はてなキーワード: 合唱とは
http://anond.hatelabo.jp/20090225123751
1980年代を私は本誌編集長として過ごした。当時と現在とで,1980年代に対する私の見方は大きく違う。当時を振り返るとき,「なぜ気付かなかったのだろう」の思いを禁じ得ない。
例えば1980年代に欧米企業の研究開発方針は大きく転換した。要約すれば「中央研究所の時代から産学連携の時代へ」である。
西洋社会の伝統では長いこと,「知」と「技術・産業」は分断されていた。大学と産業界の距離は,西洋世界でこそ遠かった。それが1980年ごろから様子が変わる。「新産業を生み出すのも,新しい雇用を創出するのも,大学であり,大学の仕事に基づくベンチャー企業であり,それを起こす企業家だ」。世界中でこう期待し始めたのである。今にして思えば,それは,ほとんど革命(大学革命と呼ばれる)だった。
伝統的大学人の強い抵抗と社会的な摩擦を伴いながら,この革命は進行した。歴史的に大きな転換であるだけに,痛みもまた激しかったようである。欧米におけるこの革命について,日本の産学官もマスコミも鈍感だった。私も例外ではない。なぜ鈍感だったのか,自省を込めて考え続けたい。
大学革命の波が日本に及ぶのは遅かった。確かに21世紀初頭の現在は,日本でも産学連携や大学発ベンチャーへの期待が,産学官挙げての大合唱となっている。その点,世界の他地域と大差ない。しかし日本では途中経過が違う。1980年代後半のバブル経済華やかなりしころ,日本を基礎研究ブームが覆う。「キャッチアップは終わった,さあ,これからは基礎研究だ」。
背景にはリニア・モデルがあった。「基礎→応用→開発」=「研究→開発→生産」=「科学→技術→産業」。この順序で事が起こるとする。そしてこの順序の上流ほど偉いとする。欧米でようやくこれが終わろうとするとき,バブルの日本では逆に燃え盛ってしまった。国立研究所も産業界も,産業的な価値を無視するかのように基礎研究に力を入れようとした。
おごった産業界はうそぶいた。「大学頼むに足らず。ノーベル賞も会社が取る」。中央研究所の縮小に走る欧米企業は,このとき反面教師だった。「研究から手を抜くようになっては,欧米の一流企業もおしまいだね。これからは日本企業の時代だよ」。折から「経済一流,政治三流」と,まことしやかに唱えられていた。
確かに1980年代末に日本経済は空前の繁栄を謳歌する。しかし今振り返ると,周回遅れを先頭と誤解していた節がある。日本がバブルを謳歌していたころは,世界の大転換期である。この時期世界は次の時代の生みの苦しみにあえいでいた。そのため工業生産を一時弱体化させる。同じとき,工業生産に特化した古い構造を日本は温存し,転換に加わらなかった。それ故大きな利益を上げる。そういうことではなかったか。
おごれるもの久しからず。バブル崩壊とともに基礎研究ブームも泡と消え,それどころか研究所そのものの縮小・再編に日本企業も励むに至る。再び欧米が教師となる。そして欧米がこの四半世紀,血みどろの努力の果てに,大学を産業的価値の源泉に位置付けていたことを,ようやく知る。こうして1990年代後半から日本でも,産学関係の再構築と大学改革が始まる。
「日本株式会社」批判と並んで欧米からの批判がもう一つあった。「基礎研究ただ乗り」批判である。「日本産業は繁栄している。ということは科学,すなわち基礎研究の成果がなければならない。ところが日本では基礎研究には見るべきほどのものがない。よそで達成された基礎研究成果にただ乗りして,日本は産業的繁栄を実現しているに違いない」。
ばかげた批判である。基礎研究の直接の応用とはいえない産業技術など,山ほどある。しかし,時の通産省は貿易摩擦への対応に苦慮していた。「ただ乗り論」を受け入れて基礎研究を強化する道を選ぶ。傘下の工業技術院に属する研究所に対して,基礎研究を強化するよう,ほとんど強制する。
やがてバブルが来る。産業界の研究開発投資も急拡大した。拡大の方向は基礎研究である。日本の外で中央研究所の縮小と産学連携が進行しているさなか,日本企業は基礎研究を拡大する。
背景にあったのは,繰り返すが「キャッチアップは終わった。これからは基礎研究だ」という認識である。研究者・大学人・官庁科学技術政策担当者にとって,この認識は快いものだったのだろう。「科学→技術→産業」の流れの上流を担うところほど「偉い」という思いを,日本の研究コミュニティーも共有していた。それは,ヨーロッパに対して後進国だった時代の米国研究者の思いと同様である。
皮肉にも同じ時期に,米国産業界は,基礎研究や中央研究所の経済効果を疑い,研究開発投資の方向を事業密着型に変える。基礎シフトという1980年代の日本の政策は,欧米とは逆方向を向いていた。
14日のビリー・ヘリントン来日イベント目当てに、ニコ厨が何百人も徹夜して馬鹿騒ぎを起こし平然と動画をアップするという話を聞き、3月の例大祭でも似たような馬鹿が湧いて出てくると確信した。そこで出現するであろう馬鹿のタイプを予測して見た。予測のポイントは簡単さと馬鹿騒ぎのしやすさの2つ。「ナイト・オブ・ナイツを歌ってみた」のような難易度の高いのは湧く心配はないからな。
2月17日時点での「チルノのパーフェクトさんすう教室」タグの動画は775件だが「踊ってみた」はその内209件存在する。4分の1以上が「踊ってみた」である。これらの中に、あるいは投稿していないのでも例大祭で踊る者が出る可能性は高いと思う。例大祭に「バーカバーカ、バーカバーカ」の絶叫が響くのであろうか!
