はてなキーワード: でっち上げとは
俺はよく架空の宗教でっち上げてる。神様も教義も自分で考える。手持ちのアクセサリを祭具という設定にする。で、目の前の課題を神様の使命ということにする。俺は熱狂的な信徒のふり。試練に失敗したら自分でセルフ神罰を考えて実践する。
別に心から熱狂しなくてもいい。要は熱狂したのと同じ行動力が発揮できればいい。あー俺馬鹿だなーとか思いつつそれなりに奏功することが多い。エミュレーションだな。
まず、今の増田の状況を端的に言うと、ジェンガで、あと一つ、二つピースを取れば崩壊するまでバランスが崩れた状態です。
専門っぽく言えば、意識と潜在意識に著しい乖離が生じているので、体が悲鳴をあげ始めたところ…という感じです。
あと一つ、ピースが外れて崩壊すれば、いわゆる「心が折れる」という状況に陥り、家から出られなくなる可能性が高いです。
ただ、嫁さんの理解を得られていないので、板挟み状態で、家ですら安息の地にならないので、家にも帰れず、路頭に迷う…という事態もあるかも知れません。
とにかく増田、嫁さん共に今は正常な判断が出来ない状況である、と言うことを受け止めてください。
嫁さんは自分がダウンしていたときに、増田との対話で薬を使わずとも治り、自分の方が大変だった、と思い込んでいる(そう思いたい)ので「私は増田より大変(だと思い込んでいる)な境遇でダウンしていたけど、増田との対話で治ったから、私との対話で治るはず。(治るべき)」と言う意識と「かつて助けてもらったから、今度は私の番だ」という強い使命感、責任感を持っているのだと思います。
嫁さんはとても増田思いで、強い使命感から、価値観を自分の経験でしか計れなくなっている状況です。
これを説得するのはとても大変です。理論を通しても通用しないでしょう。これは嫁さんがヤンデレなのではなく、これだけ思いが強く、使命感、責任感が強いと、視野が狭くなってしまうので、どうしても正常な判断が出来にくくなってしまいます。
恐らく、増田は自身の状況を全て嫁さんには話していないんじゃないですか?心配させたくない、話す必要がないとかで…。
もう少し状況が良ければともかく、増田は既に心身症を発症していますので、まずは嫁がなんと言おうが心療内科か、精神科を受診した方が良いです。診断書をもらっておいてくださいね。
嫁さんがどうしても抵抗して行きにくい…と言うことであれば「学校側から受診するよう『命令』を受けた」などと、受診せざるを得ない状況をでっち上げるのも良いでしょう。状況が許せば先に学校に相談して既成事実にするのも良いでしょう。
その結果、必要に応じて薬が処方されるので、まずはそれで心身症を緩和させましょう。
その後、上長(主任?校長?)にことの経緯を報告し、「医者からこう言う診断が出た、どうしましょう?」という感じで相談します。
そこで休職となるか、勤務を続けながら治すかが決まると思います。理解のない学校では退職勧奨となってしまうかも知れませんが、事実を隠しても状況がどんどん悪化していくだけです。
その後、夫婦二人でカウンセリングを受診し、根本原因と対策を練りましょう。
薬は頭痛薬と同じで、症状を緩和させるだけです。
サラリーマン相手にはいい例えだな>「男を痴漢にでっち上げて社会的に抹殺していくことを楽しむゲーム」
あとはそれこそ草食系男子牧場だっけか。速攻で炎上閉鎖に追いやられたわけだけども、アレのせいで何か実害にあった、あるいはアレに掲載されてしまうようなヤツなど特にここ界隈にはいないであろうに、あーだこーだ理由つけて瞬殺したわけだ。
理由は「個人情報が」とかとってつけていたけど、現実的に自分の身に関係のないであろうことについても、「なんかやだ」ってノリで抹殺したよな。それって陵辱系ゲームが女性全般に対してより強いそういう「なんかやだ」感を与えているのもおかまいなしに、巷に氾濫している現状にも係らず、だ。
「子供が殺されてくゲーム」とか「ニートが殺されてくゲーム」じゃまだ全然想像できないだろうな。
結構いい喩えだと思ったのは一昨日増田(http://anond.hatelabo.jp/20090601134833)に上がってた「男を痴漢にでっち上げて社会的に抹殺していくことを楽しむゲーム」。
これなら、(特に騒いでる人の中には)我が身として想像できる人が多いんじゃないかと思う。
こんなのあったら普通ならものすごく非難されるだろうけど、それでも数本レベルなら「まあ、表現の自由だから」で許せるものだろうけど、「倫理基準を通った」ものとして毎月数十本単位でリリースされてて数千本あるとかいうのはさすがにどうかって思うレベルだよね。
でもまあ本当に問題なのは、ゲームの存在よりも実際数多くの性犯罪が起こっているという社会状況とそのほとんどが告発できないっていう社会的圧力なんだけど。規制反対派で日本は性犯罪率低いからとか言ってる人を見るとちょっとイラっとするよ。
この手のゲームとかAVとかに表立って文句を言える女性が少ないのは実際に被害にあっても告発できない女性がほとんどなのと間違いなくリンクしているのに。
安易な規制に賛成する気はないが規制してくれ派の気持ちはわかる。
たとえば「男を痴漢の犯人にでっち上げて社会的に抹殺するゲームやビデオ」が売られていたら当然普通は不快に思って抗議するやつも出てくるだろう。
