「動機付け」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 動機付けとは

2010-10-11

http://anond.hatelabo.jp/20100920231320

そりゃ自由じゃないだろうよ

自分の頭を完全にコントロール出来たら、人間は何にもしないか超人になるか極悪人になるかだ

不快動機付けも知能も運動能力自由自在だろうからね

自由じゃないから、生存本能やらを捻じ曲げようと努力してるんだ

意思が揺らがない様に、沢山行動もしてきたつもりだしね

2010-10-07

http://anond.hatelabo.jp/20101007183512

箱庭系なんて、まさにゲーム性ソーシャルで補ってる例だと思うけれどね。

本当に庭を造るもの(大昔に結構流行った)から、農場、城、町とか様々だけれどさ。

例えば「国盗り」で追加された、城下町を作るゲームは、リアルの移動がメインだよね。

その「移動」に動機付けするのが、住民が増えたりしますよ、と言う奴。

住民の数でパーツを置ける範囲が増えるんだが、その移動結果の住民増加数を、金で買うアイテムで一時的に上げたりできる。


はてさて、こういうのって、「ゲーム」なのかね?

大昔の庭を造るのもそうだけれど、足しげく通って(アクセスして)、水をあげたりすると立派な庭が出来たりする。

ソーシャルに繋がって、他人に庭を公開したりするわけだけれど、これらの場合ゲームがしたい」のだろうか?

「人付き合い」や「移動」がメインで、ゲーム(と呼べるか怪しいけれど)は付属物だよね。

儲けるツールとして、ソーシャルゲームはよく出来ていると思うよ。

でもそれは、メール掲示板と一緒で、繋がったり旅行したりする事の付帯物であって、メインではないよね。

原点回帰とは呼びたくないし、ゲームとしては退化だと思うけれどな。


ソーシャルゲームは、そういう別のステージで話したほうがいいと思う。

2010-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20100909131729

弱者に施しを与えるのは強者の務め。

それだけで動機付けにならないか?

2010-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20100907202733

労働インセンティブを金でなく時間シフトしたらいいんでね?

って話だろこれ。どこをどう読めばそうなるのか理解に苦しむ。脳の具合が大分悪いんじゃないか?

今夜はぐっすり寝て、たまにはダラダラした方がいいぞ。

んで。これ結構面白いっちゃ面白いと思う。

例えば、9ヶ月稼動(週休一日)→三ヶ月休暇のローテで給料は安く固定。

休んでる間も雇用保険他の社会保障費は継続。ってのなら双方に旨みが発生するかもしれない。

もちろん待遇正社員扱いでそう簡単に解雇はなし。休みの間はアジア圏でマンションでも借りて暮らしなさい。

みたいな感じだと、結構動機付けになる上に労働力安価に得られるのではなかろーか。

ホワイトカラーの中層以上でもこれに魅力を感じる人はそこそこいるかもしれないね。

ま、この働き方が増えて来ると内需にボディブロー炸裂だが、それはそれとして。

円が無駄に強い昨今としては面白いと思う。

九ヶ月働いたら、サムイ島辺りの海辺で三ヶ月ダラダラ。

こういう繰り返しに生きるってのも、結構多くの人にとって悪くないだろうね。

子どもや持ち家を見事に諦める、新しいライフスタイル

2010-08-07

戦う男の子物語には、倒すべき相手がいる場合が多い。倒すというと威勢がいいが、身も蓋もない言い方をすると殺しだ。強敵を倒して成長する、と書くと綺麗だが、人を殺して成長すると書くと、大変物騒だ。だが、無論殺人そのものに、そういった力があるわけではない。

殺しには動機がいる。「暴力は、正統な理由がなければ退屈である。」と、ヒッチコックもいっている。ただ、登場人物の動機を「アイデア1000本ノック」のようなもので作ったとしても、観客がそれを納得するかは別である。納得しないモノを出しても駄目なのだ。

船戸与一によると、冒険小説における納得できる殺人の動機は、大別して三つだという。「生体の保存」「任務遂行目的あるいは手段」「復讐」。「生体の保存」は、殺らなきゃ殺られる、というやつ。「任務遂行の~」は、プロ殺し屋軍人などに多い。

ロボットアニメを頭に浮かべる。

受け売りだが、ロボットの設定を凝りまくる場合、殺しの道具、ピストルナイフに凝る事に似ている。「いかにして相手を殺すか?」という事であるが、「なぜ殺すか?」については、ロボットそのものからは見えてこない。

ガンダムアムロは、最初は「復讐」だった。ほんっとに最初だけだけど。次は「生体の保存」、ついには「任務遂行~」になった。エヴァシンジ君は、強いて言うなら「生体の保存」だが、疑問である。廻り(ネルフ)が無理やり「乗せちゃえ!」という感じだったので、動機なき殺人、という気も、しないでもない。そのせいか、あまり成長もしなかった。

ただ、動機が「殺らなきゃ殺られる」だったとしても、殺る側の動機だって必要だ。昔は「地球を侵略しに来たのだあ!」などで済んだのだが、今ではそうはいかない。なんせ我々は進歩したのだ(ホントか?)。殺る側の動機を考えてみる。「俺は悪い宇宙人だから」「戦争だし、軍人だから」「考えた事もない」「システムがそうなっているから」「そういう決まりだから」あまりパッとしたものが浮かばない。

少年物語には、「あいつ気にいらねぇからブッ潰す!」とか、「強くなりたい!」という、ものすごくわかりやすい動機がある。が、ロボットアニメ場合軍隊と結びつく事が非常に多く、「強くなりたい!」という理由でミサイルぶっ放したとしたら、見ているお客さんがどう思うのか、何となく想像はつく。

