2009-02-23

大戦は正しいか間違いかという議論をする人の考えについての話

善意があろうが悪意があろうが戦争戦争以上の何かでも、以下の何かでもないと思う。

どういうことか。大東亜太平洋戦争の話だ。

ボクが考えたいのは、先の戦争の評価ではなく、その戦争を評価する人たちについての話だ。

つまり、大東亜太平洋戦争が「白人諸国の植民地支配からの解放目的にした正義戦争」であるとか

いや違う「資源と征服欲に駆られた、利己的な侵略戦争」に過ぎないとか

そういった議論をする人についての話だ。

あー、ここで、問題を単純化すると、「大戦時の日本は善か悪か」という話になる。

善悪で、歴史語るなよとも思うが、問題にしてるのは、やっぱりそこじゃない。

それ以前。問題は、目的善意があった、なかったを議論する人のことだ。

目的善意だったなんてことはない!と反論する人たちは、逆に言うと、目的善意であれば、

戦争の行為はいくらか正当化される。と考えているのではないか。

悪意があっても功は功。善意があっても罪は罪。

(戦争は、戦争である。お互いの正義がぶつかり合うが、苦しむのは大抵弱者だったりする。

弱者的な観点から言えば、戦争はそれ自体悪である。善意があろうと、なかろうと変わりない。

で、今の時代は弱者の観点が正しいとされる。前は、そうではなかった。)

何が言いたいんだろう。自分でもよく分からなくなってきた。

えっと、結局、そういった悪意か善意かを議論する人たちは、ひどく的外れなことをしてる。

言いたいことは、そういうことだ。

善・悪は、善意・悪意に関係ないだろう。

目的は、因果関係で言えば原因の方に過ぎない。

善悪は、結果、ある価値観で線引きするものなのだから、

善悪を語るときに、その目的の善性悪性を議論するのは、的外れなことなのだ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん