善意があろうが悪意があろうが戦争は戦争以上の何かでも、以下の何かでもないと思う。
ボクが考えたいのは、先の戦争の評価ではなく、その戦争を評価する人たちについての話だ。
つまり、大東亜・太平洋戦争が「白人諸国の植民地支配からの解放を目的にした正義の戦争」であるとか
いや違う「資源と征服欲に駆られた、利己的な侵略戦争」に過ぎないとか
そういった議論をする人についての話だ。
あー、ここで、問題を単純化すると、「大戦時の日本は善か悪か」という話になる。
善悪で、歴史語るなよとも思うが、問題にしてるのは、やっぱりそこじゃない。
それ以前。問題は、目的に善意があった、なかったを議論する人のことだ。
目的は善意だったなんてことはない!と反論する人たちは、逆に言うと、目的が善意であれば、
戦争の行為はいくらか正当化される。と考えているのではないか。
悪意があっても功は功。善意があっても罪は罪。
(戦争は、戦争である。お互いの正義がぶつかり合うが、苦しむのは大抵弱者だったりする。
弱者的な観点から言えば、戦争はそれ自体悪である。善意があろうと、なかろうと変わりない。
で、今の時代は弱者の観点が正しいとされる。前は、そうではなかった。)
何が言いたいんだろう。自分でもよく分からなくなってきた。
えっと、結局、そういった悪意か善意かを議論する人たちは、ひどく的外れなことをしてる。
言いたいことは、そういうことだ。
善悪は、結果、ある価値観で線引きするものなのだから、