そういうジャンルのビデオなりゲームなりが毎月数十本リリースされてて、amazonで「痴漢冤罪」で検索したらそういうのが9000本ぐらい引っかかってるのに、抗議する側に対して楽しんでる側が「これはフィクションなのだから現実と一緒にして不愉快に思う方がアホ」だとか「これ作って飯食ってるんだから規制されたら困る」だとか「男を痴漢犯人にでっち上げて社会的に抹殺するゲームで楽しむような女はほんの例外的な一部でつまり社会的弱者なんだから保護されるべき」とか主張したらむかつくだろう。
おまけに冤罪の被害にあったときの対処を調べようとして検索エンジンで「痴漢冤罪」で検索したら、検索結果の大半がそうやってでっち上げて楽しむゲームとかビデオとかの紹介文で溢れていたらうんざりするだろう。
そのうえ実は20代-50代男性の7%がでっち上げの被害にあっているのに、うち96%はでっち上げであることを告発しても無駄だと思って最初から示談で済ませていて、抗議できているのが4%だったりという状況だったりしたら、「お前らがそんなゲームやビデオを堂々と楽しめているのは、そんだけでっち上げが普通にまかり通ってる世の中だからだろ。強者のポジショントークだってことを自覚しろ」とか言いたくなるだろ。
そういう風に考えたら、それだけの不快感を押さえ込ませて陵辱ものを楽しんでる自分は恵まれたポジションにいるんだなと思った。
ていうか、本来の意味での「シンクタンク」の役割を担ってるのは、日本の場合官公庁(官僚)だからね。
テクノクラートと民間人、という構図をずっと続けてるわけだ。いつからかは知らないけど。
アメリカのように民間企業出身者が政府(の重要ポスト)入りするということもほとんど無いし、
政党お抱え(資金の出し手という意味)のシンクタンクというものも無い。
かろうじて本来のシンクタンクっぽい活動やってるのは三菱総研(MRI)だけど、実情は
「これこれこういう主張をしたいから、上手いこと辻褄合わせる調査をでっち上げてよ」
みたいな依頼ばっかりだったりするし。
ましてや最近はシンクタンク業務だけじゃ会社が立ち行かないからっつってシステム事業(SI(笑))に力入れるという本末転倒ぶり。
現実を鑑みれば、諸外国の「シンクタンク」と日本のシンクタンクを並列に比べること自体がナンセンスだと思うね。
人事がシステム部門と共通で、博士号取得者の採用を躊躇する(笑)とかね。挙句東大学部卒とかを採用する始末だ。
他国に比べて遅れてる、とかそういうレベルじゃなくて、パチモン以下なんだよ。シンクタンク(笑)がいいとこ。
とりあえず行きたい会社とかを語る。酒の席だったりする。
そこで何となくリクナビ登録してエントリーする企業を考える。この過程で何度も何度もあーでもないこーいうつもりでもないと思いながらもできあがるエントリーシートは抽象的でなんとなくそれっぽい志望動機とどこかで見たような自己PRに独自っぽい研究内容を付けてるだけのすっからかんなペラい物になる。本音を言うと「テンプレ通り書け」と言われる方が楽だ。「本人が動機も何も説明できない、今までにしたことのないバイトでのリーダー経験」をでっち上げると就職とか以前に説明会にもたどり着けない。
そのペラいエントリーシートを提出するがすんなりは通らない。貴方の今後をお祈りしますって言われる。
決まらないがとりあえずスーツは必要。とりあえずこれはみんな青山。
説明会が始まるとこれまでの自分の怠惰な生活バランスの都合は無視して朝から起きて電車の乗ることに。でも「エントリーシートが通ったんだから就職は目の前のハズ」等と親に言われる。東証一部の商社だったハズが地方のスーパーの営業になったのに。(極端だけど職種変更はザラ。あまり大きな問題はない)
面接にこぎ着けると今度は履歴書が必要なのでまたエントリーシートと同じように内容を違う言葉で考える。日を跨ぐと別の予定があるので素早く書く。なかなかまとまらないが自己PRと志望動機は新しく追加する。何を作るかは分からない会社だが何となくテレビやネットで見た感じに妄想して夢とかをつくる。
放っておくと少量の自己PR、少量の志望動機、大嘘な経験値、リーダーの経験、学歴のバグ、労力の割に効果があまりないような話、壮大な資格取得計画がブチ上がってきた所を就職課に思いっきり怒られる。
(学歴バグは年齢を見ただけで分かるような無茶な物のこと。例える必要性がない)
自分はこの段階で死にそうになっている。一応存在する前期の試験が迫ってくると当然毎日徹夜して履歴書を作成していくのだが、なんど書き直しても「(君の人生は)つまらない」「ここはこういうつもりじゃなかった」「文にすると面白そうに見えないから書き直して」「志望動機が気にくわないから質問をされな~」「やっぱこうの方がいい」「昨日の奴の方がよかった」等の必殺技に返り討ちにされる。単位が足りていない場合は教授に頭を何度も下げに行く。前期中には当然決まらない。その分のしわ寄せは後期に行く。毎日毎日よく知らない企業に頭を下げに行く。
何となくあがってきたプランナの仕様を眺めながら作る。ただし細かいことは何にも書いてない。オプション画面と一言だけ書かれているならましで、オプション画面の存在が伝えられていない事もザラ。その当りは必要そうな設定項目をプログラマが洗い出してデザイナが全体の空気を読んだ画面デザインを構築して己のインスピレーションを信じて勝手にプログラミングする。とりあえず作った物を見せると「俺の指示と違う」等と言われることが多い。指示なんかないのに。ただしこれがそのまま使われることも良くある。
