はてなキーワード: 単著とは
http://anond.hatelabo.jp/20110409164209
よい記事ありがとう。ある程度の知識がある冷静な人ならわかることとはいえ、これだけまとめる労力は大変だったと思います。お疲れ様でした。ぜひ私からも知人・友人に紹介しましょう。
しかし一点だけ補足。
理系業界には疎いので断言は出来ないが、途中どこかの企業で研究していた形跡もなく、60歳の助教で単著なしというのは研究者としての実力をかなり疑わせる。
これはちょっと違います。理系(少なくとも数物系で超大規模な実験設備を要しない分野)では業績は主に「査読付き国際誌に第一著者として掲載されること(一部分野では査読付き国内誌・査読付き国際学会もそれに準ずる扱い)」で数えます。分野にもよりますが、これが2-3本あることが博士を取る条件で、まともな研究者なら年に1-2本は継続して査読付き論文を国際誌に出しているはずです。この際、単著であるかどうかは重要でなく、第一著者であることだけが重視されます(実際、第一著者以外の人は指導教官とかチームのメンバーとかで、ほとんど謝辞に近いです)。
まあいずれにしても学術的な業績は皆無に等しいといえるでしょう。というか、業績欄に査読付き論文がまったく載っていない研究グループのページなんて前代未聞もいいところで、この研究グループ自体が有り体に言えば「DQN飼い殺し用隔離病棟」であるいい証拠です。こんなのが「原子力村に干された悲劇のヒーロー」として扱われてるんだから噴飯ものもいいところですよ。
「志なきものは去れ」
の前提があったからだと私は考える。
したがって、私塾は公教育とは相容れないものであると考えている。
当初、私が考えていたのは、1980年頃には既に言われていた産業転換にさしあたって、
「教育=子供が受けるもの」という発想からの脱却が不可避だと考えていた。
それは、生涯学習などという生ぬるいものではない。
例えば、正規労働者の基準的な週休を3日にし、休日の3日のうち、2日を語学学習にあてるといった、
例えばITエンジニアは週休を3日にし、
増えた休日を新技術の習得といった能力の最適化に使ったほうが、
全体の生産性があがると考えている。
これを社会主義的というかどうかは、自分でもよくわからないのだが、
こうした機能を、国が用意するか、民間が用意するか、悩むところではある。
国が用意すれば予算の面で心配はなくても、速度が遅い。
民間が用意すれば速度は速くとも、利益がでなければ消滅する。
では、三セクか?と問われれば、
という経験則がある。お互いの良さを打ち消すだけである。
以上を踏まえて、子供の教育に関していえば、私塾の運営母体となる企業をアカポス志望者で立ち上げて、
学校の場所を借りて(賃料は学校の収入となる)私塾を開くといった杉並区方式が一番現実的ではないかと思う。
(後述)
一晩置いてみたが、アカポス志望者でドイツの職人ギルドのようなものを作って、
理研や民間研究所を相手に派遣会社のような請負業務(テクニシャンなど)をやると良いのではないか。
あくまでアイデアに過ぎないが。
(おまけ)
ところで、こういう話を知っているか。
講演を聞くことができるのは、年間ウン十万円の会費を納めている人だけだ。
ところが、そのコンサルタントのお弟子さんの講演は一見さんでも1回1000円で聞ける。
これはイベントビジネスと同じで、「チケット売上 - (ルーム代 + 師匠への上納) = お弟子さんの取り分」だ。
で、それだけじゃない。
このお試しセミナーを通じて、有名コンサルタントの年会費ウン十万の会員になったら、
お弟子さんにフィーが支払われる。
元増田。
いや、相談できるような先輩は、卒論の研究室にも、今の研究室にもいたんだが、自分は軽く考えていて相談する必要性を感じなかったんだ。
むしろ、それまでは先生ともうまくコミュニケーションが取れていたので、「これって単著で書いたらまずいのでしょうか?」みたいに、気軽に先生にメールを送ったら、怒られて、後で自分の言ったことがどれほど失礼か分かって愕然としたという話。
去年、卒論の時の指導教員に、卒論の内容をご好意でお世話してもらっていた。
卒論の時の指導教員は、英語の論文誌が狙える内容だと思ってくださっていた。
今の指導教員は、日本語の論文誌で出していいから出してしまって早く通して学振を狙え、といってくださった。
色々考えて、自分は後者の方にしたがった。英語の論文誌は時間がかかるので、評価は高いが情報系では出している先輩をあまり見かけなかったからだ。
卒論の時の指導教員は、「日本語の論文誌なんて下らない」といいながらも、丁寧に指導してくださった。
