はてなキーワード: 東亜とは
今日の朝日の「声」欄の一本目に、田丸安正「あの大戦の名称 統一できないか」という投書がある。内容はこうだ。
俳句の例会であの戦争をどう呼ぶか聞いてみた。結構の数出た「大東亜戦争」は敗戦後あまり使われない。「第二次大戦」では日本が関わっていない欧州の戦争も含んでしまう。「日中戦争」では対米英戦争が、「太平洋戦争」では対中戦争が含まれない。「15年戦争」も「昭和戦争」も感覚にあわない。そろそろ呼称の統一をすべきでは…
まったくもってどうしようもない意見だ。"「大東亜戦争」という答えが結構あった"のはそれが本来の統一呼称だったからであり、実態にも即しているからに決まっている。
もちろん「大東亜戦争」をあげた者たちも、あの戦争が大東亜をどうしようという「美しい」目的で行われ、かつそれが何を招いたか、を知った上であげているはずである。そして「あの戦争はすべきではなかった」と思っているはずだ。
「声」欄を引用する。
これまでは、あの戦争の体験者が多く、それぞれが何らかの強いこだわりを持つがために、国民の大多数が賛同できる呼称を求める余地がなかったのではないか。
違うだろう。統一呼称の「大東亜戦争」を否定する「強い拘り」のある者が、大多数を押さえつけてしまったのだ。
終戦後の一時期GHQ(実質、米軍)は原爆被害の報道も禁圧。「大東亜戦争」はその言論弾圧の一環として使用が禁止された。言論の自由を叫び、反米の姿勢の強い左翼・革新人士が米軍のこの言論弾圧の共犯者であることに彼らの不誠実と無知が表れている。
大東亜戦争を「大東亜戦争」と呼ぶことは、その評価とは別だ。他でも書いたが、私は全共闘の学生だった頃、ベ平連の指導者小田実の著作で、大東亜戦争には欧米列強からのアジア解放戦争の一面があったことを教えられた。同時に、この戦争が理念とは裏腹に内外民衆に多大な惨禍をもたらしたとの認識も揺るがない。かかる矛盾した戦争の性格は「大東亜戦争」の名称であってこそ読み取れる。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081004/acd0810040331001-n1.htm
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世界の金融筋が静かに注目してきたのは中国がはじめて海外(と言っても香港だが)で起債した人民元建て国債。
ウォールストリート・ジャーナルの華字版(華爾街日報。21日付け)によれば、発行額60億元に対して、申し込みが殺到し、三倍の人気という。
「この結果は中国が海外での本格的な国債発行により資金調達することに自信を得た」(交通銀行筋)。「将来の展望は明るく、今後ますます香港での起債、資金調達が増えるであろう」(中国財政副部長=李勇の発言)。
「香港ドル建ての債券より人民元建て債券に市場の需要があることが分かったうえ、ドル安の展望をふまえ、人民元切り上げへの予防措置を投資家らがとったとも考えられる」(東亜銀行)
つまり香港ドル vs 人民元の為替展望において、香港ドルは人民元より弱含みであり、そのうえ、今回の人民元建て債券は利率がきわめて好条件(二年もの2・25%,三年物=2・70,五年物=3・30%)であることも買われた理由でもあろう。
それにしても中国人コミュニティは機会便乗主義の投機集団だらけのようだ。
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通巻2749号 (10月23日発行)
厳正な処分とか書いてるが、結局毎日と同じでまた放置。
朝日新聞社?がまた同じような事やってんじゃんないのーw
いや、増殖?www もはや公害
http://www.asahi.com/national/update/0331/TKY200903310332.html
朝日新聞社内のパソコンからインターネットの掲示板に不適切な内容の書き込みがされていたことが分かった。本社は31日、この文章を書いた社員を特定し、事情を聴いたところ、投稿を認めた。
社員は東京本社編集局の校閲センター員(49)で、掲示板サイト「2ちゃんねる」に断続的に投稿していた。部落差別や精神疾患への差別を助長する内容が含まれていた。3月30日夜、外部から指摘があり本社が調査を開始した。
このセンター員は「他の投稿者と応酬するうちにエスカレートしてしまった。悪いことをしました。釈明の余地はありません」と話している。
◆本社「厳正に処分」
朝日新聞社広報部の話 弊社社員が2ちゃんねるの掲示板にきわめて不適切な書き込みをし、多くの皆さまに不快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことをおわびします。事実関係をさらに確認した上で、厳正な処分をいたします。
・「小沢さん」を擁護する書込みが激減
・民主党を擁護する書込みが激減
・日教組を擁護する書込みが激減
・マスゴミ擁護の書込みが激減
・低レベルな論争が減り非常に静かになった(N+,ν速,東亜,極東等)
http://rchina.jp/article/32642.html
242 2009/06/21(日) 21:25:08 ID:zIuLUTKK
噂どころか鹿島建設、清水建設、大林組、大成建設、あと大手一社に中国共産党から打診がありました。
中国共産党に怒り心頭な清水は文字通り塩をまいて追い返し、鹿島はガン無視。
もう一社(まだ社名が確認できていませんがもう一社いるのは確定)中国の設計不備を詳細に指摘。
大成は工事長クラスがタスクフォースを組んで設計図書を確認したみたいだけど、
2ちゃんねる的に書くと「ぼくのかんがえた すごい だむ の せっけいず!」ってやつだと切って捨てました。
287 2009/06/21(日) 21:41:29 ID:zIuLUTKK
依頼を受けたアメリカの設計屋は一社で評価決定をするには責任が大きすぎると判断。
専門学術機関を巻き込んだ「 公開 」研究対象にして、万人の評価を聞くべきだとした。
そうしたら中国共産党は速攻で逃げた。
最初はダムの技術に関してぶっちぎりでトップのアメリカに依頼するもだめで、日本にSOSが来たと
しかし・・・
298 2009/06/21(日) 21:49:27 ID:zIuLUTKK
とりあえず、ひびは入ってる様
善意があろうが悪意があろうが戦争は戦争以上の何かでも、以下の何かでもないと思う。
ボクが考えたいのは、先の戦争の評価ではなく、その戦争を評価する人たちについての話だ。
つまり、大東亜・太平洋戦争が「白人諸国の植民地支配からの解放を目的にした正義の戦争」であるとか
いや違う「資源と征服欲に駆られた、利己的な侵略戦争」に過ぎないとか