開発が中盤に入る頃には履歴書がしっかり上がって……いない。絶対。時間だけが無情にもすぎるが未だ業界が定まらない。分からないところは逐一聞きながら説明会を受ける。聞かないでも受ける。運が悪いと自主性がなかったと言われる。ひたすらお祈りを食らう。社風と合わないとか君は浮いているとか。社風なんて風通しが良いくらいしかなかったりするし。履歴書の写真が気が付くと病んでいる。絵の枚数が気が付くと増えている。端っこが破れている。単位が足りなくなる。後期で何とかしろと言われる。もう後期だ。
4年生終盤。無職が確定的になってからマイナス思考を削ってみる。最初からそれはいらないと言われ続けた場所を削る。最初から入れなければもっと早かったのにと毎度毎度言われ続けていたがブサメンは変わらない。雇用形態は派遣でもいいとか言い出す。それで支社をだしただろうに。やっぱり正社員がいいとかこの期に及んで言う。残りの日数は割とはっきりしているのでギリギリまで活動する。リクナビにデータを必死で打ち込む。「完璧だね。挫折とかしてないの?」とか言われる。それは俺が削ったんだ。頻繁な会社訪問をしながら最後の望みにかけていく。何度行っても残り物だと思われている。そろそろ来年の採用とかぶるのはやめたい。求人足りないので勝手に落ち込んでる。無理矢理笑顔を作る。死にそうな顔をしているが激太りもしてる。
卒業前に学長が偉そうな顔して我が校の就職率は高いと雑誌やブログにコメント。
卒業してニートと言われる。世間一般的に無職ならば学歴と本人のせいにされて(頭が悪かったから、本人が活動しなかったからと思われている)場合によっては社会が悪いことにもなる。(不況とか)このためどんな企業も採用しないくせに求人だけは出す。たとえ採用しないでも求人実績があれば叩かれるのは自分じゃないもんね。時間と電車代を出さないのにこれをする企業が時間を無駄遣いさせる。ニートは就職したいかどうか分からない。
chaputer11にしない為に作られた和解案というのが、ぼちぼちと漏れてきている。この和解案が蹴飛ばされたので、chapter11になったのであるが、漏れ出てきた内容によると、労働者の債権が優遇され、部品業者や投資家の債権が冷遇されていたという話である。労働者の債権のうち、賃金については優先権が設定されているが、退職後の医療給付や年金給付まで労働債権に含めて優遇するという解釈が出てきたのは、初めてではないだろうか。
Big3の赤字体質は、医療給付や年金給付に原因があるのだから、ここを切り離さない限り、赤字体質は治らないというのに、それを温存する和解案では、賛成するのは労働者だけであろう。
従業員や退職者への医療給付や年金給付は、企業が支配的・長期的な存在になればなるほど、事業にとっては重荷になってしまう。つまり、企業は短期間での倒産や廃業、身売りといった手段を選択する事で、この重荷を手放せてしまう。企業の寿命を短くし、米国民を雇わず、雇用を不安定化することが、合理的になってしまうのである。自動車と軍需関係以外の工業が壊滅したのは、この為であるし、製造業の工場が海外に流出し、輸入超過となる貿易赤字に、国内に産業が無い為に税収が少なくなる財政赤字が同時に発生する双子の赤字体質は、ここに原因があると言える。
国民全員を加入させる医療保険制度は、この問題を解決するのに必要とされる手段の内の一つであるのだが、医師免許認定権が州政府にあり、標準的な医療とその報酬を規定するという、医療保険制度の根本がやれない状況にある。
州ごとの免許制度は、それぞれの州が必要としている医者の数を確保できるというメリットがある。全国共通にしてしまったら、金持ちがたくさん居る地域に医者が集中して、収拾が付かなくなるという予測は、確度が高い。しかし、その反面、医者が足りない州では認定基準が甘くなり、藪医者だらけなので、まともな医者を求めて飛行機や自動車で移動したり、自己判断で薬を買い、服用するようになってしまっている。
国民全員を加入させる医療保険制度は、その制度に従って診療行為を行う医師の側にも、メリットが無ければならない。たとえば、保険適用になっている事が藪医者ではない証明になるとか、基準に従って行った診療行為で問題が発生した場合には、刑事裁判には問われるが、民事賠償の責任は負わないといった免罪符が無ければ、喜んで加入するという状況にはならない。
現状では、医者は、高額化した賠償裁判に耐えられるようにする為の保険(Medical Malpractice Insurance)に加入する為に、診療費を上乗せしなければならない。賠償金額が高額になればなるほど、受任した弁護士の報酬が高くなるから、保険会社と被害者側の弁護士と共謀して、可能な限り高額の訴訟をでっち上げることにインセンティブが発生してしまう。こういった状態では、医師の仕事は、病気を治療するよりも、高額の請求書をでっち上げて集金し、保険会社と弁護士の為に医師賠償責任保険の保険料を納付する事になってしまうのである。
