はてなキーワード: 営利団体とは
下記の文章を送信しました。
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本来、大阪市に住むものではないので、大阪市の税金の使い道にあれこれ言うのは筋違いかもしれませんが、
送信させていただきます。
必要になってきてしまうのではないでしょうか。
さらに、それらは買っておしまいではないのです。
常にメンテナンスが必要で、その維持費もバカにならないというところです。
大阪市音楽団は、東京で営利団体化し、商業吹奏楽団として変化するのであれば、
採算が合わず、解散ということになってしまう危険性をはらんでいると考えます。
これは、京阪神地区で吹奏楽の演奏活動を通じて子供の情操教育や、
楽器演奏への間口を閉ざしてしまう結果となりえると考えています。
まずは、「市民の対価への考え方を変える」こと。
このように私は考えております。
突然民営化するには大阪市音楽団をただ潰すということになってしまうことから、
そうならないように必要な環境の整備を同時に行いつつ、
段階的に民営化することは、
そして問題なのが、大阪市音楽団は全国でも数少ないプロの吹奏楽団である。
というところです。
これを潰すようなことになってしまうと、全国の音楽・吹奏楽愛好家に申し訳が立たないと同時に、
学校教育で吹奏楽で目標・指標となるものがひとつ消えてしまうことになります。
どうぞ、この点をお汲み取りいただけます様。
宜しくお願いいたします。
バカが不況を乗り切るためのたった二つの方法
この二つしか選択肢はない。
Q.ニートじゃないんだから働けばいいって?
A.無理。
不況で雇用が無くなっている時に、バカを雇う営利団体なんて存在しない。
しかし、2の選択者はリスクが高い。自傷行為で障害を負っても「障害者」になれるとは限らないからだ。バカが生き残るにはやはり犯罪しかない。
これは、どんなに道徳教育を強化したって、防げるものではない。
そんなものバカには理解できないからだ。衝動を抑えられないバカは、例えそれを理解していても、苦境に際して自制できるはずはないからだ。
むしろ道徳を強化することによって、同じバカの中でも「いい人」が先に淘汰されて、利己的な者、無分別な者ばかりが残る。2に至っては、仮に保護の枠から排除できたとしても、後の景気回復において使おうにも、それ以前と比べ戦力として弱まるのは否めない。
これから密かに語られることになるであろう事は、どんな犯罪が最も道徳的な葛藤に苦しまずにすみ、かつ、長期間拘留・留置、投獄してもらえるか…が模索されるのだろう(過去、いかに苦しまずに自殺できるかが模索され流行したように)。万引きで捕まってから匿名を貫くってのが、なかなかお薦めなのかも知れない。
派遣階級は自業自得の自己責任の二言で、何を言っても負け犬の遠吠えと処断され、この社会から同情的に認知されることはない。どうせバカだから判らない。実態を知らないから言える愚か者…で終わり。さした説明も必要なし。そして、今は未だ派遣の上で引かれているその線引きだが、業界の特権護持が貫かれる中で、おそらく年収にして1000万あるかないかくらいにその線は引き上げられるだろう。とりあえず、バッシングの次の標的に年収800万ラインくらいが選ばれたっぽい気配を、昨今のマスコミの論調からは伺える。
ここで書くべきことじゃないとは分かっている。
でも、増田常連の方々には大変申し訳ないが、書かせて頂きます。ごめんなさい。
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最初は自由でユルい繋がりが良いなぁと思っていたけど…
いや、大多数は今もユルい感じなんだけど、
特定の人たちが勝手に立ち上げたものを「全ての人たちに共有された常識だ」と言い張って
押し付けて来る輩がやっぱり出て来た。
名指しするけど「わなびう党」だ。
ビールを飲む時にハッシュタグ「#wanabeer」をつけて「わなびう!」とつぶやくことを推進する人たちらしい。
そしてtwitter内でビールを飲んで「わなびう!」とつぶやくオフ会の開催を「支援」するのだという。
しかしそのオフを開催するのに、
「党員」と名乗る人が「会の詳細を教えろ」だの「ハッシュタグは #wanabeer 限定にしてくれ」だの
「オフの募集はこのサービスを使え」だの、あれこれ言い募って来た。
渋々勧められたサービスを使って募集をかけると、見知らぬアカウントが参加表明。
参加するんですか? と訊いてみると「オフの開催状況を把握するために登録させてもらいました」…。
正直相当うんざりした。
ハッシュタグの限定についてはもっともな主張だ。
「わなびう!」という言葉を日本のtwitterで「発明」したのはその党員だという話だし、
紛らわしいハッシュタグ(#tokyowanabeerとか)を作ってつぶやくのは、間違いなく混乱を招く。
ビールの好きな人たちが自由につながって自由に集まる、ただの「つながり」であるはず。
そこにハッシュタグ以外の拘束をあれこれ要求するのはちょっと違うんじゃないだろうか。
twitterで「わなびう!」とつぶやくのに料金でも徴収するつもりなのだろうか。
1回10円とか? 月額980円とか?