そういった議論をする人についての話だ。
あー、ここで、問題を単純化すると、「大戦時の日本は善か悪か」という話になる。
善悪で、歴史語るなよとも思うが、問題にしてるのは、やっぱりそこじゃない。
それ以前。問題は、目的に善意があった、なかったを議論する人のことだ。
目的は善意だったなんてことはない!と反論する人たちは、逆に言うと、目的が善意であれば、
戦争の行為はいくらか正当化される。と考えているのではないか。
悪意があっても功は功。善意があっても罪は罪。
(戦争は、戦争である。お互いの正義がぶつかり合うが、苦しむのは大抵弱者だったりする。
弱者的な観点から言えば、戦争はそれ自体悪である。善意があろうと、なかろうと変わりない。
で、今の時代は弱者の観点が正しいとされる。前は、そうではなかった。)
何が言いたいんだろう。自分でもよく分からなくなってきた。
えっと、結局、そういった悪意か善意かを議論する人たちは、ひどく的外れなことをしてる。
言いたいことは、そういうことだ。
善悪は、結果、ある価値観で線引きするものなのだから、
http://anond.hatelabo.jp/20081101232814
どれだけ厳しい批判が寄せられているだろうかと恐る恐るみてみたら、好意的な反響が多く、胸をなでおろしています。
増田に書く理由としては、ひとつめ、専門外のことに長く関わるつもりがないこと、ふたつめ、連休の出先で手元に一冊の参考書籍もなく、HDDとネット上のソースだけを参考に書いたエントリなど、歴史を専攻したものとして、しかも専門外のものとして、とても胸を張って提示できるものではないこと、みっつめ、それゆえ、ホームに書いたら全て書き換えるほどの修正をせずにはいられないだろうが、その気力も時間もないこと、よっつめ、しかし、あれを「論文」とすることには憤りを覚えたので、せめて学問を知る人にはトンデモはトンデモであると伝えてみたかったこと、いつつめ、増田であれば上記の点をそれほど気にやまずに済むこと、このくらいでしょうか。したがって、私のエントリはいわゆる「ちらしのうら」です(文献表記がみにくいのもわざとです。すみません)。私はさくっと書き逃げする卑怯者です。内容がいかがわしいのも推敲が甘いのも全て私の責任です。でも、もろもろの言い訳によって逃げられるものではないですよね。ああ。
さて、前回のエントリでは、後半にさしかかったときにから睡魔に襲われ、最後は「藁人形叩き」ばかりになってしまいました。ようやく投稿できたと思ったら、字数超過で記事を分割せねばならず、つづきでは田母神氏の論文タイトルを間違えてしまいました。謹んで失礼をお詫びします。いろいろとミスがあろうと手をいれるつもりはなかったのですが、批判する論文タイトルの間違いはいくらなんでもひどいので、訂正します(ついでに「シンガポール華僑粛清事件裁判記録」後編のミスも直します)。これも後出しですが、原文が縦書きの漢数字は、横書きなので適宜英数字にしています。
では、気をとりなおして「藁人形叩き」ばかりをしていたところに補足してみたいと思います。最後に与太話の蛇足ですが雑感を述べてしめます。
しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
(前回と同じく、はてな記法による引用の出所は、田母神俊雄「日本は侵略国家であったのか」2008年http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf)
第2次世界大戦開戦の時点であっても、カナダ、オーストラリア、南アフリカなどが自治領化・独立した例がありますね。フィリピンでも独立を前提とした自治領政府が成立していましたね。
また、どちらかといえば植民地統治体制の比較の話ですが、自治・独立とまではいかないまでも、現地の住民を支配機構に採用していく次のような例もありました。
「1920年代より英国はビルマに赴任するICS〔引用者注:インド高等文官の略称〕に英国人のみならずビルマ人も採用すべく方針を変え、その結果1939年末の段階で、ビルマにおける全高等文官のうちビルマ人は32.8%を占めるに至った」(根本敬「英領期のビルマ人高等文官(ICS/BSC)とタキン党」『東南アジア史学会会報』63、1995年、17ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004924657)
それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。
1940年代において、宗主国が疲弊し、植民地の独立運動が高揚したのは確かなことでしょう。ただし、歴史学の領分は、「もしも」を考えるというより、その過程をつまびらかにして、それぞれの要因や重要性を検討することにあります。
まず、開戦の詔書には「東亜ノ安定」「世界ノ平和」「万邦共栄」「東亜安定」「東亜永遠ノ平和ヲ確立」という表現はありますが、肝心の戦争目的を述べている部分は、あくまで「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切の障礙ヲ砕碎スルノ外ナキナリ」(「御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国及英国ニ対スル宣戦ノ件」1941年12月8日、アジア歴史資料センターレファレンスコードA03022539800。引用部分の漢字は適宜新字体を用いました。センターホームページの検索バーに左記のレファレンスコードを打ち込めば該当資料のページへ飛べますhttp://www.jacar.go.jp/)ということであり、「アジア諸民族の解放」、「植民地の解放」、や「独立」といった文言は一切ないことを指摘しておきます。文面上はまさに自存自衛の戦いをうたっており、解放の約束は明文上ではなされていません(ちなみに、みればわかりますが「八紘一宇」もないです)。では、実際、アジア諸国にどう接し、現地住民はどう対応したのか、前回は文献名をあげただけのものから少し引用しておきます。
「ビルマは1943年8月1日主権を有する独立国家となったが,真の独立を求めるビルマ人にとってそれは,’’偽の独立’’,’’メッキの独立’’にすぎなかった。ビルマ人は,独立が’’空虚’’であることを知っていた。この当時の日本人に対するビルマ人の態度は,「愛していなくても我慢して接吻する」ようなものであった」(大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、360ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf原文の注の番号は引用者が削除しました。以下の引用文でも同じ)。
