はてなキーワード: 名古屋コーチンとは
普段は1日500円の貧乏生活しながら、たまに高いご飯(そしてワイン)食べてる貧困ブルジョアの感覚だと;
安い鶏肉(40)→臭みがなくサッパリしてて食べやすいが、特に特徴もない。ただブラジル産は不味い。
高い鶏肉(300)→名古屋コーチンとか比内地鶏。味わいが強く、好みが分かれるが嵌まると美味しい。
安い豚肉(100)→普通。脂身の多い肉は多少臭みが気になるけど、下味付ければいける。ただ少しでも厚いと硬さが気になる。カナダ等外国産は淡泊過ぎる味わい。
高い豚肉(400)→丸五の特ロースおいしいいいいい。華やかな豚肉の香りと、甘みのある味わいが最高。塩とレモンで。ただ最近胃もたれするようになった。
安い牛肉(100)→硬くて獣くさい。切り落としを濃い味噌系等で料理しても獣っぽさが残る。
高い牛肉(500)→A3以上の国産牛肉、柔らかくて美味しいけどやや脂がくどい。
超高牛肉(4000)→神戸牛とか。部位だとシャトーブリアンとか。サシが芸術的に入っていて肉全体が口の中に入れた瞬間に溶けていくが、脂の味ではなく強く旨みのある赤身肉の味わい。最高。
安いハム(100)→まあ普通に美味しい。ただ食べ過ぎるとお腹痛くなるのは僕だけ?
高いハム(300)→うーん、豚肉に近い味わい。豚買った方が良いのでは?
安い生ハム(200)→やや強い塩気と、人口感があるがまあ美味しい味わい。パスタに入れて火が通るとしょっぱすぎる。
高い生ハム(1000)→36ヶ月熟成ハモセラーノとか。じんわりとコクのある味わい。極太アスパラに巻いて食べるのが好き。
安いマグロ(200)→なんか水っぽいような適当な味わい。味がするけど納得いかないというか。
高いマグロ(1500)→良い鮨屋の大トロ。脂がさっぱりしているわりに味わいが濃厚でとろける。先日スジが一切入ってない中トロ食べたけどめちゃくちゃフルーティーで美味しかった。
安いウニ→苦い。食べたくない。
高いウニ→良い鮨屋の雲丹は甘みが非常に強い。甘みの形が水飴に似てるんじゃないかな。殻付きの雲丹が柔らかく深い甘み、優しい磯っぽさ。美味しい。
余談;
超高いパスタ(1500円/kg)→ファエッラ。無茶苦茶美味しい。生麺と乾麺の良いところを併せ持ってる。味わいが深く、麺にコシがしっかりある。高いけどどうしても買ってしまう。
大型高級魚(1500)→金目、キンキ、マナガツオ、クエ等。基本的に脂が強いので、調理方法が適切なら美味しい。甘鯛は蒸しが良いけど。
高級烏賊(1500)→剣先烏賊様。刺身にすると信じられないくらい甘みとコクが合って美味しい。槍烏賊の最上級。モンゴウイカは別ジャンルね。
蛙→まあ鶏肉。
私は別の考え、と主張している。
「卵が先か鶏が先か」は「個体として卵が先か鶏が先か」ではないか、と言っている。
よって、個体として最初に区別できるのは卵であるから卵が先だ、っていう話。
って、コピペ改変なわけだが。もう一つ。
名古屋コーチンの卵は名古屋コーチンの卵であって鶏の卵とは呼べないかといえば、鶏の卵とも呼べるし鳥の卵とも呼べる。
ある卵の名称は唯一の名称をもつわけではない。鶏が産んだ卵を鶏の卵と呼べるように、鶏になるひよ子が孵化する卵を鶏の卵と呼んでも差し支えない場合もあるだろう。鶏が産んだ卵を鶏の卵ではなく腐った卵と呼ぶべき時もあるだろう。
さてもう一つ
「卵が先か鶏が先か」の鶏はどんな鶏だろうか。
親が鶏ではない鶏だろうか。しかし、鶏以外から鶏が生まれるのだろうか。
いや、鶏の親となるような鳥のどちらかは、はやはり鶏と呼ぶべき鳥ではないだろうか。
鶏の親は、それほどはっきりと鶏ではないと言える鳥なのだろうか。
全く別種の鳥から鶏とはっきり言えるような鳥が生まれるだろうか。
当時、鶏か否かははっきり区別できるような物ではなかっただろう。
だから、「卵が先か鶏が先か」はそもそろ論ずることができない。
さらにもう一つ
鶏とはいつ発生したのだろうか。
鶏とは鶏という概念が生み出された時、鶏が鶏となったのである。
そのとき、卵はなかっただろうか?おそらくあっただろう。
よって、鶏と卵は同時に発生した。
というのは、実はどうでも良くて。
「卵が先か鶏が先か」の鶏とは鶏の卵から生まれた鳥と定義し、卵とは鶏がうんだ卵と定義する。
すると、どちらが先であるか結論をだす事ができなくなる。
この言葉は、その結論の出せない状態を言い表す言葉であり、結論のでる条件ではこの言葉は意味をなさない。
したがって、「卵が先か鶏が先か」との問は結論がないのが正解。
比内鶏と名古屋コーチンを掛け合わせた卵は、メスが比内鶏なら「比内鶏の卵」?メスが名古屋コーチンなら「名古屋コーチンの卵」?
食べるならそうなるだろうが、育てるなら「比内鶏と名古屋コーチンを掛け合わせた卵」だろう。
以上が、場合により名称が変わる例。
もう一つ別の考え方
鶏の親子はそれぞれ別の個体である。
ひよ子が成長し、鶏になった時、そのひよ子とそれが成長した鶏は別の個体ではなく同じ個体である。
さて、卵は?生きている、孵化しえる卵も一つの個体ではないか?
胎児も、母親に依存してはいるが生命体としては母親とは別の個体と見なされる。
そして、卵から孵化したひよ子は、その卵から成長した同一の個体である。
そう考えれば、一番最初の鶏の個体はまず卵であった、つまり卵が先といえるのではないだろうか?
ま、「一番最初の卵/鶏」という考え方がそもそも間違いだと思うわけだけど。
ちなみに無精卵を考えた場合、それは生理時に排卵される卵子のような物と見るべきか、無精生殖による卵で一生を終る別個体なのかという話は別の話。