去年末に「twitter有料化」とか世迷言を口走ったDGモバイルと変わらないぞ。
それを「特定のサービスで募集をかけること以外認めない」というのは「支援」とは言わない。
「監視」であり「管理」だ。
どういう筋合いがあって、何の権利があって、そんなことをされなければならないのか?
自分たちの「内輪」を広げたいのなら、mixiあたりでやればいい。
あっちの方が会員はまだ圧倒的に多いし、人もたくさん集まってくれるだろうよ。
ただ、twitterにその考えを持ち込むのは勘弁してくれ。
もっと自由にやりたいんだよ。
(2010/03/13 追記)
党員(党首?)とやらの浮かれまくったこの日記を読むと余計怒りが増して来る。
ちょっと待ったァ!
メディアが「恋愛」のようなイデオロギーまで「調整」し「管理する」って
それ、スッゲー危なくないですか?
俺は超危ないと思う。そんなことやらせるくらいなら、「メディアは営利団体です、儲け儲け!」
の方がよっぽど安心できる。個人的に現在のメディアの「公正中立」を謳う姿勢も気持ち悪いけれど、
メディアからの情報の受け手が、メディアに「イデオロギーをコントロールせよ」と
許可証を与えてしまうのは、それは同意出来ない。
だからこそ、メディアは責められないと思うんですよ。
それに「恋愛化」には負の側面とともにそれ以上の功績もあった。
よーするに、「親が結婚しろと言ったら40親父の後家さんに嫁ぐ」なんてことが
拒否できるようになったわけですから。「恋愛化」は「家制度」への反動の側面があったことも
否定しちゃいけない。あの時代、ぼくやあなただって
ある日突然親に紹介された青山テルマとの縁談を断れたかどうかは相当怪しいわけですよ。
実際それに反発して、家を飛び出したのが文学者達なわけで。
あの無茶な「恋愛化」にもそれなりの必然性と重みがあったことは否定出来ません。
食物連鎖ピラミッドというものを皆さん、知ってると思う。弱い生き物ほど数が多い。鳥類だったらワシなどの捕食者は数が少ない。動物であればトラや熊のように強い生き物は数が少ない。鯨は食物連鎖の頂点にいる動物である。これを捕獲して捕まえるということは生態系に深刻なダメージを与えかねない。小さな部族にとっては熊やライオンを狩る狩猟はなりたつかもしれないが、大きな国家が、熊やライオンを捕獲して日常的に国民に食べさせることなど不可能。ところが日本はそれを海でやってしまってる。1億4000万人の食卓に鯨が日常的に登場することは、まずありえない。食物連鎖のピラミッドの頂点を食べ続ける狩猟が、陸上で成り立たないなら、海でも成り立つはずがない。われわれが食べていいのはピラミッドの下のほうのたくさんいる生き物だけだ。
調査捕鯨という手法には科学がない。たとえばライオンの数をサバンナで数えるために、見つけて殺すなどという手法がとられたためしがあるだろうか。捕獲して目印をつけたり、衛星で追えるような発信機をつけたりするのではないだろうか。絶滅が心配な動物を調査するときに殺して数を調べるだろうか。調査の段階で食べることを前提にしてしまったら受けいられるはずがない。殺さない方法での生態調査を行うのがまず先ではないだろうか。殺さない調査捕鯨を数年かけて実施してから世界を説得しても遅くはない。
日本の水産庁や漁業関係者が常に正しいのであれば、マグロは8種類のうち5種が絶滅危惧種になるような事態になっていなかったはず。日本は常に正しいわけではない。
誤解のないように言っておく。シーシェパードはテロ組織で営利団体だ!!寄付金を給料として着服する団体を私は一切信用しない。最近登場してきたmiauとかもだが。
DENPA!!!行って来ました。
ここ5,6年で一番いいpartyでした。
掛け値なしに楽しい!!!
