はてなキーワード: でっち上げとは
搾取され続けてきたすべての学友・人民の諸君! 今まさに諸君ははてな皇帝有村悠の反動宣言に
直面していることを革命的に認識しなければならない。その攻撃とは何か? いうまでもなく、
有村がはてブにおいて喧伝した「ブルジョワ帝国主義肯定」であり、
すなわち、有村権力は不景気の到来による心身の寒さにつけこんで「帝国主義」成立を煽りたて、
「犬宣言」成立をテコ入れに労働者・学生・人民への収奪を肯定せんとしているのだ。
それが端的に現れているのがブルジョワ帝国主義肯定であり、新月お茶の会と称する反動プチブル集会であり、学閥である。
犬宣言を端緒とする三大有村搾取=ブルジョワ帝国主義、新月お茶の会、学閥こそ、
死の苦悶にあえぐブルジョワ帝国主義が見出した搾取の維持であり、矛盾の爆発点である。
故にこそ、はてな皇帝有村悠はブルジョワ帝国主義が「民主主義」として定着しているかのようなデタラメな前提をでっち上げ、
以下のはてブを通じて腐臭ふんぷんたる資本の犬宣言を行っているのだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/mamiamamiya/20090306
y_arim メタブクマの翼 id:BigHopeClasic 勝手にしてください。おれはもう疲れた。オタクは最初からブルジョワ民主主義と共犯関係にある、体制に飼いならされた犬なんです。悪いけどもうこれ以上、自己矛盾に耐えられない。おれは犬として生きる
lisagasu 政治>芸術が左翼とするなら、私は有村さんを左翼と感じたこと一度もない。芸術至上主義を自称する高橋直樹さんの100倍芸術至上主義者に見える/あ、でも「主義者」は違うかも
搾取され続けてきたすべての学友・人民の諸君! 今まさに諸君ははてな皇帝有村悠の反動宣言に
直面していることを革命的に認識しなければならない。その攻撃とは何か? いうまでもなく、
有村がはてブにおいて喧伝した「ブルジョワ帝国主義肯定」であり、
すなわち、有村権力は不景気の到来による心身の寒さにつけこんで「帝国主義」成立を煽りたて、
「犬宣言」成立をテコ入れに労働者・学生・人民への収奪を肯定せんとしているのだ。
それが端的に現れているのがブルジョワ帝国主義肯定であり、新月お茶の会と称する反動プチブル集会であり、学閥である。
犬宣言を端緒とする三大有村搾取=ブルジョワ帝国主義、新月お茶の会、学閥こそ、
死の苦悶にあえぐブルジョワ帝国主義が見出した階級搾取の維持であり、矛盾の爆発点である。
故にこそ、はてな皇帝有村悠はブルジョワ帝国主義が「民主主義」として定着しているかのようなデタラメな前提をでっち上げ、
このグループの音楽は一本調子の曲が多い。何だか雰囲気が前の曲と似ているなあとか思う。だけど、バックトラック自体は様々な音楽生が感じ取られるのに何故にこんなに薄っぺらに感じてしまうのだろうか。少し前から疑問に思っていたが、解決した。
音楽を作るソフトでループシーケンサーソフトというのがある。どういった物かと言うと、ロックドラムとか、レゲエギター、ジャズベース、色々なジャンルの音楽素材が四小節ぐらいでソフトの中にあって、それを自由に組み合わせることで音楽を作るソフトウェアだ。ようするに、レゲエが何なのかとか、ジャズが何なのかとか知らなくても、それらしい音楽は作れる。「Bob Marleyって誰」という連中にも作れる。でも、不思議なことにそういった音楽は薄っぺらい。いや、チグハグに聞こえる。別に音楽だけじゃなくて、文化的な物全てだと思うけど、音楽は歴史を積み重ねて発展してきた。こういうフレーズにはこういったメロディーが良い、コードはこういう感じが自然だ、という感じにある程度のルールに縛られている。新しい音楽が出来る時は、そういったルールを破壊して、「こっちの方が素晴らしいだろ!!!」と思う人たちに作られて行く。ただ、その人たちは古い物を知っているという前提がある。武道で言えば守・破・理みたいなもん。まあ、バキの花山薫みたいに異端の存在はいるけど、そういうのは例外中の例外です。
GReeeeNの人達はおそらく、ループを作って、その上にメロディーを乗っけてるだけなんだろうなあって思った。こういった薄っぺらいJ-POPのロックバンドはけっこう前からいたけど、音楽性をでっち上げるみたいなやり方は今の時代らしいと思う。
反嫌儲の腐れデジタルミレニアムコピーワンス搾取はてサのクソどもはいいかげん嫌儲に歴史と理論がある事を知れよアホが!!著作権を振りかざた権威にひれ伏す権力の犬である腐れデジタルミレニアムコピーワンス搾取はてサどもよ、おまいらは打倒されるべき抑圧貴族階級に過ぎん!!何がゆとりだ。腐れデジタルミレニアムコピーワンス搾取はてサ老害こそ文化を独占資本化する帝国主義者だろうが!!