凸凹軍対○×軍があって、凸凹軍に主人公やヒロインがいて、ライバル○×軍にいる、とする。戦争軍隊に居るのだから、戦闘には事欠かない。とりあえずの理由もある。軍隊にいると、色んな年齢や人種人達に会えるし、遠くの場所だって移動できる。宇宙に行ってもおかしくない。が、軍隊組織ロボットを事細かく描くだけでは、「いかに殺すか」だけで終わる。エヴァの後、敵の姿をハッキリと描かないアニメがあったが、戦いの理由がぼんやりしているというのは、危険である。主人公の動機がなければ、「しかたないよね、戦いだし。人を殺してもさ」。これがテレビの放送に耐えられるのか、私は知らない。(物語内の)個人の動機と、環境や状況を混同してはいけない。「人を殺してみたかったから殺した」と答える者は、いつまでたっても大人になれないのではないのかと思うが、そういう事を語るのは、専門家ではないので荷が重い。「成長成長って、そこまでしてなぜ大人にならなければならないの?」という問いが浮かぶ。これは「では、子供のままでいいのか?」とセットで考える必要がある。戦いを経験すると必ず成長する、という決まりはない。ロボットアニメの主人公は、成長しなければならないという決まりもない。決まりはないが、「最新ロボを操縦している少年は、幼稚なままだった」という姿を観客に見せる作り手は、おかしいと思う。黒い笑いを描きたいのなら別だが。

「戦う男の子」「戦わない男の子」「戦えない男の子」 こう並べてみると、男の子物語は、選択肢がほとんど無い。冷遇されているといってもいいし、戦ってりゃなんとかなるという、ある意味甘やかされてきたともいえる。なぜ十代の少年が、巨大ロボットに乗って敵を殺さねばならぬのか、という事を考えると、「戦う男の子」が、非道く揺らいでいるように見える。ふと考える。巨大ロボットのバックには、軍隊国家がある場合が多い。作る上では設定上、そうすると助かるのだろうが、十代の成長物語を描く上では、もう時代に合わないのではないか。戦う男の子目的地が、戦う男になる事しかないとするのなら、ロボットアニメにおける主人公の成長の定義は、いまだ戦中といっていい。生意気な態度をとり、戦いに悩んだとしても、それらは国家お墨付きの中で、である。最新型のコックピットの中で、である。愛国的であるが、単なる戦闘馬鹿ともいえる。「ロボットを作った『ナントカ研究所』の面々が、よってたかって主人公を一人前の男に仕立て上げる物語」でも、昔はよかったのかもしれない。だが、90年代にもなると、庵野監督をもってしても、動機付けすることは不可能になった。一人前の男にする事も出来なくなった。一人前の男とは何かすら、わからなくなった。深く設定を作ってしまったばかりに、動機があいまいでも、なんとかなってしまったのが皮肉である。

ロボットアニメに出てくる十代の主人公が持つ、殺しの動機。大人の職業軍人などが主人公なら、また話は別なのだろうが、今ではそれは怪しいものとなった。巨大ロボアニメは、以前と比べて人気は落ちたというが、それは分かる気がする。それとも、緻密な世界観だが、動機なき殺人者達が蠢くそ世界で、観客は満足するしかないのだろうか? 

最後に、ここまで読んでくれたあなたへ。この文章は「今のようなロボットアニメ少年を描くのは、もう無理ではないのか?」と、短く書けばこれで済む話である。こんな珍論、最後まで読んでくれてありがとう。。

2010-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20100607214034

http://anond.hatelabo.jp/20100609145219

http://anond.hatelabo.jp/20100521232949

http://anond.hatelabo.jp/20091221232734

増田東大卒って、なんでこんなに嫌な奴ばかりなのだろうか・・・

ついでに、東大に入る動機付けが乾く間もないちんぽこという奴も目立つね。

2010-05-15

恐怖と欲は効果的な動機付けとはなりにくい。

わっつ

2010-04-07

http://anond.hatelabo.jp/20100407142110

あー

だから性欲が減退した俺みたいなのは結婚しようとする動機付けが無いんだよなあ

別に子供とかも好きじゃないしなあ

2010-04-01

http://anond.hatelabo.jp/20100401160457

己で己に動機付けをするってのは意味があることだと思うけどな。

別にそんな言葉を用いなくても、誰だって心の中でやってることではあると思うよ。

2010-03-26

非モテリア充奉仕することで生きる意味を見出すべき

買春しなければ女の肌に触れることさえできないオスは、生殖から排除され淘汰されるべき個体である。

この事実事実として直視することが重要である。このことは何度でも強調する必要がある。

そのような個体が人の上に立とうとしたり、人を指導しようとしたりするのは、理にかなっていない。

人間はあくまで生物として生きているものであり、そのような個体は生物として劣っているものだからである。

それにもかかわらず、どうしても生きたいなら、そうして、生きる意味見出したいと思うならば、

人の上に立とうとするのでなく、人の下に立ち、自分よりも生きる資格のある大多数の人々に奉仕するものになろうとしなければならない。

しかし、20代で買春しなければならないような者は、その事実だけですでに十分に負け組なのであり、

身を低くして他に奉仕するチャンスを、動機付けとして与えられているといえる。

非モテリア充奉仕することで生きる意味を見出すべき

買春しなければ女の肌に触れることさえできないオスは、生殖から排除され淘汰されるべき個体である。

この事実事実として直視することが重要である。このことは何度でも強調する必要がある。

そのような個体が人の上に立とうとしたり、人を指導しようとしたりするのは、理にかなっていない。

人間はあくまで生物として生きているものであり、そのような個体は生物として劣っているものだからである。

それにもかかわらず、どうしても生きたいなら、そうして、生きる意味見出したいと思うならば、

人の上に立とうとするのでなく、人の下に立ち、自分よりも生きる資格のある大多数の人々に奉仕するものになろうとしなければならない。

しかし、20代で買春しなければならないような者は、その事実だけですでに十分に負け組なのであり、

身を低くして他に奉仕するチャンスを、動機付けとして与えられているといえる。

2010-01-17

自動車整備工場がこの先生きのこるには

10人以下でやってるような自動車整備工場ってあるじゃん

あーゆーとこでなんか車についてお願いすると、

待合室で待つわけじゃないっすか。

そういうとこって、

きったなくって、15インチくらいのブラウン管テレビ競馬の中継とか流してて、

空調が効いてるんだかどうだかわかんない感じで

片隅になんだかわかんない自動車部品が転がってたりするじゃないっすか。

国産自動車ディーラー比較すると全くお話にならない。

俺だったら多少高くついてもディーラー行くよ。

今時の車なんて全然壊れないから、じり貧状態が続いているだろうなあ。

「あえて整備工場の方に行こう」って動機付けが無いよね。

2009-11-30

バイリンガルの頭ん中:ダニエルピンクネタ

日本語英語へのTransition

目的

バイリンガルの頭の中(あくまで想像)を文章にて表現

序盤:日本語脳→終盤:英語

・英文に抵抗のある人に対する新しい英語教材の提案、実験

日本語読んでたはずなのに、いつの間にか英語読んでた!」というのが理想

TEDから文章だけでも内容が伝わるダニエルピンクプレゼンを引っ張って来たのですが、実験的にやるにしては少し内容が堅く、マテリアル選択を誤った気がしなくもありませんw

ダニエルピンク 「やる気に関する驚きの科学

http://www.ted.com/talks/lang/jpn/dan_pink_on_motivation.html

めちゃ長いですが、LanguageがTransformする過程を味わって頂ければと思います。

--------------------------------------------------

最初に告白させてください。20年ほど前にしたあることを私は後悔しています。あまり自慢できないようなことをしてしまいました。誰にも知られたくないと思うようなことです。それでも明かさなければならないと感じています(ざわざわ)。1980年代の後半に私は若気の至りからロースクールlaw schoolに行ったのです(笑)。

In America, 法律専門職学位です。まずuniversityを出て、それからlaw schoolへ行きます。law schoolで私はあまり成績が芳しくありませんでした。控えめに言ってもあまり良くなく、上位90パーセント以内という成績で卒業graduateしました(笑)。どうもlaw関係の仕事はしたことがありません。やらせてallowed toもらえなかったというべきかも (笑)。

But today, betterではないことだとは思いつつ、wifeの忠告にも反しながら、このlegal skillsを再び引っ張り出すことにしました。今日はstoryはtellしません。主張caseを立証します。合理的で証拠evidenceに基づいた法廷におけるような論証で、how we run our businessesを再考してみたいと思います。

陪審員juryの皆さん, take a look at this。This is called 「ロウソクの問題」。ご存じの方もいるかもしれません。1945年にKarl Dunckerという心理学者psychologistがこの実験experimentを考案し、様々な行動scienceのexperimentで用いました。ご説明しましょう。私が実験者だとします。私はあなた方を部屋に入れてcandle画鋲thumbtackとマッチmatchesを渡します。そしてこう言います。「テーブルtableに蝋waxがたれないようにcandleを壁wallに取り付けattachしてください。」Now what would you do?

Many peopleはthumbtackでcandleをwallに留めようとします。でもうまくいきません。あそこで手真似をしている人がいましたが、matchの火でcandleを溶かしてwallにくっつけるというideaを思いつく人もいます。いいideaですがうまくいきません。After five or 10 minutes, most peopleは解決法を見つけます。このようにすればいいのです。Keyになるのは「機能的固着functional fixedness」を乗り越えるovercomeするということです。最初、あのboxを見て、単なる画鋲の入れ物だと思うでしょうが、それは別な使い方をすることもできます。candleの台platformになるのです。これがcandle problemです。

次にSam Glucksbergというscientistが、このcandle problemを使って行ったexperimentをご紹介します。彼は現在Princeton Universityにいます。この実験でthe power of incentivesがわかります。彼は参加者participantsを集めてこう言いました。「this problemをどれくらい早く解けるsolveできるか時計で計ります。」そしてone groupにはthis sort of problemを解くのに一般にどれくらい時間がかかるのかaverage時間を知りたいのだと言います。もう1つのgroupには報酬rewardsを提示します。「上位25percentの人には5dollarsお渡しします。fastestになった人は20dollarsです。」Now this is several years ago物価上昇inflation考慮に入れればa few minutes of workでもらえるmoneyとしては悪くありません。十分なmotivatorになります。

このグループはどれくらい早く問題を解けたのでしょう?答えはon average, 3分半余計に時間がかかりました。Three and a half minutes longer。そんなのおかしいですよね?I'm an American。I believe in 自由市場。そんな風になるわけがありません(笑)。If you want people to perform better, 報酬を出せばいい。Bonuses, commissions, あるいは何であれ、incentiveを与えるのです。That's how business works。しかしここでは結果が違いました。Thinkingが鋭くなり、creativityが加速されるようにと、incentiveを用意したのに、結果はoppositeになりました。思考は鈍く、creativityは阻害されたのです。

この実験experimentがinterestingなのは、それが例外aberrationではないということです。この結果は何度も何度もfor nearly 40 years 再現replicateされてきたのです。この成功報酬的な動機付けmotivators―If Then式に「これをしたらこれが貰える」というやり方は、in some circumstancesでは機能します。しかし多くのtasksではうまくいかず、時には害harmにすらなります。これはsocial scienceにおける最も確固robustとした発見findingsの1つです。そして最も無視ignoreされている発見でもあります。

私はthe last couple of years, human motivation科学に注目してきました。特に外的動機付けextrinsic motivatorsと内的動機付けintrinsic motivatorsのdynamicsについてです。大きな違いがあります。If you look at これ、scienceが解明したこととbusinessで行われていることにmismatchがあるのがわかります。business operating system、つまりビジネスの背後にある前提assumptionsや手順においては、how we motivate people、どう人を割り当てるかという問題は、もっぱらextrinsic motivators(アメとムチ)にたよっています。That's actually fine for many kinds of 20th century tasks。But for 21st century tasks, 機械的mechanisticなご褒美と罰reward-and-punishmentというapproachは機能せず、うまくいかないか、害harmになるのです。Let me show you what I mean。

