はてなキーワード: 階級意識とは
まとめとかみてて、「パスポートは訓令式でも良い」と勘違いしている人がいるかと思ったので念のため。
(旅券の記載事項)
第五条 法第六条第一項第二号 の氏名は、戸籍に記載されている氏名(戸籍に記載される前の者にあっては、法律上の氏及び親権者が命名した名)について国字の音訓及び慣用により表音されるところによる。ただし、申請者がその氏名について国字の音訓又は慣用によらない表音を申し出た場合にあっては、公の機関が発行した書類により当該表音が当該申請者により通常使用されているものであることが確認され、かつ、外務大臣又は領事官が特に必要であると認めるときはこの限りではない。
2 前項の氏名はヘボン式ローマ字によって旅券面に表記する。ただし、申請者がその氏名についてヘボン式によらないローマ字表記を希望し、外務大臣又は領事官が、出生証明書等により当該表記が適当であり、かつ、渡航の便宜のため特に必要であると認めるときは、この限りではない。
3 前項の規定に基づき旅券面に記載されるローマ字表記は、外務大臣又は領事官が特に必要と認める場合を除き変更することができない。
2chから話をそらすにしては、ヘボン式>訓令式 がかえってネットユーザーの心情を逆撫でする燃料になると読めなかったからだ。
特に、昭和世代は小学校で訓令式、中学校でヘボン式習ったから、ヘボン式偉いでしょヘヘンって気持ちがあるよね。
それと普段から垂れ流している階級意識に基づく発言がまあなんていうか、やっぱ。
あと今のネトウヨは学がなさ過ぎるんかして、例えば自分だったら訓令式の推奨を日本語ローマ字化だとか漢字表記廃絶とかと結びつけて無理矢理擁護しようとする。
そういう擁護が湧かないように見えるのも、うまく人の気持ちを掴めない人なんだねと思う。
お気づきのとおり、党議拘束が参院カーボンコピー化の最大の原因なのに「党議拘束の問題は法的規制では縛りにくい」という壁があります。
これがある限り連邦国家でもなく、階級意識も少ない我が国では、選挙制度で両院に特色をつけるのは原理的にしんどいです。
「専門別国会」としても「有権者に適切な専門家を選ばせる」ことは担保できませんし、「専門家議員を党利をから離れさせる要因」も
ありません。「専門別」というお題目があるだけ、現行制度より緩和できるとは思いますが。
結局は「有権者の質」と「有権者の顔色をうかがわざるを得ない政党のあり方」が根本的に国会の議論レベルの底上げを阻むと言うことです。
では方法は無いのか?というと、一応政治学ではある程度の答は出ています。
「専門家集団」なり「良識の府」をつくりたいなら、日本の政治制度の大枠下で一番お手軽なのは(それでも要改憲レベルですが・・・)
第二院を「終身議員」にしてしまうことです。別に選出方法は何でも構いませんし、終身でなくても「任期十五年・再選禁止」なんかでも
かまいません。要は
・次の選挙さえ気にしなければ、議員は案外良心や自己の政治信条で動くもの
という特性により「有権者の選択がどうであれ、結局選ばれた選良はいずれ党利党略から離反していく」という機能に期待する制度です。
「民意の反映」よりも「議論すればより正解に近づける」という点を重視した、代議制民主主義本来の思想から提議されている観点です。
こうですかわかりません><
日本に非処女がいなければ日本の性犯罪の発生件数は今よりも悲惨な結果になっていたかもしれない。
女性にも性欲があることから非処女がいない世界というのは考えにくいが、女性が肌を隠さないとならない国を見れば、どんな結果が待っているか少しは想像できるだろう。
良くも悪くも人間は肉体関係というコミュニケーションを続けることで親密になっていく。
そこで多少の性格の不一致があったとしてもコミュニケーションは成立する。そこから結婚に繋がっていく。
一見何の問題点もないように見えるが、問題はコミュニケーションが途絶えた後にあるのだ。
そこで元々、肉体以外の相性があまりよくなかった、どうしても無視できない点がある、など、性格の不一致が表面化し、健全な家庭環境を営むことが困難になってしまう場合がある。
現在の法律は結婚した場合、男性に不利に働くようにできている。
離婚したくてもできない地獄のような日々を過ごす可能性がある。
結婚する前にはもう一度、自分自身とパートナーのことを冷静に考えてほしい。
生まれてくる子供がかわいそうだ。
処女というものについて考えてみると一番に浮かんだのは女性同士の中で特有の階級意識というものだ。
処女という特徴は、ここ数年の無理やり欧米化された性意識のせいでマイノリティになっている。
女性のコミュニティの中でこの処女というステータスがどのように左右するのかは男性の筆者には分からない。
けれどマイノリティであることはマジョリティであることを要求する日本社会の中で辛いものではないのだろうか。
処女であることを苦に思っていない、マイノリティな自分が好き、処女しか武器が無い。
そうならば、言い訳をせずにいることだ。
現在は整形外科や啓蒙的はてなの記事などがこれでもかというほど発達している。
わずかな勇気をもてないというのなら、わずかな勇気を持つためにどうしたらいいのかを考え、そのような記事や本を読めばいい。
もう一度言うが、行動が全てであり、それ以外は怠惰である。
男らしくさわやかで面白い性的魅力のある男性を観察すると処女というものにあまり拘らないように思える。
しかしながら彼らの中にも弱い部分はあり、彼女の過去の性的関係に嫉妬してしまうのも無理はない。
そこでもう一度みつめなおしてもらいたいのは、二人の関係はそこで途切れてしまうような関係だったのだろうか、ということだ。
処女でも非処女でも良い女は良いし、悪い女は悪い。良い女が好きな男もいれば、悪い女を好きな男(ゲテモノ喰い)もいる。
ただ割合の問題、処女厨の傾向、ヤリチンの傾向、行動パターンを分析することによって日本という国の現状(日本に住む人々の問題)はいくらか見えてくる。
誰もが高校に行くべきではあるご時世かもしれないが
逆に言えば、そこさえ変えることができるならみんな自然と大学なんか行かなくなるよ。
高卒で働いた方がオトクだって話になるからね。
でも一部の企業や職種では大学や大学院、あるいはそれ以上の専門知識が必要になるケースがあって、そういう企業が(大学名的な意味ではない)高学歴を採用し続ける限り、横並び意識の強い日本では他の企業も無駄に高学歴を採用しようとするだろうね。
これを変えるには、日本に階級意識を根付かせないといけない気がする。エリート層と庶民層という区別が大衆の心の中ではっきりすれば、高卒で働くこと又は高卒を採用することの心理的な抵抗感は小さくなるだろう。
まぁそういう意味では大学を強制的に潰して大卒者の数を無理やり減らせば、力のない企業は嫌でも高卒を採用せざるを得なくなるから、そこから始めるというのはあるかもしれない。でもそれをやっても本質的に大卒へのニーズが減るわけじゃないから、大卒資格を得るための私学ビジネスが盛り上がって結局元に戻る気がする。
どうかな?
環境を持ち出すのなら、『親の所得水準と学力には関連があると言われていること』、そしてもう一つ『学歴と所得には相関があると言われていること』。これらが曲者になってくると思うなあ。この二つの前提に従うなら、『親の学歴(低)ならば、親の所得(低)』である可能性が高く、かつ『親の学歴(低)であるならば、その収入は低く、子の学力を期待できる可能性もまた低い』ということになる。
さて、低所得層出身者が、将来の自らの所得を高めるためにはより高い学歴を手に入れなければならず、高い学歴を手に入れるためには、なるべく教育の効果が高い高校・大学を選択する必要がある・・・。子供のことを思う親であれば、名前が書けるだけで入れる高校よりかは、コストが余分に掛かるにしても、多少なりとも効果の望める教育を実施してくれそうな高校を選ぶのは非難されるようなことじゃないと思うぜ。それを「身の程知らず」と言って切って捨てるのは、さすがに階級意識がキツすぎるんじゃないかい。こういう発想って、『悪平等』的かな?
低学歴・低所得の親の元に生まれた子供はスタートラインから色々ハンディを背負っているってことは無視すべきではないと思うし、ましてそういう人間が向学心を持つことを否定するような主張は一層バカを増やすだけで、社会全体で見ると損になるのではないかしら。