2022-02-19

まれて初めて救急搬送された話

これは個人的メモである。もう二度とこんなことをしないためのメモである

2月9日、その日私はある人への誕生日プレゼントを買いに30分ほど離れた大きな駅に行っていた。その人はTwitterで知り合った異性で、何度か会ったことがあった。通話したことがありかなり仲が良かったが、あくま友達だった。翌日2月10日はその人の誕生日で、たまたま会うことになった。そのためプレゼントを買いに行っていたのだ。

時間くらい迷って高めのボールペンを買った後、昼ごはんを食べていないことを思い出し、近くのマクドナルドに入った。ダブルチーズバーガーのセットが550円だった。罪悪感を押し殺してなんとなくそれを頼み、YouTubeを見ながら食べた。

その時にふと思った。ODをしなければ。そうじゃないと私はこの虚無感を壊せない。ちなみにODとはオーバードーズの略で主に精神科の処方薬や市販薬を大量に服用することである。私は精神科に通っていたが薬の効果を感じられなかったこともあって真面目に薬を飲んでいなかった。まるで溜めているかのように大量に積み上がっていく薬を毎日眺めていた。よし。そう決めたら視野が狭くなって、それしか考えられなかった。ODでは死ねないことはわかっていたので死ぬ気はなかった。もちろん普段から死にたい気持ちはあったものの、自分が死んで遺される家族のことを考えると死ねなかった。だからむしろ死にたくなかった。本当は今日スーパーで買い物をする予定だったがそんなことはもうどうでもいい。家までの30分の間に治まるかに思えた気持ちは治まるどころかどんどん膨らんでいき、私は電車の中でTwitterアカウントを全部消した。

そして家に着いた私はお茶ペットボトルを用意して一心不乱に薬を飲み始めた。薬を飲むのには時間がかかる。パソコンYouTubeをつけた。いつも見ているゲーム実況動画たまたまおすすめに出てきた病院経営ゲーム動画再生し、聞き慣れた挨拶を耳にしながら私はどんどん薬を飲んでいった。

時間くらい経っただろうか。抗うつ薬睡眠薬合わせて120錠を飲んだ私は、完全にふらふらでまともに歩けなくなっていた。そして思った。私は一人暮らしだ。このまま家でいたら死んでしまうかもしれない。直接薬の影響で死ぬことはなくても吐瀉物が喉に詰まるなどの事故はあり得る。そう考えた私は外に出ようと思った。外に出て倒れれば誰かが救急車を呼んでくれるかもしれない。もうそれに頼るしかなかった。今考えれば大迷惑カスである。家で自分救急車を呼ぶという考えも、今ならなんとか薬を吐き出せるかもしれないという考えも頭から抜け落ちていた。

そうして外に出たものの、全然歩けない。なるべく家から離れようと思ったがそんなことを言っていられる状況ではなかった。吐き気が込み上げてその辺に吐いてしまいそうになるのを何とか抑えて、道の脇にうずくまった。やばい動けないどうしようと思っていると通りすがり青年が「大丈夫?」と声をかけてくれた。うなずくだけで精一杯で、首を縦に振ったり横に振ったりしていると救急車を呼んでくれることになった。電話してくれた青年は私のことを10歳くらいだと思っていたらしいが、私は実際には19歳である。情けなかった。電話をしてもらっている間に我慢できなくなって道端に吐いてしまい、道路と服を汚した。

救急車サイレンの音がして、救急隊が来た。全く現実感がなく、まるで夢を見ているような感覚だった。立てますかと言われてなんとか立ったものの一歩踏み出すだけで倒れそうになり、最終的に担架に乗せられて救急車に乗った。睡眠薬をたくさん飲んだせいで横になるとすぐ眠ってしまいそうになり、何度も肩を揺すられた。とりあえずこれは言わないとどうしようもないと感じたので「オーバードーズしました」と伝えた。その後名前や住所、親の連絡先などを聞かれたが答えられる状態ではなく、勝手に財布の中を漁ってもらった。「できれば親に知られたくない?」と聞かれてこれは親に知られない道があるのかと一瞬期待したが別にそういうわけではなかった。未成年絶対に連絡しないといけないらしい。だが親の携帯の番号がどうしても思い出せず、何度も意識が飛びそうになる度に肩を揺すられて、わからないと首を振るだけで精一杯だった。揺れる救急車の中で、ああ取り返しのつかないことをしてしまったと思った。だが一方であまり現実感がなさすぎてこれは夢ではないかとずっと感じていた。夢ではなかった。

数分で病院に着いた。このコロナで大変な中こんなどうしようもない患者を受け入れていただいたことに感謝してもしきれない。

この後もいろいろあったがちょっと書く気力がなくなったのでここで終わりにする。本当に申し訳ございませんでした。

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