Glucksbergはこれと似たanother experimentもしました。このように若干違ったslightly differentな形で問題を提示したのです。Tableにwaxがたれないようにcandleを壁にattachしてください。条件は同じ。あなたたちは平均時間を計ります。あなたたちにはincentiveを与えます。What happened this time?今回はincentivizedグループの方が断然勝ちました。Why?箱に画鋲が入っていなかったから。it's pretty easy isn't it?(「サルでもわかる」ロウソクの問題) (笑)

If-then rewards work really well for those sorts of tasks。Simpleなルールとclearな答えがある場合です。Rewardsというのはfocusを狭めmindを集中させるものです。That's why報酬が機能する場合が多い。だからこのような狭い視野で目の前にあるゴールをまっすぐ見ていればよい場合にはthey work really well。But for the real candle problem, そのような見方をしているわけにはいきません。The solutionが目の前に転がってはいないからです。周りを見回す必要があります。Rewardはfocusを狭め、私たちの可能性possibilityを限定restrictしてしまうのです。

Let me tell you why this is so important。In western Europe, in many parts of Asia, in North America, in Australia, white collarの仕事にはthis kind of workは少なく、このような種類の仕事が増えています。That routine, rule-based, left brain work, certain kinds of accounting, certain kinds of financial analysis, certain kinds of computer programingは 簡単にアウトソースできます。簡単にautomateできます。Softwareのほうが早くできます。世界中Low-cost providersがいます。だから重要になるのはthe more right-brained creative, conceptual kinds of abilitiesです。

Your own workを考えてみてください。Youが直面faceしている問題は、あるいはweがここで議論しているようなproblemsは、こちらのkindでしょうか?A clear set of rules, and a single solutionがあるような?そうではないでしょう。ルールあいまいで、答えはそもそも存在するとしての話ですが、驚くようなsurprisingものであり、けっして自明obviousではありません。Everybody in this room is dealing with their own version of the candle problem。And for candle problems of any kind, in any field, if-then rewardsは機能しないのです。企業の多くはそうしていますが。

Now, これにはcrazyになりそうです。どういうことかというと、これはfeelingではありません。私は法律家lawyerです。Feelingsなんて信じません。This is not a 哲学philosophy。I'm an American。Philosophyなんて信じません(笑)。This is a fact。私が住んでいるWashington D.C.でよく使われる言い方をするとtrue factです(笑)。(拍手)Let me give you an example of what I mean。Evidenceの品を提示します。Iはstoryをtellしているのではありません。I'm making a 立証。

Ladies and gentlemen of the 陪審員, 証拠を提示します: Dan Ariely, one of the great economists of our time, Heは3人の仲間とともにsome MIT studentsを対象に実験studyを行いました。These MIT studentsにたくさんのgamesを与えます。Creativity, and 運動能力motor skills, and concentrationが要求されるようなゲームです。そして成績に対するthree levels of rewardsを用意しました。Small reward, medium reward, large reward。Okay?非常にいい成績なら全額、いい成績なら半分の報酬がもらえます。What happened?「As long as the task involved only mechanical skill、bonusesは期待通りに機能し、報酬が大きいほどパフォーマンスが良くなった。 しかし、cognitive skillが多少とも要求されるタスクになると、larger rewardはより低い成績をもたらした。」

Then they said,「cultural biasがあるのかもしれない。Indiaのマドゥライで試してみよう。」In Madurai, Standard of livingが低いので、North Americaではたいしたことのないrewardが 大きな意味を持ちます。実験の条件はSameです。A bunch of games, three levels of rewards. What happens? medium level of rewardsを提示された人たちは small rewardsの人たちと成績が変わりませんでした。But this time, people offered the highest rewards, they did the worst of all。「In eight of the nine tasks we examined across 3回の実験, よりhigherインセンティブがworse成績という結果となった。」

これはおなじみの感覚的なsocialistの陰謀conspiracyなのでしょうか?No. Theyはeconomists from MIT, from Carnegie Mellon, from the University of Chicagoです。And do you know who sponsored this research? FRBです。これはまさにAmerican experienceなのです。

Let's go across the pond to the London School of Economics。11人のNobel 受賞者 in economicsを輩出しています。Great経済頭脳がここで学んでいます。George Soros, and Friedrich Hayek, and Mick Jagger(笑)。Last month, just last month, economists at LSE looked at 51 studies of 成果主義 plans, inside of companies。彼らの結論は「We find that 金銭的なインセンティブ can result in a negative impact on 全体的なパフォーマンス.」ということでした。

There is a 食い違い between what 科学 knows and what ビジネス does. And what worries me, as この潰れた経済の瓦礫の中に立って, is that あまりに多くの組織 are making their decisions, their policies about 人や才能, based on assumptions that are 時代遅れ, 検証されていない, and rooted more in 神話 than in 科学. this 経済の窮地からget out ofと思うなら 21st century的な答えのないtasksで high performanceを出そうと思うのなら、wrong thingsを これ以上続けるのはやめるべきです. To 誘惑 people with a sweeter carrot, or 脅す them with a 鋭いムチ. まったく新しいアプローチが必要なのです.

And the いいニュース about all of this is that scientistsが新しいapproachを示してくれているということです. It's an approach built much more around 内的な motivation. Around the desire to do things because they matter, because we 好き it, because they're 面白い, because they are 何か重要なことの一部. And to my mind, that new operating system for our businesses revolves around three elements: 自主性、成長、目的. 自主性, the 欲求 to 方向 our own lives. 成長, the desire to get better and better at 何か大切なこと. 目的, the 切望 to do what we do in the service of 大きな何か than ourselves. これらがour businessesのentirely new operating systemの要素なのです.

I want to talk today only about 自主性. In the 20th 世紀, we came up with this idea of マネジメント. Management did not 自然に生じた. Management is like -- it's not a 木. It's a テレビ. Okay? Somebody 発明した it. And it doesn't mean it's going to work 永久に. Management is great. 服従を望むなら, Traditional notions of management are ふさわしい. しかし参加を望むなら, 自主性 works better.

