はてなキーワード: not foundとは
「買ってよかったものまとめサイト」っていう特定の商品について良く書かれたレスのみを抽出している2ちゃんねるまとめブログのトップページのはてブ数が現在4000userを超えてる。
これがどれだけハンパない数値かってのは、例えばIDEA*IDEAのトップページのはてブ数は2200userだったり、404 blog not found.のトップページのはてブ数が1700userだったりするのと比較すると分かると思うんだけど。
しかも「買ってよかったものまとめサイト」って2ちゃんねるまとめブログは総エントリー数が200記事もなく、その上2010年1月から更新されていないっていうのに2010年2月から現在までにはてブ数が700userも増加してる。(公開ユーザーのみ)
ちなみに2007年10月に更新が停止しているPOP*POPのトップページは2007年8月から現在までに100userしか増えていない。
で、はてブしているユーザーを1人1人見ていくと分かるんだけど、過半数が「買ってよかったものまとめサイト」をブックマークする直前にアカウント登録されて、「買ってよかったものまとめサイト」を含む10件程度のページをブックマークした後、一切使われていないアカウントだったりするんだ。
「母親としてあるべき愛情が見いだせない」「自己の欲望や幸福を満たすためには子供の命を犠牲にしても構わないという、母親としては考えられない自己中心的で身勝手極まりない動機」懲役14年
http://gospel.sakura.ne.jp/wikiforj/index.php?%C2%DB%BB%F9%A4%CE%BF%CD%B8%A2%C0%EB%B8%C0
404 Blog Not Found:なぜ胎児を殺してはいけないか
partygirlの日記 - 妊娠中絶は悪なのか?を、ちょっとしつこく語る
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/partygirl/20060622
perl でバカ正直に書いたらこうなった。%seen で過去の登場分をメモって枝刈りしてみたけど、効果を発揮できてるんだかどうだか分からん。
use strict; my $found = 0; my %seen = (); for my $m (2 .. 7110) { for my $n (1 .. $m / 2) { if (find_7110($n, $m - $n)) { printf "found: %d, %d\n", $n, $m - $n; $found = 1; } } exit if $found; } print "not found."; exit; sub find_7110 { my ($n1, $n2, $x) = @_; while (($x = $n1 + $n2) < 7110) { my $k = "$n1 + $n2"; return 0 if exists $seen{$k}; # not found $seen{$k} = 1; $n1 = $n2; $n2 = $x; } return ($x == 7110); }
いやいや、今回はそれ以前の問題らしいと小耳に挟んだんですが、どうなんでしょう。
http://www.hogehoge.co.jp/cgifolderxxx/kokyaku-data.csv(←ウソURLですのでクリックしてもNot Foundです)
みたいなのがモロに流出したって聞いたけど。論外だよね。
管理画面からユーザID入れて入ったら不正アクセスだろうけど、こういうの直接ダウンロードしたらどうなんだろ?
公開されてるファイルかそうでないかなんて、URLだけじゃわからないし。
テスト用のデータが欲しくて、こんなやつーってファイル名入れてググってみたらあったからちょっと落としちゃえとか(苦しいけど)
そういう悪意のない参考用に落としてても不正アクセス?
ソフトって100%自分のとこの手作りじゃないことがほとんどだから(プログラム言語から作っているところは少ないだろう)
それにしたってメーカーのあの対応はないけどね。根本原因がまったくわかっていない無能集団ですと公言してるのに等しい。
ちょっと検索してみたら、原因検討とかしてるサイトとかブログとか山ほどあるのに。
収集されちゃうのがまずいから収集されないように設定しました!って、マジっすか。
そんなの、そこのカート使っててファイル名とかフォルダ構成とかデフォルトから変えてないサイトがあったら、適当にURL打ち込めばまた見えちゃうよ?
だから外部からは見られないように権限を変えておくのがセオリー。というか、常識中の常識。
それすらもわからないようなソフト屋の、安かろう悪かろうのソフトを買ってしまったのが運の尽き。見る目がなかったんだね。
目先のカネをケチッたが故の手痛い失敗だね。もしかしたら致命傷かもね。
ここで問題になりそうなのが、ソフトを作った側の責任問題なんだけれども、
よくある契約書では「ソフトは作った状態そのままで提供するものであって、瑕疵があっても全責任はとらないよ」と書いてある。
(有償ソフトはある程度の期間のある程度の瑕疵は修正しますということになっていることが多い)
それを了解して契約してたら、作った側に100%かぶせるのは難しいだろうねぇ。
そもそも、ソフトが100%バグなしというのは、よほどよくできてるとか枯れてる(長年使われてきてもうバグは出しきった)ものくらい。
だからこれはソフト屋の常套句。これがないと何かあったとき(未知のバグが見つかったとか)に賠償だのなんだの言われちゃうからね。
404 Blog Not Found:被害者は私だという全ての人たちへ
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51420496.html
読んでたのよ。
で、読んでいくとさ、
先日、私は一家全員でアバターを見に行った。暴力だらけの作品であることは、トレイラーを見ただけでもわかる。米国でのRatingはPG-13ということであるが、小学生の娘たちが特に入場をとがめられることもなく、3Dメガネもにこやかに入口で渡された。暴力を見せることが立派な児童虐待ということであれば、私はまごうことなき児童虐待者ということになる。
とかあるの。
読んでて心の中でアチャーとかなっちゃうんだよ。
細かいことだって言われるだろうけどさ、PG-13って13歳以下は親の強い同意が必要ってことじゃない?
そりゃ一家全員でいきゃとがめられんわい。
読みやすい文章読んでるときにこういうのに出くわすと、読みやすければ読みやすいほど、ものすごく強烈なアチャー感に見舞われるんだよ。
そういうの私だけ?
それ、YES/NO項目じゃないから。
項目名:好意
TRUE=好き
FALSE=嫌い
NULL=どちらでもない
NOT FOUND=項目さえない
NOT=..THENで考えちゃダメだよ。
パラメータの種別をちゃんと考慮しないと、誤動作かエラー扱いだよ。
PHPの比較の素晴らしさ加減は正常
http://anond.hatelabo.jp/20090617130518
PHP「"0x0A" == "10"はTRUEですがよろしいですか」 - Unknown::Programming
http://d.hatena.ne.jp/fbis/20090618/1245297557
404 Blog Not Found:そろそろPHPに関して一言いっとくか
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50835571.html
404 Blog Not Found:「PHPなめんな」と「(Perl|Python|Ruby)をなめんな」の違い
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50993137.html
(辞任した理由は)いくつかあるが、最も決定的だったのは、PHPそのもののセキュリティを高めようといくら頑張っても無駄な努力だと悟ったことだ
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070214/261900/
"諸君、私はPHPが大好きだ" - ぐらめぬ・ぜぷつぇんのはてダ
http://d.hatena.ne.jp/msakamoto-sf/20080131/1201718034
言語としての利点が多いことが、すべての人にとって良いことではない。
http://d.hatena.ne.jp/koyhoge/20080129/php
phpを使ってるときの苦痛が何に似てるか、今日やっとわかった。受験勉強に似てるんだ。
http://d.hatena.ne.jp/shinpei0213/20080520/1211291038
最近、PHPの関数名を調べたり、覚えたりする作業が、受験の英単語覚えを思い出させて、少し嫌気が差していたところです。
http://www.mapee.jp/ruby/ruby_5.html
http://slashdot.jp/askslashdot/comments.pl?sid=389009&cid=1290697
Rubyの場合 出力だけなら1行でも書ける
http://www.mapee.jp/wlh/phpruby.html
スーパーpre記法がアレなまま直ってないわけで。
姉妹サイト(?)ができていたわけで。
なにやらcookieを食べようとした形跡があるわけで。