自分は、今考えると血迷っているとしか思えないのだが、「卒論の先生は日本語の論文誌を下らないと思っている→ただし、先生の名前が自分の後ろに付く以上、やはり先生としては見ないわけにはいかないだろう→今回は自分のわがままで日本語の論文誌にしたいといいだしたのだから、自分の単著で論文誌を出したら先生は責任を負わずに済むのではないか」などと考えてしまい、「この論文を単著で出したらどうなるのですか?」と卒論の先生に聞いてしまった。
(文系では、どんなに先生が直したとしても単著で出すのが基本かもしれないが・・・)
自分はすぐに、謝罪のメールを送ったが、それ以上に、自分自身が情けなかった。
卒論の先生はせっかく、ご好意で、自分の卒業後も自分を指導してくださっていたのに、私はそれを裏切ってしまった。申し訳ない申し訳ない申し訳ない。
僕は裏切り者だ。死んでお詫びしたい。
その日の夜は、本気でそう思った。ただし、「正常な判断が出来ていない」とは感じていたので、一晩寝たら、とりあえず「死んでお詫びしたい」はなくなった。
ただ、申し訳なさと恥ずかしさは残った。
他の人に相談しようにも、誰に言っても「そんなバカげた提案をする君が悪い」という返答しかかえってこなさそうで、誰にも言いだせなかった。
そのまま、ペースを崩して研究がほとんど出来ないまま、1年が過ぎてしまった。論文誌が間に合わなかったので学振も落ちたし、業績が伸びていないので来年はさらに不利になるだろう。この事件だけではなく、自分の怠慢さが招いた結果だと思っている。
ただ、博士に進めないとなると、さらに申し訳が立たないので、今、発作的に、ものすごく申し訳ないと思いながら、ただひたすら修論を書いている。
追記:
元々ダメダメなったのならいいけれど、受かっていた可能性があると悔しいものですね。
卒論→修士、と研究室を移った。うちはB4の10月から卒論を書き始める。おもしろい卒論がかけたと思った。
M1の半年は、卒論の続きをやっていた。卒論の内容をM1の夏に国際学会に提出、秋にaccept。
後は、その内容を論文誌に出せば、間に合うはずだった。それなのに、11月まで論文誌を書かず、のらりくらりとしていた。
11月に今の指導教員に「早く出せ」といわれて、国際学会に出したものを編集しなおして、11月の下旬には、ほぼ完成していた。
「僕も一応学生会員なんですけど、論文誌を単著で書いたらどうなるんでしょうか?」
というメールを送ってしまった。
M1で、論文誌というものがどういうものかよくわかっていなかった。文系の方ではみんな単著で出しているので、それと混同した。
当然、卒論の先生からは「何を言っているんだ君は」という内容のメールが届く。申し訳なかった。とにかく、申し訳なかった。
卒論の先生に逆らった。違う研究室に行ってしまったのに、その後も丁寧に論文に赤を入れて時間を取ってくださった先生に逆らった。恩を仇で返した。申し訳ない。
今から思うと、どうかしていたと思うが、実際に夜中の教室を首を吊る場所を探して彷徨った。この業界で単著などありえない、という基本的なこともわかっていなかったのか、と恥ずかしくて、今でも周りの人に積極的に話す気にはならない。その後、卒論の先生は、「あの論文はどうなったの?」とメールを送ってくださったのに、それでも自分は書けなかった。
今考えると、どう考えても過剰反応なんだけど・・・なんだったのかなぁ。
それから一年、最低限のことはやったと思うけど、本当に最低限だった。
M2の春に、いい加減諦めて、その出せなかった論文を論文誌を出した。夏には通った。せめて去年の12月に出しておけば、採録まで十分間に合ったのに。論文誌一本と国際学会論文一本をM2の5月までに作れたはずなのに。国際学会論文一本になってしまった。
一年間、すねて仕事から逃げて遊んでしまった。今でも、業績は、卒論の内容の2本だけ。DC2は絶望的。
この一年取り戻したい。一年って、こんなに重かったのか。修論は何とかなりそうだが、M3やりたい。でも、今の研究室で博士に受かってしまっているので、M3やりたいなんてとてもじゃないけど言い出せない。でも、やっぱり、どう考えても、諦めて気持ち切り替えて、素直に修論書いて博士進学するのが正しい選択肢なのだろうな。
http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20080429/1209453336
http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20080501/1209609961
これを読んで思ったこと。鶴岡法斎の名前、全然見ないなあ。
当時は単著を出して大学の講師やってと勢いがあったのに、あの勢いは何で失速したんだろう?