Let me give you some 例 of some kind of 過激なnotions of 自主性. What this means -- あまり多くはありませんが 、非常に面白いことが起きています. Because what it means is paying people 適切に and 公正に, 間違いなく. Getting お金の問題 off the table. And then giving people 大きな自主性. Let me give you 具体的な例.

How many of you ご存じ of the 会社 Atlassian? 半分もいない感じですね(笑). Atlassian is an オーストラリアソフトウェア会社. And they do すごくクールなこと. A few times a year they tell their エンジニア, "これから24時間何をやってもいい, as long as it's not part of your regular job. Work on 好きなことを何でも" So that エンジニア use this time to come up with a cool 継ぎ接ぎ for code, come up with an エレガントなハック. Then they 何を作ったのか見せる to their teammates, to the rest of the company, in 雑然とした全員参加の会合 at the end of the day. And then, オーストラリアですから, everybody has a ビール.

They call them 「FedExの日」. Why? Because you 何かを一晩で送り届けなければならない. It's 素敵. It's not bad. It's a huge 商標権 侵害. But it's pretty clever. (Laughter) That one day of 集中的な自主活動 has produced 多数の software 修正 that might never have existed.

And it's worked so well that Atlassian has taken it to 次のレベル with 20 Percent Time. Googleがやっていることで有名ですね.Where エンジニア can work, spend 20 percent of their time working on anything they want. They have 自主性 over their time, their task, their team, their 技術. Okay? Radical amounts of 自主性, And at Google, as many of you know, 新製品の半分近く in a typical year are 生まれています during that 20 Percent Time. Things like Gmail, Orkut, Google News.

Let me give you an even more 過激な example of it. Something called 「完全結果志向職場環境」. The ROWE(Results Only Work Environment). Created by two American コンサルタント, in place at about a dozen companies around 北アメリカ. In a ROWE people don't have スケジュール. They show up 好きなときに. They don't have to be in the office 特定の時間に, or any time. They just have to 仕事を成し遂げる. How they do it, when they do it, where they do it, is totally up to them. ミーティング in these kinds of environments are オプショナル.

What happens? ほとんどの場合, productivity goes up, 雇用期間 goes up, 社員満足度 goes up, 離職率 goes down. 自主性Autonomy, 成長mastery and 目的purpose, These are the 構成要素 of a new way of doing things. Now some of you might look at this and say, "Hmm, 結構だけど、it's 夢物語." And I say, "Nope. I have 証拠."

The mid 1990s, Microsoft started an 百科事典encyclopedia called Encarta. They had deployed all the right インセンティブ. All the right incentives. They paid プロ to write and edit 何千という記事. たっぷり報酬をもらっている managers oversaw the whole thing to make sure it came in on budget and on time. 何年か後に another encyclopedia got started. 別なモデル, right? Do it for 楽しみ. No one gets paid a cent, or a Euro or a Yen. Do it because you 好き to do it.

ほんの10年前に, if you had gone to an 経済学者, anywhere, And said, "Hey, I've got 百科事典を作る2つのモデル. 対決したら, who would win?" 10 years ago you could not have found a single まともな経済学者 anywhere on planet Earth, who would have predicted the Wikipediaモデル.

This is the 大きな battle between these two approaches. This is モチベーションにおけるアリ vs フレージャー戦. Right? This is 伝説マニラ決戦. Alright? 内的な motivators versus 外的な motivators. Autonomy, mastery and purpose, versus アメとムチcarrot and sticks. And who wins? Intrinsic motivation, autonomy, mastery and purposeが ノックアウト勝利します.まとめましょう.

There is a 食い違い between what science knows and what business does. And here is what science knows. One: Those 20th century rewards, those motivators we think are a 当然 part of business, do work, but only in a surprisingly narrow band of circumstances. Two: Those if-then rewards often 損なう creativity. Three: The 秘訣 to high performance isn't rewards and punishments, but that 見えない intrinsic drive. The drive to do things 自分自身のため. The drive to do things それが重要なことだから.

And here's the best part. Here's the best part. We already know this. The science confirms what we know in our hearts. So, if we repair this mismatch between what science knows and what business does, If we bring our motivation, notions of motivation into the 21st century, if we get past this lazy, dangerous, ideology of carrots and sticks, we can strengthen our businesses, we can solve a lot of those candle problems, and maybe, maybe, maybe we can change the world. I rest my 立証。

2009-11-15

恐ろしいと思ったこと

 昨夜、風邪による発熱にうなされながら思ったこと。

 人がなぜ恋愛をするのか?という問題について考えると、自信満々でこう答える人がいる。「性欲に決まってンじゃんかよ」と。

 その人は、僕の友人だったり、ネット上の赤の他人だったり、僕の心の一部分だったりするのだけれど、それは間違っている。

 なぜ間違っているかと言えば、確かに人が恋愛を始める原初の動機は、性欲である場合が極めて多いが、物事の大本にある物がその全てであるとは限らないのである。

 異性に対して、おっ、こいつなかなかええやんけ、と思うだけで、恋愛がはじまる条件は揃うが、後にその恋愛成就するためには、様々な問題をクリアーする必要があるわけで、個々の問題に対する動機付けが性欲でない場合も大いに有り得る。問題とは、具体的に言えば、相手や自分心の問題、第三者との関係、金銭面の事など。

 恋愛とはそうやって、パートナーその者に対する「以外の」動機付けがあるからこそ成り立つ。もし恋愛パートナーとの一対一の関係のみに深化してしまうと、色々ヤバイ。身近でヤバくなった人の話を聞いたことがある。僕がそんな事を考えたのは、新潮12月号に掲載された山崎ナオコーラ小説を読んだからかもしれない。