#!/usr/local/bin/perl -w use strict; use warnings; use Web::Scraper; use URI; use Perl6::Say; use MIME::Type; use HTTP::Cookies; use LWP::UserAgent; use Path::Class; use Data::Dumper;sub p { print Data::Dumper::Dumper(@_) }; # cookie_jar
■努力厨がはびこれば2020年地球は滅びる。 - orangestarの日記
http://d.hatena.ne.jp/orangestar/20090405/1238941672
■要はやる気がないんでしょ? - ここではないどこか
http://d.hatena.ne.jp/nakamurataisuke/20090407/1239040351
■モチベーションなんか自分でどうにかしろ。:島国大和のド畜生
http://dochikushow.blog3.fc2.com/blog-entry-1131.html
■404 Blog Not Found_やる気出すより手足出せ
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51199665.html
80%(またはそれ以下)でやるべきという話と、120%でやるべきっていう話の衝突。
その後「やる気」の話と混ざってスクランブルエッグ…。
とりあえず「やる気」の話はさておいて、私としては「80%以下推進派」
自分が成長したいのなら「なおさら120%でやる必要性は無い」と思っている。
さらに邪推すると、120%の話は「社員をコキ使って働かせるためにでっち上げた幻想でしかない」とも思ってる。
その理由を、以下の「仕事の話」という前提で書いてみる。
よくこの話とセットの話として出るのが
>80%に抑えると、次の体感100%の仕事が元の80%にしかならない
だが、本人は「この量で80%と分かっててやっている」のに、なんで「次の体感が目減り」するのか?根拠が全く無い。
話を戻そう。
実際に120%でやったとすれば100%をオーバーした分だけ「休養が必要」な事を意味する。
なぜか?人は無理をした分だけ「疲労がたまってしまう」からだ。
「無理をした20%」を回復するにはけっこうな時間がかかるのだが、たいていはそんな休養の余裕も無く次の仕事をやる事になる。
というわけで、120%を続けた場合の状態は以下の通り。
※実際はもっと緩やかですが、分かりやすく値を大げさにしています
入力120% → 120%の出力、ただし疲労が20%溜まるため、次の入力が80%となる
入力80%の120% → 96%の出力、ただしさらに疲労が20%溜まるため、次の入力が60%となる
入力60%の120% → 72%の出力、ただしさらに疲労が20%溜まるため、次の入力が40%となる
入力40%の120% → 48%の出力、ただしさらに疲労が20%溜まるため、次の入力が20%となる
入力20%の120% → 24%の出力、ただしさらに疲労が20%溜まるため、次の入力が0%となる
そもそも、こんな余力の無い状態で「何を学んで成長しようと」しているのだろうか?
その根拠としては、物事を学ぶ際には人は「その情報を整理しようとする行動」を行わなければいけないから。
それは「予習・復習・記録」の3つ。
※「予習・復習」だけでは詳細を忘れるので「記録」も必要です。
結論として120%の話は以下の内容が欠けている。
・「疲労」という概念が入っていない
・成長するために学ぶには「整理の時間」が必要だが、その時間が入っていない
・「80%に抑えると、次の体感100%の仕事が元の80%にしかならない」というのは根拠が無い
これに対し、80%という事は20%の余力があるという事。
仕事には「予想しなかった事態」なんて日常茶飯事にある物なので、この20%が当てられるというメリットは大きい。
しかも余力があるので後に続く仕事に尾を引かない。
しかし、この80%を嫌う人は「手抜きだ」「これでは成長しない」と言いだす。
でも、やり方によっては全然手抜きじゃないし、成長もするんだよね。
それは、余った20%を80%の仕事をそれ以下の%で出来る方法を見つけるための「整理の時間」として使う事。
その状態は以下の通り
※実際はもっと緩やかですが、分かりやすく値を大げさにしています
入力80%、整理の時間に20% → 80%の出力、整理の時間に20%を費やしたので、効率が上がる方法を会得する(分かりやすく20%効率が上がった事にしてみる)
入力80%の20%UP、整理の時間に20% → 96%の出力、整理の時間に20%を費やしたので、次の効率が上がる(分かりやすく20%効率が上がった事にしてみる)
入力80%の40%UP、整理の時間に20% → 112%の出力、整理の時間に20%を費やしたので、次の効率が上がる(分かりやすく20%効率が上がった事にしてみる)
入力80%の60%UP、整理の時間に20% → 128%の出力、整理の時間に20%を費やしたので、次の効率が上がる(分かりやすく20%効率が上がった事にしてみる)
(…以下無理なく延々と続けられる)
疲労も無く80%でも成長出来て良い事ずくめだよ?