「パチュリー、ウッ」「レミリアッー!」「西行☆とんがりコーン」「エロい、ZUNZUNZUN」等の空耳を叫ぶだけでOKというお手軽さなので、待機中の行列とかで軽はずみに叫ぶ馬鹿が少なからず出ると思われる。
ゆっくりしていってね!!!のウザさをより高めた「ウザテイ」「しこっていいのよ」のセリフ・歌詞をソフトークの口調でしゃべくって回りをイライラさせる光景が目に浮かぶようだ。周りから注意されたら「うるさいってさ、おおこわいこわい」と火に油を注ぐ様も容易に想像できる。
去年目撃された、オーエン+ドナルドの大合唱の悪夢も十分可能性がある。最終鬼畜の動画はランキング工作があるとは言え、500万再生オーバーを計上しているわけでまだまだ人気なのである。
あと、ニコ厨関連ではないが、REX等連載中の儚月抄に対する不満から神主に喰ってかかる馬鹿も出るかもしれん。個人的には最もあってほしくない事だ。
ケインズ学派から「構造改革」派が議論を横取り? 不況政局に利用
それが政府紙幣発行をめぐる賛否両論、とくに自民党内に議員研究会が設立されると、こんどは旧小泉スクールにも飛び火し、竹中ブレーンの一人と言われた高橋洋一(東洋大学教授)が、突如、政府紙幣発行の旗振り役を演じだした。
もともと丹羽理論を応用するかのようにノーベル経済学賞の二人が新政府発行論を揚言した。スティグリッツとクルーグマンだ。とくに後者は政局の変動にカメレオンのごとく説を曲げる、変える、豹変する。ところがクルーグマン信者が日本のエコノミストに多いから始末に負えないのだ。
日銀の08年末の資金供給量は101兆2610億円。3年ぶりに100兆円の大台を超えている。これは金融機関などの資金繰りを支える目的で、とくに年末資金を供給した。量的緩和政策である。
具体的には金融機関の日銀当座預金の残高と、紙幣や貨幣の残高の合計が通貨供給量。 日銀は2008年11月から当座預金の一部に0.1%の金利を付けている。当座預金に金利がつくというのは異常事態である。(或る意味で、この措置は政府紙幣発行が別のかたちの国債発行であるとすれば、同様な効果がある)
そもそもの政府紙幣発行とは、太政官札による幕末維新の藩札の統一が近代日本では嚆矢であり、江戸の金銀小判の流通がやんで、紙幣経済が日本に落ち着いた。日銀はまだ無かった。
丹羽説は総需要喚起、あまっている生産体制を稼働させ、実効需要を増やせとするケインズ理論の延長にあり、純粋に学問的仮説なのである。
ところが、これまで顧みられなかったこの議論、クルーグマンのインフレ目標値などの珍説とともに米国内の議論をみて、あわてて飛びついてきた経済学者、エコノミスト、ジャーナリストらの大合唱が巻き起こり、状況が激変したのだ。
政府紙幣発行議論は自民党内で白熱し、細田博之幹事長は記者会見で「そんなことができるなら毎年30兆円ずつ発行し、(国・地方の)800兆円の借金を全額返したらどうか。空理空論で意味がない」と否定的態度を表す(2月2日)。
一方、前向きなのは菅義偉・選挙対策副委員長ら。「これだけの危機の中、政治主導でいろんなことがあってもいい」と含みを持たせた。
こうした政府紙幣発行議論に対して日銀の白川方明総裁は否定的。
「通貨に対する信認が害される恐れがある」と強調したうえ、「政府の債務返済能力への疑念から「長期金利の上昇を招く」とむしろ副作用の危険性を指摘した。
▲日銀は当惑どころか明らかに反対
白川総裁は政府紙幣が市中で流通した後、日銀に戻ってきた紙幣を(1)政府が回収する場合、(2)そのまま日銀が引き受ける場合があり、それぞれ問題があるとした。
現在、10円、50円、100円、500円などの硬貨はまぎれもなく「政府紙幣」であり、日銀に還流してきた硬貨の一部は政府が日銀から回収している。
政府が日銀に回収分と同額の財源を渡しているが、政府紙幣も同じ仕組みになると、「(発行額に見合った)資金調達が必要になるという意味で国債の発行と実体的に変わらない」(白川総裁)
財務省の杉本和行次官は「政府紙幣は財政規律との関係から慎重な検討が必要。発行には法改正もいる」と官僚らしく面倒臭そう。また財政法に抵触する可能性があり、貨幣法の改正が必要だろうと手続きが輻輳する可能性にも言及した。
