・どこの県の、どの市に住んでいるか
・大量の顔写真
・身長
・体重
・年齢
地方だからオープンなLGBTの人と出会ったことがないし、イベントなんかも行ったことがないし、人生で初めて身近な人がゲイだと知ったし、ゲイに見えなくてゲイだと想像もしてなかったから。
明るく親切で何でも質問できる頼りになる同僚が異性愛者じゃなく同性愛者だったって知っただけのはずなのに、こんなにも動揺している自分にもビックリして、なぜかドキドキしてしまう。
そして女性と男性への態度を思い浮かべて答え合わせをしようとする浅はかな自分が気持ち悪くて申し訳なさでいっぱいになる。
知ってはいけないことを知ってしまったような気分でいっぱいで、謎の罪悪感に襲われている。
毎日おはようございますと目を合わせ挨拶する同僚の見慣れた顔のアイコンがノンケだの2丁目だのガチムチとつぶやいているのを見ると不思議な気分になるし、毎日8時間も同じ職場にいて、時々お喋りしても、何も知らなかったのかーと単純に思ったり。
なぜか怖いと思ってしまって、もう見てはいけないと思ったりもっと見たいと思ってしまう。
YouTubeでLGBTについて取り扱うチャンネルの動画を一時期たくさん見ていたし、海外ドラマにもLGBTのキャラクターが何の違和感もなく出てくるし、身近な人がそうだったとしても何とも思わないんだろあなぁと本気で思っていた。
ゲイがみんなオネエ口調で話すわけではないことや、ナヨナヨしていたり女性的だったりするわけではない!という記事を読んではまあそうだよねえと所詮他人事な感想を抱いたり。
でもこんなに動揺している。
自分の中の差別意識は、ゲイだと想像もしなかったっていうその一点が特にまずいのではないかなと。
ゲイもレズビアンもバイもトランスジェンダーも地方だろうが何だろうが確実に存在しているのに無意識なのか意識的になのか、いないものとしようとしている自分。
以前洋服の店でアルバイト中にトランスジェンダーか女装趣味の男性の男性が来た時も、ああなるほどねなどと上から目線な感想を抱き必要以上ににこやかに接客したことを思い出したり。
同僚のツイートはカムアしてくる〜などというものもあって、生きている世界が違うような気がした。
全く女性に興味がないからこそ、職場の女性には紳士的に対応していたのか?
女性に本当に全く興味がないのか?
親は知っているのか?
ゾッとするという感想はまずいんだろうけど、ゾッとした。
知りたくなかったかも。
目を見て話せないかも。
それは私たちの子供の子供の世代にならないと無理なんではないか。
ただ同僚がゲイだったことを知っただけなのに偉そうにLGBTについて考えてしまう自分が気持ち悪い。
勝手に見つけて勝手に見ただけなのに、色んなことを考えてしまう自分が気持ち悪い。
でももし職場の人や地元の人に知られたくない性的少数派の人がいたら、SNSは自分のような気持ちの悪い人も見ているかもしれないということを頭の片隅にでも入れておいて欲しいなどと上から目線なアドバイスを書きたくなったり。
大切なことを1つ。 ふつうのゲイは、ゲイビデオに出演したりしません。。。