AIGのような保険会社にとって、医療行為の民事賠償責任が免責されてしまうと医師賠償責任保険が売れなくなり、重要な収入源の喪失に繋がるので、反対の大きな声と献金を通じた圧力がかかるであろう。万が一病気が治らなかった時に懲罰的賠償金が取れるのは患者の権利であり、医師に治療の為の努力を強いる手段となっていると主張するかもしれないが、莫大な懲罰的賠償金を取るには腕の良い弁護士を雇わなければならず、固定報酬ではその料金は高額にすぎるし、成功報酬では、ほとんどを必要経費と報酬として巻き上げられてしまうという現実がある。それは弁護士の側の問題であって、保険業者の問題ではないという考え方なのであろうが、保険会社にとって、必要な利益を得られる程度に医師賠償責任保険の保険料を引き上げる為に、特定の弁護士を勝たせるという手段は、すでに利権となっている。
標準診療基準とその報酬が設定されてしまうと、評判の良い医者にとっては、藪医者が藪でなくなって競争が厳しくなるという理由で、サボタージュする動機が成立してしまう。しかし、保険会社と弁護士への報酬を支払う為に、患者の不幸につけこんで高額の治療費を取り立てる仕事を続けるのと、どちらがマシかという選択を強いる事で、この問題は解決可能である。
労組や労働者を大切にするという姿勢は、票の為には重要であるが、実効性の無い提案だけしかやれないのでは、有権者の側も、投票しましょうという姿勢を見せるだけで、別の候補に票を投じるという、実効性の無い支持を返すようになるだけである。
信頼は、相互に積み上げていくモノであって、一方の行為だけでは成立しない。間違った制度であっても、実績が積み上げられていく事によって既得権益者が発生してしまうという事もあるが、間違いを間違いであると指摘し、ひっくり返す為に、最高権力としての政治が存在している。
間違いを正す為に存在を許容されている政治が、あからさまな間違いをやってしまうというのは、神ならぬ身がやる以上は仕方の無い事なのかもしれないが、それにしても、今回のクライスラー和解案の内容は酷い物であり、蹴飛ばされて当然の内容であった。
朝日新聞は、ネットは便所の落書きと主張していた。人種差別主義者とロリコンと犯罪者の巣窟であり、新聞のようなメディアに比べれば信頼性はかけらも無いと主張してきた。
しかし、その朝日新聞が、2チャンネルという匿名掲示板に差別的言辞を大量に書き込んだという事で、運営側から名指しでアクセス禁止を食らっている。
おかげで、2チャンネル全体における、悪質な罵倒が半分以下に減り、ほのぼのとした、落ち着いた雰囲気になってきている。民潭と解同と創価をアクセス禁止にすれば、それらも無くなるのではないか?と冗談が出ているくらいである。
匿名掲示板といえども、犯罪や荒らし行為などで問題になれば、そのアクセスログを辿り、どのIPアドレスから書き込みがされたかが追求される。罵倒と差別的言辞はネットの花であり、言論の自由の範囲にある限りは容認するという建前と、いちいち裏を取って削除するには人手が必要で、お金がかかりすぎるという本音の結果、放置されてきたが、朝日新聞社は限度を越えてしまったのであろう。匿名掲示板の運営側による陰謀・謀略だという主張が出てこないあたり、朝日新聞社内部での内ゲバの要素もあるのかもしれない。
朝日新聞といえば、沖縄のサンゴに傷をつけて、"サンゴ汚したK・Yってだれだ"という記事をでっち上げた(1989年4月20日)という自作自演が有名であるが、ネットをくさす主張においても、自作自演をやらかしていたわけである。20年経っても、自作自演で記事を捏造する体質は変わっていなかったのである。
そういう体質であることを国民は理解しているのに、なぜなくならないのかといえば、答えは、消費者が新聞に望んでいるのは、折り込みチラシを届けてくれる事だからという答えになる。
>ソ連は前科があるからね。カチンの森事件とか。あれも捏造でした。
あなたが疑惑持った理由を聞いているわけではないんだが。
>しかも、ご丁寧にゲッベルスの「ドイツがやった」という捏造日記付きで。
現在の歴史学ではゲッベルスの日記の真贋についての論争なんかないよ。あれは「ドイツがやった」んではなくて「カチンの森事件を追及するとこっちの腹まで探られかねん」てな話が書いてある、てことだ。「ドイツ語原文を確認しないと納得できない」て人もいたが、「じゃあ確認ヨロ」て言われてそれっきりだ。まぁ、ドイツ近代史研究家に語学で挑戦するのも良いワナ。ちなみに全体を捏造するにはページ数が多すぎるし、差し替えするなら、その前後をすべて入れ替えなければできない。まぁ、その他にもユダヤ人絶滅に言及した部分もあったりするから、差し替え説は意味無いだろうなぁ。やるなら全面捏造しかない。ゲッベルスの日常生活も含めて全てを史実に合わせながら捏造する必要がある。
http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20060112Gerlach41-12-12Hitlersbefehl.htm
あといろいろ、でっち上げだ、ちゅうならでっちあげの証明をお願いしますよ、ね。でっち上げなり、捏造の公式文書でもあるんでしょ?手紙や日記やメモなんかは信じないんでしょ?それから、誰もガス室の話なんかしてないよ?「後だしじゃんけん」とか言われたけど、あなたが先走りしすぎなんじゃないのかなぁ。
>リンク先ちゃんと読んだ?
