はてなキーワード: 真剣勝負とは
逆w
真剣勝負だと信じる純朴な観客で成り立つ商売が永遠に続くなら変わる必要はなかった
それが続かないと見切ったから「ショーです!」とカミングアウトして
今までの商売が出来なくなる未来を見越して脚本に力を入れだしたのであって
元々は古き良きアメリカンプロレスのフェデレーションのひとつだ
半端な知識で口を挟まないように
それさあ
嫌な話だけど、
「ヘマ打って非処女発覚したアイドルを炎上させて追い込む」のって明らかに娯楽性があるじゃん
あれはっきり言って、
「裏切られ」て石を投げるところまでがアイドルオタの楽しみなんじゃないだろうか
プロレスとアイドルで商売の未来性に違いがあるとしたらそこでさ
虚構の説得力が弱まると
「どうせ弱いのに強い振りしてらあw」
「どうせビッチなのに清純ぶってらあw」
って馬鹿にされだすのまでは一緒
でも
プロレスラーが異種格闘技戦に出て弱いのばれても心底がっかりされるだけ
皆で証拠集めて共有・回覧したりCD割ったり握手会でハブったり
果ては事務所やプロデューサーに切られて涙目で会見して消えるまで
これは横じゃない方がお答えするけど
このレスはとてもいい疑問だ
(「WWEの全盛期は10年前だもん!」とかいう「言い返せばなんでもいい」レベルのズレズレアンポンタンレスとは大違い)
>プロレスで八百長だって自分からバラさなければいいのと同じ。
というのは、処女じゃないとしても、それを隠しておけば「ファンタジーを堅守(引用)」できるって話だろ?
だとしても、処女じゃないことを積極的にばらす必要はまったくないよな?
既にチラッと出てるとおり、
そしてこれは、プロレス業界が主体的に選んだことじゃないんだよね
昔の客は
素直に信じてくれる客だった
今の消費者はそうじゃない
きちんと気づいて冷笑的に突っ込むし、
動かぬ証拠まで掴んでネットにアップして共有するようになった
そこで「芝居です」と積極的にぶっちゃけて大幅な路線変更した団体と
状況の変化で否応無くそういう二択を迫られたと言っていい
虚構を維持するエンタメが不可能になってきてるんだよ
そういう意味で、プロレスとアイドルって言うのは、確かに「虚構エンタメ」という共通性のあるいい例えなんだ
で、
だけど、
「バレバレでも自分からバラさなければいい」のポジション選択者は
結局こっちは、「これまでの価値が崩れてるのに新しい価値を創出しない」という保守的路線だったからね
プロレスについて言えば
っていうのは「いい」どころか破滅的な選択だった
ガチンコのドキュメントストーリーに思えるものを見せて隆盛を極めたのがモーニング娘。
だから、秋元康に対してやいのやいのブーイングを飛ばしてしたり顔になっているのは、完全に運営側の思う壺。
本当に嫌いなら、何も言わない方がいいし、AKB商法を非難する=AKB48のファンであると何も変わらない。
AKB48が恋愛禁止っていうのは、「プロレスは真剣勝負」と同じものだと考えるべき。
AKB48のファンには二種類ある。本気でAKB48のメンバーは彼氏を作っていないと思っているのと、そのルールが本当にあるという前提で乗っているのがいるわけだ。
米沢、平嶋がやったことって言うのは、つまりプロレスラーが「試合の結果は決まっています」ってカミングアウトしちゃう行為で、他でもないメンバー自身が明かしちゃいけないのよ。
作ってもいいけど、彼氏がいることは墓場まで持っていかなきゃいけない。
なお、Perfumeは総合格闘技。いろいろなものが決まっているはずのアイドルに、本当にシュートを持ちこんじゃったから革命だし、後にも先にもこういうアイドルは出てこないだろう。
ゲーセンで出会った不思議な女の子の話をめぐって、事実と創作の垣根についての議論があるようだけど、それに関して思うのは、かつてプロレス界で「ガチヤオ」議論が話題となったこと。そんときからモヤモヤしてることについてちょっと書いてみる。ガチとはガチンコ(真剣勝負)のこと、ヤオとは当然八百長のこと。
プロレスにおける「ガチヤオ議論」の中で、「いわゆる『リアルファイト』系をうたう格闘系団体は、本当はヤオなのにガチっぽくやってるから腹が立つ。ヤオなら最初からヤオと言え、その意味では開き直ったプロレス系団体の方がよい」と怒る人たちがいた。レッテルと中身が一致していないと、我慢がならない性格なのだろう。「プロレスは、楽しくするためにヤオだと分かった上で見る人も楽しんでるから、あれでいいんだ、素晴らしい」というプロレス擁護をするプロレスファンがいた。
そういうのを聞いて、とても悲しい気持ちになった。ガチかヤオかなんてレベルでしかプロレスを語れないプロレスファン、というものに。多分、プライドの高いレスラーは、傷ついていただろう。
トップロープからダイブしても、ヤオなら痛くないとでも言うのか? 開始5秒で体痛くなって、ホントは立てたかもしれないけどかっこわるいから寝てました…とかでもガチならそれで満足か? 格闘家とプロレスラーと平均すればどっちが長生きしてるだろうな? 試合に筋書があるって、筋書きがあるから誰でもできるとでも思ってるのか? 手に何も持たず、パンツ一枚の身一つで、30分で数万人の人間を沸かせる仕事、できると思うならやってみせてくれや。
プロレスだろうがリアルファイトだろうがリアルファイトのようなプロレスだろうが、それが人前で演じられるなら、問題は、見てる人間の心に刺さるかどうか、それだけだろうが。詰まらないリアルファイトは詰まらないプロレスと同じように詰まらないよ。心に刺さる試合の向こうには、リアルだろうがプロレスだろうがとてつもない苦労があるわけで、その集積が形をとって表れた奇跡に、見てるものはただ頭を下げるだけだろう。プロレスなら楽だろうって、ほんとに失礼な話だ。
だいたいなあ、事実か創作かという議論が、もうレベル低いんだよ。どこか非現実的でとてもありえなさそうな、それでいて今の時代のどこかにそんな話がありそうでやっぱりなさそうな話が、この時代のある一定数の人間の心に刺さったというのが、ただの事実なわけだろう。それ以上に何か確定して言えることなんて、最初から無い。もともと「小説」なんてシステムができるまで、「物語」というのはおおむねそういうものだったわけで、大多数の人の心に刺さり言い伝えられていく中で変質してやがて固まっていく昔話や神話がそうであるように、大げさに言えばそれは民族の記憶みたいなもんだったんだよ。それで何か問題があるのか? 沢山の人が、こういう話があって欲しいと思い、誰かがそれを形にした。それが奇跡なんだ。
ゲーセンに書かれた話が事実かどうか、当然オレは知らない。ただ、書き手が人間性のある面をとてもよくつかんでいて、それを文という方法で形にする能力に長けているということ、今という時代の空気をよく吸っており、ある方面のサブカルチャーに十分な造詣があることはよく分かる。……たとえばデビューした頃の村上春樹のようなもんだ。そして、それが仮に創作だとしても、そのレベルの創作は、書き手の人生の幾ばくかを注ぎ込まないと生み出すことはできない、ということも分かる。書き手は、自分の書きたいことを、一番読み手に届くだろう方法で世に出した。素晴らしいことだよ。よく書いてくれた。それだけで、オレは充分満足だ。書き手自身は、書きたいことの10分の1も書けなかった、届けたい言葉を書ききることができなかった、などと、いま嘆いているかもしれない。それもいい。どれだけ生きても、ことばなんてそもそも100分の1も他人に届かない。そんな中で、あいつは自分の人生を絞り出しながら、100分の2か3か、誰かに届く言葉を生み出すことができた。よかったじゃないか。「彼女」も「どこか」で喜んでいるよ、きっと。
あれが事実であろうがなかろうが、オレはアレを批判する人間よりは、アレを書いた人間と一杯やってみたいと思う。絶対その方が面白い、それは断言できる。少なくとも、ああいうものを読んだ人間の取るべき態度というのは、事実かどうかを論じるとか、創作ならそう書かないと卑怯だと匿名批判するとか、そういうことじゃないだろうと思う。大体、そんなやり方で人の心を動かせると思ってるなら、やってから言え、と。
それとも「オレにはできないけど、そこそこの書き手なら誰でもできるレベル」とでも言うか? それなら、できるという「そこそこの書き手」に頼んでもいい。そういう人間を探して、試しに書かせてみてから言ってくれ。そんな書き手がいればな。
だから、アレを読んだ人間が、書き手に届けるべき言葉は、次の二択だ。
・「チラシの裏に書いてろ」
それ以外には、ない。言うまでもないが、当然オレは前者だ。
…で、お前はどうなんだ?
日本で格闘技で食えている人口が多いのは、相撲が1番で、次にプロレス。
あれは格闘技ではないと言う人が居るかも知れないが、体操で食うためにサーカスをやるような物だと思えば良い。
ボクシングも総合格闘技も日本チャンピオンになっても他に仕事を持っていないと生活できない。
格闘技が金を稼ぐには客を呼ぶ必要があり、
客を呼んで金を稼ぐ業種が安定的に金を稼ぐには定期的な興行が必要で。
定期的な興行に選手が安定して出場している必要がある。
選手側も安定的に金を稼ぐにはには、定期的に興行があって、定期的に出場しないといけない。
そのためには、怪我をすることも怪我をさせることも御法度になる。
誰かが怪我をしたら選手は金が稼げないし、興行主も困る。
それは本来、相手を痛めつけるのをもって目的をなす格闘技では無理という話。
だから、ボクシングなどは一人の選手が試合をする間隔は長いし、一試合で引退という話もある。
格闘技で安定して食うためにはどうしたら良いかって、本気でやらないことが前提条件。
八百長という手法もある。
ただ八百長をしなくても、それ以外にも寸止め決着という方法もある。
伝統派空手の試合は怪我を防ぐため八百長はないが寸止めで決着がつく。
プロレスは暗黙の了解で寸止めを使っていて、当てられた側も当てられたと言う了解で当てられたように振る舞う。
当てた当てられたの了解の結果、どっちが勝ちかということで決まることもある。
相撲も安定的な興行をするならば、全部が真剣な勝負というのは無理だ。
八百長は一部だけで他に八百長はやっていないと言うが、あれだけ試合をやっていれば真剣勝負の方が無理だ。
八百長をなくすと息巻いているが、それならばもう少しルールを安全な物に変えなくてはさらに怪我が多くなってしまう。
ボクシングが1ラウンド勝負とは言え15回連続試合を年間6回出来るだろうか、無理だろう。
正直言えば、八百長や手抜きはむしろやって欲しい。
それよりも安定的で定期的な興行で、それに安定して選手が出るようにして欲しい。
すげーよかった。ハマる人がいるのも頷ける。
バトルものやスポーツものだと、どうしても対戦や勝ち負けが出てくる。
それで大体の登場人物は勝つために、「苦しい努力」することになる。
対戦においてもガチのバトルものなら命がかかっているし、スポーツものでも何故か人格やプライドといったものがかかってて、真剣勝負になる。
その結果作品全体から「弱いものは否定される」などといった厳しさが発生して、一定の辛さが出来てる気がする。
けいおん!はバトルでもスポーツでもないから、何とも戦わないし、何かを打ち負かしたり否定することはない。また、それをされることもない。
努力に関してもその演出がぬるい。個人の練習はそれなりにしているのかもしれないけど、特に平沢唯が家でしてる練習って多分「苦しい努力」じゃなくて、「好きなことを好きにやる楽しい努力」だよね。
そこからは、「戦わなくても何かを得ることはできる。そのために必要な努力も苦しいものとは限らない」というメッセージを受け取れた。
おそらくここら辺が、俺が今まで見てきたアニメや漫画と違うところなんだと思う。
ただ、二期は「卒業」「進路」「受験」「取り残される梓」などと割と辛い要素も出てきて、緩さと幸福感という意味ではちょっと違う方向だったかな。
BGM : http://www.youtube.com/watch?v=zvuC7D_IBuY
(眠くて朦朧としながら Haskell と格闘していて、この言語は、いいとこもある、わるいとこもある、と思っていたらスネークマンショーを思い出した。それだけ。)
最近になって彼女との電話が口論になることが多くなった。不安定というか、やつあたりというか、はげしい口調でなにもかもを否定的に言う。
「あんな上司の下じゃ、きっと、いつかつぶされる、私のこと嫌ってるし」
「子どもなんて考えられない、こんな世の中で産めるわけない」
ぼくはそれをなだめながら聞き、いやでもさ、と口を挟む。
「それすごく先のはなしだし、今から心配しても仕方ないし、第一まだ」
「ちがうよ、でも、それ今決めなければいけないの?」
電話口の彼女の声はエスカレートしつめ寄るように鋭くなって、徐々に矛先がぼくにむかうようになると、口論になるのはほぼ間違いなくなる。いや、それよりも前に、あまりに否定的な見解にお説教じみた言葉を投げかけ始めてしまうこともある。彼女よりぼくの方がだいぶ年長だから、その言いようが子どもじみていて、甘い考えに見えるからだろう。
「そんなこと言っていたら、ほんとに首になるよ。そんな甘くないよ、会社」
ぼくの脳裏には、凄惨に会社にやめるように圧力を掛けられた記憶が蘇り、ぼくがみた社会の冷酷さの一面を彼女は理解していないのだと思ってしまう。
「そうなったら、せいせいだね。漫画読んで、テレビ見て、映画見て、ずっと楽しくすごす。あの会社入りたかった会社じゃないし、仕事も楽しくないし。あなたはいいよね、楽しいんでしょ、会社?」
「楽しいときもあるってだけだ」
「じゃあ、いいじゃない、私ぜんぜん楽しくも何ともないもん」
こうなると両耳で非常ベルがジリジリジリジリと鳴る錯覚まで覚え、危ない、このままでは彼女は落伍者になってしまうと、そんな危機感だけが脳内を旋回するようになり、それが超大型の爆撃機となって、鋭いクラスター爆弾の雨あられを投下してしまう。
あぶない、あぶない、あぶない、止めなきゃ。
その一心で、彼女の心が焦土になる危険さえ冒して、鋭い言葉を投げてしまう。
そんなことをしたら彼女を傷つけるだけなのに。
もっとひどいのは彼女の矛先が自分に向かったときだ。それはさながら決闘のようで、お互いの価値観をぶつけ合って、はげしいつばぜり合いになる。
「だって、あなた給料安いし、そんなんで生活できるわけないし」
「なにいってんだ。この業界では高い方だし、これはこれで」
「あーあ、これで彼が弁護士かなんかだったらな」
「弁護士だって、一流二流以外はたいして変わらないよ、今は。それにそんなつまらない仕事しても、面白くも何ともなくない? クリエイティブじゃないし。人のもめ事に首突っ込んで、解決料をもらう仕事だよ?」
「あなたの仕事もたいして変わらないんじゃない?」
まるで、剣を撃ち合わせるように、キンキンキンキン、と鋼と鋼を撃ち合わせるようで、お互いが意地っ張りで、プライドが高いという事もあって、泥沼と言うよりもつかれるまでする、決着の着かない果たし合いのよう。
キンキンキン。
最近どうも、果たし合いばかりしている。
彼女が一番鋭いところを出してきたときに、ぼくの中に対処できるところが鋭いところしかなくて、それで、剣を出される、剣で受けてしまう。
それでも、ぼくが彼女が好きなのはそんなところで、プライドが高いと言うよりは高潔で、一種の高貴さみたいなものがある。ふざけたり、馬鹿にしてみたり、いじわるをしてみたりする事もあるけれど、それは手管の一種で、ふしぎと俗悪な感じはしない。ぼくも似たもの同士で、彼女が手管を使う代わりに、どちらかというと間合いをとって相手をなだめることが多い気がする。
それが、こんな年下の彼女と真剣で、抜き身の刃で撃ち合えるなんてと、驚きはするのだけど、何か違うのだと、何か自分が間違っているのだと、最近になって思うようになった。
喧嘩はもちろんストレスフルだけど、それでも、ぼくに真っ向から立ち向かえない人を好きにはなれない。一対一で真剣勝負も辞さないぐらいでなければ、対等になれないのは当然で、ふしぎと彼女は対等の喧嘩ができる。
彼女がどう思っているかは分からないけど、ぼくには、ぼくと彼女のやり合いは対等だと思うのだ。
嫁と夫がささいな事で言い争いになり、どっちが正しいかを突き詰め合わずにはいられなくて、それで喧嘩になる。それが、知的プライドに根ざしている事が暗喩されていて、その話を聞いた友人が、深刻ではあるのだけど、平和的だなとか言うような小説。
それを読んで、うわ、これだ、これ、理解していないんだ、ぼく、そう思った。
もう彼女の理不尽な反応を受けるたびに、どんだけ、女性心理を書いた本を(漫画&小説)読みまくったかと自慢しても仕方ないのだけど、その短編を読んでまたショックを受ける。
その中で、嫁の、ちょっと至らないんじゃないかと思われる部分を指摘する嫌な(笑)夫が出てくる。その指摘は至極まっとうなのだけど、主人公は主人公なりに事情を抱えていて、その辺が交錯している。結局の所、夫も嫁も、まあそれって愛している&憎む部分もある=愛憎だよね! であいまいに終わるので、結論は出しにくいのだけど、その心理が乖離していく様子を見て、ああ、これだ、これか、と思ってしまった。
敵対に敵対で受けるのだろう。
そう思ったときが衝撃で、というか、彼女の剣、自分の身体に突き刺さったコレクションにすればいいんじゃない? 剣を剣で受ける必要なくない? 彼女が刺したいだけ刺させてあげればいいじゃん。そんぐらいではびくともしない、かもしれない、力があるんだから。
と思った。
つばぜり合いはいい。
でも、彼女が発している鋭さは受けよう。
この身で受け止めよう。
ここに刺さるのを甘受しよう。
そして、彼女が十分に戦ったと満足したなら、その痛みをこの身に受けよう。
刺されようと、そう思った。
それでも、びくともしないぐらいの強さを渇望している。
つよくなりたい。
彼女がいつ刺してもいいように。
それで、びくともせずに、抱きしめられるように。
市場とは、「自分の欲しいものにしかカネを出さない人の集まり」である。
http://mojix.org/2009/12/17/takenaka_kan
この「自分の欲しいものにしかカネを出さない」という「真剣勝負」が、市場の本質である。スポーツの試合と同様、それが「真剣勝負」だからこそ、みんなが欲しがるもの、必要としているものは何かを考え、いい商品やサービスを作ろうと努力する。そこから富や価値が生まれてくるのだ。
この「真剣勝負」は、「弱者救済」とは相容れないものだ。スポーツの試合で、相手に譲っていたら試合にならないのと同じだ。市場は「真剣勝負」の場であり、「自分の欲しいものにしかカネを出さない」というシビアな態度こそが「公正(フェア)」なのであって、それが富や価値を生み出す。
色々アドバイスをいただき非常に参考になります。
むしろ奥さんの方が議論派、というのは初めて聞きました。そういう方もいらっしゃるんですね。
すごく理想の関係に思えてうらやましい限りですが、きっとそれぞれの夫婦の関係も家庭ごとにすべて違うんですよね。
わたしも妻と私との理想の関係を見つけられるようにがんばろうと思います・・・。
1つだけ参考に聞きたいです。
嫁はいつでも真剣勝負だった。俺が面倒がったり、キレて物投げたりしても、泣いたりキレたりしないで話を続けてた。
正直ちょっとウザイ位。
このときに、増田さんは奥さんに、今私がこの一連の投稿の中で皆さんに多数指摘されているような「デモデモダッテ」的なものは感じたでしょうか?
「そのうち怒らずに冷静に話をしてくれるように相手が変わってくれるだろう、だって冷静に話すことがお互いにとって良いんだから」と思ってましたが、そんなことはないんだということが最近やっとわかってきました。
うん。大事だな
親子ですら分かり合うのは難しいんだから他人なんてもっと難しいと思うのは重要
奥さん(旦那さん?)ははじめからそういった冷静に何時間も納得するまで話をしてくれる人だったのでしょうか?それともそのように結婚生活の中で変わってきたのでしょうか?もしそうなれるコツのようなものがあれば教えてください。
元々は嫁の方が議論派、俺は面倒だと思ったりする事も多かったから参考になるかは解らないが
まず、絶対に面倒だとか適当な返事はしない。
嫁はいつでも真剣勝負だった。俺が面倒がったり、キレて物投げたりしても、泣いたりキレたりしないで話を続けてた。
正直ちょっとウザイ位。
そんでも、一回一回結論が出て、結論が出るとその後楽だし、変な思い込みとかしないで良いと思ったから議論をまじめにするようなった。
元増田の場合、これが正しいよねって話すと相手が責められてると感じるかもしれないから
相手を責めるんじゃなくて、どこが妥協点かを探る感じにするのがコツじゃないかな。
「俺はこう思うんだけど、お前はどう?」とか
「俺はこう言う経験からこう考えたんだけど、お前だったらどう考える?」とか
自分が理解してない相手の過去や経験から、自分と違う意見が出る前提で、ここは似てるな、とかここは違うな、何で違うんだろうな?とか
出来るだけ相手が感情的にならない状態で話してみるのが良いんじゃないか?
俺んトコは嫁が女だけど超ロジカルで感情論嫌いだから、まあ問題少なかったけど
感情的になる相手だったら、如何にそういう状態にせずに話をするか、が重要じゃないかと思うぞ。
その上で、自分が相手を知るように相手にも違う所とか違う考えで動いてる事とかを少しずつ解って貰ったらどうだろうか
男みたいに理性的には動けん事も多いらしいぞ
その辺も汲み取って、相手を尊重してるんだって事が解るように話しかけたり行動したらどうか
ある程度は、男の俺には解らないから教えて欲しい、的な話し方とか。
俺の場合、超ロジカルな嫁だが、つわりで苦しいらしく、涙を流しながら仕事の本とか読んでて無茶苦茶こえぇと思った事とかあるしな。
本人超冷静、涙出てんのに普通に統計学の本とか読んでるんだぜ。
「あー、何かホルモンバランス悪いみたい。涙出まくるよ。悲しくないけど」とか言ってたから、男には想像もつかない状態なんだと実感した。
そういう良く解らん何か、それも個人個人で違うって厄介だから、正直にごめん解らないから教えてっつった方が無難。
察するとかたぶん無理。
具体的じゃなくて悪いけど、他に何かあったら聞いてくれ。
解る範囲で答える
別に自分が童貞であること自体にはコンプレックスはないんです。
問題は、ここ(http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080125/1201189268)で話されてるこういう感覚。
友達「ただ、つくづく思うんだけどさ」
オレ「うん」
友達「思うっていうか、感じるっていうか」
オレ「うん」
友達「どうやったら女の人から好かれるのか、どうしてもわからない」
オレ「それってテクニック的な話? 聞き役に回った方がいいとか、そういう」
友達「いや、それもあるんだけど、そういうのをとことんやってもできないじゃん?」
オレ「あー、はいはい。わかるわかる」
友達「なにこの八方ふさがり感、みたいな」
オレ「なんかあれだよね。どんなフォームで投げてもガーターになるボーリングみたいな気分だよね」
友達「まっすぐ転がってたのに、ピンの前でくいっと曲がって溝に入るみたいな」
オレ「すんげー、わかる。そんなことが何回も続くと『もう、どうしろと。』って言いたくなる」
友達「一度一度が体力使った真剣勝負だからこそ、なおのことね」
ぼくもこういう感じなんです。どうしても、友達(ないしは、友達以上恋人未満)の向こう側にいけない。
過去の交際期間は、3ヶ月、7ヶ月、7ヶ月ですが、僕が振るにしろ彼女が振るにしろ、おおよそそういった理由で別れました。
キスして、デートして、おしゃべりして、プレゼントして、ちょっとえっちなことして。それでも恋人未満だったんです。
なんというか…兄と妹みたいになるんです。先輩と後輩。師匠と弟子。みたいな。
それが恋人未満の原因なんだろうなと感じていたので、上から目線みたくなりがちな話は(二人でいるときは控えようと提案したりして)避けていたのですが、
相手もアカデミックな話やビジネスの話を僕に求めているらしく、結局そういう話に落ち着いてしまっていました。でもそんな話は彼女以外ともできるし、
もっと知識の深い友達との方が盛り上がります。それではもっと単純な話(何を食べてそれが美味しかったとか)をしようとすれば、退屈ですぐに終わってしまう。
書いていて気付いたのですが、多分、相手に対しての興味が尽きてしまうのでしょう。
早いうちに大雑把に相手を把握すると、それで満足してしまう。随分彼女のことを色々質問して話をしてきたとは思いますが、大体が想像通りだったし、
想像の範囲外だったとしても、特段それゆえに相手により深く惚れこむといった事はなかったような気がします。
今までとは違うタイプの人と付き合えば解消するのかもしれませんが、いかんせん他のタイプの人こそどうやったら口説けるのという話で
結局堂々巡りでとても困ってしまってます。どちらにしても、まずは行動あるのみかもしれませんが。
http://anond.hatelabo.jp/20090120215245
この部分は激しく同意。
それでもまだ弁護士はマシな方だ。いちおう素人の被告の相手をしないと行けないからな。問題は裁判官と検察。もうコイツラはほとんど何も考えてない。テレビや新聞で話題になるぐらいになるとちょっと別だが、それ以外のそこそこ小さい事例だともうほとんど最初からシナリオが決まっていて、弁護士はそのシナリオを察してどの程度修正できるか、というだけ。
以前ついてくれた弁護士はみんなそろってこう言う「あの検事と裁判官ならこの辺が落としどころです」「あの検事は今法律変わって実績作りに立件に燃えてますからね」「あの裁判官はこの手の事件にはきついですから」オイオイ、事件の中身とかいいのかよ。まだ始まってもいないんだよ。
もうね、考える事なんてほとんど無いの。テレビゲームの攻略本みたいなもの。このキャラならこのコマンド、みたいな。情報と経験だけ。
裁判員制度はイイとは思わないが、もし唯一あるとしたら、ほとんど脚本付きの演劇みたいな裁判を引っかき回して検事や裁判官、弁護士を悩ませて考えさせて真剣勝負の場に変えること。彼らにはソレができるだけの力はあるんだから。ただメンドクサイからシャンシャン裁判ですませちゃってる場合が多いだけでね。そんなので50万とか100万とかふんだくられてはたまらんぜ。
今年、誰が優勝しても去年のサンドウィッチマンを超えられなかっただろうし、
去年のサンドウィッチマンでさえ、前年のチュートリアルやブラックマヨネーズを
超えられたか?と言われたら、疑問が残る
回数を重ねるごとに、おもしろいコンビから順に抜けていくシステム
回数をかさねるごとに、緊張感が薄れていくシステム
奈良県立歴史民族博物館ネタで、その期待以上の笑いを取った時のM-1には、
だからこそ、笑いに爆発力があった
もともと、お笑いっていうのは、そんなに真剣に見なくてもいいじゃないか?という意見ももちろんあるが、
M-1という大会は、そういう価値観から離れて、日本一面白い漫才コンビを決める、見るほうもやる方も真剣勝負の
緊張感ある大会であって欲しいと願う
ということで、今度から4年に1回くらいでいいのではないか?
その方が、やる方も緊張が伝わるし、おもしろい人も残るのではないだろうか?
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