 第一、全てが性欲で説明できるなら、一生自分で性欲処理していれば済む話だろう。

 んで、僕が恐ろしいと思ったことは一対一問題についてでは無かったりする。話が逸れて申し訳ない。僕が言いたいのは、おっ、こいつなかなかええやんけ問題についてである。

 僕が、ええやんけ、と思うのは、その原初は性欲であることが多いのだけれど、でも性欲で物事を決めるのはそれは畜生にも似た浅はかな行為であるような気がして、性欲以外のポイントに目をやろうとする。

 そうすると、僕の性欲とは一見無関係な、その人の魅力が見つかるのだけれど、もしかしてそれは僕のええやんけが、その人の変哲のない部分を魅力に見せているのではないか、性欲補正がかかっているのではないか、という疑念が心から離れなくなる。恐ろしい。

 もっと恐ろしいのは、僕が天然に、自然に気づいた人の魅力と、性欲補正によって見いだした人の魅力、その二つの区別がつかなくなってしまうという事。

 一体どうすればいいのか。っていうか、本当にそんな事が起こるのかどうか。それすらもわからないし、そんな妄想をしていても、恋愛は出来ない。まぁ、出来ない分には構わないんだけど。

 別に常日頃からそのような妄想にかかずらわっている訳では無いけれど、そんな事を一分一秒でも考えている間にも僕は世間から取り残されていっているような気もして、それもまた恐ろしい。

 最近では、そんな妄想を文章に出来るようになりたいと思って努力したりしているのだけど、どうなんでしょ。まぁいいや。ちなみに僕は関西人じゃありません。

2009-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20091107010133

大学入学式で、学長が「君たちには下らない受験勉強をさせてしまい申し訳なかった。大学ではそんなことはないから一生懸命勉強して欲しい。もしつまらなかったら教授を批判してもいい」と言ったのを思い出しました。

さて、あなたの高校の先生方が言う「楽できる」とは、「望まない苦役のような作業に長い時間拘束されることない」ということではないでしょうか。大学では、自分の好きな勉強や活動に時間をさくことができるものです。そのことを「楽だ」と表現することもできるでしょう。傍からみて大変そうでも、好きなことをやってる本人はしばしば「楽だ」と言います。大学時代を過ぎてしまえば、そんな環境は得がたいものです。

あなたの先生方は、大学でいろいろやったからこそ、大変な受験勉強を強いられている高校生が不憫に思えて、「大学は楽だ」と言っていたのかもしれません。

確かに、大学でもある程度は自分がやりたくないことをしなければならないこともあります。しかし、「あれもこれもしなければならない」と何かに追われて過ごすよりも、「自分がしたいことはこれだ!」と突き進む人の方が結果的に充実した大学生活をおくることが多いものです。ならば、「大学は楽できる場所」とあらかじめ刷り込んでおく方が良いという考え方もできますよね。

受験勉強しか知らない高校生に、「大学勉強楽しいぞ」と言っても、「大学行っても結局この作業の繰り返しなのか」と思われてしまうかもしれません。また、「大学での活動は楽しいぞ」と言って、政治的な過激派想像されても困ってしまいますし。

過程はどうあれ、送り出した生徒が「大学は素晴らしい所」と心から思ってくれるようになることが進学高校の先生方の本望なのではないでしょうか。「大学行ったら楽できる」は確かに誤解を招くような表現かもしれませんが、それが動機付けとなって自分の生徒たちが不毛受験勉強を乗り切れたならば、いくら残念に思われようとも先生はその言葉を使い続けるのでしょう。

2009-10-27

勉強なんて意味あるのという問いにマジレスしてみる。

まず、意味あるの?って何なの?意味ないと死ぬの?意味があることによって、何だ。君の人生に大きく影響するのかね?

だめだこれじゃマジレスじゃないな。

にゃんとー。

 小学校中学校には本当にいろんな奴がいたと思う。記憶がおぼろげな事と、そんなに深く考えていなかったせいか、はっきりとしたことは言えないが。目に見えるはっきりとした格差が存在したと思う。学校に真面目に来ない不良というのがいた。もちろん真面目に来ないというのは文字通りの意味で全く学校に来られない訳では無い。パフォーマンスだったんだなぁと思う。そうやることで自分は特別だ、とまではいかないとしても、当たり前であることから逃げていたんだと思う。たいていの家庭の親はそんなのを認めないから、結果的にそうなっているのは、放任されている子供ばかりだった。改造制服を着ているのも決まってそう言う生徒だった。完全に一種のテンプレートである。ただ先生の言うことを全く聞かないわけでもないし、学校でのべつ幕無しにけんかをしているわけでもない。一種のファッションみたいだった。そう言うファッションみたいなものの中に、茶髪にする事、ボンタンをはくこと、ルーズソックスを履くことと同じように勉強をしないというのが存在していた。下手したら自分普通じゃない。という自己肯定の中には勉強をしないと言うことが含まれているのでは?と思う程度に。

 少し見方を変えるとそれはそれで帰属意識じゃないのだろうかと思う。勉強をあくせくやるのはスマートではないという空気はあったし、そもそも真面目というのはあまり好まれるレッテルでは無かった。そんな中で、不良とかやんちゃとかいうレッテルの中にいればそこまでカッコワルイという感じではなかった。そんな中で彼らも彼らなりにそういう空気を敏感に感じていたのだろう。しかもそういうグループ内で勉強をしているだなんてことはとても信じられない行為であっただろう。

 脇にそれた。本題に戻ると、勉強意味があるかと感じる様な層はそもそも勉強をしようという動機付けは皆無であるように思われる。しっかり勉強をした方が得だという空気は高校に入ってからであったし、地方進学校程度ではその中でも十二分に諦めてしまっている人間はいた。現在小学校中学校がどのような状態であるかは知らないが、おそらく上で述べた、

勉強をする事はカッコワルイという空気

は解消されていないであろう。そもそも中学程度までの学習一般教養ではないのか?と感じる。

そして一番酷いのは現在新卒雇用状況を全く知らないまま義務教育を終える事だ。中学の学年主任の先生中小企業揶揄する様な話をしていて、その頃新聞赤旗朝日により少々左に染められていた、自分には信じられなかった。今考えるとある程度は正しい事をいっている気がする。(というかほとんど正しい)