昼間っからやってるのも健康的(←こう書いて「おっさんに優しくて」と読む)で◎。
内容、客層、ロケーション、料金すべてに満足できる、レベルの高いイベント。
ここまで"熱い"のは昨今ではかなり珍しい。マジおすすめ。ちょっとでも興味のある人は、一刻も早く行くべき。
とまぁ、ここまで書いて小休止。
自分は↓これ書いた人。
http://anond.hatelabo.jp/20081223011009
自分語り(補)
http://anond.hatelabo.jp/20081223215937
自分語り(転)
「良いイベントだなー。こんな良いイベント久しぶりだー」と強く思ったのですが、
どうも悶々とするものがあり、それをこの2日間考えてました。
んで、marquee ( vol.70「次世代ファンタジー特集」に電刃の特集あり) とかユリイカ増刊号『初音ミク』とか買って
まだわからなくて悶々としてたんですが、主催者の"点と線"さんのブログを見つけてちょっとわかった気になったのでコメントします。
以下はアリバイとして書き残したい文章。もしかしたら読む人によっては不快に感じるかもしれません。
でも、申し訳ないけど気分を害すような文章をアップします。
(なので過去の『自分語り』で不快に思った人は読まないで下さい。)
冒頭の佐々木渉氏へのインタビュー『生みの親が語る初音ミクとアングラカルチャー』が抜群に面白い。
これだけで1,200円出す価値があります。今現在、初音ミク関連の資料として最も価値のあるものじゃないでしょうか)
きちんと書いてる暇がないので。
では先に進みましょう。
//////memo//////
[前提]
自分語り133 - DENPA!!! 「超ライトオタク」 言説
http://www.technorch.com/2008/12/133---denpa.html
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html
慟哭 (3)
http://web.soshisha.com/archives/otaku/2006_1019.php
栃内新,左巻健男 編『新しい高校生物の教科書』講談社ブルーバックス,71頁より
[目次]
1.「慟哭 (3)」を読んで
3.人類知に帰ろう
4.あなたはどう思ってるの?
6.参照元
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1.「慟哭 (3)」を読んで
慟哭 (3)
「あー、デュシャンか。理解理解納得納得」って感じです。
こう言ったら失礼(ネタバレ)かもしれないけど、電刃はデュシャン - ウォーホール - 村上隆のラインの音楽・ファッションverなのねと。
この流れだとたしかに「○○論」は確かに意味を成さないっす。「意味を成さないように働く機構」という罠・舞台装置だから。
(便器語ってもしょうがないし。まぁ、人類史上もっとも「すごい」便器なんだけどw)
次のエポックメイキングな事象はアキバのホコテン復活の時かもーとか妄想しちゃいました。
(補)
レディ・メイド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%89
「泉」に関する個人的な解釈は、「心のヒダへの"effect"を芸術とするなら、
便器にサインして展示会に出しても芸術作品として"アリ"なんじゃね?」と提案している作品。
デュシャンは「美術を"effect"とするなら、『美しい』でも『怒り』でも『恐怖』でも何でもいいじゃん」と
「美術(芸術)」を「拡大解釈」できる素地を作っためっちゃ偉大な人。
(それまでは「真善美」を追求するファインアートが主流だった)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88
ウォーホールは「キャンベル缶も芸術作品じゃね?」と言った人。
(余談ですけど、村上隆は美術史的「文脈」をきちんと押さえてるから海外で評価が高い。
美術史をちゃんと踏まえ、理論として一貫しており、装置として実際に働くから「海外の美術界」では評価されています)
ガイジン「あー、そうかもそうかも!!」
(電刃は村上隆と違って商売っ気が今のところなさそうに見えるから、反発(というか"やっかみ")も少ないかもしれないですね。)
(ニコニコではちょっとあるみたいだけど)
(補の補)
電刃は「オタク等々を拡大解釈させる"装置"である」と言いたいだけ。
電刃を「芸術作品だ」とは言ってない。「芸術作品」という評価は「解釈が拡大する運動性」において無意味。
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html より
はてな民に対しては「気持ち悪い」かもしれませんが、
ホントは「パラレルワールドで幸せそう?に学校に行くシンジ(を描いた庵野監督)」が正解じゃないですか?
