SNSやブログは基本的に「身内」や「ファン」が見るものだからだと思う。
自分の縄張り内で大声で「私が間違ってました」「私はバカでした」と宣言するのは自殺行為に等しく、そんなことやったら当人の脳内で構築されているであろうサル山のヒエラルキーから真っ逆さまに転落してしまう。
同じ謝るのでも、仮に「たった今フォローしたばかりの見知らぬ百人の前で謝罪しろ」だったら、だいたいの人がいけしゃあしゃあと平謝りするのじゃなかろうか。
「SNSのバトルは基本フォロワーに対するアピール」とはよく言われることで、このメンタリティが今日のあらゆるネットバトル戦術を規定している。
自分への擁護や相手への批判をRTするのは、自分のサル山を大きく見せようという、いって見れば暴走族がパラリラパラリラ鳴らしながらエンジンを吹かす行為と変わらない。
裏を返せば、現代ネットバトルの議論戦略は「身内」の規範に左右される。
もし、あなたの「身内」が自らを「理性的で、リベラルで、データと論理重視のスタイルを是とする」と規定するのなら、まさにその理想に叶うように戦っていかなくてはならない。ここで重要なのは「そう見える」のが大事なのであって、内実は問わないことだ。
傍から見てロジックが破綻していようが、データを捏造していようが、「身内」から「データを正しく運用していてロジカル」とみなされれば(あるいは周囲がそう思ってくれていると当人が思い込みさえすれば)その人のプライドは保たれる。負けてさえいないと態度で示せれば、全国民から謝罪を求められていたとしても勝ちなのだ。
要するに、現代ネットバトルとは個人の言論 vs. 個人の言論、思想 vs. 思想のぶつかりあいでなく、集団的な空気 vs. 集団的な空気、ポジション vs. ポジションのぶつかりあいなのである。
空気同士の衝突をなんと呼ぶかといえば、「縄張り争い」である。
歴史を思い出してみよう。
かつて、MUGENという伝説のチームがこの一帯を支配していた。
その圧倒的な勢力により、かえってその一帯は統率が取れていた。
だが、そんなムゲンの支配に唯一、屈することなく、たった2人で互角に渡り合った兄弟がいた。
決着がつかないまま、ある事件をきっかけに突如ムゲンは解散し、雨宮兄弟も姿を消した。
そして、その地区に5つの組織が頭角を現した。各チームの頭文字をとってSWORD地区と呼ばれ、そこにいるギャングたちはこう呼ばれている…
G-SWORD。
この5つのチームによるプライドをかけた闘いがはじまろうとしていた――。