なんの話をしているんだい?「ユダヤ人問題の最終解決」の話じゃなかったかい?で、俺は「絶滅」てどこかに書いてたかい?(今回は除く)
>アウシュビッツを訪れたロセル博士はキャンプ外部で収容者と接触できたこと、ガス室の噂はあるけど収容者は何も言わなかった事、指揮官の家が噂のあるガス室と非常に近いのに何の言及もないことが事実とされてますね。
そのロセル博士ちゅうのは、テレジンを視察にいったDr Maurice Rosselと違うんかいな。俺があげた資料でその時の詳細が語られてたはずだがね。
>この記述。明らかに連合国側のインフラ破壊を非難していますね。これらのレポートがツンデル裁判で嘘であるとされた、という正史派の主張とは真逆ですね
だからね、それがホントなら44年以降の話でないとイカンのよ。連合軍は全面爆撃なんてできなかったんだから。44年だとしても、ハンガリーユダヤ人はアウシュヴィッツへ移送されてる。人間が運べても小包は運べない、てんなら話は別だが。んで、それが正しいと仮定してなんで敗訴してるの?今度はカナダ法廷の捏造かい?それにしちゃあ、控訴理由を変えたらあっさり勝訴しちゃうんだよなぁ。世の中解らないことだらけだよ。それと、赤十字の件、立証にこの裁判を使おうとしたのはあなただよ。信用できないなら、なぜ立証に使おうとした?
■努力厨がはびこれば2020年地球は滅びる。 - orangestarの日記
http://d.hatena.ne.jp/orangestar/20090405/1238941672
■要はやる気がないんでしょ? - ここではないどこか
http://d.hatena.ne.jp/nakamurataisuke/20090407/1239040351
■モチベーションなんか自分でどうにかしろ。:島国大和のド畜生
http://dochikushow.blog3.fc2.com/blog-entry-1131.html
■404 Blog Not Found_やる気出すより手足出せ
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51199665.html
80%(またはそれ以下)でやるべきという話と、120%でやるべきっていう話の衝突。
その後「やる気」の話と混ざってスクランブルエッグ…。
とりあえず「やる気」の話はさておいて、私としては「80%以下推進派」
自分が成長したいのなら「なおさら120%でやる必要性は無い」と思っている。
さらに邪推すると、120%の話は「社員をコキ使って働かせるためにでっち上げた幻想でしかない」とも思ってる。
その理由を、以下の「仕事の話」という前提で書いてみる。
よくこの話とセットの話として出るのが
>80%に抑えると、次の体感100%の仕事が元の80%にしかならない
だが、本人は「この量で80%と分かっててやっている」のに、なんで「次の体感が目減り」するのか?根拠が全く無い。
話を戻そう。
実際に120%でやったとすれば100%をオーバーした分だけ「休養が必要」な事を意味する。
なぜか?人は無理をした分だけ「疲労がたまってしまう」からだ。
「無理をした20%」を回復するにはけっこうな時間がかかるのだが、たいていはそんな休養の余裕も無く次の仕事をやる事になる。
というわけで、120%を続けた場合の状態は以下の通り。
※実際はもっと緩やかですが、分かりやすく値を大げさにしています
入力120% → 120%の出力、ただし疲労が20%溜まるため、次の入力が80%となる
入力80%の120% → 96%の出力、ただしさらに疲労が20%溜まるため、次の入力が60%となる
入力60%の120% → 72%の出力、ただしさらに疲労が20%溜まるため、次の入力が40%となる
入力40%の120% → 48%の出力、ただしさらに疲労が20%溜まるため、次の入力が20%となる
入力20%の120% → 24%の出力、ただしさらに疲労が20%溜まるため、次の入力が0%となる
そもそも、こんな余力の無い状態で「何を学んで成長しようと」しているのだろうか?
その根拠としては、物事を学ぶ際には人は「その情報を整理しようとする行動」を行わなければいけないから。
それは「予習・復習・記録」の3つ。
※「予習・復習」だけでは詳細を忘れるので「記録」も必要です。
結論として120%の話は以下の内容が欠けている。
・「疲労」という概念が入っていない
・成長するために学ぶには「整理の時間」が必要だが、その時間が入っていない
・「80%に抑えると、次の体感100%の仕事が元の80%にしかならない」というのは根拠が無い
これに対し、80%という事は20%の余力があるという事。
仕事には「予想しなかった事態」なんて日常茶飯事にある物なので、この20%が当てられるというメリットは大きい。
しかも余力があるので後に続く仕事に尾を引かない。
しかし、この80%を嫌う人は「手抜きだ」「これでは成長しない」と言いだす。
でも、やり方によっては全然手抜きじゃないし、成長もするんだよね。
それは、余った20%を80%の仕事をそれ以下の%で出来る方法を見つけるための「整理の時間」として使う事。
その状態は以下の通り
※実際はもっと緩やかですが、分かりやすく値を大げさにしています
入力80%、整理の時間に20% → 80%の出力、整理の時間に20%を費やしたので、効率が上がる方法を会得する(分かりやすく20%効率が上がった事にしてみる)
入力80%の20%UP、整理の時間に20% → 96%の出力、整理の時間に20%を費やしたので、次の効率が上がる(分かりやすく20%効率が上がった事にしてみる)
入力80%の40%UP、整理の時間に20% → 112%の出力、整理の時間に20%を費やしたので、次の効率が上がる(分かりやすく20%効率が上がった事にしてみる)
入力80%の60%UP、整理の時間に20% → 128%の出力、整理の時間に20%を費やしたので、次の効率が上がる(分かりやすく20%効率が上がった事にしてみる)
(…以下無理なく延々と続けられる)
疲労も無く80%でも成長出来て良い事ずくめだよ?
