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はてなキーワード: 定理とは

2024-04-23

  数学教科書を書くときに私が知っている限り5つあります

     定義 原理 公式 定理 証明

   この際、 公式定理区別するのは非常に難しい。 sin加法定理については、定理とも言われているし、公式とも言われている。私の解釈ですが、 定理として発見されたとき定理と言われて

  いたが、存在するのが当たり前になって、他の技術に頻用されるようになったものは、定理ではなく、公式と言っているように思いますセンター試験では、 sin加法定理は、出るから公式から暗記しろ

  と言われるときに、確かに美しいがそんなのは当たり前だから公式だと言われていると思う。 もっと原初的のは、sin cos の定義をして、三平方の定理によって sin^2+cos^2=1は、 定義から

   ただちに演繹されるので、公式だと言われる。

   整数論をひたすら研究すると、 自然数素数はこの世界で別なセットであり、 お互いに関係していない。 だから自然数素数の間に関係を見出すのはないだろうと言われていた。

    しかし、 自然数素数は、整数論世界で、基本的な真理であり、これだけいたるところに出て来るのであれば、何かあるべえではないか?と思われていたところに、普通にありました

  というのが、  a^p-1 ≡ 1 mod p であり、

    俗本では、 素数の現れ方に規則性はなく、 云々と書いているが、 その素数と互いに素な自然数 a であれば、上のような関係存在する。

  なお

     互いに素などと言われるといかにも酷いように思われるが、  p以下の、1からp-1までの自然数は、pと互いに素であるので、 自然数素数と言う一見無関係ものの間には

  このような美しい定理がある。しかし、 小中学生世界では、 この定理は、フェルマー発見時代驚愕されたもので、今の整数論世界ではあって当たり前だから別に美しいとは思われていない。

   初学者は美しいと思うだろうが、ハイレベル者にとってはあって当たり前なので、陳腐化している。

  ABC予想は、デビット=ヤリマッサーが昭和60年に提唱した、これがあるとフェルマー予想だけでなく、似たような未解決問題が一挙に解決するということだったが、フェルマー予想に対しては

  証明をn≦5に限定させるという記載があるだけで、3,4,5の理想的証明はどこにもあがっていない。ABC予想は、一読して、多くの専門的研究のすえにたどり着いた定理であり、

  難解。 フェルマー予想が出来なかった歴史的経緯も誰一人として説明する者はいない。 何がしたいのか?意味が分からない。

    ABC予想を証明しなくても、弱いモーデル予想や、カタラン予想は、個別解決すればいい、しかも、フェルマー予想は既に解決されているので、ABC予想は要らない。それよりも・・・

   フェルマー予想研究するとすると、代数的サイクルとエタールコホモロジーという1つの教科書ができる。その教科書を読んだ方がいいのではないかという感じがする。

  パスカル定理は、ジョンブリリアンコットの定理双対をなして、この定理は色々な技術に出て来るので証明必要最小限となっている。メネラウス定理と比を取ると出来るということになっている。

   初等幾何学を縦にすると現代法令理解できるとは思わないので、法学部で学ぶ現代法令技術は、初等分野の問題構成比較して、もっと別種のものではないかと思う。

    にわかにおそろしくむつかしくなるということを、我々はまだ知る由もなかったのである

    私が興味を持っているのは、 フェルマーの小定理であり、 a^(p-1) ≡ 1 mod p である。  ただしこの場合、a,p は互いに素であるという条件が必要であり、真理関係的卓越性

  までは分からない。

   現代法令は、フランスにおける16世紀の血を流した市民革命以降に、フランスで成立した第一王朝期のフランス法やドイツ法を基礎として、18世紀のマルクス主義革命以降の

  修正資本主義アメリカ検討して、アメリカで成立した自由主義国家の内容となっているところ、法令は、近代生産社会を専門的に研究し、必要概念を創設し、それらを法的確実性

  があるように技術的に構成したものであるところ、これらの概念は、高度であって、なおかつ、その技術構成構造も、驚愕的に高度なものも含まれる複雑な体系となっていることが予想される。

   一方、平成2年から裁判官をしている任介辰哉は、それが理解できないのはヌケサクであり、吉崎佳弥は、ヌケモノであると主張する。 高等学校基本的論理則のドリルを入れているはず