http://www.ezweb.co.jp/~higan/
サイバー反体制派、エレクトロニックフロンティアファウンデーション共同設立者
産業世界を牛耳る政府どもよ、お前たち肉と鋼鉄でできたか弱い巨人どもよ、私は新しい精神の住処、サイバースペースの住人だ。未来のために私はお前たち過去の人間に要求する。我々のことは放っておいてくれ、と。お前たちは我々にとって歓迎すべからざる客だ。我々の集まるところでお前たちの権威は通用しない。
我々は選挙によって選ばれた政府など持たないし、また持つ気もない。従って、私がお前たちに向かって語りかける言葉には、自由が常に語ってやまぬ言葉以上のいかなる権威も含まれていない。そこで私は宣言する。我々が建設中のグローバルな社会空間は当然ながらお前たちが押しつけようと画策する専従体制からは独立している、と。お前たちは我々を規則で縛ることが出来るような道徳的な権利など持っていないし、また我々が真に恐れるに足るようないかなる強制手段も持ち合わせてはいない。政治は統治される国民の同意があって初めて力を持つ。お前たちは我々の同意を促すこともできない。我々はお前たちを歓迎しない。お前たちは我々のことを知らないし、我々の世界も知らない。サイバースペースはお前たちの引いた国境の中にありはしない。公共の建設事業か何かのように、自分たちで作ってしまえるなどと思ったら大間違いだ。そんなことはできはしない。これは自然の営みと同じで、我々の共同の行為と通じて自然に成長していくものだ。
お前たちは我々の大いなる集団の対話に参加したことはないし、また我々の豊かな市場の富を作ったわけでもない。我々の文化も知らなければ、倫理も不文律も知るまい。それは、お前たちが押し付けるどんな強制よりもはるかに多くの秩序を我々の社会に現にもたらしているものだ。お前たちは我々の世界に解決すべき問題が存在すると言う。そしてそのことを口実にして我々の世界を侵略しようとしている。お前たちの言う問題の多くは実際には存在しない。本当に摩擦があり、問題点があれば、我々はそれを認めて我々なりの方法で対処するだろう。我々は我々だけの社会契約を作りつつある。我々の世界の統治は我々の世界の諸条件に応じて自然に発生する物であって、お前たちの勝手な条件から生まれるものではない。我々の世界は違うのだ。
サイバースペースは様々な商取引、関係、そして思考そのものからできあがっていて、それが我々のコミュニケーションのウェブの中にまるで定常波のように隈無く広がっている。我々の世界はいたるところにあるとともにどこにもない。ただしそれは肉体が住める場所ではない。
我々が作りつつある世界はどんな人でも入ることができる。人種、経済力、軍事力、あるいは生まれによる特権や偏見による制限はない。
我々が作りつつある世界では、誰もがどこでも自分の信ずることを表現する事が出来る。それがいかに奇妙な考えであろうと、沈黙を強制されたり、体制への同調を強制されたりすることを恐れる必要はない。
お前たちが考える、所有、表現、自我、運動、前後の関係(コンテクスト)に関する法的概念は我々には適用されない。それは物質に基づくものだからだ。我々の世界に物質は存在しない。
我々の自我は肉体を持たない。だからお前たちと違って、我々は肉体的強制によって、秩序を獲得することは出来ないのだ。我々の世界の統治は、倫理学、啓蒙的な利己主義、連邦体制といった土台から生じるであろうと我々は信じている。我々の自我はお前たちの法的権限が及ばない多岐にわたる領域に分散して存在する事が出来る。我々の世界を構成する様々な文化が唯一一致して認める法は「黄金律(汝の欲することを人にもなせ)」しかない。我々はこれを基礎にして個別の問題の解決を見出そうと望んでいる。しかしお前たちが押しつけようと図る解決法は到底受け入れられない。アメリカでは、お前たちはテレコミュニケーション改革法案なる法律をでっち上げたところだ。これはお前たち自身の憲法を否定し、ジェファーソン、ワシントン、ミル、マディソン、トクビィル、ブランダイスらの描いた夢に泥を塗るのに等しい行為だ。この夢は我々の世界で新しく生まれ変わるに違いない。
お前たちは自分たち自身の子供に脅えている。子供たちはサイバースペースのネイティブなのに、お前たちの方はいつまでたっても根付かぬ移民のままだからだ。この子どもたちを恐れるがゆえに、お前たちは、自分たち自身では卑怯にも真正面から引き受けることの出来ない親としての責任を官僚たちに委ねるのだ。我々の世界では、人間性に関わるあらゆる感情やその表現は、下劣なものから崇高なものまで、みなシームレスな全体を形作る部分であり、ビットによるグローバルな対話の一部なのである。人を窒息させるのも空気なら鳥を舞い上がらせるのも空気であり、両者を区別する事は出来ない。