なんかURLの表示が変だ。
http://d.hatena.ne.jp/orangestar/20090405/1238941672
http://d.hatena.ne.jp/nakamurataisuke/20090407/1239040351
http://dochikushow.blog3.fc2.com/blog-entry-1131.html
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51199665.html
http://trackback.blogsys.jp/livedoor/dankogai/51199665
http://dochikushow.blog3.fc2.com/tb.php/1131-5e79b2bf
http://anirresponsibleopinion.at.webry.info/200904/article_2.html
に記事を移しました。
http://b.hatena.ne.jp/entrylistで
javascript:alert(document.getElementsByTagName("strong").length)
とかやると25とかなわけ。半分はブックマーク数が5から10の間なわけ。そんなもん。
はてなダイアリーとかもそんなもん。
これが、みんな大好きITmdiaだと31とかなわけ。
GIGAZINEは35、IDEA*IDEAは39とかになるわけ。
じゃあ、われらがはてな匿名ダイアリーは?というと43とかいうわけ。
馬鹿なの?死ぬの?
[追記]
アホだ。アホすぎる。
はてなブックマーク - うごメモはてな - ゆうたさんの作品 「ゆうたにもんくがある人だけみて」
はてなブックマーク - はてなうごメモスター音頭 - ぼく最速戦記君劇場@自宅の日記 Not Found - 技術日記
はてなブックマーク - WWW::HatenaStarでうごメモにスターを付けまくる - otsune's SnakeOil - subtech
どこで見たか完全に忘却したが、以前、こんなタイトルのエントリを見かけた事がある。
↑このエントリとは全く関係ないのだが、ハンコが取り持つハートフルストーリーを見たので、まとめた。
インサイダー取引についての誤解 2008-01-20
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/c2fb8cf06d2b523d04b5438919034a4e
私のRSSリーダーには、日本のブログは5つしか入っていないので、それ以外は読まないのだが、その1つであるdankogai氏からのTBで、また内田樹氏の変な記事を読まされたので、簡単に事実誤認を訂正しておく。
「自分が読んでいる5人の中の1人」という告白をそっとした。
ウェブを「匿名の卑怯者」の楽園から脱却させるには 2008-02-05
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/9ad59f1a7f3069cac4c09a84652fccbf
強烈にDisる。
404 Blog Not Foundを読むのをやめた 2008-02-11
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/93da1c13d0f2ad70922e3f7ce8e3d641
前にも書いたように、私のRSSリーダーには、日本のブログは5つしか登録してないのだが、その一つ、404 Blog Not Foundの登録を解除した。理由は、毎週『週刊ダイヤモンド』の広告を読まされるのはごめんだからだ。
「もう読まないんだから!」と宣言をする。
ハンコ・元号・縦書きをやめよう
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/ab7a17b40d389dcd899691841c24261b
ところが、ここに来て、このエントリが奇跡の再会への扉となる。
縦書きだけは残してもいいのでは?
あの頃を彷彿とさせるささやかな返信。ハンコが二人の中を取り持つのか。
今後の展開から目が離せない!
忘却からの帰還: 樹齢が6000歳以上の木が存在する理由がわからないAnswers in Genesis
らばQ:「神はいない?」偉人たちの無神論的な50の格言
神は存在しないことを証明したプログラミング言語 - 一分一秒真剣勝負!
Cry "Havoc!" and let slip the dogs of war:不可知論者は闘わない
[権内][権外][エピクテートス]意志の力でどうにもならない物事
Amazon.co.jp: 理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書): 高橋 昌一郎: 本
Amazon.co.jp: セクシーな数学-ゲーデルから芸術・科学まで-: グレゴリー・J・チャイティン, 黒川 利明: 本
Amazon.co.jp: 神は妄想である―宗教との決別: リチャード・ドーキンス, 垂水 雄二: 本
Amazon.co.jp: キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』 (講談社+α新書): フリードリッヒ・ニーチェ, 適菜 収: 本
導入
日本語の場合はどうだろうか。
日本が沈没しても、生き残ることができるだろうか。
現状では不可能に近いほど困難なのではないだろうか。
結論
一読して頭に残るのはなんともいえない疑問符がひとつしかないのだが、あえてもう一度読んでみた感想をだらだらと書く。
とりあえず、そんなに日本語を愛しているなら自分が私的なエッセイを衆目に曝せるほどの書き手かどうかをまず気にした方がいい。このエントリの独白は、一読すると要するに自分で問題をつくっておいてそれに憤っているように思える。
まあ好意的に読み取ればそうでもないのかもしれない。
これも水村の論旨を下敷きにした文章だと思うが、日本国から「デカップル」された日本語を国語として保護することは難しいのではないかな、と思った。水村が言語ナショナリストであるという一部の見解に反駁していない(と思う)ところをみると、結局、これは水村と私は(国としての日本への関わりにおいて)違うのだ、という防御線を張っている文章なのかとも思える。だとすれば質の悪い言い逃れだし、書評家としての欺瞞と呼ばずしてなんと呼ぶ。
「日本語を擁護するために言語ナショナリスト水村を持ち上げはしたが、私自身にナショナルな主張はない」
こういうことを小出しに書いているのだとすれば、恥知らずとして罵倒する価値もない。これでは水村があまりに哀れに思えてくる。
「国としての日本が滅べば日本語は滅ぶ」という認識が、「だから日本語の擁護には国語としての梃入れが必要だ」という水村への賛意につながるという心情は分からなくもないが、「でも日本国と日本語は分けておきたい、私は日本と仲良くないし」というのはあまりに卑怯な態度じゃないか。言語植民地をどこかに求めるとでもいうのか。そんなことをしなくて日本語が生きられるということは、日本を離れてもなお日本語に生きる小飼自身が一番よく分かっているのだろうに。
むしろ「私の愛する日本語にネーションの息をかけるな」、あるいはそのように誤読される日本語論は批判せねばならない、というのが小飼の立場からのまともな書評であったはずだ。そして、それが水村の荒唐無稽な極論とともにいずれも批判し尽くされる、というのがおそらくまともな成り行きだったはずだ。
何よりも「日本が滅べば日本語は滅ぶ」という認識を素朴に表明している時点で、この男には日本語を擁護する気もそのために自分の何かを賭けるつもりもないのは明らかなように思える。
だから、極端だが少しばかり筆を折ってみることを考えた方がいいと言っているのだ。
無意味で不誠実な書評を垂れ流して心ある日本語読者を侮蔑するくらいなら、潔く身を退いた方がよほど将来の日本語のためになるということくらいは分かっているだろうに。
つまり自制ってことだよ。
404 Blog Not Found:言葉は何を乗せているのか
よいエントリだ。このブログの書き手の言葉に対する無関心、あるいは悲しむべき無神経さを端的に明かしている。
小飼は文章とその書き手の関係について無知だ。あるいは少なくとも、あまりに配慮が足りない。
突拍子もないことかと思われるかもしれぬが、感じたことを感じたままに書いておく。
誰でも、小学生くらいのときに「私は言葉を〈使っている〉のか? あるいは言葉に〈使われているのか〉?」というどうしようもない疑問を抱いたことがあるはずだ。私は言葉で考えたことを言葉で書いている。はたしてこれは私が本当に考えていることなのか、そうでないとすれば一体なんなのか。私の考えというものはどこから来たのか、と。
書き言葉を覚える頃に感じるこの漠然とした感触は、認識と言語のどちらが先か、という設問にまで整理された問題ではない。これは単に、人間の内面(そんなものがあるとして)が言語と絡みあいつつ出来上がってゆくものだという単純な事実を、幼い肉体が感得しているということに過ぎない。
