番組は見てません。