  であるから、そこで習ったものを縦にすれば、自然と分かるはずであるという。 しかし、地区担当員の宮脇が、まなくろB型作業所で、数学1Aの、排他的論理和などを教えることができる、などというが、

   前野町1丁目のB型作業所は、すでに解体されて更地になっており、 センター試験ドリルに付しておいた、メネラウス定理計算が出来るようになっていれば、法律論理は分かるはずである

  というが、メネラウス定理は基づかれる定理であって、パスカル定理のように、適用される定理ではないのであり、さらに、パスカル定理適用される場合にはそれこそに驚天動地の証明構成手段

  ということとなり界隈でも絶賛されるが、フェルマーの小定理場合は、定理自体驚愕されても、これに基づく場合は、単に、必要最小限な技術であって特段に界隈でも最高レベル技術とまでは

  評価されていない。

2024-04-21

  そうですね、関数やなんかも、中学校ときは、 f(x)ってただ書くだけなのを、ψ(x)とかって書いたりね、それからなんか、フェファーマンとかは私の時代はかなりスターで色々出来るという

  ことでしたね。オヤジ物理をしていたんですが、物理はこうなんか、バランス感覚がないと出来ないような感じがして、人文社会の方では白か黒か分かってなくても数学はこうなんか非常に美しい

  ということで、なんか、あこがれみたいなもんですかね、ただ単にそれだけでやろうとしていたような感じはありますね。そういえばそうですね、法学部だと道徳をやるだけなら一つの学部を作るはずがないので

  法学部でやることは難しいんじゃないかと思いますね。常識で考えたら、経済学部が難しいのに法学部簡単ということはありえないですからね。でも私の時代法学部では難しいことは何も教わりません

  でしたね、条文の規定技術的に難しいはずであるし、解釈判例もこうなんか、establishとかね、数学定理みたいに書いているので、え? 数学組み合わせ論で、 claimって書いてあって

   それがestablishされてるっていって言葉だけしか知らないので、claimと定理は何が違うのかとか言っても言葉しか教わっていないので分からないということで

  ロースクールのなんですか、佐伯仁志先生とかなんでもいいんですが検察庁司法がその辺を教えないのは存在しないからだと思いますが、まあどうでもいいんですが、誰も分からいか2ちゃんねる

  法学板にも何も書いてないようなところがあると思いますが、もう忘れたんですがこうなんか2ちゃんねるって、日本私学や歴史学などの書き込みは多いですが、数学とか近代法って運営の方から

   一番糞であると言われていてくだらない書き込みしかないのがばれたんですよね、2ちゃんねるってローマン的でアホなところがありますので、単純に、出来なかったからじゃないかと思います

  

2024-04-20

                         ・・・・・

   組み合わせ論と言うのは、 通常できそうにないことの 適当な 組み合わせが存在するか、 特殊場合では、個数の間の定理とかを考察対象にしたものです。

    だから幾何整数代数とは違います組み合わせ論は、 「一見できそうにないことの組み合わせ」の解を求めるとか、できるかどうかの判定が言われますので

    業界では鳩ノ巣原理を使うとかいうのもありますが、東大入試問題だと、組み合わせ自体ではなくてその前段階の、基礎部分の方の、ただ個数を数え上げるとか、

   CとかPの公式とか言うかなり次元の低いことしかやりませんので、高等数学1Aにも、 数え上げはありますが、あれは、組み合わせ論のつまらない事務作業じみたところだけを

   紹介していて、定理とか、肝心なところは教えておりません。幾何はどうかというと、これも同じで、平成指導要領では、チェバの定理とかのドリルセンター試験とかでも入れているが

   チェバの定理に基づく証明とか、パスカルもっと有名な定理適用になる証明になると誰も演習をやっていないので出来ない。

     数え上げの応用問題東大入試問題に10年前くらいから大量に出るようになって応用問題としては色々あるが、肝心の定理とか魅力的な部分までは試験に出ない。

 カールソンの定理と言うのはこれのノルムの評価ハーディ空間拡張してそこで定義しても同じようなことが成立して、そこにある最大関数がほとんどいたるところでf(x)に概収束することができる

  という定理でこれは簡単証明できます、すぐ証明できます

   宮地昌彦先生はいつもカルデランの交換作用素説明をするときにこれは簡単なことでなどと笑いながら説明するが、簡単ではないし、補完定理やなんかを使いますとと言っているとき

  さらっと言っています簡単ものばかりではありません。ということで何を解説しているかからない。遠くにあるタイルの順序関係を考えてその極大なものの要素を考えてそこにぶら下がっている

  奴をひとまとめにしてこれをツリーと呼ぶことにしましょうというわけです。この1つ1つのリーの分解したもの作用素ノルムが、e^2πiで上から押さえられるという議論しまして

  だよな、1000回出てきて何も教える気ないからなこいつら。

    実際に教えたのは黒羽刑務所で、シャバ警察は何も教えていない。

   (1) 法の規定は法的確実性のものであり、複雑に関係しているが、全ての規定が全部関係しているかどうかは分からないし、孤立しているものも想定しうるが、誰も習っていないか

     その技術構造については分からない  仮に警官が1000回出てきても分かるものではない

   (2)  大体今時誰も知らないのに誰でも知っていると平気で抜かす。

   (3) 警察官が出て来ること自体驚愕であるというが、事実と違う。確かに警官驚愕的なようにみえるが、 定理関係で、発表されたとき驚愕され後日陳腐化する。

       逆に、証明技術の中に出て来る技術永遠の輝きをもつものがある。しかしこれは非常に魅力的なテクニックに該当するので教えられない。

   警察が出て来ることによって以上のもの示唆され参考になったことは一度もない。

2024-04-19

  この尾崎正和さんが書いた答弁書私の言い分と書いている文章に、 コンパニオンはひかるさんではなくセナさんを派遣されてもらっており、お前でいいけん脱げブタと言ったということですが

  言ってないということです。東京簡裁の原ひとみが、尾崎SNSに大量に書いた奴を印刷して簡裁の404号法廷に来いという大量の手紙を送って来たのを理解したのは認めます

   しかし原ひとみが404号法廷に来いと言ったのは確か、富澤がシェアハウス営業終了するR4.2.28ちょっと前で、私がイオンスタイルで買った黒い靴が、209号室の奴に処分されたりで

    色々怒り狂っていたので。結論を出す能力があったらとっくに出してるって言ってんだよ。その技能がないから出来ないっていってんの。R4.2.28当日は、佳代子に追い出されてそのまま

  帰ったじゃん。 そんな技能はありません。フェルマーの最終定理は、定理です。それの証明は、技能ですが、ノートに書いても書けません。そういう技能はありません。それが出来ないなら他の技能

  ありません。 x^n+y^n=z^nはないということだったら、そこに、1,2とか、1,3と順に入れていってやるか、そういう性格帰着させるか、理解できても、背理法、それ以上は分からない。

   それはいいとしても、私は、おまえが、真夜中の運動会をした日はいかに到達したいがその技能がない。大量にひらめいたらそこまで行けるかも知れませんがそれが出来ないからそこに行けない。

  次に平成30年にあったことは完全に闇の中でこれも全然到達できません。だからどんな電気刺激を与えても、当時どんなことがあったか見ることは出来ないと思います。そういう技術がないからです。

   

2024-04-17

   東京大学生活に使えないという理由で糞であるとの評価はしないが、残酷悪人で、何を言っているのか分からないし、遊べないしつまらないし、何が面白いのか

   分からないという理由付けで糞と言う結論を述べさせてもらう。特に法令であるが、法律自体技術的にどのように制定されているかからないし、制定された法律

   どのように解釈されているか全く分からないし、つまらないし、そこの内部に埋め込まれているものにしても、用いている技術にしても、魅力を認める余地はない。

       現代数学であると、複数関係する定理発見し、それらを組み合わせてより高次の定理証明し、次第に、最終的に目的とする定理証明に至るという構造をしているので、

    いわゆる高いところに登るのが好きな子供にとって魅力があるし、それをやって完成したときの感激はひとしおのものがある。これは、東京大学法学部の授業は一般に厳しいものとなる。

   しか・・・ 卒業したときの感激は何にも代えがたいものである、と、昔の学部長が述べていたのと同じである

     ところが一般法科大学院で習う法令技術は、三枝洋一先生が、しまった、ロースクールは止めたんだっけ、と言っているように、法科大学院で習うものは、上記のように、複数定理

  教科書に書き、次第に目的定理構成に至るような構造をしているかどうか分からない上、東京にある工場構造なども、それが哲学的にどのようなものであるか全く教えていないので

   人気を認める余地はない。

   地方創生をしている佐藤美男が、フェルマー定理講義をする場合に、授業展開は次のようになると予想される。

    ① さてみなさん、黒板に、  a^n+b^n=c^n という式があります。これに当てはまる、a,b,cは存在しないという定理があります

   女子生徒甲・・・  だからなんなんですか? そんなの論外だし面白くねえだろ。

     先生   あ?お前何が論外なんだよ。バカか。ただのパズルだろ。そんなことも理解できねえのかよ。確かにさー、行列定理で、 det(AーλI)=0

         とか言われて、行列だよ。論外に決まってるじゃん。行列なんて。なんで論外かって、何言ってるか分からないし。でも上の定理だったら驚愕だし必死で探すだろ。面白いだろ。

         何が論外なんだよ。こっちが論外だと思ってるのは微分方程式とかだろ。種類も多いしあんまりきれいなかたちをしていないし暗記作業だしめんどくせえんだよ。

   男子生徒乙 ・・・  先生さー、数学何かやりたくねーんだよ、こっちはえろいことやりたいんだよ。

     先生 ・・・    そういうのは家でやれよ、こっちは面白問題を紹介してるだけなんだよ、わかんねえのかお前。

    生徒B ・・・  今1個1個、代入してるけど、確かになさそうっす。そういうのを発見した人がいて、証明できた人も歴史上いること自体面白いと思ったっす。でもどうやって証明するのか

          1つも思い浮かばないので、出来るかどうかで言うなら、さっぱりわやです。

  ピコ

       ・・・  どうも、 竹内力です。佐伯は、山から送られてくる、ミネラルに富んだ水が、はるかから、守られてきました。  もうすぐ、佐伯駅です。

2024-04-16

anond:20240416060109

ソースは私の下半身の反応です

これは摂理であり定理であり宇宙実在することの証明なのです

2024-04-15

彼、最近あの最終定理にご執心だけど、これは前から新参なのでよくわからん

   (1)初等的な数学の分野である問題発見してそれを解く作業となるが、現代数学の分野になると、大量の定理発見して証明し、次第に大きな問題を迫っていくような

      1つの教科書を書くことになるような作業をすることになるが、現在裁判所は、そのような真面目で技術的に美しい領域には立ち入りたくないから。

    (2) 警察の末端の職員が、テクニックという言葉に拘るにしてもなんにしても、技術の話をすると、いきおい、受験勉強の話に流れていくことになるが、地方創生時代にあって、

       教養文化的な話をすると、その辺に住んでいるバクサイの労働者が困ることとなるので、文科省司法職員は、へぇはいという応答をするように命令されており、難しい

       話はしないように指示されているから。

    (3) 東大総長藤井輝夫は理工学系の研究者で、東京大学にも多くの理数系のエキスパート存在するが、地方創生経済実利優先主義の世の中にあって、高等学校

       教養部門のような話はできないから。

数学の美

数学者数学に美しさを見出していることは知られている。

多くの数学者は最も美しい証明を見つけることに意欲を持っており、数学芸術の一形態と呼ぶことがよくある。

「なんて美しい定理だろう」「なんてエレガントな証明だろう」と言う。

 

完璧な部屋の形状は、ルネッサンス建築家によって、壁が一定比率を持つ長方形の部屋である定義され、それを「黄金分割」と呼んだ。

建築家今日でも、最も調和のとれた部屋には黄金分割比があると信じている。

この数値は、多くの数学現象構造に現れる (例:フィボナッチ数列の極限)。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、均整のとれた人体と顔の黄金分割を観察した。

西洋文化やその他の文明では、均整のとれた人体の黄金分割比は、上部 (へその上) と下部の間(へその下)にある。

 

モザイクは、固体部分(木、石、ガラスなど)を重なりや隙間なく平らな面に組み立てる芸術形式である

その洗練された形式では、モザイクには認識可能パターンがあり、それが 2 つの異なる方向に繰り返され、中心も境界も優先方向も焦点も特定されない。

モザイク作品のような模様が無限の広がりを感じさせる。

19 世紀には、数学的な観点からタイリングには 17 個の対称性しか存在しないことが証明された。

アルハンブラ宮殿モザイクは、考えられる 17対称性をすべて表していることが発見された。

数学用語では、モザイクタイリングと呼ばれる。

タイリング形成するとは、2 次元平面を幾何学的形状 (多角形または曲線で囲まれた形状) で重なりなく完全に覆うことを意味する。

タイリング画像を変更せずに仮想的に回転または反射できる場合タイリングは対称と呼ばれる。

歴史上最も印象的なモザイクは、中世イスラム世界活躍した芸術家、特にスペインアルハンブラ宮殿の美しく洗練されたモザイク作成した芸術家によって制作された。

アルハンブラ宮殿は、グラナダ旧市街を見下ろす赤土の丘に、13 世紀初頭にムーア人によって建てられた。

ここは、膨大な量の模様、装飾品、書道、石の彫刻など、イスラム教の建築デザインを展示するものである

オランダ人芸術MC エッシャーアルハンブラ宮殿を 2 度訪れ、宮殿と周囲の中庭タイルに見られる華やかな模様をスケッチし、カタログ化した。

エッシャータイリングは必ずしも周期的ではない。

これは、タイルが一定の間隔で表示または発生することを意味する。

何百年にもわたる熟練した建築タイル張り、 (調和する力としての)対称性への深い敬意、(宗教商業のための)幾何学研究知識により、17 の考えられる対称性グループすべてがアルハンブラ宮殿の壁に表現される。

 

自然界の結晶(雪の結晶鉱物宝石など) は、秩序と対称性規則に従って原子的に構築される。

2、3、4、6 回の構造対称性があり、周期的。

非周期的タイリング、つまり周期性のないタイリングは 1960 年代数学的に可能であることが証明されたが、当時は秩序はあっても周期性を持たない固体構造自然界には存在しないと考えられていた。

1982 年、イスラエルテクニオン大学ダン シェクトマン教授は、後に準結晶として知られる自然が作る非周期結晶存在予測した。

準結晶パターンには 5 つのエッジを持つ多角形が必要

このような自然で作られた石は、ロシア山岳地帯最初発見された。

2009年、この発見プリンストン大学教授であるポールスタインハートによって科学的に発表された。

2011 年、シェクトマンはその予測によりノーベル化学賞を受賞した。

 

数学は常に美の起源本質説明できるのか?

そうでないなら、美しさは見る人の目にあるか?

美しさは(文化的地理的歴史依存まで)絶対的用語であると断言できる。 

2024-04-14

   理学部数学科数学価値が置かれるのはほとんどその形而上学の美の継続時間が長いことによる。人文社会科学系における例えば、 英語による詩作

   にも同じような側面が認められるが、美の継続時間が短い。いわゆる 時代を超えて永遠に語り継がれる、というもの歴史学には多いが、最近社会では、

  そういうことも存在しないことが立証された。人文社会科学系にも、数学と同じようなものが認められる可能性はあるが、その数は少ない。

    数学教科書は大体次のような内容になっている。 有意義からそのように定義する。広範に存在する有益ものから、確定させておいていたるところで使う。

  美しい定理証明する。 定理の特徴として発見されたとき驚愕されるが、あまりにも時間が経過していると、その界隈でも、さすがに、それはもう終わったことではないか、ということで、

   真理として残っても、美の範疇から外される。

2024-04-13

数理談話

日時: 2024年4月12日(金) 16:00-17:00

会場: ハイブリッド号室(大学院理科学研究科 大講義室+zoom

演者

斎藤 秀司 氏(東京大学大学院理科学研究科)

講演題目

フェルマーの最終定理

© 2024 東京大学大学院理科学研究科 ビデオアーカイブプロジェクト

  講演題目

    フェルマーの最終定理は、 x^p+y^p=z^pには解がないという定理として確立したもので、不定方程式素数という一見無関係ものの間を統一する定理である

  しかし、不定方程式に対する解の不存在性は、無限降下法の他に、まどろっこしい方法しか知られておらず、初等数学界では、どのようにしたらいいのかが知られていない。クンマーのイデアル理論は、z^p-y^pを因数分解して迫る理論であるしかし、それによっても、全部を解くことは出来なかった。1つの考え方として、国際数学オリンピックの問題作成者、解答作成者たちに解答を求めるという方法もあるが、

  東京大学を含む学会では、そのアプローチを試みた者は誰もいない。そこでこの講義では、高校生向けに、なぜこの問題が解けないのかの様々な理由を紹介することとしたい。

2024-04-12

   人文社会科学系と、自然科学系の違いをどうしても述べると言えば、  人文社会科学場合はおそらく、 ゲーテもいうように、虹でも、15分も経過したら誰も見向きもしないだろうという

  のごとく、美しいものでも、数分を経過したら誰も興味がない。しかし、数学のような形而上学であると、偉大な定理は発表されたとき驚愕されるがその美しさは永遠には続かない。

  ウィキペディアでは、 1970年代に発表された7次元の超球の定理について、「現在では」  誰もに美しいと言わせるものではない、と述べている。しかし、数学定理一般的に、

   その美しさを失って陳腐な真理と化すまでには、30,40年はかかることを説明している。したがって数学でも、 永遠不変の美が存在するとは一般には思われていない。しかし、

  ウィキペディアによっても、証明技術については、永遠不変の美があるように書いている。

    ゲーテが、人間けが不可能なことをなしうるし、不可能を信じる者を神は愛すると書いているが、フェルマーの最終定理は、400年の間、不可能象徴であるとされてきた。定理はもちろん

  予想であり、それを確定できるかは、証明である。その証明不可能であると信じられてきた。しかしここでの形而上学においても、どうしても、永遠不変の美はないように書いている。

   すなわち、ゲーテ解釈すると、 人生有益ものから真を通じて美に至ることであると書いているが、 結論美の永遠性の不可能性についてはまだ誰も論じていない。

 

    

   法的安定性と具体的妥当性は、一見矛盾する概念である。 人間は、一度決めてある規定機械的にその通りにしたくて、事案に関する中身のことは考えたくない。

  しか数学でも、一見矛盾する概念がなぜかつながっていることがある。 有名なものは、 e^πi +1=0という、オイラーの等式である。 虚数単位実数とつながっているというフォーミュラ

  であり、数学界では、絶賛されている。昭和30年代裁判官は、 法的安定性と具体的妥当性という矛盾する概念統一を務めてきて、それをなんとかやった。数学でも、 自然対数

  底を i 乗して、ー1になるわけがない。しかし、そういう、一見矛盾する、いたるところに存在する有益概念同士がつながっていることを示唆する数学公式は大量にある。

   数学という、自然法では、 結論定理関係と、支持証明の手順の手段方法の2つを、法と言うように、 法学部では、人間社会関係の複雑な事項に関する関係と支持証明関係

  を法と言う。

    要するに、法とは、関係であるとともに、技術であって、小学校で習う道徳的垂範事項ではないから、面白いはずであるが、 裁判官である佐藤美男の話を聞いていても、少しもまんこ

  濡れたことがない。  逆に・・・ 国際数学オリンピックのいわゆる超難問では、 天才発見した問題があり、それに対する証明天才である、そういうものがあることを知ったときに、子供心にも

   へえ面白い、と思うのは当然であるが、 法については、判例六法に、文章平板に書いているだけで、何が面白いのかと思ったことは一つもない。

   平成時代において法の、特に弁護士検察に関する、ネタ晴らしをした弁護士検察官がいなかったわけではない。検察官の土屋大気は、何を言ったか。これはテクニックである

  (が存在していない)。延岡検察事務官は、平成27年、ダイマ模型理論で有名な植田一石、志村松本検察事務官は、はいはいここにはありませんからどうぞお引き取りください

   と言われた。また別の職員は、要するに、年寄りだが、で、ここにきた目的は? 悪いから止めたい、と言っていた。

  また、弁護士の方は、 そういうものである、と言っただけでそれ以上のことを言わなかった。このときに、検事土屋は、判例六法については沈黙して、あたいの前に放り出した。その

  判例六法に書いてある体系がどんなものになっているか、それを説明する者は最終的に誰もいなかった。 別の老人は、うれしそうに刑事訴訟法判例を読みながら、司法試験では、

  必要性、緊急性、相当性と書いておけば大体通るから、そうやってあたいに教唆した。その辺を考えると、法律学場合は、専門的、技術的で高度に複雑である可能性がある。

   しかしそれが具体的にどんな構造になっているかと言うと、その説明は1つも聞いたことがない。

    初等数学証明技術は大体次のように分かれると思うが、全部ではない。全てのsolutionまでは分からない。 結局は、フェルマーの小定理を用いている。 方べきの定理や相加平

  相乗平均によっているが、その際の使い方にコツがある。一見無関係定理適用する。しかしその全体を見ても、何の魅力もない。裁判官佐藤美男は、45歳で、司法試験国家試験

    3冠して、たまに私に電話をしてくる。しかし、この者の話を聞いていても、一度としてやる気になったことがないし、話に魅力をもったことはない。

  逆にわたしは黒羽刑務所で実際に体験したため、体験した限りの事は自信をもって言える。ところがそこで実践演習もなかったし、習わなかったことについて、堂々と語ることはできない。

     要するにあたいはここで、偉そうなことを言っているわけではないのである法学部にはなんの実益があるのか、もしくは、何が興味深いか学生が集まるのかというそういう当たり前

  の議論をしているのである面白くなければ学生が集まるはずがないかである。有名な法学入門では、法律は、専門的で技術的なものである、としか書いていない。確かに数学でも、

    現代数学は間違いなく、初等数学に比べて、 専門的であろう。 しかし、技術的かどうかでいうならば、初等数学証明技術であるので、初等数学は専門的ではないが、

  現代数学は専門的である。ある楕円関数有理格子点を通るか通らないかの判定には初等分野では理論がない。従って、複素関数など話が専門的になってくる。

   東大法学部法学者の佐藤美男によれば、法律は作って使うものから数学とは違うと述べる一方で、数学との関係性は何も述べない。 逆に、法は、警察官によって強制される暴力装置

  であり、警察官が出て来ること自体驚愕であるとか、驚愕は半分くらいでいい・・・などといった抽象的なことしか述べない。逆に、数学では、偉大な定理ほとんどの美が驚愕の一要素から出ている

  とか、証明の中には、一見無関係定理から演繹される驚愕的な証明があるなど、「魅力的なネタバラシ」が大量にある。それに比べて、法学者の佐藤美男は、実務法律学における、

   立法技術解釈技術解釈学について、何一つネタ晴らしをしない。このような経緯では、大声をあげて怒鳴られるだけで、誰一人、法律学や数学勉強をしてこなかったのも当然である・・・。    

   ジュピターが神に問うたとき、神は、移ろいやすものだけを美しくしたのだ、と答えた。逆に、数学問題は、ただ存在しているだけで移ろいやすものではない。従って、数学とそれ以外の文科系

  の事柄、 法学とか文学数学は違うように思う。数学定理は、一般に、発見者は、偉大でありなおかつ天才である評価される。しかしそれならば、数学でないもの、例えば、法学において

  特定規定解釈発見したとき、なぜその人は天才とは言われないかというと、よく分からない。学会では、理学部数学のしていることは極めて特殊で毛色が違っており、同じ理学部でも物理学科や

  数理科学科とは違うし、更には、法学部や文学部、経済学部とは違うのではないかと言われている。しかし、その辺りの事は分からない。

   文学部では、朝から晩まで、16世紀のフランス革命の、中世の人々が何回も戦争をして殺し合った結果として、近代市民社会ができたといったような凄惨な話ばかりしている。

  実務法律学には、~による、とか、適用するという言葉がある。平成16年に全国の大学法科大学院が出来てから、実務法律学はそこでするということになった。実務法律学技術はもしかしたら

  その透明なヴィルディングの中で教えているかも知れないが、東京大学でも、そこに入れる人は限られているので、1つも分からない。

   逆に法学部では、法の歴史を習うだけで、法の結論技術は1つも教わらない。法の結論がどのように美しいのかとか、法にはどのような可能性があるのかとか、法の何がいいのかとかそういう興味の

  あることは何も教えない。

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