なんかURLの表示が変だ。
http://d.hatena.ne.jp/orangestar/20090405/1238941672
http://d.hatena.ne.jp/nakamurataisuke/20090407/1239040351
http://dochikushow.blog3.fc2.com/blog-entry-1131.html
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51199665.html
http://trackback.blogsys.jp/livedoor/dankogai/51199665
http://dochikushow.blog3.fc2.com/tb.php/1131-5e79b2bf
http://anirresponsibleopinion.at.webry.info/200904/article_2.html
に記事を移しました。
ただ,統合された世界観というものに対する欲望は失われたんだなあと。架空の世界の経済を考え政治を考え地図を描き年表を作り言語をでっち上げたりするような,ある意味で病的な熱意は,きわめて20世紀的なものだったのだなあと。
統一化された云々というより、単純にそういう世界観がもう限界(新しさが無い)ってことじゃないかな。
その手の世界観の元祖D&D(いや、俺はあまり詳しくないから、もっと前にあるのかもしれないけど)が出てから、いろんな小説・ゲーム(TRPG、コンピュータRPG)が同じような世界観で出てきた。で、苦労して世界観をカッチリ作りこんでしまったら、それを覆して新しいシステムを取り入れるのが難しくなる。
古臭くなっちゃうんだよな。古典的なファンタジーを(飯の種として)ゲームや小説とするには限界があると。
かといって、
現代的な「ファンタジー」はこうした前提を置かない。現代と過去の要素を無差別に混ぜ合わせて成立する。剣と魔術は出てくるが,炸薬入りの弾丸を撃ちまくる銃も同時に出てきたりする。人々は当然のように規格化された工業製品を用い,印刷された書物に接する。やたらと派手な服を着ているが,その生産や流通を支えているはずの社会のありかたといったものは片鱗すら見えない。
こういうのも、もういいかげん賞味期限が来ているんじゃないか、とか思ったりしなくも無い。
出始めは目新しかったけど、もうみんなやってるし。
ちなみに元増田が指すような、昔のファンタジー小説(多分「指輪物語」とか)は読んだ事はない。
だけど自分で細々と書いてるファンタジー設定では、現代的な「ファンタジー」として工業製品なんかが入ってきても破綻しないような設定をでっち上げたりしています。むしろ「どうやってねじ込むか」って思考実験が割と楽しかったりするもんで。
まぁ、これは本業じゃないから可能なんだろうけど。
一昔前は「ファンタジー」世界における文明レベルは中世と決まっていた。人々は小さな集落で原始的な農業に携わり,そこには封建領主が君臨して全権を振るい,村から一歩でも出ればそこは未開の地。移動手段は徒歩か馬車。工業はまだまだ未発達で,鋼をようやく生産できるようになったくらい。武装は剣や槍に鎖かたびら。ひょっとしたらごく初歩的な先込め式の銃はあるかもしれない。字を読める人間はごく限られていて,魔術や魔物といった存在がごく現実的なものとして認識されていて,医者は瀉血以外に治療法を知らない。
現代的な「ファンタジー」はこうした前提を置かない。現代と過去の要素を無差別に混ぜ合わせて成立する。剣と魔術は出てくるが,炸薬入りの弾丸を撃ちまくる銃も同時に出てきたりする。人々は当然のように規格化された工業製品を用い,印刷された書物に接する。やたらと派手な服を着ているが,その生産や流通を支えているはずの社会のありかたといったものは片鱗すら見えない。
別にそれが劣っているとか言いたいわけじゃない。ただ,統合された世界観というものに対する欲望は失われたんだなあと。架空の世界の経済を考え政治を考え地図を描き年表を作り言語をでっち上げたりするような,ある意味で病的な熱意は,きわめて20世紀的なものだったのだなあと。
[2009.3.29]
ゲームについて。
ロジェ・カイヨワの分類によると、遊びは、競争、偶然、模倣、めまいの4つの要素に分類できるという事になっている。
RPGを無理やりこじつけると、勇者になるという模倣、モンスターとの遭遇に偶然、他のプレイヤーやモンスターに勝つという点に競争、魔法等の画面効果にめまい、として説明できる。
だが、それらの四要素があれば良いのかというと、実は、そこにもう一つ、楽しいという要素が加わる。競争に勝つ、偶然が続いて幸運を感じる、模倣がうまくいって予想通りの結果になる、派手な画面表現で驚くといった事は、それぞれ、楽しい事であろう。しかし、それらには、慣れが発生するという欠点がある。
慣れてしまったら、それは、楽しい事ではなく、単なる操作の結果の反応でしかなくなってしまう。
常に新しい刺激を提供していかないと、陳腐化するということである。
人間には忘却という能力が備わっているので、時間がたてば、懐かしいという理由で、一時的な需要を発生させる事は不可能ではないし、常に新しい消費者が誕生しているという点から、毎年の新生児数を基準にした新規ユーザーの獲得は、やり方によっては不可能ではない。しかし、それらの需要は、いわゆるロングテールによってカバーされる需要であって、生産コストを短期間で回収して次の作品に備えるという自転車操業には、適していない。
自転車操業にならざるを得ないのは、パッケージソフトでは必然であるし、オンラインゲームにおいても、プレイ実績を能力値に反映すると、ユーザーに階層が発生し、上の階層ばかりを対象としたイベントを作らなければならなくなり、新規加入者が疎外感を感じるようになり、新しい顧客を掘り起こすには、新しいゲームをスタートさせなければならないとなる。パッケージソフトと同様の消耗が発生するのである。パッケージビジネス時代のゲームを売るというスタイルから離れない限り、自転車操業は変わらない。
RPGの世界におけるプレイヤーの能力値は、現実世界の通貨と同様に考えられる。貧富の格差が大きいと、ゲームの世界においても、運営が行き詰まるのである。キャラクターを殺してステータスを失うように仕向けると、キャラクターを再び育てるという所にモチベーションを持たせる事が難しい。同じ事をまた繰り返さなければならないのでは、新しいゲームへと移動してしまうことになる。