具体的な経験は無数の形をとるだろう。誰もが人生のある時点で言葉の不思議さに触れる。ここで書きたいのはそれだけのことだ。
だがこの経験は決定的なものだ。彼はその感触を通じてまず〈言語で〉語ることの困難を知り、自らの洞察が由来する暗部に触れ、〈言語を〉語る不可能を悟る。そしてそれを道具として語ること、それ〈について〉語ることに正面から向き合ってつまづいた人間が、なお人間として生きるための方途はその厄介な存在と必死に〈戯れる〉ことしか残っていない。これは彼自身が自覚的に行う選択ではもはやない。
こうして幼い者たちはいつの時代であっても常に大人を驚かせる詩人となる。また、彼らは毎日のように聞き手の深奥を揺さぶる語り部となる。なぜ我々は子供達の言葉に涙するのか。そしてなぜ彼らのように〈無邪気に〉言語と戯れることを羨望するのか。それは彼らの必死の戯れが放つ生の輝きが、我々のどこかに眠っている言語と自我への畏れに共鳴しているからにほかならない。我々は彼らを通じて、はじめて言語の不思議に触れ、途方に暮れた日のことを思い出しているのだ。
子供は主題ではない。
ここに書いておきたいのは、言葉に少しでも配慮しようとする者はその感触を忘れてはならないということだ。なぜならそれを感じ続けるということは、人間と言葉の骨絡みの関係を最もシンプルに引き受けることであるからだ。
人間と言葉の骨絡みとは、言葉は我々とともに今この瞬間も変化しているという、これまた単純なことだ。これはいわゆる言語の乱れとかそういう話ではない。たとえば、今だれかが〈たぬき〉と発言し、あるいは書いた瞬間、日本語の〈たぬき〉はそれまでの〈たぬき〉ではもはやない。それは彼が発したという歴史を背負う。そしてこの微細な変化は〈きつね〉や〈どうぶつ〉や〈やま〉や〈にほんご〉といった周囲に広がる言語の網の目に静かに拡がってゆく。そしてこの小さな波紋に触れない領域は存在しない。我々は今まさに言語の中で、言語とともに生きているのだ。
だからこそ、自覚的に何かを語ろうとする人間は、配慮せねばならない。当たり前のことだ。この配慮とは言語を配慮することであり、言語の網の中で生きる他者を配慮することだ。このことを自覚さえせずに何かについて、とりわけ言語への配慮について語ることができるとは思えない。
これを思うとき、小飼が何を思って「『文学者』」が言語の利用者であると述べているのか、私には見当がつかない。
言葉を生業にするとは、自らの言葉に自らの生のすべてを託すことだ。とりわけ文学とよばれる言語を媒介にした人生には、文字通りの夥しい生命が費やされてきた。小飼は彼らが言葉をネジか何かのように「利用」して生きたと言いたいのだろうか。言葉について書こうとする小飼に私が感じる違和感はとりあえずこれにつきる。
果たして「鴎外」は「いい文章を書いた」のだろうか。
「『文学者』」とは「『言語利用者』」だろうか。一体だれが言語を「利用」し、「虐げる」ことができるというのか。
こう問うてもいい。一体だれが、自らの生を賭さずして真に言語を「傷つける」ことができるというのか。
そして一体だれに言語を「護る」ことができるというのか。
我々にできることは、言語とともに生き、言語と死ぬ気で戯れることだけだ。つまり、配慮することだ。
小飼は自分でもわかっているように、一生エンジニアとして生きるべきだ。小飼が言語と戯れる道はそこにあり、そこにしかない。
文学を語る資格がないと言っているのではない。上に書いたように言語を語り、文学に遊ぶ資格は人間すべてにあるはずだ。
私は単に、みずからが言説に生きる身でありながら、言語に対してあまりに冷淡で不誠実な小飼の態度が気に入らないのかもしれない。
だが小飼が「日本語」と書くその日本語に我々は生き、そしてその日本語を我々は死んでゆくのだ。
今回のエントリはその後半だけについて、門外漢にもよく分かるように詳しく、言葉に配慮して語るべきだった。
それが人並みに日本語を使えるエンジニアとしての、日本語に対する、そして自らに対する誠実さではなかったのか。
鴎外に至っては、いくらいい文章を書いたところでその罪の大きさを拭えるものではないとすら感じている
重要なのは、たとえ「ナショナリズムと悲観と無知と傲慢さ」の果てであっても、やっと、そうやっと「文学者」という「言語利用者」の頂点にいる者が、言語利用者の底辺にいるものたちが面してきた問題と危機感を得たということそのものにある
私が今使っている日本語も、「傷ついた日本語」である。なぜなら私は「傷つく前」の日本語を何とか読めても、書くほどの教養がないからだ。私の名前が「彈」ではなく「弾」なのも、実はその余波である