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はてなキーワード: 市民感情とは

2015-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20150912164306

地元企業なら兎も角、国際企業からね。

撤収も簡単。

行政文句を言いづらい。

市民感情なんてどこ吹く風。

利益優先で取る引き姿勢教科書的行動。

2013-12-26

http://anond.hatelabo.jp/20131226030422

実際に銃弾供与要請した現地の韓国軍責任者が帰国した後、国内でどういう扱いを受けるかを見極めてからいいんじゃないかな。

今は現地の情勢が非常に悪いから向こうの市民感情も同情的だけれど、これが落ち着いた後で政府メディア韓国世論がどう変質するかは未知数だと思う。

2013-02-24

http://anond.hatelabo.jp/20130224014509

死刑を望む市民感情」は大体沈黙しそうだよね。満足っていうかどん引きする方向で。

http://anond.hatelabo.jp/20130223215401

1「再犯防止による治安の維持」

→ 確かに、死刑が執行されれば「再犯率」はゼロだ。だがこれは、「死刑が生んでいる犯罪」をカウント対象としていない。死刑根底に「目的があれば殺人は許容される」という思想がある以上は、死刑が間接的に殺人者を生み、「別の人間による殺人など凶悪犯罪再生産」を生んでいる可能性を明確に否定できない。

→ これに対して「死刑がない場合に増える犯罪をお前はカウントしてないではないか」という反論が想定されるが、過去死刑を廃止した国で、死刑を廃止したことで犯罪が増加したというデータはない。一方「死刑になりたくて無差別殺人をやった」とうそぶく殺人者は多い。たとえば下記。

心身消耗扱いにして無期懲役刑を科すことにすればいんじゃね?

2「コスト

→ 無期懲役囚人を何年も養うためにお金をつかっていられない。死刑にすれば金がかからない、と思っている人は多い。しかし、「死刑 コスト」で検索をかけてみれば分かるが、死刑制度があるせいで社会に多大なコストがかかっているという面もある。「コストが高い」ことを理由の一つとして死刑制度を廃止する国や地方もある。

検索かけたら元の記事では「ニュージャージーでは30年くらい死刑が執行された事がなくて、なのに人手とカネがかかっちゃってるので無駄からやめようぜって話になった」、"テキサス州のように常時年間数十件のペースで執行している州もある。そうした州では、死刑の「コスト」は、大きな議論にはなっていない"って出てきたYO。

日本は確定数こそ二ケタ前後で推移してるけど執行数となると何だか半減したりしてるし無罪主張して30年以上死刑囚用の房に入ってて結局獄死した人とかいるみたいだしまコストからの廃止には一定説得力があるかもネー。

3「無期懲役なんて10年程度で出てくる甘い刑罰。それ以上の極刑を望むのが市民感情

→ これは明確に虚構。無期懲役について調べれば分かるが、日本の「無期懲役」は、海外の「終身刑」とほぼ同じ基準で運用されている。「懲役200年」とか、ばかげた数字を付けないだけで、単に「いつ出られる」とも出られないとも本人には示さず、しかし、いつまでたっても仮釈放が認められない囚人存在する。

これなー、その下の「4 復讐」とも関連するんだけど、普通に懲役200年科せば感情的には解決すると思うのなー。何でそうしないん? 死刑と並行するのは無駄だし基準がぶれるっていう話になるのか?

あと終身刑科されると精神病んで自殺図るようになるとかいう話があるし、ある意味死刑より壮絶で非人道的なような気がする…。それにこれはこれで労働できなくなるわ介護人件費かかるわでどのみちカネはかかりそうよね。

http://anond.hatelabo.jp/20130223215401

1「再犯防止による治安の維持」

2「コスト

3「無期懲役なんて10年程度で出てくる甘い刑罰。それ以上の極刑を望むのが市民感情

4「復讐


提示されたのでいうと、

1:2:3:4=80:1:14:5

くらいじゃないかな。

1確実な再犯防止、これはメリット大きいね死刑になりかねない犯罪犯したクソに社会復帰してほしくない、

なぜなら自分や周囲が危険さらされる確率高まるからな。

2コストなんかどうでもいいよ。誤差だし。

3極刑ならアリだね。死刑と無期の間の終身刑が導入されれば俺はそっちに傾くかもね。脱走リスクと迷うけど。

4復讐は、義的には支持したいけど、現代社会的にはねぇ。



自分が「死刑のある社会理想的で素晴らしい、望まれる社会」だと考えているのか、

それとも「今の日本社会の下では死刑存置はやむを得ない」と考えているだけでその先にある「死刑制度自体が是か非か」について考えることは停止しているのか

どちらかといえば後者だな。

はいえ「やむを得ない」よりは、「廃止よりはあったほうが無難だろ」くらいの感覚だけど。

死刑制度自体が是か非か」については、性善説性悪説かの議論までさかのぼるんじゃないか

そもそも更生は不可能だと思っているから、死刑制度は是なんだからな。

2013-02-23

おれは死刑に賛成する人間が分からない

http://anond.hatelabo.jp/20130223193210を読んでも、この人が死刑に「賛成する理由」はさっぱり分からない。

そんなオレが、死刑賛成派の考える「死刑合理性(あるいは正しさ)」とはどのようなものか?について考えてみた。

1「再犯防止による治安の維持」

→ 確かに、死刑が執行されれば「再犯率」はゼロだ。だがこれは、「死刑が生んでいる犯罪」をカウント対象としていない。死刑根底に「目的があれば殺人は許容される」という思想がある以上は、死刑が間接的に殺人者を生み、「別の人間による殺人など凶悪犯罪再生産」を生んでいる可能性を明確に否定できない。

→ これに対して「死刑がない場合に増える犯罪をお前はカウントしてないではないか」という反論が想定されるが、過去死刑を廃止した国で、死刑を廃止したことで犯罪が増加したというデータはない。一方「死刑になりたくて無差別殺人をやった」とうそぶく殺人者は多い。たとえば下記。

2013.2.21 産経新聞より

金川真大死刑囚

死刑になりたい。生きるのがいやになった」。死刑が執行された金川(かながわ)真大(まさひろ)死刑囚(29)は1審判決前の平成21年6月、水戸拘置支所(水戸市)で産経新聞の取材に応じ、早く死刑に処されたいという心中吐露。「自殺はどんな方法であれ、自分の体に痛みを加える。そんな勇気がなかったので殺人をした」と話し、最後まで反省言葉はなかった。…



2「コスト

→ 無期懲役囚人を何年も養うためにお金をつかっていられない。死刑にすれば金がかからない、と思っている人は多い。しかし、「死刑 コスト」で検索をかけてみれば分かるが、死刑制度があるせいで社会に多大なコストがかかっているという面もある。「コストが高い」ことを理由の一つとして死刑制度を廃止する国や地方もある。

February 23 , 2013 朝日新聞グローブより

ニュージャージー州、「死刑維持はコスト高」で廃止

米国では、死刑復活が認められた1976年以降、今年9月末までに計1228人が処刑された。先進国の中では最も多い数だ。それでも、死刑をめぐる論戦は、司法立法の場で続いている。

その中で、最近新たに浮かび上がってきた論点が「コスト」だ。死刑を維持した方がコストがかかる、というのだ。

米国の50州のうち、死刑があるのは35州。76年以降、2州が廃止した。2007年に廃止したニュージャージー州では、コスト論が決め手の一つになった。…



3「無期懲役なんて10年程度で出てくる甘い刑罰。それ以上の極刑を望むのが市民感情

→ これは明確に虚構。無期懲役について調べれば分かるが、日本の「無期懲役」は、海外の「終身刑」とほぼ同じ基準で運用されている。「懲役200年」とか、ばかげた数字を付けないだけで、単に「いつ出られる」とも出られないとも本人には示さず、しかし、いつまでたっても仮釈放が認められない囚人存在する。

参考:http://www.excite.co.jp/News/bit/00091211882686.html?_p=all

4「復讐

→ これは、唯一「感情的には」理解できる。あくまで「被害者感情的に強い紐帯で結ばれた人間」が抱く感情として、「復讐」は、古今東西を通じての極めて強い人間感情からだ。理性を社会の基盤としてない時代社会の下で「死刑廃止」を主張し実現するのは無理だろう、とは自分でも思う。だが、近代以降の社会において、なお、このような強い「感情」を社会の運営の基盤に置くのは危険過ぎる。「感情」を無視して社会が運営できるとは思わないが、「感情」を理性によって克服しようと努めてきたのが、過去100年の世界歴史であり、現代社会は、そのことを無視して後戻りする状況にはない。

→ もちろん、「日本社会は、現実問題として理性を基盤とした社会ではないから、死刑存置はやむを得ない」という主張には、それなりの説得力がある。だが、それはあくまで「現実論」であり妥協であって、思想として死刑制度に賛成するか否かということとは別のことだ。この点に基づく死刑賛成派は、自分が「死刑のある社会理想的で素晴らしい、望まれる社会」だと考えているのか、それとも「今の日本社会の下では死刑存置やむを得ない」と考えているだけでその先にある「死刑制度自体が是か非か」について考えることは停止しているのか、再度自問すべきではないか


なお、元増田が書いている「国家による殺人」に関することは、サラッと流せる話ではない。国家自国民を殺す権利はあるのか?について、元増田はどの程度、思考を巡らした上で書いているのか?

まず、大前提として「国家」は一つのシステムであり装置だ。

では、犯罪者は「犯罪者」だから殺していいのか? では、「犯罪者か否か」は誰が決めるのか。国家だ。つまり国家にとって死刑制度は「殺したい国民を殺せる」手段だということになる。

元増田は「国家国民が運営してるんだから、いいじゃん」と思っているのだろう。つまり国家国民のためにならないことをするわけないよ」と思っているのだろう。平和な考えで、大変結構だ。しかし残念な思い込みでもあると申し上げておこう。

申し訳ないが、オレは単なる「システム」に、そこまで全幅の信頼はおけない。システムはただの「道具」に過ぎない。それを使う人間によって、善なる結果も悪なる結果も引き起こす。従って、システムは、多少危うい人間がそれを握ってもヒドイ結果は引き起こさないように設計する必要があるのだ。元増田が、いかなる政治思想を支持しているかは知らないが、自分から見て全く反対の政治思想流行し彼らが政権を握ったとき自分が「粛正」される側に回らない自信は本当にあるのか? それとも「常に強者にすり寄る」主義であるか。それでも、コウモリ存在は、いつなんどき「裏切り者」として粛正されるか分からないわけだが。

以上の観点から、オレは「可能な限り近い将来に死刑は廃止すべきだし、そのために、一日も早く日本社会感情よりも理性で運営される社会となるよう、関係者努力すべきだ」と思っている。

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