全力でマジレスしてみた。

2009-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20091022141906

無責任言葉になってしまうかもしれません。しかし、決して飛躍した意見ではなく、もしこういった「価値観の違い」や「見解の相違」において打開策が見出せないようであればお二方は離婚すべきだと思います。お二人の仰っている価値観というものは是否論で語れるものではなく、正しいといえばどちらも正しく、また間違っているといえばどちらも間違っている類のものです。


客観的な意見ですが、問題は『結婚式に対しての考え方』にあるのではなくあなた方夫婦が『互いを認め合って納得のいく結論を導き出せていない点』にある気がします。

私から見て決定的に欠けている要素が2つ。

  1. 相互補完した折衷案を導き出す個々の能力的なもの
  2. 理屈理論を抜きにして相手のためだけに動機付けできる愛情や信頼といった二者間の感情的なもの

夫婦生活に限らず、スポーツビジネスでも健全パートナーシップを維持する上で重要ファクターになります。それほど難しい話ではないと思いますが…


正直、「たかが結婚式」なのです。言ってしまえば夫婦生活の序盤でこんな派手な躓き方をしてしまっている以上、あなた方二人に幸せ結婚生活を送るだけの素養は無いように思えませんか?なんとなく「どちらの意見価値観がより高度か?」というまったく実の無い議論に終始している気がしますが、私見としては「たかがこれしきの問題に折り合いのつけ方がわからない時点で、お二人とも経験不足」というのが結論です。

2009-10-24

愛の仮装じゃないかな

http://anond.hatelabo.jp/20091019024136

20代後半の童貞の人と1年以上付き合い、全く体を求めてこなかった。

ふたりで旅行に行って一つのベッドに寝ても、それでも求めてこなかった。


「あなたは僕のことを好きなのか。付き合う気があるのか。

 僕はまだ、あなたのことが好きという段階にない。

 それでも、あなたが僕を選んでくれるのならば、あなたを幸せにするために、あなたを受け入れる。

 しかし、お互い気持がないのなら、愛がないのに、そこで体を重ねて、何の意味があるのか?

 子供を作るわけでもなしに。

 セックスすることで僕らの間に、何か変化が起きるのか、教えてほしい」


目から鱗だった。

セックス経験していない彼だからこそ持ちえた疑義だった。

セックスに何の精神的な意味があったのだろう。

愛情表現愛情確認?

いや愛情確認ならまず好きだと訴え結婚して二人の将来を築くことを誓うはずだ。

でも今彼と将来を誓うことはできない。好きじゃないからだ。

好きではない人に責任を負う覚悟を持てないからだ。


じゃあなぜ私は彼とセックスしようとしていたのだろう。

体を重ねたら、お互いに相手をすべて知ることができる気がしたから?

所有欲を満たして、特別な関係に進展できる気がしたから?

私はこうして誰かに抱かれていて、自分が"ここにいる”ことを確認できる気がしたから?

相手にもそう思わせることができる気がしたから?

ああ、そう、私は、セックスによって、愛し合っているふりをしたかったのだ。

将来を共に築くために責任を持ちあう勇気もなく、

それでも孤独になりたくなくて、

体を重ねることで相手を拘束することができる気がして、ごまかそうとしていたのだ。

"セックスコミュニケーション"

欲求階層説を引きあいに出すまでもなく、

人間は他者との関わりの中で自己を形成する。

ゆえに、"愛"は人間精神的基盤として最も根源的中枢的な要素であるが、

厄介なことにあるのかないのか検証不可能な代物である。

それを仮想的に演出するためのものではないだろうか。セックスというのは。

だから、誰もが追い求めてそれでも決して可視化することのできない"愛"が何たるか知りたくて、

結果的に"がっつく"ことになるのは、恥ではない、至極健全な欲求の現れだと思う。

でも所詮存在証明不可能なものの演出に過ぎないのだから、

どこまで行っても擬似的なものであり続ける。

なまじ擬似的に演出できてしまう分、

真実の愛に接近しようとする動機付けが殺がれる危険もある、と思う。

2009-09-24

それは本当に好きなことをやってるのかという疑問

まずは私という人間を見てみよう、好きじゃないことは長続きせず、好きなことは熱中してしまう、

好きな事は明日の仕事というものがありながらもいい大人にも関わらず深夜にまで没頭してしまい明日に影響を与えるという傾向がある、

そして好きじゃないことは好きな事に関連する事柄であっても取り掛かるまでにいくらかの気合、もしくは事前の動機付けによるToDo作成、ToDoの見直しが必要だ。

具体的にはプログラマである私は現在主力にしているC++趣味のツールを作る分には没頭して深夜になってもひたすらもくもくとキーを叩いている、

叩ける、叩かぬなら 叩くまで待とう ホトトギス家康さん、あっしは待つ必要なんて無いでっせ、待機時間0でっせ、

さてPG足る物自己の修練は必要である、どうやら巷ではJavaPHPVB等の需要があるようだ、Swing使って簡単なGUIアプリ作って見とかないとな、

書籍購入、WebベースクライアントからサーバDBをごにょごにゅと操作しておかないとな、と書籍購入、VB?、必要な時に触ってりゃ覚えるでしょ。

そして気合を入れてさあ学習するぞとPC前に向かう、数十分後、部屋が綺麗になっている素晴らしい!、

学ばぬなら 学ばせてみよう ホトトギス、嗚呼秀吉様、どうかあっしに手ほどきを、ぎゃあ信長様!、どうかご慈悲を、やります、やりますとも!、どうか命ばかりは!、

さらに数十分後、やっとこさSwingアプリ作成にとりかかるとあろうことか深夜になっても没頭してる、なんだこれは。

2009-08-19

http://anond.hatelabo.jp/20090819035935

続けてマジレス

「客観視」とか「モチベーション」とか「我ながらおぞましい」とか適当言葉並べやがって

客観視すると何かいいことあるのかよ?