「日本の『朝日新聞』は、この作戦について、「皇軍航空部隊の空襲は一見、印度民衆の苦難を一層増大せしめるかに見えるが、爆弾の雨の中に、皇軍の印度独立運動に対する無限の慈愛と支援が含蓄されている」と書いていた。まことに「含蓄」の深い論評だったと言うべきであろう」(中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要(東京大学)』151、2007年、190ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf)。
「本稿では不十分ながら、日本の大東亜共栄圏=アジア主義のプロパガンダが、そして、その大枠の中で動いたチャンドラ・ボース等の活動が、インド社会との接点を持てずに、空回りしていたことを明らかにしえたのではないかと思う」(前掲中里論文、195ページ。ボースたちについては、197ページの注6、200ページの注22、202ページの注26、208ページの注80も参照)。
インドネシア、フィリピン、ベトナムの抗日闘争について、詳しくは論文本文を読んでいただきたいのですが、結論としては、
「要するに、東南アジア諸国の反植民地・民族独立運動は、太平洋戦争と日本の侵略によって生じた情勢やその他条件を、主体的、積極的に活用して日本に対応し、戦前に比して飛躍的な成長を遂げた。そして、このことは、戦後における東南アジア諸国の民族独立運動の高揚や民族独立の達成の決定的要因となった。この意味において、太平洋戦争と日本の侵略は、東南アジア諸国の民族独立運動史における一大転換点であったということができよう」(谷川榮彦「太平洋戦争と東南アジア民族独立運動」『法政研究(九州大学)』53(3)、1987年、395ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870原文にあった傍点は除いた)。
以上でつっこみの補足は終わりです。現下の情勢については特に言及しません。
さて、今回のエントリ執筆の目的としては、可能な限り速やかに「論文」が論文になっていないことを示すことでした。大事なのは「内容」とおっしゃるのは結構ですが、学問的に批判可能な形式(もちろん既存の研究にとらわれない革新的な独自形式でも、読者に史料を提示できればかまいません)をとらないものは、「無敵な人」の独自な「歴史観」の告白にすぎないでしょう。それに価値を認めるのは個人の自由ですが、学問や教育の場に持ちこむのはお門違いです。そのような姿勢では、いつまでたっても歴史学における扱いはトンデモのままですよ。もちろん、大学や研究所にいる専門家でなければ歴史の話をしてはいけないということではないです。「昭和史論争」を引き起こしたのは歴史研究者ではありませんでした。しかし、自己の見解を教科書にのるような通説となさりたいのであれば、専門家と同じ舞台に立ち、その批判に応答しなければならないでしょう。「つくる会」はその舞台に立つ気はないと宣言した結果どうなっているでしょうか。今なら学術雑誌に投稿しなくても、インターネット上でいくらでも長文の論文を発表できますよね。
一般に、歴史研究者は、四年生大学で専門的なトレーニングを受け、さらに修士課程二年間、博士課程三年間以上を費やして史料を読み込み論文を紡ぎだしています。それでも、個々の論文の結論で言えることはささやかなことです。また、研究会・学会・書評などの形でお互いに切磋琢磨しています。それぞれが広範な史料に目を通しているからこそ、個々の研究がその時代の歴史像のどこに位置づけられ、どの部分がその時代の特徴をよくとらえられているかを議論できるのです。自分の個別研究が歴史研究の大きな流れのどこに位置づけられるのかをとらえるため、歴史を学ぶ標準的な手順としては、まずは先達がエッセンスを詰め込んだ教科書、概説書を読み、そこから主要な研究文献やレビュー論文、目録等を漁って研究史をたどり、そこで用いられている史料を読み、先人の研究の妥当性を検討したり自己の問題関心を追求していくのです。木簡のように新しい史料が見つかったり、機密文書が公開されたりして史料が増えれば、それがどのように従来の見解に修正を迫り、新たな知見を付け加えるのか議論します。そのような積み重ねのなか、通史は更新され、教科書の記述も変わっていきますが、このことをもって歴史は定まりないものだから最新の研究成果も独自研究も変わりないということは的外れでしょう。それはかえって科学としての歴史学が機能している証拠にほかなりません。
さて、歴史学者全体がイデオロギー的に偏向している、現行の教科書は自虐史観・マルクス主義史観に基づいているという「つくる会」の主張もありますね(それでいて『国民の歴史』のように、専門家の研究から剽窃したりするの会員もいるのは厚顔無恥ですね。参照、尾藤正英『日本文化の歴史』岩波新書、2000年、あとがき)しかし、戦後長く標準的な高校教科書として採用されてきた山川出版社の『詳説世界史』の執筆者には林健太郎(故人への敬称は略します)が含まれていました。日本史にしても伊藤隆氏が編者であった『近代II』を含む、『日本歴史大系』山川出版社、1984-90年、が、受験前に初めて読む通史だった私などには、学会の主流がマルクス主義史観など妄言にしか聞こえません。岩波だから駄目などという意見も見ることがありますが、最新の『岩波講座世界歴史』岩波書店、1997-2000年、では、古代・中世・近世・近代という時代区分はもはや採用されていません。そもそも研究の場では、評価は自分の目で確かめてから下すもので、事前に確定できるものではないのです。
「いずれも〔引用者注:本文でふれられている臼井勝美氏、酒井哲哉氏の研究のこと〕,侵略の時間的連続性〔引用者注:満洲事変から日中戦争へ〕を,陸軍の遠心性,すなわち現地機関の好戦性や暴走に帰さない画期的な研究であった」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、67ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。
「日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する」なんて本質論は、学界ではなされていませんよ。人事面でも、システム設計・運用面でも、上部の問題は大きかったですよね。私みたいなものにも自衛隊に信頼できる友人はいますので、余計に上が軍の失敗を反省するそぶりもみせないのは問題と感じるわけです。
最後に、余計なお節介でしょうが、歴史学入門、史学史についていくつか参考文献をあげておきます。ご興味のある向きは手にとられてみてはいかがでしょうか。