私見を述べれば、アカデミックな議論が、突如、政局に利用されている感じが否めない。もともと丹羽春樹教授の「政府貨幣発行による打ち出の小槌」は、学説であり、政治のレベルに降りるときは必ずしも学説通りに実行されない。与野党の妥協の結果、かえって中途半端な実行がなされると(まさに高橋洋一説は丹羽説の歪曲)、景気回復に繋がらない可能性も出る。
丹羽春喜教授の仮説は、そのまま実施される可能性がないゆえに、かえって危ない。
ちょうどドル円固定相場の復活論に似ている。つまり固定相場制というのは、理論的に正しく、しかし運用されると猛烈な投機がおこる。人民元相場がまさしく、その犠牲であり、固定の枠内で投機筋は通貨を商品と変える“商機”をそこに見いだすからである。
http://japan.techinsight.jp/2009/02/entagavitamin-kanou20090208.html
こうなると狩野かわいそう、という見方もできる路線から外れつつあるな。
スターにはなれないだろうしどうするんだ狩野。
「正直、今まで狩野英孝は嫌いだったけど、『50TA』を見て純粋な人だと好感が持てた。そして曲を聴いてすっかりファンになりました」
「5曲ともものすごくいい曲ですね。泣きながら聴きました」
泣きながら聴きました
さすがにないわー
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20090209-458753.html
これはいい話。
そりゃそうだ、今回の不況って国内ではマスコミが作ったようなもんだし
政策にしてもなんかやる度にベストの対策じゃないから金が無駄だ?
ベストの対策って何だよ?全員がこれがベスト、最高、他の対策なんて不要だ、なんて意見が集約される政策なんかあるわけ無い
だから、否定派は必ず居るし、それを探し出してきて大合唱すれば否定派の意見だって一理あるのは当然なんだから
そっちに流れる可能性の方が高い
不況の対策が出来た国と出来なかった国を比べてどうすんの?
船から海に落ちたのはみんな同じかもしれないが、両手両足を縛られてる人と自由に泳げる人で生存率はどうなるのかな?
泳ぎが不得手だとしても、両手両足を縛られてるよりはずいぶんマシだろう?
子供は難で勉強しなきゃいけないのかとか、勉強しろというなというが、小さい子ほど勉強はするべきだと思う。
それは第一に、学校生活をする上で役得があると感じたからだ。
まずクラスである。できる子どもとできない子のうち、できる子はA・B・C・Dとあれば、できる子はA・Bに入れられる。
申し訳程度に悪い子もいるものの、それでもほぼ3分の2はできる子で構成されている。
A・Bの役得はイベントの結果に現われていく。運動会・合唱で優勝するのはA・Bであり、C・Dが日の目を見る日はない。
担当の指導力と構成する生徒の実力が違うのである。
C・Dの損は大きい。特殊学校の生徒を受け持つのはC・Dである。イベントでもその点でネックになり、負担も大きい。
あまり良くない生徒と過ごすことも多い。
基本的には馬鹿馬鹿しい話で盛り上がって「あー、楽しい」なんだけど
一つだけみんなと盛り上がれない話題がある。
ここ一年くらい、みんな若い男の話で盛り上がる。
アイドルとかならわかる。「あー、カッコいいな。いい歌だな」とは自分も思うから。
でも友達は「アイドルには興味なく」て「道端の男の子」が好きなんです。
そこになんか読者が投稿してきた男の写メがズラーッと並んでいて
アイドルやモデルじゃなくてそっちの素人、普通の男の子の方を夢中で見ている。
「この子、カッコいい」「可愛い」とか趣味とか身長とか見てキャーキャー言ってる。
見てみるとみんな細くて中性的な顔立ちで「可愛くない!」とは思わないけど夢中になるのははしたない気がする。
一時期は酷くて、街中で見かけたカッコいい・可愛い男の子を写メで盗撮して見せ合って品評していた。
そんでつい最近、友達の一人が実際に若い男と付き合いだしてみんな一層鼻息が荒くなっている。
合コンしようとか、出会い方聞いて私もやるとか、本気で付き合いたいみたいで意味がわからない。
ニヤニヤしながら「エッチも全然違うんだよ。腰の動きなんか、ダンサーみたい」って「いいなぁ」とか言ってる。
信じられない!みんなこんなに下品だったかなぁって頭が痛くなる。
一番引いたのは、騎乗位で責めてるのをケータイの動画で撮ってそれをみんなに見せたら
顔を上気させて「可愛い」「すごい」「羨ましい」の大合唱。
「絶対ヤリ捨てられるよ」と言いたいけど言わない。
「年下クンがブーム」なんて見たことあるけど、最近は増田にまで浸透しているみたいで意味がわからない。
付き合うってもっとこう、言葉にしたら陳腐だけど、心が充実するような関係じゃないのかな。
若い男可愛い、エッチしたい、ああ気持ちよかった、お腹いっぱい。こんな人がたくさんいるんだろうか。
女性教師と男子生徒の肉体関係を持って解雇されただのいうニュースをたまに見る。今回のはこれ。
http://www.asahi.com/national/update/1225/NGY200812250014.html
反応として男性教師が同じ罪を犯したときよりも処罰が甘いんじゃないかというのがある。男性なら解雇だけでなく逮捕され実名が公表されていただろうと。確かにそう思う。
女性だから甘いという前提に立ってみると、黙認されている例も数多くあるんじゃないかと思う。そして報道される事件は氷山の一角にすぎないし、前提を鑑みると男性の事件よりも報道されてない事例は多いだろう。二つを合わせるもっとずっと女性教師と男子生徒という組み合わせは多いんじゃないだろうか。
そして私は黙認された例を知っている。実体験を一般化することはできないが女性教師にはどこか変な人が多かったような気がする。
(1)Aくんのこと。
私の友人のAくんはピアノが弾けるので合唱などの際はピアノ演奏をまかされていた。私の学校には音楽教師が二人在籍しており、一人は40歳代の男性でもう一人は20代後半の女性、Nだった。
中学二年になり私たちのクラスの音楽の授業はNが受け持つことになった。
Nは授業で扱う楽曲はすべてAくんに演奏させるという形式を取り、授業中Aくんがミスをすると「そうじゃないでしょ?」と甘い声でたしなめており、Aくんを特別扱いしているのは誰の目にも明らかだった。
次の授業で扱う楽曲を放課後Aくんと練習したりすることがあり、二人きりで練習していたのである。
私はある日の放課後、何かの用事を終えて教室に戻ってくるとAくんの荷物が残っているのに気づいた。「ああ、まだ練習しているのだな」と思うと同時に「おや?」と思った。練習しているなら聞こえてくるはずのピアノの音が聞こえない。気になった音楽室の前まで行く。二人の話し声が聞こえる。ドアのガラス窓から中を覗くと二人の姿はピアノの前にはなかった。段差になっている教壇に二人は腰をかけ話しながら、NはAくんの長く綺麗な茶色がかった髪を手ぐしするかのようになでていた。
私は二人の姿を見ながら下半身が熱くなっていくのがわかたが「気づかれたらマズい」という思いも強く湧いてきてその場から離れた。
後日、Aくんは休日にNの家に行っているという噂が流れた。誰から見ても二人の関係はおかしかった。
Aくんとは卒業後、高一の冬休みに再開し、そのまま共通の友人の家に泊りがけで総勢五人ほどで遊んだ。夜、その中の一人に彼女ができたという話が出て、話題もそっち方面に流れた。彼女はいないがいい感じの子はいる、と言ったりしながらその場にいる人間でセックスをしたことある奴はいないのか?という話が出て、Aくんがボソッと「俺はあるよ」と言った。「いつ?」「中二のとき」「相手は同級生?」「いや、年上」。そこまで聞いてこれ以上この話題を続けるのは悪いような気がして自然と打ち切られた。
次の日、Aと別れたところで「なぁ、Aがヤッた相手って……」「ああ。Nのことだよな」と確認し合った。実際はどうなのかはわからないが、色んな要素が符号しすぎているのでそうなんだと思う。
その後、Aくんとは一度も会っていない。噂によると海外に留学し、一旦日本に戻ってきた後、本格的に移住をしたらしい。
中二の二学期の越えた辺りから、私はたまに授業をサボッて保健室に行くようになった。「気分が悪い」と言って寝転がっているだけなのだが、同じくサボり組の奴には保健室の先生Iと雑談をする奴もいた。Sはちょっと不良っぽく音楽やサブカルが好きな奴だった。Iも学生の頃はライブハウスに行くような人間だったらしくいつも話は弾んでいた。
ある日、話が下ネタになっていた。内容は忘れてしまったがSが「せんせぇーはマンコが黒いからなぁ」って言っていたことを確かに覚えている。Iは「そんなことないよ!」と言っていた。私はてっきりSが下品な決め付けをするというボケをして、Iがツッコミを入れたのだと思っていた。
だが、後日それが覆される。私は気分が悪いと授業を抜け出して保健室に行くと、いつもと違い保健室は電気が消され鍵までかかっている。職員室に行ってみるがIはいない。不思議に思い、もう一度保健室を見に行くと私はそこで見てしまった。それは暗がりの中、ソファーの上で激しく抱き合い身体を絡ませている二人の姿だった。
その瞬間、私はすべてを了解した。二人の関係を。あれが冗談じゃなかったことを。
私は教室に戻ると授業を進めている教師に「許可を貰ったんで帰ります」と言い帰宅した。そしてIの顔を思い浮かべながらオナニーをした。
(3)実習生
実習期間中にメアドを聞いたTが期間が終わってから家に遊びに行きセックスをした。その時の写メが学年中にバラ撒かれた。
(4)関係ないけど
着替え中の女子を写メで撮って1枚1000円で売っている女子がいた。
http://anond.hatelabo.jp/20081223011009
新しいものを作りたければ、ワシを乗り越えてからにせぃわっはっはっ。
と言うわけで、老害の反論こそが
「排除の団結」ではなくどうか「一致の団結」
かなぁと思っているので
http://www.technorch.com/2008/12/134--.html
2. 自分語り133 - DENPA!!! 「超ライトオタク」 言説
http://www.technorch.com/2008/12/133---denpa.html
の順で応答します。
1.
んー、言い方が悪かったか。伝わっていないようなので素直に謝ります。ごめんなさい。
「若さ」という「不可避の理由」
とあるように、年齢に関わらず、「全人類はバカ」なんだよと言う話です。
まぁ、無知に対する絶望とか、無知の知だぜぇとかいう自己暗示的なハッタリだとか、
感覚を殺していく作業とかだけじゃ人間は生きていけないから「カーニヴァル」が必要なんだけど、
毎日牛追い祭するんじゃねぇぞってことです。
鬼ごっこの楽しさという青さはそこまで否定されることなのでしょうか。私はそこがどうしても納得がいきません。
ジュリ扇(ジュリアナ東京の扇子)持った荒木師匠とか青田典子がジュリアナ復活祭で
コンプレックスがないジュリアナの遊び人(引用元は「オタク」)というモノがどれ程強烈な熱狂を産み出すのか
とかマジ顔で言ってたら違和感感じませんか?「何でも切り捨てるのイクナイ!」とかは百も承知で、
ある程度「歴史」という大きな視点で物事を判断するようにした方がいいよって話っす。
(萌芽を秘めてるかもしれないシーンでも悲観的であれということではなく、熱中しつつも頭の片隅はクールにねってことで)
デンパに限らず、クラブが楽しいのってカラオケBOXが楽しいのと同じ理由だと思ってます。
暗い部屋でかわいいおねぇちゃんと酒飲みながらオイオイやってりゃそりゃ楽しいって、と。
初カラの友達に「合唱でもオペラでもないこの感じ。機械による空オケという代替可能性。これぞ!」
とか言われても「ふーん」ですよね?まぁ、音楽の消費形態が変わったとか言えちゃうけど、この文脈じゃないのでパス。
「マックはガチでうまいんだからジャンクって言うな!」って言われても、
よつば父のように「体に悪いから週に1食だけだぞぉ」としかいえないっす。
yuaaa 全然関係ないけど、ジャンクフードってうまいんだよあれ。そんなんだから病気になりやすいんだけど。
inumash クラブ・カルチャーの本質は“バカで軽薄”以外の何者でもないので、ここは素直に居直っちゃっていいと思うよ。「感動」とか言ってると卓球に笑われちゃうぜ!
この程度の意味合いです。
(例証として挙げますが、2 Many DJ’sの開き直りには迫力すら感じています)
http://www.higher-frequency.com/j_database/dj_producer/2_many_djs/index.htm
http://jp.youtube.com/watch?v=tGBaBast1KU&feature=related
私そして彼らの感動は本物です。
まぁ、さっきも言ったけどマックがうまいのは真実っす。たまに食いたくなるし。
そう感じるように味付けしてありますし。2ちゃん的に言うと「27時間テレビ乙」「オウム乙」という斜め上からの視点。
(音的に新しい/新しくないよ論争をしたいんじゃなくて、頭の片隅はクールでいてくださいねという話です)
2.
しかし「自意識の段階が低い」から「超ライト」であるから即ち「低レベル」だとは言えないのがこのイベントの面白いところです。
「自意識の段階が低い」から即ち「低レベル」とは俺も言ってねぇっす。
「自意識の段階が低いよね」とは言ってるけど。
(ついでに言うと、嫌な言い方かもしれませんが「若いってそういうことだよね」とも言っています)
(知識たんねぇんでやんのプギャーとは言っていません。思ってもいないからこそ、こうやって時間割いて書いてるわけで)
----
eventに関して感じたこと
【DENPA!!! 第八夜】 DJ TECHNORCH (HD)
http://jp.youtube.com/watch?v=aO4VTW2REOc
↑みてすぐに思ったんだけど、
それこそ東氏の言うところの「順列組み合わせ」かなぁと。
オシャレにもオタにも属性があってそれこそ「ビート」で踊りたい人が集まって…。
----
[オタク]DENPAが従来のコスプレダンパ文化とどう違うのか誰か教えて欲しい
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20081221/denpa
違いと言うわけではないけど、因数分解した方向性の先には
乱痴気っぷりだとやはり日本最強は・・・
http://jp.youtube.com/watch?v=KmwEUHIRgh0
SCHIUMA PARTY @ AMNESIA IBIZA
「ビート」が身体に与える影響だと・・・
x-dream @ karahana
http://jp.youtube.com/watch?v=Q-vTZLAkNk8
Chance2Trance - psytrance party 9.7.98
http://jp.youtube.com/watch?v=Rbv_uRMlOo0
Karahana 1997(←間違い。gathering2002)
(人の多さ=多様性。あと、群集後方は遠すぎて「ディスク・ジョッキー」というキャラを消費できない)
takkyu ishino(denki groove) love parade '98 berlin
音声は
Dimitri from Paris - Love Love Mode long version
http://jp.youtube.com/watch?v=zYT8whXO_sk
Ishkur's Guide to Electronic Music
のhardcore-harddance-happy hardcore あたりか?
ハードコア/ハッピー・ハードコア/ナードコアあたりには詳しくないす。すまそ。
RAINBOW2000 @Mt.FUJI 1996 石野卓球
http://jp.youtube.com/watch?v=4tAnu_Mh7bU
Underworld - Born Slippy (Nuxx) [Everything, Everything]
http://jp.youtube.com/watch?v=sWv2juM01T0
Underworld - Rez [Everything, Everything]
「DENPA!!でやってることなんて、もうすでにやったしwwww」とかじゃなくて、
今ある技術とか音楽はそれこそ「歴史」の上に積み重なっていて、
歴史が偉大であったからこそ(日本の)おっさん連中は乗り越えられなくてもがいてるわけで。
「手を取り合っていくべ」と言うことで、資本と才能の相乗効果で生まれたモンスターたちを紹介してみた。
やはり、さいごは、
新しいものを作りたければ、ワシを乗り越えてからにせぃわっはっはっ。
ですかねぇ。
(一応追記。なにも本気で「乗り越えてくれ」とか思ってるわけではなく、
カルチュラル・スタディーズ(大二病)の残りカスみたいな文脈で「ジャパニメーションはすごい」
とか「輸出できる唯一のコンテンツ産業」とかの変な空気感にはご注意してくだせぇという意味)
(もいっちょ追記。個別名は避けるけど、「焼畑」な甘言にご注意ってことで)
----
おまけ
RAINBOW2000 @Mt.FUJI 1996 COSMIC GROUND
http://jp.youtube.com/watch?v=8lAuiR4XDIA
VITAMIN Q 1997
http://jp.youtube.com/watch?v=KteYe7IBxl4
http://jp.youtube.com/watch?v=bQ5Y7ririMw
8/25第27回浅草サンバカーニバル 仲見世バルバロス
http://jp.youtube.com/watch?v=G9I2plGM1HY
http://jp.youtube.com/watch?v=W2w7JiOFxpc
http://jp.youtube.com/watch?v=-PXKa5LS51g
Amazing African Dance Group choregraphy with Djembe druming
.
漫画に限らず創作作品全般に言えることだけど、キャラクターの設定からストーリー展開まで全ての要素は作者側にしかなくて作者が思うようにやるのが100%正しいと思うんだよね。
かんなぎについて言えば、今回のことで「作者はどういうユーザー相手に商売していたのか考えてなかったな」的なことを聞くんだけどさ、作者は果たしてそのユーザー層はどういったものを想定していたんだろうね。
想定内のユーザーが暴れれば何かしらコメントでも出して理解してもらおうとするだろうけど、想定外のユーザーが暴れすぎたものだから精神的に参ってしまっただけで(実はそうじゃなくて、ストーリー展開など予定されていた内容を全て練り直さなければならないための時間稼ぎだという人もいるけど)、騒動が起こるのもいいしそれは駄目だという人がでてきてもいいし、オタクを否定する要素みたいなものって何もないと個人的に思うのだけど。
追記:
http://anond.hatelabo.jp/20081207231044
結果から言えば想定外だったんじゃない?
それにさ、りぼんでもコロコロコミックでもジャンプでもヤングマガジンでも結局は展開って作者次第じゃん。
もちろん編集が売り上げとかマーケティングとか考えながらやる部分もあるけど、どちらにしたって作者がやりたいようにやるは基本だと思うんだよ。
所詮、読者は読者であって作品を作り上げる役割にかかわることはできないしかかわっちゃいけない。
気に入らなかったらそれで読むの止めるのが妥当だと思うな。
しかも過去の話だとステルヴィアのちょっとした騒動だって、あれ異常だぜ。
誰だって予定としてわかりそうな展開でかつ祝福されそうな感じなのに、トチ狂って中古中古の大合唱。
http://anond.hatelabo.jp/20081208004016
それってガンダムが弱小な存在だったから売り上げを高めるための手段のひとつでしょ?
もちろん、富野監督は感謝の気持ちもあっただろうけど、このガンダムみたいなパターンって稀だよ。
http://anond.hatelabo.jp/20081207144218
オタクが勘違いして暴れてるだけなんだから無視しておく、が一番な方法。
>否定、というと難しいがー
非難・・・なるほど。
アニメ気に入って原作見たらちょっと違ったっていうことあるからねえ・・・
>マーケティングー
どこできりわけて作家を優先・保護するかが創作活動の要点だと思う。
>本当に騒動が原因で展開変更ー
展開変更の話はどこかに書いてあったのを読んだだけで、個人的には発表どおり体調不良での休載だと思ってる。
精神的に参ってる可能性もあるし、展開変更をするかしないか悩んでるのもあるのかもしれないけどそれは本人しかわからないよね。
■「20年後の10代と尾崎を聴く!ー「15の夜」「卒業」「シェリー」はどう響くのか?」
http://d.hatena.ne.jp/ykurihara/20041229/1104294205
ちょっ、… マジですか?
以下は、本文からの引用。
〈大学でこの『卒業』や『15の夜』といった尾崎の代表曲を一八、一九歳の学生に聴かせて感想をきいたところ、多くの学生が「何を怒っているのかわからない」「ひとりよがりの詩で不愉快だ」などと否定的なことを述べた。(中略)歌詞の内容に共感できると答えた学生は約一〇〇人中わずか二人だけだった。〉
記事はもう4年も前のことらしいから、ちょうど私らと一緒の世代なんだな。
2/100らしいぞ!
ホントかよ、信じられん。
自分のまわりの同級生達は、思春期のあの何とも言い難い中二病的な鬱屈した感情を持ったことがないのか?
ってか、中学の卒業式の翌日、カラオケで友人達と「卒業」合唱しまくったよ。
それも3回くらい。
別にそこまで尾崎好きじゃないよ?
確かに尾崎の歌詞なんて冷めた目で見てみれば完全にDQNですよ。
「結局お前はどうしたいのよwwww?バイク盗んだり、家出したりがしたいのwwww」ってツッコミ入れたい気持ちもよくわかる。
でも2/100って、えー?
では、そこまで尾崎が好きじゃない私が、尾崎に何を感じていたか?
私にとっての尾崎豊は、
オレこんなんで良いのかなぁ、とか
なんかもっとすげぇことが出来るんじゃないかとかさ、とか
毎日がつまらなくてつまらなくて気が狂ってしまいそう、とか
なんかやらなきゃいけない気がするんだけど何すればいいかわかんねぇよ、とか
そういう気分を代弁してる人なわけなんです。
うーん、うまく言えてる気がしないなぁ。
もうちょい言えば、バカボンドに出てくる又八が武蔵を関ヶ原に誘うときのような気持ちかなぁ。
反抗については、強くは共感できないもののまぁわかる。
でも、それだけじゃなくて又八的な気持ちも歌ってると思うんですね。
そこら辺は、インタビュアーもわかっていて最後の方で「シェリー」を題材にそういう話題を振っている。
しかし、これもかすりもせず。。。
さて、思ったことをサクサク書いてきたけどどうまとめようかな、困ったな。。。
とにかく、2/100という結果を見る限り尾崎豊に普遍性は無い。
あると思ってたんだけどね。。。
結構ビビった。
けど、自分の周りにはそういうことをわかってくれる人がたくさんいて、ホントよかったなぁ。
ってことでこの話題は〆ましょうか。
(親にちょっといい音楽教育されて、あくまでも趣味でずっと携わってる程度でこう書くのもなんだが)
少なくとも俺の小中学校はそうだった
合唱コンクールだとか式典だとかでみんなで歌わなきゃいけないときにさ
さすがに増田のケースように手は出なかったけど
「もっと歌ええええええ!!!!!腹から声出すんだよコラァ!やる気あんのが!!!!」
って毎回誰かが怒鳴り散らしてたわ
音楽ってのは、なんのためにやるのかとかそういうモノじゃなくて