(「気持ち悪い」は悪い意味ではない。↓参照)
映画エヴァンゲリオンの最後、「気持ち悪い」ってどういう意味?
http://news4vip.livedoor.biz/archives/50801624.html
俺は電刃行って目の前ですんげぇかわいい長門がぴょこぴょこジャンプしながら踊ってて、
それ見ながらガン踊りできる幸せに絶頂を迎えそうになったけどなー。
「現実」を住みやすくする手立ては、陳腐な言葉(≠「仲良く」)の中にすでにあるのになぁと。
「アメリカヲチしようぜ!!」でいいような気がする。オバマ的な意味で。
(別にEUヲチでも構わない。もちろん)
3.人類知に帰ろう
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html より
正直なところ、その違いって、テクノウチ君の考察のように参加者が共通してポジティブかどうかじゃないかなとw
それで終わりじゃ駄目なの?むしろw。
(中略)
僕や参加者がそうだと言ってるんだからそれでいいじゃないと思うんだけども、
それでも解釈(知的経験の枠)の媒介を人は要求する社会学の囚人なので、
僕なりにそれ用の答を探求してみたんですが、もとよりそんなつもりはないので嘘はつけないなあというどうしようもない始末。
庵野監督が『気持ち悪い』でEVAを終わらせた心境から遠くはないです。
(関係ないけど社会学部だった僕の卒論は「社会学は永遠に社会そのものを追い越せない」というものでした)
(中略)
これは大変ありがたいことですが、DENPAはアカデミックな言説に幽閉されるよりも、ただ好きなものを好きという幼児的で野蛮で原始的な本能に基づいているのも事実です。それもコンプレックスをいだかず堂々と。
僕らは学論の探求ではなくエンターテインメントの探求をしている。
不恰好でも感動はほんものだ。
そのシンプルな行為がこんなにもやりにくく、珍しがられる時代になってしまったんだなあ
と感慨深くなりました。
marquee(vol.70)「次世代ファンタジー特集」より
文字打ちが大変なので割愛。
「アート(引用者注:「学問」という意味も多分に含まれてる)はどこに行き着くために問い続けてるかわからない」というインタビュアーの質問に対し
点と線さんが社会学のフレームで世の中をすっきり見れるように、
若い子にもその手段をゲットできるような仕組みを作ってあげたいなーと思ってみたり。
年下の子に「学問楽しいよー。いや、むしろキモチイイとすら言える!!」としか俺はまだ言えてないけど。
(カウンターカルチャーであるはずの「学問」が、「幽閉」する機構として働く日本の異常性がアレなんだよなぁ)
学生運動とか創価学会とかオウムとかプロザックとかと変わんない気がします。
最近は「死なない程度の失敗ならおk(死なない程度に納めよう)」という考えの人多し)
鶴見済ですら
http://tsurumitext.seesaa.net/category/3920016-1.html
と言ってるのだから、たとえ手詰まりでも「ポジティブであればいい」とは言わない方がいいんじゃないかなーと思ってみたり。
まぁ、アメリカとかEUは全然手詰まりに見えないので、「手詰まり」こそが共同幻想な気がしますが。
(個人的にはバンクシーみたいな手法が好き。愛しつつコケにする系。音楽だとBUBBLE-Bさんとか)
バンクシー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC
BUBBLE-B / アムロケット
4.あなたはどう思ってるの?
オタクって何?
オシャレって何?
疑問に疑問でお返しします。
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「面白い」とか「なかなかのもの」とか言ってくれた人ありがとう。
全レスすると「キモイ」とか言われちゃうので、指摘してくれたコメにのみ応答。
clonicle 言っていることはまっとうだが、「ジャンクフード」(=人によっては取るに足らない虚像)だと発言することでテクノウチを決断主義者に仕立て上げるのは悪質
「決断主義」って言葉の意味を調べましたが、よくわからなかったです。
fuldagap「「ジャンクな物でも『おいしい』と感じる人が大半になったよ』って書いてあるだけだよ?」が微妙に誤読な気も。「化学調味料うめえ」じゃないかなーとか。総じて現役/引退オタクの自己正当化合戦に見える
そうです。たしかに「化学調味料うめえ」なのですが、
化調まで抽象化しちゃうとかえって伝わりにくいかなーと思い「ジャンクブート」にしました。
(「化調」に対応するのが「ビート」だけになっちゃうので。音楽的広がりが欲しかったので「ジャンクフード」と表現しました)
fuldagap 「全員「アツイ」から、濃淡は金・環境・時間の差でしかなかった」ってのは「アツ」くない人が見えにくかった時代がゆえの偽史だと思うなあ
「『おたく』とアイデンティファイされるようなファナティックな人々」が母集団ですから。
y_arim ぼくの知る限り、昔だってヌルいひとはいた。だけど時間の経過とともに彼らは「卒業」し、一貫して熱かったひとのみが生き残った。すると「昔は誰もが熱かった」という言説が生まれる。「元ヌルオタ」をどう語るか?