中国、ドイツ、フランス、ロシア、シンガポール、イタリア、アメリカで、お前たちはサイバースペースのフロンティアに番兵を立たせて自由のウイルスの侵入を何とか食い止めようとしている。それで少しの間は感染を防げるかもしれないが、まもなく世界中がビットメディアに覆い尽くされれば、それも無駄になろう。
お前たちのますます陳腐化する情報産業界は、延命を図ろうとアメリカやその他のいたるところで自分たちの主張を世界中に通すための法律を作ろうとするだろう。その法律とやらは、アイデアもまた別種の工業製品だとのたまう。それは高炉から流れ出た鋼鉄に比べてちょいとばかり高級などというものでは何らないというわけだ。しかし我々の方では、人間の精神が作り出せるものはすべて再生産できるし、また無償で無限回分配することができる。思考のグローバルな伝達にはもはやお前たちの工場の完成を待つには及ばないのである。
このような、陰険で植民知的な措置のおかげで、我々はかつての自由と自己決定を愛した人々と同じ立場に立たされている。かつてこの人々たちは遠くから何の説明もなく権力を揮う政府に対し異議を唱えねばならなかった。我々はここに何としても宣言せねばならない。我々のヴァーチャルな自我はお前たちの権力に対して免疫抵抗を持っている、と。たとえ我々は我々自身を地球全体に分散させているから、誰にも我々の思考を捕縛することはできない。
我々はサイバースペースに精神の文明を作り上げるだろう。そしてそれはかつてお前たち政府が作り上げた世界よりもはるかに人間的で美しいものになるに違いない。
http://anond.hatelabo.jp/20090307040202
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産業世界を牛耳る政府どもよ、お前たち肉と鋼鉄でできたか弱い巨人どもよ、私は新しい精神の住処、サイバースペースの住人だ。未来のために私はお前たち過去の人間に要求する。我々のことは放っておいてくれ、と。お前たちは我々にとって歓迎すべからざる客だ。我々の集まるところでお前たちの権威は通用しない。
我々は選挙によって選ばれた政府など持たないし、また持つ気もない。従って、私がお前たちに向かって語りかける言葉には、自由が常に語ってやまぬ言葉以上のいかなる権威も含まれていない。そこで私は宣言する。我々が建設中のグローバルな社会空間は当然ながらお前たちが押しつけようと画策する専従体制からは独立している、と。お前たちは我々を規則で縛ることが出来るような道徳的な権利など持っていないし、また我々が真に恐れるに足るようないかなる強制手段も持ち合わせてはいない。政治は統治される国民の同意があって初めて力を持つ。お前たちは我々の同意を促すこともできない。我々はお前たちを歓迎しない。お前たちは我々のことを知らないし、我々の世界も知らない。サイバースペースはお前たちの引いた国境の中にありはしない。公共の建設事業か何かのように、自分たちで作ってしまえるなどと思ったら大間違いだ。そんなことはできはしない。これは自然の営みと同じで、我々の共同の行為と通じて自然に成長していくものだ。
お前たちは我々の大いなる集団の対話に参加したことはないし、また我々の豊かな市場の富を作ったわけでもない。我々の文化も知らなければ、倫理も不文律も知るまい。それは、お前たちが押し付けるどんな強制よりもはるかに多くの秩序を我々の社会に現にもたらしているものだ。お前たちは我々の世界に解決すべき問題が存在すると言う。そしてそのことを口実にして我々の世界を侵略しようとしている。お前たちの言う問題の多くは実際には存在しない。本当に摩擦があり、問題点があれば、我々はそれを認めて我々なりの方法で対処するだろう。我々は我々だけの社会契約を作りつつある。我々の世界の統治は我々の世界の諸条件に応じて自然に発生する物であって、お前たちの勝手な条件から生まれるものではない。我々の世界は違うのだ。
サイバースペースは様々な商取引、関係、そして思考そのものからできあがっていて、それが我々のコミュニケーションのウェブの中にまるで定常波のように隈無く広がっている。我々の世界はいたるところにあるとともにどこにもない。ただしそれは肉体が住める場所ではない。
我々が作りつつある世界はどんな人でも入ることができる。人種、経済力、軍事力、あるいは生まれによる特権や偏見による制限はない。