そんなに動機付けって大事か?動機があればニート脱出できるのか?

つまらんもんは何やったってつまらんだろが?

で、もし仮に世の中にニートって言葉がなかったら、

増田は果たして単なる無職なのかどうかが気になった次第です

2009-08-07

http://anond.hatelabo.jp/20090807091544

「自由な思考などというものは、合理主義的に誤解された純正さが支配している」

「思考を無から始めるなど 幻 想 的 である」

「あらゆる知識や行動や思考は、歴史や生活世界の中で動機付けられている。」

「”自由で純粋な思考”などというものはありえない。」

 

存在と時間

2009-06-14

何の為に“子供”を産むのか




実家帰省する度に、父方の祖母からこう言われる。

「はやく結婚して子供をつくんなさい」 あいにく、そんなパートナーはいないんだぜ。

少し惨めな気持ちもあるが、結婚子供も、そんな予定は今のところないことを伝える。するとどうだ。


子供がいないと、将来面倒みてくれる人がいなくなって困るよ」


一瞬、「HA?」とは思ったが、哀しいけど、正論と言えば正論なんだろう。

人は一人で生きられないし、“孤独死”覚悟じゃなきゃ“生涯独身貴族”なんて希望はまかり通らない。

事実祖母は祖父が亡くなってから実家(父名義の新築)で同居、親父の扶養に入った。

経済的にも身体的にも面倒をみてもらっている立場だ。それ自体はなんてことはない普通のこと。


だが、前述の理由、祖母が言った言葉がやけに耳に引っ掛かった。というかムカついた。

“それ”が結婚子供を産むか否かを動機付けること自体に。

ばあちゃんは、自分の老後の面倒をみて貰う為に親父を産んだのだろうか。

それとも、俺の将来を心配してくれてそんな風に言うの?


“利用”や、自分らの生活を“便利”にする為につくられ、産み落とされたものならば、

それは機械システムコードコンテンツの類となんら変わりはしない。

親が子に、育ててやった恩を返せ!って強要するつもりなら、子供はどうか産まないであげて欲しいと俺は思う。

初めからつくらないであげて欲しい。俺は俺の両親に、自分を産んでくれ、育ててくれたことの恩は感じている。

感じなければ俺も機械だ。でもそれはきっと“強要”されなかったから。負担を強いられたことがなかったから。

ただ自分人生をまっとうするだけでいいって言ってくれたから。俺含め兄弟全員に。


子供をつくろうとする人は、自発的に、産み育ててくれた恩を返したい、せめて老後の面倒はちゃんと見てあげたい、

そういう風に子供にちゃんと思われる親であって欲しい。

責任も取れないくせにヤンチャして、その負債だけ次の世代に押し付ける、どこかの国の年金問題のような真似はしないで欲しい。

子供といえども人格はある。親自身が経済的に安定もしていないくせに、産む奴の気がしれないし、棄てる奴も殺す奴も、意味が分からないし知りたくもない。

仕方なかったんだよねーで済まされる問題じゃないし、擁護する方もされる方も第一級のバカだと思う。

デキ婚は経済的かつ精神的余裕がある人なら結構だけれども。


いつかこんな俺にも子供は欲しい。兄貴の娘を見ても可愛く思えるし、愛情だって注げる、と、思う。

でも今の俺が感じる、こんなしょうもない世界には産まれて欲しくない。

しょうもない世界がしょうもなくなくなるように、今は自分に力を注ぐ。

世界っていうのは自分立ち位置で変わるもんだと思うから。

立ち位置が変わって、“しょうもない世界”から“素晴らしい世界”に改めて俺自身の世界観が変わった時、

隣にパートナーさえいたのなら、両者合意の上で子供をつくり、産み、育てたいと思う。

恥ずかしいが、“素晴らしい世界へようこそ”って感じで迎えたいと思っている。

そして、自分が死ぬ最期に、産まれてよかった、産んでくれてありがとう、やっぱり楽しい世界だったぜパパ!

そういう言葉を最後に言ってもらいたいなー。俺の両親にもその言葉を届けられるよう、今はめいいっぱい楽しみたい。


___________あなたは、何の為に“子供”を産む?


駄文長文感想文で申し訳ないです。ネットにこんな気持ち書くのは初めてです。

はてな記法なんてものが存在するのを今初めて知った情弱です。

最後まで読んでくれた方ありがとう。出来れば違った視点を持った方のご意見等頂戴したいです。

2009-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20090531224002

反応が欲しいって、寂しさがそもそもの動機付けなので。

2009-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20090515130948

ほう。面白そうだ。ただなにぶん文系なもので学習の初期コストが高い。あとで本を探すけど,動機付けを高めるためにちょっと概略を説明してくれないか。

女性性を神聖視するな

悪魔崇拝バンドをご存知だろうか。欧州では小規模ながら一定の人気をもつが,日本においてはほとんど存在感がない。なぜか。キリスト教が根付いていないからだ。守られるべき価値としての信仰があるからこそ,それを侮辱したり破壊したりする行為が背徳的な興奮をもたらす。日本人には英国ゴシップ誌があれほど執拗に王室スキャンダルを追う熱意がわからないし,旧ソ連政治アネクドートも本当の面白さは理解できない。社会的確立された価値こそが,それを破る動機付けとなる。

逆説的だが,reproductive rights のように女性性を保護する思想が高まれば高まるほど,レイプや強制堕胎などそれを蹂躙する行為の興奮は高まり快楽をもたらすものになると思う。性が徹底的に脱神聖化されたときにはじめてこれらの行為は無価値になるのではないか。現代において御簾越しの視線やピアノの足に対して性的に興奮する人がもはや誰もいないように,性が脱神聖化した世界においては「レイプした/された」が「無理やり握手した/された」くらいの重みしかもたないようになるのではないか。そういう意味で,女性保護思想は,正統ではあるが妥当ではないと思う。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん