はてなキーワード: 大往生とは
飼い主「あぁ、眠るよ」
犬 「うん!でも15年も生きたんだ!そうなんだぁ!じゃぁ眠っていいんだよね!」
飼い主「そうだよ。いいんだよ」
犬 「よかったぁ!じゃぁ眠ろうね!穏やかに眠ろう!」
飼い主「うん、眠ろうね」
飼い主「うん。静かに眠っていいよ」
犬 「あぁーご主人様は今ぼろぼろ泣いているよー!笑って見送って欲しいよー!今までありがとねぇー!」
飼い主「あぁ、久しぶり」
犬 「そうかぁ!僕犬だから!犬だからあの世とかわかんないから!」
犬 「うん!でも天国なんだ!そうなんだぁ!じゃぁもう待たなくていいんだよね!」
飼い主「そうだよ。待たなくていいんだよ」
犬 「よかったぁ!じゃぁ歩こうね!一緒に歩こう!」
飼い主「うん、歩こう」
犬 「あぁ!これからずっと一緒にいられるね!ね、ご主人様!」
飼い主「うん。ずっと一緒だよ」
犬 「あぁーご主人様と僕はずっと一緒だよー!幸せだねぇー!」
これを読んでいたらもやもやしてきたので書く。
4つだけは本当だということじゃない。
8つすべては「真実」に近いと思う。
実践できれば楽に生きれると思う。
それがいいとか悪いとかいう問題じゃない。
ただ、この理論だけでは結果的に不十分だとおもう。
いったいなにを欺いているのか?
リンク先で語られている内容よりも
語られなかった内容に注意してほしい。
1、今に生きる
過去を悔やんでたらればを繰り返したり、起きてないことをあれこれ憂いたりするのは時間と労力の無駄遣いで非生産的。
2、人や社会に期待をしない
求めたり「こうあるべき」とイメージを持ったりすれば、現実との差異にがっかりすることになる
自分が見ている他人は、他人という物質に反射して映った自分だと考える。
その出来事を通して味わいたい思いや学びたいことがあるからそれを引き付ける。
こうしなきゃ、こうでなきゃ、というのは自己満足であって、大抵の場合は不必要
6、ワクワクするものごとを選ぶ
選択の連続の人生で、自分の心がワクワクする方を正直に選ぶのが一番スムーズ。これができないと葛藤やジレンマに苦しむ
7、自分の行いは必ず帰ってくる
きちんと受け止めないでぶつかった時に、痛いと言って責任転嫁しようとしても事は進まない。
自分が受けたい言動をとればそのまま返ってくる。
8、物事は全て中立
「悪い出来事」「縁起の良い場所」なんてのは本当はなくて、全て中立な物事に自分が意味付けをしてるだけ。
たとえば同じ場に居合わせて災害にあったとしても、ある人はたまたま見舞われたと感じるし、ある人は自分の宗教の教えを遵守しなかったからと捉えるかもしれない。
ぐうの音もでない。
いろんな本を読んだり、テレビを見たり、人と話したりすれば
わりと納得できる考え方だなーと。
(というかこれがわからないとしんどい)
しかし、正しいということとそれが妥当であるということはまた別の問題だと思う。
でも、とりあえず
ということはほぼ間違いないと思う。
世界じゅうの人がみんな
この方法を身につければ
きっと生きやすい世界が目の前に広がると思う。
ちょっと想像してみよう。
(親、兄弟、親戚、同級生、上司、同僚、社会のしくみ、政府、日本、テロリスト、なんでも)が
もし、これらの特性を身につけたならと考えてみよう。
こりゃパラダイスだ!
ぼくたちはお互いがお互いを認められるような
真に寛容な社会を実現できる!
誰と遊んでいようが楽しい!
よーし!あの丘の上まで競争だ!
これらの方法に従うことで楽に生きられると思う。
でもそれは「従うことができれば」の話。
実際、どこの場でも目にする。
「人生論」でも、「大往生」でも、「論語」でも、「エセー」でも、「徒然草」でもなんでもいい
長く広く読まれている「人生の教え」的な本を読んでると
最後にはだいたい前の8つくらいに収まる
(代わりにどっかの社長の話を聞いてもいいし、テレビで美輪明宏さんの話を聞いてもいい)。
昔の人は偉いなあと思う。
そういう感じの本はいろいろ読んだ気がする。
もちろん、まだまだ読み足りない。
なにせぼくはまだ今年から活字に触れはじめたばっかりだ。
きっと死ぬまで読んでも読み足りないのだけど
個人的には、ぼくの考えを
そういう本が「間違っている」と指摘してくれることを期待して
今のところ、ぼくの考えを「否定してくれる」本は見つからない。
いや、正確に言うと、否定してくれはするけども
それが納得できないのだ。
ぼくの読解能力がないだけならそれでいいんだけど
もしヒマならちょっとぼくの考えを聞いてほしい。
まず1つめのウソ。
ぼくが言いたいのは
すべての人間がこれらの方法を実行するのは不可能だということだ。
古今東西のえらい人がみんな同じ結論にたどりつくなら
さっさとそれを実行すればいいのに
なんで同じ内容の本ばっかり書かれていくんだろう。
それが人間全体に広くみられる普遍的な問題だからじゃないかなあと思うけど
じゃあ、なんでその普遍的な問題が
大昔から今まで解決されないままなんだろう。
般若心経の新訳を読んだ。
ぼくらはなんで2000年も前の真理がいまだに実行できないの?
そりゃあれじゃないの?
大笑いしながら観ていた。
その中の一作で寅さんの「おいちゃん」が
実は若い頃は文学をやりたいと思っていたと話すシーンがある。
おいちゃんは父親にこう言われたらしい。
「団子屋に文学なんか必要ない」
団子屋が文字を読む必要がないなら、
本なんてまったく読まない人がいてもおかしくないんじゃないだろうか。
これは団子屋だけの問題か?
かなり多く存在してるんじゃないのか?
それでなんの不自由もなく生きていけたなら
感覚だけで生きていくことを恥じることもない。
それどころか、論理的なことをバカにさえするかもしれない。
難しいことはわからない。
バック・トゥ・ザ・フューチャーを何十回も観てるのに
なにがどうなっているのかいまだに理解できてない。
でもそれがどうした?
バック・トゥ・ザ・フューチャーの理屈がわからなくてもなんの不自由もない。
熱心な仏教徒や
わかりにくいな…。
その最初の救いを信じていたら
いつのまにか犯罪者の仲間入りをしていたことだってあるみたいだ
(オウム真理教の元信者のそういうエピソードを読んだことがある)。
「念仏を唱えれば救われる」って
そそのかされただけじゃないのか?
バック・トゥ・ザ・フューチャーがわからないお父ちゃん。
念仏を唱えるだけの百姓。
そういう人たちがいるかもしれないと思ったことは?
つまり、ぼくが言いたいのは
読めない人がいるかもしれないということだ。
読んだ人に待ち受けているのは
でも、読んでない人はどうすりゃいい?
で、その論理を理解できなかったら?ほったらかし?
そりゃあもう素晴らしいことになるとおもう。
でも、現実はそうじゃない。
何を語っていないかをもっとよく考えたほうがいい。
この人生訓がなぜいいのかということを
絶望的なまでに理解できない人がいる。
そういう人たちは人生訓が提示されるたびに足場が少なくなっていく。
要するに勉強ができない、感覚で生きている人たちをないがしろにしているのだ。
このたぐいの人生訓すべてが。
掛け算までしかわからない子どもに、方程式の素晴らしさを説いているようなもんだ。
上から目線で「こうしたらいいのに」と言ってしまってることになる。
いつまでも掛け算のところでつまづいて
文句ばっかり言ってる子どもはほったらかして先に授業を進めるべきなの?
掛け算のところに戻って教えなおしたほうがいいんじゃないの?
やっと言いたいことの一つが終わった。
冗長になりそうだけど
もうひとつ言いたいことがある。
更に絶望的な想定だ。
さて、こんな文句をどこかで見たことがあるだろうか。
(まちがってたら言ってください)。
なんかさぁ…
内容自体はそんなに変わらないのに
急にうっとうしくなった気がしない?
どこかで見たことあるなあ…
これどこで見たんやろう…
ああ、そうか
「これ、うちの経営理念やわ」っていう人いる?
その時どんな気分がした?
殺したくなった?
泣きたくなった?
正義づらした誰かに強制されるのだ。
それが「楽に生きる」とは真逆の事態を連れてくる。
この想定のたちの悪いところは
その大義名分が「間違ってない」というところだ。
誤解なら間違ってると指摘することはできるけど
ほぼ正しいと思う。楽に生きるためならね。
え?
間違ってないなら実行できない人が無能で怠惰なんだから仕方ないって?
wikipediaによると2009年の時点で日本のニート総数63万人
彼らがみんな死んでしまえばいいと思うの?
賢くて強い人だけ生き残ればいいと思ってるの?
ニートだけじゃない。実際働いている人でも
(実際これだけの説教レパートリーがあれば人格を破壊するには充分すぎるとおもう)。
(統計を出すつもりはないけど)。
1つめのウソで言及しているような
感覚で生きていて、なおかつこういう人生訓に苦しめられている代表選手は
2つめのウソで言及しているような
こういう人たちはまとめて死ぬべきなのか?
損する人のほうが多くないか?
そう考えたら、「人生を楽に生きる8つの方法」が最後の答えだと思えない。
この考え方を否定してもらいたくてそういう本を読んでいた。
でも納得できない。
これでは救いにならない。
でもいつまでも状況に進展がない。
だれか否定してくれよ。
「おまえ間違ってるよ!」って。
1つめのウソについては別の解決策が見当たらないし探そうともしてないけど
そして、その解決策をこの場で披露することを許していただきたい。
枠組みを作ろうと思う。
ほとんど働かなくてもいいような枠組み。
楽観的な言い方をすると、これは収益を生み出せるかもしれない。
そうして、口やかましい人たちを黙らせる
http://auauai.tumblr.com/post/9080858048
これはブログでも書いてるけど
やりたいことはphaさんのギークハウス構想に似てると思う。
優しくて閉鎖的な空間だ。
個人的にはなるべく一人でいたいんだけどそのためのコストが高い。
そういう人と連帯を組むことはしたくない。
じゃあ、ぼくが怖がらずに近づけるのは
そういう人たちととりあえずお互いを認め合う。
自信を少しずつ取り戻す。
まずはそこからだ。
誰だって生きていていいんだという相互理解をつくることだ。
心底、世の中に絶望していた。
どれも納得できなかった。
共感をもたらしてはくれたけど
やっぱり現実はしんどいままだった。
山の中に草庵でも建てて住もうと本気で思っていた
(いまでもその選択肢を考えてる)。
いくら本を読んでも
現在の恐怖と、わずか数年後の不安を解決してくれるものすらなかった。
でも最近考え方が変わった。
それもやはり本を読んで変わった
(次に挙げるだめ連の本とはまた違う本だ)。
だめ連の本によると
連帯すると分散される(当たり前か)。
家賃10万円の家を10人で借りたら一人1万円だ。そういうことだ。
近隣の人の援助もあったらしい。
それはちょっとできるかどうかわからない。
でもぼくらにはインターネットというツールがある。
レゴ作って2chにスレ立てるだけでプロビルダーになる人がいたり
自分の顔を毎日撮って繋げただけの動画がYoutubeで何万再生もされたり
「ありがとごじゃいます」って歌って動画として公開するだけでテレビに出演できたり
要するに「好き」とか「やってみた」とかの
ということは
そういうしょーもないアイディアが収益化する可能性があるのだ。
ちょっとでもおもしろそうなことはなんでもやってみりゃいいのだ。
社会不適合者が集まっているということだけでもちょっとおもしろいかもしれない。
誰が許さなくても本当は関係ないんだよね。
心苦しさを飛び越えるほどの、欲求があればぼくらは動ける。
外にある楽しいことに手を出すのは怖いしめんどくさいけど
ネトゲくらいならちょっとやってみようかなーなんて思える。
とりあえずヒマならその家に集まってみて
生きるのに向いてない人がリラックスできる場をつくる。
なんかちょっとやる気出たり、アイディアわいてきたら
そういう人たちの「好き」とか「アイディア」を片手間でネットに発信してみる
(ぼくもいくつかアイディアがある)
奇しくもこの考え方は
楽しいことだけを追い求めて生きていくことが可能かどうか確かめたいのだ。
しかし、生きるのに向いてない人がラクになれる場所
(SNSでの付き合いで世界のツラさを「ごまかす」だけじゃない場所だ)
これができるだけでも意味はあると思う。
もうだから早く家借りよう。
とりあえず、ツイッターかmixiかメールかなんでもいいから連絡をください。
http://twitter.com/yukkun1986/
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=25533767&from=navi
breed0902@gmail.com
(悪いことをまったくやってないってことじゃないけど)。
たすけてくれよ。「私も怖かった」って言ってくれよ。
怖いよねー(*´・ω・`)(´・ω・`*)ネーって慰め合おうよ。
別に住まんでもいいのよ家には
慰めとか遊びとかアイディアの拠点にするねん。
もう疲れた。
もう待てない。
もう泣きたくない。
誰かが泣くのも見たくない。
きみは死ぬな。
それでも生きれるようにしたいのよ。
ぼくもきみも。
これがぼくらの「楽に生きるための一つの方法」じゃないかと思うんだ。
コメントに返事を書く!
なげーよ。
ごめんなさい。短くしようともしてませんでした。
短く的確に書ければいいなと思います。
書いていくだけでその練習になればいいななどと虫のいいことを思ってます。
誰も強制してないし、できない奴を馬鹿にしてもいない。自意識過剰/自分以下を眺めて満足したいだけでは?/「5. 自分がいなくても世界は回る」の「自分」は語り手を選ばないからこそ「楽」につながる
勤め先は20床弱の老人病院(診療所)という場所柄なのだろうか、月に数名の患者様が亡くなられる。
つい先日、出勤したら患者様が亡くなったところだという。90余歳のお婆さん、大往生だった。
最後の研修とばかりに初めてエンジェルケアにご一緒させてもらった。
「もうお茶が飲みたいって言ってくれないんだねぇ」と語りかけ、
その言葉にハッとさせられ、後悔の念がこみ上げてきた。
起きている時はほとんど常に人を呼び、
「お茶が飲みたい・ベッドを上げてくれ・あれを取って・これをこうして…」
そんな要求が絶えない方だった。
寂しいのだろう、とみんな思っていた。自分も。おそらくそうだったのだろう。
呼ばれて飛んで行けばその場で用事を考えたりもされていた。
忙しい時などは「ちょっと待っててくださいね」と言って後回しにしてしまうこともあった。
今考えれば、もっとお願いを聞いてあげられたのではないだろうか?
寂しいのなら、もう少しお話を聞いて差し上げることもできたんじゃないだろうか…?
ご遺体をを拭きながら自分の狭量さに恥ずかしくなってきた。本当に今更な話だった。
他の患者様もいらっしゃるので全てのご要望を叶えて差し上げるのは無理だ。
だけどもう少し患者様の気持ちになって、もう少しの優しさを持っていれば。
そう心がけていれば、もしかしたらこんなに後悔はしなかったのかもしれない。
仕事で接する方だけではなくて、日ごろの人間関係にも同じ反省を。
もう少しの優しさと思いやりを持って身近な誰かの声に耳を傾けるような、思いを推し量れるような、そんな人で在りたいと思った。
式場ででた料理だけは見栄をはって張り込んだらしく、葬式なのにいいのか、と思うほど旨く、
名古屋から来た祖母の親戚はけたたましくうるさい人ばかりで、初めての葬式は妙な葬式だった。
祖父の親戚は祖母と折り合いが悪く呼ばれなかったらしい。
祖母は祖父がおとなしい分というか、勝気でなんでも自分の意見を通してしまう性分だった。
そもそも結婚も、既に婚約者がいたのに、後から医者の祖父に乗り換えたような人だから、
金目当てであまり愛情がなかったんじゃないか、と思っていたから、特に不思議でもなかった。
式本番では、たぶん泣けないだろう、と思っていたけれど、結局泣いてしまった。
祖父が死んで悲しかったわけではない。
いつもふてぶてしい父が、祖母が、別れの段になって、ぼろぼろ泣くからだった。
背中を小さく丸めて、棺の小さな窓を覗き込んで、人前で泣いたりするから。
祖父の死は自分にとって大切な人の死ではなかったけれど、
もしこれがそうだったらどうだろうと、想像したら、もう、駄目だった。
仲の良い友達、可愛がってくれる先輩や、可愛い後輩、片思いのあの人とか、
例えば、目の前でだだ泣きしている父とか。母とか。姉とか。
いつか自分も、大切な人を見送り、あの小窓を除いて涙する日がくるんだろう。
祖父は大往生と言っていい最期だったけど、唐突に理不尽に、それが訪れることだってあるだろう。
自分だって例外ではなく、いつかわからないいつか、覚悟する暇もなく死は打ちのめすだろう。
そんなにつらいことを、一体何回乗り越えていかなければならないんだろう?自分の番が、くるまで。
そう思うと、泣けて泣けてたまらなかった。
今見送られている祖父ではなく、祖父を見送る父や祖母を、いつか大切なだれかを見送る自分に重ねたのだった。
なんつー自己中。でも俺は生きている人の悲しみを思って泣いた。
人死にはかなしいことだった。
でもそれは、死んだ人にとってじゃない、
残された人のだったんだ。
そういうことも含めて、残酷なことだった。
―――――――――――――――――――――――――
蛇足
祖父の火葬が終わってお骨拾いをしたら、膝に入っていたという金属のボルトが丸々形を残していた。
前線にいたときに怪我をして、帰国してから入れたものだということを初めて聞いた。
当たり前のことだが、戦争に行って、辛い目にだってあっただろう。捕虜にもなっていたんだし。
帰国してからは楽しかったことだけ話したかったんだろう。
その後の思い出話で、自分が生まれた時の祖父の話も聞いた。
祖父は生まれたての自分を抱っこすると、相好を崩してなかなか離そうとしなかったのだそうだ。
考えてみれば、子ども嫌いの人が小児科医になったりするはずもない。
口うるさかった祖母は祖父が死んでからすっかり意気消沈してしまい、家に籠りがちになってしまった。
60年連れ添った夫婦なのに、自分はなぜ祖母は祖父が死んでも平気だなどと考えていたのだろう。
夫婦の老後のためにと折角ため込んだ金の使い道がないらしく、会う度に小遣いをくれすぎるので困っている。
思えば節約や資産運用には熱心だったが、あまり消費欲のない人なのだった。
自分はというと、よく知りもしない人のことを決めつけるのはやめておこうと二十歳を過ぎてようやく決めたところだ。
そしてここでの勝ち組は「生きてDNAを後代に伝えることができたヒト」と定義する。
つまり、「子供は生まれたけどそのあと借金苦で自殺」は勝ち組に含める。
また、「子供は生まれなかったけど高学歴イケメンで、オタ趣味に投じて大往生(孤独死)」は負け組に含まれる。
当然、子なしで腹上死した男が、勝ち組になるかどうかは事後決定である。
こうすると、少なくとも我々は皆「勝ち組からの子孫」ということになる。
戦争を生き抜いて子供を作ったじいさん、今は家なしでも元妻に子供を託した父さん、みんな勝ち組。
だけど、勝ち組の子孫は勝ち組であるわけではないので、当然一代ごとに勝ち組負け組、両方の可能性が存在する。
僕たちは今、神によってその選別作業を受けているのだ。
そして、その神の采配、すなわち運命、天啓によって、好むと好まざるとに関わらず、勝ち組と負け組に分けられる。
僕たちがどうこうできる問題じゃないんだ。
だから、もっと自由を、求めたい。
これさ、こうやって増田が冷静にエントリ書いたり周りの大人達が心配してられるのは、増田のひいおばあ様が大往生だったからだと思うよ。
私が始めて葬式に出たのは8歳の時で10歳の従兄が亡くなった時だった。
一緒に遊んでくれた従兄が亡くなった事も、「同世代の人が亡くなる」って事にそんな歳で遭遇してしまったのも本当にショックだった。
でも私なんかよりずっとショックだったのはたった10歳の子を亡くしてしまった大人達で、親戚中悲しみすぎて親戚の連帯感みたいなの全然機能してなかった。
私はご遺体と対面させられたし、触れてほしいと言われ顔を触ったし、もちろんお骨拾いもさせられた。
「させられた」って書いてるのは正直な気持ち当時はやりたくなかったから。
従兄が死んだショックもあるし、「死体」を見るのも触るのも怖かった。
でも伯母も伯父も「仲良くしてくれた●●ちゃん(私)とお別れの挨拶をさせてあげたい」っていう純粋な気持ちでしてほしいと言っていて、それは悲しさが強かったからだと思う。
要は悲しみ>>>小さい子への配慮だったってわけ。
もちろん当分トラウマになった。
棺の中で花に囲まれた従兄の顔とか、火葬場に入れられた時従兄の名前を泣き叫ぶ伯母と祖母の声は今でも思い出せるよ。
比べるのもおかしいけど、増田の従姪ちゃんは大人が配慮してくれてるだけまだ良かったんじゃないかなあ。
(こんな書き方しか出来なくてスマミマセン。増田のひいおばあ様の死を軽んじてるつもりはないです)
明日という約束は守れなかったけど、まだ動いているよ。
時間が流れるのが遅いのが困りものだ。
早く何もかもが流れて行ってくれればいいと思う。
なにかと音が耳について大変だけど(父がテレビで見ていた踊る大走査線の音がとても自分を不安定にさせてました)
みみせんってすばらしい。
お薬のみわすれてた。のまなきゃ…
http://anond.hatelabo.jp/20090709000508
いい夢は見ないほうがいい。
このまえ宝くじが当たる夢を見た。
夢の中で、「仕事をこれで休める」「少しだけのんびりした時間をすごせる」
って喜んでた自分と、起きて現実に引き戻されたときのギャップ。
あの絶望感はなんともいえない。
http://anond.hatelabo.jp/20090709014937
医者は言わないけれども鬱か。それは困ったなあ。
甘いものはなんというか、唯一味がわかるというか、ほかの味に対して意識が薄いんです。
目標はない。家を買おうかと思ったりしたこともある。
でも、なんか、生きることに対する意識が希薄だから、家とかどうでもいい気がしてきた。
やりたかったことはね、いつか自分の本を出すことだった。自分にとっては子供の代わりなのかも。
でも、もうどうでもいいなあ。
誰にも覚えてもらわなくてもいい。
はやく終わりが来ればいいと思うよ。
http://anond.hatelabo.jp/20090709020934
家族はNG。恋人とは今日、付き合っていくのは無理だと悟った。
まあ、彼女は悪くない。別れてくれって切り出したのはこっちだし。
頭がおかしくなってしまったみたいだけれど、どうにかして一人で生きるよ。
親が大往生するまで、どうにか笑顔で這いつくばっていれば親孝行だと思うし。
これって治るのですかね。
薬を飲むとボーっとしてなんも感じなくなるけれど、
笑顔も作れるけれど、とてもしんどい。
階段を下りているとふっと力が抜けそうになる。
みんな、どうして立っていられるのかが、不思議でならない。
親が生きている間は生きて行こうとおもうんですが・・・
死んだら僕死ぬしかないんで・・・。
ヤバイ兆候です。どうかしています。
本当にどうかしてる。
病医に通って専門施設にも通っているので正真正銘どうかしている。
自分じゃぁありません。
ちょっと社会復帰っとおもって面倒みているやつです。
春だからでしょうか?また、なんか言っていることがおかしくなりだしています。
お腹がすいたかと聞けば、将来乞食になっても大丈夫なように…とか、
寒くないかと聞けば、将来乞食になっても大丈夫なように…とか、
本当意味がわかりません。
どうかしてるんじゃねぇのかと。
いや、どうかしてるんですけど。
去年うちに来たときは手首とかの生傷が絶えず、そういうのはなくなったのだけど・・・。
なんだろうね、これ?
素人の手に負えるわけはないのですが、なんか危うさを孕んできました。
こういうのは波があるね。
日本人の自殺者件数はここ10年3万人以上をキープしています。
いったいこの国はどうなってるんだろう?
せめて目の前にいるやつぐらいはなんとかしたいもんだが、絶望が覆う闇にはあまり触れないほうがいい気もする。
そんな考え方次第でどうにでもなることで悩まれたら、どうにもならんわ。
なんだろうねコレ。
おい、死にたいとか思ってるヤツ、どうせ死ぬんだから焦ることないぞー。
どうせなら、どうやったら楽しく死ねるか考えろ。
あ、人様に迷惑はかけるなよ?
泣きながらも笑って惜しんでくれる。そんな大往生をしろ。
失敗して死ぬしかないとか思っているやつ、そんなのくそ大したことねぇって、大丈夫だから、問題ないから。
なんとかなるから!
なんとかならかなったとしても、なんともならねぇことなんてそのままうっちゃっとけばいいんだって。
自分の力じゃなんともならないんだからそこまでの話しだろ。
一人で巨石うごかそうったって無理な話し。
気にしすぎだ。
気のせいだ。
気の迷いだ。
http://news.livedoor.com/article/detail/4082792/
Xbox 360で人気を博していたシューティングゲーム『怒首領蜂 大往生 ブラックレーベル EXTRA』。発売後に不具合があることが発覚し、多くのユーザーからクレームが殺到。その後、データを修正したものをアップデートして解決することがメーカーより発表されたが、なんと今後の増産、つまり出荷が中止されることになった。 発売前のゲームが開発中止になることは今までも多々あったが、すでに発売されたゲームが突然出荷中止になるパターンは数少ない。前例としては、ファミコンソフト『戦いの挽歌』(カプコン)が発売直後に重大なバグが見つかり、ソフトを回収するという事態があった。今回の件は発売直後にバグが見つかり、修正データのアップロードをすることを予告してから出荷中止まで、かなりの日数が経っており、かなりの異例といえる。 このことについて、発売元メーカーは以下のようなコメントを『怒首領蜂 大往生 ブラックレーベル EXTRA』の公式サイトに掲載している。 「弊社から発売させて頂いております『怒首領蜂 大往生 ブラックレーベル EXTRA』ですが、諸般の事情により今後の出荷を中止することに致しました。尚、本作に対するアップデートの詳細に関しましても今後ご案内させて頂きたいと思います。今しばらくお待ち下さい」。 これから買おうと思っていたファンにとってはちょっと残念だが、不具合が修正されるのは嬉しいことだ。修正された『怒首領蜂 大往生 ブラックレーベル EXTRA』ができるだけ早く発売されるのを期待しつつ待とう。
何がきついかというと、こういうニュースとして取り上げられる事がきつい。ただでさえ良いイメージの無いXbox360だけに、こういうニュースが注目されてますます負のスパイラルに陥っていくんじゃないかと思うとやるせない。
祖母のお骨を骨壺に収める際、何を思ったが従姉(お袋の姉の娘)が娘(小学一年生・俺からみれば「従姪」)をその場に立ち会わせたのだ。
俺と両親は「やめておいた方がいい」と事前に何度も告げたのだが、従姉夫婦はいっこうに聞き入れず、これから何が始まるのかもよく分かっていないであろう我が娘に「大丈夫だよね?」と尋ね、娘もそれに頷くばかりで結局押し切られてしまった。
何せ直前まで高温に晒されていた物体である。お骨のみならずそれを乗せている台もかろうじて触れられる程度に熱を持っており、それほど広くない締め切った部屋には独特の熱気が充満している。そして部屋の中央には紛れもない本物の人骨。いくらなんでも小学一年生の女の子にはキツいシチュエーションだろうに。
案の定、従姪はお骨を壺に収める事なく体調を崩し退室した。顔は真っ青で今にも吐きそうな気配。従姉(従姪の母親)と伯母夫婦(従姪の祖父母・お袋の姉夫婦)はオロオロするばかり。「だから言わんこっちゃない」とお袋は伯母を睨みつつ、従姪の背中をさすりながら俺に「すぐに駐車場に行って、クルマに置いてるあんたの任天堂DS持ってきて」と指示。
「こういう時は違う事をさせて気を紛らわせるのが良い」というのがお袋の経験らしい。最初は拒んでいた従姪だったが、火葬場を引き上げる時はゲームに熱中していたようだった。「後で返させるから、しばらく貸しといてやっといてよ」というお袋の要請を俺も受諾した。
それから2ヶ月ほどが経過した。伯母から電話があった。「あれから孫(従姪)がトラウマになったみたいで…」こぼしていたのを、お袋がたっぷりと説教したらしい。漫画やアニメのデフォルメされた骸骨や幽霊の類にも極度におびえるようになったそうだ。テレビで唐突に葬式のシーンが流れるだけで嘔吐する時もあるそうだ。貸したDSはまだ戻ってきていない。
なんだかトラバもブクマ米も「この程度で何言ってるんだ」的な物ばかりで驚いた。みんな、お骨を拾って何ヶ月も悪夢にさいなまれたり発作的に嘔吐したりしながら成長していったのか・・・。19歳になるまで身近な人間の不幸に遭遇しなかった俺にはちょっと想像しづらい経験だ。
続柄の使い方が間違ってるっぽいんで修正したよ。
http://b.hatena.ne.jp/entrylistで
javascript:alert(document.getElementsByTagName("strong").length)
とかやると25とかなわけ。半分はブックマーク数が5から10の間なわけ。そんなもん。
はてなダイアリーとかもそんなもん。
これが、みんな大好きITmdiaだと31とかなわけ。
GIGAZINEは35、IDEA*IDEAは39とかになるわけ。
じゃあ、われらがはてな匿名ダイアリーは?というと43とかいうわけ。
馬鹿なの?死ぬの?
[追記]
アホだ。アホすぎる。
2008年に発売された2DSTGを覚えている範囲で並べつつ、個人的な雑感を書き連ねてみる。
いろんな意味でわりと普通なゲームだと思うんだけど、DCに360にPS2に、細く長くで地味なヒット作なのかもね、これ。
撃ちまくり壊しまくりの爽快感と隠しボーナスの稼ぎが魅力のハドソンSTGの、そのうちキャラバンモードの面白さをピンポイントに抽出したゲーム。普通に面白いのだけど、2分モードと5分モードの前半が共通なのがちょっと残念だった。短時間かつ通しでプレイしないこと前提で、色んなバリエーションのステージを用意するのも大いにアリだと思った。
10年越しのアーケードゲームの移植。隙の無い内容でシューターを満足させ、「シューティングゲームといえばXbox360」という文句の先鞭を打つ。
個人的には『JET』の通常機体を強くした調整バージョンが欲しかった。
ラジルギとカラスは概ね面白いので、360を持ってない方でシューターの流行に乗りたい方は是非買いましょう。
カオスフィールド?なんですか、それ?
全シューティングゲーム指折りの完成度を持つ作品が現行機に移植されたことでシューターを大いに喜ばせたが、個人的には、だったらお前らアーケード版に金突っ込めよという突っ込みを禁じえない。銀銃と違ってアーケード前提の作品なんだからさ。3面ボス発狂後の回転方向が異なるため一部のプレイヤーを失望させたらしいが、それは些末なことなのでXbox360を持ってる方は是非プレイしてください。そして、悔いの無いようにやり遂げなさい。
とりあえず急ごしらえで完成させたらしい。本当は同時期にはYGWゲーが出るはずだったのにね。年々膨大化していく弾幕に対して、「避ける」ではなく、「押し返す」という対処方法を提唱。時間不足による調整不足か、謎のボムアイテムでボムフルストックバグでボム祭り、得点システムのおかげで初回集計がカンスト祭りに。ついでに真ボス]-[|/34<#!に対して安置発覚で「それ無くね?」と悲嘆の声が各所であがる。
0.5単位でのバージョンアップは『虫姫さま ふたり』以来。ボム祭りはオートボム採用で別の意味でのボム祭りに、得点システムは得点の桁をギガウイング並に増やすことで対処、安置はもちろん削除、さらにストロングスタイルという「持ってけ!1周クリア」な自機を用意するなど、初心者には遊びやすく上級者もやり応えのある万人向けのゲームとなり「正に恐悦至極」と歓喜の声があがりましたとさ。めでたしめでたし。
一方で「2周エンドな上にどいつもこいつも5面まで行くからインカム全然入らないだろうがよォ!」と悲鳴を上げたゲーセンもいるとか。(いないとか。)
相変わらずのマイルストーンクオリティフォーフォルドカウンターでよく電波に汚染された訓練されたシューター以外をドン引きさせる。でも本当にこのゲームにとどめを刺したのはミスったときの「アッー!」だと思うんだ。まさに一見殺し。
家庭用はわりと早く11月にWiiで発売。家庭用向きなゲームだと思うんでお年玉で買って是非やりこみましょう。
外注といえど、一見わけのわからないシステムと操作系は相変わらずのグレフ節。『旋光の輪舞』のツィーランを主人公に据えたようなキャラ面はあまり話題にならなかった。でもベニ子さんは好きだよ!好きだよ!
これは狭義での2DSTGと言えるのだろうか?
固定画面の全方位シューティングで、練りこまれたゲームシステムに、1970年代後半から80年代を思い起こさせるほぼ黒一色なシンプルな背景とベクタースキャンの頃のようないかにも記号的なキャラクターを、極彩色の派手なエフェクトと音響で盛り上げる、いかにも本当の意味でゲームらしいゲーム、といったところ?
よく知らないけど面白いらしい。
インベーダーエクストリームに続く固定画面シューティングの復活。ギャプラスとコズモギャングザビデオを掛け算したような、ナムコの固定画面シューティングの総決算。秀作です。
個人的には『フォゾン』のめちゃ凄い奴を見てみたい。
「モアイがいない!」「火山もない!」「矩形派じゃない!」と懐古厨を地で行くグラディウスオタク達に大顰蹙を買った『グラディウスV』の反動か、過去をリスペクトする企業M2によってただひたすらグラディウスのリスペクトを目指したゲーム。
http://anond.hatelabo.jp/20080906191803
↑こんなエントリもあるけど、操作良しテンポ良し緩急あり稼ぎあり周回あり救済あり復活ありと万人にも遊べる非常に出来のいいSTGなのでWiiを持ってたら是非プレイしましょう。
嘘ですごめんなさい。
『グラディウスリバース』に次ぐ過去をリスペクトする企業M2の本領発揮。1980年代当時の開発環境を用いて、当時のシューターが抱いた妄想を20年越しで実現させるという酔狂を仕出かす。
収録されたソフトでカップリングで入ってるAC版FZで最後のシーンが移植されていないという仕様?があるらしく、『グラディウス ポータブル』のグラIIにデストロイゼモーがないことといい、これはM2の「そんなにアーケードの完全移植が欲しかったら基板買え」という意図的なメッセージではなかろうかと心配になる。
ミリオンクラスの大ヒットを記録したんだろう。同人ゲームはよく知らーん。
相変わらず移植版としては隙の無い内容。取り巻きのINHがとても若干しつこく感じ始める。
上級者向けのバージョンアップに味をしめたらしい。個人的には、大往生やFF12みたいに敷居を下げたバージョンアップのほうが好みです。
2008年のシューティングゲーム代表作にして最大の話題作、そして問題作。去年の同人ゲームの癖にしゃしゃり出た某壊雷と同程度に古来のファンは失望し、暴徒化し、disりの嵐に晒された。ただ、本当に2Dシューティングゲームというジャンルを愛してるのなら、ゾルゲール哲氏の決意と「2Dシューティングゲームを商売として成立させる」ことの難しさと本来の姿、現実を重く受け止めるべきだと、個人的には思う。
でもあの最終ボスは無いわー
プレイステーション2で完全移植が困難だったことに加えて5pb.という新鋭が現れたことから、完全移植を売りにしたアリカSTGは方向転換を模索。「ケツイが本当に面白いのは道中なのにィ!」という悪評を跳ね飛ばし、DSで遊べるシューティングとしてなかなかの好評を得る。「おしえて!IKDさん」というチュートリアルの癖に超ニッチかつ内輪向けなモードを収録し、シューター界隈の構造をINH一派と同じぐらい体現した。
KIZUNAモードはシューティング好きなら是非一回プレイしよう。
アーケードで「いつまで経ってもイースター島が追加されない!」と話題になったオトメディウスの移植版。オトメディウスならではの持ち味をほぼ帳消しにしたゴージャスモードを収録。
そんなもん作るよりアーケード版を完成させてください。今でも稼動してるゲーセンが本気でかわいそうに見える。
2008年12月:Xbox360『怒首領蜂大往生 ブラックレーベルEXTRA』発売延期で晩節を汚す。
STGの自機を立体化したカプセルフィギュアシリーズの第二弾「シューティングヒストリカ2」も発売。どいつもこいつもかっこよすぎる機体ばかりですが、個人的には「武者アレスタ」がお好みでした。現在は3も発売予定なようで。
そういえばインベーダーのスピンオフ作品?でシルバーホークやX-LAY(R-GRAY?)が出るというのもありましたね。続編、出ないかな。
バーチャルコンソールとかゲームアーカイブスみたいな再販ものとか、海外限定とか、シューターにとってメジャーなメディアじゃないものは省いた。なんか抜けてたら教えて。
よく見たら新作は「まも呪」だけで、あとは移植とヒット作のネームバリューを借りた続編ばかりなのね。「イルベロ」?だってあれはいつものラジオアレルギーの発作じゃん。今年は新規タイトルを期待しよう。
さておき、今年も一杯シューティングゲームが出たらいいね!
友人の結婚式に呼ばれることも多い年になった。
今年も何度か……、来月にもまた読んで貰える。
友人だからなのかもしれないというところはあるんだけど、
結婚式って、基本的に幸せでニコニコしてて大丈夫な集まりじゃない。
だから俺は好きだよ。呼ばれるの好き。
それ以外に無条件で都合つけて、旧友や親戚なんかと会える場所って
いやな話葬式とかだったりするしね。それこそうちの祖母みたいに96歳で
老衰・大往生みたいなんだと、ある意味ばーちゃんがみんなとあわせてくれたとも思えるけど。
結婚式はそういうのスコーンと忘れて、ただただ幸せが渦巻いている
……無い場合もあるんだろうけどね。
ま、人生に一回なんだから楽しんだほうが前向きじゃない?
こういう風に思ってる友人のために(俺は君の友人ではないがw)
やるんだとでも思ってくれよ。
http://anond.hatelabo.jp/20081106233020
への補稿(生死編)です。あくまでの私が感じる世間の”空気”であり、私の嗜好ではないことに御留意ください。
これまで同様、「世間はそんな空気ではないだろう」というような御指摘があればお願いします。
※なお恋愛編はこちらです。
となりの爺さんが亡くなったので香典をつつんでいる。
5,000円か3,000円で少し悩み中。
大して世話になったわけでもないがこの爺さんとは亡くなる当日珍しく喋ってたので変な気分だ。
脳溢血でぽっくりだったらしい。
予兆もなく逝かれると何かポッカリしたものがあるが年齢を考えれば大往生だろう。
他方。
今、今にも死にそうなやつの面倒を見ているんだけど、ほんとどうしたらいいか悩み中だ。
いまは社会復帰も兼ねてうちのお店で週に数時間お手伝いをしてもらっているんだが先月より今月は症状が悪化してきたかもしれない。
自分には価値がないんだと卑下しネガティブスパイラルに歯止めが効いていない。
ほっておいたら不味いなとビシビシ感じている。
増田には何度か書いた気もするが、これだけだと伝わらないと思うのでもうちょっと踏み込んで状況を説明しておく。
高校時代の後輩で男。30歳かな?
俺からみたらそいつは結構いい大学を出ている。まぁマーチだと書くと学歴君がうるさそうだがそんな感じだ。
ちょうど氷河期世代なので、本人いわくそこしか受からなかったという理由で、数百人の新人SEを雇う会社に入ったそうだ。ここまで言えばはてな民の人だったらいわずもがなの事だとおもうが、例のごとくデスマーチに揉まれ、精神的にも壊れて会社を辞めた。
そいつは、そのあと4年ぐらい海外に引きこもっていた。
かなりの国を回っている。
おもには南米にずっと居たそうで生活費の安いところでずっと引きこもっていたそうだ。
海外で死のうと思っていったそうだ。
うつ病ではないらしいが、一応カウンセリングもうけて薬は飲んでいるらしい。
専門家ではないので病状や病名についての言及は避けるが、こいつの高校時代を知る俺からすれば現在もなんらかの病気以外の何物でもない。
単純作業でもたぶんまだ1/2ぐらいのパフォーマンスぐらいしかでていない。
こちらからみると慎重になりすぎているようだ。
いいかげんにこなすことができていない。
もっと適当でいいよといってもそれができない。
ちょっと何かを頼んでも固まっている。
頭も鈍ってるし、思考も膠着している、猫背だし、体に力が入りすぎている。
それに・・・自傷のあともまだ絶えないようだ。
なんでこいつはこんなにネガティブな発想にとらわれ絶望の淵しか覗こうとしないのだろうか。
生きていても先が見えないんだ。
このまま生きていても希望がないんだ。
主張を要約するとこんな感じ。
反論する気にもならんし、反論するような内容でもないので苦笑いしながら聞き流しているが、聞いてるだけで痛々しい。
絶望に囚われている。
淵は底が見えないから、のぞきこんだら吸い込まれる。
淵があるのは真実だが、それはあくまで側面的だ。
そうじゃない面もある。
足元の淵とは別にお天とさまもあるのだが、顔をあげることができていない。
価値がないのはある意味で真実かもしれないが、だからどうした。
悩んだからといってどうなる?
それが真実だとしたら何かがかわるか?
見方次第でどうとでもなる。
答えは一つなんかじゃない。
よくわからないもんを一生懸命かんがえても答えなんかないんだよ。
それぞれいろんな理由はあるだろうが、いずれどうせ死ぬだから楽しみのひとつでも見つけて楽しみながら死になさいな。
絶望して死ぬなんてつまんねーぞ。
ちょっとつまっとけよ。
やることないんだったら俺のために頑張ってくれればいいじゃない。
無用の用という言葉と、人間万事塞翁ヶ馬という言葉を捧げておく。
意味は各自調べてくれ。
俺はもういかなくちゃ!
ダイアリーにでも書こうかとおもったけど、本人もたまに見ているので増田にかいておく。
(そんなわけで、もし特定できたとしてもそっと心にしまっておいてな!)
じゃ!ちょっとお通夜いってきます。
最近何かと批評界(半径50cm)を騒がせて絶好調の宇野常寛きゅん。
あずまんをdisってまた話題になるの巻。
http://www.sbcr.jp/bisista/mail/art.asp?newsid=3305
あずまんとのラジオ対談で「お前宮台派だろ?」と詰め寄られた多弁だけが取り得の宇野きゅんは
何も言い返せずに「うわーん」と泣きながらその場から逃走したが、自分の家に帰ると勇気100倍!
軽快にタッチタイピングし「俺は宮台派でも東派でもないぜ!」とポジショニングの表明をした文章。
調子に乗ってブルセラやエロゲーから批評界を奪い取ってやるぜと宣言しているんですがこれにあずまんが大激怒!
ちょっとひとこと。
http://www.hirokiazuma.com/archives/000390.html
あずまんの読者は思想で恋愛欲求を解消しようとしているラブゾンビ!との宇野きゅんの的確な指摘に冷や汗たらたらのあずまん。
本心は「そのとおり!エロゲなんてやめてさっさと俺みたいに結婚しろ」なんて思っているのにそんなこと言うと
読者が離れて娘が餓死しちゃうから「俺の読者はそんなんじゃない!俺の読者は正しい!だから本買いつづけてね」と必死にセールス。
しかし哀れあずまん・・・。宇野きゅんのトラップに見事ひっかかってしまっているのでした。
前記の宇野きゅんの文章をよーく見てみましょう。
僕のこの文章にカチンと来たそこのあなたは間違いなくラブゾンビだ。
もしくはそのゾンビどもの歓心を買いたい人だ。
ずぎゃーん!!
何ということでしょう。あずまんは自らがラブゾンビであることを認めてしまいました。痛たたたたた・・・。
ヒットポイント残りわずかのあずまん。ぼろぼろに弱ったところを颯爽と宇野きゅんがトドメを指すのかと思いきや若造らしい爪の甘さで
美味しいところは全部持っていかれてしまいました。ここぞとばかりに傷口に大きな蹴りを入れて絶命せしめたのは山形浩生さんでした。パチパチ。
かくして必死に延命を企てていた90年代ゾンビことあずまんはやっとここで息を引き取ったのでした。めでたしめでたし。
次回予告
師匠の死を耳にして消息不明だったあの男が蘇える!?
次回「若手のホープは俺だ!復活!佐藤心」
ご期待ください。
1月29日 23時45分、自宅。愛してきたものが大往生を遂げた。いやあ、あんたは長生きしたよ、ホント。
もう泣いて泣いて泣いて泣き崩れた。涙も枯れ果てたなんていうけど、まさにその状態。今はカラッポ、何にも無い。
ああ、これが放心状態というものなのか。本当にカラッポで何も無いや。なんとも不思議な気分だ。
この「死」を認識し、分析し、理解し、肯定し、受け入れ、立ち直るのに何日要するだろうか。
と言いつつ、答えが出ないことは分かってる。むしろ今は考えられない。今の自分は自分であって自分でない気がするから。
もうなにもかもが無意味に思えてきた。元々ガチガチのネガティブ思考の持ち主でペシミストだからこういう事があると余計酷い。
俺、この先ちゃんと生きられるかな。なんだか不安になってきたぞ。はあああ、気持ち悪い。
つうか愛するものが死んだのち、それに依存してきた自分は自分の存在に対して懐疑的になるってなんだよ。いみわかんねえ。
いみわかんねえことが実際に起きてるんだからいみわかんねえよな、はは。
あーもうさっきから視界には面影と幻影が映りっぱなし、耳には鳴き声が響いてしゃーない。
舌を出し、瞳孔が拡大し、呼吸が止まったあの死んだ顔を思い出すと吐き気がする。亡骸を見るともうだめ。吐く。
抱きかかえてもコクッて首が垂れるんだぜ、なにせ死んでるからね。その目で見られるととても怖いんだけど、また涙が湧き上がってくるんだ。
呼んでも返事はない。触ったら冷たい。トントンと叩いても反応しない。つうか当たり前だよな、そんなの。死んでるんだもん。
明日は火葬場へ行きます。納骨もする予定です。
幸せだったのかなあ。最後は辛かったよな、注射も打たれたしな。
書きたいことはいっぱいあるんだけど、あんたとここの人たちにウザがられるからやめるよ。とにかくお疲れさん。そしてゴメン。