我々が作りつつある世界では、誰もがどこでも自分の信ずることを表現する事が出来る。それがいかに奇妙な考えであろうと、沈黙を強制されたり、体制への同調を強制されたりすることを恐れる必要はない。
お前たちが考える、所有、表現、自我、運動、前後の関係(コンテクスト)に関する法的概念は我々には適用されない。それは物質に基づくものだからだ。我々の世界に物質は存在しない。
我々の自我は肉体を持たない。だからお前たちと違って、我々は肉体的強制によって、秩序を獲得することは出来ないのだ。我々の世界の統治は、倫理学、啓蒙的な利己主義、連邦体制といった土台から生じるであろうと我々は信じている。我々の自我はお前たちの法的権限が及ばない多岐にわたる領域に分散して存在する事が出来る。我々の世界を構成する様々な文化が唯一一致して認める法は「黄金律(汝の欲することを人にもなせ)」しかない。我々はこれを基礎にして個別の問題の解決を見出そうと望んでいる。しかしお前たちが押しつけようと図る解決法は到底受け入れられない。アメリカでは、お前たちはテレコミュニケーション改革法案なる法律をでっち上げたところだ。これはお前たち自身の憲法を否定し、ジェファーソン、ワシントン、ミル、マディソン、トクビィル、ブランダイスらの描いた夢に泥を塗るのに等しい行為だ。この夢は我々の世界で新しく生まれ変わるに違いない。
お前たちは自分たち自身の子供に脅えている。子供たちはサイバースペースのネイティブなのに、お前たちの方はいつまでたっても根付かぬ移民のままだからだ。この子どもたちを恐れるがゆえに、お前たちは、自分たち自身では卑怯にも真正面から引き受けることの出来ない親としての責任を官僚たちに委ねるのだ。我々の世界では、人間性に関わるあらゆる感情やその表現は、下劣なものから崇高なものまで、みなシームレスな全体を形作る部分であり、ビットによるグローバルな対話の一部なのである。人を窒息させるのも空気なら鳥を舞い上がらせるのも空気であり、両者を区別する事は出来ない。
中国、ドイツ、フランス、ロシア、シンガポール、イタリア、アメリカで、お前たちはサイバースペースのフロンティアに番兵を立たせて自由のウイルスの侵入を何とか食い止めようとしている。それで少しの間は感染を防げるかもしれないが、まもなく世界中がビットメディアに覆い尽くされれば、それも無駄になろう。
お前たちのますます陳腐化する情報産業界は、延命を図ろうとアメリカやその他のいたるところで自分たちの主張を世界中に通すための法律を作ろうとするだろう。その法律とやらは、アイデアもまた別種の工業製品だとのたまう。それは高炉から流れ出た鋼鉄に比べてちょいとばかり高級などというものでは何らないというわけだ。しかし我々の方では、人間の精神が作り出せるものはすべて再生産できるし、また無償で無限回分配することができる。思考のグローバルな伝達にはもはやお前たちの工場の完成を待つには及ばないのである。
このような、陰険で植民知的な措置のおかげで、我々はかつての自由と自己決定を愛した人々と同じ立場に立たされている。かつてこの人々たちは遠くから何の説明もなく権力を揮う政府に対し異議を唱えねばならなかった。我々はここに何としても宣言せねばならない。我々のヴァーチャルな自我はお前たちの権力に対して免疫抵抗を持っている、と。たとえ我々は我々自身を地球全体に分散させているから、誰にも我々の思考を捕縛することはできない。
我々はサイバースペースに精神の文明を作り上げるだろう。そしてそれはかつてお前たち政府が作り上げた世界よりもはるかに人間的で美しいものになるに違いない。
『2月14日、バレンタイン。
婦女子が、想いを寄せる男性に、チョコと共にその想いを伝える日。』
14日、男の子はドキドキしている。
靴箱を開けるその時に。
校門を出て友人と別れたその時に。
『2月14日、バレンタイン。
婦女子が、想いを寄せる男性に、チョコと共にその想いを伝える日。』
しかし、24歳の僕は、まったくドキドキしてません!
僕は知ってるから。勇気を出して言おう。
バレンタインは、存在していない!メディアがでっち上げた嘘っぱちさ!
事実、悩める学生時代から今現在を通じて、そんな風景に出会ったことは、ない。
2月14日、僕はいつもとても順調に家路に着く。
普段開かずの踏み切りさえも開いてる。
ifもしもこの世にバレンタインなるものが本当に存在するとしたら、1学年約150人余りの婦女子がいるとして、3学年通して×3倍。
そして世界は広い。世界中の女の子達が誰一人残らず僕への恋で悩んだことがないということになる。
もしこの天文学的に多い数の女の子が皆僕のことをノーマークだとするならば、逆に凄いよ?
信じられないっ!!』
ってな感じだよ?