(『タイム・マシン』のエロイ的な意味で)幸せで「語り」に対してモチベがない人々に無理に語らせなくていいのでは?
ジャンプの発行部数見れば、「いた」ことはわかりますから。
mkd5 オタク 「おたく」のうち岡田氏の守備範囲が「オタク」となったってことかなあ/「(淡から濃に行かない奴は、そもそも「おたく」と呼ばれていない)」これがヌルオタなのでは
「ヌルおた」は言語矛盾を引き起こしますが、「ヌルオタ」は新語なので好きに定義しちゃってください。
『竹熊健太郎氏との対話(1)』での解説が一番しっくり来るのかなぁ。
「おたく全般」にまで広げちゃっていいのかどうかはまだ自分として決めてないです。
6.参照元
は文字数制限を避けるために↓こっちに移動。
http://anond.hatelabo.jp/20090115000935
おまけ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1756156
フック
(追記)
ああ、そうかそうか。書きたいこと書き殴ってたらレポ忘れてた。
"DENPA!!!"に行ってきたよ。
http://d.hatena.ne.jp/inumash/20090113/p1
お三方とそう変わらない印象。
3Fではアニソン流してカラオケノリでオイオイって感じ。2Fと3Fの交流はぼちぼち。曲や3Fの込み具合次第かな。
ロンドンナイトは行ったことないけど、普通のライブとか新宿で昔やってたグルービー・ロックキャラバンとかと相似。
僕は2Fで「普通に」踊って楽しんでました。
テクノウチさんの時間は、3Fのお客さんが大挙していらっしゃいましてまったく踊れなかったので、僕的には一番…w
NHKの方(ETVのカメラマンさん)は「アンディー」かなーっとちょびっとヲチしてました。
(こっそり追記)
metamix きちんとオーガナイズされてる良イベントだっていうのは分かったけど、
その先があるのかどうかをもっと知りたい/クラブピーポーには文化考証なんてどうでもいいんですよ。
要はその現場があるかどうかだから。
「その先」「現場」ってのがどんなものをイメージしてるかにもよるなぁ。
「Dir en grey」なのか「RYUKYUDISKO」なのか「初音ミク/ニコニコ」なのか「third summer of love」なのか。
「超ライトオタク」や「越境」云々は主催者も意図してない(?)「バズワードでのプロレス」(@inumashさん)なんで、
どの層がたくさん「ひっかかる/ひっかかってる」かにもよるかと。
(まぁ、お客がみんな「かっこいい/かわいい」と書かれているってことは、
ちょっとキモ目の"いわゆる"「おたく/オタク」はあまりいないってことでもあるような気がするのはきっと気のせい。)
(昔に比べて非寛容な人が減っただけのような気がするのもきっと気のせい。)
【佐々木渉】 三年くらいしたら「初音ミク?そんなのもあったね」で良いんですよ。(中略)
まあウチも営利団体なのでもしかしたらヴァージョン・アップ版とか出すかもしれませんけど(笑)。
ただ、引くタイミングは考えないといけませんね。初音ミクにまで泥を塗って、
グダグダと退いていくようなやり方は、やっぱり不味いので。
ユーザーさんからも「『ぷよぷよ』を作った会社(株式会社コンパイル)が辿った末路を、よく調べておいて下さい」という
(独り言)
修士でドロップアウトなら如何様にでも復活するチャンスがあると思いますので、
気を落とさず頑張ってください。今の悔しさを忘れず、新たなことに挑戦してください。
そもそも大学院で何が大切か?という問題に対して、私はそこで論理的な考え方や
解決手法を身に着け、結果をまとめる訓練をすることが最重要だと思います。
あなたの経験は決して無駄にならないと思いますよ。
あなたが世に出るべきすばらしい論文が書けたはずなのにというくらいの人なら、
新たな場所で十分活躍できると思いますし。会社の研究からもノーベル賞を
取ることが可能な時代です。
話は逸れてしまうかもしれませんが、あなたのような人が増えてきた背景が私は
気掛かりです。
研究室の教授から助教の人たちが理不尽に学生を責める傾向も実際にはあると思います。
その背景には、教育者側にも大きなプレッシャーが掛かり過ぎている状況に問題があると
私は考えています。つまり、教育者の心理的余裕を奪ったものは何かを考えていく
必要があると思います。
私は以下のようなことがその主な原因だと思っています。
