2010-08-19

バカの考え休むに似たり

今日朝日の「声」欄の一本目に、田丸安正「あの大戦名称 統一できないか」という投書がある。内容はこうだ。

俳句の例会であの戦争をどう呼ぶか聞いてみた。結構の数出た「大東亜戦争」は敗戦後あまり使われない。「第二次大戦」では日本が関わっていない欧州戦争も含んでしまう。「日中戦争」では対米英戦争が、「太平洋戦争」では対中戦争が含まれない。「15年戦争」も「昭和戦争」も感覚にあわない。そろそろ呼称の統一をすべきでは…

まったくもってどうしようもない意見だ。"「大東亜戦争」という答えが結構あった"のはそれが本来の統一呼称だったからであり、実態にも即しているからに決まっている。

もちろん「大東亜戦争」をあげた者たちも、あの戦争が大東亜をどうしようという「美しい」目的で行われ、かつそれが何を招いたか、を知った上であげているはずである。そして「あの戦争はすべきではなかった」と思っているはずだ。

「声」欄を引用する。

これまでは、あの戦争の体験者が多く、それぞれが何らかの強いこだわりを持つがために、国民の大多数が賛同できる呼称を求める余地がなかったのではないか。

違うだろう。統一呼称の「大東亜戦争」を否定する「強い拘り」のある者が、大多数を押さえつけてしまったのだ。

戦後の一時期GHQ(実質、米軍)は原爆被害の報道も禁圧。「大東亜戦争」はその言論弾圧の一環として使用が禁止された。言論の自由を叫び、反米姿勢の強い左翼革新人士が米軍のこの言論弾圧共犯者であることに彼らの不誠実と無知が表れている。

大東亜戦争を「大東亜戦争」と呼ぶことは、その評価とは別だ。他でも書いたが、私は全共闘学生だった頃、ベ平連指導者小田実の著作で、大東亜戦争には欧米列強からのアジア解放戦争の一面があったことを教えられた。同時に、この戦争理念とは裏腹に内外民衆に多大な惨禍をもたらしたとの認識も揺るがない。かかる矛盾した戦争性格は「大東亜戦争」の名称であってこそ読み取れる。

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081004/acd0810040331001-n1.htm

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