そりゃ僕だって気付いてる。
の地元のツレ・・・
に昔殴られた学生・・・
にカツアゲされた少年的立場くらいだってこと。
と、とにかく!
バレンタインを信じないっ!!
し、信じたくないっ!!
あ、もう日付かわる。
ごめんなさいお父さんお母さん。
特定の民族・地域の服装をダサいと思ったり食事をまずいと思うのは差別なんだろうかとも思う。前にアイヌ民族の文化が日本国のせいで滅びつつあるという話があったが、アイヌに限らずどの地域でも方言とかが廃れつつあるし衣食住も昔と全然違うものになってるのに被害者意識を持つ人があまり射ないのに驚いた。アイヌを除けば日本は大和民族という単一民族の国だと思い込んでるんだろうけど、これは明治政府が後からでっち上げた幻想だということに気づくべきだろうに。遺伝的にも言語的にもヨーロッパの隣国間ぐらいの違いは日本国内でもあるのに東北も関東関西も中国四国九州も同じ民族という根拠は一体なんなのか考えたこともない人ばかりなんだろうけど。
http://anond.hatelabo.jp/20090121015141
会いたくない理由を友達に説明するためにでっち上げたんだろうけど、にしてはひどいわね。
しかしよっぽど会いたくないと思われてんだなぁ。そこまで嫌われるのもまた愛情の裏返しではあると思うけど。かわいさ余って憎さ100倍みたいな。
2人で会って食事できる!と思ったらなぜかその場に友達がいた。
しかも、俺以外は既に食事が済んでいた。
どう考えても嫌われるための行動しか思えない。
愛情の裏返しだと思いたい。本当に。
http://anond.hatelabo.jp/20090117074753
読んでてフーン思って、
どれぐらいの人数が博士課程へ進学するのか、
私立の理系。
・修士課程(博士前期って言ってたかもしれない)進学/学部卒業 = 約65 %
・博士課程(博士後期って言ってたかもしれない)進学/修士課程修了 = 約6 %
学部卒の約4 %が博士課程に行くなんて。
ちなみに私は修士で、
私が知っている(年齢の近い)博士は、
・学校の研究室の先輩が、博士課程へ進学して1,2年で博士論文を仕上げた。
今は独立行政法人で研究職(もう管理職かも)で(博士論文の内容とは関係のない)仕事をしてる。
学生の頃から自分でかなり稼いでて、おそらく親からの仕送りはもらってなかったと思う。
私から見たら特殊な能力を持っている人で、
学生の頃からアルバイトでベンチャー企業の研究開発みたいな事を任されていて、
(アルバイト情報誌に出るようなものではなく、教授の人脈などによるもの。)
そこで得た知見で無理やり(?)博士論文をでっち上げることができるような人だった。
(良い意味で)博士号は単なる道具と捉えていたんではなかろうか。
・同期の修士が、公務員(今は独立行政法人かも)の研究職に就いてから、
おそらく仕事の一環として、ペーパー書けと言われるんだと思う。
理系とはかなり様子が違うみたいだった。
修士まで行かせてもらって、
親には感謝してます。
ネットで権利者から許可を貰えなかったから放送しなかったってのは、一つの判断だな。
そもそも問題視されてるのは(3)だろう。明らかに作り物である事が明白な安っぽい再現ビデオならともかく、フリーのブログサービスなんてパッと見区別が付かないしな。
http://anond.hatelabo.jp/20090112103142
そもそもネットで見つけたという設定にする必要性がないように思う。
だねえ。だから「じゃあ、何のためにわざわざブログをでっち上げたのか?」という疑問が生まれるのは必然で、それが余計な憶測を呼んでるんだから救えない。おまけにテレ朝には(他局もだけど)いろいろと前科があるしね。
久しぶりに「リンダリンダリンダ」を見た。何度見てもいい映画だ。でも、そのあとネット上のレビュー読んでて思ったんだけど、なんでみんな青春時代の魅力にあふれた映画だ、みたいな言い方しかしないのか。青春時代の気分とか、子供の時の気分とか、昔の気持ちが甦るとか、そーじゃねえだろう。
人が成長するってのは、昔の気分を塗り替えていくんじゃなくて、それにいろんなものが付加されていくもんじゃないのか。子供の頃の純粋さを失っていない人、みたいな言い方もあるけど、子供の頃の純粋さを失う人間なんていないっつうの。純粋さに不純さが付加されただけで、純粋じゃなくなったみたいに言うけど、それって何か隠してないか。そもそも不純さって何だよ。要領がよくなったとか、世渡りが上手くなったとか、一目ぼれしなくなったとか、人を100%信用しなくなったとか、それってみんな自分の純粋さを傷つけないためのテクニックなんじゃないの。なんか、不純の方がメインだ、みたいな言い方やめろっての。腹立つわ。
確かに大人のかっこよさみたいのもあるけど、でもそれって自分の中ではサブカルだわ。空気を読んで自分を殺す渋さ、みたいのも分かるけどさ。でもそれ、自分の中ではあくまで傍流の美。なんか特に最近、そういう脇役(オトナな言説)が幅利かせてる気がする。やっぱ世の中カネじゃんとか。カネなきゃ幸せじゃない奴なんてクズだろ。現実は、現実は、ってアホか。現実なんて一人一人でぜんぜん違うんだよ。それをどうすり合わせていくかってのが社会だろ。すり合わせ方が感傷的すぎんだよ。「やっぱ現実、おカネがいちばん重要だよね」とか「現実問題、そんなキレーゴトでいかないよね」とか。現実はこういうものだ、みたいなの勝手にでっち上げて、それに流されてるだけじゃん。現実気分に酔ってるだけ。
話飛びすぎ。ちと反省。ていうか、つくづく自分は野党だなぁと思う。「現実はそうだが、理想はこうだ」。「理想はそうだが、現実はこうだ」になんないのは、なんか青春時代に現実でトラウマでも負ったんだろうか。
あ、それと日本語の映画のレビューって、圧倒的にアマゾンが多いんだけど、それやめた方がいいよね。あそこではあくまでDVD商品のレビューをすべきだと思う。こんな特典映像入ってたよとか。映画の批評は別に専門サイト(みんなのシネマレビューとか)あるんだから、そっちでやろうよ。現実問題、閲覧者数がダントツなのはアマゾンなんだからしょうがない? そおすか。はいはいすんません。(ばーか)
