はてなキーワード: 自由主義とは
ヴォルテールの名言
有名な「私はあなたが何を言っても賛成しないが、私はあなたがそれを言う権利を死んでも護るだろう。」という言葉は、自由主義の原則を端的に示した名文句として人々に記憶されているが、実はヴォルテールの著作や書簡にはみえず、S・G・タレンタイア(Stephen G. Tallentyre、本名 Evelyn Beatrice Hall)の著作『ヴォルテールの友人』( "The Friends of Voltaire"、1906年)中の「 'I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it,' was his attitude now. 」の部分翻訳である。この後に「彼の態度はこう言っているようなものだ」と続いておりヴォルテール自身の言葉とはされていない。なおヴォルテールの1770年2月6日、M. le Richeあての書簡には、「私はあなたの書いたものは嫌いだが、私の命を与えてもあなたが書き続けられるようにしたい。」(Monsieur l'abbe, I detest what you write, but I would give my life to make it possible for you to continue to write.)とあるとされ、一説にはこれの翻案ともいわれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%AB
名言ってこういうの多いですな。
宝味 - 山口光市母子殺害事件で「殺す」と言うインテリと「殺せ」と叫ぶ莫迦
民主主義下の自由主義社会において、近代法を採用しているならば、客観的に判断して、この事件は「無期懲役」が妥当な判決であると言えます。
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煩悩是道場 - 『山口光市母子殺害事件で「殺す」と言うインテリと「殺せ」と叫ぶ莫迦』と書くid:takisawaさんへの質問
客観的に判断して、と仰られるのであるならば、客観的であるという根拠を例示するべきであると思われます。
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本事案は、判例主義で考えるならば、法務に関わるほとんどの人間が無期懲役にあると考えるでしょう。
これは私もそう思いますし、報道においても実務に関わる裁判官のアンケートか調査で、量刑相場は無期懲役が妥当であるとでていました。
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http://anond.hatelabo.jp/20070420222852
社会は「最大多数の最大幸福」を求めるべきである、というのが近代法治国家の常識と思ってるのだが。
大前提:人の死は不幸である
よって、なるべく多くの人が、なるべく長く生きていける社会の方がよい。
もちろん、より幸福に生きていける方がより良い。
より多数の人が死ぬ→不幸になる事を避けるために、人を殺す事もある。死刑、戦争など。
しかし、別の手段で避けられる→より「最大多数の最大幸福」が得られるのではないか?→戦争・死刑反対となる。
社会主義→すべての人は等しく平等で、等しく富をわかちあえば、より多数が幸福である
→だれかが平等となるようにコントロールせねばならず、そこに権力・富・幸福の格差が発生する。
→競争力が奪われ、国力が衰え、結果として多くの幸福が得られない。
自由主義→個々が幸福となるために最善と思われる行動を行なう事で、結果としてより多数が幸福になれる
A「痴漢されるようなミニスカートを履いているんだから、痴漢されてもしょうがない」
B「いやいや、ミニスカートを履いてるから痴漢してもいいということはないし、そもそも同意も無く体を触るのが問題だよ」
A「しかし、痴漢をされたくなければそんなスカートを履かないのが普通だ」
B「まあね。たしかに『痴漢されたくなければミニスカートを履くな』というのは、対処法の提言としてはそれなりに筋が通っていると思うよ。いくら『ミニスカートを履く自由』を訴えたところで、実際にミニスカート姿に刺激されて痴漢をする人間が減るわけではないだろうからね。しかし、『されてもしょうがない』ってことはないと思うよ。そんなことを言ったら、泥棒に入られた金持ちは『泥棒に入られるような財産を溜め込んでいるのが悪い』ってことになるでしょう? 自由には代償が伴う、という考え方は自由主義社会を生きる人間として大変もっともな考え方だけれど、それを拡大解釈して片方にしか法的な過失がないにもかかわらず喧嘩両成敗みたいな結論に結びつけるのはどうなのかな。実際にあなたが何か一方的に被害を受けたとき――そうね、青信号の横断歩道を渡っていて、信号無視の酔っぱらいの車に跳ね飛ばされて半身不随とかどうかしら――もそう言えるの? 『外を歩いていたら車に撥ねられてもしょうがない。自由の代償とはそういうものだ』と。言えるのなら立派だわ」
言い負かしたいなら、こんな感じで返せばいいんじゃないのかな。
言葉の定義でつっこむなら、
B「『なんで合法の範囲内の『スカートを履く』行為の自由が、違法な行為である『痴漢』によって侵害されるのを『自由の代償』なんていう論理で認めなきゃならないのよ。私たちは法治国家の国民なのだから、私たちにとっての『自由』は『法の下の自由』以外の何物でもありえない、ってことがよくわかってらっしゃらないようね。そんなひとに軽々と『自由の代償』なんて口にして欲しくないわ」
とかどうだろう。言葉が堅いかな。
もっとも賢明な振る舞いは、「ふうん」と軽く流して、以降、内心小馬鹿にし続ける、ってのじゃないかな。
一定の年齢以上になると、馬鹿は死ぬまで治らないから議論するだけ無駄。怒ったりする時間をもっと有意義なことに使えるように自分を切り換えた方が特じゃないかな。もしも相手がむかつく上司や同僚だったりするなら、相手の仕事の粗を探してチクるとか、もっといい条件で働ける環境を探すとかいうことに意識を向けてみては。