(1)大学の独立法人化の問題、(2) (1)による過剰な成果主義、(3)空きポスト問題
今の大学での研究環境が昔に比べて圧倒的に成果主義に傾き過ぎており、
大学での研究本来の独自性や独創性を脅かす状況が生まれていると思います。
そもそも、大学での研究なんてのは何十年、何百年後の人類にとって
役立つくらいのものもあるべきだと思うのです。研究成果がすぐに
社会貢献するなんて考え方そのものが、目先の利益に捕らわれて過ぎています。
目先の利益だけが重要な研究なら企業や営利団体でやれば良いことだと思います。
数学や自然科学分野などはその価値が現時点では分からないものも多いと思うのです。
そういう基盤になる研究が出来る場所が大学や国立の研究所だと私は思います。
さらに、成果を問う割りに空きポストも無く、ポスドク問題という問題も明るみに
なっているという状況です。ポスドク問題は世間一般でいうならば、契約社員、派遣社員の
問題と同じです。如何に能力のある人間でも、空きポストが無く、年齢が上がって
どうしようもない状況を生み出してしまっている問題もあるのです。
国や政治家は日本を技術立国にしたいのなら、この問題をどうにかしなければならないでしょう。
そして、中長期的な視野で研究レベルを上げるには大学の独立法人化をやめるべきだと
思います。現時点で日の当たらない分野の研究にも投資し、裾野を広げるべきだと思います。
大学院は現在その存在自身が難しい状況になってきていると思います。
今流行の学問に手を伸ばしても、その学問が何年後かには陳腐なものになる可能性だって
あるのです。
国の研究レベルを上げて行くためにやるべき策はもっとあると思います。
目に付いたんで書いておこう。
なお、初めに断っておくが、以下はプリンスホテルの対応の是非を述べたものではない。プリンスホテルの対応の是非において営利団体とか企業である事を理由とする事の是非を述べたものである。
いつから一営利企業は自らの損害も省みず言論やら集会やらの自由のために戦わないといけなくなったんだ?誰が、どんな資格で彼らにそれを強制できる?
私は「一営利企業」を盾に逃げてはならないと考える。逃げてもよいか戦うべきかは、個人・企業・営利などが理由になるわけではなく、自身や相手方、また起こった事件・事象などの、社会への影響力によって決まると思う。
つまり、「言論やら集会やらの自由」といった、社会的に影響のある事柄について、力のない個人や団体なら逃げてもよいが、経済力や発言力など、何かしらの力を持つものは立ち向かうべきだと思う。幾らかの損害があろうとも。
端的なのはマスコミ各社である。彼らも営利企業であるが、その大きな影響力には大きな責任を求めるべきであって、利益を求めてもよいが、それ以上に言論の自由は求めていただきたい。
他にも、大手と呼ばれる、大きな資本(経済力)を持つ企業には、率先して社会福祉に勤めていただきたいし、利益のために環境を破壊してほしくない。
また、個人であろうとも同様で、大きな財力や権力、発言力を持つ人物が、安易な発言や行動をとれば批判される。元増田が批判するように。
プリンスホテルにそこまでの力や責任があるか?と問われると、私としてはわからない、となる。それほど詳しくないから。しかし、それなりに名の通ったホテルグループであることは知っている。だから、もう少し対応の仕方があったのでは?と、思う。それだけのブランド力は持っているだろう。
別の事例も少し。
つい最近、バス車内で10分間の暴行の末に、人が殺されたという事件があった。これに対し、車内には他に30人が乗っていたが、誰もとめなかったとして批判があった。
刃物は持っていなかった様だが、暴力を振るうバカである。放置して正解であっただろうか。
30人を集団と捉えれば、ある程度の力を持つ集団である。一人の男くらいには立ち向かうべきであっただろう。しかし、個々は見ず知らずの他人と見れば、個人対個人であり、相手は人を殺すほどの力は持つ。放置して正解だったかもしれない。非番の警官がいたら、なんら武器を持っていなくとも立ち向かうべきだったかもしれない。バス会社としては損害が出ても何とかすべきだったかもしれない。たとえダイヤが乱れたとしてもバスを止め、警察を呼ぶ、被害者に逃げる余地を与えるなど。
このように、(それは力の大きさに関連はするが)一企業一個人という理由ではなく、どれだけの力を持ち、したがって責任を負うべきかで見るべきだ。