法改正推進派の中心に近しい人物を「児童ポルノ所持・児童買春の疑いアリ」と警察に通報しまくるとか2chあたりで爆撃しまくるとか、ね。
たとえばアグネス・チャンあたりに「アジア某国では少年買春の常習者として有名らしい」というのをでっち上げるとか。
相手に理屈が通じない以上、こちらも匿名の利を活かして徹底的にダーティーなやり方でやり返すしかないんだろう。相手が疲弊し、割に合わないと判断して撤退するまでずーっと続ける労力は必要だけど、うまく火種を燃え広がらせる事が出来れば陰謀論大好きな連中が何年も勝手に吹聴してくれるだろうね。
自分の中でのアニメオタク(特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。
すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。
今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。
まず、オタクがオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。
名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメの現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダールを敬愛していてたまたまタツノコプロの求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。
「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫がオタクの地位向上のためにでっち上げたものだ。本人も後にそれを認めており、外からの圧力に弱い日本でオタクが市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫の苦肉の策に電通や村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。
まずは、宮崎駿。アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本を代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風はアニメ界ではむしろ異端である。スタジオジブリ的なもの、宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本にはいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインクを制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。
宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日の地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界的評価を得た、これは非常に重要なポイントだ。
押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ的想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき、原作者やファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者やファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。
他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップ』だってそうだ。
オタク監督だと言われるウォシャウスキーやタランティーノだって、ウォシャウスキーはSFの人で決してオタク的想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノは高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。
エヴァンゲリオンを無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァはオタクがオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク的想像力の勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督は庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタクの偏狭さに嫌気がなして反オタクに改宗した。その事実をオタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。
このようにオタクがオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてものは全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク的想像力でオタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛や新房昭之の姿だ)。
むしろ、オタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。
オタクはオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアート的アプローチから生まれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコードに平積みされ、オタク的想像力は一瞬で敗れ去った。
それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間は駆逐されており、鶴巻は反オタクの急先鋒である)。
そして、それは明らかにアニメの進化を阻害している。その理由を書こう。
まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるものは萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的に紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニーが萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。
しかし、アニメオタクは萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。
例えば近年稀に見る傑作である『鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品が萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。
そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクはアニメーションのことがわかっていない。だから、スタジオジブリ的なものをピクサーに取られ、アニメーションの快感をマイケル・アリアスに取られてしまうのだ。
もう一度言おう。オタク的想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考はアニメの進化を阻害している。
アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。
【要旨】「痴漢冤罪」の概念を分類・整理することにより、何が問題なのか、何を改善すればよいのか、ということを考える手がかりとする。とりわけ問題となるのは「犯人誤認型」であり、この類型に着目することにより痴漢冤罪がやはり個人レベルのみで対処することが適当な問題ではないことが明らかとなる。冤罪防止のためには、鉄道会社の対応も不可欠であり、防止対策のひとつとして車両内監視カメラ設置の可能性を検討する。
【誤字の修正およびトラバ読んでの加筆もあります】
最高裁で、沖田痴漢冤罪損害賠償訴訟の判決が出た。原審破棄差し戻しだそうだ。破棄の理由は、立証に関するものであったのだが、最高裁は近時の空気を読んで判決を下したように思われる。
最高裁についてはこれらを;
http://www.asahi.com/national/update/1107/TKY200811070389.html
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20081108k0000m040126000c.html
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/081107/trl0811072059007-n1.htm
ところで、本件とは関係ないが、通常「痴漢冤罪」と呼ばれているもののなかにいくつか性質の異なるものが混在しているように思える。たとえば、
http://anond.hatelabo.jp/20081017211039
http://anond.hatelabo.jp/20081017144743
およびトラバでは痴漢冤罪問題について真摯な議論がなされているが、議論を読んで私がやや気になるのは、「痴漢冤罪」といったときにそれぞれの論者ごとでイメージしているシチュエーションが異なるように思えること。
なので、いったん「痴漢冤罪」とされるものの分類・整理してみるとよいのではないか。
以下でする整理により、何が問題なのか、何が悪いのか、どこを改善すればよいのか、ということを考える手がかりとしたい。さしあたり考えてみたのは
次の3ケース。
時間とシチュエーションから、よく問題となるものとして、次のケースがあるだろう;
以上の分類をした上で、それぞれについて考えてみると。
(1)虚偽告訴型は、実際に痴漢を楽しんでいるだろう一部の男性と同程度に、怒りを覚える。この類型では、実際に女性との接触がなかった場合にも事件化の危険はあるが、女性側からの何らかのアプローチがあると思われるので、男性側としても、注意することは可能かと思う。もちろん、痴漢行為不存在の証明=悪魔の証明から逃れられないという危険性はゼロを大きく上回る。
(2)具体的接触型。この類型については、世の中の眼が厳しくなっていること(痴漢告発数の増加や女性専用車両の導入のほか、企業内でのセクハラへの対処、等々)は間違いないのだから、このことを行き過ぎだと思おうが思うまいが、受け入れ、ある種の諦念を持って自衛するしかないなと思う。ただし、これについては、自分の行動を規律することにより、かなりの程度危険性を回避できるだろう。酔客ケースに関していえば、酔ったうえでのことでした、では済まされない時代なのだから。
(3)犯人誤認型。とくに男性が恐怖を覚えているのは、満員電車中での犯人誤認型であろう。これは、電車内においても、事件化した後においても、防御のしようがない。しようがない。コワイ。この点で一番問題であるように思う(虚偽告訴型もこの点では同じなのだが)。いくら注意しすぎても、十分に安全になることはないのである。
ただし、この犯人誤認型の場合、「痴漢されたことは事実」「痴漢してないこともまた事実」→犯人は別の人間。両者はともに正しいことを述べているので、訴訟になった場合、きっと両者とも譲歩はないだろう。もちろん、女性に対して、誤認するな、ということは可能であろうが、問題は個人レベルで解決できることではなく、満員通勤電車という状況である以上必然的に起こる問題と考えた方がいいだろう。
こうやって場合分けしてみると、痴漢「冤罪」問題において、もっとも本質的なのは、(3)犯人誤認型ではないか。そうすると、疑問に思うのは、この痴漢えん罪問題についてなぜ鉄道会社が知らんぷりできるのか、ということだ。女性専用車両というものがたしかにあるが、これは中途半端な免罪符だろう。