小田中直樹『歴史学ってなんだ?』PHP新書、2004年。(CiNiiの定額許諾を契約している大学関係者は、下敷きとなった論文をDLできるかもしれません。私は今DLできる状況にないので保障はしません)
小田中直樹「言語論的転回と歴史学」『史学雑誌』109(9)、2000年。
http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0002622266
歴史科学協議会編『卒業論文を書く―テーマ設定と史料の扱い方』山川出版社、1997年。
今まで述べてきたような研究の積み重ねに対し、自説の根拠もまともに示さずに自分の意見を広めたいと主張する行為がどういうものか、一度お考えになっていただけたら幸いです。
また見苦しい長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します。
(追記)さすがに人名の誤記は看過できないのでミスを修正しました。
(再追記)引用文の出典が抜けていたのも直しました。すみません。
(再々追記)直ちに答えられるトラバをいただいたので応答します。ホロコーストの研究の進展について次の文献を参照してください。
芝健介「ホロコーストとニュルンベルク裁判」『史論(東京女子大学)』55、2002年。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008575897
田母神俊雄氏の「論文」が問題になっています。原文は↓からDLできます。
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
親切に英訳までしたようです↓。そのおかげか、さっそく海外でも反響を読んでいます↓↓。
http://www.apa.co.jp/book_report/02.html
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7702374.stm
http://www.guardian.co.uk/world/2008/oct/31/japan-secondworldwar
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103101475.html
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103100989.html
http://www.nytimes.com/2008/11/01/world/asia/01tokyo.html?_r=1&ref=world&oref=slogin
http://www.thestandard.com.hk/breaking_news_detail.asp?id=8886&icid=4&d_str=20081031
http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297008.html
http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297257.html
ローズベルト陰謀論が結構とりあげられています。どれだけ「国益」を損ねているのだろう。やれやれと、日本の報道に対するブコメや日記を見てみたら、田母神氏の「論文」の内容に肯定的な人もそれなりにいらっしゃるようです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html
私も別に現代史に詳しいわけではないです(気の向いたときに、中身が増えてきたCiNiiとGoogle Scholar、各研究機関の学術リポジトリを漁ってみる程度)。しかし、その限られた知識から見ても、問題の「論文」はその形を為してすらいないと思いました。そこで、現在パラパラと集めている関連文献の整理をかねて、「論文」原文に逐一つっこみをいれてみようと思い、エントリを書いてみることにしました。はてな記法で引用した部分は、断りのない限り田母神氏の「論文」からです。原文の全角数字は全て半角に直したことをおことわりしておきます。
アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。
駐留を認めることと、「(被害をこうむる方にとっては)侵略(といわれているが田母神氏はそうではないとされる行為)」を認めることは違うでしょう。軍隊に攻めこまれることに了承を与えていたというのは、どのような根拠に基づいているのでしょうか?
「知られていない」ことを明らかにするのが行論の目的ならば、「新事実」(この場合は具体的な条約の内容や運用)を具体的に提示し、典拠となる史料を明らかにするのが論文の作法です。主張の根拠を示すのは、論文のイロハのイです。しかし、残念なことに、この「論文」では全体的に守られていません。関連して、「・・・・・・という人」とありますが、論文で先行研究に言及するときは、注をつけて批判対象を明らかにするルールも守られていません。
この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。
スターリンと毛沢東がそれほど仲が良かったとは知りませんでした。コミンテルンにそれほどの影響力があることも知りませんでした。繰り返しますが、オリジナルな主張には、その土台となる史料の裏づけが必要です(「実は??」と書いているのですから、普通は知らない新しいことなのですよね?)。大事なことなので強調します。「新しいことを主張するためには、根拠を示さなければならない」、これは学問の基本です。
1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争(岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。
ようやく文献をあげられましたが、刊行年と該当ページも明示するのが一般的な論文のルールですよね。それは百歩譲るとしても、示された著者のなかに査読つき学術雑誌に報告された方が一人もいらっしゃらない。これは信憑性をさらに落とすものではないでしょうか。また、人の発言を引くのであれば、それが掲載された媒体を明示するのもきほんのきですよね。
張作霖爆殺をコミンテルンの仕業とする説に対しては、特に『マオ』について、中国現代史研究者から根拠に疑義が出されています。