「なんか楽しくね?気持ちよくね?うまくなると余計そうじゃね?」
って気持ちで嗜むもんで、合唱とか合奏はその延長上でしかない
音楽の「お」の字も知らない生徒指導教諭とかが、
スポ根精神持ち出して怒鳴り散らしたって全く意味ないと思うんだ
「教育界の音楽界」っていうサル山の大将でしかないスポ根音楽教師もいっぱいいるし
日頃の音楽の授業の程度が低かったら行事でそうなるのも当たり前だよね
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/c32eff099b0c3fd1e42d4ec41223c0b0
キャリー取引の原因は、もちろん日銀のゼロ金利政策である。低金利・円安は輸出産業への補助金となって一時的な景気回復をもたらしたが、それが回り回ってアメリカの金融危機に日本経済が直撃される原因になったのだから、自業自得だ。本来は2003年から景気が回復した段階でゼロ金利をやめるべきだったが、「リフレ派」の大合唱のおかげで金利の正常化が3年おくれたのだ。
バブルの教訓は、金融政策はGDPや物価などフローの指標だけを見ていては危険だということである。80年代後半には、低金利にもかかわらず物価は安定していたが、資産価格が急騰していた。今回は、日本のゼロ金利がアメリカでバブルを起すという、一段とわかりにくい形でストックに影響したわけだ。フローの均衡だけを基準にする「インフレ目標」では資産価格をコントロールできないので、各国が実質的にインフレ目標を放棄したのは当然だ。
このように今回の危機は、グローバルな資産価格のひずみが訂正される過程なので、日本だけでできることはほとんどない。あるとすれば流動性を供給して価格調整を促進し、均衡を早く回復させることぐらいだが、それも震源地のアメリカ経済が立ち直らないことにはどうしようもない。高度にグローバル化した経済では、財政も金融も含めて一国ケインズ政策は無力なのである。
まあ、テレビの人気司会者が無責任に紹介したのがそもそもの始まりなんだけど、欲望自体を悪とみなすようになってきた社会の風潮に微妙にマッチしていたのかもしれない。
痩せられないのは欲望に負けるからだ、じゃあその欲望を減退させちゃえばいいんじゃね?というのが
お腹がすくなら映画を見ましょう、TVゲームをしましょう。という水のごとく低きに流れる方向性は、とても受け入れられやすかった。
これに「ゲーム脳の恐怖」とかいう屁理屈で煽った(煽られた)連中は反対した。以前はその言説に乗っていたTV局はというと、現金なもので当時自社企画中のホラー映画が成功するためにならと「スプラッタ・ダイエット」を持ち上げ、その一方で科学的な特番をつくり、「ゲーム脳の恐怖」を徹底的に叩いた。巻き添えになって一緒に叩きのめされた「水からの伝言」にはえらい迷惑なことだったろうと思う。(もっともネットで見る限りではTV局の意図は周知の事実となっていて、「水からの伝言」たたきはめくらましにもなっていなかったのだけれど)
「ゲーム脳」の連中、「水」の信者が「陰謀だ、よくわからないけど大陰謀だ」の合唱を繰り返してはいても、「スプラッタ・ダイエット」はそれなりの結果を示していて、結果、推奨作品リストはレンタルショップでも枯渇し、ブルーレイでレアだった過去の名作のリマスターが発売されたりした。これはダイエットに関係のないファンにとってもありがたいことだった。コアなファンなら品揃えの少ないレンタルに頼るより買っちゃったほうが確実だったから、レンタルでスプラッタが全て貸し出し中でも別に困らなかった。
食えるとか美味いとか最初に言い出したのは誰なんだろう。
慣れというのは恐ろしいもので、初見で食欲を壊滅させるような映像でも二度三度と見れば、ジャンルを網羅する勢いで見れば先鋭的な怪作でも、それなりに対応できてしまうものだ。
そして人間なんて単純なので、腹が減っているときに見ていた映像がいつも似たようなものであったなら、それと食欲が結びついてしまうのもとてもよくあることだった。
でも、禁忌の壁は高く強固だ。ダイエットしていた人々が僕らのようにゲラゲラ笑いながらピザをコーラで流し込みながらスプラッタを見ていたら、あんなことにはならなかったんだと思う。でも彼らは飢えに目をぎらぎらさせ、食欲を押さえるためと称して、ゾンビが人間に齧りつく様を見ていたんだ。だから、かれらの背中を押すには一言でよかった。
「人肉って美味いらしい」
騒動が治まるまでには、デマもかなりあったけど、少なくない数の真実もあったと思う。実際、件のTV司会者は逮捕されたわけだし。でも、あの司会者は騒動の前から食ってたよねというのは僕らのあいだだけでの共通認識。