月額利用料課金等の場合には、毎月の料金が安い分、長期間にわたってプレイしてもらわないと、コストを回収できない。8000円のゲームディスクと同じ売り上げを確保するには、月額500円ならば16ヶ月。1000円ならば8ヶ月間はプレイしてもらわなければならない。それだけの期間、ユーザーの興味を引っ張り続けるのは、大変難しい。海賊版対策をしなくて良いというメリットはあるが、海賊版対策に注ぎ込む人的資源を、ユーザーの興味を引っ張り続ける為に投入しなければならない。
競争という要素を省き、偶然と模倣とめまいという三要素だけの娯楽として定義を行うと、ゲームである必然性がなくなる。匿名掲示板では、自分ではない匿名の誰かになれるから模倣は成立するし、話題に参加する事で、コミュニケーションが成立するかどうかという点で、偶然とめまいは体験可能となる。ユーザー投稿型の動画サイトにおいても、同様の事は体験可能であるし、実名型のSNSにおいても、捨てメアドを作って招待するという行為を何回か繰り返して、途中のアカウントを退会させる事で、つながりを切った他人をでっち上げる事は可能であり、自作自演等で盛り上げるという手法は、不可能ではない。
ゲームでなければならない理由が、存在しなくなってきているのである。
ゲームは、携帯電話や携帯型ゲーム機に搭載され、電車やバスの中、あるいは、待ち時間といった、隙間を埋める娯楽へと向かい、パズルや反射神経だけで遊ぶモノへと先祖返りをしていると言っても過言ではない。
家庭用の据え置き型ゲーム機は、何の為に存在するのかという答えを、作り出さなければならない状態にある。
家庭用ゲーム機には、thinclientとしてのネットブック程度の性能は存在している。足りないのは、ハードウェアとしてはキーボードとマウス、ソフトウェアとしては、Linuxを丸ごと載せてしまう事で、おおよその問題は解決出来る状態にある。ゲーム機を家族用のパソコンとして定義しなおす事は、新しい規格のPC・サーバーをでっち上げる手段としても成立するのだが、家電メーカーは独自ハードで大火傷をしているから、難しいのかもしれない。
「誰でもいいから、人を殺せば刑務所へ行けると思った」人に殺されてしまったりけがをしたりした人は本当にかわいそうだと思う。
人を殺して刑務所に行きたい。
行って安定した生活を望みたいです。
他人の自分勝手に振り回されるのは嫌だ。
刑務所へ行きたいけれど、人を殺すのは気が引ける。そんな人のための「なるべく他人に迷惑をかけずに刑務所へ行く」方法ってなにがあるだろう。
傷害や殺人の未遂でも、狙われた人はPTSDになりそうなのでよくない。
行方不明の人を「あれは私が殺した、遺体は細かくしてゴミに出したりミキサーにかけて下水へ流したりした」ということにして自首する、にしても矛盾のないでっち上げは大変。
こんなのはどうだろう。
いい案ないかなあ?
現代社会における新聞の立ち位置 というより、フランス革命あたりからこっち、ずっとマスコミはそう。
『パンがなければお菓子を』発言はマリーアントワネットではなく、マスコミが革命を起こすために(新聞を売るために)でっち上げた風説の流布
ドイツのナチスがプロパガンダ=広報によりドイツ内を洗脳していたことは有名
戦時中の日本に置いても、新聞は軍に有利な情報のみを流して、洗脳工作をしていたことは有名
戦後一時期、日本が良かったのは、わりと、そう言う物が解体されて力が弱かったから、技術が素直に伸びやすかった。
と思っている。
マスコミを絶対に信じるな!とは、言わないんです。マスコミを疑って下さい。
特に人間は、自分が理解しやすいことをマスコミが言うと信じるという傾向にあります。
これは、逆に言えば、理解しやすい、もっともらしい嘘を言えば、ウソを真実として報道できるという事になります(上記マリー参照 永久機関の説明文も同じ理論で書かれている)
マスコミを疑い、正しく科学を伸ばして、日本を豊かにするために、自分を疑って下さい。自分が信じていることが間違っているかも。という事を考えてみて下さい。
マジ、オモウ。オネガイ
Sun Microsystemsの株を買って取締役を送り込んだ投資ファンドが、株価を引き上げる手段として、IBMとの合併話をでっち上げているようである。
株価を引き上げて売り逃げしないと、投資したお金を現金化できない。本業でがんばって企業価値を高めて、株価を引き上げて利益を得るというのが、投資ファンドの本来の存在価値なのだが、実際には、ほとんどの投資ファンドが、このように、短期での転売益を目的として行動を取っている。
株式を買い占める過程で株価を吊り上げてしまったので、それまでの配当では利回りが悪すぎる。吊り上げた価格を正当化する為に、より大きな企業に吸収合併してもらい、時価総額を現金化するのである。
バブル期ならば、これは十分に成立した。お金が余っているのだし、資金規模の大きい所は、手持ちの資金の運用先が無い。新事業を立ち上げるよりは、すでに成立している事業を買い取って傘下に加えるという手法は、経営者にとって、失敗した時の責任を回避しつつ、成功した時のメリットを独り占めするという目的に合致しているので、そのような仲介を主な仕事にしているインベストメントバンクが、雨後の筍のように発生したのである。
実際には、そのようにして合併された企業の大部分が、買収価格に見合う利回りを発生できていない。
IBMにとって、Sun Microsystemsを買い取っても、メリットは無い。Sun Microsystemsのsolarisは、独自CPUであるSPARCの開発まで行われており、ハードウェアとOSをセットで使った時に最高の性能を発揮できるようになっている。IBMのAIXも同様である。つまり、吸収合併しても、当分の間は、異なる製品ラインを持つ事になる。一本化するまで、社内に二系統の指揮系統を残さなければならず、統合の効果が出ないのである。
どうせ売るならば、サーバー業界に新規進出したいと考えている企業をターゲットにするべきであろう。そう、独自のハードウェアを作るセクションもノウハウも無いのに、サーバー用OSを作っているところとか
http://technet.microsoft.com/ja-jp/windowsserver/default.aspx
の方が、まだ、売れる可能性はある。
■!ママからチョコを貰っている著作権資本帝国主義の手先有村悠を粉砕せよ!