「関東軍高級参謀河本大作らがこの事件を企画し実行した固い事実を、この程度の「スパイ情報」で覆せるものか」(矢吹晋「書評『マオ―誰も知らなかった毛沢東』」『中国情報源』21世紀中国総研編、蒼蒼社、2006年、225ページ。http://www25.big.jp/~yabuki/2006/mao-rev.pdf)。
盧溝橋事件についても、「計画」説に対する批判的研究が出ているようです。
「日本の一部の論者が唱える「中国共産党計画」説と,中国側の唱える「日本軍計画」説がともに誤りであり,盧溝橋事件が日中双方にとって「偶発」的なものであったとする」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、65ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。
最後に、既にたくさんのつっこみがブコメで入っていますが、みんながやっていることだからといって、行為に対する責任がなくなることはないでしょう。
我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮
半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。
「同じように開発」と主張するには、開発の指標を定め、比較する必要があります。共通の比較の基準が示されていません。データもです。内地、満洲、朝鮮、台湾、他の植民地宗主国本国、その国の植民地それぞれについて、共通の尺度ではからないと比較にならないのではないでしょうか。それをせずに外形が拡大したと言うだけでは、中国の「共産党政権はチベットを・・・・・・」に反論できなくなってしまいます。
「内地化」も定義を明確にして使うべき用語ですね。
また、現実にも、「帝国日本の植民地支配の歴史には,「外地」を法制的・政治的には明白に異域に置きながら、イデオロギー的には「内地化」を標榜するという,理念と現実の「二重性」がその当初からつきまとっていた」(山本有造「植民地統治における「同化主義」の構造」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』83、2000年、70ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48550/1/83_57.pdf)、「「満洲国」の掲げた「五族協和」にしろ「王道楽土」にしろ,関東軍による露骨な軍事支配を隠蔽するイデオロギーという以上の意味を持ちえなくなる」(山室信一「「満洲国」の法と政治―序説」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』68、1991年、150ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48355/1/68_129.pdf)といわれる植民地統治を、「極めて穏健」と評価するにもまた、基準とデータの比較が必要です。
また、人口の増加は支配の善さを担保しません(チベット・・・・・・)。
我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮に京城帝国大学、1928年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931年の大阪帝国大学、9番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1期後輩には金錫源大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽もいる。
前の段落と同様に、「多く」の中身が不明確に過ぎ、検証のしようがありません。また、植民地が宗主国の支配の下で「植民地近代」化したのはその通りだと思います(松本武祝「’’朝鮮における「植民地近代」’’に関する近年の研究動向」『アジア経済』43(9)、2002年、31-45ページ。http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Ajia/pdf/2002_09/note.pdf)。私はこの辺り特に勉強不足です。各国の軍制についても同じくよく知らないので飛ばします。
孫文をはじめ、アジア各地の革命家が日本に集まったことは特に新しい論点ではないでしょう。ファン・ボイ・チャウの失望も有名な話ですね(白石昌也「ファン・ボイ・チャウと日本」『東南アジア史学会会報』25、1975年、1-3ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004923536)。
李王朝の最後の殿下である李垠殿下も陸軍士官学校の29期の卒業生である。李垠殿下は日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀殿下の弟君である溥傑殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。
旧領主の家系の存続という意味であれば、インドの藩王たちも手厚く身分を保証されていましたね。ベトナムのバオ・ダイもフランスのグランゼコールで教育を受けていましたね(英国人とインド人の婚姻には宗教問題がありますし、バオ・ダイ渡仏時のフランスは共和制だから王室はないですし、この段落については適切な比較が可能な問題設定なのか疑問です。個人的にはそもそも宗主国の王室を嫁がせることが恩恵という考え方がどうなんだろうと思います)。
これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。
ロイヤルファミリーの婚姻の件で共和制のアメリカを並べているのは不適切でしょう。既に述べましたがフランスも時代によって共和制です。
エルフィンストーン・カレッジ(1856年設立、現在はムンバイ大に)、カルカッタ大学、マドラス大学(1857年設立)というように、大英帝国は植民地支配の拠点に大学その他の教育機関を設立していますね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Elphinstone_College
http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Calcutta
http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Madras
「五族協和」が実態をともなわなかったことについては、前掲山本論文および山室論文を参照。
人種差別撤廃についてはよい提案をしたということに同意いたします。ただし、繰り返しますが、現実の施策がともなわなかったことについては残念です。