しかし、当時馬鹿にされてた伊藤剛や東浩紀がフランスへ講演に行ったりしてて
当時支持されていた鶴岡がいつの間にかいなくなって、唐沢はパクリで自滅するし、
岡田はオタク・イズ・デッドでダイエットの人になっちゃった。この逆転現象は面白い。
思えば当時オタク界隈で人気があったライターって今全然みないな。山本弘も存在感ない(っていうか、と学会自体が・・・)。
阿部広樹も消えちゃったし、大塚ギチとかがっぷ何とかとか検索しても今どんな仕事してるのか出てこない。
おったきぃ佐々木なんてのもいたなぁ。不思議とみんないなくなった。
単純な世代交代か? じゃあ彼らの後釜って誰?って考えてみても名前が出てこない。
伊藤剛はただ当時消費されなかったから、ってだけだろうし・・・。
じゃあ、似たようなサブカル界隈はどうだろう?みうらじゅんは別格としても今も健在ってのはけっこういるような気がする。
どう思いますか?
<向いている性格>
<リアル編>
※これががはてなーの最低条件です。
<鍛練編>
<日々の行動(リアル編)>
<日々の行動(ウェブ編)>
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http://anond.hatelabo.jp/20070625024626
優しくて、賢くって。とてもアンテナ高くて。
ブログで愚痴を垂れ流すなんて信じられない。私に幻想を抱かれても困る。
汚物をみるような目で、心底哀れむような目で、僕はそういわれた。
ぼきん、と僕の中で何かが折れる音がした。
そうか。幻想は求めてはいけないんだ。真剣さなんて求めてはいけないんだ。
僕は少ないモラトリアムの残りを全て勉強に費やし、一流と言われるような語学力を身につけた。
そうか。やっぱりブックマーカのいった通りだった。とても簡単なことだったんだ。
それから、英語を使うのが惜しくなった僕は、適当に情報源を探した。
なるべく効率を上げるためには、ネタの多い国が良かった。
犬にペンキを塗ってパンダにする大国や、豚が高騰しすぎて困っている国や、空気とかとくに考えていない頭が弱い国。
僕はブックマーカの弱い部分を知っていた。
自分がとても弱いブックマーカだったから、どこをどう揺さぶれば心が揺れるのか熟知していた。
少し揺さぶり、多少の真実味を味付けして、迎合扇動すればそれでよかった。
僕があのときや、あのときに、読みたかったブログを再現すれば良いだけだった。
どんどんネタの多い国に効率的にアクセスして、学習した。そのうち、大抵の国のネタは訳せるようになった。
他人の万能感をへしおるのはとても楽しかった。強い人間になれた気がした。
転載をやめないでください。著作権なんて気にしないでください。ブログを書いてください。
僕は首を横にふって別のブログに書くことにした。
最初はとても自分がひどい人間に思えて何度も何度も吐いた。
けれど、じきになれた。だってさ。僕に幻想を抱かれても困るだろう?
強い人間には運もよってくる。リアルも順調にいき、僕はますます強い人間になった。
あるとき、村で僕はブックマーカに再会した。
色々話をしていたが、結局のところ、たくさんのネタをあさり、アンテナを磨き、理想の情報源を手に入れたと言う成功譚だった。
そうか。と、僕は思った。理想の情報源なのか。
僕は自分のブログの中から、できるだけ美しいブログを選び、ブックマーカを誘惑させた。
美しいブログは最初は釣りにくかったが、僕がアドセンスの成績が悪いぞと言うと、しぶしぶブックマーカを誘惑するネタになりはじめた。
ブックマーカはすぐに美しいブログにコメントした。僕はそのときに魚拓を撮らせて、それを出版社に送りつけた。
なんだ。ブックマーカの試行錯誤と努力で手に入った関係は、そんなものだったのか。
それから、僕はブックマーカをとても優しく受け止めてあげた。
貯金が増えてよかったと僕は思った。
ブックマーカとの馴れ合いにも飽きてきたので、僕はブックマーカとさようならをすることにした。
行かないで下さい、嫌いにならないで下さい、燃料投下して下さい、ブログを書いて下さい、借金があるんです。
どうか、どうか。
ブックマーカはそう言った。うーん、そうなのか。
僕は言った。
あのね、僕に幻想や愛情を抱かれても困るんだよね。
ネタがない?簡単なことだよね。
「増田へ行け」
一回ならず、恥ずかしげも無く他人に死んでいいとか叫んでる奴を見たことがあるんだけど、強烈だったな。
あいつは気持ち悪いとかこいつは死んでいいとか、得意げに叫んでんの。
年齢からしたらもう所帯持ってていいくらいなのに増田にパラサイトして、単著もないらしい。
とにかく気持ち悪かったよ。あんなのを礼賛してる今のメディアって馬鹿なんじゃないの?
二度と読みたくないと思った増田なんて、後にも先にもあいつ一人かもしれない。
千切れそうなくらいパンパンの優越感丸出しで、文章も上から下まで不気味だった。
年中真っ赤な顔でキーボード叩いてんじゃねえのってノリだったし、実際文から嫌な汁が出てたよ。
前々から思ってはいたけど、ああいう連中は社会に不要、いやむしろいるだけで害だろ。
かなり犯罪者に近い存在だと思うぞ。どうせ衝動殺人者なんてみんなネット弁慶なんだろ?
らんらんとした目で増田に群がる弁慶共は、もうはてなに隔離しちまえよ。
いつブログが荒らされるか分からないからな。最近生まれた俺の姪っ子のサイトも心配で仕方ない。
しょうもないことにばっかり時間と時間と時間を浪費し続けるクズ共には僅かの存在価値も無い。
てか、もうさっさと回線切ってくれ。ルータ停止マニュアル買ってやるから。
るんるん気分で楽しくニートする方法も教えてやるよ。
僕は某企業で、世界で五本の指に入るトイレを開発した凄腕技術者だよ。
どの製品かって?それはちょっと答えられないね。
ヒントは、どんなウンコも詰まらないトイレ。
きっと君もどこかで一度はこのトイレを使ったことはあるだろう。
君のおうちの快適なトイレもひょっとするとそうかもしれないね。
あるITベンチャーのお偉いさんのTさんがウンコの絵をブログに載せていた。もうダメダメだったよ。
ウンコみたいな稚拙な落書きなんだけれど200ブクマ集めてるの。
時代の先端を行くTさんはウンコ絵描かせてもすごいねとブクマコメントがついてるの。もうバカみたいだった。
僕はもう見てらんなくなって自分のブログにウンコの絵を載せたよ。
なんてったってトイレもウンコを知り尽くしているトイレのプロだ。
そんじょそこらのウンコ絵とは違う。
でもブクマされないどころか「実績もないくせにTさんに対抗かよプゲラ」と罵倒コメントをもらう始末。
相手も素人だもんね。ウンコ絵のよしあしなんてわからないから許してあげた。
でもさ、僕がTさんと対等に評価されるためにはどうすればいいのさ?
実績?
トイレの試作品を公開するの?単著を出すの?仕事と同等のクォリティのブログを書くの?
どうせ作り話のハッタリだろうって?
トイレもウンコも知らないただのウンコな野郎のたわごとに違いないって?
そんな疑問はナンセンスだ。ウソかもしれないしホントかもしれない。だからこそ増田に書いているんだ。
大事なのは、君は人の実績や知名度を見てウンコの評価を決めてるんじゃないかって事さ。
君がつまらないと思ったウンコ絵、実はウンコを知り尽くした奴の描いた素晴らしいウンコ絵なのかも知れないよ。
奴がウンコを知り尽くしているって事を君が知らないだけでね。