大衆的大連帯の爆発でママからチョコを貰っているはてな皇帝有村悠粉砕へ!
搾取され続けてきたすべての学友・人民の諸君! 今まさに諸君ははてな皇帝有村悠の反動宣言に
直面していることを革命的に認識しなければならない。その攻撃とは何か? いうまでもなく、
有村がツイッターにおいて喧伝した「著作権資本帝国主義」であり、
すなわち、有村権力は不景気の到来による心身の寒さにつけこんで「帝国主義」成立を煽りたて、
「犬宣言」成立をテコ入れに労働者・学生・人民への収奪を肯定せんとしているのだ。
それが端的に現れているのがブルジョワ帝国主義肯定であり、新月お茶の会と称する反動プチブル集会であり、学閥である。
だいたいありむーは昔、「バレンタインデーはママからチョコを貰う」と自慢していたではないか。
いまさらママと仲が悪いというのは欺瞞である。
著作権資本帝国の犬宣言を端緒とする三大有村搾取=ブルジョワ帝国主義、新月お茶の会、学閥こそ、
死の苦悶にあえぐブルジョワ帝国主義が見出した搾取の維持であり、矛盾の爆発点である。
故にこそ、はてな皇帝有村悠はブルジョワ帝国主義が「民主主義」として定着しているかのようなデタラメな前提をでっち上げ、
以下のはてブを通じて腐臭ふんぷんたる資本の犬宣言を行っているのだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/mamiamamiya/20090306
y_arim メタブクマの翼 id:BigHopeClasic 勝手にしてください。おれはもう疲れた。オタクは最初からブルジョワ民主主義と共犯関係にある、体制に飼いならされた犬なんです。悪いけどもうこれ以上、自己矛盾に耐えられない。おれは犬として生きる
lisagasu 政治>芸術が左翼とするなら、私は有村さんを左翼と感じたこと一度もない。芸術至上主義を自称する高橋直樹さんの100倍芸術至上主義者に見える/あ、でも「主義者」は違うかも
搾取され続けてきたすべての学友・人民の諸君! 今まさに諸君ははてな皇帝有村悠の反動宣言に
直面していることを革命的に認識しなければならない。その攻撃とは何か? いうまでもなく、
有村がはてブにおいて喧伝した「ブルジョワ帝国主義肯定」であり、
すなわち、有村権力は不景気の到来による心身の寒さにつけこんで「帝国主義」成立を煽りたて、
「犬宣言」成立をテコ入れに労働者・学生・人民への収奪を肯定せんとしているのだ。
それが端的に現れているのがブルジョワ帝国主義肯定であり、新月お茶の会と称する反動プチブル集会であり、学閥である。
犬宣言を端緒とする三大有村搾取=ブルジョワ帝国主義、新月お茶の会、学閥こそ、
死の苦悶にあえぐブルジョワ帝国主義が見出した階級搾取の維持であり、矛盾の爆発点である。
故にこそ、はてな皇帝有村悠はブルジョワ帝国主義が「民主主義」として定着しているかのようなデタラメな前提をでっち上げ、
はてブを通じて腐臭ふんぷんたる資本の犬宣言を行っているのだ。
大衆的大連帯の爆発でママからチョコを貰っているはてな皇帝有村悠粉砕へ!
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直面していることを革命的に認識しなければならない。その攻撃とは何か? いうまでもなく、
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それが端的に現れているのがブルジョワ帝国主義肯定であり、新月お茶の会と称する反動プチブル集会であり、学閥である。
だいたいありむーは昔、「バレンタインデーはママからチョコを貰う」と自慢していたではないか。
いまさらママと仲が悪いというのは欺瞞である。
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死の苦悶にあえぐブルジョワ帝国主義が見出した搾取の維持であり、矛盾の爆発点である。
故にこそ、はてな皇帝有村悠はブルジョワ帝国主義が「民主主義」として定着しているかのようなデタラメな前提をでっち上げ、
以下のはてブを通じて腐臭ふんぷんたる資本の犬宣言を行っているのだ。
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y_arim メタブクマの翼 id:BigHopeClasic 勝手にしてください。おれはもう疲れた。オタクは最初からブルジョワ民主主義と共犯関係にある、体制に飼いならされた犬なんです。悪いけどもうこれ以上、自己矛盾に耐えられない。おれは犬として生きる
lisagasu 政治>芸術が左翼とするなら、私は有村さんを左翼と感じたこと一度もない。芸術至上主義を自称する高橋直樹さんの100倍芸術至上主義者に見える/あ、でも「主義者」は違うかも
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はてブを通じて腐臭ふんぷんたる資本の犬宣言を行っているのだ。