時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11ヵ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党
との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京の日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。
今回は表現からつっこんでみます。「完全に承諾」というように形容詞修飾をするときには、それが表す具体的な内容を補足して、互いの印象の差を埋める努力をすべきというのが、私の受けた指導です。どうしたら「完全に承諾」したことになるのでしょうか。一番肝心な相手に過大な要求をつきつけ、排日運動を燃えあがらせて宥和に失敗したのは外交の失敗であり、恨み言をつぶやいてもごまかすことはできません。
日中戦争については、派兵前の人員の少なさを根拠に「形の上でも侵略にはほど遠い」と主張するのは無理筋にみえます。
(再々追記)また字数超過?で切れたので、つづきへ (さらに追記)補足エントリをTBしました。 (また追記)補遺エントリをTBしました(11/5)。
低学歴にとってこの世は地獄だ。どこへ行こうと、結局優等生は素晴らしかったことと、自分が愚かであったことを証明させられる。
229 名前: エリート街道さん [sage] 投稿日: 2008/02/09(土) 21:16:32 ID:7V2xVG0c
【S】:東大
【B】:筑波 東外 東工 早稲田
【C】:金沢 岡山 熊本 電通 東京芸術 名工 東京理科 立教 同志社
埼玉 新潟 静岡 奈良女 東京海洋 東農 九州工業 横浜市立
230 名前: エリート街道さん [sage] 投稿日: 2008/02/09(土) 21:17:03 ID:7V2xVG0c
【D】:宇都宮 岐阜 徳島 長崎 鹿児島 豊橋技科 神戸外語 法政 南山 関学 北里
和歌山 岩手 山形 山口 長岡技術 富山 香川 愛媛 弘前 都留文化 高崎経済
北海道教育 兵庫教育 成城 成蹊 明学 関西 西南 芝浦工業
【F】:東洋 近畿 北洋 東北学院 広島修道 札幌大谷 札幌学院 札幌国際
千歳科学 天使 道都 函館 藤女子 北星 北海商科 北海道医療 北海道工業
北海道情報 北海道東海 北海道文教 北海道薬科 酪農学園 青森 青森中央
東北女子 八戸 八戸工業 弘前 富士 盛岡 石巻専修 仙台 仙台白百合
東北生活 東北福祉 東北文化 東北薬科 宮城学院女子 秋田看護 秋田経済法科
東北芸術工科 東北公益文化 いわき明星 奥羽 郡山女子 東日本国際 福島学院
筑波学院 つくば国際 磐木 流通経済 足利工業 宇都宮共和 国際医療福祉
作新学院 白鴎 文星芸術 関東学園 群馬社会福祉 群馬パース 上武 創造学園
高崎健康福祉 高崎商科 東京福祉 跡見学園女子 浦和 共栄 埼玉学園 埼玉工業
231 名前: エリート街道さん [sage] 投稿日: 2008/02/09(土) 21:17:39 ID:7V2xVG0c
【F】:十文字学園女子 城西 尚美学園 女子栄養 駿河台 聖学院 西部文理 東京国際
東邦女子 日本工業 日本薬科 人間総合科学 文教 平成国際 武蔵野学院 明海
ものつくり 愛国学園 江戸川 川村学園女子 神田外語 敬愛 国際武道 秀明
城西国際 聖徳 清和 千葉科学 千葉経済 千葉工業 千葉商科 中央学院 帝京平成
東京情報 東京成徳 日本橋学館 了徳寺 和洋女子 上野学園 大妻女子 桜美林
共立女子 恵泉女学院 工学院 駒沢女子 産業能率 白梅学園 白百合女子 杉野服飾
聖泉女子 大正 多摩 多摩美術 デジタルハリウッド 東京家政 東京家政学院 東京経済
東京工科 東京工芸 東京女子館 東京女子 東京聖栄 東京造形 東京電気 東京農業
東京富士 東京未来 東洋学院 日本社会事業 日本女子 日本女子体育 日体大
日本文化大学 文化女子大学 文京学院大学 明星大学 目白 立正 ルーテル学院
LEC東京 和光 神奈川 神奈川工科 鎌倉女子 関東学院 相模女子 松蔭 湘南工科
鶴見 田園調布学園 桐蔭横浜 東洋和英女学院 フェリス女子 横浜商科
敬和学園 長岡 長岡造形 新潟医療福祉 新潟経営 新潟工科 新潟国際情報
新潟産業 新潟青陵 高岡法科 富山国際 金沢学院 金沢工業 金沢星陵 金城
北陸 仁愛 福井工業大 健康科学 帝京科学 山梨英和 諏訪東京理科 清泉女学院
長野 松本 朝日 岐阜医療科学 岐阜経済 岐阜聖徳 岐阜女子 中京学院
232 名前: エリート街道さん [sage] 投稿日: 2008/02/09(土) 21:18:11 ID:7V2xVG0c
【F】:中部学院 東海学院 静岡英和 静岡産業 静岡福祉 静岡文化芸術 静岡理工科
聖隷クリストファ 常葉学園 浜松 浜松学院 富士常葉 愛知 愛知学院 愛知学泉
愛知工科 愛知工業 愛知産業 愛知新城大谷 愛知東邦 愛知文教 愛知みずほ
愛花花園 金城学院 星城 大同工業 中京 中京女子 中部 東海学園 豊橋創造
名古屋外語 名古屋学院 名古屋学芸 名古屋経済 名古屋芸術 名古屋産業
名古屋商科 名古屋女子 名古屋造詣芸術 名古屋文理 日本福祉 人間環境 名城大学
鈴鹿国際 三重中京 四日市 成安造形 聖泉 長浜バイオ びわこ成蹊スポーツ
京都外語 京都学園 京都光華女子 京都嵯峨芸術 京都産業 京都女子 京都精華
京都造形芸術 京都創世 京都橘 京都ノートルダム 京都文教 花園 平安女学院
蒼野 追手門学院 大阪青山 大阪学院 大阪河崎リハビリ 大阪観光 大阪経済大学
大阪経済法科 大阪芸術 大阪工業 大阪国際 大阪産業 大阪樟蔭女子 大阪商業
大阪女学院 大阪成蹊 大阪総合保育 大阪体育 大阪電気通信 大阪人間科学
関西外国語 関西福祉科学 摂南 相愛 太成学院 常盤会学園 梅花女子
羽衣国際 阪南 東大阪 プール学園 桃山学院 芦屋 英知 大手前 関西国際
関西福祉 近畿福祉 近大姫路 甲子園 甲南女子 神戸海星女子 神戸学院
神戸芸術工科 神戸国際 神戸凧川学院 神戸松蔭女子 神戸女学院
233 名前: エリート街道さん [age] 投稿日: 2008/02/09(土) 21:18:43 ID:7V2xVG0c
【F】:神戸女子 神戸親和女子 神戸ファッション 神戸薬科 神戸山手 聖和
園田学園女子 宝塚造形芸術 姫路独協 兵庫 武庫川女子 流通科学 天理
奈良 奈良産業 鳥取環境 岡山学院 岡山商科 岡山理科 環太平洋 吉備国際
倉敷芸術科学 くらしき作陽 山陽学園 就実 中国学園 ノートルダム清心