この犯人誤認ケースが、痴漢冤罪問題に対して向けられる男性の不安の中心にある。
対策にはどういうものがあるか。
この防止のためには、すでにいろんなところで主張されていると思うが、
電車内の監視カメラを、半分の車両につけるだけで、十分に効果が出ると思うがどうだろうか。この場合とにかく両手を挙げているのがカメラに写っていれば助かるのだから。
(追記:車両内に監視カメラを設置する場合、場所が問題となる。わたしが問題としているのは、
犯行の証拠をとらえること、ではなく、犯行の存在しないことの証拠をどうするか、
ということなのだから、車両の上側に設置して、両手を挙げていれば助かる、というものを考えています。もちろん、カメラの性能や死角となる場合の問題、あるいは背の高低で不利になる場合もあるかもしれませんので、具体的には詰めるところがたくさんあります。
ただ、ここで問題としているのは、まさに「痴漢冤罪がおこるということの根本に何があるか」という問題意識の共有ということです。監視カメラ設置にかかる種々の問題は、その次に段階に位置する重要な問題だと考えています。)
タイトルからしてものものしいが、理由は簡単。
ろくでもないから。
今自分が住んでいるマンションは、筆者である私自身が自発的な引っ越しによって移ってきた場所ではなく
両親とその娘(娘は私の姉にあたる)が互いの住居をを交換する、というかたちで引っ越してきた
((普通はこんなん滅多にないよな))のだが、このマンションがもう、ひどい、というレベルじゃなく
ありえない、なのだ。
まずこのマンションは姉夫婦が中古で買ったマンションなんだが、まあ、値段は近所の
マンションのスペック調べたらH1年築。そろそろ20年ぐらいになるわけだが、このマンション(というよりはスペック的には寧ろ団地)はマジヤバイ。
ヤバイなんてもんじゃない。
普段普通に暮らしているだけでも
・配水管音
(だいたい10分おきぐらいに、いわゆるトイレとかの水を流す音が聞こえる。
そして、外にあるその配水管は誰かがなぐったような形跡があって、ベコベコになっているが直る様子がない)
・上階からの衝撃音
(ようは上のクソガキが飛び跳ねる音)
・上階からの水漏れ
(たまにお風呂で咳してる音とか聞こえてきます。マジきめぇw)
・廊下からの音
・同じフロア内のドア衝撃音
(5mぐらい離れた住居なのに、振動が伝わってきて自分の部屋の窓がビリビリ震える)
・叩いてもまるで発泡スチロールのような、防音性能0の薄い壁
(お風呂場にいても自室のメール着信音が聞こえてきたのにはビビったw)
(一応東南向)
・一応3LDKなのにどう考えても物置にしか使えないような部屋がある
(自分の自室。窓を開けたら隣の棟の壁しか見えない北向き。昼間の暗さとかテラ地下室w)
その騒音を部屋の都合上一手に引き受けている自分は、耳栓が手放せなくなったわけですよ。
でね、もっと驚くべき事にこんなマンションがね、2000万もするわけですよ。2000万。
バブルのときはもっと高かったのかな。
こんな騒音だらけのクソボロイマンションでも、駅近10分以内、というだけで賃貸12万です。
で、こんなマンションに限って宣伝文句が「ずっと住み続けられるヴィンテージマンション」とかなんとかほざいてるわけですよ。おまえらアホかとバカかとwwww
あのね、2000万っていったら、しがない新卒社員の年収の10倍近くもするんですよ?
はっきり言って、大金。
10年間ちかく必死に働かないと得られないお金分、ローンを組んだらこんなマンションでも月6万ぐらいで20年近くずーっとローンを払い続けなければならないわけで。
で、手に入るのが、こんなグレードのマンションて。
心底バカらしくね???
こんな中古マンション売って利益を得てる不動産会社ってボロ儲けすぎじゃね???
こんなマンションでも、適当に広告でっち上げて、何も知らないバカなやつに売りつければそれで利益が上がるんですぜ?
暴論かもしれないけど、今超不況で不動産会社ぼんぼんつぶれてますが、自分はこんな経験があるせいか正直ざまーみろ、としか思わなかったですよ。
姉夫婦は一体何を考えてこんなマンションを買ったのかマジでわからん。
いくら駅近利便性がいいっていっても、酷いマンションで暮らす精神的ストレスのなさと利便性を秤にかけたら、自分は間違いなく前者を優先するですよ。
4月に引っ越す前に暮らしていたマンションはH7年(1995年)築でこちらもそろそろ20年近くになるわけですが、そこのマンションではこんな騒音は微塵もなかったしね。
値段の違いもあるけど、マンションは確実に劣化する。そして、使われている建材がショボければショボイ(値段安い)ほど、上記でさんざん述べたようなひどいことが確実に起こってくる。
結婚したての若夫婦は、私の姉夫婦みたいに安さに惹かれてマンションとか買ってしまいがちなことがあるかもですが、本気で中古マンションは辞めた方がいいと思います。
増田で何度かこの話題でてるけど、「痴漢です」って言われたからってそうそう人生終わらない。
警察の方だって、被害者がパニクってて被害は本当でも違う相手を指してる可能性があるって分かってるから、状況が食い違う場合はそうそう起訴しない。
被害者も事情聴取で数時間拘束されて警察から話を聞かれるので、単にムカつくことがあったからとかそういう気軽な理由でほいほい突き出せるようなもんじゃない。
起訴はされなくて会社や家に連絡がいった場合でも、普段から信頼があれば、勘違いも多いことはみんな分かってるから特に問題にはならない。
軽犯罪での逮捕暦があるんだけれど海外出張の時に問題ありませんか?という質問がFAQ的に出てくるぐらい仕事を普通に続けてる人は多い。
大阪かどこかで大学生が女を使ってでっち上げした件だって、でっち上げと分かるまでも、濡れ衣を着せられた人は家族からも職場からも「この人はそんなことするはずないから」と信用されていて、「災難だったね」と同情されていたぐらいだった。
痴漢で捕まったからって妻子に見放されるような人はもともと愛想をつかされてたんだよ。