はてなキーワード: 集団知とは
訳文の意訳による訂正。
人間にさまざまな種類の認知テストを行うと、その解答能力と相関を示すひとつの統計学上の因子(「一般的知性」と呼ばれる)が計算によってでてくることを心理学者は繰り返し示してきた。しかし、人間のグループについても同じように「集団知性」とでもいうべき因子が存在するかどうかについて、体系だった検証が行われたことはこれまでなかった。今回、699名の人々を2~5名ずつのグループに分けて行った2つの研究から、我々はグループのさまざまな種類の認知テストの成果と相関する「一般的集団知性」の一貫的証拠を発見した。この「c因子」はグループに所属する個人がもつ知性の平均にも最大値にも相関を示さない一方で、個人のsocial sensitivityの平均、会話におけるターン・テイキングの均等度、およびグループに占める女性の割合に相関を示した。
つまり、個人については、認知テストの成果が高いほど大きくなるような因子を統計的に計算してやると、毎回、けっこう相関性の高い(30~50%)因子が1個だけでてくるらしい(統計学上の因子だから「これ!」って言えるもんじゃないけど、いつも飛び抜けて1個だけ高い何かがあるってこと)。こいつが高い人は他のいろんな認知テストやらせてもやっぱり成果が高いことが多い。
じゃあ、集団についてはどうなのか、というのでやってみたら、やっぱり1個だけの因子(30%強)がでてきたよー(2個の別々の実験したけど両方そうだったよー)という話。
こいつが何であるにせよ、つまりこの因子を高くするように(social sensitivityの平均あげて、均等に話すようにして……)グループを作れば成果でるんちゃいまっか、みたいなのが(先駆者であることとあわせて)Scienceに載るだけの意義ですな。
※1「女性の割合に相関がある」ってことは、「女性だけのほうがパフォーマンス高い」ってことだからね。
ただ、social sensitivityのスコアが男性より女性のほうが高いのでそれに引きずられてるのでしょう、ということだけど。
※2 social sensitivityってのは、目だけの写真を見て感情をあてるテストで測る値。確かに女性のほうが得意そう。
みんな同じくらい熱心に参加して、お互いに感情を察しながら議論を進め(られ)るのが吉、ってこと。
時代は「集団能力」だ。知能も集団知能として評価されるべき。個々の構成員が優れていても連携が取れないとダメという至極簡単なことだ。
大前研一さんも仕切りに集団IQに着目せよと説いている。日本人の集団IQはなぜ低いかというと同調圧力や規範意識が強いから。
もうどうしようもないくらい雁字搦めになっている。マスコミや声の大きい人が号令をかけて、右へ倣えになっている。
愚衆という言葉が似合う国、ニッポン。一人一人の知能が高くても、一貫した統制が取れていなければ、全体としては全然ダメだということが
全くもって周知されていない。終わってるよこの国。
先行き不安な今必要なのは、高IQ集団ではなく、「高集団IQ集団」である。全体として強くなくてはならない。
一人一人が凄くても、全く意味がない。各所で部分最適しまくっても全体最適を意味しない。企業理念に沿った仕事を皆がしなくてはいけない。
これが分からない頭の硬いトップが多すぎる。
「ミッションやビジョンの共有」はチームマネジメントで頻繁に言われているが、それがうまく実現されている例は殆ど見たことがない。