実作 呉大 比日山 広島経済 広島工業 広島国際 広島国際学院 広島修道
広島女学院 広島文教女子 福山 福山平成 安田女子 宇部フロンティア
東亜 徳山 梅光学院 山口芸術 山口東京理科 山口福祉文化 四国
徳島文理 四国学院 高松 聖カタリナ 松山 松山東雲女子 高知工科
九州栄養福祉 九州共立 九州国際 九州産業 九州情報 九州女子 久留米
久留米工業 西南女学院 聖マリア学院 第一福祉 筑紫女学園 中村学園
西日本工業 福岡大学 福岡経済大学 福岡工業大学 福岡国際大学 福岡女学院大学
西九州 活水女子 長崎ウエスレヤン 長崎外国語 長崎国際 長崎純心
長崎総合科学 九州東海 九州ルーテル学院 熊本学園 熊本保険科学 崇城
229 名前: エリート街道さん [sage] 投稿日: 2008/02/09(土) 21:16:32 ID:7V2xVG0c
【S】:東大
【A】:阪大 一橋
名大 慶應
【B】:筑波 東外 東工 早稲田
【C】:金沢 岡山 熊本 電通 東京芸術 名工 東京理科 立教 同志社
埼玉 新潟 静岡 奈良女 東京海洋 東農 九州工業 横浜市立
230 名前: エリート街道さん [sage] 投稿日: 2008/02/09(土) 21:17:03 ID:7V2xVG0c
【D】:宇都宮 岐阜 徳島 長崎 鹿児島 豊橋技科 神戸外語 法政 南山 関学 北里
和歌山 岩手 山形 山口 長岡技術 富山 香川 愛媛 弘前 都留文化 高崎経済
北海道教育 兵庫教育 成城 成蹊 明学 関西 西南 芝浦工業
【F】:東洋 近畿 北洋 東北学院 広島修道 札幌大谷 札幌学院 札幌国際
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北海道情報 北海道東海 北海道文教 北海道薬科 酪農学園 青森 青森中央
東北女子 八戸 八戸工業 弘前 富士 盛岡 石巻専修 仙台 仙台白百合
東北生活 東北福祉 東北文化 東北薬科 宮城学院女子 秋田看護 秋田経済法科
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筑波学院 つくば国際 磐木 流通経済 足利工業 宇都宮共和 国際医療福祉
作新学院 白鴎 文星芸術 関東学園 群馬社会福祉 群馬パース 上武 創造学園
高崎健康福祉 高崎商科 東京福祉 跡見学園女子 浦和 共栄 埼玉学園 埼玉工業
231 名前: エリート街道さん [sage] 投稿日: 2008/02/09(土) 21:17:39 ID:7V2xVG0c
【F】:十文字学園女子 城西 尚美学園 女子栄養 駿河台 聖学院 西部文理 東京国際
東邦女子 日本工業 日本薬科 人間総合科学 文教 平成国際 武蔵野学院 明海
ものつくり 愛国学園 江戸川 川村学園女子 神田外語 敬愛 国際武道 秀明
城西国際 聖徳 清和 千葉科学 千葉経済 千葉工業 千葉商科 中央学院 帝京平成
東京情報 東京成徳 日本橋学館 了徳寺 和洋女子 上野学園 大妻女子 桜美林
共立女子 恵泉女学院 工学院 駒沢女子 産業能率 白梅学園 白百合女子 杉野服飾
聖泉女子 大正 多摩 多摩美術 デジタルハリウッド 東京家政 東京家政学院 東京経済
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東京富士 東京未来 東洋学院 日本社会事業 日本女子 日本女子体育 日体大
日本文化大学 文化女子大学 文京学院大学 明星大学 目白 立正 ルーテル学院
LEC東京 和光 神奈川 神奈川工科 鎌倉女子 関東学院 相模女子 松蔭 湘南工科
鶴見 田園調布学園 桐蔭横浜 東洋和英女学院 フェリス女子 横浜商科
敬和学園 長岡 長岡造形 新潟医療福祉 新潟経営 新潟工科 新潟国際情報
新潟産業 新潟青陵 高岡法科 富山国際 金沢学院 金沢工業 金沢星陵 金城
北陸 仁愛 福井工業大 健康科学 帝京科学 山梨英和 諏訪東京理科 清泉女学院
長野 松本 朝日 岐阜医療科学 岐阜経済 岐阜聖徳 岐阜女子 中京学院
232 名前: エリート街道さん [sage] 投稿日: 2008/02/09(土) 21:18:11 ID:7V2xVG0c
【F】:中部学院 東海学院 静岡英和 静岡産業 静岡福祉 静岡文化芸術 静岡理工科
聖隷クリストファ 常葉学園 浜松 浜松学院 富士常葉 愛知 愛知学院 愛知学泉
愛知工科 愛知工業 愛知産業 愛知新城大谷 愛知東邦 愛知文教 愛知みずほ
愛花花園 金城学院 星城 大同工業 中京 中京女子 中部 東海学園 豊橋創造
名古屋外語 名古屋学院 名古屋学芸 名古屋経済 名古屋芸術 名古屋産業
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鈴鹿国際 三重中京 四日市 成安造形 聖泉 長浜バイオ びわこ成蹊スポーツ
京都外語 京都学園 京都光華女子 京都嵯峨芸術 京都産業 京都女子 京都精華
京都造形芸術 京都創世 京都橘 京都ノートルダム 京都文教 花園 平安女学院
蒼野 追手門学院 大阪青山 大阪学院 大阪河崎リハビリ 大阪観光 大阪経済大学
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大阪女学院 大阪成蹊 大阪総合保育 大阪体育 大阪電気通信 大阪人間科学
関西外国語 関西福祉科学 摂南 相愛 太成学院 常盤会学園 梅花女子
羽衣国際 阪南 東大阪 プール学園 桃山学院 芦屋 英知 大手前 関西国際
関西福祉 近畿福祉 近大姫路 甲子園 甲南女子 神戸海星女子 神戸学院
神戸芸術工科 神戸国際 神戸凧川学院 神戸松蔭女子 神戸女学院
233 名前: エリート街道さん [age] 投稿日: 2008/02/09(土) 21:18:43 ID:7V2xVG0c
【F】:神戸女子 神戸親和女子 神戸ファッション 神戸薬科 神戸山手 聖和
園田学園女子 宝塚造形芸術 姫路独協 兵庫 武庫川女子 流通科学 天理
奈良 奈良産業 鳥取環境 岡山学院 岡山商科 岡山理科 環太平洋 吉備国際
倉敷芸術科学 くらしき作陽 山陽学園 就実 中国学園 ノートルダム清心
実作 呉大 比日山 広島経済 広島工業 広島国際 広島国際学院 広島修道
広島女学院 広島文教女子 福山 福山平成 安田女子 宇部フロンティア
東亜 徳山 梅光学院 山口芸術 山口東京理科 山口福祉文化 四国
徳島文理 四国学院 高松 聖カタリナ 松山 松山東雲女子 高知工科
九州栄養福祉 九州共立 九州国際 九州産業 九州情報 九州女子 久留米
久留米工業 西南女学院 聖マリア学院 第一福祉 筑紫女学園 中村学園
西日本工業 福岡大学 福岡経済大学 福岡工業大学 福岡国際大学 福岡女学院大学
西九州 活水女子 長崎ウエスレヤン 長崎外国語 長崎国際 長崎純心
長崎総合科学 九州東海 九州ルーテル学院 熊本学園 熊本保険科学 崇城
徴兵制反対論者だけど、もし徴兵するなら給料は払うべき。そうでなければ年金や健康保険を払えない人が出てくる。ついでに実家への仕送りとかしないと家族が生きていけない人とかどうなるだろうか。
ちなみに、徴兵制をしけば特定の年代の若者をまるごと招集できるわけだから、各世代100万人いるとして計算すれば、兵役二年なら最高200万人が常に軍人として徴兵されていることになる。もちろん教育的効果を狙うのだから、男女問わず、全員徴兵することが望ましいのだろう。
これだけの規模の軍隊をわざわざ維持、訓練して何をするのか。世界制服でもするのか。単に教育がしたいだけなら義務教育としてやればいいものを、わざわざ軍隊という形で行うのだから、そこにはなんらかの意図があると疑わざるを得ない。例えば、大東亜圏に対し、強大な軍事力を誇示しておきたいとか、アメリカの州として、アジアでの軍事拠点になりたいとか。
確かに兵役に行った人間は人が変わったと祖父母も言っていた。でも、それが誰にとって都合がいいのかは大いに疑問。何が変わったのかも詳しく教えてはくれなかったし。
07 :名無しさん@八周年:2007/08/06(月) 13:01:48 ID:IPg1UWNb0
オランダ サンティン・アムステルダム市長 (1994年内務大臣)
「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は敗戦
したが、その東亜の解放は実現した。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から
追放して終わった。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の
功績は偉大であり、血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分
をさげすむことを止め、その誇りを取り戻すべきであります。」
「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産
して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジ
ア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。
それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。
12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して
重大決意された日である。更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床
に伏した日である。我々この2つの日を忘れてはならない。」
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れ
て逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。
しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで将来のそれぞ
れの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教
育をおこなってくれたのです。」
「日本はどんな悪い事をしたと言うのか。大東亜戦争でマレー半島を南下した
時の日本軍は凄かった。わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはと
てもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、
あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが英軍は再び取
り返すことができずマレーシアは独立したのだ。」
●【萬物相】バージニアで見た「ゆるしの心」 | Chosun Online | 朝鮮日報
大学の広場に死者を悼む鐘の音が33回響き渡った。そして33個の風船が空に舞い上がった
↓
(実際は)
●Campus Snapshot Gallery | Virginia Tech News | Virginia Tech
32 bell
32 white balloons
既に罵倒語として定着した感もある。ゆとり世代の自分としては「ゆとり」という言葉を見るだけで苦々しく思う。
そういう手合いには「あぁこいつって馬鹿なんだなぁ」と思っていれば良いのだろう(時たま、至極真っ当なことを言っている人がその自説への自信故か「お前ゆとりか?」みたいなことを言うことがあったりして、そう言うときは特に辛い。もちろんネット上の話だけど)。要領の良い人は自虐ネタにしてしまうかもしれない。かくいう自分は、自分で言うのもあれだが、正義感が強いので見逃すことが出来ない。
で、お前な、確かにゆとり教育は良くないと思うが、そういうお前はもっと愚かしいじゃないか、え?歪んだ朝鮮人像を描いて東亜あたりでマスかいてる嫌韓厨と同じじゃねぇか、などと言い垂れると、なんだこいつ痛い奴だな、と奇異な目で見られてしまう(2chじゃそのテの罵倒は日常茶飯事だし、それは別に良しとしているのだけど、これだけはどうしてもとなってしまう)。だから最近は内々にしまい込み、こうして増田に書くわけで。
一番腹が立ったのは、「ゆとり」がまだそれほど罵倒語として用いられてなかった頃、月刊現代だったかな?ゆとり教育否定論者の記事が載っていたのだが、今のゆとり教育世代は馬鹿だの、何だのと、罵声を自分を含む子供達に浴びせてかけていた。お前な、一教育者たるもんがそれでいいのか、ゆとり教育を批判するのは構わないが、こっちだって血の滲む思いで勉強していい高校に入ったんだ、俺は人に好き勝手馬鹿にされるような覚えはないぞ、むしろ自分もゆとり教育のせいで幾多の不都合を被ってきたんだ、それなのに何だ、お前は。と、当時の自分は相当憤っていた。
最近はこの十字架を一生背負って生きてゆくしかないのかなとくだらない悲観に浸ることもある。どんな世代というのも一緒くたに括られて、その中で配慮のない、くだらない言説が飛び交うのだろうし、ああ、学校で無駄な時間を過ごさなくて済んだぜ、老害どもはさっさとそのゲロ以下の優越感に溺れながら死んどけよ、程度の心構えでいられればいくらか楽なんだろうけど。